魔眼。
本来、外界からの情報を得る為の物である眼球を、外界に働きかけることが出来るように作り替えた物を言う。
その中でも特に強力なものはノウブルカラーと呼ばれ、おおよそ『束縛』『強制』『契約』『炎焼』『幻覚』『凶運』などに代表される、他者の運命そのものに介入する特権行為。
しかし、ノウブルカラーの上には更に『黄金』『宝石』『虹』と存在し、『黄金』以上の魔眼には現代では失われた大魔術が蔵されていることも稀ではない。それが『宝石』や『虹』ともなると大魔術以上の───古今のあらゆる魔術ですら再現できない神秘が秘められている事すら考えられる。
例えば、一睨みで
だが、忘れてはならない。
見ることは人間の歴史で最初の魔術。それは視覚が人間の五感の中で最も多くの情報を処理するからだ。故に、人はみな己の眼に支配されて生きていると言ってもいい。
それが魔眼ならばなおのこと。魔眼を持つという事は、魔眼に縛られる人生を許容するという事に他ならないのだ。
◇
部屋の扉を閉めて、先生は二人の客にソファをすすめる。
俺たちはさすがに場所がなかったため、ベッドに腰を下ろした。もともと三人用の部屋だけあって、ひとつの車両を三分割にしたきりの豪勢なつくりなのだが、六人も入るといささかの圧迫感がある。
先生は両者の中間に配されたアームチェアへと座り、ことさらゆっくりと尋ねた。
「───なぜ、あなたが聖杯戦争を?」
取り繕ってはいたものの、声音はわずかに硬い。
対して、オルガマリーの代わりに付き人のトリシャが眼鏡を持ち上げて答えた。
「エルメロイの先代は話題になりましたので、アニムスフィアの方でも資料を揃えた時期がございます」
第四次聖杯戦争のことだ。
先代のロード・エルメロイ、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトが命を落とした戦い。我が王や騎士王が召喚された覇を競い合う殺し合い。
当代のロード・エルメロイⅡ世───先生が生き残った戦い。
「ふむ。十二家の中でも、アニムスフィアは星々の動き以外興味をもたず、山にこもっているものかと思っていたが」
「ここだって星のひとつですから」
先生の言葉に、今度はオルガマリー本人が答える。
きりりとした琥珀色の瞳が、下から先生を睨みつけていた。値踏みというよりは挑みかかる様な雰囲気だ。
「それに、引きこもってても耳に入るぐらい話題になってるわ。十年前ロード・エルメロイが死んだ聖杯戦争に、こともあろうかⅡ世までも挑みたがってるって。もう二ヵ月足らずで開始されるはずの。第5次聖杯戦争の時計塔枠に志願したんでしょう?」
「あいにく、そっちは蹴られたようだがね。今回の時計塔枠はふたつに増やしたようだが、それでもガリアスタと封印指定局が持って行ったようだ」
封印指定局は封印指定に選ばれた魔術師を確実に捕縛するための組織だ。純粋な魔術の技量ではなく、逃げ回る魔術師を狩るための戦闘力によって選ばれる戦闘集団。俺もかつて追われたことがあるが、片端から薙ぎ倒しても終わりが見えなかった。構成員がどれだけいるのか知らないが、ほとほと嫌になる。
「それでも、あなたが志願したのは事実よね。ええ、なんでも願いを叶えるとかいう胡散臭い聖杯に執着があるわけ?」
「……さて」
「違うわよね。確かに、何かのインチキで英霊を呼び出してはいたみたいだけど、魔術では遅れた極東の儀式よ。そんな超抜級の代物があるとは思えない」
今なんつったこのガキ。
思わず立ち上がるがグレイが腕にしがみつき、ふるふると首を横に振るう。
グレイに免じて仕方がなく怒りを抑えるが、極東が魔術では遅れてるだあ?それだったらなんで最新の魔法が日本で生まれているのか説明して見ろや。
過去の英雄たちを見ても、日本という国は正直異常だ。農民が多重次元屈折現象を起こしてるし、源氏の侍はロボットだし。
「だったら、あなたの目的はあの儀式自体にあると考える方が適切、ええ、三流の
「残念ながら、ケイネス師の最期には立ち会うこともかなわなかったよ。死ぬ直前まで、私の事は度し難い愚か者と思っていたろうね」
アトラムもそうだったが、時計塔での調査結果は一定以上の位の人間には開示されている。とはいえ、時計塔も聖杯戦争の全貌を把握しているわけではないのだが。
「とにかく、あなたはもう一度聖杯戦争に挑もうとしてる。かつて勝ちきれなかった戦いに、そんなに雪辱を果たしたいの?」
「……そう思いたいなら思ってくれてかまわないが、話とはそんなことかね?」
「いいえ、状況の確認をしてるだけよ。気に入らないなら、独り言だと思っていて」
ひらひらと手を振って、オルガマリーが言葉を続ける。
「ここまでの検討がおおよそ間違いじゃないんだったら、あなたが
その辺は大いに同感である。
ケイネスは魔術師としては文句なしに優秀だった。優秀過ぎたとも言えるくらいに。
だからこそ勘違いしたのだ。聖杯戦争は英霊と英霊、魔術師と魔術師による誇りと研鑽を掛けた戦いだと。
愚かとしか言いようがない。聖杯
その点、先生は本当に運がよかった。マスターとして、魔術師として余りにも未熟だったから優先度が低かった。
あとは征服王の臣下としての姿を、我が王が認めたことも大きいだろう。一人の王が育て、導いた今を生き足掻く人間の姿は、かの王の好む人の在り方に近かったのかもしれない。
「………本当に、ずいぶんお詳しいようだ。まさか、アニムスフィアがそこまで俗界に興味がおありとは」
「星の外を見つめることも、表面を見つめることも本義は一緒よ。ただ、ここまでの考えが間違ってないんだったら、ひょっとしたら共闘態勢が築けるかと思ったのよ」
「共闘ね。少なくとも聞こえはいいな」
「そうでしょう?もともと、アニムスフィアはエルメロイと同じ貴族主義だもの」
「貴族主義、か」
先生が淡く唇を歪める。
派閥まわりについて思うところがあるのだろう。エルメロイ自体は確かに貴族主義だが、先生自身の出身などを考えるとむしろ民主主義の方が近い。
「少なくとも、単に戦力補充が目的だとしたら、あなたは虹の魔眼が欲しいわけじゃないでしょう?だったら、こちらとも利害は一致するはずよ」
「………どうしてかな?伝説上にしか存在しない魔眼だ。おそらくはほかの
「だって、能力は分からなくても虹の魔眼というだけで十分な値段になるはずだもの。今のエルメロイ派に賄う程の財力があるとは思えないわ」
「ずけずけと言ってくれるな」
苦笑して、先生は肩をすくめた。
それでも不快そうでないあたり、確かにこういう相手は嫌いじゃないのだろう。俺はさっきからイラついてるけど。
「つまり、本当にあなたは虹の魔眼が出品されると信じてるわけか。何か、事前に情報を得ていたのかな?
「……………………」
しばし、オルガマリーが沈黙する。
それから隣の付き人へ目配せし、こう口にした。
「いいわ、トリシャ。それぐらいはこちらの札を晒した方が話もスムーズでしょ」
「分かりました」
主人の言葉にうなずき、付き人のトリシャ・フェローズはすうと手を持ち上げた。
「私が、
眼鏡を外すと、鮮やかな色彩を放つ美しい瞳が露わになった。
通常の眼球ではおよそありえない輝き。それは、間違いなく───
「ああ、ちょうどいい。エルメロイⅡ世様、右手をあげていただけますか」
「こうかね?」
これから起きる茶番に備えてカウレスから離れる。ついでにグレイにも声をかけてカウレスから距離を取らせる。
「ええ、できたらもう八秒ほど。七、六、五、四───」
「───わっ」
カウレスががたんと姿勢を崩した。
緊張のあまり、ベッドからずり落ちたカウレスは、その拍子に流れた手が枕元に置いていた空の水差しを叩いて、水差しは鮮やかな放物線を描き───まるで何かの実験のように先生が上げていた手へとおさまった。
しばし水差しを見やってから、先生はその答えを導き出す。
「魔眼、かね」
「広義にはそうなるでしょう。私の瞳は、予測の未来視です」
「………未来、視?」
呆然と、グレイが呟く。
「その名の通り、未来を視る瞳だよ。予測の未来視は人間が持つ想像力の延長。周囲の状況を通常の人間以上の精度で判断し、無意識に未来を予測演算する限定的な『ラプラスの悪魔』だと思えばいい」
魔眼。
狭義には、炎焼や魅惑といった術式投射を行うか否かで、感受型の未来視や過去視は除く場合が多い。実際、測定ならともかく予測であれば千里眼でも未来視・過去視はできる。
とはいえ感受型の魔眼とは見えざるモノを見る瞳。
ある意味で、視覚そのものが別の世界とつながった人間だ。
「私は三カ月ほど前、今回の
「視た、か」
信憑性がないにもほどがある。たかが一個人の魔眼。測定ではなく予測の未来視だ。それも三カ月も前となると信じろという方が無理だろう。
「理屈よりも結果が先にある。未来視らしい言葉だ。だが、予測の未来視はごく不安定なものだろう。あくまでそうした可能性もあるというに留まるはずだ」
「だから、あの場で確認を取りたかったのよ」
オルガマリーが傲然と胸を張った。
「そして、これほどの大事をオークショナーは否定しなかった。あの場の全員がありうると思ったでしょう」
「……………………」
いや、単に弄ばれてるだけです。
意味深なことを言っておけば客は勝手に期待するから遊んでるんだと思います。あのオークショナー、見るからにドSそうだし。
言わぬが花かな、これは。
「なるほど。それで、もう一度こちらと接触を取りに来たのか。狙いがぶつからないと確信が持てたなら、互いの負担を軽減することもできるとは、私も言ったことだ。………では、私にどのように協力して欲しいのかな?」
「虹の魔眼が出てきた場合、他に入札するような馬鹿が出てきたら、あなたにも入札してほしいのよ」
「ほう?そんな金はエルメロイに無いと断言したのに?」
「だって、ふたつも
つまり、資金より権力で抑え込むつもりらしい。実に小賢しい考えだ。さすが未来の地球大統領は伊達じゃない。
「できれば、ほかの魔眼でも積極的に入札して、周囲の資金を疲弊させてほしいけれど、そこまでは望まないわ。エルメロイにしてみれば、一銭も出さずに
高慢そのものの物言いに、先生は何らの感情も見せず、唇を動かした。
「ひとまず、話は承った」
言質は与えない。
だがオルガマリーはそれで納得したらしい。君主の娘とは言えまだ子供だ。実にチョロい。
うなずいたオルガマリーが踵を返しかけて、ふと動きを止めた。
「どうしたの、トリシャ?」
「少し、私もエルメロイⅡ世様とお話して、よろしいでしょうか」
「ふうん。別にいいけど。じゃあ、先に部屋で待ってるわよ」
銀髪をなびかせ、オルガマリーが去っていく。
残されたトリシャが、扉が完全に閉まってから先生へと口を開いた。
「ひとつ、尋ねておきたいのですが」
「何かな?」
「主は、あなたが第五次聖杯戦争に参加しようとしてるのを、かつての雪辱を果たしたいのだろうと考えてましたが、私は少し違う考えを持っています」
「……ほう。よろしければ、その考えをお聞かせ願えるかな」
水を向けると、トリシャは淡い笑みと共に囁いた。
「生死を賭けた戦いを乗り越えた者が、人格を一変させるのは稀ではありません。ですが、それにはきっかけが必要でしょう。もしも先代のロード・エルメロイがそれにあたらないならば、あなたに影響を与えた者は別に必要になります。聖杯戦争の調査結果には目を通しました………十年前の第四次聖杯戦争、あなたと戦った英霊も存じています」
ぴくり、と先生の指が動く。
「ええ……人類史に刻まれた英霊などは、ひとりの人生や人格を塗り替えるに十分な強度を持っているでしょうとも」
この問答には何の意味があるのだろうか。
それを知ったところで彼女に得などない。意味のない、ただの雑談でしかないのだ。
「なかなか面白い推察だな、レディ」
と、先生は返した。
「だが、あくまでそれは推測だ。何かしら証拠があったわけじゃない」
「もちろんです」
トリシャも認めた。
「ですので、これもただの推察と思ってお聞き流してください」
そう前置きしてから、続けたのだ。
「もしも、もう一度英霊を───サーヴァントを呼び出したとして、
「え」
呟きを漏らしたのは果たしてグレイだったのかカウレスだったのか。
「英霊については、ある程度降霊術での知識がございます。ええ、本体たる英霊の座にはあなたとの記録も蒐集されているでしょう。座では時間も空間も確定せず、そこにおわす本体は膨大な記録を蓄える。………ですが、だからこそ、現世に召喚されるサーヴァントが記憶するのは生前の知識と、世界が付与する現代に必要な事柄。後は幾分の調整事項のみ。英霊の座が時空を無視して情報を集積する以上、そうでもないと知識に矛盾が生じてしまいますからね」
「───さっきから黙って聞いてれば、あんたは結局何が言いたいんだ?」
頑張ってはいたのだが、我慢が出来ずそう言った。
「かの征服王を再び召喚したとして、そのサーヴァントには先生と戦った記憶がない。そんなことくらい先生だって理解してる。それをわざわざ言う必要があるのか?」
無論、例外はある。例えばセイバー………騎士王は抑止力と契約してカムランの戦いと聖杯戦争を行き来しているため記憶を持ち続けている。
他にはあらゆる時系列から切り離された特異点、世界から隔離されたある種の固有結界など通常ではありえなさそうな事態にでもなれば可能だろう。
「この会話には何の意味もない。話したところであんたにも先生にも利益なんてないからな。それでもこんなくだらない話をするのはなにか、自分の推察が当たっているのか答え合わせでもしたかったのか?」
不愉快だ。先生だってそんなこと理解している。
それを目の前でグチグチと。意味のない事を、と先生を嘲笑っているのか、そんなことも知らないとでも思われていたのか。どちらにせよそれは先生への侮辱に他ならない。
「そこまでだ、ツカサ。彼女は私の客人。無礼は許さない」
静かな声音で、先生はそう言った。
どこまでも静かなその声音は、トリシャの言葉などとっくの昔に承知している事の証拠だ。
「アニムスフィアがそれほどまで興味を持っていたとは驚いた。───改めて聞こう。虹の魔眼と一口にいっても、さまざなな『力』があり得るだろう。あなたがたは、どのような虹の魔眼が出品されると視たのかな」
「……………」
一瞬、トリシャは眼鏡の奥の眼を細めた。
「そこまでお伝えする必要はないかと思います。いかな
「なるほど。それは道理だ」
苦笑して、それ以上踏み込むことはしなかった。
椅子から立ち上がる。
「───エルメロイⅡ世様」
と彼女が呼び掛けた。
「人間は情報に依存して生きて、情報に縛られて死ぬものです。中でも、視覚は最大の情報量を有します。ゆえ、魔眼を持つということは、魔眼に縛られるのを受け入れることです。もしも、私どもと違う魔眼を買い求めになるなら、そのことは重々お考えになられるがよいかと」
「ご忠告痛み入る」
丁重に、先生が頭を下げた。
それきりで付き人も去っていった。
「結局、何が言いたかったんだあの人」
「さて、な。………サーヴァントは前の召喚の記憶を持ち合わせない、か。これでも
どこか歌うように、先生が口にする。
「………師匠」
震えた声が、室内に響く。
グレイのものだ。まるで涙を堪えるように肩を震わせている。
「ひょっとして、私と聖杯戦争について、何かライネスに吹き込まれていたのかね」
「いいえ、いいえ。でも、そんな………」
必死にかぶりを振った。
本当に、優しい子だと思う。人のために悲しめる。人の心を労われる。人としての善性に溢れ、だからこそ逆に時計塔には向いていない。
「あの、先生」
「カウレス」
歩み出たのは、先までずっと黙って話を聞いていた少年だ。
「俺、聖杯戦争については詳しくないです。それに事情もよく知らないから、全然見当違いのことを言ってるかもしれませんが」
と、前置きしてからこう続けた。
「思い入れた相手がいるなら、その相手に覚えていてほしいと思うのは、当然じゃないでしょうか。まわりの方だって、そうあってほしいと思うのが、普通じゃないでしょうか」
どの口で───
とても真っ直ぐに語るその姿に、思わず言いかけるがなんとか堪える。
対する先生は、淡く唇をほころばせた。
「そうだな。別に私も、忘れられてもかまわないと思ってるわけじゃないよ」
葉巻の煙をくゆらせて、天井近くで視線を彷徨わせる。
「ただ、それでも会いたい相手はいる。確かめたいことはある。この十年のその先へ歩くために、終わらせておきたい『
そんなことはない。そう言いたいが言えなかった。
この人の歩んだ十年は、王の背中を追い続けた旅路は決して間違いなんかではない。
どれほど遠く、遥か彼方に輝く星だとしても、先生は一歩一歩確実に進んでいる。
一生かけても届かないかもしれない。けれどその歩みだけは絶対に無駄ではない。
諦めず歩き続ける限り、運命はそこに収束する。だから俺は、この人の歩みを見届けよう。それが俺に出来るせめてもの恩返しだと思って。