夜犬のロマ   作:黒船頼光

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木こりの男たち

 

 ルラックル人。

 彫りが深く、雪も毒づく白い髪が特徴的な人種であり、西洋人とも呼ばれる。

 

 ふと、ロマは振り上げた斧を下ろした。

 

「どうした?」と首を傾げるラングを無視して、ジッと森の奥に目を凝らす。何か違和感を覚えた他の木こりたちも、ロマと同じ方角を注視した。

 

 鬱蒼と生い茂る木々の奥、そこだけ真夜中のようで、まったく先が見通せなかった。その闇の中に、星のように煌めく何かが見える。唐突に光が動き出し、木漏れ日に晒された瞬間、皆の顔に驚きが浮かんだ。

 

神の耳(モルオレイユ)なんて珍しいな。冬眠用の餌でも採りに来たのか?」

 

 モルオレイユは小さな枝角を携えた栗鼠の名称である。銀色の宝石のような角が特徴的な小動物で、ルラックルの守護神〝天秤の神ギエイア〟様の眷属であると考えられている。

 

 アヴニール山脈の名も無き山に生息しているが、時折り越冬の蓄えを探して、はるばる山を下り、この森で木の実を探すことがある。滅多に出会えないため、昔から出会うと幸運が舞い込んでくるのだと信じられていた。

 

 全員が斧を置いて、指を交差させて合掌し、深々と頭を下げた。トゥメル教徒はこうやって相手に敬意を示す。〝天秤派〟にとって、モルオレイユは特に神聖な生き物なのだ。

 

 先にラングが頭を上げ、少し遅れてロマが顔を上げた。

 その最中、もう一つの煌めきが暗闇の奥に見えた。

 

 

 瞬間──ラングの瞳を一本の矢が貫いた。

 

 

「えっ?」

 

 困惑が口を衝いて出た。切り倒される木のように、ラングは仰向けに倒れ込む。呆けた顔で突き立つ矢に手を伸ばし、触れる前にパタリと手が落ちる。

 

「ラング? おい、起きろって」

 

 ダンが息子の手を取り、肩を揺すった。誰も動けない。身体が現実を拒んで、感情が追い付いていなかった。

 

 ロマは足の指先から冷たいナニカが、ひっそりと骨を侵す感覚を覚えた。

 

 一人の男が暗闇から歩み出て来た。艶やかな革の鎧を着た赤毛の男で、ぞろぞろと似た服装の男たちがぞろぞろと現れた。

 その男たちの手には片刃の剣が握られ、弓を番えている男を見つけるが早いか、誰かが叫んだ。

 

「コ、コレールだ! 異教徒が攻めて来たぞぉ!」

 

 大の男たちが狼狽して、背を向けて走り出した。斧を投げ捨て、ダンとラングを置き去りにして。ダンは息子の死を認められず、ロマを見上げた。

 ダンのもみ上げ辺りに矢が突き立ち、ドサリとラングの上に覆い被さる。

 

「うわあああああああああぁ!」

 

 ロマは弾けるように駆け出した。ひゅんひゅんと風切り音が森に響く、伐採した木を飛び越え、転がるように森を疾駆する。

 

 来た。来た。来た。

 アヴニール山脈を越えて、異教徒の戦士が虐殺にやってきた!

 

 なんとか森を抜け、先に走り出した村人の姿が見えた。顔の直ぐ傍を通った矢が、その内の一人の横腹を穿った。

 

「マムロン!」

 

 ロマは蹲るマムロンに駆け寄って抱き起す。

 

「いてぇ、いてぇよ……ロマ、助けて……」

 

 いつもは強気な青年の顔は恐怖に歪み、ぼろぼろと泣いていた。二人の上から黒い影が覆いかぶさった。

 壮年の戦士が冷徹な目を携え、右手の剣を振り上げていた。

 

 おれ、死ぬのか。

 するりと歩み寄る死を、ただただ受け止める。その時だった。

 戦士の目に黒いナニカがぶつかり、たまらず戦士は鈍い悲鳴を上げて後ずさる。

 

「走れ! 走るんだ、ロマ!」

 

 タロンが投げた石が、運よく戦士の目を潰したらしい。ロマはマムロンに肩を貸して、なんとか川の畔に辿り着き、川を横断するための縄を頼りに反対側まで逃げ果せる。

 

 しかし、一息つく間もなく、次々に矢が放たれた。山なりに昇った矢は、弧を描いてカツカツと石にぶつかる。その内の数本が家屋の屋根や、水を溜めた樽、それに家畜の牛に刺さった。

 皆が物陰に身を隠しながら逃げ惑うが、不意に誰かが違和感に気づいた。

 

「あいつら、渡って来ないぞ」

 

 ロマは川岸の小屋の陰にマムロンを座らせ、川の反対側を覗き見た。

 戦士たちは恨めしそうに村を睥睨するばかりで、縄には手をかけず、あろうことか自ら縄を切った。目を潰された戦士の男と目が合い、息を呑んで身を隠した。

 

 なんで、どうして来ない? 侵略しに来たんじゃないのか?

 

 結局、その不可解な行動の意図は分からず終いのまま、戦士たちは踵を返して森の奥に消えていった。

 しばらくして、村人たちがぽろぽろと物陰から出て来る。皆も予想だにしない状況の連続に、半ば放心したままで、それでも辛うじて元の生活を取り戻すため動き出した。

 

 ロマも一安心だと、深く息を吐いた。

 

「とりあえず助かったみたいだ。早く神父に見せ──」

 

 そこで言葉が止まった。肺がぴたりと動かなくなり、喉がキュッと締まる。白い短髪が地面に向いて、ロマの服を掴んでいた手は、力無く太腿の上に放り出されていた。脇腹から流れる血は赤黒く、湿った土に滲みている。

 

「ロマ?」

 

 こわばった首を捻って、震えた声に振り返ると、母のルイーズが胸の前で手を組んでおり、ロマと分かるや顔がパッと明るくなる。

 

「無事だったのね!」

「……マムロンが」

 

 死んだ、とは言えなかった。ルイーズは只ならぬ様子に顔色を青白く染め、ロマの肩を数度叩いて「あんたは家に帰ってなさい」と言った。ロマは引き剝がされるように押し退けられ、数秒ルイーズの背中を見つめた後、たどたどしい足取りで小屋を離れた。

 

 道中、どこを見るともなく村を横目に見ていた。男たちは興奮が冷めやらぬようで、農具を握りしめて浮足立っており、女たちは子を抱きしめ他の母親らと無事を確かめ合っている。

 

 

 気づけば、村の外れにある神樹まで来ていた。自宅はずいぶん前に通り過ぎた。母の言いつけを破って此処に来た理由は、自分にも分らなかった。

 

 ロマはぽっかり空いた樹洞の前に腰を下ろして、空を仰ぐ。

 

 焦げ茶色の葉は金風に撫でられ、穏やかに揺れている。さっきの悲劇が嘘のようだ。幼い頃は、ラングや他の子らと神授に登ったりして遊び、よく神父に叱られていた。

 

 そっと膝で頭を挟むようにして身を丸めた。

 

 三人、死んだ。

 ラング、ダン、マムロン。

 

 一人は敵の顔を見る間もなく、一人は息子の死を受け入れられず、一人は自分に助けを求めていた。泣いて縋られていたのに……何もできなかった。もっと早く気づいてやれれば。もっと何か。どうして、こんな。

 

 心臓を両の手で絞られているような痛みがあった。執拗に、ただただ嬲るような痛みに歯を食いしばる。

 

「ちくしょう……ちく、しょう……」

 

 これは悪い夢だ。

 

 

 

 

 

 翌日、ロマは酷い高熱にうなされていた。

 

 臓物の全てを鳩尾辺りに押し固めたような窮屈さに襲われ、両手でへそを裂いて中身を解したい欲求に駆られているのに、身じろぎするのも億劫になるほどの倦怠感もある。

 

 それらの異常を些事と断じる〝喪失感〟が、悪寒となって全身を侵していた。

 にじむ視界の端から白い陰が見える。

 

 ルイーズだ。

 

 母の顔は赤く、呼吸も荒い。肌の色も全体的に青くなっている。自分と同じように高熱に蝕まれているというのに、献身的にロマを看病していた。

 

「みんな、熱が出たみたいよ。もうすぐ神父様が来てくれるわ。大丈夫。きっと大丈夫よ」

 

 母の言った通り、すぐに神父のエポールがやって来て、ロマは母ともども神樹まで運ばれた。神授の周りには、熱にうなされる者たちが寝かされている。ほとんどの村人がそこにいた。

 身体を蝕む悪寒以外の寒気が肌を泡立たせる。

 ロマとルイーズは隣合って寝かされた。

 

「神父さま、大丈夫ですよね。皆、助かりますよね?」

 

 エポールは裾を掴むロマの手を握り返し、「ああ。安心しなさい」と言って、微笑みを浮かべ、こう続けた。

 

「都のお医者さまを呼びに向かわせている。タロンが馬を走らせている。キミを知っているだろう。馬に跨がせたら、タロンの右に出る者はいない」

 

 そうして、神父はロマの手を胸の前に戻して、村の方角へ戻って行った。

 

「王都には、疫病を鎮めた御方が、いらっしゃるそうよ。タロンなら、すぐにその御方を連れて来て、くれるわ」

 

 母はそう言ったきり、目を閉じて、胸の前で手を組んだ。

 ロマも瞼を下ろして、身を丸めた。

 

 村と王都の往復は六日ほど。村には医術の心得がある神父もいるし、数日なら食糧の蓄えもある。だから、大丈夫な筈だ。

 

 

 

 

 また翌日。

 今度は、肌に赤黒い斑点が出来ていた。高熱、倦怠感、悪寒だけに止まらず、より悍ましい気配を漂わせ、その異変は身体中に現れていた。

 

 ロマは焼けるような喉の渇きに耐え切れず、樹洞を目指して這うことにした。自分に背を向けて、身体を抱きしめる母の姿を横目に、僅か四メートルほどの距離を十分もかけて、ようやく樹洞の入り口に手をかけた。

 

 樹洞の中には水が溜まっている。これは雨水と樹液が混じったもので、村の祭りの時には僅かな量を口に含み、そのまま川まで歩いて、川に吐き捨てる儀式が行われる。吐いた水は川と共にクヴェルクル湖へ運ばれ、そこで浄化され、大地の下を通って、また戻ってくる。

 

 天秤派の神父曰く、神樹の樹液には悪いものを浄化する作用があり、さらに神聖視される川に混ぜることで、悪いものを善いものに変える。

 

 それが、カカト村の伝統であった。

 神授の樹液が浄化してくれる。ロマの思考はそれのみに夢中となり、混迷する世界の中で唯一の(よすが)とした。

 

「あっ」と、なんとも間抜けた声が樹洞の中に木霊した。

 

 続けて衝撃が額を打ち、遅れて冷たく重いナニカに包まれる感覚が全身を覆った。ごぽごぽと口から泡が零れていく。自分の身に起きた出来事を正しく認識できず、ただただ頭上で揺れ動く世界を見上げていた。

 

 数秒の間をおいて、自分が水溜まりに転げ落ちたのだと気づいた。

 いつものロマであれば、すぐに這い上がって、神父様に謝罪しただろう。

 だが、今は斬るような冷たさを心地良く感じ、自然と口角が持ち上がる。まだ信仰心の欠片も無かった頃、真夏の昼下がりに友人らと隠れて川で遊んだ時の記憶が、めんめんとロマの胸に染み渡った。

 

 どこまでも、どこまでも落ちていく。

 

 声が聞こえた。

「愚かで卑しい我が子。かわいそうな愛しい子」

 怒り、恨み、慈しみを孕んでいる。

 そんな気がした。

 

 

 

 

 その日、ロマは底冷えする冷気で目を覚ました。

 

 黒い黒い樹洞の内側を見上げたまま、妙な浮遊感を自覚したことで、自分が水たまりの中で浮かんでいるのに気づき、慌てて這い上がった。

 

 どういう訳か、ずいぶんと体調は良くなっていた。熱した汚泥に塗れた体内を川の水で雪いだような清々しさすらあった。

 

 しかし、その弾けるような爽快感も樹洞の外に出た瞬間、真っ暗な絶望に塗り潰される。

 

 

 

 神樹を囲むように、夥しい数の死体が横たわっていたのだ。

 

 

 

 それら死体の顔には見覚えがあり、村民の全てがここにいると思われた。青ざめた肌に赤黒い斑点を浮かばせ、怪物を見るような恐怖の顔は凍り付き、まるで命の気配など無く、容赦ない秋雨に晒されている。

 

 そしてルイーズも、その一人であった。重い雨雲へ手を伸ばし、救いの手を探していた。

 

「母さん!」

 

 ロマは泥で足を滑らせながら駆け寄り、その手を握りしめる。もう手遅れだと知りながら、それでも奇跡の在り処を探して。

 

 どうして。

 なぜ。

 

 そんな憤りの疑問に答えてくれる者など、いなかった。周りを見渡せば、エポールの顔もあり、手にはルラックルの紋章である盾のペンダントが握られていた。

 

 ロマは悲痛に見開かれた母の瞼を下ろし、両手を胸の前で交差させる。それっきり、ロマは泥で汚れるのも厭わず、母の傍で胡坐をかき、どろどろの地面を見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

「貴様、何者だ!」

 

 突然の怒号にロマはハッとして顔を上げた。いつの間にか雨は止み、すっかり地面は乾いていた。村の方角、緩やかな下り坂に馬に跨る銀色の集団がおり、やっと来たのかと安心を覚えるが早いか、旗槍を持った騎士がロマに、その穂先を向けた。

 

「コレールの戦士か! この大地を汚すだけに飽き足らず、我がルラックルの民の血まで、その悍ましい病で侵すつもりなら、容赦はせん!」

 

 何を言っているんだ。

 

「答えろ、貴様は何者だ! その赤い髪は、どういうつもりだ!」

 

 赤い髪?

 

 そこで、髪が血のように赤く染まっていることに気づいた。ルラックル人は白い髪、コレールは赤毛。真っ赤な髪の人種など、少なくともルラックル大陸には存在していないが故に、騎士は状況から推察する他なかった。

 

 そして、明らかに疫病で亡くなった屍の中で、ただ一人だけ五体満足の男がいる。コレールの者であると考えるのは、自然な流れである。さらに、わざわざ赤い髪をひけらかしている〝理由〟があると考え、結果として刃を向ける形となっていた。

 

「ちが、違う! 俺はカカト村のロマだ! 二日前、コレールの戦士が森の奥から現れて皆を──」

 

 ロマが弁明しようと駆け寄ろうとした途端、旗の男が血相変えて叫んだ。

 

「近寄るな! それ以上、その足を前に出せば、貴様を弓で射る!」

 

 確かな怯えがあった。それは、未知の相手を前にしているというより、目に見えない脅威に対してだった。

 

「俺は、母さんと、ラングとみんなが、みんなが」

「もういい」

 

 訥々(とつとつ)と言葉にならない声は、旗の男の傍にいた騎士に阻まれた。その騎士の鎧は、他の騎士に比べて僅かに豪奢で、馬から降りるや、腰の鉄剣を抜く。ロマは死の恐怖に尻もちをついて、精一杯言葉を紡いだ。

 

「タロンが貴方たちを呼んだんだろ! あの人に聞けば、俺が村の一員だって証明してくれる!」

 

 しかし、全員が首を傾げた。まるで心当たりが無さそうであったが、目の前の男が何かに気づいたらしく「あぁ」と声を上げた。

 

「そいつの特徴を上げてみろ」

 

 ロマは記憶の中からタロンの顔を引き出し、必死に説明するや、男は納得がいったように顎を引いた。

 

「道中、疫病に感染して亡くなっている者がいた。お前の説明と合致する男だった。つまり、お前の言葉は多少なり信用できてしまう訳だ」

 

 だが、と男は刃をロマの首に這わせる。

 

「その髪の色はなんだ? 確かに髪の色に濃薄の差はある。それでもルラックルの歴史を鑑みても、赤黒い髪のルラックル人はいなかった。もし、本当に我らが守るべき民であったとしても、お前のような異端が産まれれば直ぐに噂となり、それは村だけで収められず、王都にまで報せが来ていた筈だぞ」

 

「それは、俺にも」

 

 分かる訳がない。

 それ以上、言葉が紡げないと見るや、男は剣を振り上げた。人生はこんなにも呆気ないのか、どこか他人事のように思考が止まった。

 

 

 

 そうして出て来た言葉は、

「あんたらが、もっと早く来てくれれば」

 か細い不満であった。「なに?」と男が怪訝に呟く。

 

 それからは、水面に上がる気泡のように、騎士への冒涜が出て来た。

 

「俺たちは森で木を切っていただけだ。戦い方なんて知らねぇ。そういう奴らを守るのが、あんたら騎士の役目だろ」

 

 ふつふつと絶望は怒りに転換されていく。

 

「前の事件もあんたらの怠慢が招いたんだろ。良い給金もらって、塩を振った飯を食べて、綺麗な女を抱いて、立派な都の家に住んでて、それだけ優遇されながら、まともに民を守れやしないんだ。怠慢以外の何だって言うんだ」

 

 もう口を衝いて出てしまえば、終わりだ。いいじゃないか。どうせ終わりなら、いっそ全部をぶちまけてしまえばいいじゃないか。

 

「哀れじゃないか。俺たちが、あんまりにも哀れじゃないか」

 

 最後にロマは忌々し気に、こう言い残した。

 

「遅いんだよ、クソったれ。みんな、死んじまったじゃねぇかよぉ」

 

 瞬間、銀の軌跡がロマの首を両断した。

 

 ◆

 

 ロゼ騎士団副団長メルキュール・ゲールは構えを解いて兜を脱いだ。

 

 くすんだ白髪をかき上げ、無精ひげの顔を腰の布で拭う。五十六にしては若々しい印象を受けるのは、日頃の鍛錬で身体を動かしているからか。そうはいっても、最近は腰や肩の痛みを無視できなくなってきた。若作りに無理が出始めていた。

 

 この村に立ち寄る予定は無かった。あくまでも訓練の一環で、モマン大森林を使用する筈だったが、道中、道端で『エポック』に感染している死体を見つけ、長く馬を走らせる破目になった。

 

 四年前の事件以来、コレール戦士の襲撃は無かった。もうじきアヴニール山脈の道の整備が終わり、ようやく戦争を仕掛けられるって時に、これだ。

 

 ゲールは直接触れないように意を致しつつ、切り落とした男の髪を掴んで、目の前にぶら下げた。

 

 黄色の瞳をした若い男。顔立ちはルラックル人によくある形の顔だが、ここまで赤い髪は初めて見た。古い民間伝承の悪鬼は赤髪だったらしいが、あれは空想の生物だし、この男を悪鬼とするには、小さい上に細すぎる。

 

 そこで、徐々に頭全体が熱を帯び始めているのに気づいた。

 

 ──そこからは一瞬だった。

 

 異変に気付いたゲールが頭部を放って、背中の盾を構える間隙に、頭部の首の断面が火を噴いた。しかもゲールたちが知る火とは、少し違った。

 

 夜空を想わせる色をしていたのだ。

 

 暗く濃い青の中に光が瞬く火は、意思を持っているかのように蠢き、片割れの身体にある断面に伸びた。その身体の首元からも、同色の火が噴出していた。

 

 ヒトの腕の如く伸びた火は繋がり、引き合うように動き出し、頭と身体を繋げる。

 まるで、時間が巻き戻っていくかのようだ。男は静かに寝息を立てていた。

 

「何が起きている……?」

「起きる前に縛っておけ。気を付けろよ。アレは〝天人〟だ」

 

 ゲールは信じられない現象を前に呆然としつつ、部下に指示を出した。

 

 ◆

 

「まさか、神授に身を投げた馬鹿がいるとはなあ」

 

 白髪の男は銀の兜を小脇に抱えて、ほうほうと顎を摩りながらロマを見下ろしていた。

 男の名前はメルキュール・ゲール。ロマも彼の伝説は聞き及んでいる。

 

 曰く、不治の病を食い殺した不屈の騎士。

 曰く、負け戦をただ一人でひっくり返した怪物。

 曰く、獣の如き剣技で戦場を駆ける一騎当千の男。

 

 羨望と畏怖から、いつしか『白狼』と仰々しい渾名まで戴いている。本来であれば、来年の入団試験で出会う筈だった男は胡乱な目で、ロマを睨んでいた。

 

 ふと、ゲールの背後から顔を出す少女が気になった。

 白金の長髪を垂らし、橙色の瞳は興味津々といった感じだ。長く鋭利な耳だけが特徴的な少女で、白い外套を羽織っている。

 少女はロマと目が合うや、さっとゲールの背後に消えた。

 

 あの後、ロマは地面に叩きつけられて拘束された後、川で血と汚れを落とされ、あらためて木に括り付けられた。裸で腐葉土の上に座らされていた。時折、虫がもぞもぞと脚に登ってきたり、尻の割れ目に入り込もうとしてきたりと、なんとも不快な思いをさせられたが、なんとか耐えている。

 

 川の水面を見た時、自分の姿に驚いた。髪だけでなく全身の毛が赤くなってるし、目も黄色くなっていた。顔立ちは同じだが、自分に似た別人と心だけ入れ替わったような気分だった。

 

「村の皆は──」

「全滅だ」

 

 ひどく端的にゲールは告げた。コレール戦士の矢が水を溜めている桶や、備蓄していた食料に触れ、そこから病が広がったのではないかと、ゲールは言い加えた。

 

 淡々と事務的な言い方が、かえって現実味となって、ロマの心に巨大な刃となって突き立てられる。両手の拳をより強く握りしめ、聞いた。

 

「俺は、これからどうなるんだ」

 

 ゲールは腰に手を当てて首を傾げる。

 

「さあな。不死の〝天人〟は騎士団だけで処理できるとは思えない。一度、教会法廷で協議して、そこでお前の処遇は決まるだろうさ」

 

 〝天人〟は、神々に呪われた人間を指す蔑称である。神々に対して、不敬、不遜な行いをした者は、神の力で獣の姿に変えられてしまう。それがロマの知る天人についての情報であった。

 とはいえ、ロマに獣の特徴など無く、髪と瞳の色が変質して、不死になっているだけだ。

 

「不死の方が特異だろ」

 

 

 不死。不死。不死。どうして、俺だけ生き残ったんだ。あのとき、村人全員を樹洞に投げ込めばよかったのか? そうすれば、皆が不死として生き返ってくれたのか? 母もラングもマムロンもダンもエポールも助かったのか?

 

 

 ロマはすっかり憔悴して、深く項垂れてしまった。

 

 その様子にゲールは溜息をついて、一頻り難しい顔をしていたが、少し離れた場所で騎士を集めた。話し声は聞き取れず、騎士たちの背中しか見えない。

 

 話し合いが終わったところで、ゲールは不敵な笑みを顔に張り付け、鉄剣を抜いた。ロマはギョッと目を見開く。ロマを縛っていた縄を斬り、当然の如く、銀色の剣身を肩に添えられた。

 

 

「エポックは知っているな?」

「あ、ああ」とロマは声を絞り出す。もちろん、我が身をもって心得ている。それが齎す苦痛を、あれが招く悲劇を、腸が煮えくり返るほどの怒りと共に、思い出す。

 

 その憤りを歯牙にも掛けず、ゲールは剣身で肩を叩く。

 

「今は都で天人の医者がエポックの治療法を模索してる。それも聞いたことぐらいはあるだろう?」ロマは頷く。「そこで、お前だ」

 

 刃が薄く皮を斬り、ぷくりと血の膨らみが生まれる。

 

「一向に治療法の開発が進まず、前々から人間の身体を使った治験をしたがっていた。もし、お前が被験者として名乗り出て、開発に一役買い、尚且つ完全にエポックを克服しようものなら、天人であっても相応の褒美を貰える、かもしれねぇ」

 

 神に呪われた天人に人権など無く、打ち首に処されるのが常だ。しかしながら、ロマは不死という特異な特性を持つため、打ち首したところで、死にはしない。その不死性に限りがあるとしても、先の見えない処刑など処刑人側の身が持たず、国としても見通しの利かない面倒事に人手を割きたくは無いだろう。

 

 

 

「あるいは、コレールに不死の力を振るえばいい」

 

 

 

 ゲールの試すような声が脳に響く。

 

「木こりを射抜いた者は誰だ?」

 

 ガンガンと木の幹を抉るような音で、脳が揺さぶられる。

 

「友人を殺した男は誰だ?」

 

 灰の下で燻るように、胸の中で白い薪の熱が上昇していく。

 

「お前の母親を殺した病を持ち込んだのは、誰だ?」

 

 まるまる身体が白く赤くなった薪と化し、ゆるりと昇る火のように髪が逆立つ。

 

「俺たちに向けた怒りは、本来、誰に向けられるべきものだ?」

 

 ロマの目の前に、鉄剣の柄が差し出される。見上げれば、色を正したゲールの鋭い目と視線が交差した。

 

「お前がいなくても、オレたちがコレールを滅ぼしてやる。その男の首を肴に祝杯を挙げてみせよう。お前は都で病と闘っているだけでもいいさ。剣を持てない者は、等しくオレたちが守るべき市民だ」

 

 真昼の日差しが剣身を走る。

 

 

 

「お前は、どうしたい?」

 

 

 

 無論。答えは決まっている。

 

 ロマは右手を伸ばし──しかと、その剣を掴んだ。

 

 

 

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