ガンダムビルドフォーディーズ   作:さんこのれい

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07 Destiny plan-A

 

土曜日の住宅地は静かで整然としていた。どこを見ても落ち着いた色合いで統一された建築物と、庭の中や道なりに植えられた木々が視界に映る。その中をスマホを見て場所を確認しながら歩き続けていた。間違えようものなら恥ずかしいにも程があるので表札と教えられた住所を何度も確認する。

 

ここだよ、と声をかけてきたネーナに釣られ見た表札に『サザミヤ』と読める事にまずは安心し、また躊躇する。

ネーナがこちらの葛藤をよそに問答無用でインターホンを押すと女性の声が機械から届いた。幼い少女のものではない、恐らくマユの母親の声だ。

 

「あ、マユちゃんの友達のネーナですー。マユちゃんに言われて来ましたぁ」

 

遠慮というものを知らんのか、という勢いとテンションで返事をするネーナに頼もしさすら覚える。否、友達の家に遊びに行くのに遠慮している自分がおかしいのか。

兎に角まさにネーナ・トリニティといったような彼女のノリに助けられているのは間違いない。

 

「ネーナさん!ウタダさん!」

開けられた一軒家の扉から身を出したのは妙齢の女性と幼女。サザミヤ・マユの母親とマユ本人だ。

用意した手土産を渡し、お邪魔しますと恐る恐る家に入る。その後は何一つ余計な動きをせずに案内のまま手を洗った後に真っすぐマユの部屋に入る。母親の視線が自分の背中に向けられているのを感じながら。

 

 

「これがお兄ちゃんの部屋にあったの」

そう言って指差されたものはプラスチックケースの山とその中の円盤。その表面には『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』と印字されている。これはアニメ映像を再生する為のディスクだ。

 

三人まとめて人殺しとして広まって以降、遊び場を失ったこともあり連絡を取っていなかったマユから突然『家に来て』と伝えられた時には何事かと思ったが、何がしたいのかわかってきた気がした。

 

「観たの?」

「ううん今から。一緒に観てくれる?」

 

彼女は知りたいのだ。兄が好いていたデスティニーという機体、シン・アスカという人物を。

マユを追い詰めた彼らが蛇蝎の如く嫌っているデスティニーという機体、シン・アスカという人物を。

 

マユがこれを一人で観られないのは、今日家に誘われたのは、ここから何が出てくるかわからなくて怖かったからだろう。

仮にシン・アスカが彼らの言う通り救いようの無い死ぬべき悪役だったとしたら、マユは拠り所を失うかもしれない。

 

マユにとって今ここにある円盤はただのアニメのディスクではない。

大学受験の合格通知、あるいは自分が被告人として立たされた裁判の判決文に近い。本質的にはただのアニメのディスクなのだが。

 

「わかった一緒に観よう。ただこれ長いから巻きで見ても明日も使う」

「土日両方使おう。明日も来ていい?」

マユが頷き、母親との交渉を進めている間にプレイヤーを操作してディスクを再生する準備を進めた。時間配分と特に必要のないエピソードがあったかどうかを必死に思い出しながら。

 


 

自分と同じ名前の女の子が焼かれる様、妹と両親が殺され泣き崩れる兄の憧れの人。過去の傷を引きずったまま怒り足掻く男。

怒りのままに恩人を両断する男。

また守りたいと思えた少女の死。

悲劇を止める為の戦いとそれを否定する者達。

そして、何一つ成し得ないままの敗北。

 

マユは初めて誰かの意思を介さないシン・アスカのありのままを見た。同時に、本当の主人公と言われているキラ・ヤマトのありのままも。

 

「デスティニープラン、かぁ…なんか…」

全てが終わった後、マユがぽつりと呟いた。

 

デスティニープラン。

シン・アスカとキラ・ヤマト、敗者と勝者を分ける最後の分岐点。

仮にここでシン・アスカがこれに反対してキラ・ヤマトに付いていたら、彼が今の今までこういう扱いを受けていなかったかもしれない。

 

「マユ理解できた?」

「遺伝子で人を選ぶって事は」

「要するに遺伝子で人の向き不向きを判断してそれに従っていれば格差は生まれない、って事なんだと俺は思ってる」

コーディネイターとナチュラルの力の差による格差や嫉妬が戦争の根幹にあるとするならば力の差を無くす事で戦争は止まる。少なくともシン・アスカは迷いつつもそういう結論に至った。

 

「遺伝子で決められた自分の身の程を弁えて行動すれば悲劇も起こらない。ナチュラルでもコーディネイターより能力が上回る事も多々あるし」

「でも負けた」

「運命よりも自由の方が大事だって話になったからな」

「は、自由か。自由って何だろうね?」

明らかに上ずった声に空気が変わる。

それがただの哲学の話ではないと二人はすぐに察知した。

これは哲学ではなく皮肉と恨み節だ。

 

「ネーナさん、前にガンプラは自由って言ってたよね。自由だからデスティニーを好きでいていいんだって」

「うん。言った」

「ガンダムSEEDが好きな人はみんなこれを観たんだよね?」

「そう、だと思う」

「なのに、何でこんなことになるの?何で、運命よりも自由が大事っていう人達がわたしたちにこんなことするの?」

 

デスティニープランは実態が見えないまま潰えた。そのせいで万が一ザフトが勝利した際に何が行われるかはファンの推測でしか語られない。

あれは何だったのかと話題に上がってはキラ・ヤマト達の正義を確固たるものとする為、下品で悪辣な妄想を真実と疑わない人も多い。

 

性労働強制法、便所掃除強制法、失恋の八つ当たり等等等。

遺伝子で決めるとはそういうことだと。

こんなくだらないものでも歯向かうものは大量殺戮兵器という暴力をもって従わせるのだから提唱者ギルバート・デュランダルは擁護しようのない悪であり、シン・アスカはそんな善悪の判断もつかないのだから主人公失格だ、というのがコミュニティのよくある流れだ。

 

或いはデスティニープランは本当にそうだったのかも知れない。

その解釈が間違っていると断じる事は誰にも出来ない。そして、仮にシン・アスカ達が勝利しデスティニープランが世界中に広まった時、何が起こるかなど誰にもわからない。

 

「運命よりも自由が大事って言うのに、人には運命を押し付けるんだ?」

ガンプラは自由。

その言葉が気持ちを楽にしていた。その言葉は昨日今日にネーナが思い付きで作り出した言葉ではない。ガンプラバトル誕生に至るまでの重要なファクター、ガンダムビルドファイターズ作中で何度も語られた言葉だ。

 

しかしデスティニーに触れれば触れるほど、マユは運命を押し付けられていく。

主役降格という運命を、敗北者としての運命を、弱者としての運命を周囲は押し付ける。

自由を手に入れようと足掻けば足搔くほど、悪として押いやられていく。その果てでマユ達は遂に人殺しの烙印まで押された。

 

 

デスティニープランは性労働強制法だったかもしれない。その立証人はガンダムSEEDのファン達だ。

今現実で他人を性労働の報酬すら得られない『肉便器』に仕立て上げているのはガンダムSEEDを愛する人々であり、彼らは愛をもって他人に運命を押し付けることで彼らが悪辣に想像するデスティニープランを最も現実的かつその範疇での最悪な形でこの世界で実現した。

 

デスティニープランが悪法である事を、デスティニープランを否定するキラ・ヤマトに同調した人々が身をもって証明していた。

運命に縛られた自由の無い世界とはこんなにも残酷だと。

運命を否定し自由を求める人々にどんな仕打ちが加えられるかを、彼らが身をもって実践していた。

 

そして彼らが数十年前から自由を求める人々を打ち倒し、運命を押し付けてきたからこそガンダムSEEDの人気は確固たるものとなり、今ガンダムというコンテンツにガンプラバトルを開発させるまでに至った。

 

デスティニープランが各々の運命を人に押し付ける事で人類そのものを滅ぼしかねない戦争を止め平和をもたらすように、ガンダムというコンテンツは運命を押し付ける事で力を得て結果的に世界に名を轟かせた。

 

つまり今、ガンダムというコンテンツと向き合う為にはガンダムSEEDは避けられない。どう足掻いても受け入れなければならないものになっていた。

 

 

「ガンダムの事嫌いになった?」

「なってない。でも、悔しい、悔しいよ、こんなの。何で」

 

明らかに情緒が乱れてきている。

彼女にとってシン・アスカの末路は望んだ通りではなかった。むしろキラ・ヤマトの言い分が正しいと思ってきている。

幼い少女はそういう風に作られた物語を素直に受け取り、だからこそ彼らのした事が尚更許せなくなっている。

キラ・ヤマトを観て、感化され、史上の主人公と持て囃しておきながら何故彼らはあそこまで悪辣になれるのか。キラ・ヤマトから何も学ばなかったのか。

 

しかしどれだけ憎んだところでどれだけ怒ったところでどうにかなるものではない。こうなってしまったらマユに出来ることはただ一つだけだ。

 

「もうガンダムから離れた方がいいんじゃないか?これ以上続けても辛いだけ」

「何で?あの人達は今もずっとガンプラバトルしてるのに!?」

 

何故自分がこんなにも辛い思いをしているのにあいつらは何とも思わず遊んでいられるのか。

平等という大義名分から湧き出る幼稚な癇癪が遂にマユを完全に捉えた。

 

「何でダメなの?デスティニーを使っているから!?ガンプラは自由って言ってるのに何でわたしがガンプラから離れなきゃいけないの!?わたし何もしてないよ!人なんて殺してないよ!アカツキだってストライクだって向かってきたからガンプラバトルで倒しただけだよ!!」

 

人目を憚らず喚くマユを遮る事はできない。何より、彼女が間違った事を言っているとは二人とも思えない。

これをうるさい黙れと押さえつけるのはあまりにも酷だ。そんな叫び続ける彼女を止める人物は、外から現れた。

 

「マユ!!」

扉を音を立てて開けてきた主は、明らかに平静を欠いた女性。ウタダは一瞬、その女性がさっき世間話をしたマユの母親だと認識できなかった。

 

「どうしたのマユ!?大丈夫、大丈夫だから」

問答無用で娘を抱きしめ包み込んだ彼女の身体も震えている。

突然の事故に遭った息子は回復の見込みが無い上に娘にまで何かあったらこの母親は今度こそ壊れるだろう。そう思わせるだけの異常性があり、彼女自身もそう思っているからこその乱入だった。

 

娘を抱きしめ宥める彼女はどこまで知っているのだろうか。

息子は交通事故で意識不明の重体。娘は今錯乱している。その娘が学校でいじめられている事も知っているのだろうか。母親にそれを伝えるだけの勇気がマユにあるのだろうか。

 

マユの母親が二人を睨み付けるのを見てウタダは危機を感じ取る。

睨まれるなんて当たり前だ。娘が連れて来た、知らない二人組を家に上げた事が下手したら正気を疑われる程の判断だったのだ。その二人組が来てから娘が錯乱しだしたら、娘に何かしたのはその二人組以外あり得ない。

事実、ガンダムSEED DESTINYのメッセージ性を説かなければマユは一応の平静は保てたはずだ。

 

 

「申し訳ございません。すぐ出ていきます」

「嫌だ」

 

全ての責任を負って悪者として出ていくのが最適解にも関わらず、それを止めたのは娘。

 

「今日だけでいいから一緒にいて。お願い。怖いよ」

「何でそんな、マユ…この人たち何なの?」

「大事なお友達。ずっと一緒にいたい」

ぐっ、服を握り返されその力強さからマユの心を知る。マユの母親は困惑と確認の目でウタダを見た。今の言葉は本当なのか、と。

 

「友達ですよ。何もやましいことはしていません」

嘘だ。

娘を騙そうとしている。

そんな事を彼女は言えなかった。詐欺師だとしても、二日かけて娘とアニメを見ていただけという呑気な姿を晒す意味もわからない。

だから、娘とあまりにも歳が離れている娘の友人を名乗る男をもう信じるしかなかった。

 

「一緒にいてよ…」

「わかった今日は一緒にいる。だからもうそんな顔をしないで」

折れたウタダをマユは笑みもせず、泣きもせずに見つめている。ここでころっと態度を変えてくれれば少しは気が楽だったかも、とも思いながらこれから先の事を考える。

 

「エリオ、仕事は大丈夫?」

「明日は家庭の事情っつって有給貰うよ。親父が倒れたとでも言っておく」

「そんな言い方…」

さらっと出される虚偽の報告にマユの母親が渋い顔をする。娘の面倒を見てくれるのはありがたいが、方々に迷惑をかけすぎてしまっていないか。

それを見たウタダはへらへらと答えた。

 

「大丈夫ですよ。もう誰にも、どこにいるかもわからないような親父です。そんなのより今目の前にいる友達の方がよっぽど大事ですから」

 


 

急な『お泊り会』に家族が対応できるわけもなく、ウタダとネーナは一度外で食事を済ませ一泊分の着替えを持って家に戻った。

マユが寝付いたら帰るという選択肢があったかもしれないが、何となくそれは憚られたし有給を取ると決めた以上急いで逃げる必要も無い。

 

借りた風呂場でシャワーを浴びるネーナを、スマホをいじる事もできずに待っている。年の離れた異性の、幼女の家で、その子の母親がいる家でどうしてくつろげるだろうか。

 

「少しお話しいいですか?」

そんな時声をかけてきたのは家の主、マユの母親だった。娘の我儘とこれまでの心労か、かなり疲れているような気がしてウタダは申し訳なくなった。その疲れの一端を自分が負っている自覚は持っている。

 

「聞かせて貰えますか?マユとどういう関係なのか」

「友達です」

「どこであの子と会ったのですか?」

「あの子に最初に会ったのはゲーセンでした。ガンプラバトルをしていて、いじめられていました」

いじめという一言を聞いた瞬間、母親の顔が恐怖と驚愕に歪む。

 

「お兄さんのガンプラを持って来いと指示を受けていたそうです。それでマユちゃんはその、お兄さんのガンプラを壊す為に無理矢理ガンプラバトルをさせられていた。それを見て、凄い嫌な気分になって乱入したんです」

「ガンプラを壊す、為に遊ぶ?」

「ガンプラバトルってそういうものなんですよ。呼び出した人達はお兄さんとお兄さんのガンプラが心底嫌いだったんでしょうね」

 

この母親はガンダムについてそこまで詳しい知識は無いようだ。

ガンプラバトルの事も知らない。楽しむ目的の遊びがいつしかエゴと悪意をぶつけ合う場になっている事も。

その機能によって、この世で最も低俗な戦争が引き起こされている事も。

 

 

誰も死なないが故に誰も敗北を認めない。

誰も死なないが故に誰も省みない。

誰も死なないが故に誰も責任を負おうとしない。

それでいて戦争の例に漏れないお互いのイデオロギーと利益が混ざり合ったおぞましい何かのぶつけ合い。

この世で最も汚く、低俗な、最も軽蔑すべき堕落した戦争の形がそこにあった。

 

 

この様子を傍から見れば、一言で表せば、マユの母親の言葉が最も適切だとウタダは感じた。

 

「馬鹿じゃないの?」

「馬鹿だと思いますよ。でも、そういう馬鹿は思っている以上に多い。自分を馬鹿だと思っていない馬鹿もそれ以上に」

 

自分が馬鹿と認識できなければ間違った事を間違っているとも気付けない。大多数にとってのウタダ・エリオがまさしくそれだった。殺人という禁忌をたかが趣味の諍いで破った大馬鹿野郎。

そういう意味で自分も他人の事は言えない。だからこそ、マユの母親にも協力してほしい事がある。

 

「だから、その、貴女からもマユちゃんに言って頂けないでしょうか。ガンダムから離れた方がいいって」

「無理です」

「どうして」

「貴方、あの子がどれだけお兄ちゃんの事が好きだったか知らないですよね? 今のマユにとってガンダムだけがお兄ちゃんと繋がれる唯一の手段なの」

 

兄と繋がれる唯一の手段。そう言われて黙り込む。

マユが今の今までデスティニーに拘っている事、デスティニーとシン・アスカが愚弄される事を受け流せない事、それら全てを辿るとそこに帰結する。

 

兄の影響で、兄が好きだからこそデスティニーを手に取ったマユにとってデスティニーとシン・アスカに対する愚弄とは即ち兄の否定なのだ。

たかが好みの問題ではない。家族を愚弄されたのだから怒るのは当然という価値観。だからマユはデスティニーとシン・アスカに拘る。彼らの名誉とは即ち兄の名誉、マユはそう捉えている。

 

「でもこのままじゃ」

「このままじゃ?」

 

それでも納得できずに漏れ出した言葉に後悔する。

このままじゃ殺人犯に仕立て上げられる、なんて正直に言ったら卒倒しかねない。

 

この問題を手っ取り早く解決するのはガンダムを捨ててしまう事。それが最適解だ。

 

さっさとガンダムから離れればそれ以上語られる事はない筈。既に拡散された以上、それを精査する気が向こうに無い以上、情報を消す事はできない。しかし『そういうやつがいた』と過去の話になれば、何も無いのにわざわざ掘り返す物好きは少ないに決まっている。

 

逆にガンダムある所にサザミヤ・マユが居続ける限りその話は延々と掘り返される。その過程で誰が考えたのかもわからないゴミのような噂がまた精査されないまま事実になり、今まで以上にマユを追い詰める。

 

「…何か取り返しのつかない事をやられてから後悔しても遅いんですよ」

捨て台詞のように言い放った言葉は重い空気としてのしかかり、夜に相応しい沈黙が場を支配した。

 

「もしそうなったら貴方達はマユを見捨てる?」

「とんでもない!そんな事できるわけがない!」

合理的だが親としては最悪の選択に反射的に声を上げる。ここまで来てそんな真似ができるか、と声を荒げそうにもなる。

 

「なら貴方達がマユを守ってください」

「いいんですか?」

「私はガンダムの事はよくわからないから。私がどうこうするより知っている人がいてくれた方が心強いです」

その判断が娘の心を掴んだ男だからこその信用なのか、それともただ単に疲れによる判断ミスなのか、この場で話し合っている二人にもわからない。

 

「マユちゃんをガンダムから離さないようにしつつ、それでいて守れと?」

「難しいとは思うけど、お願いします」

 

だがマユを守りたいという気持ちは一緒だ。

今更マユを捨てられる程合理的に動けるのなら、最初から首を突っ込まないしガンプラの修理を手伝ったりもしない。守り切れる自信が無い事をわかり切った上でわかりましたと頷いた。

 

しかしこれからどうすればいいのだろうと考える。

 

ゲーセンでのガンプラバトルは無理だ。

行けばまた人殺しと指を差されながら逃げることしかできないだろう。ここから他のゲーセンに行くには距離が遠すぎるし、万が一根回しされていたらそれだけで結構なダメージを負う。

 

すぐにそれに代わる方法を一つ思い付いた。しかしそれはある種の賭けだ。その賭けに負けた時に待っているのは、今以上の悪意。

仮の寝床に着く前にケンイチロウの部屋を見た。

やはりと言うべきかそれは、ガンプラスキャナーはそこにある。

 


 

目覚めて最初に聞き取る音は車が通りすぎる音。

カーテンを少しずらせば僅かな光が部屋の中に差し込める。

慌ててアラームを解除し、音を立てないようにしながら帰り支度を済ませる。癖でアラームをセットしていたが、鳴る前に起床できてよかった。慣れないノイズで家庭の和を乱したくはない。

 

まして隣で寝ている小さな友人を自分の都合で起こしたくはない。ネーナは、寝付きが良すぎるのはとっくに知っている。

 

トイレで着替えを済ませ一度部屋に戻った途端にぎょっとした。

少女がぼんやりとしながらベッドに腰掛けている。寝起きで頭が回っていませんと体全体で表現しているようだった。

 

マユは年相応の、言葉を選ばなければ幼稚なデザインの寝間着を着ていた。先ほどまで布団に隠れていた目新しく無防備な姿を何となく見ていると明らかに恥ずかしがられて目を逸らした。

 

「おはよう。エリオ、さん」

「おはようマユ」

「もう帰っちゃうの?」

「あぁ、まぁそりゃあ…でも今日さ、マユが家に帰ってくるくらいを見計らってまた来るよ」

「ガンプラバトル?」

「似たようなもの…っていうかほぼ同じ。実は家でできるガンプラバトルがあるんだ。用意しておくから学校頑張って」

 

そこでふと、思い至る。

或いは彼もまた少し寝ぼけているのか。離れる前に一つ確認しておきたい事が湧いて出る。ダメで元々、聞きたい気持ちを抑える事は出来なかった。

 

「あ、ごめん一個だけ聞いていい?お兄さんのパソコンのパスワードってわかる?」

「うん知ってる」

「マジか」

 


 

奇跡ってあるものなんだなぁとひとりごちる。まさか本当にパソコンのロック解除パスワードを妹に教えていたとは。教わったパスワードを打ち込むと本当にロックが解除される。

 

パソコンを借りた理由はガンプラバトル準備の為、としかマユの母親には伝えていない。もう一つの目的をマユと彼女に伝えるのは憚られた。だから気付かれる前に終わらせる必要がある。

 

「やっぱりあるよなそりゃ」

手慣れた手付きでパソコンを操作すれば、数手でそこに辿り着いた。

 

Dドライブという近未来のベッド下。学校の授業では習わない、今を生きる男の秘密の隠し場所。

マユにパスワードを教えていたのは流石に不用心だと思ったが、マユの歳でここまで見る事はないという油断によるものだったか。

しかしそれも同じ道を通った男にはわかってしまう。

 

だが今こうやって探りを入れているのは青少年の性癖を親と妹に暴露してやろうだとかそういう考えではない。

そういう目的なら面白みしかない、しかし今は無用なファイルをなるべく視界に入れないようにしながら片っ端からフォルダの中身を確認する。

 

これが最後の隠れ蓑。性癖の奥の奥に隠された、信念がここにあるとウタダは確信する。

 

ずっと疑問だった。

マユの兄が何故あの界隈で有名人になっているのか。

何故マユは『あのケンイチロウの妹』と言われるのか。

彼が事故に遭った後のあの日、何故呼び出されたのか。

何故アスラン・ザラ達が彼のデスティニーを破壊する事に躍起になっていたのか。

 

一体彼は何者なのか。

 

ある程度のあたりは付いているが確信が欲しかった。

隠れ蓑を剥がし、漁り回ってウタダはついに自分が納得できる証拠を手に入れた。

 

そこに表示されている文字は『粛清対象』。

中には人の名前が実名・ハンドルネーム問わず、或いはその両方とその人物の使用機体、場合によっては住所まで記載されている。

 

それを見た時に大きな溜息が出た。納得に足る望みの物を見つけ出して力が抜けた事が半分、もう半分はそれが予想以上に厄介だという事実に対する悲観だ。

 

マユの兄ケンイチロウが何故あの界隈で有名になっているかがわかった。

それは彼が過激なシン・アスカのファン、ガンダムSEEDファンが言う所の、正真正銘の『種アンチ』だからだ。

 

アスラン・ザラ達が己の傲慢さだけを振りかざす純粋な加害者ではなかったのだと思い知る。

何故それからもマユに拘るのかもわかる。

家族なら、同じデスティニーを使うのならケンイチロウに思想や価値観を汚染されていないわけがないからだ。

 

ケンイチロウは自分の都合の良い情報を家族にばら撒いて被害者面する。

彼を敵視する人々であればそう考えるのは当然だ。彼がそうすれば家族は彼の言い分を鵜呑みにする。そしてガンダムSEEDを悪者扱いする。

 

要するにマユは種アンチの、ケンイチロウの分身として見られている。

だから初心者だろうが三対一で嬲る。

それでも自分達に歯向かうのだから、ファンからしたらその分析が正しくマユは黒という事になる。兄と同じく潰すべき悪なのだと確信できる。

 

こちらからは何もしていないと本人が言ってもそれを周囲は絶対に認めない。

彼女の遺伝子が、ガンダムSEED作中のように言えば、運命がそうなのだから。

彼女の遺伝子がケンイチロウとは違うものだったなら、こんな正気とは思えない行動を取られなくても済んだのかもしれない。

 

全てのウィンドウを消去し、ネットワークゲーム・ガンプラユニバースフェデレーションを起動する。

ログイン画面に自動で表示されているIDはケンイチロウが既にネット上で活動している事を裏付けている。

 

恐らく、否間違いなくマユの兄はここでも種アンチとして動いている。だから例えマユがアカウントのパスワードを知っていてもこのアカウントで遊ばせるわけにはいかない。

適当なメールサービスから新しいアカウントを作成する。そうしてマユを迎え入れる準備が終わり、パソコンをシャットダウンする。

 

何度も思い返す。

これは賭けだ。しかもかなり分が悪く、賭けに負けた先に待っているのは今まで以上の悪意だ。

顔を突き合わせてもあれだけの事をされるのだ。顔が見えない相手に彼らが何をするか、想像もしたくない。

 

糞をひり出す快感を楽しむ奴らが、配管の中がどれだけ汚れているかなんて考えもしないのだから。

 

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