双貌塔イゼルマ 1
あれからおよそ十二年の時が過ぎた。結局俺は師匠───スカサハの弟子として修業をすることになったのだ。
拒否権が無かったこともあり、最初は嫌々だったがこれがなんと途中から楽しくなってちゃって。
もちろん、戦闘訓練の話ではない。ルーン魔術の話だ。
ケルト式の魔術も多少教えてもらったが、俺にはルーンの方が向いているとかなんとか。槍は向いてないとかなんとか……
向いているとは言ってもルーン魔術の天才である師匠には及ばない。及んでたまるかなんなんあの人? 化物すぎて怖いんですけど。
だが唯一、道具作成に関して俺は師匠を越える才能がある───らしい。正直あの人に何言われても疑ってしまう自分がいる。
でも俺の造った礼装を見てドン引きしてたしなぁ。あの顔は面白かったなぁ。
「という訳で、俺が先生に引き取られてから十年が経ったわけですけど、何か思う所とかありません? いいんですよ、たまには心の内を溢しても」
「ならばさっさと部屋から出ていけ。論文について聞きたいことがあるというから時間を取ったんだぞ」
「またまた~ずっと本読んでるじゃないですか~」
俺が師匠と出会っておよそ二年後、俺は彼……ロード・エルメロイⅡ世ことウェイバー・ベルベットに引き取られた。それはつまり、十年前彼は日本にいたという事である。
簡単に言ってしまえば、第四次聖杯戦争が行われた。
彼と出会ったのは本当に偶然だ。原作通り聖杯戦争に敗北した彼は、日本を飛び立とうとして……そこでふと魔術の気配を感じたのだという。
それが何を隠そう、俺だ。師匠から習ったルーンで遊んでるところにばったりと出くわしてしまった。
いやあ周りに人がいないと思って油断してたなぁ、俺。我がことながら情けない。
そして幼いながらにルーン魔術を扱っている俺を見て先生は「お前、ボクと一緒に来る気はないか?」と言ってきた。
ああ、驚いたとも。正直どうしようかと考えていたところにまさかのスカウトだ。聖杯戦争前の彼だったら絶対にありえなかっただろう。だがかの征服王の影響を受け、あの戦争を生き抜いた当時の彼には油断も慢心もなく、使えるものは何でも使うの精神だった。
とはいえ、そこで仮に先生が俺を引き取ったところで魔術を習い始めたばかりのクソガキだった俺に何かできるわけでもなし。むしろ食費なんかが無駄にかかることになる。
先ほど引き取られて十年と言ったが、正確には初めて会ったのが十年前。彼、ロード・エルメロイⅡ世に養子として引き取られたのはその三年後だ。
それから俺は日本を発ち、こうして魔術師の総本山、時計塔の現代魔術科に籍を置くこととなった。
わかるかね? そう、舞台は『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』だ。月でもなければルーマニアでもない。グランドオーダーなんて知りません! 比較的平和な世界線でよかった!
……とはいえ、魔術協会に所属している時点で平和からは程遠い訳だが。
ガチャ……と扉の開く音が部屋に響く。ノックをしないなんて礼儀がなっていないが、そんなことを言えるような相手ではなかった。
部屋に入ってきたのは黄金の髪の少女とメイド服を着た水銀人形。
悪名高いライネス・エルメロイ・アーチボルトとその従者であるトリムマウだった。
「ライネス嬢、ノックもせずに部屋に入るのは些か礼儀を欠きますよ。いずれエルメロイの名を継ぐ者として細やかな所まで気を付けた方がよろしいかと」
「むっ。君もいたのか。……まあ、その方が都合がいいか」
とはいえ俺は、言いたいことは遠慮なく言う派の人間なのでこの通り。先生の義妹であるライネス相手でもズバズバ切り込んでいくのであった。
「……お前達、用がないなら帰ってくれ」
「おいおい
「……カリフォルニアのコンベンションで今年話題になっていた原子力と五大要素についての魔術論文でね。ご組内用にだが限定で数十部ほどつくられたものを送ってもらった。……まあ最近は電子書籍として会員に販売もしているようだが」
そんなもの読んでたんですか。いやどうでもいいんですけどね。どうでもいいけど俺にも読ませてほしい。
だが先生は意地でも目を合わせようとしない。忙しいという訳ではなく、純粋に眼を合わせるのが嫌なのだろう。このくらいはまだ可愛いものだと思うのだが……
「で、何の用だレディ? また何か文句でもあるのか」
「───
「っ……! ……苦労どころじゃなかったぞ」
ライネスが途轍もなく悪い顔をしている。時計塔、というより魔術師という生き物はこういう捻じ曲がった性癖を持つ奴が多いのだろうか。それはもういい笑顔で眉間に皺を寄せた先生を見つめていた。
「いやあ失敬。とはいえそれなりの事情があるのは我が兄も分かっていただろう。そういえばルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトに会ったんだって? 君を
「あの娘なら早速三つの学部に志願届を出してきたぞ……」
それにしても、羨ましい。
「どうだいツカサ。かのエーデルフェルトの御令嬢ならば君の良き好敵手になるんじゃないか?」
案山子に徹していたらなんか話しかけられた。そんなことより早く本題に入ればいいのに。
「はあ。正直、魔術を底上げするのに宝石を使うのではなく、宝石を使う事を前提にした魔術に興味ないんですがね。あまり言いたくはないですが、俺にとっては宝石も道端の石も似たようなものですし」
「……君に聞いた私が馬鹿だった」
「世間話をしにきたわけじゃないだろう。さっさと今回の要件を言え。わざわざ私のところまでやってくるんだ。どうせそれなり以上にろくでもない案件なんだろう」
ライネスさん、まったく信用されてないじゃないですかヤダ~。
だがその態度を気にした様子はなく、笑みを浮かべたまデスクに両肘をついて迫るライネス。
「なに、簡単な事だとも。そこのグレイを数日私に貸してくれないかな?」
「……………。レディ」
ようやく本から目を離し、こちらへ顔が向けられる。あれ、眉間の皺増えました?
「契約がある以上、君の願い事は可能な限り善処しよう。だがそこには弟子の采配まで含まれていない。もしもエルメロイ教室の生徒が自分の手勢だと思っているなら、それは私にとっても君にとってもあまり喜ばしくない誤解だぞ」
よくぞ言ってくれました。この人は時々、お使いを頼んでくるのだ。従者にさせればいいのに。
「実は
「……社交会?」
「ああ、トランべリオ派からのお誘いさ。普通なら遠慮するところだがうちに融資してくれてるノーリッジ卿を介してるとあっては、さすがに無視できないだろう?」
「……トランべリオ派から、だと?」
空気が変わる。
先ほどまでの団欒(笑)とした空気から一変、冷たい緊張感へと早変わり。つくづく、魔術師というのは面倒くさい生き物だと思う。
先生が、低い声で尋ねた。
「社交会の趣旨は?」
「その前に、我が家庭教師にひとつ尋ねてもかまわないかな?」
人差し指をあげたライネスは、先生の答えを待たずに即座に続けた。
「我が師に問う。───美しさとは、そもいかなるものか」
突然の、禅問答のような発言。それに対し重苦しく溜息を一つ付いた先生は卓上に置いてあった三角定規とコンパスを取り出した。
「ツカサ。魔術における美を定義するとき、真っ先に思い浮かべるものはなんだ?」
「なにって……先生が今描いてる黄金比じゃないですか?」
メモ用紙に手慣れた仕草で正方形を描いてから、その一辺にすうとコンパスで円を描いていく。正方形の一辺を延長し、円との接点を使ってとある長方形をつくり上げた。
「その通り。フィボナッチ数列の隣り合う二項の比──つまり、おおよそは短辺を1として長辺を1.618とする長方形。地域や時代を問わず、人類が美しさを見出す比率だな。もちろん黄金比以外でも、トンボの羽や蜂の巣といったハニカム構造、オウムガイや竜巻、銀河の星雲が形成する対数螺旋などに、調和の美を見出すものは多い。当たり前だが、多くの魔法円や工房も数字上の調和抜きで安定することなんて不可能だ。美しきもの、汝の名は数字なり。とでもいうところか」
「……ハムレット?」
いやハムレットは確か『弱きものよ、汝の名は女なり』だったか。
つらつらと言葉を編む姿には毎度感心する。よくもまあ、流れるように語れるものだ。俺もそのスキルがほしい。
「伝承では確か、古代ギリシャの建築家ペイディアスが発見したって説があるんでしたっけ」
「ははあ。ペイディアスの名前はなんとなく覚えてるぞ。確か、数学でφの記号のもとになった人だろう」
「というよりφ自体が黄金比を表す記号だったと思いますけど……」
「ペイディアスはパルテノン神殿の総監督を請け負った建築家で、世界の七不思議にも数えられるオリンピアのゼウス像をつくった人物だ。……ふん、それこそひとつ間違えれば英霊にでもなりかねない人材だな」
少し間をおいて、先生は懐から葉巻を取り出した。シガーシッターで先端を切り落とし、マッチで炙るようにして火をつける。
「……が、こうした美とは別に、時代や地域によって変異する美しさがある。つまり、『流行』というやつだ」
言って、ゆっくりと煙を吸い込む。
今更なのだが帰ってもいいだろうか。え、ダメ? そう……
「この『流行』とは、何もファッションや音楽だけに属するものじゃない。おおよそありとあらゆる人間の文化に表出する」
「ほう。我が兄よ、あらゆる文化とは大きくでたな?」
「事実だからな」
と、先生は葉巻をくゆらせる。
「古典の再評価だとか再発見だとか、いくらでも聞くだろう。そうした『流行』は、現代魔術的に考えるなら集合的無意識から定期的に浮上するものだ。深い海の底から、時折顔を覗かせる氷山の一角にたとえてもいい」
「つまり、単純に個人が好きになったり嫌いになったりしているだけの現象とは異なると?」
「私達の嗜好は純粋に内発的なものではなく、さまざまな外的環境に影響され続けている。この路線だと、宗教も分かりやすく美しさが絡む例だな」
「宗教?」
「ああ。宗教はその理念が美しいと認められるからこそ一般に浸透する。あれだけ偶像崇拝を禁じているキリスト教が、マリア像などの宗教芸術には熱心なのはそういう理由だよ。理念としての美しさと芸術としての美しさをセットで提供することで、過去の多くの宗教はその時代の信者を確保してきたわけだ」
宗教とは、美しさに起因するもの。なるほど、そういわれると思わず納得してしまいそうになる。無信仰の俺にはあまり関係ない気もするが。
「そして、この美しさもまた定期的な『流行』と無関係じゃない。なにしろ、ミトラ教とマニ教が同じ地域で入れ違いに勃興して衰退する繰り返しに、限定された集合的無意識の変遷を見出す論文もあるくらいだ」
「ちょっと待ってくれ。つまり、私達がどんな宗教に帰依するかも『流行』だって?」
「そうだとも」
「それ、聖堂教会の人達を相手に、絶対に言わないでくださいね」
割と本気でシャレにならない。埋葬機関とかが出張ってくることはないだろうが、もしそんなことになったら此方も出し惜しみとかしてる場合ではなくなってしまう。
あの人たち容赦ないから嫌いなんだよなぁ。今度会ったらご自慢の礼装かっぱらってやろうか。
「要するに、どういう宗教が好まれるかも『流行』によって変わるんだ。おおよそメジャーな宗教は複数の路線を持っていて、時代の『流行』に応じて切り替える事で、対処できるようにしているがね。ブッディズムだと大乗と小乗、キリスト教なら旧教と新教、一見対立しているように見えるが、つまるところはそのときの人々の『流行』にうまく応えてきた結果だよ」
「……なるほど、壮大な話だな」
本当にね。『美しさとは』という話が宗教の信仰にまで発展したのだ。これを壮大と言わずになんというのか。
でも流石に話が長すぎる。ちょっと飽きたぞ。
「長々と話したところで、そろそろ本題に入りません? つまり、ライネス嬢が問う美しさとはなんなのかについて」
「ふむ。私が思うに───彼女が言いたいのは、こういった『流行』や数学的に証明されたような代物ではない。いいや、そうした常識を超越した美を、
ようやく進めた、今回の話の核心。
「ふふふ? まあ、我が兄にはいささか簡単すぎたかな?」
素直に受け入れて、ちろりと舌を出す。
世に美女の伝説は数多ある。有名どころで言えば『クレオパトラ』『楊貴妃』『ヘレネ』の三大美女だろう。だが先ほど先生が語ったように、美の定義とはいい加減なものだ。
足が長いことに、首が長いことに、指が長いことに美を見出す者もいれば、ひたすら長い髪に美を見出す者もいる。そういった地域的・時代的な美的感覚も含めて、ロード・エルメロイⅡ世は『流行』と定義していたのだ。
だがもしも、そんな常識からも隔絶した存在があるとしたら?
時代、地域、人種。それらすべてを越えた完璧な『美』があるとしたなら。
それは、まさしく……
「……なるほど。社交会とは、黄金姫、白銀姫のお披露目か」
「───胃薬を用意しておきます」
先生にはもう必須でしょう?
◇
窓からの日差しが、昼下がりの憂鬱さを湛て、彼の横顔を斜めに通り過ぎていく。滞留した葉巻の煙は、そうした光の帯をくっきりと浮かび上がらせていた。
「……そうか。今代の黄金姫、白銀姫もそろそろだったか」
「はい。噂は時計塔内でもチラチラと聞きますね」
白い指がとんとんと先ほどのメモ用紙を叩く。
「うん。そうなるとトリムだけではいかにも心細い。だけど、時計塔の社交会に連れていけるようなボディーガードに心当たりがなくてね。我が兄も探偵はともかく護衛役向きとはいいがたいし、ここは内弟子の力をお借りしたいと思ってね」
俺は?
「だったら、お前からグレイに頼め」
「む」
ねえ俺は?
「さっきも言ったが、私の生徒だからといって自由に使えると思わないでほしい。だいたい、お前とグレイは私の生徒という意味では同輩に違いないだろう。そういう要望があるなら私を通さずに自分で依頼すべきだ。」
「つまり……個人で依頼する分にはかまわないと?」
「そう言ってるだろう」
「う、うむ……」
俺には頼んでくれないんですか? グレイ一人じゃ荷が重いと思いません?
というかライネスも普通にグレイを誘えばいいのに。彼女の性格ならまず断らないだろうし。
「変な所でコミュ障ですよね」
「う、うるさいっ」
「……あの」
扉が開いた。
小柄な体をますます縮めるようにして、灰色のフードを被った灰色の髪の少女がそこに佇んでいたのである。
「……そのお話、拙は受けてもかまいません」
「グレイ」
「……すいません。聞くつもりじゃなかったんですが」
グレイがおどおどと言ったところで、新たな声が部屋に響いた。
「イッヒヒヒヒ! 俺の耳には届くもんだからさ! みっしり告げ口したぜ!そりゃもう『
グレイの右手辺りから奇怪な声がする。
ふわ、とフードが舞い上がった。固定具の外れる硬い音を立てて、その右袖から鳥かごのような『檻』に封じられた───目と口を封印された奇怪な
「……アッド」
苦々しげに先生が呟く。
アッドは人格付与をされた
……一回でいいから解析させてくれないかな。
「グレイ。本当にいいのかね? たいていの上流社会でそうだろうが、とりわけ時計塔の社交会は華やかなだけの代物じゃないぞ」
「は、はい」
と、灰色の少女は頷いた。
「……拙も、
「……なるほど」
なんとなく、先生はいつもより複雑に顔をしかめた。この少女の口から発せられた言葉として、何かしら思うところがあったのだろう。
「だったら決まりだな。感謝するぞグレイ」
「は、はい」
突然手を握られたグレイは、赤面したままうつむき、それからやっとぼそぼそと言葉を付け加えたのであった。
初々しくていいと思います。はい。
「でも今回の社交会はグレイ一人だと荷が重くありません? 噂通りならあの人も来ますよ」
「む……ま、まあ問題ないだろう。別に争いに行くわけじゃないんだし?」
「ほほう、まさか争いにならないとでも?」
あっはっは、そんな訳なかろうに。魔術師たるもの、常に最悪を想定するものですぞ。
「あ、そういえば先生に報告したいことが」
「ち、ちょっと待て! まさか、何か起きるのか!? 君がそう言う時は碌なことが起きないんだぞ!?」
「───第五次聖杯戦争の協会枠がほぼ決まりました」
ライネスの叫びを無視して先生に向き合う。
「一人は封印指定執行者のバゼット・フラガ・マクレミッツ。ああ、俺が一度揉めたことがあるので先生もご存じだと思いますが、あの脳筋女ですね。聖杯戦争に個人の実力はたいして意味ないというのに。───一応もう一枠ありますが、抜擢された魔術師が金を積まれて譲り渡したそうですよ。魔術師と言えど、お金に縛られるんですから世知辛いですねぇ」
「………協会枠だけが、聖杯戦争に出る手段じゃない。なんにせよ、エルメロイの補填の目途がついてからだ」
「ですね」
でも正直、黄金姫・白銀姫は見てみたかった。至高の美、最も美しいヒトがどれほどか興味があったのに。
それだけが残念だ。
【次回】9月9日18:00更新!