今日はあまり先生の授業に集中できていない。
原因は自分でも理解している。今朝、ポストに入っていた例の封筒のせいだ。
どうしてあれが俺のもとに。俺は別に魔眼なんていらないんだけど。
授業が終わると、俺は生徒たちに囲まれて質問にひとつひとつ答えている先生を眺める。
廊下にはライネスとグレイがいた。先生は忙しそうだし、代わりに相手をしてやろう。
「おつかれさま、グレイ。ついでにライネス嬢も」
「ついでとはなんだ、ついでとは!」
「こんにちはツカサさん。……あの、何か悩み事ですか?」
「ん……まあ、ちょっと面倒事がね」
あいかわらず人の機敏には鋭い子だ。先生はともかく、俺はポーカーフェイスは得意だと自負していたのだが。
「君の言う面倒事とはゾッとしないね。また蒼崎関係かい?」
「そこまでの事ではないですよ。ただ、先生にとってどうかは知りませんけど」
ちょうど生徒たちの質問にきちんと答え切ったあと、先生はこちらの出口へと向かってきた。
「……ライネス」
「ご機嫌うるわしゅう兄上」
「今日は何の用だ」
「用がなければ来てはいけないのかな?可憐な可憐な君の義妹だよ?」
「もちろん、用がなければ来て欲しくないに決まってるだろうが」
「これはひどい。傷ついて枕を濡らしたあげく、乙女の心の賠償金を請求するぞ」
かけらも傷ついた様子もなく、ライネスは軽口を叩く。
ライネスがいることで他の生徒たちは気後れし、遠巻きにひそひそと耳打ちしあっていた。なにしろライネス・エルメロイ・アーチゾルテがエルメロイ派の事実上のトップ───栄えあるロード・エルメロイⅡ世の後ろ盾という事は知れ渡っている。彼女に睨まれても厚遇されても、時計塔の権力抗争へ組み込まれることとなり、人生が行き詰まるのは明白だ。当然、先生の養子である俺も巻き込まれており、そんな俺たちの事情を綺麗に無視するのはフラットやスヴィンのようなわずか数名だけである。
それから、ライネスは少し小声になって窓越しのひとりに顎をしゃくった。
「それより、ひとつ気になったのだが……
「ん? 先月向かい入れた子弟だが。カウレス・フォルヴェッジという」
「時計塔には少ない、電子機器にも詳しい奴ですよ。その点で言えばフラットもだけど」
ライネスが指差した方向にいるのは、眼鏡をかけた少年。
カウレス・フォルヴェッジ。別の枝ではカウレス・フォルヴェッジ・ユグドミレニア。かの聖杯大戦で黒のバーサーカーを召喚していたあの眼鏡くんだ。
しかし、
「そんなことどうでもいい」
と、ライネスはきっぱり否定した。
「なぜ、その子弟とやらがあのアトラムが使っていた
「なぜもなにも………ねえ先生?」
「ああ、フラットのやつが前の事件の時に術式を解析してたんだ。ついでに時計塔に問い合わせてみたら、特許を取った形跡はなかったから、私の方で理論化させてもらった。で、たまたま相性の良さそうな生徒がいたので試しに教えてみた。ほら、何もおかしなことはないだろう?」
「どこがだ!」
くぐもったライネスの叫びが木霊する。
カウレスが触れている陶器の壺は、双貌塔イゼルマでアトラム・ガリアスタが使っていた原始電池と同じもの。見た目は多少違うが、使われている術式は再現されている。
魔術師にとって、魔術の秘奥とは自らの命にも匹敵する代物だ。特許を取っていないのはその技術が大したことないからではなく、特許に出してしまえば魔術師間に伝わってしまうから。
たまたまフラットが解析していたから模倣できた。だが魔術の複製とは、ある意味で魔術の破壊にほかならない。
フラットに解析するよう指示したの、実は俺だけど。
「時々、我が兄は大変
「一応、私も気にして、
「されてたまるか!」
二度目の叫びには真摯な響きがこもっていた。
実際、大変なのは先生ではなくライネスだ。普段とは立場が逆なだけになお切実で、こんな風に少女は続けたのである。
「……いつか後ろから刺されても、私は知らないからな」
「その時は一族郎党皆殺しにしてきますよ。なあグレイ?」
「えっ」
まあそれは冗談なのだが、先生には特製の『守護のルーン』を刻んだお守りを持たせている。並大抵の攻撃では破られないと自負している一品だ。
「で、肝心の用なんだが──」
ライネスが持ちかけた時、別の声が上がった。
「あっれれ! ライネスちゃん!」
振り返ると、派手な星形の眼帯を付けたピンク髪のロリータ少女がそこにいた。また面倒くさいのが来てしまったと顔を顰める。
「おお、噂の内弟子ちゃんも! 初めて会ったねえ!」
眼帯少女の圧倒的なテンションに圧されて、かくかくと頷いているグレイ。
「……あ、あなた、は?」
「んっふふふ! 訊かれて語るもおこがましいが、近頃流行の魔眼女子! エルメロイ教室に咲く花一輪、イヴェット・L・レーマンちゃんとはあたしのことですよ!」
びしっ、と自分の眼帯あたりに横ピースサインを掲げて見せる。
「は……はい。グレイ、です。よろしく」
「ほほう、雰囲気とぴったりなお名前! 内弟子がいるとは聞いてたんだけど、いやあ先生ってばライネスちゃんといいあたしといいこの子といい、結構なハーレム展開じゃないの! 時計塔で抱かれたい男ナンバー1の座も近いですねこれは! あ、ちなみに現在は同率四位ですよ!」
「……誰だ、そんなアンケート取ってるのは」
誰なんでしょうね、ほんと。
ちなみに男性版があるように、女性版も存在している。誰が作ったのか、その情報が本当に正しいのかは誰も知らない。
「おっとっと、こいつは女子の秘密です。たとえ先生にだっておいそれとは明かせませんね!あ、今度個人的なアバンチュールレッスンに付き合ってくださるなら、その限りでもなかったりしますがいかが」
「すまないが、次の準備がある。ライネスも話は後で聞こう。───ツカサ、グレイ、行くぞ」
踵を返して足早に廊下を進む。
グレイはともかく、授業の準備になぜ俺まで。一応生徒ですよ?護衛も兼ねているとはいえ。
◇
「いやあ、時計塔で生きてくにはあのくらいパワフルじゃないといけないんだなあ」
先生の私室に入り、とりあえずお湯を沸かす。ここには紅茶とコーヒーしか置いていないのか、残念。
「それはパワフルだろうさ。なにしろ初対面の自己紹介で、メルアステアのスパイですからよろしくなんて、朗らかに言ってくるほどだ」
「────っ!」
グレイが息を呑む気配がする。
時計塔にはいくつか派閥が存在するが、大きく分けてバルトメロイ率いる貴族主義、トランベリオ率いる民主主義、そして中立主義の筆頭として代名詞になっているメルアステアがある。
「要するに牽制だよ。こっちに隠すほどの情報はないが、向こうも一応のポーズを取っておく意味はある。そうでなくても、メルアステア派は
「まあでも、メルアステア派はよくもわるくも日和見主義ですからね。スパイなんて自白して牽制してくるのも、こちらを引き抜くほどの度胸がないからでしょう」
「後でバレるより、さっさと自白して情報交換に徹するのは常套手段のひとつだからな。この場合スパイというより外交官が近いか。自白はイヴェットの独断かもしれんが、バレてもかまわないぐらいはロード・メルアステアも含んでいるだろう。なにしろ、彼女が籍を置いている
時計塔で繰り広げられている権謀術数は実に面倒くさい。聞いているだけでも頭が痛くなる。
「……師匠、どうかしたんですか?」
「何がだね」
いつものように、スケジュールの整理や資料に目を通しながらグレイが尋ねる。
「どこか、焦ってらっしゃるような」
グレイの言う通り、さきほどの原始電池もそうだが普段の先生ならもう少し穏やかにいなしていただろう。あんな風に吹っ切った態度は中々しない。
立ち上がって少し部屋の中を移動する。ついこの間かけておいた
「時計塔本部での講義も休まれてましたし、こちらでも時間を縮小されてるようです。何か気にかかることでもありましたか」
「…………」
先生からの返事はなかった。
……やはり、俺のかけていた結界のルーンが解除されている。
「……ひょっとして、第五次聖杯戦争が、近いからですか」
「違う!」
びくり、とグレイの肩が震えた。
俺は安心させるように、グレイの頭に手を置く。
「先生、少し落ち着いてください。内弟子を怖がらせてどうするんですか」
「…………………すまん」
先生が取り乱している理由は知っている。そうなってしまったのは俺の実力不足というのもあった。こんなことなら出し惜しみせず原初のルーンを使えばよかったか?
室内に静寂が立ち込める。
先生はいつもと変わらない。変わらないのに、あまりにも沈鬱だった。
「先生、隠し金庫にかけていた結界が解除されています。……何があったのかは察してますが、俺の口から説明した方がいいですか?」
「……いや、すまない。正直に言う」
先生はいつもと変わらない。変わらないのに、あまりにも沈鬱だった。
「……私にとって、最も大切なものを盗まれた。とある英霊の聖遺物だ」
「───っ!?」
イゼルマの事件でアトラムとの賭けの対象として持ち出された品。ロード・エルメロイⅡ世の根幹を支えている重要なパーツ。
「普段はロンドンの時計塔本部で保管してるんだが、先月のイゼルマの一件から現場をこちらに移していた。ああ、例の聖杯戦争も近くなってきた以上、なるべく身近なところで管理しておきたくてな」
書籍の何冊かを退かし、本棚の裏を露出させてから掌を当てて至極短い呪文を唱えた。
かちん、と音がする。
裏板ごと壁の一部が開いた裏には、一部の関係者しか知らない隠し金庫があった。
「
「だけど実際に聖遺物は盗まれた。しかも俺の結界まで破られて……!」
この隠し金庫は物理的なそれと魔術的なそれの、双方の鍵がかけられている。その上からさらに俺の魔術をかけたのだ。そう簡単には破れない、筈だったんだがなぁ。
「だが数日前に確認した際には聖遺物はなく、代わりにこの封筒が置かれていた」
無言で先生が差し出す。封筒に入っていたのは招待状だ。
「奇遇ですね先生。実は今朝、俺のアパートのポストにも同じものが入ってたんですよ」
「……は?」
こちらも懐から取り出して差し出す。
内側に入った書状にも、書いてある内容は同じものだった。
内容としては、自分たちの宴に招待するので万障を繰り合わせて出席いただきたい、といったことが書いてあり、最後にこんな署名が記されている。
『魔眼蒐集列車・支配人代行より』
「……
「オークション?」
先生の言葉に、グレイは首を傾げた。
「そう。魔眼をコレクション、研究対象として求める人もいるけど
「特別って、どういうことです?」
「移植」
分かりやすいように自分の瞳を指す。
それでもグレイは言葉の意味を理解するのに時間がかかったようで、数秒遅れてから、
「……移植!?」
と、声が漏れた。
「そう、文字通りの眼球移植。魔眼っていうのは本人に根付いていて摘出するだけでも至難の業なのに、あの
「…………」
呆然としたまま沈黙してしまった。
魔眼は魔術師にとって垂涎の的だ。それこそライネスのように持て余しているものでさえ、先生は酷く羨まし気にしている。それはつまるところ、魔眼は魔術回路と同じく先天的な才能だから、というのもあるだろう。
俺だって使えそうな魔眼なら欲しい。宝石なんて贅沢は言わない。簡単な停止系のものでもいい。どうせ魔眼主体の戦い方なんてしないし。
「……ひとつ、講義をしておこう」
先生が低く囁いた。
いつのまにやら葉巻を取り出し、マッチで炙って静かに吸い込んでいる。
「見ることは人間の歴史で最初の魔術だ。それは人間の五感でも、視覚が最も多くの情報を処理するからだ。ゆえに、多くの土地において
「自然界の現象、ですか?」
「たとえば、太陽と月だ」
頷いて先生は天井を指差す。
「いずれも天の瞳として言い伝えられることが多い。エジプトにおけるホルスの目は極めて有名なシンボルだが、その右目は太陽、左目は月に喩えられた。人々はこれらの天の瞳によって常に見張られており、罪を犯せば罰せられると信じていたんだ。太陽神が司法の性質を持つことが多いのはこのためだ。実際、太陽は大いなる恵みをもたらすのと同時に、日照りなどの災いをもたらしてきたわけだからな。後に、これらはキリスト教の三位一体と結びつき、全能なる神の瞳───いわゆるプロビデンスの目にもつながっていく。ふん、この過程で、いわゆるフリーメーソンの陰謀論なんかもくっついてしまったわけだがね」
だんだんと先生が饒舌になってきた。話しているうちに余裕が出てきたのだろう。
「こうした自然現象では、他にも台風の目なんかが一般的だろう。つまり、嵐とはそれ自体がひとつの瞳なんだ。これを受けて、風や嵐にちなんだ神格は隻眼であることが多い。ケルト神話はフォモール族の王であるバロールや、北欧神話のオーディンなんかが代表例だな」
どちらもかなり有名な神霊だ。
北欧神話における最高神であり魔術神であるオーディンは、俺やスカサハ師匠が扱う原初のルーンを生み出した神。というか俺が原初のルーンを使えているのもかの大神がそれを許可しているからだろう。戦士には寛大だと聞くが、正直胡散臭い。
邪眼の王、バロールは一瞥で軍隊を壊滅させる死の瞳を持つという。正真正銘、虹の位階に位置する『直死の魔眼』だ。確かアナスタシアの使役している精霊、ヴィイはバロールの流れを汲んでいるという話だったはず。
「さらに、大地にも瞳がある」
「大地に、瞳?」
「火山口だよ。夜の闇に紅く光る瞳は、邪視のイメージと強く重なった。嵐の神ほどの数はないが、大地にまつわる女神にはこうした象徴性を付与されることがある。ギリシャ神話のゴルゴン───とりわけメドゥーサなんかはこの例だろう」
まあ、メドゥーサなんかは石化の魔眼、キュベレイを持ってるし説得力あるな。
魔眼と言う奴は使いこなせるものが使えばかなり強力な代物だ。誤まれば自死する可能性が無きにしも非ずだけど。
「あるいは、現代科学が発見したブラックホールも、こうした自然現象の瞳と言えるだろうな。古代の語り部が存在を知っていたわけではなかろうが、概念的に言えばインド神話のシヴァの化身、
「先生、話が難しくなりすぎです」
途中から途轍もなく壮大な話に切り替わってしまった。というか、欧州原子核研究機構になんでそんな詳しいんですか。
天に瞳。大地に瞳。嵐にも瞳。
そして、宙の瞳。
自分たちの手の届かない遥か彼方から、こちらを観測するものはいる。それに果たして意思があるのかどうか、地球人類にとって善なのか悪なのかは知る由もないが。
「……さて、ここまで述べた上で、時計塔で言う魔眼にはいくつかのランクがある。ごく簡単なものであれば、製作できる造形師だって存在している。もちろんそれだって高価だし、確実に成功するわけでもないが」
椅子にもたれかかったまま、先生は言葉を続ける。
「だが、真正の魔眼───生来の魔眼でもとりわけ強大なノウブルカラーを確実に移植してのける場所は、
ずいぶんと遠回りだったが、これで魔眼の移植がどれだけ異常な事なのか理解できただろう。想像しただけで怖ろしい。魔眼をつくるのなら兎も角、他人の物を移植することは俺には不可能だ。師匠ならできるのかな。
「もっとも、一度だけそのオークションが台無しにされたことがあるというがな。なんでも、あの蒼崎橙子と使い魔にやられたとか。それ以来、北欧に限らずヨーロッパのあちこちに出没するようになったそうだ」
確かその時の使い魔は匣の怪物ではなく、ルゥ=ベオウルフだったはず。現代の魔術師にとって天敵ともいえる存在だ。
「当時の使い魔は純血の最後の人狼、生粋の原種である金狼でしたからね。身に蓄えた神秘は三千年以上。自然発生した精霊に近い星の雫。現代の魔術師では天地がひっくり返っても勝てませんよ」
「お前のその情報は、毎度どこから来てるんだ」
「その金狼、一時期は時計塔で勉強してたらしいですからね。
「けれど、逆に言えばそこまでの化物を用意しないと手に負えない場所だという事ですよ。この招待状を実際に見た事ある人がどれだけいるか。………売ったらお金になるかな」
「だが行くしかあるまい。これしか手掛かりがない以上、今は他に打てる手がない」
ぎり、と歯の軋む音が聞こえた。
「グレイ、ツカサ」
短く、先生は自分たちに向かってこう依頼したのだ。
「私と、