村の幼馴染が魔術の天才だった   作:きなかぼちゃん

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18.黄金樹、マリカ

 目も眩むような光が止む。

 

 つるりとした光沢のある、黒いドレス。

 薄く滑らかなスカートが、火の粉と血臭の混じった地獄のような雪風に舞う。

 露出した肩口は白磁のよう。どういう仕組みか、その上を黄金色の回路のような線が脈動しながら走っていた。

 

 その左手には、無骨な灰色の石槌を携えて。

 ちりちりと金色の粒子を纏い輝ける金髪を揺らしながら、マリカが倒れ伏したわたしへと振り向いた。

 

「まったく、こんな所まで来るなんて駄目じゃん、綾乃。その(タリスマン)を渡しておいて正解だったよ」

 

 マリカは屈んで私の顔を正面から見据えると、気安い声音でわたしに囁く。いつしか私の胸元で真っ二つに砕けていたお守りの片方を手に取った。

 

「この証の効果は、()()()()を1度だけ回避する。そういうとっておきの奇跡を込めたけれど、ちゃんと発動してくれたみたいだね───ごめん、その傷を治してあげたいけれど、もう少しだけ我慢して」

 

 マリカは立ち上がると、わたしに背を向けた。マリカが急に空から現われたおかげで、この周辺の戦いは止まっていた。黄金騎士達も戸惑いながら佇まいを直して、マリカに視線を注ぎ女王の言葉を待っていた。

 

 ボルスさんもレナラもクラリスも、ただこの状況に動きを止めている。ローデイルの女王が、例えのっぴきならない事情があるとしても、これほど分かりやすい場所で敵の命を助けるなど、あり得ないことだからだ。

 

 そしてマリカは目の前で吹き飛ばされ尻餅をついている、わたしを殺そうとしていた騎士の前まで歩み寄った。

 

「貴方、立てますか?」

 

 マリカは髪をかきあげて、柔らかい声音で右手を騎士へ差し伸べた。兜越しにも騎士が戸惑っているのがわかった。一介の騎士が王の手を自ら取るなど許されない。マリカは戦場に似つかわしくない涼しげな笑みを浮かべながら、自らガントレット越しに騎士の手を取り立ち上がらせる。

 

「騎士オスカー、貴方のその規律を厳格に守る点は美徳です。ですが時には柔軟になることも大切ですよ。それでこそいかなる難局にも屈しない、頑強なるローデイルの盾と成れるのですから」

「女王、私の、名を」

「ええ、騎士団長より耳にしています。若いながらよく励む、将来有望な騎士であると」

「あ、有り難きお言葉……!」

 

 感動に打ち震えた、騎士の上ずった言葉を聞いてマリカは満足げに微笑む。そして他の騎士達をぐるりと見渡すと、瞳を閉じてひどく無念そうに、芝居がかったように言葉を絞り出した。

 

「ああ、彼女らは確かに我らローデイルに仇成す敵なのでしょう! ですが! この戦いは悪しき巨人の火を消すための聖戦。その戦いの中で、貴方達のような高潔な騎士たちに同じ人間、まだ年若い娘の命を奪わせる苦しみを刻みつけるなど、許されるはずがありましょうか?」

 

 マリカはわたしたちに向き直った。そしてその石槌を真っ直ぐに突きつけた。腕を走る黄金の回路が浸食するように槌に宿り輝いた。その黄金色の双眸からは涙が零れた。

 

「ゆえに、これは女王たる私が遂行すべき咎であり業。───騎士達よ、今こそ人間が巨人を斃す時。豊壌なる人の世の訪れは近い。さあ、邪悪なる火を黄金の鎧で打ち破り、本懐を遂げよ! 人の神たる此のマリカ、そして王たるゴッドフレイの名の下に、貴公らは巨人の心臓を穿つ大槍となる!」

 

『永遠の女王、黄金の導きのままに!』

 

 一斉に武器を掲げ高らかに叫ぶと、わたしたちを囲んでいた騎士達は巨人たちが戦っている最前線へと我先に走り去っていく。

 

「───なんてね、やれやれ、危なかった。さっきはつい地が出ちゃったけど、どうにか誤魔化せたかしら」

 

 マリカは巨人達へと殺到する騎士達を眺めながらくすりと笑った。だが、その視線に一瞬だけ凍り付くような侮蔑が宿ったのをわたしは見た。

 気のせいかと思うほどに、その表情は一瞬で霧散した。改めてマリカは気安い笑顔で私を見た。

 

「ありがとうね。綾乃」

「え……?」

「あなたのお陰で楽に巨人たちの居場所を突き止めるのが本当に楽だったわ。やっぱり信じられるのは同じ日本人の友達よね」

 

 マリカは本当に、友達に世間話でもするように、にっこりと笑った。待って、それは……どういうことだ?

 火傷するような熱さと肉が潰れるような痛みが右足から登ってきて、肌から脂汗が滲み出るのを感じた。うまく考えがまとまらない。

 

「わたしの、おかげ……?」

「そ、やっぱり心配だったからさ~。この証で綾乃がどの辺にいるのか分かるようにしておいたんだよね」

 

 マリカは親指と人差し指で、光を失ったお守りの欠片をバキリと砕いた。

 

「で、でも、茉莉花あなた、わたしをのぞき見ることはしないってあの時」

 

 心臓が痛いほどばくばくと動悸しているのがわかった。

 

 聞きたくない、これ以上聞きたくない!

 

 視線が僅かに揺れ動く。浅い息を繰り返して凝視するわたしに向けて、マリカはいたずらっぽくウインクした。

 

「もちろんこの目で見てはない。でもさ、ほら、私達が小学生の時とか親がGPSとか持たせてきたじゃん? アレと同じだよ。ウザかったけど今なら親の気持ち分かるなーって思ったんだよね。こんなクソみたいなファンタジー世界で、私だってもし万が一あなたに何かあったらって考えたら気が気じゃないのよ。()()()()()()を守ってあげるなんて当然でしょ? だから綾乃を守るためにちょっとした仕掛けをしておいただけの話だよ。そしたらこんな巨人の住処まで来てるんだもん。びっくりしちゃった、ほんとコレ渡しといてよかったわ~。我ながらファインプレーって感じ?」

 

 へへへとマリカは子供っぽく頬を掻いた。何一つ、悪意の欠片すらないその態度にわたしは声を上げることすらできない。

 

「もしかして責任感じてるの? 大丈夫大丈夫! そんな必要ないってば。綾乃にあげたその証のおかげで、私たちの世界を取り戻す第一歩が踏み出せたんだもん。むしろ喜んでよ」

 

 マリカはにこにこと笑いながらわたしに語りかけていた。

 

 この人は───、こいつは一体何を言っているんだ? よく頭に入ってこない。心臓の動悸と全身の悪寒が止まらなくなる。わたしがこのお守りを捨てなかったから。誰にも言わずに持っていたままだったから、マリカはここに攻めてきたの? そして、巨人たちを、滅ぼす、つもりなの?

 

 思わず後ろを振り向いた。それでもわたしはレナラとクラリス、そしてボルスさんの表情を見ずに目を背けた。怖かったから。みんなが今のわたしをどんな目で見ているのか知りたくなかったのだ。

 

 そして言うべきではない言葉が口を突いて出る。

 

「わた、わたしはっ、そんなつもりじゃ」

「……違うわ」

「え……?」

 

 おもてを上げた。大きな目をぱっちりと開いて、有無を言わさない危機迫った表情でレナラがわたしの側へ寄り添い、こちらを見つめていた。その横でクラリスも、同じく意志の篭もった瞳で頷いてわたしを見た。

 

 2人とも纏っている装束は既にボロボロで、それでもその気力は微塵も失われていない。この子達は、いったいどれほど強い心を持っているのだろう。

 

「アヤノ、よく考えてみなさい。トロル同士で戦っていたのを見たでしょう。そしてイジーのあの態度も。つまりこの女はトロル達の一部を裏切らせている。元々ボルスが私たちをこの山嶺に案内するつもりだったように、裏切ったトロルたちもこの女に同じことをしたはずよ。この山嶺に攻め込むためにね」

 

 レナラは1度そこで言葉を切り、声を張り上げた。

 

「だからけして、あなたのせいではないわ!」

「レナラ……」

 

 呟くと目頭が熱くなった。それが痛みによるものじゃないことが嫌でも分かった。

 そしてわたしはまず言い訳したことを恥じた。そんなことをしなくても、言葉を交わさなくても、わたしのことを信じてくれる人たちがいるのだと、気づいたから。

 

 そして今まで見たこともないほどに怒気を発して、レナラはマリカを睨み付けて杖を突きつけた。マリカは舌打ちしてからそれを鼻で笑った。

 

「せっかく綾乃のお陰ってことにしたかったのに水差さないでよ。ていうかあなた頭が回るのね。ガキのくせに」

()()()クソ女。私の姉妹を傷つけるな」

「傷つけるなんて心外。それにそんな強い言葉使って可愛いね、嫉妬してるの? 私と綾乃の絆は血の繋がりよりも重い。狭間を生きるのみのあなたにはけして量り知れない業が私たちの間にはある。ていうか姉妹って言う割にあなた、()()()()()()()()()()()()()()()()───」

 

 杖先から暗い星の光が炸裂した。撃ち込まれたレナラの《星光爆破》を、恐ろしいことにマリカはその石鎚をなぎ払うだけで四散させてみせた。それなのに、マリカはほんの少しだけ驚いた顔をしていた。

 

「ありゃ、で私の回りでは魔術とか邪教の祈祷は禁じているはずなんだけど失敗したかな。うーん、巨人の火も普通に使えちゃってるみたいだし、まだまだ不完全みたいだね、エルデンリングとやらは。大いなる意思だなんて名乗ってるけど本ッ当に役に立たないわあの化物」

「今決めた。お前は、ここで、殺す」

「ヤダヤダ、思春期の女ってこんなキレやすいんだね。私もこんな風だったっけって思うとうんざりするわ」

「お前みたいなクソ女を崇めているローデイルの人間が心底哀れだわ。改めて確信した。神なんて、そんな都合の良いものが存在するわけが無い!」

「同感。無神論者は日本で暮らす才能あるわよ」

 

 マリカは嘲笑いながらひどく愉快そうに言った。

 そう、神様なんていない。わたしたちがここにいるのは、ちょっとした間の悪さ、そしてただ理由のない不幸。

 

 だからきっと茉莉花は世界を変えようとした。わたしは、この世界の手を取って生きようと思った。

 

「そしてベラベラと喋る馬鹿に教えてあげる。律が何ですって? この程度の《縛り》で魔術が使えないようになるだなんてその尊大な浅知恵も此処に極まれりね」

「───へぇ、何をしたの?」

 

 マリカの声が訝しげに一層低くなり、黄金の双眸が射貫くように細まる。

 

「お前の黄金律とやらはご丁寧にばら撒かれた祈祷書のおかげで大方理解しているわ。そしてお前の周囲で魔術が使えないことも分かっている。黄金律の祈祷はこの戦場で飽きるほど見せて貰った。それに合わせて()()()()()()()()()()()でそんな仕掛けなど児戯の如く突破できる」

 

 わたしはローデイルの王宮で、レナラが魔術を使えないと言っていたことを思い出した。そしてローデイルの祈祷書を読み込んでいたことも。あの日からレナラは魔術が封じられた原因を考察して、その対抗策を密かに考えていたのかもしれない。

 

「お前、浅いんだよ。神如き者を名乗るには些かその脳味噌は矮小すぎると忠告しておく」

「……気が変わった。ただのキレやすいガキだってのは訂正するわ。あなたはここで殺しておこうかな」

「死ぬのはお前よ」

 

 レナラが吐き捨てるように言うと、マリカが一瞬にして剣呑な雰囲気を纏い石鎚を構えた。

 駄目だ。いくらレナラでも、巨人の頭を一撃で叩き割る女と戦ってただで済むわけがない。

 でも、わたしを置いて逃げろだなんて言ったところで何の意味も無いことは分かっている。それなら、せめて。

 

 わたしは痛みを堪えて這うように隣に立つレナラにすがった。

 

「レナラ、わたしも一緒に……!」

「今魔術が使えるのは私だけよ。それに、あなた立てないでしょう。だからクラリス……アヤノをお願い」

 

 はっとした。一生懸命隠していたのはわかっていたけれど、クラリスももはや限界だった。

 戦いが中断してついに張り詰めていた糸が切れたのか、クラリスは肩で息をしながら私の隣で膝をついた。そして強く咳き込んだ。魔術を使いすぎて、ただでさえ万全じゃない身体に負担がかかっているのは明白だった。

 

「ッごめんなさい。私がこんな身体じゃなかったら」

「そんなことは誰も気にしていない。己のやれる最善を尽くして、それでも足りなければ私達に頼れば良いのだから。私達はお互いにそうやって生きていく。今までも、そしてこれからも。そうでしょう、アヤノ、クラリス」

 

 レナラはわたしたちを見下ろして薄い笑みを浮かべた。それはこの戦場に不釣り合いなほどひどく落ち着いていて、見ているだけでどこか不安になる。

 

「儂を忘れるなよ」

「ボルスさん……」

 

 わたしは近づくボルスさんの表情をまともに見ることができなかった。レナラの言う通り、マリカの言うことは間違っているのかも知れない。

 それでも、わたしがこのお守りを捨てられなかったことは、逃れられようのない事実だった。

 

「アヤノ、お主が言いたいことは分かっているつもりよ。そして、その心の内もな。だが我らはお主を信じている。お主も我らを信じよ」

 

 風で翻るその青いマントは、戦いでところどころ赤黒く汚れている。その身体も傷だらけだ。それでも、ボルスさんは淀みなくグレートソードを構えた。

 

「だからこそ、こうして戦うのだ。友のために」

 

 ボルスさんは微笑んで、レナラの横に立ち、ただ1人佇むマリカと向かい合う。

 

「───レナラ、礼を失するのは承知の上で言うが、無理はするな」

「ハッ、舐めないで頂戴。私を無力な小娘だと思っている? 守られるだなんて真っ平御免。ボルス、あなたは今まで私の何を見てきたの?」

 

 レナラは歯を見せて凶暴に笑みを浮かべた。

 

「私は殺せる。家族と友と生きる道を切り開くためなら、何だって殺してみせるわ。例えそれが人間であろうと、神を名乗る異常者であろうと、何も変わらない!」

 

 マリカはひどくつまらなそうにレナラとボルスさんを見た。そして石鎚をトントンと肩に担ぐと、気怠げに手招きした。

 

「だるい三文芝居は終わった? 2人掛かりでさっさとかかってきなよ」

 

 

 

 

 果たして、戦いは圧倒的な蹂躙だった。

 

 まず最初に突っ込んだのはボルスさんだった。

 上段からの鉄塊の一閃。あろうことかマリカは手をかざすだけでそれを受け止め、ボルスさんの横っ腹に石鎚の一撃を見舞った。その巨体が重力を無視し真横に殴り飛ばされた。マリカの細腕では到底出せるはずのない力だった。

 

「ふうん、とっさに受け身を取った? そこそこやるみたいじゃん。ま、もう戦えないだろうけど」

 

 感心したように呟くマリカにいくつもの青い流星が迫る。ほうき星の連続詠唱。

 レナラができる限りの最大火力が叩き込まれた。重い爆発音が幾重にも重なり、青い燐光が花火のように迸る。

 

「痛ッたいなあ。こっちは鎧なんて着てないんだから火傷しそうな攻撃するのやめてよ」

 

 燐光が消える。苛ついた声。マリカは防御すらしていないように見えた。前に突き出した掌から僅かに煙が立ち上る。それをひらひらと風に当てると、わざとらしく溜息をついた。

 

「ねえそれだけ? ほら私はここにいるよ。殺してみなよ!」

「誰がッ!」

 

 レナラが杖を掲げた。頭上に星雲が広がり数え切れないほどの青い星が瞬いた。

 

「《創星雨》!」

 

 小さな星たちが矢のようにマリカに撃ち込まれた。マリカは目を閉じた。そしてその全てを一歩のけぞるだけで受け止めて見せた。そして呆れたように嘲笑い、

 

「マッサージじゃないんだからさぁ……って」

 

 首を傾げた。気づけば視界からレナラが跡形もなく消えていた。

 そして、一瞬にしてマリカの背後に影が現われる。レナラがその露出した背中に杖を突き立てた。

 

 同じだ。わたしがトリーナにやられたものと同じ。音も気配もなく背後に迫る。転移魔術。私達がまだ教えられてすらいないはずのそれ。

 

「体内から焼け爆ぜろ!《星光爆破》!」

 

 ドン! ゼロ距離で星光が爆発した。その衝撃でレナラとマリカがお互いに吹き飛ぶ。レナラがすぐに起き上がり取り落とした杖を拾う。

 

 前のめりに倒れたマリカはひどく緩慢な動作で立ち上がりながら、首だけを後ろに回しレナラを見た。そして、口角をつり上げた。

 

「うん、今のはちょっと痛かった。マジで無防備なら危なかったかもね。所でさ……私ね、言ったことはできるだけ守る主義なのよ」

 

 マリカの身体を囲うように金色の円環が纏う。びりびりと空間が振動する。ぞっとするような寒気がした。

 けして無防備じゃなかった。攻撃が効いていないわけじゃなかった。わたしは叫んだ。

 

「レナラ! 逃げてぇ!」

「つまりあなたは此処で死ぬ。その悪因悪果に沈め。───《因果性原理》」

 

 硝子を割るように円環が砕けた。黄金色の衝撃派がレナラを襲った。

 すんでのところで展開した魔力の盾ごと、レナラの身体が切り裂かれたのを見た。

 杖が折れてはじけ飛び彼方へ飛んでいく。

 

 そして、レナラは力なく前のめりに倒れると、そのまま動かなくなった。

 

「あ……ああ……」

 

 わたしとクラリスはお互いの手をきつく握り合った。そうでなければ込み上げる恐ろしさに耐えられそうになかった。この目の前の現実を見ていたくなかった。

 

 そしてマリカがわたしたちの方へゆっくりと近づき諭すように囁く。

 

「綾乃、これでわかったでしょ? あなたの友達じゃあなたを守れない。何の役にも立たない。私ならあなたをずっとずっとこれからも守ってあげられる。一緒にあの景色を作り上げることができる……だからもう一度言うね、綾乃。私達が失った未来を一緒に取り戻そう。あなたの居場所はこの私の隣であるべきだよ」

「そいつの、言葉に、耳を貸したら、駄目……!」 

「えぇ、まだ生きてんの……? 引くわ……」

 

 マリカが悪態をついた。レナラが頭から血を流してこちらを見て言葉を絞り出すのが見えた。 

 向こう側では、ボルスさんも同じように地面に這いつくばりながらなんとか起き上がろうとしている。

 

 2人とも、生きている。心の中に広がった絶望感が僅かに和らぐ。

 でも……これでもう戦えるのは誰もいない。

 

 そう思った。

 

 クラリスが私の手を離した。

 そしてマリカの視線を遮るように、ふらつきながらわたしの目の前に立った。

 

 戦える状態なはずがないのに、それでも杖を構えて。

 

「クラリス、やめて!」

「そうよ、親愛なる市民。私は綾乃の怪我を治してあげたいだけなの。だからそこをどいて?」

 

 マリカは優しげな声音で微笑みながらクラリスを見た。

 

「そうかもしれない……でも、女王様、ごめんなさい。私はあなたを、アヤノに近づけたくない」

「……はぁ、まったく無駄に度胸だけある聞き分けのないガキって嫌いなのよねー。力もないくせしてさぁ」

 

 一瞬でマリカの表情がクラリスを見下すように変わる。マリカにとって、クラリスは守るべき市民のはずなのに。

 ねえ、茉莉花……あなたは、この世界の人たちのことを、本当にどう思っているの……?

 

「そう、私は力だって無い。お姉ちゃんに守られるまま流されて生きてきた! でも、アヤノは……そんな私を救ってくれた! 絶対に、あなたみたいな人に守ってもらわなきゃいけないほど弱い子じゃない! 誰よりも芯が強くて、優しくて! 暖かくて……私の大切な友達なんだ!」

「ああそう、もういいわあなた」

 

 マリカが右手でクラリスの胸を小突いた。それだけでクラリスがその場に崩れ落ちた。

 

「クラリス!」

「安心しなさい。女王として親愛なる市民は殺さない。でも()()()()はダメだよ綾乃。あいつは後で殺す。このまま放っておけばいずれ私達にとっての障害になりうる」

 

 倒れたレナラの方をちらりと見てから、マリカはわたしに言い聞かせるように語った。

 わたしは眠るように気を失っているクラリスに覆い被さり、できるかぎりの怒りを込めてマリカを睨み付ける。

 

「分かんないよッ! 茉莉花が言ってることは何も分からない! あなた言ったよね人間は殺さないって!」

「殺さないなんて言ってないわよ? 私の邪魔をする人間は普通に殺す。鬱陶しいし」

 

 マリカはにべもなく言い放った。何ひとつ葛藤すら無いその態度を見て、ようやくわたしは理解した。

 茉莉花はこの世界の生物に一切の価値を見出していない。心にあるのはただ、かつて生きていた日本の景色を取り戻すことだけ……。

 

 わたしは茉莉花がどのように死んでこの世界に来たのかを知らない。でもきっと、人生を取り戻したいのだろう。死ななかった未来(IF)の自分の姿を、諦められないのだろう……。

 それは理解できる。わたしだって、かつてはそんな夢を見ることがあったから。

 消え去った自分自身に囚われて、可哀想な自分を演じるのはとても楽しいよね。

 

 でもね……わたしにはそんなあなたが、ただ孤独に泣いている女の子に見えるよ。

 

「ねえ……茉莉花、何が望みなの? わたしがあなたのものになればいい?」

「えっ綾乃、やっとその気になってくれたの?」

 

 マリカは喜色満面に目を輝かせた。わたしはそれに構わず言葉を続ける。

 

「そうすればみんなを殺さないでくれる?」

「うーん……しょうがないか。ま、綾乃がそう言うなら別に良いよ。私はそばにあなたが居てくれればそれで満足だから!」

 

 ほんの少し考えるような素振りをして、マリカはわたしに笑いかけた。この笑顔がこの世界の生物に対して向けられることは無いという事実に、泣きたくなる。

 

 わたしは視線をマリカから外して、クラリスの頬に手を触れる。煤汚れていても白くきめ細かい、羨ましくなるような肌だった。

 こんなわたしと友達になってくれてありがとう。クラリス、前にそう言ってくれたよね。わたしもそう思ってるよ。

 

 マリカに視線を戻すと、わたしははっきりと口を開いた。

 

「分かった。茉莉花、わたしはあなたと一緒に行くよ」

 

 レナラ、クラリス、ボルスさん、ごめんね。わたしはこの可哀想な女の子の側に行く。

 

「駄目よ……アヤノ……それだけは、駄目……」

 

 レナラの掠れたような声が聞こえた。でもわたしは、もはやその表情を見ることができない。

 ずっと一緒にいるって約束したのに。レナラの表情を見てしまえば、きっとわたしはそれを違えることに耐えられなくなるだろう。

 

「さ、まずはその傷を治さないとね! それからサクッと巨人を全員ぶっ殺して、一緒にローデイルに帰ろう! 綾乃、これから楽しくなるわよ!」

 

 マリカが屈んで、わたしの裂けたふくらはぎに手をかざそうとした、その瞬間だった。

 その動きがぴたりと止まる。

 

 直後、天を突くほどの咆哮が響いた。

 

「───チッ、飛竜か。これだからファンタジー世界は嫌なのよ」

 

 マリカが上空を見上げて舌打ちした。わたしもつられてその視線を追う。

 レアルカリアの書物の絵でしか見たことのない怪物。かつての前世では存在するわけがなかった空想の存在。

 

 巨大な灰色の飛竜がこちらに一直線に迫り、大地を揺らして戦場に降り立つ。その顎の隙間から大気も凍り付くほどの冷気が漏れた。

 そして竜の背中に、わたしたちが探し求めた姿があった。

 

 飛竜の背から飛び降りたその人は、いつも通りの不機嫌そうな口調で私に問いかけた。

 

「勝手に己を売り渡すな馬鹿弟子が。お前は誰の弟子だ? 言ってみろ!」

「ゴライアス先生です……」

 

 わたしは震える声で呟いた。こんな状況なのにどうしてか安心してしまって、涙が溢れた。

 そうだ、いつだってゴライアスはわたしたちを導いてくれていたのに。

 そんな人が、わたしたちのピンチに、助けに来ないわけがないのだ。

 

「声が小さい! 腹から声を出せ!」

「わたしは! ゴライアス先生の! 弟子です!」

「ならば良し!」

 

 ゴライアスは満足げに頷くと、飛竜に向き直り左手の杖を突きつけた。

 

「ボレアリス! かつて山頂を追われたお前を救ってやった貸し、今こそ返して貰う。指の奴隷どもを根切りにせよ!」

『この山の頂を明け渡すという約定、忘れたとは言わせぬぞ!』

「フン、お前がそれまで生きていればの話だ。せいぜい励むがいい」

 

 冷気を吐いて威嚇する飛竜に動じもせず、ゴライアスはただ一方的に命令した。

 飛竜は唸るように1度だけ鳴くと、翼を羽ばたかせた。

 そして飛翔すると、最前線に突っ込みその冷気のブレスを騎士や裏切ったトロルたちにばらまく。一瞬にして動きが止まり、戦場が凍り付いていくのが見えた。

 

 そして、その後には睨みあうゴライアスとマリカだけが残った。

 

「随分と弟子どもが世話になったようだな。そうか、お前が今の指の奴隷の親玉か。諦めの悪い大いなる意思とやらは随分とこの星を支配したくて堪らんらしい」

「奴隷? 失礼な奴。私は取引をしただけよ」

 

 マリカが眉をひそめると、ゴライアスはひどく面白そうに嘲笑った。

 

「取引だと? エルデンリングの力に溺れたものは誰しもそんな戯言を宣う。お前より遥かに偉大だったかの竜王ですらその力無くては動くことすらできぬ臆病な愚物に成り下がったというのに。器の程度が知れるぞ矮小な小人が!」

「あんた……なんかうっざいなぁ。友達いないでしょ?」

「図星か? 悍ましき指に絡め取られる想像でもしたか? 不遜と恐怖は表裏一体、お前の心中に隠し切れぬ怖れが見えるぞ」

 

 ゴライアスは右手に儀礼剣を構えマリカに突きつけると、左手の星見の杖を肩に担いだ。

 

「丁度良い、お前に教示してやる。この狭間に巣くう怪物はその()()()()()()()()()()()ということをな!」

 

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