村の幼馴染が魔術の天才だった   作:きなかぼちゃん

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21.星針

 なんだかずっと眠っていたような気がする。

 頭ががぼやけて思考ががまとまらない。何をしなきゃいけないんだっけ。

 

 そうだ、助けるんだ、皆を。そのためならわたしはなんだって、なんだって。

 

 わたしは立ち上がった。それで気づいた。足の痛みは消え失せていた。

 何でか歩ける。それなら行かなきゃ。

 

 ……何処へ?

 

 ぼうっとしたまま当てもなく歩こうとして、手を引かれる。後ろを振り返った。そのままものすごい力で引き寄せられてバランスを崩した。転びそうな所で、地面に座っていた誰かに衝突するように片手できつく抱き留められる。

 

「もうやめて! これ以上私の知らないあなたにならないで! アヤノ、お願いよ……」

 

 見ればレナラが見たこともないくらい表情をくしゃくしゃにして、懇願するようにぼろぼろ泣いていた。額だけでなく左肩も赤黒く染まっていて、力なく左腕が垂れ下がっていた。

 

「レナラ……?」

「待って、あなた、目が元に」

 

 レナラが血まみれの左手を小刻みに震えるままわたしの頬にかけた。潤んだ青い瞳が、わたしの目をまっすぐに見つめていた。

 

「ねえっ、その肩の怪我」

「そんなのどうだっていいッ!」

 

 心配で口走ると、レナラは半狂乱のように泣き叫んだ。そしてわたしの胸に頭をうずめる。

 

「良かったっ、本当に良かった……! このバカっ、こんなに心配させないで……」

 

 おぼろげに記憶が戻ってくる。そうだ、わたしは殺されそうになっている皆を助けるために、せめて何かしたいと思った。そこから先の記憶の一切が抜け落ちている。

 

 わたしの胸で泣きじゃくるレナラなど夢の中でも見たことがない。少し戸惑いながら手を回して、レナラの背を出来るだけ優しく撫でながら語りかけた。

 

「レナラ、何が起きたの? 何でか分からないけど、記憶が無いの。わたし一体何をしてたの?」

「何も、してないわ。ただあなたは……少し眠っていただけよ」

 

 泣きはらした目でレナラが私を見つめて、無理矢理安心させるかのように歪に笑いかけた。それが嘘だなんてことくらい直感で分かる。ずっと一緒にいたんだから。

 

 でも、今それを問い質すことが正しいことなのか、わたしには分からなかった。

 逡巡していると、レナラの視線がすっと細まりわたしの向こう側を睨み付けた。

 

「綾乃……今こそ、私との約束を果たしてくれるわよね」

 

 振り返れば、出血した脇腹を押さえながらマリカがよろよろとこちらに歩いてくるのが見えた。

 

 わたしは立ち上がって、レナラを庇うようにマリカと相対する。レナラの右手がわたしを引き戻すように再び固く握られた。不安そうな表情を見て、なんだかいつもと逆だ、なんて、心のどこかでひどく呑気なことを思う。

 

「アヤノ、行かないで……」

「大丈夫。私を信じて」

 

 強がって、できるだけいつも通りにレナラに笑いかけた。

 そしてわたしはマリカに向き直ると、ゆっくりと首を横に振った。

 

「さっきまではそのつもりだった。約束を守ってくれるのなら、わたしはあなたと一緒に行っても良かった。でも、茉莉花はわたしの大切な人を殺そうとした! だから、もう、ダメだよ。茉莉花、わたしはもうあなたのことを信じられない」

 

 マリカは目を見開いて、動揺したように浅く息を吸った。

 

「嘘、冗談、よね?」

「違うよ。わたしは本当にそう思ってる」

 

 できるだけ冷たく突き放すように言う。マリカは僅かにたじろぐと、わたしから目を逸らして目線を落とした。

 

「どう、して……?」

 

 ゆらりと面を上げたマリカから冷え切った呟きが漏れる。

 

「どうしてどうしてどうしてッ!? 綾乃は日本に帰りたくないの!? あの景色をまた見たくないの!? 普通に生きていただけなのに急にこんな最低な世界に叩き込まれて、悔しくないの!? この世界の人間と仲良くする必要なんてある!? 答えてよッ! この世界が憎くないの!?」

 

 目を血走らせて怒りのままマリカは石鎚を振り回した。それはもはや世界を呪うような絶叫だった。

 

「私は憎いッ! この世界が全部憎い! 家族と友達にも2度と会えない! 夢だって目標だって、やりたいことだってたくさんあったのに! 私の人生を全部ぶち壊しやがったこの世界なんて全員不幸になって終わればいいッ!」

 

 ここに至って、わたしは理解した。なぜ茉莉花があれほど日本人であることに拘るのか。この世界に日本の風景を作り上げようだなんて考えるその理由を。

 

 きっとあなたは生きたまま、この世界に連れてこられたんだね……。

 

 それはとても可哀想で、とてつもない絶望の中で生きてきたんだろう。確かに同じ日本人であるわたしであれば、その寂しさを理解してあげられるのかもしれない。たったふたりの同胞として、一緒に生きていけるのかもしれない。

 

 それでも、わたしにはわたし自身の意思がある。

 かつて言うべきだったこと。それをあなたに今伝える。

 

「茉莉花、あなたは───間違ってる」

「え……?」

「わたしは、この世界で、大切な人たちと生きていく。だから、あなたの気持ちには応えられない」

 

 ごめんなさい、茉莉花。わたしはこの世界の手を取って、きっとあなたを独りぼっちにする。

 

「そんなの、認めない……! 私は絶対に! 認めない! 綾乃は私と一緒に生きていくの。それが正しいの! それがたったふたりこの世界に落とされた私達の運命なのよ! だってそうじゃなかったら、私は、私は……!」

 

 錯乱したマリカが石鎚を振り上げた。守るんだ、レナラを。恐怖で心が震える。それでも、わたしは両手で杖を握りしめるようにして構えた。

 

「そこまでだ」

 

 聞き慣れない、野太い男の声だった。大地が揺れた。

 

「時間切れだ。マリカ」

 

 見覚えのある偉丈夫が地面に降り立ち、振り上げられたままのマリカの細腕をあっという間に掴んだ。でも、マリカにはボルスさんの一撃ですら片手で止める力がある。なのにマリカの腕は捕まれたままぴくりとも動かない。

 

 演説の時に見た、黄金の斧を担ぎ、額に黄金の王冠を戴く戦士。ローデイルの父祖ゴッドフレイ。

 

「離せ! 離しなさいよ!」

「戦場を見ろ。誉れ高き騎士達の命はもはや半数が失われた。引き込んだトロルとザミェル共も致命的損害を被っていよう」

 

 轟音が響き、巨大なバリスタの矢が数え切れないほど突き刺さった巨人が遠くで崩れ落ち山嶺の底へ落ちるのが見えた。いつしか、巨人達の数も片手で数えられるほどしかいなくなっていた。戦っているトロルたち、ローデイルの騎士とザミェルの影人たちも明らかに数を減らしていて、雪原のどこを見ても打ち捨てられた、鎧ごと黒く焼け焦げた死体が視界から消えることは無い。

 

 竜の放ったブレスで氷風が巻き起こり、ローデイルの騎士たちが1人、また1人とあっという間に氷漬けになる。そして空から降る巨人の火が表面の氷ごとその身体を黒い人型の燃え滓に変える。

 

 風に乗って漂う人の身体が焼ける臭いすらもはや気にしていない自分自身に気づいた。地獄があると言うのなら、きっとこの場所がそうなのだろう。

 

「だから何!? 私とあんたがいれば勝てるんだから兵隊がどれだけ死のうが関係ない」

「マリカ、お前にはもっと王たる者としての心構えを教え込むべきだったな。はっきり言おう。この度の遠征は失敗だった。時期尚早であったとも言えるな」

「何を弱気なことをゴチャゴチャと」

「今のお前では巨人どころか俺にも勝てん。少し頭を冷やせ」

「は?」

 

 ゴッドフレイは担いだ斧をぐるりと回すと、あろうことかその石突でマリカの腹を勢いよく突いた。

 

「か、は」

 

 マリカは血走った目でぱくぱくと口を開けてゴッドフレイを見つめたまま、やがてぐったりと気を失った。丸太のような腕にマリカのほっそりとした身体を丁重に抱くその姿は花を手折らず愛でるようで、どこか荒々しい戦士の見た目にそぐわない。

 

 いったいこの男は何をしているんだ? マリカとこの男は夫婦じゃなかったのか? わたしが唖然としているとゴッドフレイは声を張り上げた。

 

「マリケス! お前も手を引け。引き上げるぞ!」

 

 それに呼応して人狼が吠えこちらに走る。戦っていたのだろうか、少し離れた場所で距離を取りゴライアスと睨み合っていたのが見えた。

 

「ゴッドフレイ、妻たる者にこのような仕打ちを」

「お前はマリカに甘すぎる。従者ゆえ仕方なきことかも知れんが、好き勝手させるにも限度があろうよ。このまま愚かさを分からせずして、女王を信じ斃れた騎士達の魂に顔向け出来るか?」

 

 人狼は口をつぐんだままマリカの顔を覗き込んだ。心底心配しているように細まるその瞳は、獣とはほど遠い理性を宿していた。

 

「安心しろ。気を失わせただけだ。まあ、目覚めたら暴れ回るだろうがな。その時は俺達で押しとどめれば良い」

 

 ゴッドフレイのその声音はまるで我儘を言う子供を仕方なさそうに窘めるようだった。けして手出しすることの出来ない彼らだけの世界が出来上がっているような気がして、顔が熱くなる。

 

 ふざけるなよ。これだけ殺しておいて、自分たちの兵たちだって大勢死んでいるのに、どうしてそんな風な顔ができる。この狭間がそういう、人の命が軽い世界だと納得していても、心が理解するのを拒否してしまう。

 

 きっとこれはわたしの理不尽な怒りでしかない。それでもわたしは出かかった言葉を止められなかった。

 

「……ねえ」

 

 わたしは目の前の敵を睨み付けた。

 

「なんであなたたちは茉莉花に従うの? あなた茉莉花の夫なんでしょ? どうして間違ってるってわかってることを止められないの?」

 

 言ってから、我ながら子供みたいな問いだと呆れてしまう。マリカはローデイルの女王だ。それに異を唱えるなどそうはできることじゃない。

 

「此奴がやると決めれば我らはそれを止められん。そして諫めたところで考えを曲げる女ではない」

 

 ゴッドフレイは斧を地面に突き刺し、左手に抱いたマリカの頬をその無骨な指で愛おしそうに撫でた。

 

「惚れた弱みというやつよ」

「えっ」

 

 思わず声が漏れる。予想していなかった言葉だったから。

 

 そんな、そんなの。わたしたちと同じ、普通の人間じゃないか。

 

 わたしはどこかで信じていた。王たる人間の行動にはそれ相応の理由と根拠があるのだと。戦をするにもきっと大義名分があるはずだと。それなら仕方ないって思わせて欲しかった。

 

 そうでなければわたしはあなたたちを許せない。

 

 その瞬間、心の中に暗い悪意が宿る。わたしは怒りのままゴッドフレイの瞳を真っ向から見据えた。

 

「たとえ……茉莉花のその心が、あなたたちの方を向いていなかったとしても……?」

 

 最低だ。マリカの心がわたしにのみ向いていることを自覚しながら、そしてマリカの気持ちに応えるつもりすら無いのに、ただ目の前の相手の心を傷つけるためだけに、わたしはそう言ったのだ。

 

「そうだとも、仕方あるまい。俺は愛しているのだ。この孤独で不器用な女を」

 

 それでも、わたしの悪意に満ちた言葉を受け止めて尚、ゴッドフレイはただ尊大に笑みを浮かべた。

 そして後悔した。こんな風に人を攻撃したところで、自分が惨めになるだけなのだと。

 

「娘よ。俺はお前が羨ましい。お前の前でならば、この女は俺達には見せぬ表情を浮かべるのだろう」

「茉莉花は……きっとわたしを見ているわけじゃない」

 

 マリカがわたしを通して見ているのは日本人としての前世の記憶でしかない。

 

「そうかもな。だが俺はたった今、目の前にいるお前を気に入った!」

「は……?」

 

 わたしが怪訝な顔をすると、ゴッドフレイはひどく面白そうに大笑した。

 

「俺の名はゴッドフレイ! 輝ける黄金樹、その第一の守護者にして戦士よ! 心強き娘よ、お前も名乗るが良い!」

 

 ほんの少しだけ迷った。目を閉じたままのマリカを微かに見た。

 茉莉花、もうわたしは謝らない。たった今、わたしはかつて日本人だったことを捨てる。

 

「……アヤノ。星見の始祖、ゴライアスの弟子」

「アヤノよ、この俺を前にして一欠片の怯えすら見せず、あまつさえ正面より挑発するなど面白い! いずれまた会うこともあろう。気が変わる時があれば空に見える黄金樹を目指すが良い。何時いかなる時でもローデイルはお前を歓迎しよう」

 

 同じことをマリカに言われたことを思い出して、だからこそこの2人は確かに夫婦なのだと思った。人狼がわたしに剣を突きつけた。

 

「いい加減にせよ、ゴッドフレイ! 興味を惹かれた者を敵であろうと見逃し、あまつさえ味方に引き入れたがるのはお前の悪癖だ。その機会は訪れぬ。この娘は今殺さねばならぬと、二本指が命じている……!」

「マリケス。お前はその剣を捧げた女王よりも二本指を優先するのか。さぞお前の主は失望することだろうな。あるいはこれ以上戦いを続け無為に騎士達を失うか! 断じて有り得ん。俺達は速やかに軍を引き撤退する。それだけだ、違うか」

 

 人狼は低く唸るとわたしの瞳を覗き込んだ。そして警戒を緩めないまま剣を下ろした。

 

「……マリカの寵愛に感謝することだ。次は無い」

 

 マリカを抱いたゴッドフレイと人狼が背を向ける。

 

「ごめんなさい。きっとわたしはあなたたちが嫌いだし、今も、きっとこれからもずっと許すことは無い」

「ハハハ、それでこそ滾る。その憎悪、けして忘れるな。立つべき戦場はけして無くならぬと、それこそがこの俺の魂を奮い立たせるのだから」

 

 ほんの一瞬、振り返ったゴッドフレイの瞳に狂気の輝きが宿ったのを見た。恐ろしい男だと思った。きっと戦えれば、その理由など何だっていいのだと知れた。

 

「地獄に落ちろ」

 

 わたしは即答した。その瞬間、空気が揺れた。

 

「許さぬ───けして許さぬぞ!」

 

 軋んだ声が空から降り注いだ。鼓膜がずきりと痛み、つい両耳をふさぐ。

 黒い噴煙のような暗雲に覆われた空の向こう側に生き残っている1人の巨人、オトニエルの姿が見えた。

 

 そこは昨日、ゴライアスの死体から巨人が産まれたあの場所だった。そして視線の先には、雲海に鎮座するように巨人の火の釜と呼ばれた巨大な臼がある。

 

「嗚呼、神よ、燻り微睡む火の神よ。我ら巨人を贄とし世界を焦し給え」

 

 オトニエルは跪いて両手を合わせ祈るように呪詛を吐いた。昨日聴いた楽器のような心地良い響きの声とは程遠い、幾重にも絶望を重ね合わせた、楽器の弦を引き千切るような怨嗟がこもっていた。

 

「オトニエル、お前……やめろ! あの悪神を目覚めさせるつもりかッ! 世界が滅びるぞ!」

 

 人のものではない、巨人たちと同じ大気に響くやまびこのような声でゴライアスが跪いたまま、息も絶え絶えに叫んだ。オトニエルは緩慢に首を動かして、憎悪に光る赤い瞳でこちらを見た。

 

「最早構わない。滅びるが良い。我らだけならば良かった。緩やかに消え去るのであれば、人間の手によって滅びるのも定めだと諦めることも出来た。だが、新たに生まれた我らが子孫の命脈を絶つことだけは許せぬ!」

「だから悪神を呼び世界を破壊するのか? それで本懐が遂げられるとでも言うのか? 馬鹿らしい、全ての生物が焼き尽くされるだけだ! その先は何も残らない灰色の無だぞ! 冷静になれ、お前まで神の奴隷になどなるな! その誓いこそが、我ら巨人が神に支配されぬ誇りを持ち続けるための礎だっただろうが!」

「お前の身体より生まれた子だぞ。ゴライアス!」

 

 オトニエルよりはるかに小さい巨人がその足下で身を縮こまらせているのが見えた。その周囲にはトロルやザミェル、そしてローデイル兵達の黒い死体で死屍累々と化していた。

 

 子供を守りながらどれほどの数の敵を焼き尽くしたのだろう。ゴライアスが押し黙り僅かに視線を落とした。けして自分の子ではないと言っていたけれど、それでも産まれたばかりの子供が命を落としかねない現状に責任を感じているのかもしれなかった。

 

「我ら巨人の生きた証が全て踏みにじられようとしている。幾人もの同胞が既に命を落とした。最早滅びすら避けられぬ! お前はこの人間達を許せるのか!?」

「お前の考えはよく分かった。人間を許せとも言わん。ならばその哀れな子を連れて何処にでも逃げるが良い。そのくらいの時間は稼いでやるさ! その方が世界を破壊するよりはいくらかマシだろうが。違うか?」

 

 ごう、と火の釜の内部が爆発するように燃え上がった。そして巨大な紅蓮の火柱が立ち上り黒雲を貫く。

 

「……駄目だ。この者達はけして我らを滅ぼすことを諦めない。ゴライアス、我は恐ろしいのだ。この人間達の邪悪が。たった今生き残ることが出来たとしても、我らが子ごと巨人はいずれ滅されよう。そのような邪悪に相対するのならば、我らもまた邪悪でなければならぬ! ならば、ならば! 巨人の長たるオトニエルの名に置いて、悪神にこの身を捧げてでもこの世界と共に全てを焼き焦して見せよう!」

 

 オトニエルが立ち上がり両手を掲げるように空を仰いだ。

 

「馬鹿が……!」

 

 ゴライアスが苦虫を噛み潰したように呟く。

 その瞬間、黒雲の隙間から火柱が落ち、オトニエルの全身が一瞬にして炎上する。灰色の皮膚が剥がれる。筋肉が黒く焼け焦げ、痩せさらばえた幽鬼のようなシルエットが紅蓮の炎の内側に浮かび上がった。

 

 同時に戦っていた他の巨人の頭上にも火柱が落ち、瞬く間に同じように炎に包まれた怪物へと変じた。

 この時わたしはもう、きっと巨人たちは人ではなくなってしまったのだと思った。

 

「─────」

 

 何を言っているのかまるで分からない。うめき声のような、叫び声のような。

 口も目も見えないほどに燃えさかるオトニエルの頭部から人の耳では聞き取れない声が放たれている。

 肉を焼き尽くし骨ばかりとなって尚燃え続ける身体、その胸が一文字に裂けて、端から暗い灼熱の溶岩がぼたぼたと滴り落ち雪原を焼く。

 

 まるで血涙のようだと思った。それに気づいた時、わたしの全身に怖気が走った。

 裂け目が瞼のように、眠りから覚めたかのように緩やかに開く。

 

「あ、ああ」

 

 無意識に出た声が震える。血走った一つ目。瞳の中で赤黒いフレアが渦を巻く。血管が浮き出て、ぎょろりと生々しく動く眼球がやがてわたしたちを、いや、この雪原にいる全ての生物たちを見下ろした。

 

 オトニエルの片腕が天にかざされる。

 

 身体を焼く炎が掌で球の形を取り、やがて太陽のように巨大な火の玉へと変じた。

 ゴライアスが放っていたそれとは大きさがまるで違う、暗く赤熱するマグマが圧し固められた隕石のごとく巨大な塊だった。この山を焼き尽くせるほどのその炎は、太陽の色に似ている。

 

 そして、手が振り下ろされた。

 

「盾を展開せよ!」

 

 ゴライアスの切羽詰まった声。

 遙か頭上から投げ下ろされた炎が空中で爆発し、灼熱の風が吹く。そして数え切れないほどの火の玉が流星のように降り注いだ。

 

「レナラ!」「同時にやるわよ!」

 

 振り向けば既に立ち上がっていたレナラが杖を構えていた。頷いて、わたしたちはタイミングを合わせて叫んだ。

 

「魔力の盾ッ!」

 

 相乗効果か、1人でやるよりも巨大な青い盾が私達を覆った。瞬間、火の玉のひとつが盾に直撃し、杖を通して身体が裂けるような衝撃が身体を襲う。

 

 2人して思わずうめく。レナラが強くわたしに体を押しつけてきた。わたしも同じようにする。お互いを支えるように、けして1人で倒れないように。

 

「─────!」

 

 オトニエルが何かを叫んだ。ちかちかした不快な光がグレアとなって瞬く。光速で迫る灼熱の衝撃派。盾に亀裂が入る。ガラスが砕ける音。

 盾が割れる瞬間、無理矢理レナラの手を引っ張って2人いっしょにその場にうずくまる。キィン、と熱波で大気が焼かれる音を聞いた。背中が焼けるように熱くなった。

 

 ぞっとする。きっと立ったままだったなら、上半身は一瞬で焼かれ尽くして蒸発していただろう。

 

 そうだ、クラリスとボルスさんは!?

 

 攻撃が止んだのを見計い、見回せばゴライアスが2人を守るように立ち魔力の盾を展開しているのが見えた。転移魔術で一瞬で2人を回収したのか。わたしたちの盾はすぐに割れてしまったのに、やっぱり先生の魔術は凄まじい。

 

 ゴッドフレイと人狼もまたオトニエルの攻撃を防ぎきっていた。それを見てゴライアスが叫んだ。

 

「おい! 指の奴隷ども、兵を退くのは構わん。だが我ら巨人を追い詰めた責任は取って貰う」

「この命はやれんぞ」

「死ねとは言わん。所詮は巨人など滅びゆく種族だ。それが少し早まったに過ぎん! あの悪神を呼び出した以上、経緯がどうあれ言い訳などできるものか。生まれたばかりの奴には悪いがな」

 

 最後、ゴライアスは苦々しく吐き捨てるように言った。そしてぎょろぎょろと地上を観察している巨大な目玉を見やった。

 

「このままではこの星はじきに火の海となろう。奴はまだ顕現したばかり。それでもアヤノに憑いていた奴とは比べものにならぬが、今この時ならまだやりようはある」

「ならば、どうする?」

()()()()()()()退()()()()()。だが、そのためには囮がいる」

 

 ゴライアスは有無を言わせない刺すような視線でゴッドフレイを睨み付けた。それを受けてなお、ゴッドフレイはひどく愉快なものを見たように大笑した。

 

「クハハハ! この王たるゴッドフレイを斧ではなく、ましてや囮とするか!」

「その肉体は飾りか? 奴を捨て置けばお前らの国も滅びるぞ」

「断じて否! この力こそ王の故よ! だが、良いのか? あれはお前たちの神だろう」

「生憎巨人は無欲でな。神なぞに頼ってこの星を支配しようなどとは思わん。あの悪神は我々巨人の最大の過ちにして呪い。それを封じるためにこそ、この山嶺に我らは己自身を封じた。指の奴隷となったお前らとは違う!」

 

 見下ろすように言い放つゴライアスを見て、ゴッドフレイはただ目を細めた。どこか懐かしいものを見るような、寂しさすら感じる視線だった。

 

「良いだろう、誇り高き魔術師よ。いいや、戦士よ。お前とは1度酒を酌み交わしたかったものだ」

「ハッ、願い下げだ! そして訂正しろ。魔術師でもましてや戦士でも無い。我ら星の最たる隣人にして、地上より星光を覗き畏れる者。ゆえに星見なり。その愚鈍なる魂に刻みつけよ!」

 

 

 

 

「……死ぬ気? あなた」

 

 レナラに肩を貸しながらゴライアスの元へ向かうと、レナラは開口一番に呟いた。ゴライアスの削げ落ちた左肩から蝕むように広がる黒い亀裂はすでに頬にまで及んでいた。傷口からはヘドロのように黒く溶けた肉が覗き、ぼとぼとと地面に腐汁を垂らしている。

 

 それでも、ゴライアスは痛みにうめくことすらしない。

 

「レナラ、その指摘は些か遅いと言わざるを得んな。この魂はあの犬の剣を受けた時点ですでに死んでいる。お前は何もかも見知ったような顔で話すが、その傲慢は正すべきだな。己にも見通せぬものがあるという未熟をせいぜい自覚することだ」

「…………」

 

 レナラは口答えもせず押し黙った。あるいは分かっていたのかもしれない。でも、きっとゴライアスがもう助からないということを信じたくなかったから、そんなことを聞いたのだ。

 

 わたしだって同じだ。先生に死んで欲しくない。

 

「先生……死なないで。これからもわたしたちにいっぱい教えることがあるって、言ってたのに……」

「フン、教えねばならぬことを全て教示するならば、その時お前は老婆になっているだろうよ。いかに正確に星を読んだところで、あらゆる運命が我らの想定通りに動く訳がない。月並みな言葉だが、何もかもうまく行くなど有り得んということだな」

 

 ゴライアスは小さく息を吐くと、わたしたちを見回した。

 

「だが、最低限伝えるべきことは既に授けた。それを生かすも殺すもお前達次第だ」

 

 わたしはレナラと、既に目を覚ましていたクラリスと顔を見合わせた。

 

 わたしたちがゴライアスに修行をつけられた期間はけして長くない。それでも、教えられたことが道半ばで無意味だったなんてことはあり得ない。魔術や星の読み方、星見としての心構えに至るまで。

 

「そしてお前達にも言っておく。運命の死は避けられない。だからこそ、それが訪れた時に何を望み、何を成すか? それこそが肝要なのだ。クラリス、現にお前の姉はそうしたぞ」

「お姉ちゃんが……? それって、どういう」

 

 クラリスが目を見開いた。でも、ゴライアスはその問いには答えず、

 

「だからこそ瞬きすらせずおろがむが良い。このゴライアスが運命の死を前に何を選び取るのかを!」

 

 代わりに右手に持っていた儀礼剣をクラリスに差し出した。

 

「クラリス、お前にはこの剣をくれてやる。呪われし巨人の火、そして星光の正体を垣間見た上で尚、この《夜と炎の剣》の力、見事御して見せよ! 恐ろしきものと理解しながら星光を正面より見据えるその心、けして鈍らせるな!」

 

 クラリスはゴライアスの迫力に押されるがまま、震える手で恐る恐るそれを受け取った。

 

「レナラ、その杖はお前が持っていろ。己の杖を折る未熟者には丁度良かろうさ」

「ふん、生憎すぐに新調して用なしになるでしょうけど、それまでは使ってあげるわ」

 

 レナラが右手の杖をちらりと見ながら悪態をつく。持っているのはゴライアスの持っていた杖だった。杖の先には瞳の色と同じ艶めいた藍色の輝石が塡まっている。

 

「そしてアヤノ、お前には」

「え……?」

 

 ゴライアスは右手の掌を自分の右目にかざした。

 そしてあろうことか指を眼球の端に突っ込むと、その右目を無理矢理に抉り出した。

 

 わたしたちが唖然としていると、青色の血が周囲に飛び散るのも構わずゴライアスがわたしにその眼球を差し出してきた。

 

「先生、なんで、こんな」

()()()()()()()()()()()()ということだ」

 

 先生が何を言っているのか分からない。

 

「アヤノ、お前の運命は暗闇にあり何一つ見通すことはできない。存分に恐れ、迷うがいい。絶望を焚べ、翳し、暗闇を歩み続けた足跡により作り上げられたそれこそが運命となる。だが覚えておけ、星は常に星見の一員たるお前の隣で輝いている。困難に行き当たった時は思い出せ、暗闇のみが己の本質だと思うな。お前は昨日指摘されたことすら忘れる間抜けゆえに何度でも教えてやる。気休め程度だろうが、役に立たない物では無い」

 

 ゴライアスはその藍色の眼球を無理矢理わたしに握らせた。

 人の身体の一部なのに、それは氷のように冷たくて宝石のように硬い感触があった。

 

「ボルス、お前は───」

 

 ボルスさんはゴライアスの言葉に応えない。ただ後悔に苛まれた表情で視線を落としたままだ。

 その気持ちを思うとわたしも辛くなる。きっとボルスさんは自分のせいでゴライアスが死んでしまうのだと思っている。そうじゃないなんてことはみんなわかってる。

 

 でもきっとボルスさんは自分で自分のことを許すことができない。

 だって、ゴライアスがいなければボルスさんは産まれなかったのだから。

 

 ゴライアスは舌打ちしてわたしたち3人を見渡した。

 

「フン、未熟たるお前達に教えなければならぬことはまだ数知れぬが仕方あるまい。今より我が魔術、貴様らに預ける! 運命の死が訪れるまで、ゆめゆめ星見の探求を怠ることなかれ!」

 

 そう言い放つと、いつも通り尊大に傷ついたローブを翻しわたしたちに背を向けた。かつて雪のように白く、今となってはくすんだ灰色となった長い髪が揺れる。

 

「ボレアリス、最後の仕事だ! 来い! あの悪神を退ける!」

 

 叫ぶと、火の巨人たちに蹂躙されるだけの地獄絵図となった戦場を空中で旋回して眺めていた飛竜が地を揺らしてわたしたちの前に降り立つ。

 

 ゴライアスは頭だけを振り返って、底意地の悪い表情で残った左目を細めるとレナラを見た。

 

「レナラ、お前は以前、我が星雨を大道芸と言ったな! 然らば、最期に真なる星の姿を見せてやろう!」

「ねえ、最後に聞いていい?」

「何だ。手短に言え」

「ゴライアス、あなた、どうしてあの時私に全てを任せたの……? まるで、ああすればアヤノが助かるって分かっていたようだった」

 

 レナラが何を聞いているのか分からなかった。クラリスと怪訝な顔で顔を見合わせる。お互いに心当たりが無い。

 

「かつて私にもお前のような存在がいた。そして同じように引き戻された。それだけのことだ」

 

 そう突き放すように言うと、ゴライアスはわたしたちの顔を順番に眺めた。わたしはその視線にほんの少しだけ優しさのようなものを感じた。

 

「忘れるな。お前らは3人揃って初めて一人前だと思え。未熟者はそれらしく力を合わせて生きろ。けして己の力を過信するなよ。死ぬのならば研鑚の後に老いて死ね。ましてやこのゴライアスの弟子が戦場で無為に散るなど許さん」

 

 それだけ言うと、ゴライアスは飛竜の背に飛び乗り飛び立つ。きっとこれが最後になる。思わずわたしは叫んだ。

 

「先生ッ!」

 

 見えなかったけれど、ゴライアスが竜の背からわたしの顔を見てくれたような気がした。

 

「今まで、ありがとうございました! わたしは、わたしたちはっ、あなたの弟子です! これまでも、これからも!」

 

 飛竜に乗るゴライアスの後ろ姿にわたしたちは一礼した。

 

「我が最強の十二騎士たちよ! 俺は今よりかの怪物に向け進撃する!」

 

 ゴッドフレイの咆哮のような号令が聞こえた。見れば、赤銅色の鎧を纏った騎士達が、火の巨人を乱暴に斧で指し示したゴッドフレイと人狼の前に整列していた。

 

「マリケス、お前はマリカを守れ! シルリア、撤退状況は!」

「は! 現状生き残った者たちにて早急に隊を再編の後、すでに撤退を開始しております」

「それでよい。もはやこの戦場に大義などない。なれば、俺はこの一時のみ王の名を返上する」

 

 言うと、ゴッドフレイは王冠を脱ぎ乱暴に地面に叩き付けた。赤銅の騎士達と人狼が戦く。怒気が込められたその荒い行動は王としての不甲斐なさだろうか。

 

「ゴッドフレイ、まさかお前、死ぬつもりではあるまいな」

 

 戸惑う人狼を無視してゴッドフレイは言葉を続ける。

 

「これより俺の言うことは王命ではない。類い希なる勇者達の殆どが既にその命を黄金樹へと捧げた。王として死を賜るべき負け戦よ。もはやお前らにあの怪物に立ち向かえとは言えん」

 

 ゴッドフレイは申し訳なさそうに黒い顎髯をさすった。

 

「だが」

 

 一転、呟く。

 そしてあろうことか、歯を剥き出しにして凶暴な獣の笑みを浮かべた。

 

「見ろ! あれほど恐ろしい怪物を見たことがあるか? まさに血湧き肉躍る強敵よ! 狭間にはこれほどの魑魅魍魎がいくらでも跋扈しているというではないか! それに相対しその全てを尽くを征してこそ、戦士としての俺の魂を震わせる! 戦場は無くならない! これほどの歓喜があるか!」

 

 ゴッドフレイは斧を掲げて大笑した。

 

 狂っている。

 

 わたしたちは身の毛のよだつような恐怖を感じた。

 あの悪神はただの怪物だ。どれだけ恐ろしくても、人間とは違うものだと思える。

 でも、同じ人の形をしている者の心が悪神のように理解できない怪物であるというなら、それは同じ人間と言えるのだろうか?

 

「故に今より俺はホーラ・ルー! 戦士よ! ただの戦士として、志を共にする命知らずは居るか!?」

 

 赤銅の騎士達はそれぞれの武器を掲げた。

 

『居るぞ!』『ここに居る!』

 

 十二人の騎士の全てが狂熱を帯びる。天も、地も、人も全てが狂っていた。震え上がったわたしたちは正気を保つために、思わず身を寄せ合い手を繋ぎ合った。

 

 ゴッドフレイがまるで四股を踏むように踏み込み大地を揺らす。そしてその巨体ではあり得ない、戦車のような勢いで走り出した。

 そして騎士達の背中に幻影の翼が生え、それぞれがゴッドフレイの背後を空から追う。 

 

 それに気づいた悪神の瞳がゴッドフレイを捉えた。そしてオトニエルの両手に再び太陽が宿り、13人の軍勢そのものを飲み込むようにそのまま投げつけられる。

 

「ハァッ! それはもう覚えたぞ!」

 

 ゴッドフレイが横に斧を振りかぶる。黄金色の輝きが膨張し爆発した。巨人の胴すら切り裂けるような巨大な幻影の斧が出現し、巨大な火の玉を真っ二つに寸断した。

 

「悪神とか言ったな! もっと恐ろしきものを見せてみろォ!」

「─────!」

 

 そのまま疾走し跳躍するゴッドフレイ、そのまま巨大な幻影の斧で燃えさかるオトニエルに斬り掛かった。そしてその背後を飛ぶ赤銅の騎士たちも次々と攻撃を加える。

 

 悪神の瞳から幾重にもレーザーのような熱線が放たれた。ゴッドフレイと騎士たちはそれをことごとくいなし、熱線は大地を削るように薙ぎ払った。そして、残りの火に包まれた巨人たちも戦いに集う。悪神の意識が完全に一点に集中した。

 

 わたしたちははるか上空を飛ぶ飛竜を見た。やがて空中で止まったその背中で青白い輝きに包まれたゴライアスの姿があった。

 

「悪神よ、このゴライアスですら秘した古の輝き、星雲の果てより飛来した星の神の姿を見よ! 頭を垂れて恐れ、絶望せよ! これがファルム・アズラの5つ首の竜王、その顎を焼き尽くした光の針である!」

 

 それはひどく細く頼りない、線のようなひとすじの青白い光の糸だった。

 黒雲を貫いて張り詰めた、ただ1本の糸がゴライアスの手の中にある。

 

「そして人類よ、刮目せよ! 大いなるもの、神と呼ばれるものの正体が何なのか、そして刻み込め! 神などというのはただ人より遥かに巨大な力を持った邪悪な化物に過ぎぬということを!」

 

 糸が天から引き抜かれた。ゴライアスはその糸を槍投げのように構える。その先には悪神の瞳。

 ゴライアスが一瞬だけこちらを見た気がした。

 

「ボルス! 最期に言っておく。もはや巨人は滅び、トロルは墓守ではない。己の道を行け! この古の巨人たるゴライアスが命じる! 思うままに生きよ! お前は自由だ!」

 

 俯いたままだったボルスさんが天を仰いだ。

 

「ままならぬ餓鬼どもよ。お前達4人は、なかなかに愉快であった!」

 

 ゴライアスはいつも通りシニカルに笑った。そんな、気がした。

 

「───さらばだ!」

 

 一筋の青白い星の糸が輝き、真っ直ぐに悪神の瞳へと突き立った。

 

 ギュル。

 

 巻き取るような異常な音が聞こえて悪神を中心に空間が歪んだ。瞬間、景色が爆発した。破れる世界。その隙間に暗い宇宙が見える。遙か遠くにあるのは青白い星の雲。裂けた服を縫い合わせようと空間が膨張し収縮し世界が揺れる。

 

「ギ、アア、ア、アア─────!」

 

 わたしたちでも聞き取れる明確な悲鳴だった。オトニエルの身体ごと悪神の身体が空間と共に歪み暗い宇宙に引きずり込まれる。

 

 その隙間、悪神を待ち構えるようにブラックホールのような暗黒の向こう側に何かが蠢いたのを見た。

 

 あれは、いったい な に

 

「2人とも、あれを見ちゃだめえっ!」

 

 すんでのところでクラリスが叫んでわたしたちの目を掌で隠した。悪神の悲鳴と世界が歪む音が消え去った頃、目を開けた。悪神と炎の巨人達はゴライアスの攻撃で完全に消え去っていた。そして一面の空が赤く燃えていた。

 

「いん、せき……」

 

 黒雲から炎を帯びた岩の塊がいくつも降り注ぐのが見えた。これが悪神の最期の抵抗なのか。せめてこの戦場のすべてを道連れにしようとしているのだろうか。隣にいるレナラとクラリスも絶望的な表情を浮かべている。

 

 同じ気分だ。さっき防いだオトニエルの攻撃とは規模が比較にならない。もはやどうしようもない。人の足でここからどうやって逃げ出せばいいっていうの……?

 

 完全に手詰まり。諦めそうになった瞬間、咆哮と共に頭上を影が覆った。

 咆哮が聞こえて再び飛竜がわたしたちの前に降り立つ。

 

『乗れ、人間ども! この山嶺からお前らを逃がす。奴との最後の契約だ』

 

 飛竜が尾を揺らし顎に冷気を漏らしながら低く唸った。その背には誰も乗っていない。

 

「ゴライアス先生は!?」

『分かりきったことを! 奴は既に死に体、その上であれほどの業を放てば五体が砕け散るに決まっていよう』

 

 分かってる。ゴライアスは本当に死んでしまった。手の中にあるゴライアスの瞳を握りしめた。大声をあげて泣きたくなるのを堪えて、わたしは頷く。

 

「みんな、行こう……!」

 

 ゴライアスの意志を無駄にしちゃいけない。レナラと、クラリスと、ボルスさんと頷き合う。心境の変化があったのか、瞳の奥にはボルスさんらしい精気に満ちた光が宿っていた。

 

 きっと弟子として先生のために今できるのは、わたしたち全員が生き残ることだ。

 

 

 

 

 空一面に隕石が降り注ぐ中を縫うように飛竜ボレアリスが飛ぶ。

 

 それでもいくつもの隕石がわたしたちを掠め、背中に乗るわたしたちはそれを魔術でなんとか逸らし続ける。下を見れば大地が割れいくつもの奈落へ続く穴が口を開けていた。

 

「もう少しで隕石の嵐を抜ける! 何とか耐えよ!」

 

 ボレアリスの足に捕まりルートを確認しているボルスさんが叫んだ。

 

 もはやわたしたちの身体は限界を超えていた。あと何度魔術を発動できるかもわからない。常に眩暈がしているような気がして、気がつけば断続的に意識を失っている。

 

「うっ……!」

 

 やがてレナラが肩を押さえて膝をついた。血まみれの左肩。どう見ても重傷なのに、今まで動けていた方がおかしいのだ。

 

「レナラ、大丈夫!? もう少しだから、あとはわたしたちが……」

「───!? アヤノ! 後ろッ!!」

 

 前を見ていたクラリスが振り返ってわたしを見て悲鳴をあげた。わたしもつられて後ろを見た。

 目の前、上方から隕石が迫っていた。

 

「ッ、あああああ!」 

 

 身体ごとねじって杖を向ける。クラリスと同時に星光を放った。だめだ、2人じゃ威力が足りない。勢いは止まない。ギリギリ逸れない! ぶつかる!

 

「ボレアリス! 避けてえ!」

 

 ボレアリスが勢いよく身体を揺らした。レナラの身体がバランスを崩してぐらつき、投げ出されそうになる。わたしはレナラを内側に押し出すように突き飛ばした。

 

 そしてわたしの身体が宙を舞った。一瞬の間、頭上にボレアリスの身体が見える。やっと、落ちていることに気づいた。

 

 遙か下は着地する大地すらない谷底の奈落だけがある。

 

 かすかにレナラとクラリスの悲鳴が聞こえた。

 

 

 

 

 風を切って落ちながら、ぼうっとしたまま考える。

 

 わたしはここで死ぬの?

 

 わたしにしてはよく頑張ったよね。とっくに死んでるくせに。

 

 だからもう楽になれって? 死んでもいいって?

 

 違う、わたしは。

 

 わたしは、生きたい。

 

 死にたくないよ。

 

 だから助けて、お父さん! お母さん!

 

 …………。

 

 知ってる。そんなことを思っても、何も起きない。

 ここは日本じゃない世界で、わたしはもう日本人の麻生綾乃(あそうあやの)じゃなくて、ただの星見のアヤノだから。

 

『―――おやすみなさい。きっとあの花吹雪を、また私に見せてね』

『アヤノ。一つ忠告しておく。奴にけして何かを望むな。願うな。その瞬間に奴は致命的な対価を求める。そうして奴は寵愛した相手を悉く破滅させてきたのだからな』

 

 走馬燈だろうか、ふとそんなことを言われたことを思い出す。おぼろげだけれど、ついさっきもトリーナの声を聞いたような気がした。

 

『綾乃、わたしはいつでも貴女を見ている』

 

 きっとトリーナはわたしをいつも見ている。きっとたった今この時も。

 トリーナ。望めば何かを叶えてくれる不思議な人。その代償にわたしは何かを失う。

 

 それでも答えは決まってる。可能性が少しでもあるなら。

 

 杖をかき抱くように胸の上で強く握る。杖の先に桃色の桜吹雪が宿った。

 

 わたしは大切な人たちと、この世界で生きたいんだ!

 

()()()! トリーナぁぁぁぁ!!

 

 瞬間、懐かしいユリの香りがした。

 

「やっと呼んでくれたわね。綾乃」

 

 柔らかい、歌うような声。気づけばわたしと一緒に落下するように、トリーナが横にいた。

 あるいは、ずっとそこにいたのかもしれなかった。トリーナがどれだけ危ない人だろうと、助けを求めて、すぐに来てくれるその事実に安心して涙が零れる。

 

「トリーナ……!」

 

 わたしの顔を見下ろしていた人間らしくない薄紫の瞳が、すっと細まる。

 

「綾乃、流石に今回はわたしもひやりとしたわ。忠告したのに。下手したら貴女、戻れなくなっていたのよ?」

「───え?」

「いえ、貴女はきっと覚えていないわね。またいずれじっくりと話しましょう。今は時間がないわ。さあ綾乃、貴女の望みは何? そして貴女は私に何をくれるの?」

 

 ふふ、と薄い笑みを貼り付けてトリーナは囁いた。もはやわたしは迷わなかった。

 トリーナにとって価値があるものなのかどうかまでは、わからなかったけれど。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をあなたにあげる。だからお願い。わたしを助けて」

 

 即答したわたしを見て、トリーナは目を丸くした。そしてすぐに口元を半月に歪めてくつくつと笑い出した。

 

「うふ、うふふ。ごめんなさい。それが貴女にとって、とてもとても大切なものだってことは私も分かってる。私は貴女の夢の中を見ることができるのだから」

「ダメ? これじゃ足りない?」

「いいえ? 足りるわ。足りすぎている。綾乃、嬉しいわ。それを迷わず捧げられるほどに、この世界で大切な物ができたのね」

 

 トリーナは優しげな聖女のような眼差しでわたしを見た。

 

 かつて日本人だったわたしのよすが。それを失えば、わたしはきっと身も心もこの世界の住人になる。

 それでも構わない。だって、わたしが今大切にしているものはこの世界にあるから。

 

「うん、トリーナ。わたしはこの世界で生きるよ。そう決めた。あと、できればみんなにわたしが無事なことを伝えてほしい」

「ええ、良いわよ。くすくす、あの子たち、放っておいたらきっと貴女を世界中探し回ってしまうでしょうから」

 

 愛おしそうにトリーナは笑った。

 

 わたしの身体は雲海を突き抜け奈落に落ちていく。燃えさかる空も、隕石も、もはや見えない。白い景色と、立ったままの姿勢でわたしと一緒に落ちるトリーナの姿だけがある。

 

「貴女をすぐにあの子達の元へ返してあげることはできないけれど、それでもきっと今の貴女なら大丈夫。いずれ帰れるわ。それに、どうやら私以外にも()()()()()があなたの側に付いてきているみたいだし、ね」

「え?」

「ふふ、きっとすぐに分かるわ」

 

 わたしの疑問をはぐらかすと、トリーナは虚空から杖を取り出した。それは、トリーナがわたしに渡して、たった今も持っているものと同じものだ。

 

「───では、古の聖女と呼ばれたこのトリーナが、新たにこの世界に生まれ落ちた貴女の為に祈りましょう」

 

 トリーナが祝詞を謳う。子守歌を歌ったときと同じ感覚がする。限界まで酷使した身体から力が抜ける。ぐったりと重くなって、眠たくなってくる。

 びゅう、と強い谷風が吹く、トリーナの声がほんの一瞬だけ途切れた。

 

「───の名において、貴女の歩む道に幸あらんことを、()()()

 

 強烈な眠気と一緒に、かつての記憶が薄れるのを感じる。

 リアルタイムで心が削り取られる喪失感とともに、わたしは呟く。

 

「さよなら、お父さん、お母さん……」

 

 そしてわたしは意識を手放して、ただ眠った。

 

 

 

───────────────────────

 

星針(せいしん)

始まりの星見、ゴライアスが秘匿した魔術

 

ごく細い蒼白の糸を投げ撃ち、

刺し貫いた後に星の大爆発を起こす

そして対象を空間ごと引き裂いた後、

星光の嵐に追放し、消滅させる

 

第一の流星は、蜘蛛の糸の如く大地に突き立ち

古の狭間に青き根を下ろしたという

それは嘗て大いなるファルム・アズラの意思

竜王の顎を焼き尽くした破滅の針である

 

 

《明星の瞳》

夜明けの空にも似る

艶めいた藍色をした、人形の瞳

表面は宝石のように硬く

感触は氷のように冷たい

 

星の神の花嫁、ゴライアスは恐れゆえに

夜明けの空に蒼白の流星を封じた

その輝きの奥に蠢くものの正体など

けして知りたくもなかったが故に

 

星の神は、未だ瞳の中に潜んでいる




これにて巨人戦争に巻き込まれる第2章はおしまい!
お話はこれからもまだまだ続くよ!みんなここまで読んでくれてありがとねー!ちょーうれしーよー!
ぜひお気に入り・評価感想などお待ちしてます!みんなの応援がわたしの力!
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