ノクステラは広い街だけれど、数日も見て回ってしまえば大通り沿いにどんな店があるかくらいはわかるようになる。
食堂や服飾店、石畳の坂道を登った先の公園広場の奥にある大衆浴場。食料品店に並ぶ白い野菜に混ざって置かれた桶の中で大量に蠢く食用のミミズを見た時は奇声を上げそうになった。我慢できた自分を褒め称えたい。
ただ、それよりも驚いたのは食器やアクセサリーのような装飾工芸品を売っている店が目立つことだった。大通りだけでなく路地に入っても、そういう店を数分ごとに見かけるくらいなのだから相当である。
青白い街灯の光が少なく、やや薄暗い小さな路地。通りかかったこぢんまりとした店、その店先の長テーブルに並べられている耳飾りのひとつに思わず目が引かれる。小さな雫の形に繊細な模様が掘り込まれた銀細工。
かつて大人だった頃のわたしなら別だろうけど、14歳の小娘には似合いそうにないなあ。それに地底にあるノクステラで地上のお金が使えるとも思えないし、山嶺の戦いが起きた時にバックパックの中に入っていた荷物は全て置いてきてしまった。お金も含めて。
「気になる?」
「えっ?」
「いいでしょ、それ」
足を止めて耳飾りを覗き込んでいると突然声がかけられる。黒髪を後ろでくくった勝気そうな女の子だった。
店の入り口からひょこりと顔だけ覗かせて、どこか期待するような顔でこちらを見ていた。うっ、買い物客だと思われてる。冷やかしに見られたらヤダなあ。
「あ、うん。でも、わたしにはちょっと早すぎるかなーって」
「変な言い方するのね。まるで未来がわかってるみたい」
「そ、そうかな……?」
「お金が足りないとか、綺麗だな、とかならわかるけどね。それじゃ、大人になったら絶対に似合うって確信してるみたいじゃない。ずいぶんな自信ですこと」
わたしより少し上くらいに見える女の子はクスクスと面白そうに笑った。心を見透かされたようでどきりとする。
「で・も、残念ながらそれは半分まちがいね。今のあなたでも十分似合うわよ。ほら」
女の子はところどころ汚れた白いエプロンを着ていた。そして遠慮なく息が吹きかかるほど近くに顔を寄せてくる。僅かにつんと薬品のような匂いがした。
そして女の子は慣れた手つきでわたしの耳に耳飾りを添えて、顔の前で手鏡を開いてくれた。
うーん、確かに大人っぽいけどあまり主張しない小ささだから今のわたしでも付けられるかも、じゃなくて!
「ありがとう。でもわたしお金持ってないから買えないかな〜って……」
『ぷぅ』
頭の上のプララが残念そうにため息をついた(ような気がした)。
思わずセールスに乗ってしまいそうになり焦る。確かにちょっと欲しいなって思ったけどさあ、そんな残念そうな声出されてもお金がないからしょうがないじゃんね。というか付けるのはわたしなんだけど。クラゲがどこに耳飾りをつけるのよ。傘の下とかかな。
「あたしはメアリー。あなたアヤノさんでしょ?」
「そうだけど、どうしてわたしの名前を?」
「どうしてって、あなたみたいな見た目の人なんてこの街にひとりしかいないわよ。もう街じゃみんなあなたの噂でもちきり! 地上から落ちてきた生きてる人だなんてみんな見たことないんだから当たり前よね。へえ、地上の人の肌ってこんなにもちもちしてるのね」
メアリーは興味深げにじろじろとわたしの顔を観察しながら指先で頬をつついてきた。初対面の人間に対して失礼以外の何物でもないけど、どこかこの子にはそういう行動を不快に見せない、人懐っこい安心感のようなものがある。
「簡単にちぎれちゃいそう」
そう言って軽く頬をつねられた。鉄のように硬く冷たい感触が伝わってきてぞわりとする。
「ヒィ」
「アハッ、ごめんごめん。冗談だってば」
『ぷぷーい?』
ぶるりと身体を震え上がらせると、メアリーはパッと手を離した。
ホントに冗談かなあ、なんて素振りでプララがメアリーの周りをくるくると回りながら観察している。
「そういえばこの子も不思議なクラゲよね。あなたのペット?」
『ぷいぷい』
「あ、こら。プララ、ダメでしょ」
メアリーが手を伸ばすと、プララはそれをするりと避けて頭を触手でべしべし叩いた。でも痛くはないようで、メアリーはくすぐったそうに笑った。
「この感じじゃ、違うみたいね」
「その子はプララ。ペットじゃなくて仲間みたいなものかな」
「そういうことね。ゴメンゴメン」
『ぷい』
わかればいいのだと言いたげにプララは触手をひらひらさせながら鳴いた。そしてメアリーは「あ、そうだ」と、何か思いついたように胸の前で両手を叩いて気色を秘めてわたしの方を見た。
「あたしの頼みをひとつ聞いてくれたらその耳飾り、譲ってあげるわ。どう?」
「え? それは嬉しいけど……内容によるかな。できないことはできないしと思うし。でも、いいの?」
「いいよ。それ作ったのあたしだから。それに、そんな難しいことをお願いするつもりもないもの」
「あなたが作ったの!?」
わたしは素直にびっくりして耳飾りの意匠に目を近づけて覗き込んだ。こんな繊細な彫金仕事が、自分と年が変わらないくらいの女の子によるものだなんて!
「そりゃそうだよ。この店はあたしの店だし。なんならここに並んでるアクセサリー全部そうよ?」
「しかも店主!?」
「このくらい大したことないって。ノクステラにどれだけ銀職人がいると思ってるのよ。それにあたしは……」
メアリーは視線を逸らして言い淀んだ。そして間を誤魔化すように肩をすくめる。
「いや、あなたは知らないか。でも褒めてくれてありがとね」
「ううん、本当にすごいと思う」
銀職人というのがどういう業界なのかはわからないけれど、子供が1人の職人として店を構えるなどすごいことだ。将来の夢で何かしらの店をやっている自分を想像することはあるだろうが、子供のままそれを実行してしまうほどの行動力はわたしにはない気がした。
「それで頼みっていうのはね、基本的にこの耳飾りを付けて生活して欲しいのよ。できれば寝る時とお風呂に入る時以外は」
「要はモニターってことかな」
「もにたー?」
あちゃあ、また
「ええっと、それで付けた感覚とかをメアリーさんに伝えたり、他の人に宣伝すればいいってことかしら」
「ありゃ、察しがいいわね。でもそこまでしてくれるの?」
メアリーは意外そうに目を丸めた。
「そこまでって、そのつもりじゃなかったの?」
「さっき言ったでしょ。あなた有名人だもん。付けて街を歩いてくれるだけでもウチの宣伝になるから安いもんよ。勿論あなたがそうしてくれるなら大歓迎だけど。あとメアリーでいいわ。あたしもあなたのことアヤノって呼ぶから。ね、お互いに得しかない、いい話だと思わない?」
そう言うとメアリーは顔を寄せてにっこりと笑った。距離の詰め方が手慣れていてうまい。この子すごく友達多そうだな、なんて関係ないことを考える。いや、むしろ子供が店を構えるのだからこれくらい気安く人に話しかけられるのは当然なのかも。
「それにさ、あたしがアヤノにその耳飾りをつけて欲しいって思ってるのよ。とっても似合ってる。あたしたち銀職人にとって1番大切なことは、自分の生み出した作品が最も相応しい人のもとへ旅立つことよ」
最も相応しいとまで言われてしまった。
本当にそう思ってるかは知らないけど、歳が近そうな子からこういうことを言われるとなんとなく真に受けてしまう。それにわたしがこの耳飾りに惹かれているのも事実だし。
そうしてわたしは見事メアリーのセールストークに乗せられることになったのだった。
※
「なるほど、そんなことが。でも、その彼女の見立て通りとても似合っているわよ。アヤノ」
「あはは、子供が背伸びしてるみたいに見えてなければいいんだけど」
「フフッ、巨大な蟻にも立ち向かうほどの勇気ある女性に、誰がそんなことを言うものですか。あなたは美しいわ」
館での夕食。テーブルを挟んだ向こう側で堂に入ったテーブルマナーを披露しながら、ステラは何気なく微笑みながらそんなことを言う。高貴な人は恥ずかしい言葉をするりと口にするからずるい。しかもそれが様になる。
「あれはただ必死だっただけだってば。わたし虫ニガテだしもう1度同じことをしろって言われても多分無理だもん」
「でも、必要とあらばきっとあなたはそうするのでしょう? きっとアヤノはそういう人だわ」
「買い被りすぎだよ」
ステラはわたしに助けられたからか、どこかわたしを過大評価しているきらいがある。わたしはそんなヒーローみたいに強い人間じゃないんだけれど。
一緒にご飯を食べていたステラがわたしの耳飾りに目ざとく気づいて、手に入れた顛末を話したのがついさっきのことである。
ステラと友達になった日から、ステラが忙しくない夜に時間のある日はいっしょにご飯を食べることになった。
わたしが部屋を与えられているこの5階建ての大きな館はコの字型に中庭を取り囲むようにある。城とまでは行かないけれど広く、兵士のや侍女の人たちをはじめ色んな人が住んでいる。王女であるステラと、その妹であるルクスさんもこの館で暮らしていた。
こうして気軽にいっしょに過ごしていると、ノクステラにとって得体の知れないわたしのような人間が王女様とそんな近しくなっていいのだろうかと思わなくもない。
けど、ステラがよいと言えば問題ないらしく、ルクスさんにも「よければ姉上の話し相手になって差し上げてほしい」と頼まれてしまった。
ということで、こうしてわたしは夕食を共にする時はその日あったことをネタに他愛の無い話に興じるのだった。
ちなみにプララは中庭で好き放題お気に入りの草を食べている。食べちゃいけない植物を食べていなければいいんだけど、と少し心配だったり。木の葉っぱならいくらでも食べて大丈夫だろうけど、草花の葉っぱを丸裸にしたらきっと枯れてしまうだろう。
「それにしても、メアリーですか。確か……フォティーノ氏の娘がそのような名だったような」
知らない名前である。首を傾げると、ステラはわたしに心当たりがないことを察したのか、あっ、と呟いた。
「ごめんなさい。アヤノは知りませんよね。フォティーノ氏はノクステラでも指折りの銀職人。わたくしが付けているこのティアラも彼から献上されたものなの。彼の娘であれば、きっと腕の良い職人なのでしょう」
そう言ってステラは額のティアラをほっそりした指で撫でた。確かに王女様への献上品を作れるほどの職人の娘なら、子供ながらに店を持つほど優秀なのもおかしいことではないのかもしれない。
「並んでた他のアクセサリーもすごく繊細だったし、わたしと同じくらいの歳なのに店持ってるだなんて凄いよ」
「えっ、フォティーノ氏の工房ではなく、彼女自身のお店?」
「うん。そう言ってたけれど、何か気になることでもあった?」
「いえ、大したことじゃないの。ずいぶん独立するのが早いなというくらい。アヤノと同じ年頃であれば、尚更そう」
ステラは意外そうな顔をしていた。ノクステラでも子供が店を持ち切り盛りするというのは珍しいことらしかった。
「ねぇステラ、銀職人ってどんな仕事をしてるの? 銀細工を作ってるってことはなんとなくわかるんだけど」
「このノクステラでは、銀はわたくしたちの生活に根差しているの。今この夕餉に出されている食器も銀で出来ているし、楽器や装飾品も。魔術を手繰るための杖、兵たちが使う武器に至るまで全て銀が使われているから、必然的にそれを作る銀職人たちの仕事も多岐に渡ります。ひとくちに銀職人と言っても、専門性はそれぞれ異なるということ。例えば……あなたが話してくれたメアリーは装飾品専門の職人なのでしょう。フォティーノ氏も同じく装飾品の匠として名高いわ」
「銀でできた楽器なんてあるんだ」
「ええ。ヴィーラというんだけど、中が空洞になっていて吹くといい音が響くのよ。子供の頃はよく、ルクスが吹くヴィーラに合わせて歌って一緒に遊んでいたの。本当に楽しかったわ。でもあの子、楽器が好きなのに最近はめっきり触らなくなってしまって……」
もうわたくしたちも小さい子供ではないのだから、仕方ないのだけどね。とやや寂しそうにステラは呟いた。
楽器が趣味というのは、どこかストイックな武人然としたルクスさんの雰囲気からは結びつかなかったので意外に思う。
「でも、大人にこそ趣味で安らげる時間が必要なんじゃないかと思うな」
「そうかもしれません。でも、ただ安穏と守られているだけのわたくしの立場で、僧兵頭*1であるあの子に息抜きをしろだなんて言えないわ」
「じゃあさ、わたしが頼んだってことにしようよ。ステラとルクスさんが、ええと……セッション? じゃないか。一緒に歌って演奏してるところ、わたしも聴いてみたいし」
ヴィーラというのがどういう楽器なのかわからないし、音楽に詳しいわけでもないけれど、きっとそれは楽しいことのような気がする。
でも、ステラは目を瞑ってゆっくりと首を横に振った。
「……ううん。やっぱりやめておきましょう」
「ゴメン、もしかして嫌だった?」
少し前のめりになりすぎたかもしれないと反省する。するとステラは力なく笑った。
「いえ、そうではないの。気にしないで。ただ、その……怖いのです」
「怖い?」
何が? 聞き返しても、ステラは答えを返してくれなかった。ほんの少しの沈黙があり、どこか気まずくなる。冷め始めた皿の料理に手を伸ばすのもはばかられた。
どう雰囲気を戻そうか迷っていると、わざとらしく笑みを貼り付けたステラが先に口を開いた。
「……ね、アヤノ。食べ終わったら、少し星見台に歌いに行かない? 街が静かになるこの時間は、きっと子守唄を歌うのにうってつけだから」
「そんな子守唄大好き人間みたいな……」
言っててなんだかおかしくなってしまい変な笑いがこみ上げる。思わず突っ込むと、ステラはくすりと悪戯っぽく笑った。今のところそれしかステラに聴かせたレパートリーがないから仕方ない。
「他にも得意な歌があるなら、ぜひ聴かせてほしいわ。あなたがわたくしたちの歌を聴きたいと思ってくれるように、わたくしだってそうなのだから」
ステラは笑っている。でも、ちょっと無理をしているな、と思った。
次は前世で有名だった歌とか聴かせてみようかしら。ステラの抱えている悩みはわたしには計り知れない。でも、少しでも彼女を元気づけられれば、と思わずにはいられなかった。
※
「アヤノ、今日も地上の話してくれよ~」
「あと魔術見せて! あの綺麗な花びらのやつ!」
「いいよ~。でもご飯食べた後でね」
「ちょっと、アヤノだって暇じゃないんだからそんなにせがまないの」
「今日は特に予定ないから大丈夫だよ」
「やった! 約束だよ!」
わたしが答える間もなく、小さな子供たちは銀色の瞳を輝かせて大通りにバタバタと駈けだしていった。その元気な姿を見て思わず口元がゆるむ。
わたしの大道芸を好きと言ってくれる人は好きだ。
あなた単純すぎよ、なんてレナラが呆れる声が聞こえる気がする。クラリスはわたしらしいと笑ってくれるかも。
ノクステラ大通りにある食堂。店の外に出された銀製のテラス席でわたしは昼ご飯を食べている。
今日はイモと魚と野菜のスープだった。わたしが虫が苦手なことをここの店主は既に知っているので、虫を使った料理を出されることはない。
「はあ……そんな正直にあの子たちに付き合わなくてもいいのよ? だから助け船出してあげたのに」
「いいよいいよ。小さな子と話すのは別に苦じゃないから」
「ならいいけどさ」
メアリーが目の前でイモをスプーンで掬いながら小さくため息をついた。店の前で出会ってからというもの、メアリー自身の気安さもあって頻繁に一緒にご飯をする仲になっている。
あれから何週間か経って、わたしは子供たちのコミュニティにいつの間にか組み込まれていた。街の一部では警戒されていたらしいけれど、ルクスさんがわたしのことを王女の恩人にして客人であると大々的に発表したため割とスムーズに余所者であるわたしは受け入れられた。
だが、それでも全ての人がわたしのことを良く思っているわけではない。
その証拠に、たった今もどこか冷たい視線を感じる。
ちらりと目線を移すと、わたしを睨みつけながらずんずんと近づいてくる年上らしき少年の姿があった。肩幅が広く体つきががっしりとしていて、日々の鍛錬の跡が見て取れた。腰にメイスを帯びているあたりノクステラの僧兵のひとりなのだろう。
「おいメアリー、こんな得体のしれない奴とつるんでるんじゃねえよ」
「あたしが誰と話したってあんたには関係ないでしょ。サボってないでさっさと仕事に戻んなさい」
メアリーはテーブルに肘をつくとしっしっと鬱陶しそうに少年に手を振った。
「それにアヤノはステラ様の恩人にしてこのノクステラの国賓にも等しいのよ? そんな態度を取ってもいいわけ?」
「はっ、こんな柔そうで貧相なガキが国賓ね。王女様だってたまには間違えることはあるだろうさ。こんな時に怪しい奴を街に入れるだなんてどうかしてる」
「不敬よ。それ以上言ったらあんたの上司に言いつけるわ」
メアリーが強い語調でたしなめると、少年は舌打ちして「おい、あまり調子に乗るなよ」とわたしに捨て台詞を吐いて踵を返して立ち去っていった。
「ごめんね、あいつ気が立ってるの。悪い奴じゃないんだけど、ここ最近物騒だからさ。ノクステラの外から来た人が信用できないんだろうね。話してみればアヤノが普通の子だってわかるはずなのに」
「ううん、わたしが外から来た怪しい奴なのは事実だから気にしてないよ」
「はぁ、人間できすぎよ、それは。アヤノがあいつより年下だなんて信じられないわ。男ってほんとガキよね」
メアリーがやれやれと大袈裟にため息をついた。そうだろうか? あの人はメアリーをただ心配しただけのような気もするが。
「まあまあ、あの人だって悪気があったわけじゃないだろうし。それにこの街を守ってくれてるんだから、そんな邪険にしちゃダメだよ」
「そうだけど、友達をあんなふうに言われたら腹も立つよ」
頬を膨らませるメアリー。さらっとかっこいいこと言わないでよ。照れそうになるから。
それをごまかすために、具がなくなったスープを飲み干した。
ルクスさんから聞いたことを思い出す。
この地底は広く、ノクステラ以外にも生き物が住む場所が無数にあるらしい。
そしてその勢力のひとつ、朱い瘴気を操る蟲たち。触れただけで生き物を腐らせるという恐ろしい存在とノクステラは敵対関係にあり、ずっと戦いを繰り返す緊張状態にあるのだという。
でも、そんな中でも街の人の生活は平和そのものだ。
危険が迫っているだなんて言われなければ分からない。それも街を守る僧兵さんたちの尽力に支えられているのだろう。
だから、少し嫌みを言われるくらいならへっちゃらだ。
そんなことを考えていると、むすっとしていたメアリーの顔がみるみるうちに消沈していく。
「……あー、ダメね。あたしもなんだかむしゃくしゃしてるみたい。アヤノの言う通りかも」
「なにかあったの? この間売り上げ上がったって喜んでたばかりじゃん」
「それはそう。それは嬉しい。でもそれとこれは別~」
メアリーは机に突っ伏すると頭を抱えて唸り始めた。
「銀が回ってこなくなった」
「え?」
「だから! あたしたちみたいな零細の職人には銀が回ってこなくなったのよ! 銀がなきゃ仕事ができない! 新作も作れない! 売れても在庫が補充できないし商売あがったりよ~!」
「おわわわわわ」
『ぷぷぷぷぷい』
両手で肩を掴まれてぐわんぐわんと前後に揺らされる。頭の上で寝てたらしいプララも飛び起きて同じような反応をしていた。
確かに銀職人にとって銀がないのは死活問題だ。原材料がなければ職人は仕事ができないというのはそう。
「おちつけおちつけ。どうしてそうなったの」
血走った目をしているメアリーをなだめてどうにか正気に戻す。
「ご、ごめん。銀の供給は最近も滞ってたんだけど、それでもゼロじゃなかったのよ。だから耐えていればなんとか上向くと思ってたんだけど……なんか、産出量の多い銀鉱がトラブルで封鎖されたらしくて、ウチみたいな零細に回す銀はないって……」
「自分で取りに行くとかはできないの?」
「そんなことしたら処刑されるわよ。銀の無断採掘は大罪なんだから。そうでなくても、今は危険だからって市民が街の外に行くのは禁止されてる。銀鉱はノクステラの外にあるから」
「なんかゴメン」
「別にいいわよ……あ~、どうしよ~」
ああ、メアリーがまたテーブルにキスし始めてしまった。
「じゃあそのトラブルを解消されればどうにかなるってこと?」
「商工会は何が起きたか内容まで教えてくれないからどうにもならないわよ」
俯いた頭からヴヴヴとうなり声じみた投げやりな声が聞こえる。
わたしひとりにどうにかできる問題じゃなさそうだけれど、ルクスさんに聞けばそのトラブルの内容くらいは分かるかもしれない。短期間でどうにかなるような問題なら、メアリーも少しは安心できるだろう。
そうでない場合は……あまり考えたくないなあ。
「わたしの方でもちょっと聞いてみるよ」
「ほんとに?」
がばっとメアリーが一瞬でおもてを上げた。ぎらついた銀色の瞳が普通に怖い。
「安心しろとは言わないけどね。少なくとも何も分からないまま唸ってるよりはマシだと思う」
「お願い、何か分かったら教えて! 何でもいいから! このままじゃ不安で頭おかしくなりそう」
「うん、だから落ち着いて。この耳飾りのお礼もまだし足りないしさ」
「えーん心の友~! ぐえっ」
メアリーがテーブル越しにわたしに抱きつこうとして腹部をテーブルの縁に打ち付けた。ガシャンと銀食器が硬い音を立てた。あーあ。
※
わたしの手の中には、整った女性の顔が掘り込まれた何枚かの銀製のコインがある。
メアリーとご飯を食べた後に公園広場の片隅で子供たちに《桜吹雪》を披露していた時、いつの間にか増えていた見物客の人から押し付けるように渡された投げ銭である。
思わぬ形でお金を稼いでしまった。特に狙っていたわけでもないのだけど。
「穀潰しになるのも肩身狭いし、これ仕事にしようかな。ね、割と良い考えじゃない? プララ」
『ぷぷ~い?』
「塵も積もれば山となるっていうでしょ」
疑惑の声をあげている(ような気がした)プララにコインを見せつけてローブの袖に入れる。
わたしも帰ろうと石のベンチから立ち上がると、近づいてくる誰かが見えた。
「貴女がアヤノ様、でございますか?」
「あ、はい。何かご用ですか?」
「ええ。聞けば貴女様は地上からこのノクステラに来られたとか。是非1度お話を伺ってみたいと思いまして、このように声を掛けさせていただきました。いやはや、先ほどの魔術も拝見いたしました。その練度、操作性、創造性、全てにおいて……素晴らしい」
「は、はあ。ありがとうございます」
ニコニコと笑みを浮かべて、薄い白髪が目立つ長身の老人はわたしを見下ろしている。柔らかさがある口調なのに、どこか有無を言わせないような雰囲気がある。
「私の名はゴーリー。未だ不肖の身ながら《賢者》の名を賜っております。以後、お見知りおきを」