ガンダムビルドフォーディーズ   作:さんこのれい

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このお話にはガンダムSEED FREEDOMのネタバレが一部含まれております。
これから観る予定の方、DVDブルーレイ配信等待ちの方はご注意下さい。


09 Daisuki no Daishou-A

 

意味もなく机の上のものを鷲掴みにして床に叩きつける。否、意味はある。感情の表現、そして破壊による一時的な欲求の発散。その意味はあった。

 

何故こうなったのか。その言葉だけである女の顔が浮かぶ。

ネーナ・トリニティ、あのどうしようもない女はこの世界でも他人の人生を壊さなければ気が済まないようだ。

幼稚な考えでルイス・ハレヴィの人生を滅茶苦茶にしたように、また幼稚な考えで、今度は自分の人生を滅茶苦茶にしてくれた。

 

ガンプラユニバースフェデレーション(愛称GBN)で拡散された動画はガンダムファン全てを貶め、ガンダムアンチの活動を活発にさせた。

その動画に映っていたカスガは悪としてのガンダムファン代表と見做された。

 

それを受けて各々の界隈はそれぞれで対処を試みる。

まずガンプラファンは、あの動画をガンダムを貶める為の演技、つまりガンダムアンチの工作であるとした。

00ファンの間ではカスガはガンダムSEEDファンであるとされた。

あの時はガンダムSEEDファンを殺害した種アンチを糾弾するという流れだったが故に、側から見ればカスガはそうとしか見えない。例え真相を、彼女の本当の心を知っていようがそうしてしまえば自分達が悪く言われるのを避けられる。

だから誰もその責任逃れの一手を否定する事は無かった。

 

彼女の今の世間での肩書はガンダムアンチ兼ガンダム00アンチ兼ガンダムSEED信者。

あの時の出来事でガンダム諸共ガンダム00に対する愛まで否定される事になったのだ。

 

 

ふざけるな。

誰があんなガンダムを好きになるか!

ガンダム00の足元にも及ばない、後追いで劇場版が作られただけのあんなガンダムを!

 

そう叫んでももう誰もそれを認めてくれない。好きを分かち合う友人も仲間ももういない。

彼女はもうどこに行っても都合の悪い敵でしかない。彼らはまるで一つの生命体のように、カスガ以外の全てとわかり合っているかのように一斉にカスガの周りから去っていった。そして一斉にカスガに後ろ指を差す。

 

これも全てネーナ・トリニティのせいだ。あの女さえいなければあの場に立っていることは絶対になかった。

何故ならネーナさえいなければマユと決別する事はなかったからだ。同志になるはずだったマユも、そういう意味ではネーナ・トリニティの被害者だ。

あらゆる人の人生を狂わせるネーナ・トリニティはやはり救いようの無い存在で、罰せられなければならない。

ガンダム00で因果応報で死んだように、この世でも不幸と絶望を味わわせなければならない。

 

スマートフォンを握り潰すように掴む。穴を穿つように指に触れ、削り取るように滑らせる。この手を使うのは何度目だろうか、万が一の時に活用する裏の手段。

 

そんなにネーナ・トリニティに成りたいと言うのなら成らせてやる。泣いて喜べ。あんな人生を歩む事がそんなに嬉しいのであれば。

 


 

吹く風は僅かに頰と首を撫でるだけで服の内側から湧き出る温もりを殺す事もない。

聞こえてくるのは風、揺れる葉、そして遠くから僅かに響くタイヤの回転音。昼飯時が過ぎた午後のひと時に鼓膜を震わせるそれらは安心感と眠気を誘う。

 

「静かだね」

少女の声がウタダを現世に引き戻す。

うん、とだけ答えた後にまた沈黙が訪れた。焦りも気まずさも無い。二人してただその静寂を心地良く感じていた。

 

思い返せば彼女との思い出は激しい音と共にあった。

鉄を貫くビームの音、誰かの命が弾け飛ぶ爆音、殺意を向けられた証拠として鳴り響くアラーム。

或いは宣伝映像から流れる歌のサビ。

そして怒号、嘲笑、悪意の声。

 

今はそれらが何も無い。心の中にさえそれらが消え去った真の静寂。それがここまで心地いいものとは思わず、噛み締めるように微睡む。

 

あの戦いから後、ウタダもマユも戦う事はなかった。

フレームアームズが台頭する間隙を突いた抗争に勝利したからでもあるが、主要因はそれではない。世界は思わぬ方向から急に平和になった。

『劇場版』というそれまで使われる事のなかった、急に湧いて出てきた言葉が全てを解決するようになったのだ。

 

劇場版、ガンダムSEED FREEDOM。

スーパーコーディネーターを超える存在アコード、ストライクフリーダム以上の性能を持つエース専用機ブラックナイトスコード、それを四機相手に終始圧倒し無傷で勝利したデスティニーとシン・アスカ。

 

キラ・ヤマトの味方として活躍する劇場版の存在によってシン・アスカを堂々と貶す人間も、欠陥機の烙印を押され嘲笑されていたデスティニーの強さを否定する者も数を減らしていった。

 

或いはそれはただシン・アスカがキラ・ヤマトの敵ではなく味方になったという、あまりにも単純で幼稚で無責任な理由が地盤なのかもしれない。

しかし重要なのはこれが好きを踏み躙られない環境を作り上げた事。マユ達がずっと望んでいたものがたった一言で築き上げられたのだ。

 

「お兄ちゃんにもこの世界を見せてあげたい。お兄ちゃんが好きなデスティニーを馬鹿にする人はもういなくなったんだよって」

マユのその言葉に、心からの言葉にどう返していいかウタダにはわからなかった。

マユの兄、ケンイチロウがしてきた事をウタダは彼女に伝えられずにいる。

この世界を作り上げる為に彼が積み上げてきた悪行を、誰かに恨まれるに足るその行いを、今はウタダだけが知っている。それを知ってしまったら彼女は悲しむだろう。

 

「こうなるならもっと早くにこうなって欲しかったな」

代わりに出た言葉がこれだった。『劇場版』という言葉で彼らを抑えられるのであればもっと早くからできたはず。そうしていれば、ケンイチロウもマユも辛い思いをする事なく、誰かを傷付けることもなかったかもしれない。

 

満たされたからこその欲望なのか、『劇場版』を印籠にできるのなら誰かがもっと早くにやるべきだったという考えが頭を擡げる。

このタイミングでなくてももっと早く、この方法に拘らなくともできたはずだ。それが出来たならそれだけで防げた悲しみが多すぎる。

もっと早くできていれば、ケンイチロウも一線を越える事は無かっただろう。

 

「そんな事言ったってしょうがないかな」

「そうだよ。今こうなってるってだけで十分幸せ」

あまりにも虚しい現実を否定するように独り言を漏らすと何も知らないマユがそれに乗っかる。

 

このタイミングでなければ最大の成果を上げる事はできなかった。

このタイミングでなければ何を言おうが掻き消えて世界が変わる事はなかった。

ここしかなかった。

この方法しかなかった。

もっとこちらにとって都合の悪い、最悪の可能性もあったがそうはならなかったのだからこれでいいのだ。

そう思わなければあまりにも虚しく、もしもを考えた所でそれは高望みにしかならない事もわかっていた。

 

アニメやゲームではあるまいし過去を変える事も、自分の望むタイミングで状況を変える事すらも一個人であるウタダやマユにできるわけもないのだから。

 

しかしそうであるならばケンイチロウがしてきた事はどう清算されるのか。

穏便な答えを求めているにも関わらずそれが一切引き出せない問い。風に揺れて鳴る葉音がノイズになり考えを更に邪魔する。

 

 

「エリオさんありがとう。わたしをここまで守ってくれて」

やがて葉音が吹き消されたのと同時にマユがそう口を開いた。

ウタダは話半分で曖昧な返事だけ返す。照れ臭さもあるが、自分がやりたい事をやっただけで感謝される謂れもないからだ。

 

「エリオさんがいなかったらわたし、ここまで来れなかった」

マユがたった一人だったならどうなっていたか。

最初の日にデスティニーを完全に破壊されて終わりだったのか。

アカツキに、オザキに動画で晒され今もいじめられたままだったのか。

或いは殺人犯としてこの先ずっと生きていかなければいけなかったのか。

間違いなく言えるのはウタダとネーナがいなければ今日という日が来る前に心がもたなかったという事だ。

 

しかしそうはならなかった。二人が今日この日までマユを守り切った。

その行動を受けての感情を感謝という言葉だけで表すには最早力不足だった。

二人は身だけではなくマユの心まで守っていたからだ。恋という好奇心が絶望を圧し潰し、心を守っていたからだ。

 

静寂という安寧、今日この日まで生き抜いた達成感、心が満たされる事によって得られた幸福という万能感がマユを今まで取れなかった選択へと手を伸ばさせる。

言葉だけで表しきれないならばやる事は一つ。

 

「わたし、エリオさんの事大好きだよ!」

マユはウタダの、ウタダはマユの目を見てその言葉を放ち、聞く。マユの紅潮した顔を見て目尻を下げる。

 

「その好きって、どういう?」

 

 

ずっと味方でいる。カスガと決別した日、ウタダとマユは目線を合わせてそう話し合った。その時よりも、その記憶よりも近い顔が視界に映る。そう認識した時には既に視界にはマユの側頭部、視界の端に彼女の瞼だけがあった。口が柔らかく潤ったもので塞がれた。

それが何かを知らない程ウタダは子供ではなく、むしろ大人と呼ばれる存在だと自他共に認知している。この公園に来る少し前、一緒に入ったレストランでマユが食べていた料理の、イメージ通りの味が疑問に答える。マユの言う好きの意味は、こういう事だと。

 

名残惜しさという引力に抗い、マユはゆっくりと唇を離す。これはお礼。その名目で捧げられたファーストキス。マユが知りうる限りでは誰かに唯一捧げられる自分自身。耳の奥からも感じられる程強い鼓動に胸を痛めつつ、それすら幸福と思えた。

 

「大好き」

ウタダの感触を確かめるように添えられた手、彼に重心を預け押し付ける身体、吐息を感じられる程なおも近い顔。身体でウタダを感じられるこの時がずっと続けばいいと思った。それを引き裂いたのは暴力的なまでに強く肩を掴む手。そこから伸びる腕が二人を無理やり遠ざけた。

 

 

「やめろ」

唇を重ね合わせた相手から出た最初の言葉は拒絶だった。

 

「やめてくれ。俺はそんなつもりじゃなかったんだ」

肩を掴み強引に距離を取りつつ目を背けるウタダを見て、マユは思い知った。自分がウタダに拒絶された事を。思い知りつつも認めたくない。拒絶される理由が全く思い付かない。

ウタダは、初めて会った時からずっとマユを守ってくれていた。自分を受け入れてくれていた。だからこれも喜んでくれると思っていた。それなのに、ここに来て、もう二度と手に入らないものをあげたのに、拒絶された。それならば、どうして。

 

「じゃあ何で助けてくれたの」

「あんな状況で黙って見てられるかよ」

「何でその後も仲良くしてくれたの」

「同じ趣味の友達が欲しいと思ってなにが悪い」

「何で家に来てくれたの」

「友達だから、そんなこともあるだろ」

問いかけてはすぐに返事が返って来る。取り繕っているわけではない、飾り気のない本心だからこその即答。その純粋な感情がマユに残酷な現実を突き付ける。

 

「俺はな、君に惚れられたくて、君と付き合いたくてガンプラで遊んでたんじゃない。俺はただ自分のやりたい事をやってただけだ」

ウタダが欲しかったのは友達であって恋人ではない。それを勘違いして、恋人になりたいと思っていたのはマユだけだった。

 

「俺もマユは好きだよ。でもそれは大目に見ても妹としてだ。それにもうネーナがいる」

「なんでネーナが」

「俺、ネーナと付き合ってるんだよ」

マユと会ったあの日よりずっと前からウタダはネーナと交際している。マユの存在があろうがなかろうが自分の好みに合わせてくる女の意図に気付かないわけがなかった。

マユがそれに気付いていなかったのか、或いはそれに気付いていた上で今キスしてきたのか。どちらにせよウタダの答えは変わらない。

 

「だからごめん。これは、駄目だ」

敵機のコクピットにシグルブレイドを突き刺した時のような感覚を覚える。手っ取り早く確実故にウタダが積極的に取ってきた戦法だが、味方に、身内にやるのは初めてだ。それだけで後味が全く異なる。

感じたくもない手応えが気のせいではないと証明するように現実は時間を進める。拒絶されたと思い知ったマユは俯き、嗚咽する。その嗚咽もすぐに決壊し、声を出して泣き始めた。それだけで途轍もない罪悪感に襲われる。

たとえ泣いている原因が自分にあるとしても、マユの涙を見て無関心ではいられない。何故ならウタダもマユの事が好きだからだ。しかしそれは恋愛対象としての好きではない。泣かれたところでその想いが変わる事もない。

 

「今日はもう帰ろう」

ベンチから立ち上がり、上から言葉を投げかける。何を考えようとも自分にできることは何もない。この場を終わらせる事が今唯一ウタダができる彼女への気遣いだ。何より、逃げたかった。

 

「一人で帰れる?」

一人でこの出来事を受け入れ次に進めますようにと、それだけを祈る。そこに自分が居てはいけない。これだけは彼女だけで何とかしてもらわなければいけない。

だからそれ以上は声をかけず、マユの膝の上にハンカチを置いて、公園の出口に顔を向けた。

 


 

玄関の鍵とロックをかけ、真っ先に洗面台に歩み寄る。一体成型された陶器に手をかけ、一瞬の葛藤の後にコップに水を溜め口に含んで吐き出した。しかし唇に残った感触は剥がれ落ちる事は無く忘れる事は出来ず、過去起こった事を、あのキスを無かった事にはできなかった。

 

歯ブラシを手に取り一心不乱に歯を磨く。あの出来事を無かった事にするように。洗口液を口に含み、口腔内の隅々まで行き渡らせる。子供故に舌を入れるという発想にならなかったとは言え、それでも僅かに移された唾液も洗口液を吐き出せばまとめて排水溝に呑まれて消える。それでもミントが齎す冷気は一番肝心な、消したい記憶までは引き剥がす事が出来ず後悔というネガティブな感情を引き連れてきた。泣いているマユの姿が頭から離れない。

 

どうすりゃよかったんだ。こんな事になるならあの時助けなきゃよかった? あの時助けなかったらどうなっていたかもわからないあの子を見捨てて隣で能天気に遊んでた方が良かったとでも?

そんな事は出来なかった。好きを踏み躙られる痛さと怖さを知っているからこそ、見て見ぬふりなんてしたくなかった。

 

俺は何も間違っていないはず。仲間のいないあの子の仲間になって、一緒になって遊んで、ずっと味方でいると言った事も嘘じゃなかったし、何も間違っていないはずなんだ。

 

しかし間違えた。あの時マユを助けた結果がこの始末。自分が彼女を傷つけて終わる。

マユの母親との約束も破ってしまうかもしれない。その不義もまたウタダの恐れになっている。まさか自分のせいで、こんな形で約束を破ることになるかもしれないなんて。どうすればよかったんだ。

 

ネーナの、否、ネイナの話が聞きたい。一人じゃ答えが出せない。俺はどうすればよかったんだ。頭の中が気持ちの悪い感覚で一杯になり、耐えられずスマートフォンに親指を添える。そこで、ウタダの動きが止まった。ネイナは今、友達と遊びに行っている。

そこで電話したところでどうする? 幼女に惚れられて告白されたからこっぴどく振ってやったとでも言うのか?そんな事言ってどうなる? せっかくガンダムとは関係のない友達と遊ぶ機会を滅茶苦茶にしてどうする?

 

「くそ、もう寝る」

意思表示と自己暗示の独り言を呟きながらスマートフォンをベッドに放り投げ、押し潰すようにその上に飛び込んだ。頭の中に記憶の中の設計図を引き摺り出して埋め尽くす。このパーツとこのパーツを組み合わせればこうなるから、と考え続ける。そうしているうちに眠れるのは何度も経験済みだ。AGE1用のオリジナルウェアの構想を必死に練るうちに目論見通り自分自身の意識を飛ばす事に成功した。

 

 

それから何時間も後、彼はスマートフォンの着信音で目覚める。

知らない番号、知らない声から伝えられる言葉に、眠気が一瞬で吹き飛んだ。眠りについている間、身体にこもった熱が急速に奪われる。服のまま寝ていたウタダはそのまま鞄を掴んで家を飛び出した。

 

寝ていた時に涎が垂れていなかったか。そう思い手で口を拭う。それでもあのキスが、少女の純真なファーストキスが地獄への片道切符になってウタダにへばりついたままだった。

 


 

扉を開けて真っ先にネイナと目が合う。そこから広がる情報にウタダは目眩を覚えそうになった。

上半身を起こしてベッドの枠に身体を寄せるネイナの顔は酷いものだった。化粧をしていないからではない。そんなものは見慣れているしそれでも可愛らしいと思っていた。

明らかに精神に異常をきたした顔、そして治療されていてもわかる暴行の跡。ネーナ・トリニティの可憐さを思い出させる彼女は今や暴力を描写するキャンパスになっていた。

 

身体を奮い立たせてベッドの横に駆け寄り顔を近づけるが、言葉が出ない。何て声をかけたらいいかわからない。不用意な言葉が、余計に彼女を傷付ける。傷付ける気も悪意も持っていないウタダは他の手段が思いつかず後先考えずただ抱きしめた。

 

「どうしよう。どうしたらいいのかな、あたし」

「どうもしなくていい。何もしなくていい。やりたいようにやってくれれば、それでいい」

「あたし、いっそ殺してって思ってた。でも本当に殺されそうになったら、やっぱり、死にたくないって」

「うん」

「やだよこんなの。やだよ」

「わかる」

「もうどうしたらいいかわかんないよ」

「大丈夫だから」

状況を呑み込めないまま当事者の支離滅裂で悲痛な叫びに同調し続けた。否定も話題の転換もできない。ただ落ち着くまでずっと同調し続けるしかない。

 

 

「君が彼女の恋人か」

ネイナが一先ず落ち着いた所を見計らい、部屋にいた体格のいい男がようやく口を開く。鋭い目付きに高そうな服。風格のある上流階級、それが第一印象だ。そして第一印象が引き連れてくるガンダム好きが与える彼へのイメージはラスタル・エリオン。鉄血のオルフェンズに登場する敵組織ギャラルホルン、セブンスターズの作中実質的なリーダー。

 

貴方は、と問うと第一発見者と返事が来る。このラスタル・エリオンはネイナの身内ではなく事件の関係者。ネイナに何があったか、恋人のウタダよりも遥かに理解がある。

 

「何があったんですか。ネイナは、友達と遊びに行くとは聞いていましたが、その後?」

「俺が見た時は、男が彼女の首を絞めていた。それを見て大声を出したら男は逃げて行った」

「顔は」

「見ていない。暗かったし、仮面を付けていた。身元を割り出す為に警察がDNA検査をするらしい」

「へぇ、皮膚でも残ってたんですか」

半ば自棄の問いに返答は無い。そこで言葉が詰まると言うことはつまりそういうことだ。誰も何も言わない。恐ろしいものを目の当たりにして焦燥するネイナの様子。それがDNA検査出来るに足る証拠がどこにあるか、どこにあったかを物語っている。

 

検査出来るに足るもの、体液はネイナから採取したものだ。ラスタル・エリオンの言う事が本当であれば犯人は、首を絞めながら体液を飛ばしていた。ネイナの死、殺人によって完遂する猟奇的な性暴行。

殺されなくてよかった、などと言うつもりもなく、かと言って死んで欲しいわけでは当然ない。殺人を完遂する間でもなくその過程でもう手遅れだ。彼女の様子がそれを物語っている。それを見て無事だなどと言う感性はウタダにはない。彼女は無事で済んでなんていない。ただ生物学的に殺されなかっただけだ。

 

どうしてこうなった? ネイナが何をした? 何でこんな事にならなきゃいけない? あの時電話していたら、こんな事にはならなかったのか?

もし電話をしていたらもっと早く気付けたかもしれない。もっと早く帰れて、こんな目に遭わなかったかもしれない。そうしなかったのは、ウタダの選択ミスだ。

俺のせいかもしれない。その可能性に辿り着いた時、吐き気と乾きが同時に襲いかかる。その嫌悪感が、ウタダの意思を破壊する。嫌悪感を和らげる言い訳を口にさせた。

 

「ごめん。ちょっと、水を買ってくる」

 


 

平静を装いつつ自動販売機を必死に探す。喉の渇きは勿論それ以外の事を少しでも考えたくなかった。喉の渇きがこの階にあってくれと叫ぶ、吐き気が一階の売店以外で買いたくないと叫ぶ。

そうしていると目当てのものの代わりに記憶に残っている姿が視界に映る。以前戦いAGE1を粉々にした相手、こちらを殺人犯と決めつけてきた女、確か名前はカスガ。

目が合うとこちらを向いて会釈をしてきた。今はそれすらこちらを嘲笑しているように思えて不愉快に思いつつも、そんな感情は自分の被害妄想だと切り捨て、軽く会釈だけして足早に通り過ぎようとした。

 

「小説版のネーナってレイプされるのよね」

すれ違い様、勝ち誇ったような声でカスガはそう言った。先ほど病室でラスタル・エリオンと交わした会話が無理矢理引き出される。

 

「滅茶苦茶スカッとしたわ。人の人生を滅茶苦茶にした報いを女として最悪の形で受けるんだもの」

「あいつ、ネーナ・トリニティになりたかったんでしょう? これでどこに出しても恥ずかしい完璧なネーナ・トリニティよ」

ぶん殴って目玉を潰してやろうかという衝動だけを抑えてカスガを見る。こいつがラスタル・エリオン以上にネーナに何が起きたのか、事情を知っているとこれだけで確信する。それはつまり、こいつがネイナを。

 

「ウタダ・エリオ。全部あんたのせい。あんたがネーナが好きだったからあいつはネーナの格好をしていた」

その言葉で、一瞬にして恐怖が怒りを越えた。ウタダはカスガには名乗っていない。それにも関わらず本名を、しかもフルネームで把握されている。自分とネイナの関係についてを知っている。ネイナがどうしてネーナ・トリニティを模しているのかを知っている。

 

「なんでよりにもよってネーナなんか好きになっちゃったの?フェルトでもミーナでもスメラギでも、まともなのが他にいたのになんでよりにもよって?」

どういうわけか自分達の情報がカスガに筒抜けになっている。だから彼女は訳知り顔でここに現れた。どういう手段を使えばたかが個人が他人の情報を掴めるのか。こんな、悪意を持った個人が。

 

「もしフェルトとかだったら私だってこんな事しなかった。そもそもあの時戦うことだって無かったしあの時ゲーセンにいる事もなかった。だからこれは全部あんたのせい」

その怖さが口を止める。ウタダの価値観からすれば狂っているとしか思えないその思想に呆然とする。その代わりにカスガが舌を回す。自分の言葉全てが正論であるが故にウタダが黙るしかないのだと捉えているかのように。

 

「この世界にはね、絶対に好きになってはいけないものがある。それは誰かに直接教わることはなくても、それとなく伝えられたり自分の感性でそれを拒絶するようになっている」

「みんなが嫌いなものはそれに合わせて嫌いにならないと、嫌いをわかりあわないと、ゴミなものははっきりゴミと言わないと、世界が滅茶苦茶になっちゃうのよ。だから、そんなものが好きになった奴は異常者として排除しなきゃいけない」

「だからこれは自業自得だ」

 

言いたい事を言い切ったのかカスガが横にずれて、立ち去ろうとする。カスガが向く方にはネイナの病室がある。それに気付いた時、縮こまっていた身体がようやく動いた。こいつは、この悪意をネイナに直接ぶつける気だ。

 

「待てよ!」

大声と共にカスガの前腕を掴む。怒りも籠りこの女の前腕をそのまま握り潰すかという程の気持ちが入った。

 

「いやああああああああああああああああああああああああ離してええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!」

それに応じてウタダよりもはるかに大きい声で金切声を上げる。まるで今から暴行される淑女のような声色に、一気に周囲の注目が集まった。

 

「何やってんだお前ぇ!!」

後ろから怒号が響く。今の悲鳴を聞き付けて、外野がこちらに駆け込んでくる。襟を掴まれ、引き剥がされたかと思った次の瞬間にはウタダが床に叩き付けられた。上からのしかかられて身動きが取れなくなる。

カスガの姿が奥に消えていく。ネイナの病室がある方にカスガが向かっていく。ウタダにはそれを止めることはもうできない。

 

「ごめん、ネイナ」

それはカスガをみすみす見逃してしまった事への謝罪だった。しかしその言葉は、言霊は、ウタダの奥底にある感情を引きずり出していく。

 

ネーナ・トリニティでなければこんな事にはならなかった。

 

ネイナが意図的にネーナ・トリニティの真似をしているのはわかっていた。それはネイナが自分を好いていてくれているから、自分の好みに合わせようと努力してくれたのだ。

ネイナは、ウタダ好みのネーナ・トリニティになる為にガンダムを勉強し始めた。スローネドライのプラモデルを組み立て、ガンプラバトルを学んだ。全て、ウタダ・エリオという人間の為にやっていた事だ。

 

ウタダがネーナ・トリニティを好みの女として見た事に深い理由は無かった。見た目と声と、明るい女性が好きだった。ただそれだけだ。だが、その軽い気持ちが今この状況を招いている。

ネーナ・トリニティでなければこんな事にはならなかった。カスガのように他のガンダム00のファンのように、ネーナ・トリニティを憎み、蔑み、嫌っていたらこんな事にはならなかった。

 

人とは違う感性が、好きの代償が、今この状況を招いた。しかもその代償を払ったのは自分ではなくネイナだ。他の多くのガンダム00ファンのようにネーナ・トリニティを嫌っていたらこんな事にはならなかった。

 

「ごめん」

ウタダ・エリオは、たかがアニメのたかが好みで人を一人地獄に叩き落としたのだ。




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