あの怪物がいた空洞はもともと坑道とは別に外から洞窟として繋がっていたようで、問題なく地上に出ることができた。どうやらわたしとボルスさんが適当に掘りすぎたため、たまたまあの場所に繋がってしまったらしい。
怪我をしたわたしとボルスさんは怪我が癒えるまで労務を免除されることになった。
本来は労務中に怪我したら全て自己責任。だから休んだ分だけ労務が伸びるだけの話なんだけど、わたしたちが品質のいい鍛石を採掘していたのを理由に労務の延長は免除された。
それどころか、ローデイルからわざわざ祈祷師が来て怪我の治療までしてくれるらしい。
ただの村娘にあるまじきVIP待遇だけれど、グラムさんに言わせると「しっかり働く奴を寝かせとく方が損失がデカい」とのことだった。
レナラには浮ついてるって怒られたけど、わたしが採掘師を楽しんでいたことはちゃんと評価されていたようでちょっぴり嬉しくなる。
祈祷師さんが到着するまでの間、わたしはローデイルの駐屯騎士たちが使う宿舎にある医務室のベッドに応急処置をされて寝かされていた。さすがにいつも雑魚寝している所に放置されたら怪我が悪化しそうなので、これはありがたかった。
そしていま、わたしは痛すぎてうめき声を上げ続けている。
「うう……うーん……」
ここに寝かされてからどれくらい時間が経ったのか、小さな窓代わりの開口から覗く外は暗くなっていた。ベッドの側にあるチェストに置かれた燭台の灯りだけがぼんやりと殺風景な部屋を照らしている。
左腕が熱を持ってじくじくと痛い。思わず寝返りを打ちそうになって、その度に痛すぎて唸ってしまう。部屋には傷口に塗られた薬草の香りが充満していて鼻がおかしくなりそう。全身はじっとりと汗ばんでいてとても寝れそうにない。
「
細く歌うような声が聞こえた。遠く懐かしい、日本人らしいイントネーションの発音。ついに前世の幻聴が聞こえ始めたのかと思った。
「あ・や・の」
うわぁお化け! 今度は耳元で囁かれてぞわっとする。無理やり寝ようと閉じていた瞼を恐る恐る開いた。
「ごきげんよう。驚かせてしまったかしら? 私はトリーナ。只のトリーナよ」
お化けじゃなかった。修道女みたいな、フード付きの白いローブをまとった少女がいつの間にか私の枕元にいた。腕が痛すぎて、居たことに気づかなかったのかもしれない。
トリーナと名乗った彼女はベッドの縁にちょこんと腰掛けて、年頃の女の子らしくないしなをつくって、薄紫の怜悧そうな瞳が私を見下ろしている。
「可哀想に。ずいぶん痛みが酷いみたい」
熱っぽくてぼうっとした頭で考える。この子がグラムさんが連れてきた祈祷師なんだろうか。見た目はまさに修道女だけど。それにしては私と同じくらいの女の子に見える。
トリーナは被った白いフードを脱いで、私の頬に右手の白い指で触れる。子供のようにしっとりしていて、大人のような冷たさがあった。波打った糸のような長い銀髪がさらりと揺れた。
「貴女の杖、壊れてしまったのね」
わたしの頬に触れたまま、トリーナは壁に立てかけられた二本の棒に目線を移した。真っ二つになり使い物にならなくなってしまったけれど、それでも思い出の品なので回収してきたわたしの杖だ。
「もし貴女さえよければこれを使うといいわ。そしてこの杖に合う魔術も教えてあげる。たとえば、今みたいに痛みと熱で寝付けない時、あるいは恐怖や孤独に苛まれた夜に詠ってみて。きっと貴女を安らかな気持ちにさせてくれるから」
手品だろうか。トリーナの手にはいつの間にか、つるりと光沢のある細長い白杖があった。長さは星見の杖より少しだけ短く、尖端には薄紫の輝石が塡まっていた。トリーナの瞳と同じ色だった。
トリーナは立ち上がると、それをベッドの横の壁に立てかけてわたしの顔を覗き込んだ。
「貴女は只人には知り得ないものが見えている。私がみんなの夢の中を覗くことができるように、ね。そういう意味では私達は似たもの同士、かしら? 綾乃、貴女の夢は私だって知らない楽しい景色で溢れていたわ。だから、ついお節介をしたくなってしまったの」
何を言ってるんだろう。ぼうっとしている頭ではよく理解できない。でも、わたしを呼ぶ名前のイントネーションはひどく正しいということだけは分かった。
トリーナは悪戯っぽく口を半月に歪めて、艶然と笑った。けして少女が浮かべることのないひどくアンバランスな表情が空恐ろしい。
同い年くらいに見えても、その通りの年齢じゃないと思う。目の前にいるのに姿そのものが霞のように揺らいでいて、お酒で酔い潰れたような気分になる。その顔は男を手玉にとる成熟した女のようで、悪戯を楽しむ無垢な少年のようにも思えた。
「さぁ、私と一緒に詠いましょう。気づいたら瞼が落ちているから、ね」
トリーナは枕元で屈んでわたしに顔を近づけると、わたしの右手を優しく握った。ひんやりとした感触が熱っぽい身体に心地よく染み渡った。
そしてトリーナは、まるでお母さんが子供に子守唄を囁くように歌い始めた。気づけばわたしもそれに合わせて微かに歌っていた。
意識が揺らぐ。不思議と痛みが遠くなって、眠たくなっていく。
「―――おやすみなさい。きっとあの花吹雪を、また私に見せてね」
※
「えっ?」
目覚めた。
トリーナは忽然と消えていた。折れた杖の横に立てかけられた白杖と、頭の中にリフレインする子守唄のメロディーが、あの不思議な少女が夢じゃなかったことを伝えてくれた。
外からはからっとした朝日が差し込んで、小鳥の鳴き声が聞こえていた。
かすかに、ユリのそれを柔らかくしたような香りが鼻を掠める。
見れば、チェストには溶けきった蝋燭と、そばに萎びた白いユリが置かれていた。
「おう、目ェ覚めたかアヤノちゃん」
挨拶もなく入口からグラムさんが気安く声をかけてくる。この人はあまり男女を区別しないようでよく言えば平等、悪く言えばデリカシーがなかった。
ただ「良いですよ」って言えば嫌そうでもアヤノちゃんと呼んでくれるグラムさんはいい人だと思う。
「ちょうど今朝ローデイルから祈祷師が到着したから早速治療に移ろうと思うが、状態はどうだ?」
「あれ、今からですか?」
私は首を傾げた。トリーナはローデイルの祈祷師じゃなかった? それじゃあさっきのは一体……?
そしてふと、身体がずいぶん軽いのに気づく。
「えっウソ、治ってる」
袖を捲って左腕を見ると、わずかに線みたいな薄い傷跡を残すだけで肉がぴったりとくっつき膿もなく完全に傷が完治していた。気づけば痛みも全くない。
グラムさんに視線を送ると、お互いに驚いた顔をしていた。
「……オイオイ、これは一体どうしたことだ。実は祈祷も使えたなんて言わないでくれよ」
「いえ、習ったこともないです。ええとこれはその」
どういう方法かは知らないけれど、きっとトリーナが治してくれたんだろうという気がした。どうやって説明したものかと悩みながら残された萎びたユリと白杖に目線をやる。
「待て、そのスイレン……トリーナのスイレンか?」
いやこれは睡蓮じゃなくて百合だと思う。そんなわたしの脳内突っ込みをよそにグラムさんはチェストに置かれたユリを手に取ると、わずかに納得したように頷いて笑った。
「ハハッ、まさか吟遊詩人のホラ吹きが本当だったとは! お前さん、昨日トリーナに会ったのか?」
わたしに向き直って食い気味に聞くグラムさんに対して、わたしはただ頷くだけで答えた。
思い返すとずいぶん不思議な女の子だったけれど、割と有名人?
※
少し迷ったけれど、杖先に嵌まっていた輝石だけを取り外して杖は燃やすことにした。杖は一度折れてしまったら補修しても二度と元の性能を取り戻せないし、輝石さえ残っていればいずれ杖を新調するときに使えるかもしれないと思ったからだ。
坑道の入口の側にある焼き場で小さく燃える杖を見ていると、村で過ごした思い出がよみがえる。
ずっと星見見習いとして勉強と魔術の訓練に明け暮れていたけれど、そうやって何かに打ち込むのは第二の人生であっても楽しかった。
隣にいるグラムさんがぽつりと呟く。
「しかしトリーナに化かされるとはなあ」
「有名なんですか? トリーナって」
言ってから、右手に握った細身の白杖をちらりと見た。
石なのか木なのか、持っていてもよくわからない材質で出来ている白磁のように白い杖だった。昨日は気づかなかったけれど、尖端の輝石が塡まっている部分の周りはユリの花弁を模した繊細な意匠がある。
「ああ、アヤノちゃんは若いから知らないかも知れんがね。吟遊詩人が一席やりゃあまず出てくるくらいの歌だ。男にとっては恋人であり母、女にとっては姉であり、娘でもある。忽然と現れて忽然と消える、見る者によって姿を変える謎めいた古き聖女トリーナ、ってな。もう何百年前からいるらしいが、現れたらいつも白いスイレンを残していくんだと」
さらに聞くと、トリーナは気まぐれに気に入った人間に対して貴重なものをあげたりするらしい。その形は人によって違い、心の中で望むものを授けてくれるという。
「寵愛者に秘宝を授けるだなんて吟遊詩人が盛った話だと思ってたが、お前さんにとってはそれが杖ってことなんだろうよ」
特に頼んでないんだけどなあ。ただ代わりの杖がなかったのは確かだし、吟遊詩人の話の通りわたしの心を先回りして用意してくれたのかもしれない。
それによくわからない雰囲気の人だったけど、どう見ても悪い人ではないと思う。わたしの何を気に入ったのか知らないけど、傷を治して杖くれるって大盤振る舞いすぎる。
「さあトリーナのおかげで怪我も治ったところでしっかり働いて貰うぜ? まだ日は残ってるからな。その秘宝とやらの力を見せてくれよ。アヤノちゃん」
「そんな杖が変わっただけで超人になれたら何も苦労しないですって」
グラムさんはわたしの杖を見て茶化すように笑った。わたしはただ肩をすくめて答えた。
※
わたしの治療は空振りだったけれど、ボルスさんはグラムさんが呼んだ祈祷師にしっかり傷を治して貰ったらしい。祈祷師の人はトロルを治療するなんて初めてだったので、ビビり散らかしてしまい大変だったとグラムさんが愚痴を言っていた。
残りの労務はわたしとレナラ、ボルスさんの3人でひたすら鍛石を掘っては、夜になると星空を眺めながらお互いの知識や文化について語り合った。わたしがトリーナに会ったことや、トロルや巨人の使う《火の祈祷》についてボルスさんが話すと、レナラはそれを目を輝かせながら聞いていた。
そしてボルスさんもあの怪物の戦いを通してわたしたちの魔術に興味が湧いたらしく、調子に乗ったレナラが双眼鏡を片手に星空を指さしながらべらべらと星見についての講義を始めたりするのをわたしは半分寝落ちしながらも楽しく聞いていた。
レナラは基本的に自分の知らないモノやコトに出会ったら年相応の女の子みたいにはしゃぐし楽しそうに笑う。わたしはレナラのこういう、興味のあるものに対して一直線なところが好きだった。情熱のある人の隣にいるのは楽しいのだ。
「しかしアヤノもそうだったが、レナラ、お主もトロルを恐れないのだな」
「恐れる? そんなものは愚か者のすることよ。未知に対して恐れを抱くのは人間が最も恥ずべき傲慢さだわ。そんな愚か者たちが怖がってまごついている間に私は先に進んでいく。それこそが超天才としての私の運命だと確信しているわ。そして遙か先からそいつらを笑ってやるのよ。『まだそんな所にいるの?』ってね」
レナラはそう言うと星空の下で鮮烈に笑った。
わたしとボルスさんは顔を見合わせて頷いた。性格が悪すぎる。レナラはこういう女だということを既にボルスさんも理解していた。
「だが、お主のようなヒトは儂も嫌いではない。お主がどんな魔術師になるのか楽しみだな」
「魔術師じゃなくて星見だって教えたでしょう。講義はやり直しね」
ボルスさんは閉口した。ただでさえ小柄なレナラが、人間の何倍も大きなボルスさんをたじろがせているのは見ているだけで面白かった。
笑いをなんとか堪えると、レナラがにっこりと笑みを浮かべてこっちを見ていた。アッ、バレてた。
※
そして何ごともなく、労務の最終日が終わった。
ボルスさんはわたしたちより後に坑道へ来たらしく、まだ労務が残っていて一緒には行けない。
でも3人でまた会うことを約束した。ボルスさんとわたしたちの行き先は同じだったからだ。もともとボルスさんは山嶺出身で、里帰りするために帰る途中だったらしい。
坑道のローデイル側の出口まで見送ってくれたボルスさんとわたしたちは向かい合う。
「儂もここを出たらお主たちに追いつく。山嶺を登るにしろ、道案内が必要であろう。山の麓で落ち合おうぞ」
「助かります。ボルスさんもお気を付けて」
「気をつけるのはどちらかというとお主たちだと思うがな……年若いヒトの娘ふたりで山嶺に向かうとは、正直、無謀が極まり過ぎて儂も驚いたぞ」
「あら、私に助けられたあなたがそれを言う?」
バックパックを背負い旅の格好に戻ったレナラが挑戦的にボルスさんを見上げた。
「ちょっとレナラ。ボルスさんはわたしたちを心配してくれてるんだよ」
「ふうん」
レナラはそっぽを向いた。誰彼構わず挑発する癖が少しづつ直ってくれればいいんだけど。
「じゃあボルスさん、また!」
「応よ!」
そうしてわたしたちは手を振り合って別れる。目の前には街道がゆるやかな坂になって広がっている。緑色の草原に覆われたわたしたちの故郷、アルター高原。
「どうしよう? とりあえずお金はあるから、ローデイルに寄っていってもいいと思う。ボルスさんがわたしたちに追いつくまでたぶん時間もあるだろうし」
「ほとんどはあなたが稼いだものだしそれでいいわよ。私もローデイルの祈祷には興味あるしね」
「オッケー、じゃあそうしようか。ていうかボルスさんから《火の祈祷》の話を聞いたときも思ったけど……レナラ、祈祷も守備範囲内だったのね」
「守備範囲って何よ」
「んー、なんていうか、魔界語の表現?」
「またそれ? どんどん新しい言語表現を作らないでよ。アヤノあなた、いつもそんなこと考えてるの?」
じっとりとわたしを見るレナラの視線から目を逸らす。わたしは時々前世の癖でこのファンタジー世界にない言い方をしてしまうとことがある。エモいとか。
ちなみにしょぼいという表現はわたしからレナラに移った。何かをこき下ろす語彙はレナラの気質と合っている可能性が高い。
そして、当たり前のように祈祷に興味があるレナラにわたしはちょっと驚いていた。
村でもレアルカリアでもそうだったけれど、基本的に星見や魔術師は聖職者をよく思っていない。神の力という得体の知れない由来の奇跡を起こす者は気味が悪いとか、そういう話みたい。
わたしはもともと日本人なので神を拝むのに抵抗はないけれど、そうじゃないレナラが魔術と祈祷を平等に扱ってるのはとんでもなくレナラが柔軟な思考を持っていることを意味する。
その共通点が、わたしとレナラが一緒にいる理由のひとつかもしれなかった。
目を逸らしたまま渡された袋の中に入っている硬貨の山を眺めながら、ここを出る前にグラムさんから「またいつでも働きに来いよ」なんて言われたことを思い出した。
今回はボルスさんの協力もあって、かなりの額の硬貨を稼ぐことができた。これだけあればローデイルみたいな都会でもそれなりに長居できるはず。
あとレナラはあからさまに嫌そうな顔で二度と来ないわ、だなんて言ってたけど、レアルカリアに帰る時またこの坑道を通らなきゃいけないことに気づいてるのかしら。
「じゃあ行こっか! レナラ」
「無理やり話終わらせたわね」
あーあー聞こえない。行き先は都市国家ローデイル。山脈を挟んで狭間の地の北端にある、最も栄えている大都会だ。
《トリーナの杖》
聖女トリーナが寵愛者に授けた白杖
睡眠と幻惑の魔術を強化する
スイレンの花を模した彫刻が
輝石を食んでいる様は
どこか蛇のように、艶めかしくも恐ろしい
トリーナは、謎めいている
儚い少女であるといい、少年であるといい
忽然と現れ、忽然と消えていくという
《トリーナの子守歌》
聖女トリーナが寵愛者に授けたとされる魔術
杖をかざし歌い、声を聞いた者を沈静し眠りに誘う
古の狭間において
歌は心中を暴く原初の呪いであり
またはまつろわぬ者にとって救いであった
かわいい人よ、母の手を取ってお眠りなさい