Fate/Reach Boundary   作:日彗

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双貌塔イゼルマ 6

 

「もちろん、カリーナさんを整形すると決めた際、バイロン卿にはそんな意図はなかったでしょう。彼はただ黄金姫の喪失に焦り、その穴を埋めるために必死になっただけだ」

 

 魔術師として当然と言うか、娘の死よりも『黄金姫』というイゼルマの結晶の喪失を嘆き、そして貴族としてのプライドからかそれを隠したままお披露目を開こうとした。

 ただ隠し通したかっただけ。ただあの一夜を乗り越えられれば、という思いで。

 

「それでも、三人目がやってきたことで、術式は完成してしまった。もともと黄金姫と白銀姫をずっと見ていた者──メイドのカリーナが同様の美を手に入れたことによって、それ以上の段階へと至ってしまった」

 

 三位一体。

 キリスト教において神と子と聖霊が一体であることをあらわす概念だが、同時にそれだけのものではない。平面上においては三つ以上の点を繋げることで初めてカタチが現れるからだ。

 象徴がふたつの面をもつならば、対となって安定する。

 三つの面をもつならば、それぞれが影響し合い、ある種のエネルギーを循環させる。

 黄金姫と白銀姫という一対で安定していたはずの術式は、そのふたりに匹敵する──しかし、そのふたりを観て来たことによって内側に変化を帯びつつあったカリーナが参入したことで、決定的な変化を余儀なくされた。

 

「───待ってください、先生」

 

 と、スヴィンが手をあげた。

 まるでここが時計塔の教室であるかのように、意気揚々と。

 

「今のお話でしたら、白銀姫もまた新しい黄金姫の誕生によって、究極の美に至るのではないでしょうか」

 

「それは簡単だ」

 

 と、先生が視線を移す。

 白銀姫を向いて、問うたのだ。

 

「エステラさんは、目が見えないんじゃないですか」

 

「……どうして、です?」

 

「黄金姫は耳が聞こえなかったそうです。おそらくは感覚のひとつを閉じることによって魔術に磨きをかけるという、よくあるパターンのやつでしょう。五感のいずれかが閉鎖させられるが遺伝形質に刻まれる程、イゼルマの術式は完成してしまっている。蒼崎橙子の整形手術でも、これにならってカリーナさんから鼓膜を奪ったぐらいに。ああ、黄金姫の部屋に鏡がなかったのも、あなたの部屋に合わせたせいでしょう。あなた方は食事や睡眠などの生活レベルで対にされていたし、鏡の有無は魔術的な意味が大きすぎる。どちらかに合わせるなら、有るより無い方がよほど楽だ」

 

 五感のひとつを失う遺伝。それでも魔術によって日常生活に支障は出ないようにしていただろう。蝙蝠のような音響測定を利用する魔術など、いくらでもやり方はある。科学が大きく進歩してほとんどの魔術が必要なくなった現代だが、こう言った面ではまだまだ魔術の方が先を行っていると言えるだろう。

 

「ただ……この結果を、施術したミス蒼崎が予想してなかったとは思えませんが」

 

「ふむ。覚えていないが、まあ想像はしてたんじゃないかな」

 

 名指しされた橙子が、軽く目を細める。

 

「───ちなみに、私にエルメロイ教室の排除を依頼したのは、そこのレジーナだよ」

 

 と、指差した。

 メイドは狼狽さえしていない。推理を展開していく段階で覚悟を決めていたのだろう。両手をエプロンの前に重ねたまま、彼女は毅然と前を向いていた。

 

「持ちかけたのは、黄金姫の美貌の正体を教えるから、だった。いやなるほど、こういうことだったか。うん。嘘はついていない。君は教えられるだろう。単に、その正体が私の手によるものだって言わなかっただけだ。ただ、それなら私も依頼主の正体を秘匿しておくほどの義理はないな」

 

「そんなクソくだらない動機で襲われた俺達の身にもなれ。あんたは気分で流され過ぎなんだ」

 

 少し考えれば分かるだろう。あれほどの完成度に至った黄金姫の正体を教える、教えてもいいということはそれ自体はイゼルマにとって、そして彼女にとって何らデメリットにならないということだ。黄金姫・白銀姫の術式はイゼルマ最奥の秘匿であるにもかかわらず。

 

「じゃあ、君が───」

 

 ライネスの口が開き、全員の視線がレジーナに集中していた。

 

「君が、私に黄金姫殺害をなすりつけた犯人か?」

 

 

 

 

「なすりつけた、というのは少し違うでしょう」

 

「……どういうことかね」

 

 ライネスの視線がレジーナから俺へと切り替わる。今にも呪われそうな鋭い眼光だ。犯人扱いされた件がよほど応えたのかもしれない。

 

「貴女が言ったんでしょう、ライネス嬢。『黄金姫は亡命を希望した』と。本物の黄金姫が死んだのは研究の副作用によるもの。行き詰まったイゼルマの術式はすでに被験者の遺伝的形質も蝕んでいた。そこで無理を重ねればどこかで死に至るのは必然です」

 

 ここまでは当然だ。イゼルマの術式はすでに破綻している。その結果が死だとして、今更何の不思議があるだろうか。

 

「問題はそこでバイロン卿が止まらなかったこと。少なくともあのお披露目が終わるまでは。黄金姫は死んだが、新たに蒼崎橙子を招き、そして黄金姫として整形されたカリーナさんは想像以上の成功を収めた。収めてしまった。この結果に、白銀姫とそれに仕えるレジーナさんはある決意を固めたんでしょう」

 

「つまり……白銀姫も……いずれ死ぬから……と?」

 

「いいえ。それよりもずっと切実な問題です。先ほどの投影で俺ですら感じた事だ。多くの魔術師たちも同じことを思ったでしょう。あれなら、ひょっとすると、根源に至れるかもしれないと。そんな噂が魔術協会の耳に入ったらどうなります?」

 

「あ……」

 

 つい、というようにグレイの声が上がる。似たような話をつい最近聞いたはずだ。

 微苦笑して、橙子が口を開いた。

 

「……封印指定か」

 

「まあ厳密に言えば、黄金姫と白銀姫は魔術師ではありませんので封印指定とはならないかもしれません。それにイゼルマの研究なので一代限りというわけでもない。けれど、あの時計塔が根源への可能性を示したものを放っておかないことは間違いない。あなたも知っているとおり、時計塔はかなりしつこい。封印指定を諦めさせるなら魔法使いを撃退するくらいのインパクトが必要です」

 

「なるほど、ソースは君か───だから、逃げ出す前に、黄金姫の死体を暴露する必要があったわけだ。ふむ、そうすると死体暴露の後に白銀姫とメイドで逃げだすつもりだったわけかな」

 

 橙子がうなずいた。

 すでにその可能性がは摘まれたのだと告知しなければならなかったのだ。

 お披露目の評判が蔓延して時計塔が検証に乗り出してしまう前に、イゼルマの研究は頓挫してしまっていると。明らかにする必要があった。

 

「ライネス嬢に濡れ衣をきせたのも同じ理由でしょう。他派閥の──できれば対立している貴族主義派閥でなるべく有名な魔術師を引き込めば、イゼルマやバリュエレータだけで話を終わらせられなくなる。そういう点でエルメロイは申し分ない。ふむ、これも誰かさんのご活躍が故ですね」

 

「……その誰かさんにはもちろん君も含まれてるんだろうね」

 

 ライネスの皮肉げな視線が向けられる。あまり深く考えていなかったが、もしかしたらそうなのかもしれない。

 それからライネスは先生へと言葉を投げる。

 

「つまり、黄金姫が亡命を希望したのも、まったくの嘘ではなかったと」

 

「おそらく、本気で考えはしたんだろう。ただ、そこに賭けるほどライネスを信じられなかった」

 

 それはそうだ。

 まともに話したこともない魔術師に身を預けるなど、正気の沙汰ではない。魔術師の倫理や常識など期待できない以上、それは考えはしても絶対に打てない一手だろう。

 

「だいたい、バイロン卿は黄金姫の死体を見た時から、これが本物の黄金姫だと言う事はわかっていたはずです。なにしろ、本当の黄金姫をバラバラに解剖したのはほかならぬあなただったはずですからね。ああ、解剖した理由なんてことさら強調する必要もないでしょう。魔術師なら、次につなげるために検体からあらゆるデータを取りに行くのは当然です」

 

 重く、バイロンは口を閉ざす。

 周囲の魔術師たちも、今更それを非難するようなそぶりはなかった。彼らもまた魔術師としての倫理と常識にたっぷり浸かった人間なのだ。

 

「その上でバイロン卿は誰が犯人かには迷っていたでしょう。あの段階なら、さまざまな可能性がありえた。それこそバリュエレータ派の中だって足の引っ張り合いはあるはずだ。少なくとも、彼の視点では、動機はほぼ全員にありえた」

 

 派閥競争

 時計塔内部で繰り広げられている、実にくだらない争い。

 それでも、先生やライネスがずっと戦い続けている世界。

 

「けれどそれは黄金姫の話。カリーナの死は別件でしょう?」

 

「……ああ。一度目の事件は、結局のところ黄金姫の死を暴露するための狂言だ。本来、その混乱の間に白銀姫たちは逃げてなければならない。カリーナの死なんてまるで必要がない」

 

 そう、間違えてはならない。『黄金姫の死』と『カリーナの死』は別物。黄金姫はある意味イゼルマという家に殺されたと言えるだろう。ではカリーナは何故死んだのか?

 

「確かに、殺人事件はあったんだよ。ひとつはバイロン卿による本物の黄金姫の過失致死。そしてもうひとつ、カリーナを殺したのは───」

 

 そこで、言葉が止まった。

 唾を飲み込む音さえ大きく響きそうな静寂の中、

 

「───君だ」

 

 と、先生の指が動いた。

 その呼びが指し示す先にいるのは一人だけ。

 中立主義派。伝承科(ブリシサン)。青白い顔色の男性。

 薬師のマイオ・ブリシサン・クライネルスが大きく目を見開いていた。

 

 

 

 

 ロビーの中央で、マイオはただ茫然とかぶりを振った。

 

「そ、んな……ぼ、僕が……」

 

「もう少し、詳しく話そうか」

 

 先生がフラットに声をかける。それに対して待ってましたとばかりに手をあげて、とある衣装とバッグを持ち出したのだ。

 

「教授の言ってたとおり、あの泉の近くに隠してました!」

 

 それは黄金姫の衣装と、トラベルバッグ。

 つまり、魔術が解けた後の着替えと、逃亡のための準備をあの泉の近くでしていたのだろう。

 

「いくつかのジークフリートの伝承でも、彼が竜の血を洗い流したり、死を迎えた場所は泉だったとされる。そういう魔術的意味もあったのだろうし……ああ、難しい事じゃない。十中八九そうだろうと思っていたが、君が犯人だと確信したのは本当にたった今だ」

 

 ホワイダニット。

 推理小説などでよく使われる言葉だ。

 魔術師が起こした事件であれば犯人が誰か(フーダニット)どうやって犯罪を行ったか(ハウダニット)には意味がないと先生は語った。

 魔術師の関わる事件においては、どちらもたやすく隠蔽される。トリックなど自由自在。壁抜けだろうが密室だろうが気の向くまま。凶器なんて呪いひとつで事足りる。

 しかし、どうして犯罪に至ったか(ホワイダニット)だけは、ささやかだが例外たりうると。

 

「レジーナさんと白銀姫が庇うのは、君とイスローさんぐらいのものだろう」

 

 その言葉に、初めて白銀姫とレジーナが揺らいだ。

 

「そして、イスローさんでない理由はトリムマウだ。冠位である蒼崎橙子やロード・バリュエレータならば、トリムマウを機能停止させることもできるかもしれない。ひょっとすると、アトラム・ガリアスタも」

 

「……ひょっとするとは、余計だが」

 

 アトラムが舌打ちする。

 もっとも、それ以上の発言をしないあたり、目の前の水銀メイドに干渉できるかどうか、本人も自信がないのだろう。

 

「しかし、君たちは織り手と薬師として特化しすぎている。トリムマウを撃退するのならともかく、機能停止させるのは内部の魔術式の構成を見抜く必要がある。ああ、私の弟子のフラットはそういう魔術を得意としているが、なかなかどうして難しい。少なくとも私なんかにかなう魔術じゃない。君の場合、偶然ではあるにせよ、社交会で入念にトリムマウを調べていたのが功を成したんだろう。そういう意味では、その社交界では私の義妹にも隙があったわけだが」

 

「……敵地で緊張してたんだ。大目に見てくれよ兄」

 

「だから護衛はグレイ一人でいいのかって言ったでしょう。警戒心は強い癖に変な所で抜けてるんですから」

 

「う、うるさいっ」

 

 ライネスの抗弁を無視して、先生は続ける。

 

「それに、トリムマウの手に血を付けたのもやりすぎだった。そこまでやる必要は無かったんだ。どうせ、この塔でのライネスの立場なら追い詰められている。そのせいで、黄金姫の事件とカリーナの事件で犯人が違うのではないかと。考えさせるだけの余地が生まれてしまった」

 

「……じゃあ、本当に……」

 

 今度こそ、薬師は否定しなかった。

 尻もちをついたままで、しかし彼は笑っていた。震えはぴたりと止まり、三日月みたいに唇を引き裂いて、静寂のままに笑っていた。

 

「……だって……」

 

 と、マイオはやっと言葉を紡いだ。

 

「だって……()()()()()()()()()()?」

 

 ひどく空ろな声がロビーに響く。

 前世の俺の価値観ならば、俺はマイオを化物とでも思うかもしれない。

 けれど今の俺は魔術師で、彼の言っている事にも少なからず共感している自分がいることも事実。

 

「ぼ、僕はずっと前から、彼女を知って、いたよ。ずっと前から知っていたはずなのに、だ、誰よりも僕こそが彼女を知っていたはずなのに、あんな彼女は知らなかった!」

 

 人を狂わせるに十分なほど、黄金姫の■は突き抜けていたから。

 

「……だ、だから、死ぬ前に彼女を、す、少しでも拾い集めようと思った」

 

 けれどその行いは外道と呼ぶ他ない。俺の価値観は根っこの方から変わったわけではないのだ。

 師匠との特訓で幾度も死にかけ、俺は命の軽さと尊さを身に染みて学んだ。

 

「問い詰め、て、驚いたよ。だって、カリーナが黄金姫だって、い、言うんだもの。す、すぐには、信じられなかったけど、ど、そのときの、僕の悦びが分かるかい。だって、だって! ディ、ディアドラは死んでも、黄金姫は、死んでなかった! あの美しさは、欠片だって、損なわれていなかった!」

 

 マイオが叫ぶ。

 ただ内側の想いをひたすらに。灰かぶりの術式がもたらした奇蹟に魅入られた彼は、ただただ滑稽だった。

 

「な、なのにさ。逃げるって言うんだよ。ば、バイロン卿の手から逃れて、白銀姫もレジーナも連れてこの双貌塔から逃げる。だから、ま、マイオも手伝ってって」

 

 彼女にとってマイオは、数少ない頼れる幼馴染だった。

 たとえ事実がバレてしまったとしても、彼ならば助けてくれると、そう信じて打ち明け───しかし彼女とマイオの考えは一致していなかった。

 

「そんなの……そんな、な、の許せるはずがないだろう!? 彼女は死んだって、あの、美しさを取り戻すべきだ! こ、殺してでも、引き留めなきゃ、いけない! 白銀姫の、研究も継続するべきだ!だって、ぼ、僕たちは、もうその果てをみてしまって、い、る! 果実を口にし、したんだから、さらに先を目指す、べきだ! 魔術師なら、らば、そうしなきゃ、いけない」

 

 その通りだ。

 マイオの言っている事は人として間違っているが、魔術師としては正しい。どこまでも魔術師らしく、化物らしく、己の目的の為なら人の命の百や千など喜んで捧げる。それが根源到達に幾星霜の月日をかけて来た彼らの使命なのだ。

 

「君の言っていることは、魔術師として何ひとつ間違ってはいない」

 

 と、口にしたのは先生だ。

 

「君が、幼馴染を生贄にしてでも願望を達成しようとするのは、魔術師として当然のことだろう」

 

「だ、だ、だったら」

 

「だが───だったら、なぜ()()()()()()()()()()()()

 

 周囲の魔術師たちも、先生の一言に一様に目を見張る。

 マイオの言い分は魔術師として正しい。だが魔術師なればこそ、己の願望をかなえるために胸を張っていかなくてはならない。自身の願望に負い目を感じたからカリーナの死を他人に擦り付け、自分の保身に走ったのだ。

 

「な、にを───」

 

「幼馴染を殺すまでして引き留める前に、僕のために死んでくれとなぜ言わなかった。究極の美をもう一度この目にしたいという我儘のために、君を好きなだけ切り刻ませてくれとどうして懇願しなかった。それが見果てぬ夢だというのなら、白銀姫もレジーナもみんな生贄になって欲しいのだと、どうして晴れ晴れと誇らなかった」

 

 先生の言葉に、マイオは今にも泡を吹き出しそうにぱくぱくと口を開閉する。

 

「───そ、そ、そんな、ふざけた」

 

「そんなふざけた申し出があるかって? たかががこの程度でか」

 

 思い浮かべるはかつての大英雄。各国を蹂躙し、支配し、征服した大王の背中。

 

「ただ個人の欲望だけで、神意も大義もなく万国を踏み荒らそうというのでもない。最果ての海をこの目に見たいなんて妄想ひとつで、居並ぶ軍神やマハラジャの栄誉も誇りも奪い尽くして、なお彼らに轡を並べさせようというわけでもない。たかがこの程度の妄想を信じさせずに、お前は自分の夢を叶えようというのか」

 

「………」

 

 先生の声には、この場にあってなお揺るがぬものがあった。

 

「魔術師だろうがそうでなかろうが、人にとってエゴは絶対だ。いかなる善行も悪行も、それが本当に他人を救ったか、はたまた傷つけたかなど知れたもんじゃない。だが、それが誤認だろうが誤解だろうが、自分が辿り着いた生き様だというのなら胸を張れ。自分のための戦いに挑むなら、せめて独善で他人も染めてみろ。───ああ、そもそもこんな馬鹿げた犯人捜しに陥る前に、僕がカリーナが逃げ出さないよう殺したのだと、堂々と胸を張って宣言すべきだったんだ」

 

 そうしなかったのだから、お前は負けたのだと。

 そうできなかったのだから、お前は這いつくばっているのだと。

 常人には常人の、魔術師には魔術師の倫理と常識があり、その双方が俺たちの中で息づいている。

 魔術とは歴史であり、思想そのもの。幾多の魔術をたちどころに解体してのける先生は、つまるところ誰よりも魔術師の思想体系に長じている。

 だからこその、君主(ロード)

 魔術の才も血統もなく、それでもなお時計塔に君臨する十二の王のひとり。

 

「お前のそれは、単に卑しいだけだ」

 

 断罪はなされた。

 今一度の静寂に包まれた月の塔のロビーで、マズそうに葉巻を吸う先生がゆるり視線を横愛に流す。

 

「ロード・バリュエレータにも伺っておきたい。整形はともかく、イゼルマの異変についてはあなたも知っていたはずだ。少なくとも、お披露目に出てきた黄金姫がニセモノであることぐらいは分かっていたでしょう」

 

「……さて」

 

 と、イノライが細い肩をすくめる。

 ちらと周囲を見やり、誤魔化しきれないと思ったのか、溜息をひとつこぼした。

 

「まあ、こんなところだろうとは思ってたさ。イゼルマの家はよくやってるが、結果を出すにはまだ代を重ねる必要がある。それが突然段飛ばしで開花していると噂されて、うちの馬鹿弟子までちらほら顔を出しているのではね」

 

「だから、アトラム・ガリアスタに好き放題させることで、尻尾をつかもうとした」

 

「そんなところさ」

 

 イノライにしてみれば、アトラムからの接触は渡りに船だったのだろう。

 どのタイミングで内情を調査しなければならないと思ったのかは知らないが、ミック・グラジリエを子飼いにしてるのも恐らくは同じ理由。

 

「───私からも、もうひとつ」

 

 今度は橙子がイノライを見据えて尋ねる。

 

「以前から訊いてみたいと思ってたんです。イノライ先生は、私が封印指定にされたとき、どう思いましたか?」

 

「正しいと思ったよ。お前は現代において、封印指定に最もふさわしい魔術師のひとりだ。周囲に意見を訊かれたときも、大いに推挙させてもらったとも。トウコ・アオザキとその魔術回路は是非とも秘儀裁示局の奥深くで、永遠に保存すべきだと」

 

 即答であった。

 封印指定されることは魔術師にとって名誉ではあるが、同時に人としての尊厳を踏みにじるに等しい行為。俺自身も一時は封印指定として狙われたこともあったが、その時の先生は時計塔ではなく俺の味方をしてくれた。最悪現世を見限って影の国に避難しようかとも考えたが、そうならずに済んだ。

 まあ、襲ってきた執行者は全員返り討ちにした上、身ぐるみ全て剥いでテムズ川に捨てたし。なんかルーン魔術使いの伝承保菌者(ゴッズホルダー)もいたけど関係なしに宝具を奪い取ってやった。今度解析して複製に挑戦してみるつもりだ。

 でも一番大きいのはやはり蒼崎青子を返り討ちにしたことだろう。アレのおかげでカリオンは俺を封印指定することを諦めてくれた。『蒼崎橙子でも勝てなかったあのゴリラに……!』という事なのかもしれない。

 

「多分、そうだろうと思ってました」

 

 橙子はそう言って、何気なく自分の胸のあたりを見下ろした。そこから生えていた緑の切先を不思議そうに見やり、首を傾げる。

 燈子の身体の内側から、奇怪な植物の根が生えていたのだ。

 

「───や、やや、や、やった!」

 

 どもった声が背後の床から持ち上がった。

 

「……ああ、薬、か」

 

 橙子が困ったように呟いた。

 橙子が飲んだと言う記憶阻害の薬には別の作用もあったのだ。彼女の身体を苗床に一気に成長するような植物の種が。

 

「はははははは!」

 

 高く、薬師が笑う。

 

「ぐ、冠位(グランド)の魔術師がなんだ! そんなもの、何の意味もない! 意味があるのは彼女だけだ! 僕とイゼルマの夢の果てだけだ!」

 

 嫌なものだ。勝利を確信した者の末路を知っていても何も面白みがない。ただただ滑稽で、憐れが過ぎる。

 

「僕のために、も、もう一度、彼女を整形してくれ! は、白銀姫でも! レジーナでも! 好きなだけ、き、切り刻んでくれ!」

 

「───うるさい。邪魔だからちょっと寝ててくれ」

 

 狂気を叫ぶマイオに近づき、頭を軽く小突く。

 ただそれだけで、マイオは意識を手放して膝から崩れ落ちた。

 

「はあ、まったく余計な事を……橙子さん、その根はあなたの心臓や内臓に結びついてます。解除しようとしたら内臓ごと持っていかれますよ」

 

「ふむ。まあ、それはあまり意味がないがな。……ああなるほど。どうも忘れた私のやってることが手ぬるかったんだが、要するにここで全部ご破算になるから、その場その場で最大限楽しめばいいと思ってたんだな。まったく我ながら性質(タチ)が悪い」

 

 そう言って身体を貫く根にルーンを刻む。

 次の瞬間、身体を貫いていた根はぼろぼろと崩れ去った。

 胴体に拳大の穴を空けたままに。

 

 グレイにマイオを担がせて先生達と一緒に下がらせる。

 

「あー、うん。君が何に対して怒っているのか、やっとわかったよ。私が逆の立場だったら確かにムカつくなこれは」

 

「当たり前だ。あんたの娯楽のために他人を巻き込むんじゃねぇ。今回、あんたが色々やらかしたせいでうちの先生が大変な目に合ってるのに、自分だけ最後は死んで終わりだ? あんたが死んだら、その中のモンが出てきて迷惑なんだよ」

 

 なんとなくだが、周りに聞かれたくなくて日本語で話す。それでも理解できる者はできるだろうが。

 今回、ライネスがお披露目に出なくてはならなくなったのも、殺人の濡れ衣を着させられたのも、先生が出張らなくてはならなくなったのも、スヴィンやフラット、グレイが死にかけたのも元をたどれば蒼崎燈子が原因だ。

 それどころか迂闊にも、いや分かっていながら進んでマイオの薬を飲んだ。その結果自分が死ぬと知りながら。死んだ結果、内側に潜む怪物が出てくることを承知の上でで。

 ただ自分が楽しむために、先生達が巻き込まれたことが心底腹立たしい。そのくせこの女は死んでも死なないと言うのだからやってられなくなる。

 

「最近では、ネタが割れていてね。時計塔周辺じゃ私を殺そうとする相手はいなくなってたものだ。……悪いけど、これ預かっててくれよ」

 

 と、手元に紙の箱が放り投げられる。

 煙草だ。

 

「ふざけんな!先生パス!」

 

「なぜ私なんだ!」

 

「これ以上蒼崎と縁をつくりたくないからですよ!」

 

 橙子の空いた穴から異音が鳴り響く。

 その内から漏れ出てくるのは異形の気配。絶望的なまでに凄絶な魔力の奔流。

 あの鞄の中身と同種のモノが、蒼崎橙子の肉体と繋がっていた。

 

「荒耶宗蓮にしてやられたからってそこまでするか普通」

 

「心配しなくてもカウンターとして縛ってはいる。余計な手を出さなければ、加害者(マイオ)以外は襲わない筈だよ」

 

 ビキリ、と燈子の腹部が割けた。衣服も骨も関係なく、まるで彫像の素材のように。

 その内側に開いた傷口は、ある種の扉の様でもあった。

 

「させるわけないだろ。今回、俺たちは被害者だぞ。アレにはたっぷりと落とし前付けさせなくちゃいけない」

 

 橙子の四方をルーン文字が囲う。それらが肉体に浸透していき、崩壊は一時的に停止した。

 再生や修復はもう間に合わないと判断して侵攻を遅らせる術式を組んだのだが、あまり長く持ちそうにもない。

 

「グレイ。渡して置いたルーン石で結界を張ってくれ。ばら撒いてくれれば俺が起動させる。先生、葉巻一本ください」

 

「む。わかった持っていけ」

 

 傷口から覗く漆黒の闇。

 果てどころか距離さえもない、無間地獄。

 一切の言葉を喋らず、誰からも正体不明であり、不死身である。

 燈子の挙げる『怪物』の定義に則しているこの化物だが、成す術がないわけではない。

 

「蒼崎橙子。あんたのその怪物は確かに厄介だが、それでも南米でいまだ眠り続けている大蜘蛛に比べれば雑魚だ」

 

 俺のルーンで崩壊を遅らせてはいるがもうもたない。『怪物』がルーンそのものを浸食し始めている。

 先生から葉巻を一本貰い、渡したルーン石による結界の発動を見届けると橙子に向き合った。

 

「言葉を話さず、正体不明の死なない化物。なるほど、それは確かに恐ろしい。──けれどあなたは知っているはずだ。この世に()()()()()()()()()()()()と」

 

 橙子が持っていた鞄を持ち上げる。

 

「これは魔力によって通電した時だけ、()()()()()()()を繋げる限定機能型の魔術礼装だな。魔術師が魔力を供給できなくなった場合は勝手に閉じる様になっている。もう少し時間があれば念入りに解析してその化物を殺す魔術を編み出したかったが………つまり何が言いたいかというと」

 

 ニヤリ、と笑みを浮かべる。

 匣の魔物。今はまだ殺す算段がついていないが、せめて思いっきり苦しめてやろう。二度と俺たちに歯向かいたいとは思えないように。

 

「橙子さん、あなたの内側でこの鞄に通電したらどうなりますかね? その怪物が二重に出現するのか、それとも矛盾(パラドックス)で引き裂けてしまうのか。ああ、答えなくて結構。その回答には大して興味がない」

 

 ルーンによる縛りが完全に解ける。それと同時に漆黒が爆せる。

 橙子の肉体が裂けて広がった穴に、鞄と葉巻を蹴り入れた。

 

「これに懲りたら身勝手な行動は慎んでください。次に先生の敵に回ったら、俺も本気であなたを殺しますから」

 

 先生から貰った葉巻は一種の魔術礼装だ。

 漆黒の怪物の中に飲み込まれていく鞄に、葉巻が触れて一瞬、火花を散らす。

 その先は知らない。

 ただ何かが噴き上がり、周囲の一切合切を喰らい始めた。

 シャンデリアも、ソファも、螺旋階段さえも関係なく、何もかもを底なしに。

 怪物は喋らない。声を発しない。

 だけど俺には、奴の叫び声が聞こえたような気がした。

 

 ざまあみろ。

 

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