朝。時間にして5時半くらいに、ユウは自然と目が覚めた。隣を見ると、グリムはまだすやすやと眠っている。ユウがグリムを起こさないよう静かにベッドを下りた時だった。
コンコンッとノック音が響く。ユウが扉を開けると、そこにはクロウリーがいた。
「おはようございます。もう起きていたんですね、感心感心」
「丁度起きたところです」
「朝食と着替えを持ってきました。朝食を食べながらで結構ですので、今日のお仕事についてお話をさせてもらってもいいですか?」
「もちろんです」
ユウが答えると、クロウリーは部屋に入ってきた。トレーの上には二人分のサンドイッチとサラダ、飲み物があった。その匂いにグリムが鼻をふすふすと動かせてからもそりと起き上がる。テーブルにトレーを置き、椅子に座る。グリムはテーブルの上のハンカチを敷いたところに乗っかってサンドイッチを頬張る。
「今日のお仕事は学園内の清掃です。……といっても学園内は広い。魔法なしで全てを掃除し終えることは無理でしょう。ですので、本日は正門から図書館までのメインストリートの清掃をお願いします」
「わかりました」
「着替えはうちの体操服の予備です。サイズは男性用なのですが、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だと思います。私そこそこ背丈あるので」
そう言うユウの身長は実に175cm。普通に男性にもいるような高身長だ。ちなみに胸囲もそれなりにある。
クロウリーは彼女の言葉に安心したのか、微笑みを浮かべた。
「頼みましたよ。昼食は学食で摂ることを許可します」
「ありがとうございます」
朝食を終え、着替えながらグリムはぶうぶうと文句を言っていた。
「ちぇっ……掃除なんてやってられねぇんだゾ」
「そうは言っても私たちはイレギュラーなんだから仕方ないよ。掃除が終わったら図書室で勉強するんでしょう?」
むすっとしたグリムの顎の下を撫でてやれば、ゴロゴロと喉を鳴らす。猫じゃないって言うけど、こういうところは猫なんだなぁと思いつつユウはクロウリーから渡された体操服に袖を通す。
「ツナギみたいな感じなんだな」
そう呟きながらファスナーを上まで上げようとして途中で止まる。
「…………胸がつっかえて上まで閉まらない」
仕方なくファスナーは諦めて上半分を脱ぎ、ユウは上着の袖を腰のところで縛ることにした。
「準備終わったんだゾ?」
「うん、行こうか」
グリムを連れてユウは部屋を出た。
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「ふわぁ~……スゲーんだゾ。ここがメインストリートか」
「石像が7つあるね」
「みんなコワイ顔。このおばちゃんなんか、特に偉そうなんだゾ」
「ハートの女王を知らねーの?」
「ハートの女王? 偉い人なのか?」
「昔、薔薇の迷宮に住んでた女王だよ。規律を重んじる厳格な人柄で、トランプ兵の行進も薔薇の花の色も一切乱れを許さない。マッドな奴らばっかりの国なのに誰もが彼女には絶対服従」
「どうして服従するの? 明らかに苦しそうなのに」
「規律違反は即打ち首だったから!」
「こ、こえーんだゾ!」
グリムがユウの足元にぎゅっとしがみついてくる。ユウがグリムの頭をよしよしと撫でていると、話しかけてきた青年はにっと爽やかな笑みを浮かべる。
「クールじゃん! オレは好き。だって、優しいだけの女王なんてみんな従わないだろ?」
「確かに。リーダーは強いほうがいいんだゾ」
「というか君は? 私はユウ、こっちはグリム」
「オレはエース。今日からピカピカの1年生。どーぞヨロシク♪」
「……うん、よろしくね」
「なあなあ、エース。それじゃあっちの目に傷のあるライオンも有名なヤツなのか?」
「もちろん!」
ライオンの石像はサバンナを支配した、百獣の王。でも生まれながらの王じゃなく綿密に練った策で玉座を手に入れた努力家で、王になったあと、嫌われ者のハイエナも差別せず一緒に暮らそうって提案した身分に囚われなかった王。
タコ足の女性の石像は深海の洞窟に住む、海の魔女。不幸せな人魚たちを助けることを生きがいにしてた。お代さえ払えば変身願望から恋の悩みまでなんでも解決してくれたらしい。彼女の手にかかれば叶わない願いはなかったらしい、それに伴い代償は安くなかったようだが、なんでも叶うというのならば当然だろう。
大きな帽子をかぶった石像は砂漠の国の魔術師。間抜けな王に仕えてた大臣で王子と身分を偽って王女を誑かそうとしてたペテン師の正体を見破った。その後魔法のランプをゲットして世界一の魔術師にまでのし上がり、王の座も手に入れた切れ者だ。
石像でも美しさが分かる女性は世界一美しいといわれた女王らしい。毎日魔法の鏡で世界の美人ランキングをチェックし、自分の順位が1位から落ちそうになったらどんな努力も惜しまずやった話が有名。世界一伸びを保つことへの意識の高さと同時に、毒薬作りの名手でもあったらしい。
髪が燃えた男の石像は死者の国の王。魑魅魍魎が蠢く国を1人で治めていた超実力者。コワイ顔してるけど押しつけられた嫌な仕事も休まずこなす誠実な人物でケルベロスもヒドラもタイタン族も全部コイツの命令に従ったという。
最後は角の生えた女性の石像。魔の山に住む茨の魔女。高貴で優雅、そして魔法と呪いの腕はこの7人の中でも群を抜いている。雷雲を操って嵐を起こしたり、国中を茨で覆い尽くしたり、とにかく魔法のスケールが桁違い。巨大なドラゴンにも変身できたという話もあるくらいらしい。
「おぉ~、ドラゴン! 全モンスターの憧れだゾ!」
「……そうだね」
「クールだよな~。……どっかの狸と違って」
「ふな゛っ!?」
「プッ……あははっ! もう堪えるの無理だ! あはははは! なあ、お前ら昨日入学式で騒ぎ起こそうとしてた奴らだろ? 闇の鏡に呼ばれたのに魔法が使えない奴とお呼びじゃないのに乱入してきたモンスター。やー、入学式では笑い堪えるの必死だったわ」
「なぬ!? しっ、失礼なヤツなんだゾ!」
「で、結局入学できずに2人して雑用係になったわけ? はは、だっせー」
「にゃにおぉおう……!?」
エースの言葉にユウは大きくため息を吐く。そして今にも喧嘩を買いそうなグリムをひょいと抱き上げる。
「おしまいおしまい。まだ掃除残ってるんだから。構うだけ無駄」
「でも!!」
「グリム」
「ふなっ! わ、わかったんだゾ……」
ユウが静かに言えばグリムはしゅんと大人しくなる。そんなグリムをよしよしと撫でてユウはエースに向き直る。その様子にエースは一瞬目を丸くするが、すぐに元の表情に戻る。
「何? 怒ったわけ?」
「別に。君の低レベルなからかいに反応するほど子供じゃないから。何とも思ってないよ」
そう言ってユウは掃除用具を片手で持って歩き出そうとした時、相手にもされなかったことにムカついたのか、エースが声を荒げる。
「魔法が使えないのも、そいつが乱入してきたのもホントのことじゃねえか。それなのにそんな仕事に甘んじてるとか、バカみてえ」
「……」
「ちょっと待つんだゾ!」
「なんだよ」
「ちょっと、グリム」
「コイツのこと馬鹿にするのは許さないんだゾ!」
「モンスターに庇われるとか」
そう言ってエースは馬鹿にしたように笑う。
「グリム、いいって」
「よくないんだゾ! オレ様はお前の親分だから代わりに怒るんだゾ! ふんな゛~~~~!!!」
「危ねっ。それっ!」
「コイツ、魔法でビュンビュン風を吹かせてくる! オレ様の炎が曲がっちまうんだゾ!」
「そんなへろへろ火の玉当たるかってーの」
「なんだと! 覚悟するんだゾ!」
喧嘩を始めた2人を見て、ユウは頭を抱える。正直この2人の喧嘩を諫めることくらいユウにとっては朝飯前だ。それどころか2体1の喧嘩になっても圧勝できる自信すらある。力量を見たうえで彼女は先ほどこの場を去ろうとしたのだ。だが、彼女の想像以上にグリムは彼女に懐いていた。
「くらえ!」
「そんなん風で矛先を変えてやれば……そらっ!」
グリムは火を吹くが、エースの風魔法で軌道を変えられ当たらない。それどころか炎にさらに風が乗ってしまう。威力が上がった炎にユウがこれはまずいと感じたときだった。彼女は走り出して手を出す。ハートの女王の元へと当たりそうだった炎がユウの腕に当たる。
「熱ッ……」
ユウの着ていた長袖が燃え、その下の皮膚が焼ける。痛みで顔を歪めながらも彼女はハートの女王の像を見た。
「ああっ」
彼女の努力も虚しく、ハートの女王は黒く焦げてしまっていた。
「ユウ!!」
グリムがユウに駆け寄る。ユウの左腕は真っ赤になっており、皮膚がめくれてしまっている。ユウは顔を歪めながらもグリムの頭に手を置く。
「ふな、お、オレ様、子分を傷つけるつもりはなかったんだゾ……。ゴメン、ユウ……」
「大丈夫だから」
「っ、オマエが風で炎の向きを変えるからだゾ! 大人しく燃やされろっ!」
「グリム!!」
「こらー!!! なんの騒ぎです!」
ユウとクロウリーの怒号はほぼ同時だった。ユウの声にグリムはぴしゃんっと固まり、クロウリーの声にエースがまずったという表情を浮かべた。
それから逃げようとしたグリムとエースにクロウリーの愛の鞭である躾が炸裂することとなった。
「いでーっ!」
「ふぎゃーっ!」
「ユウさん、腕を見せてください」
ユウがクロウリーに火傷を負った腕を出す。痛々しいその腕にクロウリーは治癒を施していく。徐々に火傷痕は目立たなくなり、完全に元の綺麗な腕に治る。だが燃えてしまった長袖は直すことが出来ず、白い腕が露わになっている。
「ユウさん上着は着ないんですか? 腰に巻いていますけど」
「胸がつっかえてファスナー閉まらなかったの」
クロウリーの問いにユウは恥ずかしげもなく答えた。事実なので仕方がないが、逆にクロウリーが「破廉恥!」と目を覆っていた。
こほん、とクロウリーが咳払いをする。
「と・に・か・く! これではグリムくんを監督しているとは言えませんよ。」
「ごめんなさい、注意はしたんだけど、止まらなくって」
「まったく……。君、学年と名前は?」
「エース・トラッポラ。……1年デス」
「ではトラッポラくん。グリムくん。そしてユウくん。3人には罰として窓拭き50枚の刑を命じます!」
「にゃっ!? もとはといえば、ソイツがオレ様たちをバカにしたからいけないんだゾ!」
「ええっ!? オレもぉ!?」
「当たり前です! 本当は100枚にしたいところを半分にしてあげたんですからね。放課後、大食堂に集合。いいですね」
「へぇ~い……」
「はい」
「ふなぁ、昨日から散々なんだゾ~……」
文句を言ったところで騒ぎを起こし、ユウに怪我、ハートの女王の像に焦げを作ったのは本当のことなので、グリムは不貞腐れながらも頷いた。
「ユウさんは腕に違和感があるのなら今日の掃除はここまでにして大丈夫ですよ」
「いえ、学園長が綺麗に治してくれたので大丈夫です。朝言われたノルマはしっかりとこなします」
「えぇ~オレ様嫌なんだゾ……」
「グリムは道具運びを手伝ってくれるだけでいいから。お願い」
依然としてむすっとしたグリムを抱き上げ、ユウはよしよしと背中を撫でた。
「掃除、もう少し頑張ろうね」
そう言って彼女はノルマであるメインストリートの掃除を再開した。