村の幼馴染が魔術の天才だった   作:きなかぼちゃん

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15.火の巨人

 山嶺で過ごしたある日の夜、夢を見た。

 

 子供の頃の話だ。お父さんとお母さん、家族3人で田舎の自然公園に車で行って、たくさんの綺麗な河津桜を見た時の夢。歩き疲れてわがまま言ってたわたしを頑張れって励ましながら、一面に桜並木が見渡せる小高い丘の展望台までお父さんが手を繋いで連れて行ってくれたっけ。

 

 確か……そこで写真を撮ったんだったかな。お母さんはカメラが好きで、景色をバックに一眼レフで集合写真をよく撮っていたっけ。三脚に付けたカメラのタイマーを押してバタバタとこっちに駆けてくるお母さんの姿を、わたしはよく覚えている。

 

 もう両親の顔なんて忘れかけていたのに、どうして今になってこんな昔のことを思い出すのだろう?

 

 …………。

 

 ううん、本当はわかってる。

 

 わたしはきっと過去を羨んでいる。帰りたいと思うわたしが、けして忘れるなと叫んでいる。

 でもきっとそれは無理だから、せめて思い出を形に残したかった。名前だって失いたくなかった。

 茉莉花(まりか)と同じように、わたしはきっと前世に囚われている。

 

 そうでなければ、1度死んだくせになぜ麻生綾乃(あそうあやの)という名前にすがる?

 だからあんなことを言われても、わたしは茉莉花(まりか)の願いを否定することはきっとできない。

 

 

 

 

 その日はどんよりとした暗い雲に覆われていた。

 ボルスさんによると《再誕》の儀はお祭りみたいなものらしいので、できれば晴れてて欲しかったなあってちょっと残念。もしかしてお土産とか売ってるのかな? あったとして、そもそも巨人とお金の取引が成立するのか……?

 

「遅いぞボルス! 巨人の誕生に間に合わぬと要らぬ心配をしていたのはお前であろうが」

「済まぬな、色々と用意していたら準備が滞ってしまった」

 

 ゴライアスが不機嫌そうに声を飛ばすと、たった今玄関から出てきたボルスさんは髯を触りつつ申し訳なさそうに軽く頭を下げた。見慣れたグレートソードを背に担いで、身体には大きな鮮やかな青いマントを纏っていた。厚手の艶やかな生地で暖かそう。このマントは見たことないけれど、何処から持ってきたんだろう?

 

 既にボルスさん以外は準備を整えている。いつまで巨人たちの住処に滞在するか分からないので、レナラとわたしとクラリスはバックパックを背負った旅装に戻っている。

 みんなで食事を囲んだときに、クラリスも巨人の《再誕》を一緒に見に行こうということになったのだった。

 

「フン、図体ばかり大きい癖に小心な奴よ」

「お主は元々儂などより遙かに大きかろう……」

「私が人形に魂を移してより幾年経っていると思っている。お前が生まれる遙か前だぞ」

 

 ゴライアスは鼻で笑った。ボルスさんは閉口した。ゴライアスの死体からボルスさんは生まれたのだから、計算すればそうかもしれない。

 

「ねえゴライアス、もしかしてあなたも行くの? 転移魔術は自身ごと転移しないとならない条件でもあるのかしら」

 

 レナラが意外そうに口を開いた。確かにゴライアスは《再誕》の儀にはまるで興味が無いように見えたので一緒に着いてくるとしたらわたしもちょっとおどろくかも。

 わたしは隣のクラリスと顔を見合わせた。クラリスも同じ気持ちみたいだ。

 

 ゴライアスはわたしたちを見回すと盛大に溜息をついた。なんで?

 

「馬鹿者どもが。一方的に転移し、どうやってここまで帰ってくるつもりだ? 私がまだ教授すらしていない転移魔術を既に習得しているというのならば別だが、今の魔術指導ですら四苦八苦している小娘共がそこまで利口であるなど有り得んだろう」

 

 今度は皆で顔を見合わせた。レナラですら目を丸くしていた。

 いや、優しすぎない? これもう引率の先生じゃん……。

 

「何を呆けている。出発するぞ!」

 

 ゴライアスはわたしたちに構わず、星見の杖の石突きを地面に積もった雪に突き刺した。

 

 転移魔術による移動は一瞬だった。

 

 その仕組みを予め聞いていたので正直かなり怖かったけれど(身体を分解して再構築するって何?)、本当に瞬間移動のように瞬く間に目の前の景色が変化したので、居眠りでもしていたのかと錯覚しそうになる。

 

「え……?」

 

 わたしは思わず呟いた。なだらかな坂道になった、広い雪道が目の前に広がっていた。それはいい。問題は、目の前の景色の縮尺が完全に壊れていることだ。

 

 物珍しいものを見るような顔で、立ち止まっているわたしたちをトロルが追い越していった。

 もちろんボルスさんじゃない。腰布を捲いていたり、無骨な鎧を着ていたり、色々な格好をしたトロルたちが雪道を登っているのが視界に映る。

 

 そしてその先には、歪な形をした、あるいは自然にできたような巨大な灰色の岩山のようなシルエットがいくつも覗いていた。驚くべきことにその岩山には一様に顔があった。そして腕も足もあった。

 ただその姿は、異常なスケールの大きさで存在していた。

 

 以前テレビで見たことがある、巨大な高層ビルにも匹敵するくらい大きな大仏をわたしは思い出した。それほど大きなものが、人のように瞬きし息づいている。

 

「これが、巨人……」

  

 レナラとクラリスを横目で見ると、わたしと同じように驚愕に目を見開いていた。

 それはそうだ。こんな山の上に住んでいるのがおかしいくらい、まさに天を突くような巨体がいくつも鎮座している光景が信じられない。この世の景色だとは思えなかった。

 

 ひたすら言葉を失っているわたしたちに、ボルスさんは「驚いたか?」なんてニヤニヤしながら聞いてくる。いや……巨人って言ったってボルスさんより何回りか大きいくらいだと思ってたよ。なのにこんな高層ビル並みの大きさを見せられたら驚くに決まってる。

 

 あれ、でも……なんかおかしくない?

 

「わたしたち、なんで気づかなかったんだろう。こんなに大きな巨人が山の上にいるなら普通気づくよね。なんなら地上からでも見えるかも」

「あ、確かにそうだよね……私とお姉ちゃんはローデイルに住んでたから山嶺はいつも目に付いたけど、巨人たちの姿なんて見たことなかったな」

 

 わたしの疑問にクラリスも首を傾げていた。

 わたしたちは2人でレナラの方を見る。たぶんこういう系はレナラが1番詳しい。レナラは肩をすくめてやれやれと小さく息を吐いた。

 

「……見えない、気づかないのであれば、そういった隠そうとする意図が作用していると考えるのが妥当でしょうね。山嶺に登った瞬間に月がいきなり巨大になったりもしたでしょう。だからこの場所では常識を疑った方が良いわ。そうでしょ? ゴライアス」

 

 レナラは視線を移した。ゴライアスはひどく不機嫌そうな顔をしていた。

 

「当然の帰結だな。正常な思考能力を持っていればどのような凡夫であろうとたどり着く結論ではあるが……おい、アヤノ、クラリス。私の言いたいことは分かるな?」

 

 まずい、わたしたちは2人してゴライアスから目を逸らした。やってしまった。これは現代日本だろうが、ファンタジー世界だろうが関係ない。

 

「直ぐに答えを求め他人に頼ろうとするな。思考を停止させるな。魔術の追究において孤独な思索を退けるのは凡夫以下の愚者のすることよ。私はお前達にそれほどの無理難題を課したことは1度たりとも無いつもりだが、どうやら再教育が必要なようだな」

「「ごめんなさい……」」

 

 わたしたちは素直に謝った。ゴライアスが先生であるのなら、これは確かに怒るだろう。

 確かにゴライアスの課す課題の量は占星術の例を見れば分かる通り異常なボリュームだけれど、それでも今のわたしたちに理解不能な範囲のことを教えられているわけじゃない。

 

「フン、一生をこの山の上で終えたいのであればその絶望的な意識の低さでも構わんがな。そのつもりが無くばせいぜい心を入れ替えて励むことだ」

「えっ、わたしたちってそんな長い間ゴライアス先生のもとで修行するんですか」

 

 それはなかなかヤバいような気がする。ただでさえメチャクチャ寒い山の上、年単位で修行するのはさすがに気分が滅入る。

 

「惰弱なお前達を鍛え直すにはそれほどの研鑚が必要だということだ。怖気づいたか?」

「超天才たる私の頭脳がこんな雪山で浪費されるだなんてあり得ないわ。あなた、創星の魔術の価値を見誤ってるんじゃない? 今まで学んできた上で言うけれど、この私にかかれば近いうちに完全に物にできる」

「ほう? 未だ源流にすら至らぬ小娘が何を言うかと思えば、その生意気さがいつまで保つか観察してやろうではないか」

「大切にしてきた秘法をあっさり修得されて、吠え面掻いても知らないわよ」

 

 レナラは口角を上げて挑発的にゴライアスを見据えていた。

 わたしは創星の魔術がどういうものか知らないけれど、どれだけ難しくてもレナラがこう言うならその通り修得しちゃうんだろうなと思った。天才たる私の姉妹はいつだってそれを実現してきたから。

 

「どう? クラリスは覚えられそう? 創星の魔術」

「アハハ、どうかなあ……」

 

 わたしは小声でクラリスに耳打ちすると、クラリスは苦笑いしてそんな風にはぐらかした。

 

「でも、何とかなりそうな気はする。レナラほど上手くはできないけどね。アヤノのおかげだよ」

「わたしは別に何もしてないよ」

 

 何とかなるの!? マジで凄い……。わたしなんて桜の花びらを動かすだけで精一杯だよ。

 ただ、クラリスはわたしどころかレナラにすら見えていなかったものを《ゴライアスの星雨》の景色から読み取っていた。きっとクラリスもレナラとは別の方向性で天才なんだろう。

 

「そういう風に言えちゃうのが良くも悪くもアヤノなのかも。でも大丈夫、私はアヤノがそれを自覚するまで言い続けるからね」

 

 クラリスはいたずらっぽい顔で目を細めて笑った。わたしは心配と不安を少しだけ取り除いただけだと思うんだけど、なんだかわたし自身が思うよりクラリスはわたしに感謝しているようだった。

 

「そ、そうなの?」

「そうだよ。それに友達なんだから、そうしたって構わないでしょ」

「その通りね。アヤノは自分のことになると察しが悪いから毎朝耳元で囁いてもいいくらいよ」

「フフッ。それ名案だね、レナラ。この致命的な自信の無さは友達として矯正してあげないと。毎朝あなたはすごいって言ってあげればいいかな」

 

 レナラとクラリスは顔を見合わせてクスクスと笑っていた。

 うわああん! レナラとクラリスが結託してわたしをいじめてくる! そもそも性格が悪いレナラと、割とからかい癖があることが判明したクラリスが合わさり最強になってしまった。

 というかレナラがわたしをいじめるときにこんな愉快そうに笑うの複雑だよ! 姉妹の絆は何処に?

 

「よ、よし。明日からクラリスより先に起きよう」

「んー、そういえばアヤノって早起きだよね。先に起きてたらどうしようかな」

「2人でレナラをたたき起こしに行こうよ。いつも寝坊してるし」

「それはそれで楽しそう!」

 

 わたしはレナラに標的を移すことにした。そもそも寝坊しがちなレナラを起こすのは正当な行為である上、2対1なら低血圧状態の荒ぶるレナラを調伏できるに違いない。

 

「それがアヤノのペースよ、クラリス。乗せられたら駄目。いつの間にか本来の目的から逸れていくのがその子の得意技だから」

「そうなんだ。じゃあ私が2人より早く起きれば両方できてお得だね」

 

 クラリスは頬に指を当てて得心がいったように呟いた。

「やだよー!」「嫌よ」わたしとレナラの声が仲良く重なった。

 

「喋っている暇があるなら足を動かせ! 行くぞ!」

 

 そんなふうに3人で喋っていると、ゴライアスの怒鳴り声が飛んだ。完全に喋ってる生徒を注意する先生の図だった。

 

 

 

 

 山嶺に集ったトロルたちに着いていくようにわたしたちは坂を登る。ボルスさんはその中で顔見知りを見つける度に久しぶりと挨拶を陽気に飛ばしていた。結構顔が広いのかもしれない。

 時にはわたしたちのことを聞かれていたけれど、いつも通り「我が友たちよ!」とあけすけにサムズアップして返すので、ほんのちょっとだけ恥ずかしさで顔が赤くなった。嬉しいんだけどね。

 

 目線をあげると目の前には巨人たちの姿が否応なく飛び込んでくる。

 顔を見るとどの巨人にも炎のように赤い髯が生えていて長い髪の毛をしているけれど、鬼のような顔をしているトロルたちとは違ってより人間に近い造形をしていた。

 ファンタジー作品によく出てくるドワーフを超巨大化したらこんな姿になるだろうか?

 

「でも、どうして巨人ってこんな山の上に住んでるんだろう……?」

 

 山の上は当然地上より狭いし、身体が大きければ大きいほど暮らしにくいと思う。地上に住んでいた方がよほど楽だと思う。寒くだってないし。

 

「そんなもの決まっているだろうが。生命として脆弱だからだ」

「えっ?」

 

 こんなに大きな生物なのに脆弱?

 前を歩いていたゴライアスが白い髪を翻して、ちらりと怪訝な顔をしているであろうわたしを見た。

 

「巨人は人間より遥か長い時を生きるが、子孫を残すには己が滅びなければならない。そして1つの巨人の死体を苗床として生まれるのはただ1人の巨人のみ。丁度良い。アヤノ、答えよ。この事実が何を意味する?」

 

 唐突に問題を出されて面食らってしまう。でもさっき怒られてしまったので、今回は自分の力で考えなければならない。

 

 否定されるだろうけど、巨人が出産すると仮定する。そして巨人は生涯ただ1人の子しか産むことができない。つまり……。

 

「巨人は増えない。つまり……種族として繁栄することは、ない?」

「フン、お前にしては的を射た答えだ。先程の醜態を努々忘れぬことだな。これは地上から巨人の姿が見えぬことにも関連する」

 

 ゴライアスは頷きながら言葉を続けた。

 

「当然、死体が過度に損傷すれば命を繋ぐ手段も失い巨人という種族は減り続ける。ゆえに我ら巨人はこの世界の果てに自らを幽閉し、その能力で狭間より己の姿を隠し生き延びてきた。そしてトロルとは巨人の死体を守護し、絶滅を防ぐための兵であり防衛機構だ」

「確かにそれは脆弱と言われても納得するわ。そもそも、けして子孫を増やせない在り方には疑問しかないけれど」

 

 レナラが横で小さく唸った。わたしもそう思う。

 生物は総数を増やすことによって種族として拡大するようにできているものだと思う。なのに巨人たちの在り方は、上手くいったとしても停滞以上の結果を残すことができない。

 

「故に我ら巨人は永い刻を生きる。それが答えだが、あるいは───」

「ゴライアス、幾年ぶりか? かつて人間を引き連れこの地を訪れていたお前も、いつからか顔を出さなくなったが、久しいな。お前もまた、己から生まれる新たな生命を見届けんと集ったか」

 

 空から楽器が響くような声が聞こえた。いつの間にか1人の巨人の足下の付近まで歩いてきていたことに気づく。巨大な影が落ちてきて一気に周囲が暗くなる。見上げれば、大きな火の玉のような赤い瞳がわたしたちを月のように見下ろしていた。

 そしてゴライアスが面倒くさいものを見るようにそれを見上げている。

 

「フン、オトニエルか。あいにく地上の星見も惰弱に成り下がってな。この山まで登ってくる命知らずが居なくなったまでのこと。今ではお前と同様、無為に狭間にのさばり続けているだけよ。そして私がここに来たのは成り行きに過ぎん。お前にもかつて言ったが、私の死体から何が生まれ出ようと関知するところではない」

「そうか。お前のその不遜な態度が相変わらずで安心したぞ。だが今のお前は……かつてより愉しそうに見えるな。ボルス、お前も久しいな。長き旅に出ていたお前が新たな我が一族が生まれる刻に応じてくれたこと、嬉しく思うぞ」

「お、オトニエル様。儂などにお声がけ頂き恐悦至極でございます」

「謙遜するな。かつてザミェルの影人達と渡り合い、幾本もその剣を折り勝利をもたらしてきた《壊剣》の剛力を忘れるわけもない」

「あ、ありがたき幸せ」

 

 オトニエルはゆっくりと満足そうに目を細めた。ボルスさんはいつの間にか平伏していた。

 どうやらボルスさんにとって巨人はとても目上の存在らしい。トロルが巨人の身体から生まれるのは事実なのだから、むしろゴライアスの態度の方が異常なのかもしれない。

 

「チッ、愉しそうなどと、相変わらず相手を不快にする言動は衰えていないと見える。お前達、行くぞ! この男と話す時間など無駄以外の何物でもない」

 

 ゴライアスは舌打ちして歩き出した。わたしたちは微笑んでいるオトニエルにぺこりと礼をして、足早に進んでいるゴライアスの後ろを追いかけた。

 

 そこからゆるやかな坂をひたすら進み、はるか高みからわたしたちを見下ろしている巨人たちを通り過ぎて1時間ほど歩くと、広い裂け目のような崖が見えてきた。

 そしてその崖からは巨大な鎖が橋のように立ち並んで伸び、クレバスを介して向こう側の崖に繋がっていた。

 

 トロルたちが順番待ちをしながらその橋を渡るのが見え、さらに崖の向こうには正座して微動だにしない灰色の巨人がいた。

 他の巨人とは違い、全身からは太い棘のような木の枝が数え切れないほど伸び放題になっている。

 

 もしかして、と言う前にゴライアスが口を開いた。

 

「あれが私の死体だ。フン、まさか再びこの目で見ることになろうとはな」

「そして儂が生まれた《大樹》でもある」

 

 ゴライアスの不快そうな言葉に続けて、ボルスさんがわたしたちを見回した。

 もうボルスさんはゴライアスが《大樹》を良く思っていないのは気にしていないようだった。

 

「お主たち3人に見せたかったものだ」

「あの木の枝からボルスさんは生まれたの?」

「応とも。さあ、本番はこれからよ。《再誕》の刻は近い。我らも橋を渡り近くで見届けよう」

「……この橋、人が渡る用じゃなさそうだけど、大丈夫かなぁ」

 

 クラリスがおでこに指を当てて橋を眺めながら呟いた。

 幾重にも鎖が張り込まれて幅もあるとはいえ、表面が平面じゃない足場を歩くのはなかなか怖い。滑り落ちることはないだろうけれど、落ちたら確定死くらいのクレバスなので、白い霞しか見えない崖下を覗くとただでさえ寒い背筋がさらに冷える。

 

 不安な顔をしたわたしとクラリスに気づいたのか、ボルスさんはわたしたちに笑いかけた。

 

「ハハ! 3人とも儂が抱えて渡る故安心せい。ゴライアス、お主はどうする?」

「ボルスお前、誰に物を言っている?」

「うむ、我が親ではないこと、そして今はヒトと同じ背丈しかないことは知っている」

「結構だ! 私には浮遊魔術がある。そしてなかなかに腹の立つことを言うようになったな、お前」

「お主ほどではあるまいよ」

 

 ボルスさんは肩を竦めた。ゴライアスはそれを見て面白そうに笑っていた。

 

 

 

 

 無事橋を渡った私たちは、座って談笑したりしているトロルたちの間を縫って《大樹》がよく見える場所まで近づいた。

 

 近くで見ると、幹となっているゴライアスの死体の全貌がよく見える、表面の皮膚はまさに樹皮のように灰色と黒が混ざったまだら模様で、ところどころ朽ちたようにひび割れていたり、あるいはごっそりと削げ落ちたりしていた。

 目は閉じられていて、まるでただ眠っているような表情をしていた。巨人だったころのゴライアスの瞳もまた、今と同じく夜空のように濃い藍色をしているんだろうか?

 

 背後で興味なさそうにしているゴライアスをわたしはちらりと見た。この《大樹》が自分だと知られると面倒臭いから私に質問するな、なんて言ってたので今聞くのは我慢する。

 

 そしてわたしは《大樹》の向こう側に、さらに建造物があるのを見た。

 今渡ってきたものよりも遙かに長い鎖が繋がれ、その先には巨大な石造りの黒い臼のようなものが孤島のように雲海に鎮座していた。

 臼といっても、巨人がひとりすっぽりと入るくらいの大きさでそのスケールは完全に人間が計れるサイズじゃなかったけれど。

 

「あれは何かしらね」

 

 レナラもわたしと同じ方向を見ていた。自然ばかりだったこの山嶺において明らかな人工物なのでどうしても目を引くし気になってしまう。

 

「あれは《巨人の火の釜》よ。巨人とトロルが用いる《火の祈祷》の源泉となる消えぬ炎が沸き上がる釜だそうだが……お主達が知っての通り儂は祈祷が不得意故、よく知らぬ。ゴライアスは知っておろうが」

 

 ボルスさんはゴライアスの方を見た。みんなの視線がゴライアスに集中する。

 しかし、ゴライアスはただ無表情に火の釜を見据えているばかりだった。

 

「あれはお前達の知る必要の無いものだ」

 

 ぽつりと、そんなことを言う。

 意外だった。今までゴライアスは何かを聞けば、面倒くさそうにしつつ何かしら答えを返してくれた。こうして何も答えないのは初めてのことだったのだ。

 

 だからこそ、わたしたちは何も言えなかった。

 ゴライアスにも触れて欲しくないことがあるのだと納得せざるを得なかった。

 

 気まずい沈黙が流れる中で、やがて巨人たちが次々と広いクレバスを一歩で踏み越えて現われ、おのおのが座って《大樹》を取り囲んだ。

 巨人たちはこれほど身体が大きいのになぜか地面を踏みしめるときの足音もしなかったし、地面が揺れることもなかった。なにかしらの魔術や祈祷を使っているのかもしれない。

 

 そして最後に現われたのはついさっき話したオトニエルだった。オトニエルはわたしたちと《大樹》を挟んで向こう側に立つと、こちら側に向かって跪いた。

 

「我らの身体より生まれた親愛なるトロルたちよ。我が子たちよ。久方ぶりに訪れた人間の隣人たちよ。険しい山嶺を越え、よくぞ我ら一族の再誕のため集ってくれた。諸君を証人とし、ただ今より、我らの新たな家族を迎え入れよう!」

 

 その瞬間、トロルたちは立ち上がって各々が持つ武器を掲げて、地響きのような雄叫びを発した。わたしたちは3人揃って思わず耳を塞ぐ。横を見るとボルスさんも同じようにグレートソードを掲げていた。

 

 オトニエルは両手を合わせるように、そしてその内側に空洞を作る。するとやがて手の中に赤い火の玉が現われた。オトニエルが手を開くとその火の玉はさらに大きくなり、やがてぐつぐつと溶岩のように輝き始めた。

 それはまるで宇宙にある太陽のコロナのようにぐつぐつと煮立っていた。

 ここからだとかなり距離があるのに、それでも顔の表面に熱さがあり、じっとりと汗が出るのを感じた。

 

『我らが大樹、偉大なる巨人よ。消えぬ炎のもと、再誕せし朽ちぬ大樹の下に我ら剣と槌を抱き集わん』

 

 トロルたちは高らかに歌う。それに合わせて、オトニエルは火の玉を《大樹》の頭に落とした。

 ごう、と一瞬にして《大樹》の全身が燃えさかる。

 

 その瞬間だった。

 

 ばきばきばき、と樹を引き裂く音が聞こえた。見れば炎の中で《大樹》の胸近くに大きな縦向きの裂け目が生まれていた。そして、そこから確かに腕が覗いた。

 

『クアアアアアアアアアアア』

 

 大気が揺れるほどの、怪鳥のような叫び声が木霊した。《大樹》の胸を破り、燃えさかりながら人型が姿を現す。

 火の粉を大量にまき散らしながら、赤く長い髪を羽のように振り乱しながら誕生した小さな巨人の姿はまるで不死鳥のごとくだった。小さい、と言ってもボルスさんよりは何倍も大きいのだけど。

 

 周囲のトロルたちは感激のあまり涙を流していた。

 ボルスさんがこれをわたしたちに見せたいと言った理由も、今ならわかる気がした。

 

 ボルスさんは、きっと自分が尊いと思う景色をわたしたちと共有したかったんだ。お父さんとお母さんが手を引いて、あの展望台から桜並木をわたしに見せようとしてくれたみたいに。

 

 大切な人と共有した思い出は無かったことにはならない。たとえ死んでも、世界を超えてしまっても、全く違う人間として生まれ変わったとしても残り続けると、そう信じたい。

 

 そうでなかったら、わたしは……。

 

「フン、無事に生まれたか。トロル共もこんな山嶺の果てまで来た甲斐が有っただろうよ。これで我が死体の役目も終わったというわけだ」

 

 興味がなさそうだったゴライアスは意外にも機嫌良く呟いた。それに反応したのはボルスさんだった。

 

「存外お主も嬉しそうではないか、ゴライアス」

「新しい命が生まれる瞬間を祝福しない者が何処にいる。私は死体から生まれた生命に責任を持たないと言ったに過ぎない」

「ゴライアス、お主は……儂らトロルや、もしやすると、巨人すらをも疎んでおると思っていた。だが……」

 

 ボルスさんはそこで言いづらそうに言葉を切った。わたしと話したときに気にしていないようなことは言っていたけれど、それでもやっぱりゴライアスに対して思うところはあるんだろう。

 

「フン、ただ母親などではないというだけのことよ。この狭間において生まれついての邪悪な生命など存在しない。生も、死も、それが生まれ出づることを誰1人として否定することはできないのだ。たとえ大いなる意思を持つ者であろうともな」

 

 ゴライアスは焼け落ちていく自らの死体の上に立ち、雄叫びを上げる新たな巨人を目を細めて眺めていた。それはわたしたちの前できっと初めて見せた、優しさにも似た眼差しだった。

 

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