クラリスのお姉さんのお墓は、この建物を出て裏手にある崖沿いを少し下った横穴にひっそりと建てられていた。それだけではなく、まわりには大小不揃いの墓石がいくつも不規則に立ち上がっている。ゴライアスがさっき言っていたように、ここに住んでいた星見たちが眠っているんだろうか。
狭間の文字でクララの名が掘られた墓石の前で、クラリスはただ力なく跪いていた。
墓石の横には、星見の杖が突き刺さっている。よく見れば、他の墓石のそばにも同じように杖らしき棒が刺さっていた。状態はさまざまで、ほぼ朽ち果てて輝石も外れてしまったような元の形が分からないものから、比較的新しく杖の状態を保っているものまであった。
わたしはゴライアスに人の心がないと思ったことを後悔した。気持ちに寄り添えない人間がこんな風にしっかりとしたお墓を作るはずもない。
「お姉ちゃん……」
クラリスは震える手で突き刺さった杖に指先を触れた。
「お姉さんの杖、なの?」
クラリスはわたしたちに振り返らずに、ただ頷いた。ここに来ているのはクラリスとわたしとレナラだけだ。ゴライアスは案内するだけして建物の中に引っ込んでしまったし、ボルスさんは「お主たちだけの方が良かろう」と言って一緒には来なかった。
同い年の子供だから、クラリスに寄り添ってあげられると考えたのだろうか。かといって、わたしたちが居たところでクラリスの気休めになどなるわけがないとも思えた。たった今家族を亡くした女の子に一体何を言ってあげられる?
わたしがただクラリスの後ろ姿を見つめていると、横にいたレナラが一歩進み出た。
「……あなたの姉は、この創星の頂までたったひとりでたどり着いて見せた。この天才たる私ですらそうしようとは思わなかったし、事実そうしなかった」
レナラは跪いたクラリスの横でしゃがむと、墓石に掘られた名前に指を触れる。
「クララ、私はあなたをその一点の偉業において尊敬する。出来るなら生きている時に逢いたかった。そしてクラリス、あなたもまた私が出会った中で、最も勇気がある星見のひとりである事は間違いない。そもそも勇気無き人間はこの巡礼をしようとも思わないのだから」
「わた、わたしはっ、レナラとアヤノに助けられたからっ。私ひとりじゃ、何もできない! お姉ちゃんだって私のために死んだ! 教えてよ! あんなに優秀だったお姉ちゃんが死んで、こんな役に立たない私が生きてて、いったい何の意味があるの!? お父さん、お母さん、お姉ちゃん……どうして……?」
振り向いたクラリスはぼろぼろと泣いていた。いたたまれなくなって、わたしは思わずクラリスを抱きしめた。そして背中をできるだけ優しくさする。何の言葉も思い浮かばないわたしでは、もはやこのくらいしかできない気がした。
「ねえ、私を置いていかないで……お願い……」
クラリスは上の空のような声で呟くと、私の背に力なく手を回した。わたしは目を閉じた。クラリスの身体は魂が抜けてしまったかのように、ひどく脆く感じる。
「クラリス、わたしたちではあなたの悲しみにはきっと寄り添えない。でも今こうして一緒にいることはできる。わたしたちはここにいる。だからどうか、我慢しないで」
わたしはクラリスの身体を抱きしめる力を強めた。クラリスの身体が緊張してぶるりと震える。
「……私は、いつの間にか遠慮しててっ、ずっと負い目があったっ。きっとお姉ちゃんだって、私に文句とか、不満とか、沢山あったはずなのにっ。それを言わせないようにしていたのは私だった! 私の調子が悪いときもいつだって、2人分働くから大丈夫って。私がもっとちゃんとしていれば、お姉ちゃんがひとりでここに来ることも、きっとなかったはずなのに……ごめんなさい、お姉ちゃん! 本当にごめんなさい……!」
クラリスは大声を上げて泣いた。わたしたちはただその側で、クラリスの慟哭を聞き続けた。
※
どれくらい時間が経っただろう。クラリスが泣き疲れて落ち着きを取り戻した後、わたしたちは墓石を後にした。クラリスはもはや涙すら涸れ果てたようで、鼻で細く息をしながらわたしたちに付いてきていた。
わたしもレナラも、建物に戻るまでクラリスに声を掛けなかった。クラリスの中でお姉さんの死に対して折り合いをつけるには、長い時間が必要だろう。そしてきっと、わたしたちにそれを助けることはできない。
正門から建物の中に戻ると、エントランスの脇で座っていたボルスさんがただ穏やかな笑みを浮かべて出迎えてくれた。相変わらず鬼のような顔だけれど、それでもわたしたちはボルスさんの表情から気持ちを読み取ることができるようになっていた。
「3人とも戻ったか。奥の部屋に白湯と飯を用意しておる。冷えた身体には染みるぞ」
「ありがとう、ボルスさん」
「そろそろ肉以外も食べたいところね。はるばる訪ねてきてやったのだから丁重にもてなして欲しい所だけれど、あいつのあの感じではそれすら望めそうにないかしら」
「まあそれはね……」
わたしは苦笑いしながらレナラに同調した。確かにゴライアスはわたしたちを歓迎しているとは言いがたい。ただレナラの声音は不満というよりは、それ以上に棘があるように聞こえる。
「クラリス、行こう」
やや俯いたまま扉の前で立ち止まっているクラリスの手を引く。何も返事は無かったけれど、それでもクラリスは一緒についてきてくれた。ずっと外にいたわたしたちの手はとても冷たくて、お互いの体温も感じ取ることができないほどだった。
「そういえば、秘法っていうのが本当にあるのかゴライアスに聞いてみなきゃいけないよね」
「そうね。でもあったところで、そんなものを教えるつもりがあるのか甚だ疑問だわ」
「えっ?」
「……いえ、可能性の話よ。どうせすぐに答えは出るのだし、今考えることじゃない」
レナラは歩きながら少し考え込むような仕草をしていた。
「ボルス、あの女、何かおかしいと思わない?」
「ん? まあ……かなり強烈なヒトの女だとは思うが、そういう事ではないのか?」
「違うわ。それも間違ってはいないけれどね」
「何か気になることでもあったの?」
レナラの顔を覗き込むと、何か引っかかることがあるふうにどこか落ち着きがない。
「ええ、まあ。でも……本当にそんなことが? いや、でも私達はこの旅でいくつも想定外に出会ってきた。だから絶対に無いとは言い切れない……」
今考えることじゃないと言いつつ、レナラの独り言は止まらなかった。まあ考えさえまとまればレナラは特に隠し事をしない女なので、そのうち改めて聞いてみよう。
※
かつてここの住人に使われていたであろう埃っぽい食卓を星明りの青白い光の中で囲む。やがてご飯を食べ終わる頃、わたしたちのもとに何故か帯剣したゴライアスがやってきた。なんでも原初の星見が創り出した最古の魔術を披露してくれるらしい。それが星見の秘法なんだろうか?
わたしたちがゴライアスに着いて広い廊下に出ると、出口のそばでわたしたちを見送るように立つクラリスが横目に見えた。
「おい、何を突っ立っている。お前も来い」
「私は……そのためにここに来たわけじゃないから。それに、本当ならきっと私はここにたどり着くまでに死んでいたはずだもの」
クラリスは投げやりに言うと、暗い瞳でゴライアスを見返した。クラリスはもはや、家族の中で自分だけ生きていること自体が許せないのかもしれなかった。
「愚か者め。それだからお前たち地上の星見は腑抜けだというのが何故分からん。何に助けられても良い。辿り着くまでにどれほどの苦難を重ねたのか、当人がいかなる意思を持っているかはまるで関係がない。お前たちが今此処に立っている、その事実こそが運命だと思え。勝手に悲観して逃げおおせる脆弱さを私の前で見せることは許さん」
ゴライアスは舌打ちして、まるで先生が生徒に叱るように語った。わたしは既に、この人は実はかなり優しいのではないかと思い始めていた。ただ同時に、それを口にすればレナラと同じように怒るような気もした。
※
「えっ」
わたしは思わず目を見開いた。そして目を擦った。
再び建物の外に出ると、空には満天の星空が広がっていた。
それだけなら驚かない。わたしが驚いたのは、月が恐ろしいほどに大きくなっていたからだ。もしかして、落ちてくるのではないか、と思うほどに澄み切った白い満月がわたしたちを覆い隠すようにして見下ろしていた。
レナラとクラリスも同じように足を止めて月を凝視していた。信じられない。いくら高い場所まで来たからと言って、こんな風に空がいきなり近づいてくるなんて誰が想像できるだろう。
それはゴライアスが不快そうな声で早く来いと急かすまで続いた。
ボルスさんにとっては当然のことだったようで、「ああ、山嶺では空が特に近く見えるのだ、知らんかったか?」なんて何気ないふうに言うのだ。いや、ここまで来たこと無ければ普通分かんないって!
ゴライアスに着いて、わたしたちは氷河が一望できる崖際で立ち止まった。
そしてゴライアスは崖に向かって、腰から剣を抜き空へ掲げた。金の複雑な装飾をあしらった、村娘のわたしでも分かるような高貴な儀礼剣だった。
するとボルスさんが遠慮がちに声をあげた。
「ふむ、聞けば秘術の類であろうが……こうして着いてきてなんだが、星見でもない儂も同席して良いのか?」
「構わん。星見でない者が見たところでけして習得できるものではない。お前たちが生まれるはるか前より、数えきれない命知らずどもがこの星見の源流を求めてこの頂にやって来た。だがその中の誰1人としてこの原初たる彗星の輝きを掴むことは出来なかった。さて、お前たちはどうだ?」
「えっ、それって、今まで誰もその魔術を覚えられなかったってことですか?」
「その通り! ゆえに私は貴様ら現代の星見の惰弱さに失望している。そしてこの輝きを己が物に出来るかどうかは、これより披露する光景を一目見れば理解できるだろう」
うわぁ、なんか天才的な人しか覚えられなさそうな魔術だ。わたしには無理だろうけど、レナラならできるだろうな。こういう「試し」をレナラが突破出来ないのをわたしは想像できない。
ちらりと隣のレナラを横目で見る。でも、レナラは不快そうな顔をしていた。
さっきからずっとレナラの様子がおかしい。何が気になるんだろう。まあ、試されてるのが単に不快なだけなのかもしれないけれど。
「刮目せよ!」
ゴライアスが檄を飛ばした。わたしたちは目線をわずかに上げて夜空を見上げる。
「これが宙の果てより飛来した始まりの流星群にして星の琥珀の輝き、《ゴライアスの星雨》である!」
剣を振り下ろした。瞬間、空が暗くなり、煌めいていた星やあれほど大きかった月すら景色から消え去った。そして視界を埋め尽くすほどおぞましい数の青い星が瞬く。そしてそれらは一斉に青い流星郡として目の前に降り注いだ。それはまさに星の雨であり、そのひとつひとつが魔術師たちが弄ぶ星の琥珀であることをわたしは直感で理解した。これが狭間の地に星の琥珀が落ちてきた原初の光景なのだと。ゴライアスはそれを魔術として再現してみせたのだ。
やがて流星群が止むと、月と満天の星空が戻ってきた。凄まじく精巧なVRプラネタリウムを見ている気分だった。凄く綺麗だったけれど、わたしにはそのくらいの感想しか言えない。
……たぶん、こういう感じだとダメなんだろうなあ。
じゃあレナラは? わたしは隣のレナラに声をかけようとした。
「ふうん、思ったよりしょぼいのね」
「ほう?」
えっ……? わたしは唖然とした。えっ、凄かったよね。めっちゃ綺麗だったし。ゴライアスはというと、眉をひそめてレナラを見つめている。
「原初の星見の秘技がこの程度? 笑わせるわね。私達を舐めるのもいい加減にして」
「ちょ、ちょっとレナラそれは」
さすがに星見の先達を罵倒するのはまずい。村の大人たちの言うことを聞かないのとは訳が違う。
レナラを思わず止めようとして、その先の言葉を飲み込んだ。レナラの表情を見たからだ。
目を見開いて口を結んで、明らかに怒っていた。ブチ切れていた。
「ほう、お前。我ら星見が垣間見た原初の景色を愚弄するというのか?」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。愚弄しているのはお前の方でしょ。今のを見て確信した。本体も寄越さずこんな劣化した魔術を私達に見せて何がしたいの? そして顔も合わせず話をしたがるお前みたいな奴は信ずるに値しない。星見の祖がこんな矮小な魔術しか放てない
「え?」
人形? この人が?
見た目は変わってるけど、どこからどう見ても血の通った人間にしか見えない。
「お前、名は?」
「人形に名乗る名は無いわ」
ゴライアスは口角をつり上げて、あろうことかレナラの前に跪いた。
「―――故有って、この身体で貴様の前に立ったことを謝罪しよう。そして我が名は真名であると誓う。どうだ?」
「……レナラよ」
レナラは少し迷ったあとに、静かに答えた。
するとゴライアスは心底愉快そうに大声で笑った。そして立ち上がりローブを翻し、雪のように白い髪を揺らして歩き出す。その動きはひどく人間らしくて、人形が動いているだなんて言われても信じられない。
「ハハハ! レナラ、この身が人形であると見破ったのはお前が最初で最後だ。来い! 我が創星の魔術を教えてやる」
「遠慮しておくわ。私、こんなしょぼい魔術は必要ないし、何なら脳味噌に刻みつけておく価値すら無いもの。ただの無駄よ」
「ふん、生意気な小娘が。だが許す! そしてお前の都合など知らん。けして後悔はさせぬとこの原初の星見、《創星》の
ゴライアスの青い瞳が突然わたしを捉えた。思わず身体がびくりとする。
「わたし!? あっはい、アヤノです」
「お前、
ゴライアスはずいとわたしに顔を近づけて、その青い瞳で引き気味のわたしの表情を覗き込んだ。うーん、運命が見えないと言われてもわたしもわたしの運命が見えるわけじゃ無いので何もわからない。ゴライアスは人の運命が見えるほどに星見として卓越してるんだろうか。原初の星見っていうくらいだから、そうなのかもしれない。
「生まれ変わりだからじゃないの? アヤノは前世の記憶があるから普通の人間とは違うわ」
「馬鹿者が、その程度で運命が読めなくなるわけがなかろう。この星空の下に生存している限り誰1人、巨人から目に見えぬほどの小虫まで運命からは逃れられないと知れ」
わたしに前世があるというのをレナラが暴露してもゴライアスは全く意に介さなかった。
前世の記憶があることが特別でないのなら、わたしはただの14歳の小娘にすぎないので、ゴライアスの疑問に答えるための理由が無くなってしまう。
「おい、お主、巨人と名乗ったか? それは一体どういうことなのだ?」
ボルスさんが少し焦ったようにゴライアスを見た。確かに、さっきゴライアスは確かに巨人と名乗ったのだった。
「そのままの意味だ。この私こそが古の巨人が1人、ゴライアスである。かつて寿命を迎えた身体を捨て、この人形に魂を移すことで生き長らえている。それも我が星雨を受け継げぬ、現代の星見の惰弱さによるものだが……ようやくこの狭間にのさばり続けた甲斐が有ったというもの」
「待て、では此度再誕する山嶺の《大樹》は、もしや……」
「フン、ようやくあの死体も役目を終える。己の死体がありがたがられるなど怖気が走ること極まりないがな……もしや貴様、私の死体から生まれたトロルか?」
「……そ、そのようだな」
ボルスさんは明らかに戸惑った顔をしていた。要はボルスさんはゴライアスから生まれたということになるらしい。つまり唐突に目の前に母親が現れたということで、それはちょっと焦る。
「なんだその顔は。言っておくが私はお前の母親でも何でも無いぞ。お前達トロルが《大樹》などと呼んでいるのはただの死体だ。私は死体から勝手に生まれた者たちの親を名乗るつもりは無い。私と《大樹》は全く異なる存在だと考えよ。じきに私の死体より新たに生まれ出づる巨人とて同じことだ」
「あ、ああ……それは、分かっているのだが……」
「この話は終わりだ! 時間が惜しい。レナラよ、早速明日から魔術指導を始める! アヤノ、クラリス! お前たちも同様だ! 我が星雨を受け継げなくとも関係ない。惰弱かつ腑抜けに成り下がった貴様らを原初の星見として鍛え直してやろう!」
「待ちなさいよ。私はまだ受けるなんて言っていないわ」
「お前は馬鹿か? 星の運命がそう云っている! ゆえに逃げる理由を探すなど不毛以外の何物でもないが、それほどにお前が愚かではないことを私は願っているがな」
ゴライアスがわざとらしく嘲笑うと、レナラは明らかにむっとしていた。そして、やってやろうじゃない、なんて呟いた。
凄い。恐ろしいことにゴライアスはすでにレナラの操縦方法を心得ていた。
※
なんだかいきなりゴライアスから魔術を教えられることになってしまった。
しかもレナラだけでいいところが、明らかに失格であろうわたしとクラリスまで面倒を見るというのだからやっぱりいい人だと思う。というより、人の面倒を見るのが好きなのかな?
わたしたちはゴライアスから小さな寝室を別々に用意された。ボルスさんですら専用の部屋があるのだから、この建物は昔、トロルも頻繁に出入りしていたのかも知れない。昔はきっともっと賑やかな場所だったんだろう。
寝室はベッドと小さな机だけが置かれた簡素な場所だった。しかも長らく誰も使っていないようで色んなところに埃が被っている。やっとのことでそれを掃除して、明日に備えて寝ようとした時、入口の薄いドアがノックされた。
入ってきたのはレナラだった。何故か両手にはどでかい藍色の頭巾のようなものまで抱えている。どこからか防寒具でも引っ張り出してきたんだろうか。
「ねえ、少し歩かない?」
レナラは今日も夜行性である。色んな事があったのに本当に元気だなあ、なんて思いながらわたしは頷いた。
※
建物を出て澄み切った空気の中、ときおり吹く風の音と、わたしたちが雪を踏みしめる音だけが聞こえる。
ふとわたしは先程のことを思い出して、口を開いた。
「ねえレナラ、そういえばなんでゴライアスが人形だってわかったの?」
きっとレナラがずっと気になっていたのはそのことだ。そしてその予測はきっと的中したということになる。
「ああ……だって、なんだか存在感が希薄だったでしょう、あの女」
「えっ、そうだっけ?」
むしろ存在感と個性がバリバリ出てたと思うけれど、レナラから見るとそうでもなかったようだ。
わたしが首を傾げるとレナラは薄く笑った。
「まあ、アヤノは気づいたとして気にならないかも知れないわね。基本的にお気楽だもの」
「そ、そこは否定できない……」
「魔術を使う者には大なり小なり星の香りが染みつく。輝石の香り、と言い換えても良い。私達だってそうよ。だから魔術を日常的に使う人間はわかりやすいのよ。それだけ香りが濃いから。あの女は熟達した星見だって言うのにあまりにもその香りが希薄だった。いいえ、希薄すぎた」
「え、そんなこと授業でやったっけ!?」
マジで初耳である。というか星の香りって何!? レナラには一体何が見えているんだ。レナラは意外そうに首を傾げた。
「アヤノ、あなたわからないの?」
「わからないってば。ていうかレナラ以外分からないんじゃない? それ。だってそんな特定手段があるなら普通、村とかレアルカリアで少しくらい聞いてもおかしくないでしょ」
「常識だから誰も言わないだけじゃないの」
「絶対違うから! レアルカリアに帰ったら誰かに聞いてみてよ。みんなわたしと同じような反応すると思うよ」
「信じられないわ。しないの? 屑輝石*1を砕いた時にするみたいな香りよ」
レナラは本当に困惑していた。もちろんわたしには屑輝石を砕いた時に香りなんて感じたことはない。ただ、レナラは魔術に対する感覚が普通とは隔絶しているので、レナラしか感じ取れない雰囲気のようなものが香りとして現われているんだろうと思った。
「それもわたしは分からないけど、まあレナラがそう言うならそうなんでしょうね」
「……私が言うのも何だけれど、あなた人を信じすぎよ」
「なんで? レナラは別に嘘は言ってないでしょ」
「そうだけれど……私なら、自分に感じ取れない感覚をすぐに信じようとはけして思わないわ」
ばつが悪そうにレナラはわたしから目線を逸らした。
まあ確かに、レナラはそうだろうなと思う。それは疑り深いとかじゃなくて、自分自身で納得したものでないと信じられないレナラの気質から来るものだ。
「だってわたしレナラのこと信じてるし。だから仮にレナラの見立てが間違ってても、まあそういうこともあるよねって感じ。ほら、これなら信じることに何の不安もない」
「それは思考停止と言うのよ。アヤノ」
レナラは溜息をついた。きたっ、わたしはにやりと笑った。
「まあ、魔術についてはそうかもね。同じようにわたしはレナラのキレやすさとか、やたら煽りたがるところも信じてるよ。だからいつも止められるように準備してるもの」
「なっ……」
レナラの顔が固まった。今日のはゴライアスにも非があるからなんとかなったけど、さすがに明らかに目上の人と真正面から喧嘩しそうになるのを見ると胆が冷える。
ちらりとレナラの方を見た。意外にもしょぼくれていた。あらら。
「それは……いつも悪いと思ってるわよ」
「別に怒ってないよ。そりゃ、もうすこし落ち着いてくれたらなって思う時もあるけど、わたしだってレナラに助けられてることばっかりだしさ。人のこと言えない。つまり何が言いたいかって言うと……難しく考えなくたって、お互いに足りないところは委ねあって、信じ合ってる。って風でいいんじゃないかなって事!」
レナラはほんのすこし目を見開いてから、仕方なさそうに目を細めて苦笑いした。
「……そんなだから、お気楽だっていうのよ」
「レナラに足りない部分を補っているんだよ」
「良い方向に言えばそうなのかもね。まあ……だからそういうことよ。最初はあの女が影武者かもしれないとも思ったから言わなかった。でも私達の目の前であの矮小な星の雨を降らせてみせた」
「あれはあれで綺麗だったけれど、気に入らなかった?」
「そうね、確かに美しい。でも美しさだけに特化したただの不自然な見世物よ、あれは。しかも高位の星見でなければ到底不可能な芸当。私達はそんな能力を無駄遣いした大道芸を見にここまで来たわけじゃ無いのだから、腹も立つわ」
なるほど、わたしが綺麗だなって思っただけで他の感想を抱かなかったのは、ある意味で正しかったのかもしれない。
「そしてあれほど卓越した魔術を使うほど研鑚しているにも関わらず、星の香りがあまりにも弱かった。だからあの女は非生物であると私は断定した。まあ、その実が人形っていうのはほぼ勘のようなものだったけれど。自律駆動するゴーレムなんてものがいるのだし、レアルカリアにも単純な魔術人形はあるからね。もしかしたらって思ったのよ」
「レナラ、本当に凄いよそれは」
わたしは思わずささやかに拍手していた。そりゃゴライアスもあんなに嬉しそうにするわけだ。これは絶対にレナラ以外には到達できない。
「ふん、私に正体を見抜かれる程度の星見の祖とやらが私に何を教えようというのか、興味深いわ」
「レナラ以外じゃ絶対に見抜けないと思うけどねえ」
そんな風に話しながら、氷河側とは逆の崖側に行き着く。はるか遠くにはローデイルらしき城塞がミニチュアのような大きさで見通せた。街の中からは夜中にも関わらず、たくさんの小さな光が漏れている。
電気も無いようなファンタジー世界なのに当たり前のように夜も明るいなんて、マリカの現代日本の景色を取り戻したいという言葉は真実なんだと思い知らされる。
「アヤノ、上を見て」
レナラはいつの間にか隣で体育座りをして、空を見上げていた。その視線の先には巨大な白い満月がある。そういえば、さっきはゆっくり星空を見ている時間もなかったなと気づく。レナラはこの景色を一緒に眺めるためにわたしを誘ったのだろう。
わたしもレナラの横に同じように体育座りをして、月を見上げた。
しばらくお互いに無言で、輝く月を見上げていた。やがて、レナラがぽつりと呟く。
「綺麗な月ね」
「うん。すっごく。わたしもそう思ってた」
「ずっとこんな満月が見られれば良いのに。すぐに欠けて何処かへ行ってしまうのが惜しいわね」
「うん、でも無くなるわけじゃないよ。ただ隠れて見えないだけで、月は間違いなくそこにある」
「そうなの?」
レナラは目を丸くした。それはそう。そんなことをは誰にも教えてもらえないからだ。このファンタジー世界では月の満ち欠けに関するメカニズムの知識なんてない。そもそわたし自身、この世界における太陽と星と月の位置関係が科学的にどうなっているのかあまり分かっていないけれど。
「たぶんね」
「何よそれ」
レナラはおかしそうに笑った。こんなに機嫌の良さそうなレナラは珍しい。月を見つめながら目を煌めかせているレナラは、横目で見てもどこか魅了されそうな美しさがあった。
「何にしろ、きっと私はこの満月が一番好きよ」
「そっか、じゃあレナラに選ばれなかったそれ以外の月が可哀想だから、わたしは新月を好きになろうかな」
「どういう理屈よ……というか、新月って何よ」
「完全に見えなくなってる月のこと。今わたしが考えた」
それはさすがに嘘。
「……あなたが前に生きていた世界では、そう呼ばれていたんでしょうね」
「バレたか。でも、信じるの? 魔界的表現」
「ええ、あなたが私を信じているように。私もあなたを信じるわ」
レナラは目を細めて、宇宙のように青い瞳で私を見つめた。寒すぎて、頬が赤くなっている。
「それ、被らない? 寒いから持ってきたんでしょ」
「ああ、そうだった。忘れてたわね」
わたしはレナラが持ってきたやけにでかい頭巾を指さした。レナラにしては珍しく持ってきたことすら忘れていたらしい。
わたしたちはその三角形の頭巾をふたりで肩を寄せ合いながら被った。それだけで耳元と顔が暖かくなる。頭がふたつ入ってもスペースに十分余裕があるのだから、もしかしたらトロル用の頭巾か何かかもしれない。
「ねえ、アヤノ」
「んー?」
「ありがとう。ここまで一緒に来てくれて」
レナラの口から白い吐息が漏れた。
「今更何言ってんの。昔からでしょそんなの」
「……アヤノはそれが嫌だって思ったこと、無い?」
「ないよ」
「本当に?」
レナラらしくない不安な顔だった。
「ないってば。それとも信じられない?」
「……私は、あなたを都合良く振り回しているかもしれないと思ってた。今も、そう思ってる」
わたしもなんとなく、レナラがそこに少し負い目を感じているのかもしれないと思ったことはある。
『……アヤノとレナラは、なんだか姉妹みたいだね』
ふと、クラリスにそう言われたことを思い出した。わたしもレナラも、お互いに「しょうがないな」って思う時もあるけど、お互いに許し合いながら、足りない部分は補い合っている。
それが姉妹の形だというなら、そうなのかもしれないと思った。
「こうしてるとさ、わたしたちって姉妹みたいだよね。だからお互い様で許し合える。物心ついたときから一緒にいて、今じゃこんな世界の一番高い場所に来てるもの。親友ってだけじゃ、きっとここまで一緒にいられなかったよ」
「……アヤノ、あなたは時にわたしを諌めてくれる姉であり、時には手のかかる妹でもある。私達は親友であり、姉妹よ。たとえ血が繋がっていないとしても……そうね、私達の心は今、この満月のもとに繋がっている。その、私は、そう、思ってるわ」
レナラはわたしから顔を逸らしていた。恥ずかしいことを言っている自覚があるのか、もはや顔は真っ赤だった。これは絶対に寒いせいじゃないとわたしでもわかる。
「何か言いなさいよっ!」
意地悪してるわけじゃないんだってば。わたしだって嬉しいよ。だから、何を言おうかちょっと考えちゃった。
わたしはレナラに向かってにっこりと笑いかけた。顔が熱い。きっとわたしもレナラと同じくらいの恥ずかしさを感じてると思う。
「じゃあわたしもこの満月に誓うよ。わたしとレナラはずっと一緒! これまでもこれからもね」
後々考えると、本当に不用意な約束だったと思う。
でもこの時のわたしはつい、この場所のエモさにのってしまった。この可愛らしい天才の姉妹と一緒なら、きっとこの星空のように、輝ける満月のように、キラキラした未来が見えるのだと、そう思っていた。
そして、この時のわたしはまだ知らなかった。
存在しないものに対して名前を付けて、それがあたかも本当に存在しているかのように振る舞った時、その結果何が見いだされるのかなんて、知るよしも無かったのだ。
―――――――――――――――――――――――
ねえクラリス。あたしもうすぐ死ぬわ。ごめんね、本当はずっと怖かったの。今だって怖い。本当のあたしは泣き虫で、いくじなしで、あなたが尊敬するような姉じゃないの。でも、クラリスがいたからあたしは頑張れた。うじうじしてるあたしの心を、あなたが隣でいつも勇気づけてくれた。自分のことを誇れるあたしでいさせてくれた。ねえ、それがどれほどあたしにとって力になっていたか、あなたにわかる?
……わからないよね。そんなこと、ろくに喋ったことなかったもんね。あたしたち。
あー、一度くらい、クラリスの前で泣いてやればよかったな。そしたら、もっと違う方法で一緒に生きていけたのかもしれないのにね。
でも、頼りになるお姉ちゃんでいられたのは後悔してないよ。
「ねえ、お願いがあります……もし妹が、クラリスが、ここに来たら、伝えてください。自分を責めないで、って」
「嫌だね。どうしてもそうしたいのであれば、己の力で伝えることだな」
ごめん、それはたぶん無理かな。
ゴライアスに頼んで、おんぶして外に連れて行ってもらう。凄い嫌そうな顔をしていたけれど、ごめんなさい。本当に死ぬ前の最後の頼みだから、許して欲しいな。扉の外に出る。頭上に大きな月と満天の星が広がる。目がかすむ。
出来ることなら、クラリスと一緒にこの景色を見てみたかったな。だって、そう約束したから。あの子、これ見たらきっと驚くだろうし。
心残りがあるとするなら、それくらい。クラリスは自分が思ってるよりずっと強い子だから、きっとあたしがいなくたって生きていける。
そうであるように、あたしは星が導いてくれるはずの運命に願う。
あの子から強さを奪ったのは、頼れる姉でありたいと思ったあたしだ。だから今、そんなバカな姉であることを捨てよう。
「
「あた、し、は……」
見てみたいな、クラリス。あなたがこれから、どう生きていくのか。あなたはきっと、あたしなんかが計り知れないような、ずっと偉大な星見になれるはずだから。
―――――――――――――――――――――――
《星見姉妹の伝承》
星見の伝承が刻まれたタリスマン
知力と技量を高める
星見の少女たちは、宙を目指し歩いた
ずっとずっと、星を追って旅をした
そして満月と出会い
姉妹はやがて運命を分つだろう
《グレートフード》
頭よりも遥かに大きいフード
追い求めた真実に出会ったとき
それに包まれ、死んでいくための装束
HPと引き換えに、知力と信仰を高める
幼き星見の姉妹は
巡礼の末に確かに見上げたのだ
白き満月、そして黒き円環を
これにてレナラと満月を目指す1章はおしまいです!
もちろんお話はこれからもつづきます!みんな読んでくれてありがとねー!ちょーうれしーよー!
ぜひお気に入り・評価・感想などお待ちしてます!みんなの応援がわたしの力!