村の幼馴染が魔術の天才だった   作:きなかぼちゃん

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19.暗い円環

 ゴライアスが剣を一降りすれば荒れ狂う紅蓮の炎が鞭となりマリカに襲いかかる。跳躍して避ければ、藍色の星光が地面から牙のごとく吹き上がった。瞬時に黄金色の光を纏い、マリカは身を焼くような星光を防いで見せた。

 

 レナラとボルスさんを一方的に蹂躙して見せたマリカですら、ゴライアスの魔術は明らかに脅威なのだと分かる。

 

「神の力とやらはその程度か? ほら次だ!」

「チッ!」

 

 着地したマリカが舌打ちし、目の前に迫る大火球を引き裂くように石鎚を横に薙ぎ払った。霧散した火球の隙間から天使の輪のような無数の黄金色の円環が疾走する。

 

 危ない、と思った瞬間にゴライアスは杖を振っていた。

 

「手数に頼る、か。ならば全て宙より撃ち落としてやろう」

 

 黒い雲が広がる空が夜明けの藍色に塗り潰された。

 創星雨。レナラの青より暗く艶やかな流星が数え切れないほどに瞬き落ちる。薄い硝子が粉々になるような音がして、身体を覆い尽くすほどの円環の群れが全て砕けた。そして黄金の残光が藍色の星空に呑まれて消えた。

 

「お前、私の祈祷を」

「ハッ、エルデンリングの力が通じなかったのは初めてか? 随分と柔な相手のみを相手取ってきたようだな」

 

 言葉を切って、ゴライアスはわざとらしく首を傾げた。

 

「だが……お前、本当に戦士か? 私の目には戦ったことも無いただの小娘が農具を振り回しているようにしか見えんが」

「ただの小娘、ですって……?」

 

 マリカの声音が一層低くなる。ゴライアスは意に介さず右手の剣をぐるりと回して構えた。

 

「不服ならば初心な童と訂正してやってもいい。いかなる手管でかの指の化物を籠絡したのかは知らん。だが1つだけ確信したことがある。お前は神ごとき力を与えられ玩具のごとくそれを振るい遊んでいるだけの餓鬼だ!」

 

 マリカが一瞬だけ目を見開いた。そして小さく何かをぼそりと口走った。

 

「……い」

「聞こえんな。そのころころと変わる表情も拗ねた餓鬼のようだぞ」

「……てめえ、グチグチうざいって言ってんだよ! いいわ、直接叩き潰してやる。二度とそんなことが言えないくらいにね!」

 

 石鎚を振り回して叫ぶマリカに、ゴライアスは高圧的な笑みを浮かべた。

 ついさっきまで余裕を見せていたマリカの表情は完全に消えていて、そこにはただ苛立ちを抑えられない1人の女の姿だけがある。

 

 どうしてかわたしはそれをとても身近なものに感じた。

 わたしも理不尽に対して怒る時、そんな顔をしていたかもしれない。そうきっと、この世界を否定したくなる時に、きっと同じような顔をしていた。

 

 だからこそ、茉莉花もどうしようもなく日本人であることに囚われているのだと、分かってしまう。

 

 わたしたちは日本で生きていただけの只の女だ。

 

「茉莉花……」

 

 呟くと、マリカが一瞬だけこちらを見た気がした。その表情はひどく───辛そうに見えた。

 そして黄金色の光を纏い、石鎚を振りかぶったまま滑るようにゴライアスへと突撃した。

 

 私の目から見てもあまりにも直線的で、分かりやすい攻撃。当然それはゴライアスの儀礼剣で受け止められる。その瞬間、

 

「《火の大罪》」 

 

 ゴライアスの身体がマリカごと真っ赤に燃え上がった。マリカが絶叫した。

 身体中に火が付いたまま飛び退くと、その勢いのままゴロゴロと雪の上を転がり悶える。それでもマリカを焦がす火はなかなか消えない。

 

「───痛い! ア、ア、アアアッ、熱い、熱い熱い熱いっ!」

 

 ゴライアスの身体を燃やす炎もまた同じだった。身体中を焼き焦がす炎で星見のローブが黒く焦げ付き、その雪のように綺麗だった白く長い髪もまた色を失っていく。

 

 それでも、痛みすら感じていないようにゴライアスはただ立ち尽くし、今もなお火を消そうと雪に身体を擦りつけているマリカを冷たい瞳で見下ろしていた。

 

 普通なら身体が焼けて痛くないはずがない。マリカと同じように苦しむはずだ。人形の身体は痛みすら感じないのだろうかとくだらないことを考える。

 

「此れこそが我らの罪科の形。お前が果たして何と相対しているか理解したか? 古より消えぬ邪悪なる火がただの炎であるものかよ。指の奴隷よ、我ら巨人ですら無に帰すことのできぬ呪われし過ち、消し去れるものならばやって見せろ!」

 

 マリカに言い捨てると、ゴライアスがこちらを見た。そして一瞬で転移魔術で目の前に現れると杖を置いてわたしの手を取った。

 

 袖から覗く白い肌が点々と焼け焦げて黒ずんでいて、思わず目を背けそうになる。

 人の身体が焼ける臭いで吐き気がする。それでも、目を背けてはいけない。わたしたちを助けるために負った傷なのだから。

 

「チッ、やはり飛ばせんか。わかっていたがな」

「えっ……?」

「お前達を逃がすことは出来ぬということだ。今の遠距離転移術式ではエルデンリングの戒律を抜け出せん。そしてそれを組み直すにはあまりにも時間が足りな過ぎる」

 

 わたしはついさっきマリカの後ろに一瞬で転移したレナラの姿を思い出した。

 

「でもさっきレナラは転移魔術を。今だって先生も」

「どうせ短距離の移動であろうが」

 

 即答するゴライアスにわたしは口をつぐむ。転移魔術とは移動距離によって全くその難易度が異なるのであろうとそれだけで知れた。

 わたしが頷くように目を伏せるとゴライアスは舌打ちして倒れ伏しているレナラに視線を飛ばした。

 

「レナラ、あの馬鹿め……見様見真似でやりおったか。下手すれば己の身体が千切れ飛ぶぞ。一瞬垣間見ただけで魔術式を模倣する異才は評価せざるを得んが、その手癖の悪さはいずれ矯正せねばならん」

 

 ゴライアスは今も火を消そうと躍起になっているマリカに視線を移すと、ほんの小さく息を吐いた。

 

「どちらにしろ、もはやあの女を退ける他あるまい」 

「先生……でも、火傷が」

「こんなものは傷のうちに入らん。そもそもこの身体は人形だということを忘れたか?」

「痛く、ないんですか」

 

 口をついて出た。自分でも酷くくだらない質問だと思った。そんなことを聞いて何になる。

 

「それは人形の仕組みについての質問か? 私は昨日、直ぐに答えを求め他人に頼るなと言ったばかりだが? いいかアヤノ、まずは観察せよ。そして思考せよ。お前の何も考えずに問う癖もまた、何度も指摘せねば矯正できんようだな」

 

 わたしははっとした。そしてゴライアスの表情がいつもより硬く、額に脂汗が浮かんでいるのを見た。

 

「……ごめんなさい。先生」

 

 痛くないわけがなかったのだ。苦しむさまをわたしたちに見せることに意味が無いから、きっと我慢してそうしているだけなのに。

 

 胸が締め付けられて、自分自身の情けなさでまた泣きそうになる。

 それでも、目に力を込めてなんとか堪えた。これ以上、わたしの未熟と愚かさでこの人を困らせたくないと思った。

 

「お前っ、綾乃に近づくんじゃねえっ」

 

 手に翳した黄金色の祈祷で爛れた肌を治療しながらマリカが息を荒げて叫んだ。まとわりつく火は既に消えていた。

 

 ゴライアスはわたしの手を離して杖を持つと、立ち上がってひどく馬鹿にするように両手の武器を広げた。

 

「この小娘がいつお前の所有物になった? お前の王威はあまねくこの星の地平の果てまで無限に届くというのか? なるほど、その童のごとき傲慢さ故に神というわけだ。アヤノ、残念だがお前の周囲には常に馬鹿が引き寄せられるようだな」

「さっきからうぜえっ! じゃあさあ! あんたの大事なものからぶっ殺してやるよ!」

 

 吐き捨てると、マリカは地面に写る自分の影を石鎚で叩きつけた。一瞬にして影が歪み広がり、暗黒から灰色の獣の腕が這い出づる。

 

「出て来い! マリケス!」

 

 現れたのはルーンベア*1のごとく巨大な灰色の狼だった。

 いや違う、手足は人のごとくすらりと長い。黒鉄に金色のラインが通った鎧と兜を纏い、3本の手足でその巨体を支える。残る右腕には金色の刃を湛えた大剣があった。白銀の長いたてがみが風に靡く。

 

 人狼というものがこの世界に存在するのなら、きっと目の前にいるこの狼こそがそうなのだろう。

 

 意識が一瞬奪われている間に、マリカは倒れているレナラを顎でしゃくった。

 

「マリケスっ! あいつ殺して!」

「ッ茉莉花、駄目!」

 

 人狼は頷くと一瞬でレナラに迫り剣を振るった。わたしは叫んだ。その兇刃を見て、レナラはひどく不服そうに呟いた。

 

「まさか私が守られるとはね……」

「やらせは───せぬぞ!」

 

 鬼気迫る声。すんでの所で人狼が横へ飛び退き、真横から現われた黒鉄の剣が空振り大地に突き刺さる。

 

「破ぁ!」

 

 ボルスさんが丹田の呼吸と共にグレートソードを地面から抜き放った。

 その勢いのまま切り上げ、振り下ろされた人狼の剣と衝突する。鉄が砕けるような爆発音、衝撃派で鼓膜がびりびりと張り詰めた。

 

「トロルよ、我が剣を正面より受けるかッ!」

「何者かは知らぬが、年若い娘に躊躇無く止めを刺すとは、騎士とやらも堕ちたものよ! あるいはその姿の通り、身も心も獣と成り果てたか!?」

「……ぬかせ。我が身は大いなる意志により生まれ出づるもの。我が剣は黄金律───マリカに仇成す敵を誅すのみよ」

 

 四方に素早く飛び跳ねつつ剣を縦横無尽に振り回す姿はまさしく獣のようであり、けして人間にはできない動きに見えた。

 ボルスさんもまた迫るその剣をすべて受けきり力のまま薙ぎ払う。幾度もの剣戟でお互いに傷が残り、荒れた雪原をまた僅かに赤く染める。

 

 その中でゴライアスとマリカもまた戦いを再開していた。

 

 わたしはただ、それを見ていることしかできない。

 目線を落とせば、気を失ったままのクラリスの顔。

 みんなが命を賭けてわたしを守ってくれているのに、わたしはただこうやって俯いて震えているだけ。

 

 そんなの駄目に決まってる。なのに。

 

 わたしは立ち上がろうとした。右足から登るズキズキとした痛みで思わずうめく。

 裂けて骨まで見えているふくらはぎが再び目に入る。もはや気合で動ける範囲を超えていることなんて、見ただけで分かる。

 

 痛み以上に、本能が立ち上がることを拒否していた。

 

 動けるわけがない、仕方ない。そんな言い訳が頭を過ぎる。

 あなたはこんな残酷な世界で生きてきた人間じゃない。平和な日本で生きていた只の女。その割にはよくやったんじゃない? あなたは頑張ったよ。だからしょうがないよね。これ以上は無理だってば。

 

 情けなさ過ぎて、つい笑ってしまう。

 この期に及んでそんなことを考えるだなんて、どれだけ自分が可愛いのだ。

 

「マリケス、そんな雑魚に何手こずってんのよ! アレ出せ!」

「あの力は未だ不完全だ。ここで抜くべきでは無い……!」

「関係ない! 全部ぶっ殺せ!」

 

 マリカがゴライアスの炎を石鎚でいなしながら怒鳴った。

 人狼は鍔迫り合いをしていたボルスさんから飛び退くと、身を低く屈めて牙を覗かせた。

 

「不本意だが仕方あるまい。───強き戦士よ。()()()()()()()()()()()

 

 谷底を吹き抜ける風のようにぞっと囁くと、人狼は地面に剣をざくりと突き立てた。

 

 黄金色の両刃が錆びるようにぼろぼろと一瞬にして刃こぼれする。そしてその欠けた内側から剣身がじわりと赤黒く染まった。違う、壊れたんじゃない、これこそが本当のこの剣の姿なのだと。

 

 怖気が走った。誰もがそれを感じただろう。それほどに、見ただけで理解させられる。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 人狼は両足で立ち上がり、まるで人の騎士のごとく正眼に剣を構えた。それはまるで、自分が人であることを示すように。見ただけで底冷えのするような漆黒のオーラが周囲を渦巻く。

 

「おぞましき神肌の屍山血河で染まりし、マリケスの黒き剣を知るがいい!」

 

 死が放たれた。

 

 空を薙ぐように放たれた黒い光刃が連続でボルスさんに迫る。

 1つ、2つ。グレートソードを振り抜き刃を砕く。そして、3つ。防げない。

 

 わたしはけして届くことの無い手を伸ばした。瞬間、わたしはその先に藍色の影が走ったのを見た。そして、ボルスさんの盾になるように、その身体が深々と切り裂かれた。

 

 青い液体を吹き出しながら、宙に何かかが千切れ飛んだ。

 そして、わたしの目の前にそれが落ちてきて雪を青く染める。

 

 ゴライアスの腕だった。

 

 ついさっき、わたしの手を握ってくれた厳しくも優しい手が、目の前に、あった。

 

 ボルスさんが呆然として呟く。

 

「ゴライアス……お主、何故……」

「……馬鹿弟子が、揃いも揃って己の命を軽く見おって。この原初の星見たる、ゴライアスに学ぶ自覚が全く足りん、未熟共どもめが」

 

 ゴライアスの左腕は肩口からごっそりと無くなっていて。

 その断面からはどくどくと青い血が流れる。傷口はまるで腐り落ちるように、あの剣のようなおぞましい黒に徐々に染まっていくのが見えた。

 

 ああ、駄目だ。そんなこと。

 

「先生! 先生ッ! その傷……!」

「いちいち喚くな! たかが左手が無くなった程度だろうが」

「でも……っ!」

 

 わたしにだってわかる。あの剣で切られれば死ぬことを。

 それはきっと、ゴライアスですら例外ではないことを。

 

「成程、お前達が侵攻に踏み切った理由、その奥の手がこれか」

「……自分より弱い奴を庇うとか馬鹿じゃないの? それに……その血の色、何なのよ」

「フン、この様を見てなお我が正体を見破れぬか。お前が殺したがっているそこの小娘は、お前より遙かに少ない情報で看過してみせたがな」

 

 ゴライアスはレナラの方を顎でしゃくってから、ひどく困惑した様子のマリカを睨み付けた。

 

「それにしてもお前ら、死のルーンにすら手を出していたか。あの愚かな女(トリーナ)と同様、随分と死が怖いと見える」

「……は? 何当たり前のこと言ってんの? 逆に聞くけどさ、死ぬのが怖くないヤツなんている? いるわけないよね。だから私は……あのクソ気持ち悪い《宵眼の女王》から運命の死ってヤツを奪ってやったのよ。これに私の黄金律が合わされば、いずれ誰もが死に怯えずにいられる世界が訪れる。最高でしょ?」

「───成程、実に下らん。所詮お前もエルデンリングの光に呑まれた数多の愚者の1人よ。お前のような馬鹿がまず死を退けようとするのは古より変わらんな。その先にあるのは虚無のごとき停滞のみだというのに」

「老害が。なんとでも言えば? どちらにしろその傷を受けたお前はもう直に死ぬ。強がってるみたいだけど、わかってるでしょ? 私の作る理想世界にお前は要らない。ついでにお前が守ろうとしたそのトロルもあのガキも私が殺してあげるわ。その甲斐甲斐しい自己犠牲は無意味だったってワケ。せいぜい思い知って絶望しなよ」

 

 わたしのせいだ。全部。

 

 一番役に立たないわたしを庇って、みんなが傷ついていく。

 心の中で言い訳しか出来ない、大切なもののために立ち上がることすらできない、わたしのせいで何もかもを失う。

 

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 だから、ねえお願い。茉莉花、これ以上わたしの大切なものを奪わないで。

 

 何だって、するから……。

 

「本当に?」

 

 どこからか声が聞こえた気がした。ただの幻聴かもしれない。

 それでもわたしは心の中で頷く。

 

(だめよ綾乃。それ以上踏み込んだら、あなたはあなたでなくなってしまう)

 

 今聞こえたのとは違う、囁くようなトリーナの声が耳を撫でる。

 かまうものか。なんだっていい。みんなを助けてくれるのなら。

 

 足りないならわたしを全部あげるからッ!

 

 その瞬間、お腹の底にどろりとした汚泥のようなものが落ちた。視界が真っ暗になり、そばに居たクラリスに触れていたはずの手の感触が無くなる。巨人や竜の咆哮、騎士たちとトロルの叫び、地鳴り、火の粉が舞う風、目の前で戦っているもの。

 

 全てが消えて、暗黒と静寂だけが残る。

 

 前を見た。目の前に黒い火の玉のようなものが漂っていた。

 それは弱々しく揺らめいて、白い粒のような瞳でわたしを見ていた。

 

 ()()()()()。その瞬間、ごう、と火の玉が燃え上がる。

 やがてそれは黒い靄がかった人型になり、ゆっくりとわたしに近づいてきた。

 

 逃げなきゃ。

 

 そう、思った。人としての本能があれとけして関わってはいけないと告げた。

 それでも、ダメだ。みんなを助けてくれるなら何だっていいと、悪魔に魂を売っても構わないと思ったのはわたし自身。そしてそれだけは、嘘にしたくない!

 

 足の痛みすら置き去りにした恐怖で身体が震える。人型はその靄がかった両手で私の手を握る。

 酷く生暖かい。人恋しくて、寂しさから逃れたくて仕方がないような、心が直接ぶつかってきたような、心臓が鷲掴みにされるような気持ち悪さがある。

 

 思考が朦朧になって、ふと、どうでもいいことを思う。

 魂というものが本当にあるとするなら、きっとこれがそうなのかもしれない。

 

 握られた手を通して、体温ごと意識が吸われていくような気がした。眠たくなっていく。心が遠ざかる。何もかもを手放して、わたしがどんどん小さくなって、なにもわからなくなる。

 

 地平の果て、暗黒の空。日食のように燃え盛る新月が炎の輪を描く。それが最後に見た光景。

 

 夜の海のように暗い色をした魂は、頬まで裂けるような大口を開いてぎょろりと笑った。

 

 時間が止まった。そしてわたしの世界が砕けた。

 

()()()()、私を見つけてくれてありがとう!

 

 

 

 

 ゴライアスは身を震わせた。

 けして寒さでは無い。死に瀕しているからでもない。

 ただ、思い出した。巨人が起こした取り返しの付かぬ過ちを。

 恐ろしいものが来る。あの忌むべき単眼の悪神のように、けして喚起してはならぬものが来る。

 

「アヤノ、お前……」

 

 そこで言葉を止めた。そして、アヤノが幽鬼のごとくゆらりと立ち上がるのを見た。そして閉じられた眦が開く。その眼の奥に、あらゆる光を消し去るであろう暗黒が宿った。

 

 そしてゴライアスは今初めて、かつてアヤノの運命が見通せなかったその理由を悟った。

 

 狭間の地には人知を越える怪物が眠っている。外宇宙から飛来し、かつてエルデンリングを齎した大いなる意思もその1つだった。そして《二本指》と名を変えたそれは人間という名の端末を使い、この星を支配しようと今この時ですらその根を広げている。

 

 かつて、狭間の地に生けるものたちはその怪物たちのことを《神》と呼んだ。

 そして神の唯一絶対なる弱点、原生生物を介さねば星に干渉することが出来ぬという戒律。

 

 神はいつだって運命の輪の外に有る。

 

 だからこそ、数多の神はただ微睡みながら待ち望んでいる。己を見つけ出し、軛より解き放つ者を。

 

 神の花嫁となる者を。

 

 

 

 

 アヤノは右手に杖を握ると、気絶したままのクラリスを置いてふらつきながら歩き始めた。暗黒の瞳がぎょろぎょろと左右で全く違う方向を見回す。

 

 それに気づいたマリカが一目散にアヤノに駆け寄った。

 目の前の戦いから背を向けるほどに、マリカはどうしようもなくアヤノの存在に執着していた。

 

 この世界に迷い込んでから、ずっと孤独だった。

 もし、もし私と同じように日本からここに来た人がいるなら。

 

 会いたい。それで、話したい。

 好きな芸能人とか、学校のこととか、相手が学生じゃなかったら、仕事とか、好きな食べ物とか……なんだって良かった。

 

 それだけを希望に、誰も自分のことなど知らない、寄る辺なき世界をたった1人で生きてきた。

 自分を大いなる意思などと名乗る巨大な指の化物と出会ったのは、いつ頃だったか。

 

 それすらマリカはもう思い出せない。

 

 だからアヤノをローデイルで見つけ出したあの日から、何を引き替えにしてでも手に入れたいと、そう思った。違う、手に入れたいんじゃない。ただ友達になりたいだけ。隣に居て欲しいだけだったのに。

 

 でも、もはやマリカにはどうすれば良いのか見当が付かなかった。

 

 人と仲良くなるのって、どうやるんだっけ……?

 

 ただの日本人である黒澤茉莉花という人間は、もはや何処かへ行ってしまった。

 女王となった今のマリカには、そうだったはずの記憶があるだけだ。

 

 それを認めたくないから、マリカは日本人であったことを捨てることができない。

 そうでなければ、きっと自分が誰だったのか、分からなくなってしまうから。

 

 だから綾乃、お願い。私のそばにいて。

 あなたのためなら、何だってしてあげるから。

 

「綾乃、そんな怪我で立っちゃ駄目じゃん。え、なんで足治ってるの?」

「助ける……」  

「───え?」

 

 見開いたアヤノの虹彩に炎が灯った。

 

みんなミんなみンなミンナ助ケる助ケルタスケル───殺ス!!

 

 アヤノは絶叫した。

 

 白杖を掲げると漆黒の波動が放たれ、虚を突かれたマリカに直撃した。

 まともに吹き飛ばされたマリカを黒い影と化したマリケスが受け止める。

 

「マリカ、下がっていろ! 奴は我が処理する!」

「処理って何!? たとえお前でも綾乃を傷つけることは許さない!」

 

 マリカを抱えたままのマリケスが獣のごとく吠えた。

 

「目を覚ませ馬鹿! お前が奴に拘っているのは分かる。だが見れば分かるだろう! 奴は生かしてはならない! この世に存在してはならない化物に成り果てたのだ!」

「うるさいうるさいうるさいッ! 従者だってんなら私の命令を聞けよ! あんたも結局そうだったの!? ねえっ私のこと嫌いになったのっ私じゃなくてあの二本指の肩を持つのっ」

「分からぬか愚か者が! 全てお前の為だ! 見ろ、己の傷がどうなっているのか」

「───ッ、こんな傷すぐ直してやるわよ!」

 

 マリカは左手に祈祷を発動させると僅かに削り取られた脇腹に押しつけた。そしてすぐにその異変に気づく。

 

「治癒が、効かない……?」

「今、あの小娘は神に支配されている。そしてお前の力すら阻害するあの力がどれ程のものか、もはや計り知れん」

 

 マリケスはマリカを花のごとく丁寧に地面に降ろした。傷に響いたのか、それだけでマリカが顔をしかめる。

 

「傷を治せなければ動けぬだろう。ただでさえお前は痛みの中で動くことに慣れていないのだから、任せて貰うぞ」

「待て! 待ってよ、お願い! マリケスッ!」

「小娘、貴様に思うところはあれど恨みは無い。だがここで死んで貰うぞ!」

 

 誰1人止める間すら無い。獣の速度で突進したマリケスが神速の剣撃を放った。黒い線が残光のごとく煌めき、アヤノの肩口から腰を斜めに両断した。

 

 完全に死んだ。そのはずだった。

 

「痛イ! イタイヨオオオ! ヤメテ! 殺サナイデ! ウフフフ!」

 

 真っ二つにされたアヤノの身体の断面から血の代わりに黒い粒子が吹き出す。舞い散るそれは一瞬で数えきれぬ触手のごとく飛び出しアヤノの身体をつなぎ止め、あろうことか服ごと元通りに修復して見せた。

 

 マリケスは戦慄した。確実に心臓ごと潰した筈だった。

 即死した死者を蘇生するなど、マリカが弄ぶ二本指の祈祷ですら不可能な奇跡である。  

 

「死のルーンが効かぬだと……!」

 

 宵眼の女王、人が死すときに現れるという、葬送した人体の皮を纏い黒き炎を手繰る《神肌》を名乗る獄卒を率いる死の女王。

 マリカはかつて女王が司る死のルーンの一部を盗み出した。それは今マリケスの手の中にある。

 

 不完全な死の力、それでもただの人間の小娘を殺すだけならば、過ぎた力であるはずだった。

 

「クルシイ! サムイ! 助ケテオトウサン! オカアサン! 死ニタクナイ! ワタシ、シニタクナイヨ! ギャハハハ!! 先立ツ許シテワタシヲユルシテ!! アハハハハハッ!!」

 

 人を好んで狩る獣は時折、人間の断末魔や命乞い、絶望の声を鳴き声として身に付けるという。獣にその意味など分かろう筈も無い。ただの言葉の羅列。今のアヤノの口から漏れているのはそれと同じものだ。

 

 無意味な絶望の慟哭を発しながらアヤノだったはずの女が首をもたげて絶叫した。その瞳はどろりと黒く染まり、白いローブと臙脂色の外套もいつしか血より濃い暗黒に染まっていた。

 

「全部無クナレ! 幸セソウナ奴ハ全部ゼンブゼンブッワタシミタイニ死ネ! アアアアッ!」

 

 アヤノは黒い汚泥に濡れた杖を掲げた。けして生者が聞くべきでない、空を引き裂くような金切り声と共に杖先から漆黒の光が撃ち上げられ空で爆裂四散し数多の矢のように降り注ぐ。

 

「マリカぁ! それに触れるな! 傷を受ければ祈祷では治らぬ! 臓腑を抉られれば命は無いと思え!」

 

 マリケスが跳躍しマリカを守るように赤黒い光刃を放つ。

 そしてよろめきながら立ち上がったゴライアスが残った右手で剣を掲げ、黒い雨を火炎の嵐で打ち消して見せた。左肩の傷口は既に漆黒に染まり、一部がぼろぼろと崩れ落ち始めている。

 

 ゴライアスは背後に視線を移し、未だに立ち上がれないボルスの姿を見た。その落ちくぼんだ眼窩の向こう側には怯えすら抱くほどの動揺があった。

 

「何故……何故儂などを守った! ゴライアス、儂は、お主の……」

 

 死体から生まれたものに過ぎない。

 それは、ゴライアス自身が言ったことだ。

 

「その程度すら分からぬか? 己の価値を見誤るな」

 

 ゴライアスはいつも通り、ひどく不機嫌そうな表情を浮かべた。

 肩で息をして、左肩の傷口は死の呪いで腐り落ちている。だが既に満身創痍であっても、その表情だけは崩さなかった。 

 

「何のためにお前を弟子にしたと思っている。私の魔術を受け継ぐためだろう。そこらの有象無象を手当たり次第引き込んでいるわけがなかろうが」

 

 呆れたように溜息をつくとゴライアスは前を向き、暗黒を纏いマリケスと戦い続けるアヤノを見た。

 

「アヤノ、お前も同じだ。このゴライアスの弟子が名も無き神に接触した程度で支配されるなど許されざる失態だ。全く、手のかかる馬鹿弟子め」 

 

 

 

───────────────────────

 

《暗い円環》

新月の魔女、アヤノが見出した禁断の魔術

杖を掲げ絶叫し、自身を中心に

漆黒の力場を円状に拡散する

 

ダメージを与えた後、吹き飛ばし

削ったHPの回復を阻害する

 

満月の遙か向こう側に、少女は黒い新月を見た

それはあらゆる律、世界の拒絶であり

記憶に焼き付いた、絶望の形であったという

 

*1
狭間に生息するヒグマより3倍くらい大きい熊

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