放課後、私はいつものトレーナー室で黙々と机に向かい、書類の一枚一枚に目を通していた。部屋の中はしんとしていて、私が書類をめくるたびに紙のかすれる音が響く。
「トレセーン!」
「「「ファイ!」」」
「「「ファイ!」」」
ランニングをするウマ娘たちの掛け声が窓の外から遠く聞こえる。そうだ、新しいトレーニングメニューも今日中に上げなくてはならない。念願のトレーナーになったのはいいものの、日々の作業は多忙を極める。この許可書だけにかまけているわけにはいかない。一刻も早く片付けるべきだ。
目まぐるしく回る脳は糖分を欲し、私は先ほど自分で入れたインスタントコーヒーの入ったマグカップにシュガースティックの封を切って中身をみんな流し込み、スプーンでぐるぐると何度もかき混ぜた。
「セーン……」
「「「イ……」」」
「「「イ……」」」
ランニングのコールが遠ざかっていく。ようやく書類を読み終わり、捺印を押した。これで完成だ。私はマグカップを手に取り、椅子の背もたれに深く身体を預けて一息つきながら窓の方を改めて見た。日当たりのよい位置にあるその窓からは西陽が射し込んでいて、我儘なうちの科学者がいつの間にか勝手に持ち込んだ黒く大きなソファを柔らかな黄金色に染め上げている。そして当の科学者はそのやさしい光に包まれながら、身体を丸くしてすやすやと眠り姫のように微睡んでいるのだった。
「自由だな、まったく」
今日は珍しいオフの日なのだが、一体なぜ自室ではなくトレーナー室で丸くなっているのか。不思議で仕方なかったが、せっかく寝息を立てているのに起こしてしまうのも忍びなく、私はそのまま作業を始めてしまった。そしてとうとう終わるまで彼女は心地良さそうに目覚めなかった。
「ふふ」
この不思議な状況がなんだかすこし可笑しかった。それに、瞼を閉じて眠っていると普段とはまるで別人のようだ。華奢な体つきをしたあどけないひとりの少女にしか見えない。今更ながらあの狂気を孕んだ瞳の光は一体どこから来るのだろう? そう疑問に思って長い睫毛の生え揃った彼女の瞼を見ていると眠り姫はついに目覚めたようだった。
「ん……」
「おはよう」
もぞもぞと身体を動かして、彼女は上半身を起こした。
「……やあ、いたのかい」
まだもう半分は眠りの中に誘われていそうな薄目で私を見る。
「そりゃトレーナー室だからいるさ」
「私が来た時はいなかった」
「書類を取りに行っていたんだ」
「それはそれは、ご苦労だねぇ」
他人事のように彼女は欠伸をした。まるで猫みたいだ、と思った。
「その書類もちょうどいま終わったところだよ」
「飲みかけのコーヒー……ティーブレイクといったところだね」
「コーヒーもいま淹れたところだ、一緒に紅茶を飲む?」
「いや、いまは遠慮しておくよ。それより、その砂糖を入れたんだね」
彼女はデスクの上の封が切れたシュガースティックを指差した。
「ん?ああ、頭を使ったから糖分が欲しくなってな」
「ふうん、そうかい」
なぜか彼女は満足げに笑っていた。私は意味がわからずに首をかしげた。しかし彼女の行動が理解を超えているのは今に始まったことではない。あまり気には留めず、気になっていたことを尋ねた。
「寝るなら自分の部屋で寝ればよかったのに、どうしてここで?」
「おや、ここにいてはダメかい?」
「いや、そんなことはないが、自室の方が疲れが取れないか?」
「ここで眠ると意識が覚醒する際に有益な効果を得ることができる」
「へえ、一体どんな効果なんだ?」
「君がいる」
「へ?」
私は想定外の答えに思わず目を点にした。それでも彼女は眉ひとつ動かさずにいつもの論理的な口調ですらすら並べ立てる。
「起きたとき、すぐ傍に君がいるとどうやら私はとても気分がいい。目覚めがいいというやつだね。こないだのホープフルステークスが終わったあと、わたしは疲れ果てて、移動の車の中、君の隣で眠っただろう?そのときに気がついたんだよ。起きた瞬間に君の顔があると、こう、なんというんだろうね、心拍数が安定するんだ」
私はまた心の中で可笑しかった。素直に「安心する」と言えばいいのに。
「私はどちらかといえば低血圧だが、あの日の目覚めはとても気分が爽やかで頭も晴れるようだった。これについては徹底的に調べるべきだ。なぜならアスリートにとって睡眠はきわめて重要な要素のひとつだからね。私の目覚めと君の関係は研究に値する項目だよ」
「もしかしてそれを調べるためにここで寝てたってこと?」
「ああ、そうだとも。書類とやらで君がいないせいで危うく実験が台無しになるところだった。まあ、そのときは君がいない場合の起床データが採取できるわけだから別にいいのだけれどね」
「そうか、じゃあ起きる前に帰ってきてよかった。それでどうだ、いまの目覚めの気分は?」
尋ねると、彼女はいつもの不敵な笑みを浮かべて、こう言った。
「とてもいいね」
瞬く間に寝惚け眼からいつもの妖しい光にみちた色へと、彼女の瞳は姿を変えていく。ああ、この眼だ、と私は思った。やはり、私はどこまでも速さを求めるこのウマ娘にどうしようもなく惹かれているのだ。
「次はそうだね、膝枕でもしてもらおうか」
足を下ろし、ソファに腰掛けて彼女は言った。
「そういうのはほんとうに大切な人ができたときに取っておくといいよ」
「そのつもりだが?」
一点の曇りもない眼で彼女はこちらを見つめている。本気みたいだ。これにはどう答えたものだろう。
彼女のトレーナーになってわかったことがひとつある。それは彼女が他のどのウマ娘より、比べられないくらいに純粋だということだ。自分があらゆる手段を尽くして確かめ、認め、信じたものの為ならどんな行為も厭わない。たとえそれが道理や倫理を踏み越えたものであったとしても。狂気の瞳の奥底で光っているのは何物にも穢すことのできない純粋さだ。それはあまりにうつくしく、そして危うい。これから何があったとしても、彼女の純粋な心を尊重し、それでも決して壊させはしない。それが彼女のトレーナーとして私が密かに心へ誓っていることだった。
「その気持ちはとてもうれしいけれど、私にはできないよ」
「ほう、もしや、するよりもされる方がお好みだったかな」
彼女は艶やかに笑いながら、しなやかな足を綺麗に揃えて膝元をポンポンと叩いた。
「こっちにきたまえ。自分で言うのはなんだが、なかなかのスタイルだと自負しているよ」
「それも光栄な提案だけれど、やっぱりできないね」
「どうして?いいじゃないか、君と私の仲だろう?」
「君と私の仲だからだよ。どれだけ優秀でも君はまだ十代の学生だ。そして私はもう立派な大人だ。線引きは大事にしないといけない。私にはトレーナーとして君をあらゆることから守る義務がある、私自身からもね」
「……それは、その言葉はどう受け取ったらいいんだい」
「URAを優勝するまで君を守り切ってみせるってことだよ」
「URAの後は?」
「もしその後になっても、ほんとうに同じ気持ちを抱いてくれていたら、もう一度伝えてほしい。そのときに私もまた考えるから。私たちがたとえどんな仲だとしても、今の私たちにとって一番大事なものはレースだ、そうだろう?」
それを聞いたタキオンはキッと結んだ唇を解き、悟ったように、安心したように、表情を柔らかくした。
「ああ、そうだね。すまない、いま言ったことは忘れてくれ。君を好ましく思っているのは事実だが、実験の目標と手段が逆転して道を誤るところだった。すこし寝惚けていたみたいだ、私としたことが。まったく君はほんとうに……」
何かを思いついたようだったが、彼女は言い淀んだ。
「……モルモット君」
「なんだ?」
「私の名前を言ってみたまえ」
「なんだそれ」
「いいから、ほら、はーやーく」
何の意味があるのかまるでわからなかったが、私は彼女が望むままにその名を口にした。
「アグネスタキオン」
そう、彼女の名はアグネスタキオン。科学力を駆使し、速度の限界を追い求める研究者肌のウマ娘。目的のためなら言語道断な生体実験をも辞さず、危うい行動を取る際にも誰の許可も取らない。だがそのままではどれだけ純粋な意志によるものだとしても周囲の理解は得られないままだ。だから私は先ほどからトレーナーとして、彼女の代わりに膨大なトレセンの規約書類へ目を通し、次の大掛かりな実験の許可書を作成していた……というわけだった。
タキオンはなぜか夜間の体育館の使用許可が欲しいらしい。一体なにをする気だろう。理解し切れない行動も多々あるが、速さを求める実験だというのならそれを可能にするのもトレーナーである私の仕事だ。しかし正直に告白すると異例の申し出をトレセンに認めてもらうのはいつも骨が折れる。
「そう、私はアグネスタキオンだ」
そんな私の苦労など意に介さないようにタキオンは飄々と続ける。
「そんなことは知ってるよ」
「では、私の名である『タキオン』の意味は理解しているかい?」
「えっと……超光速みたいな意味じゃなかったか」
「まあ、間違ってはいない。ギリギリ及第点をあげよう。しかしだ、普段からタキオン、タキオンと私のことを呼んでいるのだから、その言葉の意味くらいもっと正確に把握していても損はないはずだ、と私は思うわけさ」
スカートの裾を払い、タキオンはソファから立ち上がった。研究一筋にも関わらず、所作がところどころ柔らかく女性的なのも、彼女の不思議な魅力のひとつだと思う。
「タキオンの意味について……そう言われると知らないな。ぜひご教授願うよ」
「ふふ、いいだろう」
タキオンは立ち上がってロッカーの中から取り出した白衣を羽織った。どうやら講義が始まるみたいだ。タキオンは私にこうして物理学の知識について語ることがある。きっとこれは彼女なりのコミュニケーションなのだろう。だからすこし難しい話でも、私はいつもうれしくなる。
「タキオンというのは、常に光速を超えて移動している粒子のことだね。光速以下では運動することができず、特殊相対性理論によれば、虚数の固有時を持つ粒子となる」
「まってまって、もうむずかしいんだけど」
「ふぅむ、どこがわからないというんだい?」
常識を理解できない人間を憐れむような目でタキオンは私を見る。みんながみんな自分のように賢いと当たり前に思ってはいけないよ、タキオン、と心の中で呟く。
「まず『虚数の固有時』ってなんなんだ?」
「相対性理論においては、時間の流れは一定ではなく、運動する物体はすべてがそれぞれ独自の時間を持っていると考える。そのそれぞれ独自の時間を『固有時』と呼ぶんだよ。光速で宇宙を旅しているパイロットは地球でふつうに過ごしている同じ時間に生まれた双子の弟よりも若くなる、という話を聞いたことはないかい?」
一見、傍若無人に見えて、尋ねさえすれば丁寧に教えてくれるあたりがいかにもタキオンらしいと私は改めて思った。
「その話はなんとなく知ってる」
「この話の中では、地球の弟と光速で旅をする兄の固有時はそれぞれ異なっているということが示されているわけだね」
「ええと……みな同じ時間を過ごしているように見えても、実はすべての物はそれぞれの時間を生きていて、そのそれぞれの時間というのは相対性理論では『固有時』という名前で呼ばれている。合ってる?」
私は自分なりに話を噛み砕いて、確かめてみた。タキオンは頷く。
「ああ、その認識で合っているとも」
「じゃあ、その固有時が虚数っていうのはどういうことなんだ、ちっとも想像できないよ」
「かの有名な天才科学者スティーブン・ホーキング博士は、宇宙が虚数時間から生まれた、と提唱している。過去、現在、未来のような我々が一般的に感じている実数時間とは別に、もうひとつ時間の流れの軸が存在する、とホーキング博士は考えたわけさ」
「時間の流れの軸……?」
「どう表現したらいいだろうねぇ、いま、モルモットくんの目の前には私がいるだろう?」
タキオンは大きく手を広げてみせた。タキオンの小さな手を隠し切っている白衣の長い裾がゆらゆらと揺れている。
「ああ、それは流石に私でもわかるよ」
「私と君とは少し離れている。さらにわたしの向こうには窓がある。また私の隣にはホワイトボードがあるね。これらは別の位置に存在する。でもこれらはすべて君の目の前にあるとも言える。同じ『目の前』であっても、そこには奥行きや広がりがある。それと同じようなことが時間においても存在する……つまり時間には空間的な広がりがある、と捉えるのが虚数時間の概念なのさ。座標でいうとわかりやすいかな。時間には一方向のX軸だけではなく、Y軸も存在すると言ったような考え方さ」
「Y軸もある時間ってどんなだろう?パラレルワールドみたいな?」
「それは誰にもまだわからない。でもあり得るかもしれないね。ひょっとしたら虚数時間にはウマ娘の謎を解き明かすヒントさえありそうだ、実はクラスメイトにもひとり興味深い子がいてね……おっと、これは別の話になるからまた今度にしておこう」
「なるほど、じゃあ虚数時間っていうのも結局は一般的な時間感覚の中で生きている私たちでは認識できないってことか?」
「まあ、そういうことになるだろうね、虚数時間は現状あくまで科学者の実験と思考から生まれた理論、ひとつの概念だ。しかし我々の認識を超えたその虚数時間の中でこそ、タキオン粒子は動き回っている」
「……つまり、それって、タキオンは私たちの見える時間の流れの中には存在していないってことなんだろうか」
「そうだとも。タキオンはひとつの仮説として、あくまで理論上においてのみ存在している。歴史上、実際に観測されたことはこれまで一度もない。それどころか既知の物理法則と一致しないため、多くの科学者からは存在していないとさえ考えられている。それがタキオンなんだよ」
「そうなのか、タキオンが存在しないというのは……」
「ふむ?」
「寂しいな」
思わずぽつりと出た言葉だった。タキオンがいないのは寂しい。
「そう……ん?寂しい?……ふっ」
タキオンは理解が追いつかずにキョトンとした顔をしたあと、やがてお腹に手を当てて笑い出した。
「ふははははははは!やはりモルモットくんはおもしろいね。あくまで粒子としてのタキオンについて説明したつもりだったんだけれど。そうかそうか、わたしがいないとそんなにも寂しいかい」
笑いすぎて溢れた涙を拭いながら、満足げにタキオンは言う。
「そんなに笑うことないだろ」
「ふふふ、失礼した。だが私には存在しない思考回路だからね、興味深いよ。なんならもうすこし君の感じ方について耳を傾けてみたいくらいだ、聞かせてくれるかい?」
「いま目の前にいるタキオンがもしいなくなったら、ってつい想像しちゃったんだよ。トレーニングをして、レースの映像を何度も見ながら検討して、作戦を練って、それから君の新しい薬の実験に付き合って、身体が縮んだり光ったりもして……そんな君が存在しない日々なんて私にはもう考えられないから」
「そうかい」
タキオンは少しうつむいて表情を隠した。でも口元はどこか笑っているように見えた。
「……人は実に興味深い生き物だね。関わるまではそんな人間なんてこの世に存在しないかのようにずっと平然と生きていたのに、出会った瞬間からその人がいなかった頃のことが途端に思い出せなくなってしまうことだってある……トレーナー君、私はね、自分の研究は誰からも理解されないとこれまでずっと思っていたよ。それは世界の片隅で自分ひとりだけの時間を生きるような心地だった。誰にも見えない虚数時間を飛び回るタキオン粒子のようにね。でも私は君と出会った。私にとって君との出会いは、科学的にありえない理論を証明したかのような、存在しないものを発見したかのような、何よりも強い衝撃だったんだよ」
「私にとってもタキオンとの出会いは世界が変わるような経験だったよ。じゃあ私とタキオンの出会いはお互いにとって未知の粒子を発見するくらいすごいことだったってわけだ」
「そうだね……いま話していることは冗談や比喩じゃなくて本当にいつも私が思っていることなんだ、嘘じゃない。その、つまり、だから、なんだ……」
「ん?」
「……いつもありがとう、トレーナー君」
タキオンは頬をわずかに赤らめて珍しくもじもじしている。
「たったこれだけのことを伝えるのにずいぶん遠回りしてしまった……日頃の感謝を伝えるというのはこれほどに難しいことだったのか」
どうやらお礼を言うのが照れ臭くて、かわいい科学者は物理学の講義を始めたみたいだった。わたしは心が奥底からあたたかくなるのを感じた。
「ありがとう、私もタキオンと出会えてよかったといつも思っているよ」
「そうかい、ならいいんだ。それというのも、カフェが『たまにはしっかり感謝の言葉でも伝えないと、面倒ばかりかけて愛想尽かされても知りませんよ』なんて言うからだね、そもそも君が私を見捨てるなんて万に一つも想像できないんだが、しかしだね……」
あたふたと早口でタキオンは取り繕った。
「やっぱりタキオンはかわいいね」
またぽつりと本音が出た。タキオンはかわいい。
「なっ……」
「学会に論文を発表したいくらいだよ。『タキオンのかわいさの検証』何ページでも書ける気がする」
「ダメだ、私のプライバシーを害する。その論文は発禁処分とする」
タキオンはからかわれたことに怒って頬を膨らませている。こうしているとどれだけ大人びていても年相応の少女だとあらためて思う。
「……それに君が世界へ証明するべきことは他にあるだろう、モルモット君」
打って変わって真剣な表情に戻り、タキオンは私をまっすぐに見つめる。私はハッとしてその瞳を見つめ返し、強く頷いた。
「ああ、いまだ君のことを知らないこの世界のすべての人に、タキオン、君の存在を、その光を超える速さを証明したい」
「ふふ、そうだとも。私の名はタキオン、アグネスタキオン。誰も見たこともない光を超える粒子、そして証明されたとき世界を大きく変化させ得る存在、その名を冠するウマ娘。我々の実験はこれから始まる。そう、全ては実験材料なのだよ、モルモット君。君も、ウマ娘も、私自身も!」
トレーナー室にひとりのウマ娘とひとりのトレーナー。どちらも互いの眼差しを見つめ、その瞳の中に燃える狂気の光を認め合っていた。この灼けるような熱がある限り、私たちはきっとどこまでも行ける。
「よし、明日からまた張り切ってトレーニングだ!」
「ふぅん、その意気や良しと言いたいところだが、その前にまず今日のもうひとつの実験のデータを取らないとね」
タキオンはちらりと壁にかかった時計を見た。
「トレーナー室で寝るのが実験じゃなかったのか?」
「無論それもだが、新しい薬の効果を試したくてね」
「書類を届けなきゃいけないから、薬を飲むなら後にしたいんだけど……というか聞きたかったんだ。なんで夜間の体育館の許可が要るんだ?」
「君が光り輝くからさ」
「なんて?」
「それに薬ならもう飲んだとも」
「へ?」
タキオンは机の上の空になったシュガースティックを白衣の袖で示した。
「シュガーの中に粉末を仕込んでおいたのさ。まさかお願いする前に飲んでくれるとはね。手間が省けたよ。さて、もうそろそろ時間のはず……ほら、始まった、成功だ!」
急に周囲が眩しいほど明るくなるのを感じた。私はその光の正体を探してあたりをぐるぐると見回したが、やがてその輝きは自分から発せられているのだと気づいた。
「また発光か!」
「今回はただの発光じゃないぞ、自分自身をよく見たまえ」
身体に目を向ける。チカチカ、チカチカ。そう、私はただ発光するだけではなく、瞬くように一定の周期で点滅していた。
「この点滅により、発光状態と通常の状態を君の身体は交互に行き来する。その結果、神経信号は活発になり、細胞は活性化され、新たな速度の地平が切り拓かれる……!」
タキオンは手を広げて高笑いをした。点滅するトレーナーとそれを見て笑うウマ娘。誰の想像をも超えた狂気の光景がここにはある。だが、それがなんだというのだろう、私はアグネスタキオンのトレーナーだ。全ては実験材料、私の身体で済むのなら、いくらでも捧げよう!この状態で管理課に書類を届けに行くのはあまりに恥ずかしいけれど!
「さあ、モルモット君!早く書類を届けて体育館へ向かおう。実験開始だ!」
タキオンは勢いよくトレーナー室の扉を開ける。我儘に、いつもの大胆不敵な笑みを浮かべて。でもそんな表情が彼女には一番よく似合う。だから私は喜んで今日も彼女の実験に付き合おう。
私は光となって歩む。比喩ではなく実際に。発光点滅するトレーナーと廊下ですれ違うたびに、驚きであんぐりと口を開けるウマ娘、白目を剥くウマ娘、口元を隠してひそひそ友達と話しながら後ろ指を指すウマ娘……覚悟は決まっているけれど、やっぱりもうちょっとだけ倫理観と周りとの調和を大切にできた方がタキオンのためにも私のためにもなるかもしれない!と点滅しながら思ったのだった。
書類を手に、私は超光速のプリンセスの後を追う。そうだ、瞬く光のようになったこの身体でさらにその先を駆けるタキオンをいつまでもどこまでも追いかけていくんだ、きっと。
アグネスタキオンのトレーナーとして。