ヴィダールは手応えに身震いしていた。AGE-1のコクピットを完全に貫いたドリルニーの一撃。背中から突き出たドリルの先端を見て、人を殺した実感が確かにあった。
彼が待ち望んでいたもの、承認欲求の究極形とも言える手応えに、彼の神経が歓喜で痙攣する。
やはり殺すのであれば人間だ。虫や猫のように小さな命では満たされない。自分と同じ種だからこそ実感が湧き、何を感じているかがわかる。
虫は誰もが気付かないうちに踏み殺している事もある。そんなものを意図的に殺した所で何の凄みも無い。
犬猫はそれなりの大きさではあるが、意思疎通ができない。
だから人間だ。人間は誰に、どうして、どうやって殺されるかを理解し、自分が格下だという事を理解しながら死んでいく。
恐怖するもの、悔しがるもの、媚び諂って逃げようとするもの、どれもがヴィダールの承認欲求を大きく満たすものだった。
何を考えていようが自分の力によって殺され、その考えは影も形も残さず消えてなくなるのだから尚更だ。
それだけではない。彼は本来禁忌とされている人殺しをしても許される、世界にとって特別な存在なのだ。彼はそういった特別な存在を、主人公と見做していた。
自分は主人公なのだ。
だからこそ、ただ気持ち良くなる為に行動し続ければそれだけで自ずと世界は良くなる。
主人公にだけ許された殺人。
主人公にだけ許された自由。
主人公にだけ認められた無責任。
主人公にだけ与えられたそれを享受するという権利。
本来あるべきリスクを全て無視して、子供騙しの言葉を投げ捨て、殺人に溺れられるこの瞬間こそが主人公の何よりの特権。
禁止兵器も主人公達が使えば罪に問われない。
ダインスレイヴを何百発撃とうが、Nジャマーキャンセラー搭載機をどれだけ隠そうが、『それを使わせた相手が悪い』という言葉だけで全てが許されるのだ。
だからこそ、承認欲求を満たす至高の手段とは主人公になるという事だ。
だからこそ、人は主人公と自分を重ね合わせるのだ。
そして、だからこそ、自分の人殺しも絶対に罪に問われない。彼は叔父に言われた言葉通りに、そう確信していた。
そして今回も確信していた通りに事が進んだ。
ヴィダールが筐体から飛び出る。成果物をこの目で確認するまでが彼の殺人の流儀だからだ。
筐体の中を、まるで宝箱を開けるかのように確認する。
幾多の爆発によって破片が散乱する筐体の中、真っ先に目に入るのは巨大なドリルだ。
前方から突き出たドリルは座席の背もたれを貫通し、アートのようにそこに佇んでいた。あるはずの物を消し去った上で。
ドリルが貫いた座席にはあるはずのものがなかった。血と死体だ。
キマリスヴィダールのドリルニーによってコクピットを貫かれたのだからそれが無いはずがないのだ。
死体が千切れたとしても座席に相応の血が付着していないのはおかしい。
次に目に入ったのは操縦桿だ。右の操縦桿には血痕が残っている。左の操縦桿に切られた縄が置かれている。
切られた縄が、置かれている。
その情報が意味するものを理解した瞬間、ヴィダールの心臓が跳ね上がる。そして、まるで心臓の跳ね上がりに吊られたように身体と視界もひっくり返った。
頭に吊られて引き倒される視界の隅で何かが横切る。
その一瞬の記憶を基に首を動かし、自分を突き飛ばした何かをはっきりと視認する。
ウタダ・エリオ。ドリルニーに貫かれて死んだはずのウタダが自分に背を向け逃げようとしている。
その光景がヴィダールの頭に熱と血を昇らせた。
「駄目じゃないか。死んだやつが出てきちゃあ!!」
その役割は自分のものだ。
ガエリオ・ボードウィンのように世界に愛された主人公にだけ許されたものだ。
殺し損ねたなどという無様な事があってはならない。
それはマクギリス・ファリドやシン・アスカのような間抜けな負け犬の役割だ。
自分の立場を奪われたような錯覚、自分の行いが愚弄されたという怒りがヴィダールの感情の隅々まで溶け込んでいく。全ての行動が怒りを解消する為のものに置き換わっていく。
この怒りは、殺さなければ収まらない。今度こそ正しく主人公を遂行しなければ収まらない。
ウタダはヴィダールがそう思うであろう事を覚悟していた。主人公という殺人許可証を得た彼がその選択を取らないことの方があり得ないと確信していた。
だからあのデスゲームに敗北したにも関わらず生きていられた幸運も、下手をすればただ死ぬまでの恐怖が長引いただけになりかねない。
確かにコクピットを破壊された時、事前に受けていた説明通りにシートにドリルが突き刺さった。嘘ではなく、本当に死ぬところだった。
しかしそれより前、ダインスレイヴが右腕を抉り破壊した時、そのダメージが齎した爆発と飛び散る破片が右腕の縄を切った。
片手の拘束が解けたおかげでコクピットの下部に潜り込んでドリルを避ける事が出来たのだ。
コクピット破壊による戦闘不能ではなく、ダメージ限界によるジェネレーターの爆発演出だったなら下部に潜り込んでも意味は無く、爆発で死んでいた。
相手の武器がビームサーベルであったなら頭上を掠めただけで致命傷だった。
そうならない確証があったわけではない。敵がガンダムフレームであったこと、コクピット破壊による殺害に拘ったことに救われた。
これは幸運としか言えなかった。
コクピット破壊判定でゲームが終了した後散らばった破片で左手の縄を切り、脱出のチャンスを伺っていた。
生き残ったその瞬間から、自分の猶予はヴィダールが筐体を確認しに来るまである事を理解し、その瞬間が唯一の好機であると考えていた。
死体確認に気を取られているうちに奴を押し倒し、その隙に筐体から脱出する。第一関門はそれで突破だ。
これが突破できなければ狭い筐体から出られず、逃げられず、嬲り殺しにされる。
だがそれで終わりではない。第一関門を突破し出口に走っていたウタダが強迫観念に駆られて後ろを振り返る。
ヴィダールが何かを振りかぶっていた。
当然、追いかけてくる彼を対処しなければならない。
投げ付けられたそれを大慌てで横に動いて避ける。たったそれだけで、向かおうとしていた出口が遠ざかり殺人鬼との距離も詰められる。
掴みかかってきた勢いを殺せるほどウタダは鍛えてはいない。押し込まれバランスを崩したまま机の縁に叩き付けられてしまった。
倒れ込みそうになる体を必死に抑える。ここで机に倒れ込んでしまったらマウントを取られて殺される。
鉄の箱が目に入った。
エアブラシに空気を送り込むコンプレッサー、ガンプラを塗装する為に置かれているのだろうか。
この、恐らく倉庫であろう建物は本来彼がガンプラを作成する為に使っていたものだ。その為の工具備品の類が確かにそこらに転がっている。先ほど投げつけられた物も工具の何か、恐らくはペンチかニッパーだったのだろう。
今視界に入る工具類の中で、武器として使うのであれば特に凶悪であろうそれを本能的に視界に収めた。
持ち運びに使ってくださいと言わんばかりに飛び出た鉄棒を掴み、コンプレッサーを力任せに横薙ぎに振るう。
その途中で振り落とされそうになる程の衝撃が手に伝わり、コンプレッサーがヴィダールの側頭部に直撃した事を知覚する。
仮面が防具になり重傷にはならなかったものの彼は防ぎ切れなかった痛みと衝撃に目を回していた。
コスプレ道具がボロボロと破片を落としその奥の素顔を覗かせる。
そんなものには気にも留めずに反対側からコンプレッサーを叩き付ける。狙いも付けず力任せに振るわれた鉄塊が今度は腕に直撃し、腕越しに肋骨脇腹に衝撃を叩き込む。
手からすっぽ抜け、鈍い音ともに跳ね転がるコンプレッサーを見捨てて再度出口に走る。鈍器が直撃した痛みに悶絶している今がチャンスと考えたのだ。
その逃げる背中に、真鍮線切断用の大型ニッパーがめり込んだ。
プラスチックを切断するそれよりも5倍近くは大きい鉄の塊である大型ニッパーが回転しながら飛び、その先端がウタダの背中に刺さらずとも直撃する。
重さ0.4kgはある純然たる鈍器がウタダの背中を押し、倒れさせた。圧迫された胸部が肺の空気を全て吐き出させてしまった。
やばい、やばいと焦る心を抑えもせずに床を掴んで身体の向きを反転させる。追いかけてくるヴィダールの次の一手を確かめる為に。
ヴィダールは、トリガーを引いた。
モーターの駆動音が鼓膜を揺らしだす。その甲高い回転音はこの状況で絶対に聞きなくないものの一つだった。
ヴィダールは拳銃のような形の何か、先端にドリルビットが付いた何かを向ける。それが何かはすぐにわかった。
新たな接続を試みる改造、或いはダボ穴を広げて加工を容易にする為の加工。ピンバイスで行われる作業の自動化、電動のハンディドリルだ。
先端には5mm軸のドリルがセットされ、威嚇するようにトリガーを引いては嫌な回転音を響かせる。
手回しのピンバイスしか使ったことのないウタダも、そういうものがあるとは知っていたが今殺人鬼が持つそれは思っていた以上に立派な作りをしていた。
ハンディドリルという可愛らしい名前には似つかわしくないごついデザインは、どちらかと言うとインパクトドライバーに近い。
人殺しを隠滅できるような裕福な御家庭ならではの贅沢という事だろうか。或いは人殺しという趣味も兼ねてのものなのか。
何にせよ鉄のドリルはプラスチックの塊よりも容易に人体に穴を開けるだろう。目に刺さりでもしたら良くて失明止まり、普通であればそれで死ぬ。
それ以外の場所に刺さったとしても、そこから先まともに動けるとは思えない。
近くに転がっていた大型ニッパーを投げ返す。ヴィダールがそれを避けているうちに工具が散乱している壁際まで走った。
出口から遠ざかってしまうが、あの電動ドリルを持っている間は無視して逃げるわけにはいかない。
逃げる途中に追い付かれたらあれをねじ込まれて簡単に死ぬ。
破壊するかせめて手放させなければ、建物から抜け出せても生きて帰ることはできない。
床に転がっていた、すっかり歪んだコンプレッサーを再び掴んで相対した。突き刺そうと迫る凶器を狙って鉄塊を全力で叩き付ける。
電動ドリルとコンプレッサーが衝突し、質量の暴力に屈したドリルが床に落ちた。
ドリルに手を伸ばすヴィダールの後頭部を確認した時、ウタダは最早鉄塊以外の何物でもないコンプレッサーを掲げていた。こいつの頭にこの鉄塊を叩き込めば。
そう考え、振り下ろしながら手を離す。
鉄塊は、両者の間に落ちた。
床と鉄塊の衝突による激音がヴィダールの鼓膜を揺らし、衝撃に吹き飛ばされたかのようにたじろいだ。
狙いを外したウタダは少しでもドリルと相手の距離を離そうと腹目掛けて蹴りを入れる。二度、三度、四度と蹴りを入れたところで脚が掴まれ彼も床に引き倒された。
仰向けに倒れたウタダの腹にヴィダールが尻を乗せ、両手を首に回した。親指が首にめり込み、嘔吐の呻き声が漏れる。反射的に伸びたウタダの片手が親指を外そうとヴィダールの手に重なっては、その表面で滑った。
ウタダの首に固く貼り付いたかのように力を込め続けるヴィダールの親指は何があっても解けない。
ネーナがそうされかかった事を、今度は彼女の恋人であるウタダがされていた。目撃者も現れないこの場でヴィダールを止める人間はいない。
かつて出来なかった事を、先程殺し損ねた事を補うように親指に力を入れる。
あるはずのもう片手が見えなくなる程、目の前の光景に夢中になっていた。
ウタダは、もう片手で電動ドリルのトリガーを引いた。
ドリルが脇腹に突き刺さる。
外装から漏れ出すモーターの回転音とそれ以上の絶叫と共に鉄の棒が皮肉臓器の内側に潜り込み、削りカスが螺旋のレールに沿って押し上げられ血を吹き出させる。
痛みに悶絶し、突き刺さったドリルを抜こうと仰け反った隙に押し返し、邪魔な身体を蹴り飛ばす。
距離を少し離してもヴィダールは追いかけて来ようともせず床に倒れたままだった。
「痛い、痛いぃ」
ギャラルホルンの制服が赤黒く染まっている。ドリルに掻き出された肉片と血液が二度と取れない汚れになっていた。
「叔父さん」
「叔父さん助けてよぉ」
「叔父さん」
「うるせぇよ人殺しのレイプ魔の分際で」
散々性暴力や人殺しを楽しんでおいて自分がやられたらそれか。心の底からの軽蔑と生理的嫌悪が、とどめを刺したほうが良い、これは正当防衛として許されると囁く。
未だに持っていた電動ドリルを掲げて見る。返り血で汚れ、滴った血が右腕の傷に入り込んで二人の血を混ぜ合わせた。
トリガーを引くとあの不吉な回転音に異音が混じり、動かなくなった。
最初の目論見通りもう使えなくなった電動ドリルを力一杯乱暴に投げ捨て、後退りしながら出口に向かった。
ウタダは怖気付いた。迂闊に近寄って反撃なんてされたくなかった。腕も痛い。こんな怖い所からさっさと抜け出してしまいたい。
できない理由を心の中でいくつも作りながら後退り、十分な距離を取った所でいよいよ背を向けて逃げ出した。
ガンプラバトルが終わってから介入どころか口出しすら一度もしなかったラスタル・エリオンの事などすっかり忘れて。
「どこだよここ」
漸く外に出られたものの、そこは土地勘が一切通じない見知らぬ場所だった。下手をすれば逃げる途中でどんどんゴールから遠ざかってしまうかもしれない。
それでも動かなければいけなかった。ここで悩んでいる間に追い付かれれば殺される。
とにかく走るしかなかった。いつ追いかけてくるかわかったものじゃない。こういう時に限って車が通る気配も無い。車に乗せて貰えればすぐにでもここを離れられるのに。
それが叶わないのならば足を動かすしかない。その場合は誰かに目撃されるまで、可能であれば人が集まるショッピングモールや駅まで逃げる必要がある。
そこまで行けば万が一追いかけて来ても人に見られる所で殺される事はないはずだ。
何度も後ろを振り返りながらあてもなく歩き続ける。
振り返っても振り返ってもあの男の姿は無い。電動ドリルを脇腹に突き刺したのだからそう簡単に追いかけては来れないだろう。
楽観的かもしれないその可能性は、振り返り確認が徒労になる度に大きくなっていく。
段々と緊張感が薄れ出し、余計な考えが頭を擡げ始めた。
自分は一体何をしているんだ?
何でこんな事になった?
俺はこれからどうなるんだ?
血塗れで逃げ回って何をしているんだ?
何で、たかがガンダムごときでこんな事になったんだ?
人に電動ドリルを突き刺して、ここから先どうなるんだ?
何で、こんな事になったんだ?
何で、こんな事でこんな事になってるんだ?
論理的な考えが出来ない状況で浮かぶ無駄な考えを断ち切ったのは視覚だった。
ぽつぽつと建つ住居が視界に入った時、ウタダは自分の生き残りを確信した。
「誰か!誰か助けてください!誰か!」
気が狂ったように叫んだ。
誰かが自分の目の前に現れるまで、何度も何度も。
そうしているうちに狂人を一目見ようと、或いは面倒ごとを排除しようと数人が家から出て来る。
嫌悪と困惑を浮かべたその顔が、ある意味ウタダが今一番見たかった顔だ。
先回りしていた誰かではないのだから。
彼らがウタダの姿を視界に収めた瞬間、その顔が恐怖に変わる。何の覚悟もなく血塗れの男と遭遇したらそうなるのは当然だ。
その顔が、ある意味ウタダを安心させた。
血塗れの人間を見て笑いを浮べない、只事ではないと思ってくれる程度にはまともな感性を持っているのだから。
その場にへたり込んだ。もう動く必要はない。安心感が奪った力はもう戻ってくる事はない。自分は生き残ったのだ。
人の良い誰かが駆け寄ってくる。その人が肩を掴んでこちらに何かを言っている。
聞こえてくるそれがウタダの主要言語と同じ日本語なのは理解していたが、彼らが何を言っていても関係ないとばかりにウタダは自分の希望だけを口にした。
「助けて、ください」
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。宜しければ『一番嫌いな人物』を教えて頂けますと幸いです。
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サザミヤ・マユ
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ウタダ・エリオ
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ネーナ(ネイナ)
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カスガ・ユイ
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ワダ・エイチ