推しの子 Reboot~三原色の子達~ 作:フロストランタン
ドーム公演の前日、インターホンが鳴ってアイが玄関に向かった。インターホンを鳴らしたのは、今日来ると言っていた社長だと思うのが自然で、それ以外の来客なんて考えられないタイミング。
だがこの時、俺は妙な胸騒ぎがしていた。虫の知らせとでも言おうか、その直感的な何かに従い、玄関に向かって駆け出した。
まさかとは思ったが、悪い予想は的中してしまった。例のストーカーが、想定より1日早くやって来たのだ。
「ドーム公演おめでとう。子供達は元気?」
無防備にもドアを大きく開けてしまったアイとストーカーの間に、滑り込むようにして身体を入れる。白い花束に隠れたナイフが目の前で煌めいた。
「くぅっ!」
両手が焼けるような痛みが疾った。反射的に刃を素手で掴みにかかれば当然そうなる。アイの腹部を狙った一撃は、それでもアイの腹部を捉えていた。
「クソがっ!!」
アイを蹴飛ばすようにして距離を取らせる。俺が掴んだ分、少しでも浅く済んでいればいいが、それを確かめている余裕はない。目の前の男をどうにかしなければ。しかし子供と大人の体格差でマトモに挑んでも勝ち目などない。防犯グッズの準備もクソもないこの土壇場で、俺に出来るのはとにかく身体を張ることだけだった。
『千載一遇のチャンスだろ! お前は今まで何のために生きてきた!? 死んでも守りきれ!』
俺の中の雨宮五郎の思念が、痛みを忘れさせるくらいに俺を鼓舞し、勇気を滾らせてくれる。そうだ、ここでまた何も出来なかったら俺は……!
「邪魔…すんなっ!」
目の前の男は一瞬たじろいだが、直ぐにまたナイフを突き出してくる。今度はアイではなく、俺を目掛けて。
「ぐあぁっ! く、ぅぎぎぎ!」
ナイフは容易く子供の柔らかい肉を貫き、肩口から肺へ向けて深く刺さった。余りの激痛にたたらを踏むも、気絶しないように歯を食いしばってどうにか耐えた。
圧倒的不利かつ極限状態だというのに、不思議と思考は落ち着いていて、闘争心も充実している。
「俺が守るんだ……絶対に!」
「この、ガキが!」
男は逆上し、俺の腹に前蹴りを入れてきた。俺はドアの縁を掴んで踏ん張る。鳩尾にモロに入り、身体をくの字に曲げながらも、俺は男の脚にしがみついた。
「うおおおお!!」
「クソッ、鬱陶しい……!」
力ずくで振り捨てられ、俺は廊下に投げ出された。はずみで男の手から、ナイフが滑り落ちた。
「はぁ、はぁ、てこずらせやがって……うっ!?」
呼吸を乱しながら、再びアイに目を向けた男は動きを止める。
そこには男が落としたナイフを握ったアイが立っていた。
「帰って……!」
初めて見た。激情を露にしたアイを。険しく眉を吊り上げ、強い目で睨み付けている。俺は仰向けになったまま、かすみ始めた目で二人の姿を見ていた。
(行け、そのまま行ってくれ……!)
祈るようにそう願った。それしかできない。俺にはもう、身体を起こすような力も、腕を上げるだけの力も残ってはいない。アイも腹部からは少なくない血が流れている。前ほど深い傷ではないにしても、無理に動けば命に関わりかねなかった。
「く、クソォッ……!」
アイの気迫に気圧されたのか、男は一目散に走っていく。アイは腰が抜けたのか、ぺたんと膝を付く。何にせよ、危機は去った。出血の具合から考えると、アイは上手くいけば一命を取り止めるだろう。
(俺は……無理だろうな)
肩から差し込まれたナイフは、恐らく肺か心臓付近を通る血管に達している。大人ならまだ可能性はあるかも知れなかったが、子供の体力では救急車の到着を待たず、息絶えるだろう。出来ればこの先も、アイとずっと一緒に居たかったけど、それは叶わないみたいだ。それでも、悪くないと思える。さっきまで騒がしくしていた雨宮五郎の思念も、今では静まり返ったように沈黙している。これでようやく成仏できるってか。
「アクア……ッ」
アイが俺を呼ぶ声がする。もう視界がぼやけてよく見えない。耳も遠くなってきた。その声を子守唄にするように、俺の意識は遠のいていった。
そして、気が付いたら見慣れない天井。いや、ある意味見慣れてはいる。病室のベッドの上に俺は寝かされていた。
「お兄ちゃん……? お兄ちゃん、分かる? 私だよ」
「…ル、ビー?」
なんの奇跡か、どうやら俺は助かったらしい。身体がだるくて声を出すのも億劫に感じるが、文句を言う気にはならない。むしろあの怪我でよくもまぁ生きていられたもんだと思う。きっと何日も意識が戻らなかったんだろうな。ルビーがポロポロと涙を溢しながら手を握ってきた。
「アイは?」
俺が一番の関心事を尋ねた。俺が無事だったくらいだ、アイもきっと大丈夫。何となくそんな予感はしている。
「う、うん。大丈夫だよ、命に別状はないって」
「そっか……良かった」
「うん、うん……」
俺はやりきったんだ。普段より重さを感じる身体に、達成感と満足感が染み渡るのを感じながら、グスグスと泣き出すルビーの手を握り返してやる。
「……ママにも伝えて来なきゃね。待ってて」
涙を袖で拭い、嬉しそうにルビーが駈けていく。
「ここ病院だぞ……」
病院を走るやつがあるか。でも嬉しそうなルビーの姿を見たら、そんな事はどうでもよく思える。少しして、病室のドアが開いた。そこには病室着を着たアイの姿があった。
「アクア……! よかったぁ、アクアが……アクアが生きてる……っ」
「……アイ?」
感極まったのか、俺を見てアイは泣き出した。ゆっくりと傍に歩み寄って来て、俺の頬に手を触れる。
「あぁ、ごめんね。私がしっかりしてれば……」
ちょっと意外というか、普段からは想像できないようなアイの涙。でもそんなところも嫌じゃない。というか、よっぽど心配かけていたんだな。
「いや、いいんだ……。アイを守れたし、こうして俺も生きてるし」
「うん……本当に良かった……」
見つめ合う俺とアイ。最悪の修羅場をどうにか潜り抜け、またアイと一緒に幸せな生活を続けられる。それだけで、今は充分だ。
「そういえば、あれからどれくらい経ったの?」
日付が分からない。あれだけの怪我だったんだから、数日か、あるいは数週間とか意識が戻ってなかったかも知れない。今すぐ調べることでもないと思うが、事件のその後の顛末は気になるところだ。犯人の大学生は、やはりあのあと自殺したんだろうか? そんなことを思い浮かべていると、ルビーから返ってきたのは予想外の返答だった。
「うーん、ちょうど丸2日くらいかな」
「…………ぇっ?」
ルビーの言葉に、俺は目が点になった。
「い、いくらなんでもそんな……」
あり得ないだろう。あれだけの怪我だぞ? 元医師の見地からしても、そんな短期間で目覚めるはずはない。少なくとも数日は集中治療室に入って、それから一般に移って、という流れのはずだ。怪我も心なしか思っていたより痛くない。むしろかなり治っているような気さえする。
「病院についてからはまだ2日経ってないくらいだよ」
「……マジ?」
「マジみたい。私も一時間くらい前に目が覚めたばかりだし」
(医師としての勘が鈍ったか。自分の怪我の具合は把握してたつもりだったが、実際よりかなりダメージを重く見積もっていたらしい)
それならそれで別に困ることはないんだが、何とも言えない引っ掛かりがあるのは確かだ。しかし今考えても答えは出ないだろう。それ以上考えるのはやめて、怪我を治すことに専念したほうが賢明だ。
「そういえば……」
姿を見掛けないもう一人の妹はどうしているか、ふと気になった。今は疲れて寝ているんだろうか。あの子は身体が少し小さくて────
(ん……?
「どうしたの、お兄ちゃん? 何か言いかけてたみたいけど」
「ああいや、なんでもない……」
「ふうん?変なの」
きっと怪我のショックで記憶が少し混濁してしまっているんだろう。そう思った俺は、それ以上深く考えるのを止めた。
いよいよ話がホラー染みてきました。