夜犬のロマ   作:黒船頼光

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もう一人の天人

 

 騎士団の宿舎は王都中央に聳える城の敷地内にある。二階建ての宿舎の傍には訓練場として平地も設けられている。そして、訓練場に隣接する形で、簡素な処刑場もあった。

 

 模擬戦後、騎士団の敷地からほど近い『聖クレタ病院』の門前に連れて来られた。

 今は病院の門衛に、とある人物を呼んできてもらっているところだ。

 

 ロマは三人の騎士、ゲールとカルロと名前も知らない騎士に囲まれ、鉄の鎖で両手を括られたまま、病院を見上げて感嘆する。

 

 まず、城と都は湖で隔たれている。湖、都、湖、城といった順番だ。そして、城と都は一本の石橋で繋がっている。

 

 聖クレタ病院は石橋の途中、城門手前にしゃんと背を伸ばして佇んでいる。黒い鉄柵に囲われて、色鮮やかな花々に彩られ、真白で四角い煉瓦の建物が中心にそびえる様は、さながら花を手向けられる墓標のようだった。

 

「ずいぶん立派な建物だな。見るからに真新しいが」

 

 三人の騎士の一人、カルロが答えた。

 

「ここは昨年建てられたばかりだからね。時の人シルバーピット・クレーター氏が都で拡大していたエポックの蔓延を止めた功績により、国王様が褒美として都最高の職人たちに建設を命じたんだ」

 

 カルロは肩を竦めて「病の根絶はまだなんだけどね」と言い加えた。

 

 それから五人は壮年の医師に入場を許可され、ゲールとロマのみが診察室に通された。カルロ含む騎士三名は診察室前で待たされる事になった。せっかく護衛として来た騎士たちの存在理由がなくなってしまうが、大丈夫だろうか?

 

「危険だ、とでも考えたか? 生憎、あたしにとっちゃテメェも患者の一人なんだよ」

 

 診察室奥の扉から、白衣を着た少女が不機嫌そうに現れた。

 

「久しぶりだな、ゲール。まだ生きてやがったか」

 

 乱暴で勝気な印象の女だった。黒い髪は肩先までしかなく、中世的な顔つきの所為で男に見えなくもない。左耳の赤い耳飾りは交戦的な顔つきと相まって、背伸びする少女のようで、かえって可愛らしく見えてくる、はずなのに目元の深い隈の所為で台無しである。

 

「本名は聞いてるんだろ? あたしのことはシルバとでも、なんとでも呼べ」

 

 黒髪と彫りの浅い顔つきから見るに、東洋の生まれだろうか?

 シルバはスタスタとロマの目の鼻の先まで来ると、白い手袋を嵌めてペタペタとロマの身体を触り出した。

 

「顔つき西洋人のそれだが、赤い髪は呪いの影響だな。髪色だけ変化する天人なんて初めて見たぞ。肉つきは良いし、栄養失調の様子も無い。古傷の類いも一切無いな」

 

 そこでシルバの手が止まった。ぴたりと時間が止まったように。

 

「これから血、精液、尿、大便、口の中の粘膜、涙といった要素を採取して、てめぇの身体が人間寄りか獣寄りかを調べる──覚悟はいいな?」

 

 その問いに答える間もなく、ロマは小柄な女に蹂躙された。ゲールはそそくさと退室して、事が済んだ時にはもう日は傾いていた。ゲールが戻ると、シルバは丸い硝子の板でロマの体液を覗き込んでおり、ロマといえば診察台の上で「尻が、俺の純潔が」と憔悴しきっていた。

 

「それで、こいつは使えそうか?」

 

 ゲールは気怠げにロマを指差す。ゲールは疲れを癒す間もなく、相当な時間を待たされる破目になって辟易しているようだった。

 

「特別なのは、不死と復活の際に生じる発火反応ぐらいだから、使い勝手は良さそうだぜ」

 

 その後、待機中の騎士を含めた全員で、病院の地下へ向かった。

 湿った石づくりの階段を下りた先で、広々とした空間に二十人分のベッドが等間隔に並べられていた。その内の四台に人の陰が見える。

 

 ベッドの脇に設けられた蝋燭の光が、儚げに患者たちの青白い肌を照らしていた。シルバは患者の一人に寄り添い、白い手袋に覆われた手で、患者の痩せた手を撫でた。患者の反応は無く、か細く呼吸する音を喉で鳴らすだけだった。

 

『エポック』──二年前、何の兆しも無く奴らは現れた。ほんの数名、おそらく偵察の類いだろうと思われたが、その後の感染拡大を経て、それが計画的な戦略であったことを悟った。

 

 偵察隊の排除は難なく済み、対応した部隊が都に戻ってくるや、翌日には部隊の全員が高熱で倒れた。三日目には、体中に赤黒い斑点が広がり、四日目に、悍ましい何かを見たような表情で亡くなってしまった。

 

 三日目の段階で、今度は風俗街で感染が確認され、四日目には住宅街や商店街などの住人にも病は広がっていた。国王は存亡の危機だと判断し、各国の医師を呼び寄せた。

 

 数十名の医療に心得のある者が己の名を上げようと、病の感染経路の解明と治療方法を探した。

 だが、その殆どがエポックに感染し、命を落とした。

 

「偉そうに医師だと公言していたが、どいつもこいつも祈祷師や呪術師の類いだった。呪い(まじない)で病は治らねぇ。呪い(まじない)は一時の安心しか与えてくれないもんだ」

 

 そう語ったのは、シルバであった。

 

 彼女もまた国王の救援要請に応じた医者の一人であったが、その中でも唯一の〝医師〟であった。経験に基づく技術と知識を申し分なく振るい、僅かな時間で感染経路を突き止め、エポックの進行を抑える薬を開発してみせたのだ。

 

 それは正しく偉業。英雄と称されるに値する功績である。

 彼女の正体が『天人』だと知れ渡っていたとしても、人々は彼女を英雄として称賛した。

 

「他の天人を見るのは初めてか?」

「それ、尻尾だよな」

 

 黒く艶のある鱗に覆われた尻尾が、彼女の裾を持ち上げて、ゆらりゆらりと揺れている。

 

「尻尾だけじゃねぇ」と今度は口をあんぐりと開いてみせた。ロマはぎょっとして顔を引いた。彼女の口内が黒かった所為だ。白い布に墨汁をぶちまけたような黒さで、粘膜特有のぬめりで表面はてかてかしていた。

 

 そういえば、彼女の瞳孔は猫のように縦長だった。あれは猫ではなく、爬虫類系の瞳だったのか。

 

「神に呪われたんだよな? あんたは何をしたんだ?」

 

 天人が神に呪われた者を指すと謂うのなら、彼女は神に出会い、何かしら不遜な行いをしでかしたに違いない。

 しかし、シルバは飄々と肩を竦めた。

 

「知らねぇ。神様ってのは、どこにでもいるし、どこにもいない。人前に姿を現すことなんて滅多に無いのに、出たら出たで珍妙な警句を囁くか、呪うかだ。あたしの場合は、独占欲の強い神様の国を出たから、親不孝者めって呪われたんだろうよ」

 

 そいつはまた、器の小さい神がいたもんだ。

 

「要するに、住む人間全てが箱入り娘でないと気が済まない神様だったのさ」

 

 ゲールは溜息交じりに「そういう所が逆鱗に触れたんだろ」と言った。

 

「お前も大概だろ。病で倒れた時も、神を罵倒していたらしいじゃねぇか。そこの優男に聞いたぜ。騎士団では有名な話だって? 呪われずに済んで良かったな」

 

 びくり、と脇役を貫いていたカルロが反応した。ロマの後ろから顔を出し、ゲールの無言の圧力にたじろいだかと思えば、思い出したかのように挙手した。

 

「そういえば、今日から彼を使うんですか? 一応、隔離室は用意してありますけど、流石に明日とかの方が僕たちの睡眠時間的に助かるなぁ、と思ったり」

 

 苦しい逃げ方ではあったけれど、もっともな意見だった。死ねば疲れも病も解消されるロマとは違って、騎士団は遠征の疲れを休息で回復しなければならない。ここで満足な休息も取れないまま、翌日も朝早くから仕事があるとなれば、事故や病気に罹る要因となる。都を守る騎士団としては、休息はもっとも軽んじてはいけない仕事の一つだ。

 もちろん医師である彼女も、その点は誰よりも理解していた。

 

「そうだな。早ければ明日の昼からだ、と言いたいところだが、まだこいつの処遇は決まってないんだろ? そんときはリップに行かせる。今日のところは何もしねぇよ」

「承知しました! では、さっそく別棟まで案内致します!」

 

 彼女の言葉を合図に、そそくさとカルロは踵を返した。もう二人の騎士も顔を見合わせ、ゲールとロマのために道を空けた。

 ゲールも怒る気が削がれたのか、「……行くぞ」と無精ひげを撫ながら歩き出す。ロマもシルバに一言挨拶をして、その後に続いた。

 彼女は振り向くことなく、患者の手を摩り続けていた。

 

 別棟は病院の裏手にあった。

 こちらは丸い屋根の白い建物で、おそらく二階建て。入口は正面の開き戸一枚のみで、窓は二階の側面に一枚ずつの四枚。二階は騎士たちの居住空間で、一階は食堂と礼拝室に加えて装備品の倉庫。そして、ロマの隔離室は地下一階にある。

 

「それじゃ、また明日迎えに来るから」

 

 そう言い残して去るカルロは早々に去った。

 あらためて、牢屋を見てみると、以外にも清潔感のある場所だと直ぐに分かった。

 湖の傍というのもあって、多少の湿気がこもっているのは確かだが、それを踏まえても暑くもなく、寒くもない場所で、ベッドもさらさらとした手触りであった。手足は自由だし、便器は座れる形をしており、真白に輝くのを見るに手入れされているのは明白だ。

 

 石造りの壁際に設けられた机。その上には、針の長い燭台が一つと、蝋燭が三本。

 正直、悪くないと思った。

 そのまま、ロマは仰向けにベッドに倒れ込む。薄い枕に顔を押し付け、四肢を放り出した。そうすれば、睡魔が全身を包み込む。眠気は思考に蓋をして、疲労が杭となってベッドに打ち付けられる。

 

 その日、夢は見なかった。

 

 ◆

 

 翌日、ロマは昼過ぎにリップが監視役の騎士を連れて現れた。監視役の中にゲールはおらず、名前も知らぬ騎士三人のみ。全員が口元を布で覆い、白い手袋を嵌めていた。

 

 先に治療法の開発に専念する方針に決まったそうだ。特にこれと言った会話もなく、しばらくして、シルバが白衣をはためかせ、フラスコ片手に現れた。

 

「まずは感染してもらう。感染が確認でき次第、新薬を試していく」

 

 ロマは受け取ったフラスコの中身を見つめ、目を細めた。少量の赤い液体がフラスコ内部でたゆたっている。どこからどう見ても、血だ。しかも感染者の。

 

「飲め」と急かすシルバを横目に、他の者らに目配せするも、全員が虫のはらわたを目にした時のような酷い表情をしており、自分だけが可笑しいのではないのだと、奇妙な安心を覚えた。

 

 こんな気色の悪い一体感があっただろうか。

 

「本当に飲まないとダメなのか? こう、ちょっと舐めるだけでよかったりしない?」

 

 どうにか逃れようとするロマであったが、シルバは確実性に欠けるのを理由に頭を振った。ここで足踏みしていては復讐から遠ざかるばかりだ。そう自分に言い聞かせ、フラスコのコルクを抜いて呷った。

 

 さらりとした液体を口に注ぎ、味わう間もなく嚥下する。生臭い鉄の臭いが食道から鼻腔をくすぐり、なんとも言えない不快感で嗚咽した。

 

 それから目立った異常は起きず、延々と不愉快な後味に歯をむき出す。

 シルバは満足そうに膝を叩いた。

 

「症状が出るのは、殆どが次の日だ。今日のところはここまで。経過観察はあたしとリップで交代しながら診る」

 

 そう言い残し、シルバは騎士ともども牢屋を去った。残ったのは、口内に残った血を唾と一緒に吐くロマと、その様子に苦笑するリップだけとなる。

 

「流石に気の毒ね」

 

 リップは水差しを差し出し、ロマは反射的に受け取って丹念に口を濯いだ。

 それから用意された簡素な料理を平らげ、不愉快な感触を口から消して、どしりとベッドに尻を着いて横になった。異物を飲み込んだ事実に胃がむかむかする気もするけれど、今更吐き出そうとも思えない。

 

「エポックは体内に入れたら最後だから、王都で感染拡大したときも、感染した騎士が帰って早々に風俗街へ行っちゃって、そこが中心となって都全体に広がってしまったの。くしゃみする時はこっち向かないでよ」

 

 リップは大仰に空気を払った。その反応を鼻で笑い、そっと瞼を下ろした。重労働で鍛えられていたとはいえ、今まで使ってこなかった部位を酷使した結果、今になって、全身の悲鳴が鮮明に聞こえてきた。

 

 壁を向いて、軽く身を丸める。

 すると、沼に沈むような眠気が全身を包み、ロマの意識を暗く閉ざした。

 

 次の目覚めたとき、妙な鬱屈感を覚えた。臓物の全てを鳩尾辺りに押し固めたような窮屈さに襲われ、両手でへそを裂いて中身を解したい欲求に駆られているのに、四肢を動かすのも億劫になるほどの倦怠感も覚えている。

 

 間違いなく、感染していた。

 

 にじむ視界の端から白い陰が見える。

 ゲールだ。

 布で顔半分を覆っており、布の上に覗く眉頭は吊り上がっている。

 

「顔が赤い。あとは苦しそうだ」

「下手か。もっと細やかに診てくれ」

 

 これはシルバの声か?

 ゲールは小娘に叱責されて首を傾げた。

 

「別に他と症状は同じに見えるぞ。顔が赤くて、息苦しそうだな」

「さっきと一緒じゃねぇか! 天人の感染が初めてで、もしもを危惧したあんたが自分から診ると言ったんだ! しっかりしてくれ!」

 

 めためたに叱られている。しかし、嘲笑してやれるほどの余裕も無い。

 とうとう、シルバは痺れを切らして、ゲールを押しのけた。今度は黒い陰が視界に入った。弾けるように消えていった白い陰から、なんとも物悲しい雰囲気が漂っている。

 それを一顧だにせず、シルバは診察に入った。

 

「熱と脱水症状は出ているな。斑点はまだ出てきてはいないが、ところどころが赤くなってる。進行が早い……おい、ロマ! 今まで大きな病に罹ったことはあるか?」

「……なん、で……」

 

 ひどく掠れた声が出て、驚きに目を見開き、その際にぼろぼろと涙が零れる。

 

「風邪をひいたことは? なんでもいい。身体に異常が出たことはあるか?」

 

 ロマは混濁する意識の中、混雑する過去の情景を漁ったが、めぼしい出来事は何も出てこなかった。思い出した事と言えば、頼範さんの顔だった。優しく朗らかで、こういう人が父親なのかもしれない。そう思っていたのに、再開して早々──。

 

 そこで、ロマの世界が明滅した。

 シルバの真剣な顔が弾けたかと思えば、母の笑顔がちらつき、次にゲールの不機嫌そうな顔が現れた。絶え間なく目の前の人物が入れ替わり、ロマの身の内から沸き上がったナニカが、鉄塊のように重い腕を動かした。

 

「おれ、は……お、れ、は……」

 

 ゆったりと持ち上がった手が右に左に揺れ、シルバの白衣へ伸びる。

 その手を取ろうとする彼女の手が、払い退けられ、ごつごつとした岩に包まれた。

 

「しっかりしろ」

 

 ごつごつと分厚い手がロマの手の甲を包んで、そのままベッドに押し付けられる。

 

「うる、せぇよ。クソ野郎」

「そんだけ言えりゃあ上等だ」

 

 ゲールは挑戦的な笑みを湛えた。

 

 ◆

 

 少し古い夢を見た。

 

 錆だらけの記憶は灰の山に埋もれ、その記憶を掘り出す度に、両手が真っ黒に汚れ、拭っても拭っても皺の隙間にこびりついて取れなくなる。

 

 気持ち悪くて、腹立たしくて、涙が零れ落ちそうになる。

 

 それが堪らなく嫌だから、蓋をするのだ。

 もう二度と、掘り起こさなくて済むように。

 

 ◆

 

「心の準備はできてるか? 始めるぞ」

 

 ここで、病気の苦しみと新しい治療法の苦痛を延々と繰り返してもよかったが、手っ取り早く結論を述べさせていただこう。

 

 今回の試みは失敗に終わった。

 

 というのも、青い粉を飲まされたりしただけで、これといって明記するほどの変化が無かったのだ。結局、エポックは進行して死に至り、正常な身体で復活した。

 復活した翌日、シルバから説明を受けた。

 

「今後は訓練の合間に開発を進める。基本的にはリップを向かわせるから、大人しく付いて来いよ」

 

 彼女なりの都合があるのだろう。聞くところによると、彼女はリップから神話と占いについて学び、神秘の領域から解決の糸口を探っているそうだ。疫病の治療のために、専門外にまで手を広げる彼女の意欲に、ロマは素直に関心した。その前向きな姿勢が、彼女を医師たらしめているのは明白だ。

 

 

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