白河の濁り 田代玄番放蕩録   作:北部九州在住

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ここは加筆予定


蕎麦屋談義

「ねぇ。若旦那。

 何で俺は町奉行になれないんでしょねぇ?」

 

「そりゃ、吉原に逃げ込んだ盗賊を探すために、俺なんかに会っているからじゃないか?

 長谷川様」

 

 吉原の中にも遊郭以外の店があり、そんな一つである蕎麦屋に昼間から大の大人二人が蕎麦をすする。

 俺の目の前にいる侍は長谷川宣以。

 火付盗賊改役を務め、盗賊たちを捕らえるだけでなく、人足寄場を創設して庶民の喝采を浴びている男。

 白河公の信頼も厚いが、多くの旗本たちには妬まれて、悲願の町奉行職につけず、俺の前で愚痴を吐く姿は盗賊たちに恐れられている火付盗賊改役とは思えない。

 

「わかっちゃいるが、ここ吉原は江戸の町で一番金の話が集まる場所。

 盗賊は金のある商家を襲う以上、ここで耳を澄ましているのは間違いない訳で」

 

「ああ。そんな所で、籠の鳥よろしく暇をもてあましている幇間が居たら、使おうと考えますな」

 

 火付盗賊改役と幇間の会話には聞こえないのは、失脚したとはいえ田沼家が陸奥下村藩一万石の大名格というのか大きい。

 無役とはいえ、その親族を無下にするには四百石の旗本にはきつかろう。

 

「とりあえず本題に入りましょう。

 人足寄場。その費用を捻出する為に田代様の知古と顔を合わせられたらと」

 

 人足寄場。罪人の更生を目的とした施設だが、その維持費用に四苦八苦しており、長谷川宣以は私財すら投じて運営を行っていた。

 それがまた江戸庶民の喝采と他の旗本からの嫉妬を買っているのだが、そんな男から俺への面会がこれである。

 武士にとって恥となるほどの困窮を告白してまで吉原で遊ぶ商人たちのとの縁を求めるのは、そこから幾ばくか銭を得て人足寄場を維持する算段を考えているのだろう。

 

「それぞ、白河公におすがりすればよろしいのでは?」

「それぞ、他の者の讒言を受けてしまいましょうな」

 

 実にわさとらしく嫌味を言うと、長谷川宣以は俺と同じ口調で嫌味を返す。

 そして互いに笑みを浮かべて蕎麦をすする。

 これが俺と長谷川宣以との関係だった。

 

「で、いくらぐらい必要なので?」

「米二千表に金二百両」

 

 ざっと計算して千両箱でお釣りがくる程度。

 白河公の威を借りれば幕府にとって出せない金額ではないが、それをしない所に白河公こと松平定信と長谷川宣以の関係が見えたような気がした。

 

「お話は分かり申した。

 ですが、これでは間を取り持つ幇間の取り分がない」

 

「そうですな。

 火付盗賊改役として得た情報。

 たとえば、盗賊に隠れて命を狙おうとする輩の話などいかがで?」

 

 長谷川宣以は何事もない顔で語るが、それは幕府隠密の御庭番事を指しているのを俺は知っていた。

 つまり、この吉原に既に白河公の命を受けて俺を狙っている輩がいる事を意味している。

 

「それは、さぞ愉快な話なのでしょうな?」

「愉快と言えば愉快、哀れと言えば哀れ。

 既に潰れた盗賊団の生き残りの話よ」

 

 長谷川宣以は懐から一枚の紙を取り出すと、その紙を俺は受け取り中身を改める。

 少し昔に世間を騒がせた盗賊の名前が書かれていた。

 

「日本左衛門。俺が生まれる前に世を騒がせた盗賊しゃないか」

「その生き残り。正確には忘れ形見か。何か悪さをしているみたいでな」

「名前を売るのに、吉原に隠れる田沼の忘れ形見が持っていると言われるお宝の噂をかぎつけたか?」

「ああ。多分その噂を囁いたのは誰か若旦那はご存じのはずだ」

 

 長谷川宣以はそう言うと伸びつつある蕎麦をかきこみ、箸を食べ終わった器の上に置く。

 俺の蕎麦も伸びつつあるのだか、食べる気は既に失せており、箸を置いてため息をついた。

 

「御庭番か?」

 

 長谷川宣以は何も言わずにニヤリと笑う。それが答えだった。

 白河公の信頼を受けながら、仕事の為ならその政敵だった男の息子に接触する。

 この清濁併せ吞む仕事ぶりが火付盗賊改役として盗賊に恐れれられ、庶民には喝采を浴びているのだろう。

 

「権勢を誇った老中田沼意次は、莫大な富を得た。

 失脚した今でも、その富は田沼家の何処かに隠されているとか」

 

「長谷川様。そんな富があったらば、俺はここで蕎麦などすすってはいませんよ」

 

 ぼやくが、そんな噂が未だ江戸の庶民の口に上がるほど田沼意次の権勢は凄まじいものだった。

 しかも、その話を流しているのが御庭番ときた。

 誰が嘘と思うだろうか。

 

「忍び込ませて、その後で町奉行が踏み込む。

 取り調べで何か出てたら、それで俺はお縄と」

 

「でしょうな。

 たとえば、水野様から預かったご禁制の本とか」

 

 俺の顔がこわばるが、長谷川宣以は他人事のように話をする。

 俺は再度ため息をつく。何とも言えない顔で長谷川宣以に代金を払う事にした。

 

「幾人かの旦那衆に声をかけておく。

 そこから先は旦那が上手くやってくださいよ」

 

 白河公が老中首座についてから、幕閣において賄賂の類は一掃されていた。

 とはいえ、魚心あれば水心あり。抜け道はいくらである。

 

「何かあったら声をかけてくださいよ。若旦那」

「長谷川様に声をかけられる時は大事なのでは?」

「違いない」

 

 長谷川宣以は立ち上がると、お代を置いて蕎麦屋から出る。

 俺は置かれたお代を確認してぼやく。足りなかったからだ。

 

「長谷川様。

 賄賂と思われないようにする心遣いは分かりますが、その心使いが町奉行になれない理由じゃありませんかね……」

 

 去った長谷川宣以のお代も払いながら、俺も蕎麦屋を出て吉原の大門へと足を向けた。

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