「あれ……えっと……」
手に持ったスマホを眺めた後、周囲を見渡す。しかし、目印になりそうな物もなく、再びスマホの画面に視線を落とした。
(下宿先、この辺りのはずなんだけど……うーん?)
数日前にお母さんに買ってもらったスマホだが、イマイチ使い方がわからない。どうして、特に画面を触っていないのにグルグルと回転するのだろうか。
『……それは君がその場で回転しているからだ』
「え? あ!」
スマホに映る地図を解読するのに夢中になっていたせいで心の声が漏れてしまったのだろう。聞き慣れた声が脳裏に響き、自分がクルクル回っていることに気付いた。確か、スマホにはジャイロ機能というのがあってスマホの角度を変えると画面も一緒に動く、みたいなことを教えてくれたような気がする。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」
「ッ!?」
その時、背後から声をかけられ、思わずビクッと肩を震わせてしまう。振り返ると優しそうな中年の警察官さんが微笑みながら私のことを見ていた。
「もしかして迷子かな? この辺りは袋小路が多いもんなぁ」
「ぁ、え」
「随分、大荷物だけど上京してきたとか? 学生さん?」
「あ、あの……その、私……」
「行先はどこなの? あ、もしかして――」
私が何か言おうとする度、警察官さんは言葉をどんどん口から零していく。どうしよう、どの質問から答えたらいいのだろう。いや、まずは挨拶からだろうか。東京の人に失礼のないようにしなければならない。
「――――」
「……あれ?」
そこまで考えた私の頭はオーバーヒートを起こしてその場で硬直してしまう。警察官さんが首を傾げて顔の前で手を振るが、それにすら反応できない。その姿はまさに――かかし。
『……はぁ』
そんな私を見て呆れたような声が頭の中で響いた。
「うぅ……ドキドキしたぁ」
何とか警察官さんに道を聞いて私は再び下宿先を目指す。その道すがら未だに鳴りやまない鼓動を抑えようと胸に手を当てながらボソッと呟いた。
私の生まれは俗にいう田舎。人よりも周辺に住んでいる動物の方が多く、人もおじいちゃんやおばあちゃんがほとんどで同年代の子はいなかった。
そして、昔から口下手で人と話すのが大の苦手だった私――
しかし、その努力はさほど実らず、むしろ、動物に好かれる体質のおかげで皆からかかしとして重宝されるようになってしまった。畑を荒らす動物をただ立っているだけで引き寄せてしまう私はさぞ便利だっただろう。そのお礼にたくさん野菜を貰ったのでもはや働いていたといっても過言ではない。
(ううん、いつまでもこんな調子がダメだよね。せっかく、憧れの高校に入れたんだし……)
なにより、私には
グッと気合いを入れるために右手を握りしめた時、下宿先と思われる建物が見えた。見えた、のだが、私
「これが、下宿先?」
思わず、声に漏れてしまった疑問。念のために住所が書かれている紙とスマホの画面を見比べて間違いないことを確認する。うん、合っている。合っているのだが、ちょっと入るのを躊躇してしまう外観だ。
「えっと……」
とりあえず、様子を見ようと失礼だと思いながらも窓から中を覗く。そこにはロングヘア―の綺麗な店員さんが真剣な表情で本を読んでいた。
そして、次の瞬間、おもむろに本のページを千切って小さな口に運んでしまう。
(……食事中?)
東京の人は小腹が空いたら本を食べるのだろうか。そう思ってしまうぐらい自然に本を食べていた。
『そんなわけないだろう。あの子が特殊なだけだ』
『で、でも! 私の知らない都会のルールが!』
『落ち着け。ほら、こっちに来たぞ』
『え?』
「当店になにかご用ですか?」
彼の声に顔を上げるとガチャリと音を立てて古本屋に繋がる扉が開き、店員さんが問いかけてくる。
会話に夢中になるあまり、窓の外から店内を覗く私に彼女が気づいたことに気付かなかった。落ち着け、動物や彼相手に練習した日々を思い出そう。
「え、ええと、その……下宿先って、紹介され、たんです……けど……」
そう思っていたのだが、私の口から出たのはか細い情けない声だった。正直、本を食べる子とはあまり関わりたくない。そんな消極的な気持ちのせいで上手く言葉が出せなかった。多分、そうじゃなくても上手く話せなかったと思うが。
「あ、ひな子ちゃんですよね? 大家さんから話は聞いてます!」
どうやら、私の情けない声を彼女は聞き取ってくれたようでパッと笑顔を浮かべ、私の手を掴んだ。突然の接触にまた悲鳴を上げそうになってしまう。
「二階がアパートになってて私もこちらに住んでるんです! よろしくお願いしますね!」
「え? え? え!?」
ぐいぐいと引っ張られ、店内へと導かれてしまう。
【古本屋ひととせ】はいたって普通の古本屋だった。パッと見ただけでも古びた書物が本棚に収まっている。
「私、くいなって言います。今、大家さんを呼んできますね」
「は、はい……」
キョロキョロと店内を観察していると店員さん――くいなちゃんはさっさと二階に上がってしまう。ポツンと店内に残された私はホッと安堵のため息を吐く。
『この調子では先が思いやられるな』
『だ、だって、いきなり名前を呼ばれて手を掴まれたんだよ!? 本を食べた子に!』
『……確かに、普通ではないのは認めるが』
頭に響いた言葉に思わず涙目になって反論する。口下手な私ではなくてもこの状況に戸惑ってしまうのは仕方ないと思った。だって、本を食べたんだよ? ほら、そこの小さなテーブルの上に少し食いちぎられたボロボロの本が置いてある。
「ごめんなさい、大家さん、出かけてるみたいで」
「ッ!?」
食べかけの本を手に持って冷や汗を流していると本を食べた張本人が一階に降りてきてしまう。まだ心の準備ができておらず、くいなちゃんからサッと目を逸らしてしまった。
「……なんで目を逸らすんですか?」
「だ、だって……本を食べる人、初めて見たので」
「あ、見られてたんですか……」
私の言葉と手に持つ食べかけの本を見て状況を把握したのだろう。くいなちゃんは恥ずかしそうに頬に手を当て、もじもじし始める。さすがに本を食べることを知られたのは恥ずかしかったのだろうか。
「あれは、その! 私、読書が好きで、本が友達というか……食べちゃいたいくらい可愛くて」
「友達、食べないでよ……」
「本、食べないですか?」
「私も読書好きだし、良い本読むと感動するけど……食べないねぇ」
本は読むための物であり、決して食べる物ではない。もし、自分の本を目の前で食べられたらその作家さんは怒りそうである。
「それなら大丈夫です! 古典が好きなので作家、全員死んでます!」
「そういう問題なの!?」
いつの間にか心の声が口から漏れていたのか、くいなちゃんは胸を張ってそう言い切ってしまった。しかし、その次の瞬間にはシュンと肩を落としてしまう。
「作家じゃなくて大家さんには怒られますが……」
『……可愛いのに残念な子だなぁ』
『君には言われたくないと思うが』
『もー、少し黙ってて!』
必死に顔に出さないように心の中で叫ぶと彼は肩を竦めながら口を閉ざした。いや、実際に見えたわけではないが、絶対にそんな仕草をしているに決まっている。
「どうしました?」
「う、ううん! 何でもない!」
「そうですか? では、部屋を案内しますね。ついてきてください」
少し不思議そうにしていたくいなちゃんだったが、気にするほどでもないと判断したのか、すぐに階段を上り始める。怪しまれずに済んで胸をなでおろしつつ、彼女の後を追った。
「確か二階がアパートなんだよね?」
「多角経営ってヤツです。古本屋のほかにも喫茶店も併設してますよ」
「へぇ、田舎のボーリング場みたいだねぇ」
あそこはボーリング場なのにカラオケやゲームセンターなど、色々な施設が併設されている。しかし、くいなちゃんには伝わらなかったようで首を傾げていた。もしかして、都会のボーリング場はボーリングしかできない?
「ここの部屋を使ってください」
二階はアパートになっているというのは本当のようで部屋がいくつも並んでいる。それを見ていると先を歩いていたくいなちゃんがとある部屋の前で立ち止まり、扉を開けた。私もそれに続いて部屋に入る。
(わぁ、キレイ。しかも、意外と広いかも)
これなら
誰にも見つからない場所を探さないとなぁ、と思っているとすでに部屋に誰かいることに気付く。
「あら?」
「……へ?」
そこにはメイド服を着てベッドメイキングをしている、可愛らしい小学生の女の子がいた。