Fate/Reach Boundary   作:日彗

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双貌塔イゼルマ 5

 

「私の持つ聖遺物を今の約束に賭けよう」

 

「ま、さか……それは第四次聖杯戦争の……」

 

 それは第四次聖杯戦争にて、先生……ウェイバー・ベルベットがケイネスから盗んだもの。古代マケドニアのとある王にまつわるもの。

 征服王のマント。

 正確にはその切れ端ではあるが、一時は世界を統一しかけたとまで言われるかの征服王イスカンダルを呼び出すにたる聖遺物。

 

実戦証明済み(コンバットフルオープン)。私が第四次聖杯戦争で生き残った理由。かの大英雄を呼び出した聖遺物を賭けようとそう言ってるんだ」

 

「………いやはや、金にならない弟子がそんなに大切とはね。だが私も他人の信念に口を挟むほど野暮じゃない。何より交渉により良い対価を払おうとする覚悟を無下にはできない。最大の厚情をもってその願いを受けようじゃないかロード・エルメロイⅡ世」

 

 なんだこいつ、急に饒舌になりやがったぞ。キメェ……

 

 

 

 

「大した魔法だな」

 

 月の塔のロビーへ到着すると、イノライは長椅子に座ったままウィスキーグラスを持ち上げた。こんな時でも酒を飲んでいるイノライには呆れるが、これも器の大きさが成せるものなのかもしれない。

 

「魔術師が魔法なんておいそれと口にするものではないでしょう」

 

「いやいや今のお前がやったのはまさしく魔法だよ。魔術なんて現実改変手段じゃなくてある種の不可能を可能にしたという意味でね。ガリアスタの坊主もまさかこんな方法で丸め込まれるとは思ってなかっただろう?」

 

「そこは否定しませんよ。目先の利益に飛びついてしまった。まあ、あんな馬鹿げたギャンブルをする君主(ロード)が時計塔にいるとは聞いていなかったので面を食らったというのもありますが」

 

 アトラムが嫌味まじりに返す。

 実際その通りだ。先生の持つ聖遺物、それがどれほどの価値があるのかこの場の多くの者が知っているだろう。グレイなんて二時間たった今も動揺が消えてはいない。

 

「ツカサも苦労をかけたな。彼女の相手をするのは大変だっただろう」

 

「大変なんてもんじゃありませんよ。現代最高峰の魔術師を相手に殺さず時間稼ぎなんて鬼畜の所業ですからね。別にいいですけど」

 

 ロビーには事件に関わった人物が勢揃いしている。

 イノライとミック・グラジリエ。

 アトラム・ガリアスタ。

 白銀姫。

 レジーナ。

 マイオとイスロー。

 バイロン卿。

 フラットとスヴィンは先生の指示で席を外しているがそろそろ帰ってくるだろう。ガリアスタの襲撃者達も数人遠巻きに見守っている。残りの人員は塔の外に待機しており、内部で波乱があれば躊躇なく突入してくるだろう。

 その時は今度こそ俺も躊躇ったりしないが。

 

「……で、ロード・エルメロイⅡ世。全員集まればご自慢の推理を聞かせてくれると豪語していたね?」

 

「推理とは言ってませんよ。推測です。何しろ理はない」

 

 そこはどうでもいいんですよ、とは言えなかった。他人にとってどうでもいいことでも、先生にとっては重要な事なのかもしれない。

 この事件、もしも解決できなければ先生が失うものは甚大どころではない。エルメロイの権力などどうでもいいが今回提示されている聖遺物だけは何が何でも死守しなくてはならないものだ。

 最悪、ここにいるエルメロイ以外の魔術師を皆殺しにしてでも……。

 

「あの、ツカサさん……」

 

「グレイ? どうかしたか?」

 

「いえ、あの……師匠は大丈夫なのでしょうか」

 

 グレイも同じ心配をしているようだ。ライネスから先生の経歴でも聞いたのだろう。あの聖遺物が先生にとってどれだけ大事なものなのかも。

 

「大丈夫だよ。先生はちゃんと答えにたどり着いてる。さっきの黄金姫の投影がその証拠だ」

 

「……蒼崎橙子も同じような事を言ってましたが、それはどういう……」

 

 先程の投影魔術は衛宮士郎のものとは異なり、触媒である白銀姫を魔力で構成した膜で覆ったようなもの。長時間の維持はできず、魔力の消費もかなり多い。

 だが人間の表面だけを取り繕い別人へと変質させたことが、この事件の真相を解くカギになる。

 

 その後没収されていたトリムマウを返してもらい、別件で離れていたフラットとスヴィンが毛布に包まれたメイドのカリーナの死体を持ってきた。

 そのままスヴィンは死体を床に横たえ、そばに先生がしゃがみ込む。

 ルーペやらペンライトやらいくつかの器具を取り出して検分を始めた。つくづくこう言った姿が似合うと思う。魔術師よりも探偵向きなのだこの人は。 

 魔術師としてあまりにも無様な姿に周囲はひそひそと囁きを交わす。だがそれを、地面を強く蹴り舌打ちを一つ零すことで黙らせる。

 先生本人は集中しすぎて気付いていないようだが、義理でも父親が貶されて何もしないわけにはいかない。

 

 しばらくして、

 

「やはり」

 

 と先生は小さく呟いた。

 

「鼓膜が剥離されている。意図的に聴覚を奪った跡だ。徹底的にやるなら、まあそうなるだろうな。本人も言ってたように、魔術によって補助できる環境なら、ほぼ問題にならないのだろうし」

 

 先生の述懐はカリーナを殺した犯人の所業と、周囲には聞こえただろう。

 だが違う。()()()()()()。既に殺されている黄金姫も同様に遺伝的な問題で聴覚を失っているのだ。

 眉を寄せ、黄金姫・白銀姫の衣装を織ったというイスローが尋ねる。

 

「……それは……どういう意味……なんだい……?」

 

「ああ。では、結論からいこう」

 

 ゆっくりと立ち上がり、深く溜息を吐きながら一度、俺の方に視線を向けてくる。

 それに対して俺は何も答えない。答えるまでもないと言う意思を表示する。

 それで納得してくれたのか、先生はカリーナの死体を前に、堂々と真実を口にした。

 

「彼女が、黄金姫だよ」

 

 しん、と沈黙が落ちた。

 魔術でもかけられたかのような───一切の音が世界から突然失われたにも等しい沈黙であった。

 

 

 

 

「先生、結論を急ぎ過ぎです。順を追って説明しないと伝わりませんよ」

 

「言葉の通りだ。私は参加していないが、今回のイゼルマの社交界でお披露目された黄金姫は彼女なんだよ」

 

 普段は地に足がついているどころか、足の裏に根っこでも生えているような性質なのに、ごく稀に飛躍し過ぎた結論を口にして生徒達をあっけに取らせる。

 おかしくなったのではないか、とは誰も言わなかった。

 そんな風に評するにも、先生の言葉は度を越えていたのだ。

 魔術など使わずとも、否、これもまたある種の魔術なのかもしれないが、先の一言によってこの空間の主導権は間違いなく先生が握った。

 

「………さっきの、ビックリ箱みたいな投影かい? だが、あれはもともと黄金姫と酷似している白銀姫があってのことじゃないのかな」

 

 アトラムの言い分はもっともだ。先の投影は白銀姫という触媒とライネス、マイオ、イスローの魔術師が総がかりでようやく数秒成立した幻。それをこのメイドにしようとしても同じ方法では成立しないし、そもそもお披露目の時間にはあまりにも短すぎる。

 

「もちろん、方法は違います。というよりも、そこがずっと分からなかった。そもそも、黄金姫を完成させるのにだってあまりに時期がよくなかったからです……フラット」

 

「はいはーい。書きあがってまーす」

 

 手を上げたフラットが、とある図面を持ち上げる。

 それを見たライネスが、ふっとトリムマウの腕に息を吹きかけた。魔力の込められた吐息によって水銀メイドの腕が掻き消え、薄ぼんやりとした霧が周囲を覆う。やがて、きらきらと周囲の光を取り込んだ靄は、描かれた図面を空中に再現したのである。

 ホロスコープ。

 一つ一つの惑星と軌道が記された天体図だ。

 

「ここのお歴々なら、現在の時期のホロスコープなど頭に入ってるでしょうが」

 

 と前置きしてから、師匠が続ける。

 

「陽の塔と月の塔。黄金姫と白銀姫。イゼルマの術式は徹底的に太陽と月の術式から成り立っている。しかし、イゼルマがガリアスタと競い合った呪体を手に入れたのはせいぜい一カ月前で、太陽と月の折り合いがよい時期は数ヵ月前に過ぎ去っているからです」

 

 先生の指が、空中のホロスコープの太陽と月を指さす。

 

「最上は真昼の日食。太陽と月が同じ座に位置するコンジャクション。次善で太陽と月が向かい合うオポジションに、造形を司る土星を百二十度(トライン)の位置に配することですが、どちらも季節柄一致しない」

 

「お前……!」

 

 バイロンの顔色はもはや憤怒を越えて青黒く染まっていた。

 今していることはイゼルマの術式を丁寧に解体しているのと同じこと。しかし迂闊に抗弁すれば自分から秘奥を暴露することになる。

 

「ですが、そもそも別のものを太陽に見立てるのなら、問題なかった」

 

「ほう。別のもの、というのは?」

 

 興味津々に身を乗り出して質問するアトラム。敵であるイゼルマの術式を解体しているからか、妙に上機嫌でノリノリだ。

 

「ええ。魔術においては、しばしば他の惑星が太陽に見立てられます。とりわけ金星は太陽によく見立てられる。全天で最も明るい惑星であるためでしょう。この理由から、極東では金神と言われて恐れられ、聖書では天より墜ちたルシファーだとも言われた。曙の明星。宵の明星。さらに金星はヴィーナスの星でもあり、ルーツをたどればメソポタミアのイシュタルにも関連する。今回のように美の精髄たる魔術に応用するなら、最良の見立てだったと言えるでしょう」

 

「ロード・エルメロイⅡ世」

 

 白銀姫の麗らかな声が、先生の名を呼んだ。

 

「呪体と見立てのお話がどう関連するのかは分かりませんが、では私達が見たディアドラ姉様──黄金姫の死体は何だったのですか。今もお姉様の部屋でそのままとなっているはずですが」

 

 死体は腐敗や劣化を防止するための最低限の魔術がかけられているが、現場保存として黄金姫の死体はほぼそのままになっている。

 

「あの死体は本物の黄金姫ですよ白銀姫様。先ほど先生が仰ったように、お披露目に出てきた黄金姫ではありませんけどね」

 

「………………?」

 

 視界の端でグレイが首を傾げている。

 そもそもこの質問は意味がないものだ。あの死体が黄金姫本人のものであることなど、彼女達はとっくに思い至っているはずなのだから。

 

「なるほどなるほど」

 

 イノライが愉し気に唇を歪める。

 

「道理でやたらに切り刻まれていたわけだ。まあ逆の立場ならオレでもそうするな」

 

「ええ。本物の黄金姫は()()()()()()()()()()()()()()()んですよ。あの死体は保存していたものを、お披露目の後で部屋にばらまいただけのものだ」

 

「な、なにを言ってるんだ!」

 

 バイロンが叫び、至極冷ややかに先生は答えた。

 

「今更、隠し立てされることもないでしょうバイロン卿。だいたいガリアスタが介入した段階で隠し通せるものでもない。科学的な鑑識でなくても、時計塔の専門の魔術師が見れば、少なくとも死亡時刻の折り合いがつかないぐらいのことは明らかにされます」

 

「……っ、お前が、この場で証明できるわけじゃあるまい。だったら、これ以上くだらない妄想で、我らの名誉を毀損されるのは御免被る」

 

「でしたら、証言をお願いしましょうか」

 

 言って、師匠はぐるりと振り向いた。

 居並ぶ魔術師たちのひとり。その中で最も目立つ、煙草をくわえた痛んだ赤色の女。

 

「おやおや、私に? どういうことかな?」

 

 面白そうに橙子が一歩前へ出る。

 この期に及んでまだ己のしたことについて察していないこの女にはムカつくが、この姉妹はそういうものだと割り切るしかないのだろう。

 大理石の床が堅い音を立てて、先生は足元の死体を丁寧に触れた。

 

「彼女を見ていただきたい」

 

「ふむ。今の君の話なら、お披露目に出ていた黄金姫が彼女だということかな?」

 

 確かめるように、橙子が訊く。

 先生は小さくうなずいて答えた。

 

「ええ。あのお披露目の黄金姫こそ彼女です。あなたが()()()()()()()()メイドのカリーナですよ。蒼崎橙子」

 

 再び沈黙が落ちた。

 あるいは、言葉の意味をはかりそこねていたのかもしれない。

 

「これはこれは」

 

 と、橙子がいかにも愉しそうに微笑する。

 

「私が整形手術して黄金姫にした? 光栄かつ残念だがまったく記憶にないぞ。確かにわりと忘れっぽい方なんだが、アルツハイマーでも疑わないといけないかな」

 

「もう結構な年ですしね」

 

 橙子の鋭い視線が向けられるが、肩をすくめるだけで受け流す。

 こっちは迷惑を被ったのだ。このぐらいの意趣返しは認めていただきたい。

 

「まずは見ていただければ」

 

「では遠慮なく」

 

 橙子がしゃがみこみ、死体の頬の線や耳の裏を探り始めた。

 

「……ああ。確かに最低限だが施術の跡があるな。魔術による整形なら、術式によるが手術跡も間接的なものだけですむ。治療用の魔術を用意しておけば糸で縫う必要もない。普通に生活する分にはまず見つかるまいさ」

 

 先生のように器具は必要としない。何せその道のプロだ。曲がりなりにも冠位の魔術師、死体の何か所かをなぞるだけでその痕跡を見つけられる。

 

「あー、いろいろごめん。これ、間違いなく私の仕事だ」

 

 その発言に、一同がどよめく。

 そして思い至ったようにこちらへと顔を向けた。

 

「そうか、君が私にあれだけの敵意を向けていたのはこれが原因か」

 

「まあ三割程度は、そうですね。ですがまだ謎は残ってるでしょう。例えば、なぜ貴女はそんな大事な事を忘れていたのか、とか」

 

「別に忘れていたわけじゃないさ」

 

 言下に、先生が告げる。

 

「単に、覚えていなかったんですよ」

 

「……ほう?」

 

 橙子の眉根が寄った。思い至ることがあるのだろう。

 ついで、先生はもう一人の人物へ振り向いた。

 

「マイオさん」

 

 と、今度は薬師の方に呼び掛けたのだ。

 

「は、は、はい」

 

「最初にライネスたちとお会いした場で、酔い薬を使っていたそうですね」

 

「……え、ええ」

 

 認めたマイオに、続けて先生は言葉の刃を振り落とした。

 

「……だったら、あなたには()()()()()()()()()()がつくれるんじゃないですか?」

 

「…………っ!」

 

 人間は何かを認識した際、ついさっき体験したことを保存するための短期記憶から、おおよそ半日から一カ月ほど保存するための中期記憶へと移行させていくのだが、アルコール類はこのための伝達物質の働きを鈍らせ、脳に定着するのを阻害する。これは何も科学だけの話ではなく、魔術においても重大な意味を持つため現代魔術科の講義で語られていた。

 つまり先生が言いたいのは、それを人為的に引き起こす術式を、短期記憶から中期記憶だけでなく、中期記憶から長期記憶への移行を阻害する薬物もつくれるのではないか、ということだ。あるいは、記憶させたくない分野を、何かのキーワードなどで限定することも。

 

「ふむ。私が気付かずにその記憶阻害の薬を飲んだと?」

 

「いいえ。あなたがそれほど迂闊とは思っていません。しかし、そうした薬の服用がもともと依頼の条件に含まれていたならば、場合によっては引き受けるんじゃないですか」

 

「なるほど。それなら依頼の面白さによるな」

 

 先生の問いかけを、蒼崎橙子は肯定する。

 時計塔の最高位たる冠位(グランド)が惹かれるほどであれば、と。

 そして先生はさらに言葉を紡ぐ。

 

「なぜ、整形を依頼したのか」

 

 人差し指をあげた。

 

「なぜ、蒼崎橙子の記憶を阻害したのか」

 

 中指もあげた。

 

「別に込み入った話じゃない。黄金姫が死んだなどという情報を外に出せるはずがないからだ。それぐらいなら、どれだけ報酬を積んでも彼女の再生を望むだろう。──たとえば、偽物を作ると言う方法でも」

 

 バイロンはもはや抗弁しなかった。

 アトラム達熟練の魔術師たちも、ただ先生の話に聞き入っている。

 スーツの懐のシガーケースから葉巻を取り出す。マッチの火でゆっくりと炙ると、葉巻はぼんやりと赤く灯った。

 

「そして、どのような術式を使ったかも、ほぼ明示されています」

 

 加えた葉巻が、紫煙とともにじりじりと燃えていく。炭化していくその先端を見ながら、先生はぽつりと呟いた。

 

「おそらくは、()()でしょう」

 

「っは!」

 

 突然、橙子が笑いだす。

 さもおかしくてたまらないよ言うかのように、自分の腹部を押さえて愉快そうに声をあげたのだ。

 

「はは、ははは!はははははははは!そうか()()()()か!なるほどな、そんな単純な話だったのか」

 

「ええ。弟子にも指摘されたことですがね、どうやら私たちは事を難しく考えすぎていたようだ」

 

 先生が一瞬だけこちらに視線を向けて頷く。

 灰かぶり。即ち()()()()()

 知らない人はいないだろう世界的に有名な童話。

 灰を被ることで別人へと生まれ変わった、一人の少女のお話だ。

 

「バイロン・バリュエレータ・イゼルマ。アトラム・ガリアスタ」

 

 と先生は水を向けた。

 

「先程も話しましたが、もう一度聞きましょう。あなたがたがオークションで争った呪体について、もう少し詳しく説明しても構いませんね?」

 

「好きにすればよかろう」

 

「必要なら」

 

 その返事を受け取ってから、先生は口にした。

 

「争われた呪体は、菩提樹の葉」

 

 欧州の菩提樹は神聖な象徴として知られ、聖母マリア信仰や多くの聖人に結びついている。街の中心となる教会や裁判所にもよく植えられ、それ自体が薬効を持つことから、魔術師や錬金術師の間ではひそかに使われてきた植物でもある。

 だが今回のそれは全くの別物。ただの菩提樹の葉であればここまでの騒ぎなど起こるはずがないのだ。

 

「ただし、こちらはとある英霊にまつわる、()()()()()()()()()()()()です」

 

「………………っ!」

 

 全員が硬直する。

 誰もが思い浮かべたのだろう、その伝説を。

 

 ジークフリート。

 

 麗しき『ニーベルンゲンの歌』に登場する、英雄の中の大英雄。邪流ファヴニールを打ち倒し、聖剣バルムンク、ラインの黄金、そしていかなる武具も爪牙も傷つけられぬ不死の身体と成った騎士。その背中には一枚の菩提樹の葉が張り付いて、彼の不死を損ねるたった一つの急所をつくったという。

 アポクリファ時空においてゴルド・ムジーク・ユグドミレニアが英霊ジークフリートを召喚する際に触媒とした秘宝。それがまさに、今回の議題に上がった菩提樹の葉に他ならない。

 

「……待った」

 

 と、アトラムがやにわに立ち上がった。

 かすかだが、声音のよどみが露わとなっている。話の流れから、やっと隠されていた真実に気が付いたらしい。

 

「何か? やはり呪体の話は問題が?」

 

「違う。さっき灰かぶりと言わなかったか。まさか、それは」

 

「……ああ。仮にも竜血を受けたなら、菩提樹の葉も普通の手段では朽ちぬようになっていたでしょう。それをわざわざ普通じゃない手段で燃やして、使い捨ての灰にしてしまった魔術師がいます」

 

 今度の沈黙は、全く性質が異なっていた。

 そうだ、これだ。俺が怒っていた理由のもう三割。世界の宝ともいうべきものを率先して燃やし尽くす蛮行。英霊ジークフリートを呼び出せる数少ない聖遺物をこの世からなくしたことを、他ならぬ俺が許せるはずがない。

 

「ま、さか……ミス・アオザキ。いくらあなたでもそんな……」

 

「いや、私ならやるな」

 

 アトラムが窒息しそうな表情で、バイロンは懇願するような顔つきだった。その気持ち、わかる。痛いほどわかるよお二方。この女殴りたくなるよね。

 

「そうか。竜血を受けた菩提樹の葉で、灰かぶり(シンデレラ)の術式か。最高の相性じゃないか。ジークフリートの逸話は、ひとりの人間が不死になったというよりも、不死の英雄として生まれ変わらせたという側面が強い。灰かぶり(シンデレラ)に至ってはなおさらだ。もとより化粧も着飾ることも魔術に違いない。そこから整形手術へ一歩進める段において、英雄への生まれ変わりを担った菩提樹の葉なんて、完璧すぎる呪体だ。どうして私は覚えていないのかと頭を切り刻みたくなってくるぞ」

 

「わかっただろグレイ。これだから蒼崎は嫌いなんだ」

 

 周りの魔術師たちも、あのライネスやフラットでさえ呆然としている。魔術師としてはいささか規格外なあり方の彼らでさえ、橙子の行動は破天荒に過ぎるのだ。

 魔術師とは過去に縛られ、過去に盲従するのが当然とされる現代で、神秘の塊ともいえる秘宝を面白そうの一言でぶち壊す。跡継ぎがコレとアレの二人しかいなかった先代蒼崎家当主には深く同情する。

 

「なるほど、すべて合点がいった。君が私に向けた言葉の意味、怒りの理由が。ははっ、言われた当時は全く意味が分からなかったが後々になってストンと胸に落ちる。まるでアトラスの錬金術師共と話しているようだ」

 

「何勝手に納得してるのか知りませんけどね。俺があんたに怒ってる理由は()()()()あるんだ。……クッソ、ジークフリートがどれだけすごい英雄か、聖杯戦争を知らないあんたらには理解できないんだよ」

 

 アポクリファではカルナと正面から剣戟を交わし、FGOでは為朝の月光大砲を相手にその不死性と極まった剣技を発揮した。聖杯戦争で召喚したら普通に優勝が狙える大英雄だぞ。

 

「どう……して……」

 

 はたして、バイロンも大きな音をたてて唾を飲み込み、橙子へと振り返った。

 

「どうしてだ! ミス・アオザキ! あなたが報酬として要求したから取り寄せた品だ! それをどうして私の依頼に! それではあまりにも!」

 

「ああ、そうだったのか。それは貴重なものをありがとう」

 

 切々とした訴えに、橙子はただのんびりと肩をすくめた。

 

「私は忘れているけど、君主(ロード)の推測が正しいなら()()()の私の考えはよくわかるよ。面白そうな依頼を受けた。けれど雇い主の用意した資金と材料では仕上げのランクが落ちるのは明白だった。だから自分の報酬を使って、自分にとって満足のいく仕事にした。ほら、すごく合理的だろ?」

 

「ば───誰もそこまでの仕事(もの)にしろとは言っていない! はじめから、あの夜を乗り越えられるだけで十分だと……!」

 

「いやあ、そこは諦めて。ほら。私、そういう性格だから」

 

 苦笑しているロード・バリュエレータを除いて、ほぼ全員が絶句していた。

 魔術師として彼女が言っている事は、決して間違えてはいない。

 間違えてはいないが、そんなことのために聖遺物を燃やされてはたまったものじゃない。

 

「……これによって、さきほど話した見立てが成立します」

 

 そしてもうひとり、衝撃にとらわれぬ魔術師が言葉を添えた。

 さきほど金星を太陽に見立てると言った。

 だが、それは単に言葉遊びのようなものではない。かほどに貴重な呪体を費やし、冠位の魔術師が自ら施術に乗り出すほどの大儀式によって成り立つ見立て。

 

「黄金姫を美しくするための術式ならば、天体の時期は合一しなかった。しかし、別の女性を黄金姫につくりかえるための術式ならば───金星を太陽に見立てるのならば、魔術は成立する。太陽と月ならば、それぞれが向かい合うオポジション、さらに造形を司る土星の位置が月と百二十度(トライン)になければならない。しかし、太陽を金星に見立てる場合は話が別だ。見立てると言っても金星が惑星であることは変わらない。つまり、月と金星と土星がそれぞれ百二十度(トライン)の位置にあればいい」

 

 先生が指と葉巻を振ると、ライネスの手が動き、空中に浮かんでいた天体図がぐるりと回転した。

 先に見せていたホロスコープから、いくらか星々の位置が動く。

 そのホロスコープに、何人かの魔術師たちがああ、と声をあげた。

 

「実際の時期は、おおよそ一カ月ほど前。イゼルマが呪体を手に入れたオークションの時期と一致します」

 

 百二十度(トライン)。先生の言った場所に、ぴたりと月と金星と土星が収まる。

 順序が逆なのだ。その時期だったからこそ、依頼された燈子は菩提樹の葉を呪体として要請したのだ。

 黄金姫のお披露目の時も、バルコニーまでの距離があった上、黄金姫と白銀姫を紹介しただけ。カリーナの代わりにホムンクルスでも人形でも、ただ背格好の似た他の従者に同じ服を着せただけでも問題にはならない。むしろメイドが片方にしかいない方が怪しまれるため、バイロンも努力は惜しまなかっただろう。

 そして黄金姫の死体が見つかった時のことはもっと簡単だ。灰かぶり(シンデレラ)の術式はもともと、効果はあっても長持ちしない。物語でシンデレラにかかった魔法が一夜で解けたように。

 

「ペローにせよバジーレにせよ、グリム兄弟にせよ、結果は同じ。主人公にかけられた魔術はパーティの直後に解けるんだ。おそらくは、本物の黄金姫の死体をばら撒き、あの部屋の魔術錠(ミスティック・ロック)をかけた後に、蒼崎橙子の術式も解けたのだろう。ああ、冠位の魔術師による整形手術が魔力の波長にまで徹底していたのか、そもそも部屋の鍵がカリーナ用に入れ替えられていたのかはどちらでもいいだろう」

 

 ライネスもグレイも気付くべきこと、気付ける瞬間はいくらでもあっただろう。

 例えば黄金姫の来訪の時、普通に対応できたこと。その時付き添っていたメイドがカリーナでなく双子のメイドのレジーナであったこと。

 普段なら気付けていたかもしれない。だが二人そろって気付けなかった。それだけの衝撃がお披露目での黄金姫にはあったのだろう。

 一瞬見ただけで呼吸も何もかも忘れるほどの美貌。突き抜け過ぎたソレは、時間がたってなお冷静な判断力を奪っていた。

 

「……少し、いいかな?」

 

 イノライがウィスキーグラスを持ち上げながら問いかける。

 

「整形だというならば、あくまでもとの黄金姫をなぞることが目的だろう。だが、俺の馬鹿弟子が整形したという偽の黄金姫は本物以上の域に達していた。あれはなぜだ? 馬鹿弟子の腕か? 使った呪体のためか?」

 

「蒼崎橙子と呪体の影響もあるでしょう」

 

 と、先生は発言の一部を認める。

 

「ですが、それ以上の理由が存在します。魔術における美の効用を、あなたなら十分ご存じのはずです。()()()()()()()()()()()()()()()()、と」

 

 美術とは一種の共感呪術であり、鑑賞することで観測者の魂や霊性が浄化される感覚こそが美しさの正体である。魔術では『美』をそう定義しており、もしも究極の美なるものが存在するならば、それは観測者自身を高次元に引き上げてしまうかもしれない。

 

「これが魔術における美の一端です。黄金姫と白銀姫は互いを補い合い、高め合う美として設計されていたのでしょう。相補性の美ともいうのですけどね。──しかし、黄金姫自身は自分の顔を見られない。白銀姫も同様です。仮に鏡に映したところで、その段階で彼女らの美は損なわれてしまう」

 

 鏡は光を100%反射するわけではない。例え究極の美、完成された美であったとしても、鏡を通したことでそれは不完全に成り下がってしまう。

 

「……だからね、この術式を使うのなら、一定段階から三人目が必要だったんですよ」

 

「な……っ!」

 

 呻いたバイロンが、たたらを踏んで後ずさる。

 イゼルマの術式は非効率的だ。いや、効率的だった段階を過ぎてしまったというべきだろう。イゼルマの魔術自体に欠陥があったのだ。

 それを見逃すロード・エルメロイⅡ世ではなく、他人の術式を見抜きその在るべき姿を指摘する手際こそ時計塔に冠たる講師となさしめた能力だった。

 




【礼装紹介】

黄金杯(おうごんはい)

 正式名称『霊脈閉塞型魔力生成増幅炉、黄金杯』
 霊脈とは大地に流れる魔力の軌跡。星という一つの巨大な生命の息吹にして鼓動。
 亜麗と呼ばれる存在の持つ基本性能、あるいは竜の炉心と似た効果を持つ自動魔力生成炉心。
 一から十を。十から百を生成する機能を備えたこの礼装は、本来星の触覚である真祖、精霊種のみが行える芸当である星そのものから直接魔力を吸い上げることを可能にしている。
 吸い上げる量が微量の為見逃されているが、人間の分際で度を越えてしまうと星の抑止力(ガイア)による排除が始まる。だがツカサは元来『この世』の存在ではないためガイアの怪物の持つ【人類に対する絶対的殺害権】が適用されない。そのためツカサを排除する時には真祖の姫が繰り出される可能性があり、それをツカサ自身も承知しているため即効で対抗策の準備に取り掛かっている。自重? そんなことはしない。
 見た目は聖杯と瓜二つだが、この礼装はあくまで『魔力を生成する』だけのもの。願望器としての機能も魔力を蓄える機能も一切組み込まれていない。
 とはいえ、他のロードに知られたら本気で命を狙われるだろう。魔術師にとってそれだけ画期的な発明なのだ。
 ちなみにこの礼装は身に付ける者ではなく体内に溶け込ませて使用する。聖剣の鞘を体内に入れていたとある少年と同じようなもの、と思えばいいだろう。

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