URA職員である佐岳メイの下立ち上げられた『プロジェクトL'arc』に参加したマンハッタンカフェとそのトレーナー。ジュニア期から熱心にトレーニングを続け、日本国内で輝かしい成績を上げる。2度目の『L'arc代表交流戦』でも快勝し、ファンの期待を一身に背負っていざフランスへ。……しかし、時差の都合と緊張から落ち着けず、どうにも休まらない。そんな状態で、カフェの『お友だち』がある提案をするのだが──

※ノベルアッププラスにも投稿しております。

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本編

 ──ゴトゴトと座席が揺れる感覚で、私の意識は静かな暗闇から掬い上げられた。瞼を開き、横を見る。窓の外にはたくさんの航空機が連なり、空へ飛び立つ時をじっと待っていた。

 

「目が覚めたかい、カフェ」

 

 耳元で声がする。私は顔にかかる前髪を手で払いながら、ゆっくりと反対側を……トレーナーさんの方を見た。

 

「はい……よく寝られました」

「それは良かった。もう手は放しちゃっていいかな?」

「あ、いえ……まだ、このままで……」

 

 私の片手は、飛行機が得意ではないから、と言って繋いでもらってからずっとそのままだった。その優しい温もりを私の内側に留めておくように、少しだけ強く手を握った。

 

 ……これから、私たちの海外遠征が本格的に始まる。『プロジェクトL’arc』のメンバーとして、かの凱旋門賞へ挑むための取り組みの一環だった。

 

 思えばここまであっという間だった、と思う。『お友だち』の影を追って、トレーナーさんとの契約からずっと、濃密な日々を駆け抜けてきた。

 

 私の世界を否定せず、ただじっと寄り添ってくれる彼との日々はとても居心地が良くて、これがずっと続けばよいと思ってしまうこともあったけれど。

 

「……いよいよ、ですね」

「ああ。夢をつかむのももうすぐだ」

 

私の呟きに、トレーナーさんは迷いなく言ってのける。……ずっと穏やかな波の中に居続ける事なんてできない。あの子に追いつくためには、たとえ先の見えない暗黒の激流であろうと飛び込んでいかなくては。

 

「今からそんなに気を張ってると、体が保たないデスよ~?」

「……ええ、そうですね……少し息抜きを……」

 

 前の席に座るプロジェクトのチームメンバー、エルコンドルパサーさんにからかい交じりの声をかけられる。ここからが本番とはいえ、実際の凱旋門賞まではまだ3ヶ月あまり。その間ずっとこの調子では、きっと力を出し切れない。

 

 わかってはいるものの、中々整理がつかなかった。日本のウマ娘が焦がれ続けた憧れが、私たちの目標が、すぐそこにある。この緊張と興奮は、きっとただじっとしているだけでは落ち着きそうにない。

 

 それに、先ほどまで寝ていたというのもある。私にとって過ごしやすい時間帯になっていることも相まって、落ち着けなかった。

 

『──……──……』

「……え? そ、そんな……」

 

 不意に発されたお友だちの言葉。それはとても私に言えるようなものではなかった。思わず声が上ずってしまう。エルさんは一瞬不思議そうにこちらを見つめた後、「とにかく今は英気を養いましょー!」と荷物の整理を始めた。

 

 ……『トレーナーさん、今晩デートしませんか?』だなんて。絶対に、絶対に言えるわけない。あの子に抗議をしようと思ったけど、その前に『遊んでくる』と言ってどこかに行ってしまった。

 

「……大丈夫? 何か気になることでも?」

「あ、えっと……お友だちが『街を見て回りたい』と……」

 

 とっさにお友だちの言い分だと嘘をついてしまった。申し訳ないけど、いきなりあんなことを言ってきたあの子も悪いから、仕方ない。

 

 トレーナーさんはすぐに承諾してくれた。荷物を置いたらホテルのロビーで待ち合わせしようと決めて、私もほかのみんなに続いて荷物を纏め始める。

 

 前の席からマスク越しに冷やかしの視線を感じたけど、それは気にしないことにした。

 

     ☕

 

 手配されていたバスに揺られて十分余り、案内されたホテルはとても豪華な見た目だった。その規模はさることながら、荘厳な門や年季の入った外壁、手の込んだ装飾……それらがパリという街の歴史を背負って目の前に聳え立っていた。

 

 案内されるがままに部屋まで向かう。ホテルの内装も煌びやかで、いつだか夢で見た世界の事を思い出した。天井の高い通路に足音がコン、コン、と長く反響し続けて、まるで秘密の宝物庫にでも吸い込まれていくみたい。

 

 部屋の中は一転して大人びた余裕のある空気だった。廊下と室内の境界をドアで遮った瞬間、ほうと大きな息を吐いた。どうやら気づかないうちに気圧されていたらしい。

 

 ……急いで準備をしよう。横にしたトランクを開けて、持ってきた私服を見比べうんうんと頭をひねった。

 

     ☕

 

 支度にかなり時間を使ってしまって、トレーナーさんを待たせてしまっていると思ったけれど……ロビーにはまだその姿がなかった。柱に背を預けて待つも、そわそわしてしまって仕方がない。私はハンドバッグから鏡を取り出して、自分の格好を見直した。

 

 頭には金色のリボンを巻いた黒のキャプリーヌ。耳飾りはいつも通り。半袖のワンピースは白に近いベージュで、袖と裾には可愛らしいフリル。ハンドバッグは猫の足跡のワンポイントが入った薄いピンク色。

 

 遠征直前に、ユキノさんと二人でお店を巡って買ったものだ。彼女は「似合ってます」と太鼓判を押してくれたし、私もすごく気に入っている。でも、いざトレーナーさんにお披露目するとなるとすごく恥ずかしかった。

 

 気に入ってくれるだろうか、可愛いと言ってくれるだろうかという不安と、きっと肯定してくれるという自信がない交ぜになって、心臓がドクドクと早鐘を打つ。髪の毛の細かいハネが気になって、鏡から目が離せなかった。

 

「……カフェ?」

「ひゃっ!?」

 

 待ち人の声が耳を貫いて、びくりと尻尾が跳ねた。鏡を下げると、目の前にトレーナーさんが立って、私の目を見つめている。トレーナーさんは、シャツとジーンズにスニーカーと動きやすいラフな格好だった。

 

 私が掛かり気味みたいで少し気恥ずかしい……と思ったけれど、よくよく見ればトレーナーさんの頬が赤らんでいる。

 

「その、どうですか?」

「……その、すごく綺麗だと思うよ」

 

 ためらいがちに発せられた言葉は、満足に足るものだった。良かった、トレーナーさんは気に入ってくれたみたい。そこで安心しきってしまって、続く彼の告白は完全に不意打ちだった。

 

「実は、カフェと同じタイミングでロビーに来たんだけど……あまりに美しいものだから、見惚れちゃって、話しかけられなかったんだよね」

「────~~~~!?!?」

 

 急速に頬が熱を持ったのがわかる。待っていた時よりもずっと心臓がうるさい。まともにトレーナーさんの顔を見られなかった。

 

「なんだか天使みたいだなって」

「も、もう大丈夫です……!」

 

 中途半端に大きな声がでた。これ以上聞いていると、とても人には見せられない顔になってしまいそう。心地よい熱でトロトロに溶かされてしまう。

 

「時間もあまりありませんし、行きましょう……」

「えっちょっと、いきなり強く引っ張らないで……!」

 

 誤魔化すようにトレーナーさんの手を引いて、エントランスへ向かう。今はとにかく外に出て熱を冷ましたかった。

 

     ☕

 

「美味しいです、すごく……来てよかった」

「うん、これは良いね。気に入ったよ」

 

 向き合って席に座り、同じエスプレッソを飲む。豊かな香りも、コクのある味も、私の好みにぴったりだった。

 

 時刻は現地時間で4時半を回った頃。まだ日が傾き始める気配もなく、青い空に綿あめのような雲がフワフワと浮かんでいた。気温が高くなくて過ごしやすいものの、太陽の光は眩しかった。

 

 ホテルの近くにあったカフェで飲むエスプレッソは、そんな私の体に驚くほど心地よく染み渡った。一口飲むたびに私の心が潤ってゆく。思えば最後にコーヒーを飲んだのは日本の空港だった。

 

「ふう……ごちそうさまでした。カフェはまだ時間かかりそう?」

「いえ、あともう少しで……んく」

 

 残った一口をすっと飲みこむ。どうせなら、何か食べるものも頼んでゆっくり過ごせばよかった。メニュー表を視界の端に入れながら、今後のスケジュールを頭の中に広げた。

 

 代金はそれぞれで払った。最初はトレーナーさんが全部払うと言ってくれて、その気持ちも嬉しかったけれど。

 

「……やっぱり、美味しいコーヒーをいただいた対価は自分で……」

「ふふっ、えらいね」

「もう……そんな、子供をあやすみたいに……」

 

 代金にちょっと上乗せしたぶんをトレーに置き、トレーナーさんに続いて店を後にする。外に出る直前でサーバーさんと目が合った。挨拶は……。

 

『Au revoir. Merci.』

 

 これで合っている、はず。一拍置いて相手も同じように返してきて、少し安心した。

 

 カフェを後にしてからは、お店で買ったバゲットサンドを片手にセーヌ川のほとりを歩いていた。

 

 石畳を、ただゆっくりと。穏やかな水の流れに逆らうように。岸にはボートが繋がれて、それらを街路樹やお洒落な街並みが見守っている。

 まるでロマンス映画のヒロインのようだった。

 

「……手を繋ごうか」

 

 それを言ってきたのはトレーナーさんだった。差し伸べられた手のひらに、私の手を重ねる。彼の体温がじんわりと私の中に染み込んできた。

 ……だけど、それだけじゃ足りなくて。

 

「…………っ」

「え、ちょっ、カフェ!?」

「その……しばらく、このままで……」

 

 指を絡ませてぎゅっと握る。いわゆる、恋人繋ぎというもの。その状態で肩が触れ合うぐらいに身を寄せて、頭を彼の方に預けた。

 

 やってしまってから、ジワジワと恥ずかしさがこみ上げてくる。なんでこんな大胆なことをしてしまったんだろう。思考がぐちゃぐちゃになってうまくまとまらない。きっと鼓動の速さも伝わってしまっている。

 

 ──不意に、私の頭に手が触れた。反射でびくりと体が跳ねる。顔を上げると、トレーナーさんが開いたもう片方の手で私の頭を撫でていた。

 

「は、恥ずかしいです……」

「恋人繋ぎしてるし、今さらじゃない? ふふ、この帽子良いね。すごく似合ってる」

「ひ、人目もありますから……!」

 

 口ではそう言ったものの、尻尾は揺れてしまうし頬が緩みきっている。私の思いは全部筒抜けだ。途中から若干ヤケになって、もうこのままでいいやと散歩を続けた。

 

 途中でサンジェルマン島にある子供向けのレース教室を覗いたり、テイクアウトでコーヒーを買ったりしながら、エッフェル塔の方へ向かって川を上る。その間はあまり言葉を交わさなかったけれど、それでも十分すぎた。

 

 エッフェル塔は、パリの代名詞ということもあって観光客の姿が多かった。ワイワイと喧騒がそこかしこから聞こえてきて、さっきまでの静けさが嘘のよう。

 

 トレーナーさんと並んで、塔を背に写真を撮ろうということになった。観光客の人数もあって撮ってくれる人はすぐに見つかって、ポーズをとって『Say, cheese!』の掛け声。

 

 私はピースサイン、トレーナーさんはサムズアップ。控えめだけど、私たちらしいなと思った。

 

「さすがにそろそろ戻らないとかな」

 

 腕時計を確認したトレーナーさんが呟く。確認すれば、もう6時を回っていた。そろそろ夕食の時間で、ホテルにいないと心配されるかもしれない。

 

 戻りましょう、とトレーナーさんに言うと、最後に一か所寄りたいところがあると返された。

 

「では……そこで用事を済ませたら、タクシーを呼びましょうか」

「そうだね、歩いてると時間がない」

 

 少し早足でエッフェル塔の横を通り抜けた。橋を渡ってセーヌ川の対岸に行き、何度か曲がりながら賑わう街中を進む。そして、その先に目的地が……。

 

「…………あれは」

「うん、エトワール凱旋門だ。俺たちが挑むレースの名前の由来」

 

 放射状の道の中心に、堂々と聳える豪奢な門。日本が渇望するトロフィーがそこにあった。

 

「一度は見ておきたいと思ってね。トレーニングが始まれば時間も少ないだろうから、今のうちに」

「……美しい、ですね」

「…………ああ」

 

 トレーナーさんの返事には、単に『美しい』という意見への肯定以上の思いが詰まっていた。

 

「今から3か月後。そこが俺たちのひとまずの最終目標だ。きっと、一筋縄じゃ行かないだろうけど……君ならきっと、夢を掴んでくれる。俺はそう信じてるよ」

「……ありがとう、ございます」

 

 緻密な装飾の施された門を、じっと睨みつける。私は日本のみんなに思いを託されて、この地に立っている。凱旋門賞制覇という、ともすれば荒唐無稽と嗤われるような大きな夢。でもきっと、その夢が叶うのは近いと確信めいた思いが私の中にあった。

 

 それに、お友だちに追いつくにはここで折れてなどいられない。初秋の涼しさの中、カメラのフラッシュを一身に浴びる私の手の中にあの凱旋門が収まる姿を想像する。

 

「……──!」

 

 道が見えた、気がした。黄金で舗装されたあぜ道が暗闇を貫いて、はるか先にある光へグングン伸びていく。その上を、奇妙な動物が優雅に駆けて……。

 

『──オ……オ……ォ……』

 

 何かを叫んでいる。その意味はわからない。ドン、と背中を押される感覚があった。

 

「どうかしたか?」

「……いえ、何も。…………トレーナーさん」

「うん」

 

 一歩離れて、凱旋門へ背を向け真正面からトレーナーさんに向き合う。今ここで言うのは気が早いかもしれない。だけど、言わずにはいられなかった。

 

「勝ちます。凱旋門賞。私が……世界一に」

 

 トレーナーさんはしばらくポカンとしていた。往来で堂々と宣言したことが少し恥ずかしくなってきたところで、いきなりフッと噴き出して笑う。

 

「……な、なんで笑うんですか……! 私は大まじめに──」

「わかってる。わかってるよ。ただ、こんなにはっきり闘志をむき出しにするのが珍しくって」

「もう……」

「……いい目だ」

「えっ……」

「カフェの目、すごく力強いよ。それだけの心意気があれば、間違いなく今年の凱旋門賞は俺たちのものだ」

「そ、そこまで言わないでください……」

「いいや、何度でも言うよ。君の勝利は俺が保証するさ。何と言ったって、俺の愛バだ」

 

 トレーナーさんの目はどこまでも澄んでいて、未来を見通していると言われても信じてしまいそうだった。その瞳は鮮明に私の姿を映している。じっと、私のことだけを見てくれている。

 

 そんな彼が言うのだ。きっと、凱旋門賞を……!

 

「さて、見たいものも見られたし帰るとしようか」

「っ……そうですね」

 

 我に返り、タクシー乗り場を探す。『TAXIS』の看板はすぐに見つかった。トレーナーさんが運転手に行先を告げると、間もなくエンジンの駆動音と共に凱旋門が離れていった。

 

「そうだ、ひとつ言い忘れてた」

「……? なんでしょうか」

 

 トレーナーさんが、私の手を握る。

 

「さっきのカフェ、すごくカッコよかったよ」

 

 ボッ、と顔から火が出た気がした。


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