推しの子 Reboot~三原色の子達~ 作:フロストランタン
俺の名前は鳴嶋メルト。この春からは高校に上がる。
中学に上がってすぐ、俺は3年の先輩に童貞を奪われた。その先輩は童貞にしか興味がないらしく、それ以来関わることはなかったが、その時「俺ってモテるんだな」と自覚した。これまで何かに熱くなったり、夢中になったことなんてなかった。それなりの努力をすれば、大抵のことはうまくやれたし、必死に努力するのは、なんとなくカッコ悪いとさえ思っていた。
学校ではテキトーに面白そうなヤツ弄ってれば楽しく過ごせたし、モデルを始めたのだってスカウトで、コンビニとかで働くより楽そうだという軽い気持ちだった。
人生イージーモード。そんな風にどこかで思っていた。芝居なんて初めてだけど、まぁいつも通りテキトーに頑張っておけばそこそこうまくいくだろう。
初顔合わせの挨拶を済ませ、そのまま鏑木Pを中心とした打ち合わせが始まる。その中で、当初の予定にはなかった演技指導を受けさせられるという話があった。それを聞いたとき、俺は正直メンドクサイという気持ちの方が先立っていた。稽古なんかかしなくたって大丈夫、という根拠のない自信があったからだ。
俺以外のメンツも声にはしないが、どことなく不満気に見えた。俺も周囲もイマイチ気分がノらない状態のまま、指南役として紹介された男が立ち上がる。すると何故かマネージャーが驚いたような顔をした。
「演技指南役の星野アクアです。よろしく」
黒いスラックスに白のジャケット姿の若い男が挨拶する。落ち着きがあって大人びてはいるが、顔立ちからすると歳は俺とタメくらいか? それより、コイツの顔はどこかで見覚えがある気がする。ファッション誌だったか? 俺もモデルはそれなりに経験があるから、そっちの方面には少しは詳しくなっていた。このアクアってやつ、顔は相当良いけど本業は役者ってことなのか?
「じゃ、ここからはアクア君に任せて僕はお先に失礼するよ。後は若い皆で頑張って」
鏑木Pはそう言い残してあっさり居なくなってしまった。監督達も居なくなり、この場に残されたのは出演者と指南役という、年齢的に若いメンツだけだ。
「えっと、アクア……君? 今日は元々顔合わせだけの予定だったから、準備とかしてきてない人もいると思うし、稽古とかは……」
主演の女の子が遠慮がちに切り出す。なんか二人の雰囲気は見知った仲のようにも見えるけど、彼女も芸歴が長いらしいし、アクアも同じ役者なら二人が知り合いだとしても別におかしくはないか。
「そこは心配ない。今日は座学だからな」
「…へ?」
ニヤリと笑うアクアの言葉を聞いて、ポカンと口を開ける主演女優。一応俺の1コ上らしいけど、あどけない顔立ちがますます幼く見えて、一瞬年下かと思ってしまった。しかし、まさか芝居の仕事場で座学なんかやらされるとは思わなかった。正直、もう帰りてぇ。
「まずは全員で現状の認識を擦り合わせる必要があると思ってな。じゃあ資料を配るぞ」
人数分配られた資料をパラパラと捲り、さらっと全体に目を通す。いくつものデータが丁寧に纏められていて、表やらグラフが多く使われていて見やすい。
「まず出演者の皆に知って貰いたいのは、これが少女漫画原作の実写ドラマ化作品だということだ。こう聞くと、原作の有り無しで何か違うのか、と疑問に思うやつも居るんじゃないか?」
確かに。漫画のドラマ化って聞いてはいたけど、その意味を深く考えたことはなかった。いつだって俺はテキトーだった。何も考えず、現場でスタッフいう通りにしてればそれでやってこれてたから。
「有馬は『原作レイプ』という言葉を聞いたことはあるか?」
「もちろん。狙ってなのか諸事情でそうなってしまったかはさておき……無茶な改変をしたりして、原作の魅力とか世界観をぶち壊しちゃうっていうアレよね」
「そう。これが分かりやすい原作有り無しの違いだな。オリジナルの脚本なら、単純に面白いかどうかを評価されるだけだが、漫画や小説のような元となる原作がある場合、そのファンは必ず一定数いて、否応なく原作と比較され、場合によっては原作を汚した戦犯扱いされる事もある」
「何だよそれ? だったら原作なんて元にしないほうが良くね?」
俺は思わず不満を口にした。誰だってそうだろう。どうせやるなら批判の的になんてされたくなんかない。他の面子も頷いている。
「それだけならな。原作を扱う上で、比較され批評されるのは最早避けられない宿命といっていい。ただ、メリットも勿論ある。それは話題性だ。はっきり言ってこの面子は世間では殆んど認知もされてない、言うなれば無名のタレントだ。鳴嶋メルト」
「オ、オレ?」
油断していたところにいきなり名前を呼ばれて驚いた俺は、返事した声が変に上擦ってしまった。まるで授業中にボーッとしてる時に教師に当てられた時のような、妙な恥ずかしさが沸き上がってきた。
「お前ならどうだ? 名前を見ても顔と名前が一致しない、そんな誰が出てるかもよくわからんネットドラマ、見る気起きるか?」
「う……あー、いや起きねーな……」
「だろ? 今回の俺達はまさにそれだ。だが見て貰えなきゃ当然困る。これはビジネスだからな、努力賞なんてものは存在しない。視聴率が取れなきゃ話にもならない。通常なら人気俳優や女優が出ることで一定の集客力を担保するもんだが、有馬かなの名前は世間にそこそこ浸透してるとは言え、それはあくまでも子役時代の話。最近はテレビで見かけなくなったし、集客力としては十分とは言えない」
コイツ、結構言いづらいこともズバッと言ってくれるな。変に誤魔化さなくて分かりやすいのはいいんだけど。
「そこで原作の話に戻ってくるんだが、さっきも言ったように原作にはファンが付いてる。要は役者の人気だけじゃなく、原作の人気で客の興味を引いて視聴率に繋げようというわけだ。ここまでで質問は?」
「ここまでの説明で原作のメリットと厄介さは大体理解できた。けど……」
「ん?」
一人の声にアクアが怪訝な顔になる。
「主演女優がさっきから死にそうな顔してるんだが……」
「うん……子役時代からすれば仕事が減ったのは事実。事実だけどね……」
アクアの忖度無しの辛口な言葉は、有馬にボディーブローのようなダメージを与えていた。
「俺は有馬を買い被りも見くびりもしてないつもりだ。人気は今のところパッとしないが、実力は不知火フリルにだって比肩しうると思ってる」
「そ、そう…? 不知火フリルねぇ、ふふん♪ まぁ? あの子に芝居で負けたとは思ったことないけどね?」
お、急に元気になったな。分かりやすく自己肯定感がグンと上がって、調子に乗ってるのが目に見えて伝わってくる。っつーか、アクアは女子の扱いに馴れてるって感じだな。真面目な顔して実は結構な誑しなのか?
「それで、気になる原作の力がどんだけのもんかって話だが……はっきり言ってとんでもないド名作だ」
「えっ? 確かに名作なのは認めるけど、そんなにだっけ?」
主演の有馬かなが驚いた反応を見せる。俺や他の面子は、まるでピンと来ていない。そこでアクアは資料を掲げて見せた。
「いいか。少女漫画はこれまでに2万3千以上の作品が世に出てる。コミックスが10万部発行されればヒット作と言われる世界だ。その中で『今日あま』は発行部数1000万部を越えるメガヒット作品だ。セリフ、コマ割り、間の取り方、小さな所作に至るまで全部に意味がある。エンタメのなんたるかを学ぶにはこれ以上の教科書もないだろう。その上ストーリーもかなり良い。ただ正直なところ、これから顔と名前を覚えてもらおうっていう若手や新人ばかりが出る作品としちゃ、厚待遇が過ぎるくらいだ」
アクアの解説に熱が込もる。ちょっと気圧されそうなくらいだ。一千万ってのがどれだけ凄いのかはわかんねーけど、結構凄い原作らしいってことは分かった。
「まだピンと来て無さそうだな。なら、学生にとって身近な順位や偏差値に置き換えた方が分かりやすいか? 『今日あま』の発行部数は、作品数2万3千を越える全少女漫画の中で40位以内に入ってる。これは頂点に限りなく近い、上澄みの0.17%だ。偏差値に換算すると……80越えってトコだな」
「はっ、はちっ!?」
「メチャクチャじゃねーか……!」
「そう、偏差値80なんてほんの一握りの天才だけが叩き出せる数字だ。原作は紛れもなく一流だってことが実感できたか? 俺達はそんな原作にあやかろうとしてるんだ。要はめちゃくちゃ豪華な下駄を履かせて貰ってるんだよ。だが1話で下手くそな演技見せようものならどうなる? その時点で期待外れの烙印を押され、その後は見向きもされない……なんて可能性も大いにある」
アクアの言葉に、誰もが息を飲んだ。原作が人気だということは、期待も大きいだろう。裏を返せばドラマの出来が悪かったら痛烈なバッシングを受け兼ねないって事だ。俺達みたいな演技初心者には荷が重すぎやしないか? そんな事を、今更になってようやく思い始めた。
「全員、今置かれてる状況は認識できたか? 注目を浴びるチャンスでもあるが、ヘタ打てば晒し上げられるリスクもある。だけど……どうせやるならこのチャンスはモノにしたいだろ?」
アクアは強気な言葉で、不敵な笑みを浮かべて皆に問いかけた。プレッシャーなんてまるで感じていないのか、いやむしろ、それを楽しんでさえいるようだ。
「当然! あんた達も売れる気あるなら、この程度のプレッシャーで足踏みなんかしてちゃダメよ? この業界、地道にコツコツ積み上げるだけじゃ売れやしない。こんなチャンス、そうそう目の前に転がってなんか来ない!」
さっきまで一緒になって驚いてた有馬かなが熱弁を振るう。この千載一遇のチャンスを逃す手はないと。ヤッベェ。テキトーに流そうと思ってたタリィ仕事のはずが、蓋を開けてみたらとんでもねぇ大舞台だった。だけどこれは燃える展開だな。プレッシャーももちろんあるけど、同時に心のどこかでワクワクしてる自分が居た。
「ちなみに来週から始まる撮影の初日は、原作者の吉祥寺先生が見学に来るそうだ。原作の漫画はそれまでドラマ化部分だけでも読んどけよ? 『原作全く知りません』とか、原作者相手に失礼過ぎるからな。まぁ、結局読み始めたら読みきるまで止まれなさそうだけど」
アクアが言うと、何故か妙に説得力がある気がした。早速買って帰るか。けどそんなに面白いのか?
(少女漫画って読んだことねーんだけどな……)
「最後に有馬の演技を見せてもらうか。皆もどれだけのモンか知っておきたいだろ? 天才子役として一世を風靡した女優の実力ってやつを」
(月9女優と比べられても自信ありげだったからな。お手並み拝見ってやつだ)
この時のオレはまだそんな事を考えられるくらいに余裕があった。
「お前の未来は真っ暗闇だ!」
「それでも……光は、あるから……!」
主演の有馬かなとアクア、そしてストーカー役のもう一人で、最終話のワンシーンを再現して見せて貰った。撮影のスケジュールでは最終盤になるこのシーンは、原作屈指の名シーンらしい。
カメラが回ってるわけでも、照明や小道具の演出があるでもない。そんな雰囲気もくそもない室内で繰り広げられたその光景に俺は、いや俺達は、完全に釘付けにされていた。
まるで物語の中に自分が入り込んだかのような臨場感。ストーカーとアクアのやり取りも、登場人物がそのまま出てきたかのような緊迫した空気で、演技なんかじゃなく、現実に起きている出来事だと錯覚しそうになった。それほどのリアル感があった。そして何より────
(これが……有馬かな!)
もちろん俺のやる役も、ストーカー役も凄かった。まさに鬼気迫るとはこの事だ思う程に。そんな二人には悪いけど、それでも最後は有馬かなが全てを持っていった。持っていかれた。
(なんだよこれ……! こんなの……こんなのっ……)
胸を締め付ける鼓動。感動と興奮と、甘酸っぱいときめきが、俺の全身を巡っていた。有馬かなが見せた涙と輝かんばかりの笑顔は、家に帰ってからも、しばらくの間俺の目蓋に焼き付いて離れなかった。
撮影開始前からアクアが参画したことで、メルトや周囲にも変化が起きました。
『今日あま』の発行部数がどれくらいなのかは原作で明示されていませんでしたが、発行部数1000万部と仮定しました。