頭の中で君が啼く   作:穢銀杏

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Not Alone

 

 

 驚いた。

 

 心底仰天させられた。

 

 きっと他人は信じない。

 

 片腹痛いぞ、「心」だと? 脳を焼かれて感情の起伏を失った強化人間の分際で、似合わぬセリフをほざきよるわと、誰もが失笑するだろう。

 

 そんな上等な機能なぞ、貴様に残っているものか。おこがましいんだ在庫処分の骨董品め、旧型な上ぶっこわれかけの第四世代、闘争技能だけを(よすが)に辛うじて現世にしがみつく、ガラクタ認定寸前の生体CPUふぜいがよ、と――。

 

 しかし確かにその刹那、621は味わったのだ。

 雑巾みたく、こう、きゅっと、心の臓腑を引き絞られて、総身の毛穴がちぢこまる、思考が身体を置き捨てて七尺上の虚空に浮かぶ、「魂消る」という、あの感覚を――。

 

 それも致し方ないだろう。

 これをいったい、どう受け止めろというのだろうか。

 

 

 人類はもはや孤独ではないのだ。

 

 

 とっくの昔に知性を持ったまるで別種の生命体と邂逅を果たしていたらしい。

 

 開拓惑星、ルビコン3、宇宙の辺境といってよかろうこの星で発見された「コーラル」という新資源。

 

 極めて優秀な燃料であり、

 情報導体の側面(かお)も持ち、

 摂取によっては人体に麻薬めいた効能をも発揮する、

 可能性の塊めいたその物質は、

 しかし更にずっと奥、帰還不能限界間際に「極めつけ」を秘匿していた。

 

 コーラルには意志があったのだ。

 

 みずから考え、成長し、たどたどしくも喜怒哀楽を滲出させる、魂を持った存在が。――真紅の波形の只中に、確かに潜み棲んでいた。

 

『――エア』

 

 実体を、――肉の身体を持たないと、姿なき存在であるのだと明かしてくれた彼女に向かい、「交信」により呼びかける。

 

 最初はてっきり幻聴とばかり考えて、己の耐用年数もいよいよ限度が近いらしいと冷ややかに見切る思いであったが――現に彼女が敵勢力のシステムへと侵入し、ミッション遂行に便宜を図ってくれるに及んで徐々に認識を改めた。

 

 どこぞのマッドサイエンティストに作製(つく)られて、放流された野良AIが、機体システムの一部分を占有したのでなかろうか、と。

 このルビコンは、そういう変態技術者どもにも住み心地の良い星だ。

 

 何はともあれ仕事が円滑に運ぶのならば歓迎すべき事態であろう。

 621は、だから彼女を受け入れた。

 

 エアの正体がなんであろうと構わない、役に立つならそれでいい、と。

 ただ機能だけで許容した。

 

 しかし今。

 ここで今。

 

 強化人間C4-621の内部で、既存の思慮に収めておけない、冷たい打算の範囲を超えた、まったく異様な化学変化が誘引されつつあるらしい。

 

『私の過去は焼き切れている。心と一緒に、どうやら記憶も失くしたらしい。それを辛いとは思わない。別条、気にもしていない。告白すると三秒前まで、失くしたことすら無自覚だった』

『……レイヴン?』

 

 返事があった。

 いつものように621の、傭兵としての識別名で呼んでくる。

 心なし声が低かった。

 その低さが、そのまま困惑の顕れだった。

 

 無理もない。突然なにを語りだすのか。エアでなくとも、言葉に詰まらされるであろう。段取りとか順序とか、前置きとか修辞とか、会話に於いて本題以外に重要な、種々の要素に621は、徹頭徹尾不感症であるようだ。

 

『だが、しかし』

 

 だから相手の反応が、どうであろうと委細構わず語を継げる。

 どこへ出しても恥ずかしい、お手本のような社会不適合者の姿であった。

 

『この燃え殻の脳髄の、どこかの襞の奥底に、今なおしぶとくこびりついているフレーズがある』

 

 アイスワームの死骸の傍で。

 その巨体を動かしていたコーラルたちの断末魔、天へと向かう拡散をアイカメラ越しに見届けながら、621はその言葉を口ずさむ。

 どうも嘗ての自分自身(みずから)を強烈に啓蒙したらしい、所以も知らぬ文節を。

 

“生命とは、組織されたエネルギーにほかならない”

 

“そのエネルギーが、どんな形態をとろうが、それが問題だろうか”

 

“パターンだけが重要なのだ。物質そのものに重要性はない”

 

『……この定義を是とするならば、君は、君らは、コーラルは、間違いなく生きている。

 私に残った全感覚が生きていると告げている。

 言いたいのは、それだけだ』

『――』

 

 余儀なくエアは絶句した。

 およそ初めてのことだった。

 レイヴンの方からこれほどまでに、饒舌とすらいっていいほど多くのことを語りかけてくれたのは――。

 

 常日頃の唐変木、味も素っ気もなさっぷりが窺える。

 

 かてて加えて、その内容はどうだろう。

 この死と殺戮と破壊の権化、死神が鎌を差しだして弟子入りを志願しかねない、歩く理不尽みたいな闘鬼が、ずいぶんと優しげではないか。

 

 そう、(いたわ)ってくれているのだ、エアの心を、レイヴンは。

 

 不器用とか、口下手どころの騒ぎではない、灰燼に帰した人間性で、それでも必死に拾い集めた精一杯の誠意を籠めて、届いてくれと、切実に。

 

『ああ……』

 

 その理解に到達して0.007秒後。

 エアの内部で、何かが起きた。

 否、「弾けた」と表した方がより本質に近いのか。

 彼女の波形の中核で、新たな流れが爆発的に誕生し、既存のあらゆるパターンを致命的かつ不可逆的に掻き乱す。

 

 乱されながらも、不快ではないこの感じ。

 恐怖を伴わない変異。

 存在基盤を打ち砕くほどの衝動を、有史以来、人類がなんと呼んでいるのか、エアは未だ無智だった。

 

『レイヴン――私は、あなたを――あなたこそが、私には――』

 

 だがきっと、そう遠からず知るだろう。

 

 なんといっても、エアは聡明にできている。

 

 そして知ったら戻れない。

 

 善悪の彼岸を踏破して、更に更にその先へ、果てなく進んでゆくだろう。

 

 真実に直面した後に甘い無智に帰ろうなどと、そんな願いは、不可能以上に馬鹿々々しいことなのだから。

 

 

 ――ヘリの爆音が落ちてくる。

 

 

 サーチライトに照らされた皚々たる氷雪の上、一機に宿る二つの生命(いのち)、相補性の獣らは、臨界の時を待ちわびて静かに圧を募らせた。

 

 

 

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