夜犬のロマ   作:黒船頼光

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【第一章】カカト村
カカト村


 

 一つの号令が北風をかき消し、丸太の山は怒涛の勢いで川を下り始める。

 

 ルラックル大陸西部にあるカカト村は、国の大伐採計画で生まれた木こりの村である。この大陸の川は全てが、大陸の中心にあるクヴェルクル湖へ通じており、木材はこのまま数日かけて湖まで運ばれる。

 

 すべての川はクヴェルクルへ通ず、とまで謂われるほどだ。

 

 伐採の時期は主に秋の始めから、春の始まりまで。

 もう雪虫が出てるのか、とロマは感慨に耽った。白い埃のような虫は風に身を任せ、自然の赴くままに漂っていた。

 

「キミ、置いてかれてるぞ」

 

 そう指摘されて振り返ると、数名の木こりたちが森へ向かっているのが見えた。ロマは慌てて自分の斧を手に取り、声をかけてくれた騎士に感謝を言って、すぐに駆け出した。

 皆に追いつくと、同い年のラングに干し肉を投げ渡された。

 

「しっかり食っとけよ」

「これ牛の肉だろ。騎士様に貰ったのか?」

 

 カカト村は川で獲れる魚の干物が主流である。

 

「そんなとこ。本当に気前良いよな。騎士ってのは、そんな良い給料貰ってんのかね? 今だにコレールを皆殺しに出来てねぇのにな」

 

 あまりにも不遜な物言いに、ロマは眉を顰めた。コレールは大陸北部を領土とする異教徒の国だ。二年ほど前にコレールの戦士が、大陸を横断する山脈を越え、疫病を都にばら撒く原因となった事件があったのを思い出す。その一団を退けたのが騎士団であった。先ほど声をかけてくれた男も、騎士団の一人である。

 

 事件以降、国王は都に数多くの医者を集め、疫病の治療に当たらせた。しかし、ほとんどの医者が病に罹って亡くなり、ほんの数名だけ今も治療法を模索している。

 その中には、神様に呪われた〝天人〟と呼ばれる排斥の対象までいるそうだ。

 

「せめて、様は付けろ。騎士様と」

「聞こえてねぇよ」とラングは干し肉を頬張っている。その頭をひっぱたく者がいた。

「昔は騎士になりたがってたのに、随分とやさぐれちまって」

 

 ラングの父、ダンが蓄えた髭を撫でながら先を行くと、後ろから村長の息子、十五歳のマムロンが跳ねるように駆け寄ってきた。

 

「なんで騎士にならなかったの?」

 

 ラングはむっとして干し肉をかじっている。ロマが変わりに答えた。

 

「ならなかったんじゃなくて、なれなかったのさ。入団試験は特に難しいんだ。ラングが泣いて帰ってくるほどにね」

 

 声を潜めてみたけれど、ラングに「余計なこと言うな!」と怒鳴られた。

 首都に拠点を置く『ロゼ騎士団』は、毎年の春に入団希望者を試験で篩いに掻け、数名だけ従士として迎え入れる。給金、待遇の面も魅力的だが、騎士を目指す若人たちにとって、最も惹きつけられる点は、貴族からも一定の敬意を払われるほどの〝名声〟を得られるからだろう。

 

 騎士団は希望者の地位や境遇を問わず、当人の能力と精神性を重んじる。自分たち平民にとって、数少ない出世の道なのである。

 マムロンは目を輝かせた。

 

「ロマも来年の試験を受けるんでしょ! 王都の女について聞かせてよね!」

「女の尻ばかり追っかけてると、ラングみたいになるぞ」

「どういう意味だ!」

 

 ロマは横腹を斧で小突かれてえずく。そうして彼は不貞腐れ、そそくさと早足になって、それをマムロンが慌てて追いかけた。問い詰めるマムロンをラングは面倒くさそうにあしらっている。

 

 皆が悠然と聳える木々を目指して歩いている。その奥には、白い帽子を深く被った山脈が覗けた。帽子から少し下れると、そこは黒く細い木の髭に覆われ、その中に底冷えする吐息を隠し持っていることを、ロマは知っている。山脈の頂きから大森林へ送られる山嵐が、上に行くなと叫ぶのだ。

 

 アヴニール山脈。台地と、この大森林を隔てる形ある国境の先に、異教の国がある。

 母国ルラックルと異教の国コレールは、長らく睨み合いを続けていたが、先の事件を経て、ルラックルの民が恐怖と憤怒を抱えたことで、国全体がコレールを明確な敵として再認識する結果となった。

 

「あの山を越えようなんて思うなよぉ」

 

 タロン。馬を走らせたら村一番の若い男だ。自分よりも二つ年上なので、二十一だったか。彼も騎士に憧れ、夢を打ち砕かれた男の一人である。

 

「登らないよ。タロンみたいに手の指を失くしたくないし」

「そうそう、それでいい。指の数が減るってことは、女を楽しませる技を減らすってことだ。失くすにしても、小指と親指以外にしておけよ。仕事が出来なくなっちまうからな」

 

 彼と話すとき、年の割に老けて見えるため、自然と背筋が伸びてしまう。彼は試験を受ける前に、度胸試しで山に登って右の子指を失い、受験資格すら失くしてしまった。斧を握れない木こりに使い道は無く、荷物持ちとして使われる毎日。それでも懸命に働き、常に皆の動向に目を光らせ、叱ってくれる。そんな彼を、皆は慕っていた。

 不意にラングが振り向いて、にちゃりと笑った。

 

「おい、指無しタロン! ロマは髪が長いだけで男なんだからな! 女房が相手してくれないからって、見境無さ過ぎだろ!」

「こいつの尻の柔らかさを知れば、お前だって夢中になるさ。慰めてもらえよ」

「おい」とロマが顔を顰め、タロンは無い指を艶めかしく動かす、途端に笑いが波のように広がった。

 

 ロマは辟易と笑みを湛えた。

 きっと、今日、明日、明後日、来週、来月、来年、ずっとずっと続いていく。

 働き、食べて、寝て、嫁を貰い、家族が産まれ、悩み、喜び、怒り、泣いて、木こりとして木こりを育て、死ぬ。

 

 少し歩みを止めて、後ろを振り返った。

 伐採で開けた地肌の先に太った川が横たわり、その先に穏やかな気配が漂う村は静かに活気づいていた。幼い子たちが駆け回り、畑の手入れをする人らに叱られて、それを微笑んで見守る老人がいる。

 

 来年、自分はこの場にいないのかもしれない。

 そう思うと、気の早い郷愁に胸を締め付けられる。その感情に蓋をして、色を正して先を急いだ。

 

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