中央怪異対策機関   作:ざつざっつ

11 / 12
10話目完成しました。

見てくださってる方達、ありがとうございます。今はスパナチュ見てるお陰でモチベあるので割と早いペースで執筆出来てると思います。

10話目よろしくお願いします。


FILE No.10「憑依体質」

 

 

その日は雨が降っていた。

 

屋根を叩く細かな雨粒の音が絶え間なく重なり合い、遠くを走る車の音さえ霞ませていた。

 

中央怪異対策機関のその一室。

 

窓の外では細い雨が夜の街を濡らし続けていた。

濡れたアスファルトの匂いが微かに漂い、ガラスを伝う雨筋が街灯の光を滲ませる。

人気の少なくなった建物の中では、雨粒が窓を叩く小さな音さえ妙に大きく耳に残った。

 

木庵の部屋は、相変わらずタバコの煙が漂っていた。

 

冷えた空気の中に煙の匂いが重く沈み、壁や天井にまで染み込んでいる。

 

机の上には報告書に灰皿。空になった缶コーヒー。それとまだ封を開けていないタバコの箱がカートンで積んである。

 

木庵は椅子に沈むように座り、赤い部屋――怨染棟の報告書へ目を落としていた。

 

文章は淡々としている。

 

怪異祓い完了。異界消滅確認。民間被害なし。担当祓い屋、負傷なし。

 

そこには、あの古びたアパートの湿った臭いも、怜が震える手で拳銃を握っていた事も書かれていない。

 

報告書とはそういうものだ。起きた事を残す。それだけでいい。

 

木庵は灰皿に吸い殻を押し込んだ。そして新しいタバコを咥え、火を点け煙を吸い込み吐き出す。紫煙がゆっくり部屋に広がる。

その時、扉が開いた。

 

入ってきたのは由香だった。

 

紫と白のツートンカラーの髪は少し濡れていて、肩に掛けたジャケットにも雨粒が残っている。手にはコンビニ袋。中身は紙パックのジュースと菓子パン2つにホットスナックだった。

 

「ノックしろ」

 

木庵は顔を上げずに言った。

 

由香は悪びれもせず、机の上へ袋をドサッと置く。

 

「毎回言うよね、それ」

「毎回しねぇからだ」

「細かい男はモテないってよ木庵」

「大きなお世話だ」

 

由香は勝手にソファへ腰を下ろし、濡れたジャケットを横へ投げるように置いた。

タバコを取り出す。ライターの火が付き、紫煙を燻らせる。

しばらく、二人とも喋らなかった。

 

タバコの煙に木庵の報告書をめくられる小さな音と、由香が袋を漁り菓子パンの包みを剥がす音だけが響く。

 

その沈黙の中で、木庵が口を開いた。

 

「篠山はどうだった」

 

由香は煙を吐いた。すぐには答えない。

赤い部屋の事を思い出しているようだった。

 

暗いアパート。開け放たれた扉。赤黒い染み。それから、怜が使い魔を撃ち抜いた瞬間。

 

由香は少しだけ目を細める。

 

「アンタの言う通り、やっぱ身体能力が上がってた」

 

木庵の視線が報告書から外れた。

 

「どの程度だ」

「使い魔相手なら、もう私の援護なしでも動けるくらい」

 

その言い方は軽かったが、声には僅かに硬さがあった。

 

「最初は駄目だったんだよ。管理人室で使い魔が落ちてきた時はあの子、完全に固まってた。普通に怖がってたし、反応も遅かった」

 

由香はタバコを灰皿へ押し付ける。

 

「でも慣れたのか途中から変わった。攻撃を避けて、距離を取って、撃った。様子を見てたとはいえ、私が撃つより先にね」

 

木庵は黙ったまま煙を吸い込む。火の先が赤く灯る。

由香は続けた。

 

「本人はたぶん自覚してない。身体だけ先に動いて、頭が後から追い付いてる感じ」

「とは言え、まだそのレベルか」

 

木庵は低く呟いた。由香が眉を上げる。

 

「予想はしてたんだっけ?」

「あぁ」

 

短い返答をして、木庵は報告書を閉じた。

 

「地縛荒神の時、篠山の身体は一度完全に使われてる。あの甲冑野郎にな」

 

その時、由香は現場にいなかった。

だが話は聞いている。

 

怜の中にいる怪異。黒い霧を纏う甲冑姿。地縛荒神を圧倒し、木庵と宗近に敵意を向けた存在。

 

あれだけの怪異が、人間の肉体を使った。

何も残らない方が不自然だった。

 

「……そりゃそうか」

 

由香がぽつりと言った。木庵はダルそうに煙を吐く。

 

「怖がってる内はまだマシだ」

「どういう意味?」

「篠山自身が怖がってるってことは、まだ自分の身体は自分のモンだと思ってる」

「…」

 

由香は黙った。

木庵はスマホを手に取り、由香がその行動を見る。

 

「誰に掛けるの?」

「環だ」

 

その名前を聞いた瞬間、由香の顔が少し嫌そうに歪んだ。

 

「うわ、環さんか」

「なんだ」

「あの人、怖いんだって」

「お前が言うな」

 

発信の後、数回のコール音。3度目で通話が繋がった。

 

『なんだ木庵』

 

低い女の声。

 

背後から金属音が聞こえる。訓練場か、整備室か。

どちらにせよ、環がいつも通りタバコを咥えながら何かをしている姿が、容易に想像出来た。

 

「お前の弟子を借りたい」

 

電話の向こうが、少しだけ静かになる。

 

『洸太か』

「あぁ」

 

猿渡 洸太。中央所属の中級祓い屋で環の弟子だ。

由香がソファで小さく反応する。

 

「洸太?」

『由香もいるのか』

 

環の声が電話越しに飛んでくる。それを聞いた由香はタバコを咥えたまま木庵のスマホをスピーカーにした。

 

「お前勝手に…」

「いますよ。お久しぶりです、環さん」

『相変わらず木庵の部屋を溜まり場にしているのか』

「違いますって。今日はちゃんと仕事の報告です」

『まぁなんでもいいけどさ』

 

由香は少しだけ口を尖らせたが、反論はしなかった。

環の声色が、すぐに仕事のものへ戻る。

 

『理由は?』

 

木庵は窓の外を眺める。雨脚は強くなっていた。

 

「篠山だ」

 

それだけで、環は察した。電話の向こうでライターの音が鳴る。

環がタバコへ火を点けたのだろう。

 

『反応でもあったか』

「まぁな」

『予想通りだな』

「俺もそう思う」

 

環はしばらく黙った。電話越しに、煙を吐く音だけが聞こえる。

 

『洸太と篠山は違う』

「分かってる」

『洸太は自分から怪異を降ろしている。篠山は、中にいるものを抑えてる』

「それでも共通する部分はあるだろ」

 

木庵の声は低かった。

 

「身体を明け渡す感覚に、自分じゃないモンに引っ張られる感覚」

 

環はまた黙った。由香も口を挟まない。

木庵の部屋に、雨音だけが残る。

 

やがて環が口を開く。

 

『試す価値はあるな』

「あぁ」

『ただ、洸太は荒いぞ』

「お前譲りだろ」

『うるせぇ。75%を超えた辺りから狒々王に性格を引っ張られて、100%まで行くと、こちらの言葉を聞いているかも怪しい』

 

由香が苦い顔をする。

 

「まだそんな感じなんですかアイツ」

『以前よりはマシだ』

「全然安心できない言い方なんですけど」

『いずれ制御させる』

 

環は淡々と返す。

 

『仮に暴走しても私が叩き潰す』

 

その一言には、一切冗談の色がなかった。

 

洸太がどれだけ強くても、環にとっては弟子だ。

暴れたなら止める。止まらないなら叩き伏せる。

 

それが出来るだけの力量差がある事は木庵も由香も、それを知っていた。

 

『今ちょうど、アイツは現場に出ている』

「どこだ」

『廃工場だ。中級怪異』

 

由香が小さく息を吐く。

 

「中級ですか。相変わらず雑に放り込みますね」

『本人が退屈していたから丁度いい』

「弟子の扱いが荒すぎません?」

『死ななければ問題ねぇよ。じゃあな』

 

そう言い残し、通話が切れる。

その言い方は酷いが、環らしかった。

由香は新しいタバコへ火を点けながら、ぼそりと言った。

 

「怜ちゃん大丈夫かな」

 

木庵は缶コーヒーを開け、プルタブの音が、雨の音に混じる。

 

「篠山には丁度いい」

「相性悪そうだけどね」

「まぁ、なんとかなるだろう」

 

由香は少し不安そうにタバコの煙を吐き出した。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

山間部を走る一台のバイク。カーブをテールランプの尾が引いている。雨は止みかけていた。

 

それでも山の空気は重い。目的地の近くにバイクを停車させた。ゴーグルをヘルメットの上部に掛け、鬱陶しそうに脱いでハンドルに被せる。

そしてキーを抜き、ポケットに入れ歩き出した。

 

濡れた土の匂いが残り、木々の間には薄い霧が漂っている。 

工場へ続く獣道を歩くたびに、靴底には泥がまとわり付いた。

 

フードが付いた深緑のチェスターコートを羽織り、迷彩色のカーゴパンツ姿の男、猿渡 洸太はポケットからガムを取り出し、口に放り込む。

 

目の前には古びた工場がある。

 

かつて何を製造していたのかも分からない。 

外壁は黒く汚れ、割れた窓は闇を映し、剥き出しになった鉄骨は骨のように空へ突き出ている。

 

山奥に打ち捨てられた巨大な死骸。

それが第一印象だった。 

 

洸太は工場を見上げる。怪異の現場とは、こういうとこが多い。

 

人が寄り付かなくなった場所。忘れ去られた場所。

誰にも顧みられなくなった場所。

 

そうした場所を怪異は好む。理由は知らないし、知ろうとも思わない。

 

昔は理由を探そうとしたこともあった。

なぜ怪異が生まれ、なぜ人を襲うのか。

 

だが見てきたものが増えるほど、答えを求めることに意味を感じなくなった。

知ったところで救えなかった人間がいる。だから今は割り切っている。

そこにいるのであれば祓う。

 

それだけだった。

 

ポケットからスマートフォンを取り出すし、営業から送られてきた資料に目を通す。

 

中級怪異。

 

周辺住民から異臭および怪音の報告多数。

工場内部にて高濃度の瘴気を確認。

現場確認へ向かった警備会社社員一名が行方不明。

 

そこまで読んだところで画面を閉じた。

 

「行方不明、か……」

 

小さく呟く。

見つかるのであれば運が良い。

怪異絡みで行方不明になった人間が、五体満足で戻ってくることは稀だった。

 

それを嫌というほど見てきた。

まだ駆け出しだった頃、助けを求める声に必死で応えようとして失敗した事もある。

 

その時の光景は今でも夢に出る。慣れたわけではない。

ただ知っているだけだ。

 

期待しすぎれば判断を誤ることもある。現実がどれほど残酷かも自分なりに理解はしている。

 

洸太はスマホをポケットへ戻し、工場へ向かって歩き出した。

入口へ近づくにつれ、瘴気の濃さを感じる。

 

「ったく、ひっでぇ場所だな」

 

思わず呟く。

返事はないが、その代わりにどこからか笑い声が聞こえた気がした。

 

洸太は顔を上げる。聞き間違いかと思った。

 

だが違う。

確かに聞こえた。何人もの人間が同時に笑っているような声。

声は遠いが耳元で囁かれたかのように不快だった。

 

楽しそうに笑っていて、それが余計に不気味だった。

 

洸太は工場の入口を見る。暗闇しかない。

だがその奥から聞こえている。

 

間違いなく。

 

「さて、お仕事開始と行くか」

 

口元がわずかに歪む。

恐怖でもなく、緊張でもない。仕事が始まる前のいつもの感覚だった。

 

怪異を前にして平静でいられるのは、生まれつき肝が据わっているからではない。

 

初めて怪異と戦った時は吐いたし、足も震えた。

それでも逃げられない事情があり、何度も現場へ立ち続けた。

 

恐怖は消えなかった。ただ"ヤツ"の扱い方を覚えただけだった。

 

工場の中へ足を踏み入れる。その瞬間、空気が変わった。

この場所はカビ臭いし埃っぽい上に湿っている。

それだけなら山の中では珍しくもない。

 

だが、これは違う。

雨上がりの匂いではない。その奥に混じる生臭さ。

 

まるで血を薄めて何年も放置したかのような臭いが鼻の奥に残る。

洸太はわずかに顔をしかめた。

 

怪異の現場に慣れていないわけではない。

むしろ同年代の祓い屋の中では経験を積んでいる方だろう。

 

10代の終わりから色々と現場を回り、人が壊れる瞬間も、怪異に喰われる瞬間も見てきた。

だから異常そのものには動じない。だが、それと好き嫌いは別だった。

それでも、この臭いだけは好きになれない。

 

天井の一部は崩れていた。

そこから落ちる雨粒が床に溜まった水たまりを小さく揺らしている。

 

ぽたり。ぽたり。

 

懐中電灯の光を向ける。古びた機械や崩れた鉄骨に転がった工具。どれも長い時間放置されていたらしく、埃と錆にまみれている。

 

背中に差している大振りのマチェーテの柄へ手を添える。

 

その時。

 

ぬちゃり。

 

背後で音がした。水音に似ているがそれはもっと粘ついていた。

肉を床へ叩き付けたような音。

 

洸太は振り返る。

何もなかったはずのコンクリートの床の上に、黒い染みが広がっている。

 

油にも、影にも見える。だがそれは生きていた。

意思を持つかのように蠢きながら、ゆっくりと壁を這い上がっていく。

 

そして。

懐中電灯の光が壁を照らした時、洸太の足が止まった。

 

壁一面に無数の手形があった。それらが壁を埋め尽くしている。

 

色は黒ずんでいた。乾いた血にも見える。

その手形へ、黒い染みが絡み付く。

 

まるで壁の向こう側にいる何かを引きずり出そうとしているかのように。

 

ぐちゃり、ぐちゃりと肉が擦れる音がした。

 

笑い声が聞こえた。

壁だと思っていたものが動いている。

 

手形が膨らむ。

その部分が盛り上がり、押し出される。

その奥から無数の顔が現れた。

 

男。女。老人。笑っている顔や、泣いている顔に苦痛に歪んだ顔。

 

それら全てが一つの肉塊へ貼り付いている。

幾多の顔が一斉に口を開いた。

 

『タスケテ』『クルシイ』『オカアサン』『イタイ』『シニタクナイ』

 

声が重なる。

普通の人間なら、その場に立っているだけで発狂しそうな呪詛だった。

 

それを聞いていた洸太は鼻で笑う。

過去にも言葉を真似るだけの怪異を見てきた。

だからこそ、この手の声に惑わされない。

 

「うるせぇんだよ、喚くな。喋るなら1人だけにしろよ」

 

背中の鞘からマチェーテを引き抜く。重い刃が鈍く光る。

工場の空気が張り詰めた。

 

そして次の瞬間。

 

怪異が動いた。

 

床を蹴った訳でもなく、跳んだ訳でもない。

ただ、そこにいた肉塊が一瞬で目の前まで来ていた。

 

視界が埋まる。

洸太は後退しながら相手を観察する。

 

デカい癖に思ったより速い。

だが、それ以上に異様だった。

 

移動の軌跡が見えない。

肉塊そのものが空間を滑ったような感覚。

 

まずは防御を優先し、同時に核の位置を探る。

このタイプの怪異なら核を潰さなければ終わらない。

 

逆に言えば、核さえ見つければすぐに片付く。

問題は、その核がどこまで守られているかだった。

 

迫る肉塊の表面を視線でなぞる。

肉の層が重なり、顔が浮かび沈む位置。

 

ある程度把握するが、核の輪郭はまだ掴めない。

 

ならばまず接触して反応を見る。

そう判断した時には、身体が動いていた。

 

無数の顔、その全てが口を開きながら迫って来る。

普通の人間なら反応出来ず、目で追う前に喰われている。

 

だが洸太は違った。

もし、一度でも捕まれば、そのまま肉の中へ取り込まれるか喰われる可能性が高い。

 

マチェーテを振り上げ、怪異に叩き付ける。

 

鈍い音だ。肉を斬った感触ではない。

何か硬いものを叩いた手応えが腕に伝わった。

 

怪異の身体が横へ弾かれ、肉塊の表面に浮かぶ無数の顔が、一斉に笑った。

 

『『『『アハハハハハハハハハ』』』』

 

耳障りな声だった。人間の笑い方を真似しているだけの何か。

 

洸太は距離を取る。靴底が床の水溜まりを踏み、水飛沫が跳ねた。

怪異は追ってこず、ただそこに立っていた。

 

肉の塊が蠢いていて、形が定まらない。

腕のようなものが生えたかと思えば消え、顔が沈んだかと思えば別の場所から浮かび上がる。

 

見ているだけで気持ち悪かった。

 

「顔だらけで気持ちワリーな」

 

怪異の中心。つまり肉の奥に核がある。

それは分かるが外側が厄介だ。

 

まるで何十人もの人間を無理やり捏ねて固めたような異様な雰囲気を漂わせている。

 

核を壊さなければ祓えない。

しかし無理に突破しようとすれば、その間に取り込まれる危険もある。

 

"仮面"を使えば早い。だが"ヤツ"を降ろせば、それだけ自分の負担も跳ね上がる。だからまずは様子見だ。どこまで今の力で削れるか。

そして使うべきか迷う。

 

『タスケテ』『イタイ』『カエリタイ』

 

洸太は眉一つ動かさない。 

 

怪異に取り込まれた人達の思念は本当にそう思っているのかもしれないし、本当に苦しいのかもしれない。

 

だが関係ない。

目の前にいる時点で怪異だ。ならば祓う以外の選択肢はない。

放置すれば被害が増える。

 

ここは既に閉鎖した廃工場だが、だからこそ怪異の巣になりやすい。

今ここで始末しなければ、次に犠牲になるのはただ運悪く近付いた誰かだ。

 

洸太はマチェーテを握り直す。

 

「そういう相談は坊主か神主にでもしろよ」

 

怪異が笑った。今度は全ての顔が。

肉塊が大きく膨れ上がり、瘴気が工場中へ広がった。

 

空気が重くなり、床の水溜まりが波打つ。

天井からぶら下がっていた鉄屑が揺れる。

 

その時だった。

 

洸太の視界が一瞬だけ揺らぐ。

 

頭痛がする。いや頭痛というより、頭の奥へ直接何かを流し込まれる感覚。

 

知らない景色や知らない声、知らない記憶。暗い部屋に怒鳴り声。

血。肉。死。次々と流れ込んで来る。

 

怪異の術だ。

 

取り込んだ人間達の記憶。それを無理やり見せて精神を削る。

 

普通なら膝をつく。弱い祓い屋ならそれだけで終わる。

洸太は深く息を吐いた。

 

「アホくせぇ」

 

そう呟くと飛び出すように踏み込む。一気に怪異との距離を詰める。

 

怪異も反応してきた。

肉塊の中から何本もの腕が生えて、それらが一斉に伸び洸太を捕まえようとしていた。

 

危険を承知で踏み込み、マチェーテを振り抜く。

 

肉が裂け、黒い液体が飛び散った。

今までの笑い声が嘘だったかのように怪異が悲鳴を上げる。

 

工場中へ響く絶叫。

 

やはり切った感触が浅い。手応えを感じない。

表面だけだ。ならばとマチェーテの刃を口に咥え、素早く腰のホルスターからリボルバーを抜き、引き金を引いた。

 

ズドォンッ!

 

銃口から派手な火を吹きながら吐き出された弾は、マチェーテでは斬り裂けなかった怪異の肉を周囲の部位ごと弾き飛ばした。

 

RSH-12。洸太が開発課に用意してもらった、通常より更に大口径のリボルバーで12.7x55mmという、拳銃用としては異例の大口径弾を使用する大型拳銃である。破格の威力を誇るも普段使いに向かないが、洸太は見た目から漂う威圧感たっぷりこの銃がお気に入りだった。

 

 

「流石にコイツは効くだろうよ」

 

怪異が後退する。

その動きに合わせて工場の壁が軋んだ。

瘴気が濃くなりだす。まだ本気じゃない。

 

怪異も。そして洸太も。

 

互いに様子を見ている。そんな空気だった。

洸太はナップサックを下ろす。中に手を入れ、ある物を取り出した。

 

それは古い陶器の仮面。

 

そこから漏れる"ヤツ"の僅かな気配。

このまま削り切れるか。

 

それとも"コレ"を使うべきか。

 

判断を誤れば、自分が怪異側へ近付く。

だからこそミスをする訳にはいかない。

 

勝つ為ではなく、確実に祓って生きて帰るために。

 

「……まぁ」

 

ぽつりと呟く。

 

怪異は再び笑い始める。吹き飛んだ一部が再生を始めていた。

そして一斉にどこから聞こえているのか分からない不快な笑い声。

 

だが。

 

洸太の口元も少しずつ吊り上がっていた。ライトを消してナップサックに仕舞う。

 

「少しくらいなら付き合ってやるか」

 

そう言いながら、ゆっくりと仮面へ手を伸ばして触れた瞬間、頭の奥で獣が笑った。

 

『ギャハハハハハハハ!!やっとかァ!!やっと俺の出番かァ!!』

 

鼓膜ではなく、脳の内側を爪で引っ掻くような声。

 

 

「――変身」

 

 

そう呟いて、仮面を被った瞬間だった。

 

黒い閃光と共に洸太の身体から瘴気が漏れる。

身体の奥で何かが目を覚ます。脳内に浮かんだのは"ヤツ"が目を開ける姿だ。

 

途轍もなく熱い。血液そのものが沸騰したような感覚が全身を駆け抜ける。

だが痛みはない。むしろ心地良い。

 

長距離を走った後に肺へ空気が流れ込むような、妙な気分だけだ。

 

視界が変わる。

 

工場の奥。崩れた鉄骨。天井から垂れ下がった配線。

 

それら全てが妙にはっきり見えた。

 

怪異の動きも同じだった。

さっきまで速いと思っていた。

 

だが今は違う。完全に見える。

どこへ動こうとしていて、どこから来るのか。

 

そのくらいなら分かる。

 

そして頭の奥で"ナニカ"が笑う。

 

『随分と待たせてくれたじゃねぇのよ!そのままぶっ殺せって!ほら殺れよ!』

「黙ってろよ…!」

『ギャハハハハ!!嫌なこった!もっと面白くなってからだ!!』

 

洸太は舌打ちする。

 

狒々王。仮面に封じられ、洸太の術式の核になっている上級怪異。洸太が利用している怪異で、本来なら面を被った者の肉体を奪うのだが、洸太が奇跡的な憑依体質だったお陰で条件はあるものの、この力を使えていた。

 

そして相変わらずうるさい。隙を見せれば身体を乗っ取られる。

頭が痛くなる。だがまだこの程度なら制御出来る。

 

25%なら問題ない。耳元が喧しいだけだ。ヘッドホンの内側から喚いてると思えばいい。

 

今度は真正面から怪異が動く。無数の顔を震わせながら巨体が突っ込んで来る。

 

『アアアアアアアアア!!』

 

同時に何本もの腕が伸びてきた。

それらが絡み合いながら一斉に襲い掛かる。

 

洸太は避ける事なく前へ出た。

 

迫り来る腕の隙間へ滑り込み、マチェーテを振り抜く。

 

黒い液体が飛び散る。

狒々王の力で身体能力が上昇しているお陰で、怪異の腕がまとめて吹き飛んだ。

 

肉塊が大きく揺れる。

 

『ギィィィィィィ!!』

 

悲鳴。

 

だが巨体は止まらない。

切り落とした腕が蠢き、床を這う。そして再び肉塊へ戻っていく。

 

少しずつだが、再生速度が早まっている気がした。

洸太は怪異から距離を取る。

 

額に汗が滲んでいた。疲労ではなく、集中だ。

斬撃も銃撃もダメージはあるのが分かっているが核まで届いていない。

表面を削っているだけだ。

 

怪異が無数の顔が口を裂いて笑いだした。

 

『タスケテ』『クルシイ』『オカアサン』『シニタクナイ』

 

先程と同じ言葉。

だが今は少し違って聞こえた。

 

泣き声ではなく、嘲笑だ。

 

こちらを馬鹿にしている。そんな風に聞こえた。

洸太は眉を顰める。

 

「ウゼーな」

『ギャハハハハ!!』

 

狒々王が笑う。

 

『分かるぜ!ムカつくよなァ!だから潰せ!!ぐちゃぐちゃにしてやれ!!』

「静かに出来ねーのか…!」

 

怪異が再び動きだす、今度は天井へ張り付き、巨大な肉塊とは思えない速度で這いずり回っている。

 

そして真上から落ちて来る。

洸太は横へ跳んだ。

 

床が砕け、コンクリート片が飛び散る。

怪異の重量のあまり陥没したのだ。

 

着地して硬直した隙を見逃さない。

洸太は踏み込み、一気に距離を詰める。

 

マチェーテが閃き肉が裂ける。そして、ホルスターからリボルバーを抜き、引き金を引いた。着弾した箇所が吹き飛ぶ。

 

黒い液体が周囲へ飛び散った。

 

だが、まだ浅い。25%増しの攻撃力では怪異の再生の方が早く、怪異の中心へ届かない。

 

「チッ……」

 

舌打ちが漏れる。次の一手を考えねば。

 

すると、怪異の身体が大きく膨らんだと思えば瘴気を振り撒きだした。工場全体が震える。今までとは違う。

怪異が本気を出そうとしている。

 

洸太は足を止めた。

 

『ギャハハハハハ!!』

 

狒々王が笑っていた。

今まで以上に嬉しそうだった。

 

『相手が本気出すってよ、ホラホラこっちも負けちゃいられねぇよなァ!もっと寄越せ!!』

 

洸太は深く息を吐く。まだ余裕はある。

このまま25%で削り続けるより早いだろう。

 

そう判断した。

 

「50%だ」

 

ぽつりと呟く。

 

仮面の術式が赤く灯る。

洸太の纏う雰囲気が変わった。今度はさっきとは違う。

 

もっと荒々しく、もっと獣じみた気配。

まるで山の主が目を覚ましたような圧力が周囲へ広がる。

 

洸太はゆっくり顔を上げる。

 

瘴気が一際濃い箇所。肉の奥の何十もの顔の向こう側に赤黒く脈打つ塊の存在を感じ取れる。

 

アレが核だ。アレを壊せば終わる。

 

そう理解した瞬間に口元が歪んだ。

自分でも気付かない内に。

 

『ギャハハハハハハ!!』

 

狒々王が笑う。

 

『いいぞォ!!その顔だァ!!』

 

洸太はマチェーテを構え直す。

 

先程までより姿勢が荒い。目付きも鋭く、どこか獣じみた雰囲気。

だが理性はある。まだ自分だ。まだ制御出来ている。

 

そしてこの高揚感。戦うのが楽しくなっていた。

 

「第2ラウンドだ、もっと楽しませてくれよ!ここからだろうが!」

 

怪異を見る。無数の顔がこちらを見返していた。

 

洸太は笑う。今度は隠さなかった。

その声はザラザラとノイズが混じったような声色で先程までより低く、少しだけ獰猛だった。

 

次の瞬間、怪異の表面が破裂するように膨れ上がった。

大小ばらばらの腕が肉の中から一斉に生え、床や壁を伝い、天井から垂れ下がりながら洸太へ殺到する。

 

洸太は退かなかった。

 

雨で濡れた床を踏み込み、真正面から腕の群れへ突っ込む。

マチェーテが低く唸り、絡み合う腕を斬り飛ばした。

 

黒い血が雨のように散り、錆びた機械の上へべたべたと落ちる。

怪異が悲鳴を上げる。だがその悲鳴の奥で、まだ笑っている顔があった。

 

「効いてるじゃねぇか!」

 

洸太はそのまま肉塊の懐へ駆ける。長く相手をする気はなかった。肩を沈め、腰を捻り、マチェーテを全力で叩き込む。

刃が肉を裂き、顔の群れは黒い血を派手に噴き上げた。

 

先程より手応えはあった。

怪異も何かを察したらしく、無数の顔が一斉にこちらを見た。

 

そして。

 

肉塊全体が後退した。

それを眺めていた洸太は思わず笑う。

 

「なんだ?今更ビビったのか?」

 

洸太の纏う雰囲気が明確に先程とは違う。

 

怪異もそれを理解したのだろう。

肉塊に張り付いた無数の顔から、先程までの余裕が消えていた。泣いている顔も、怒りに歪んだ顔も、笑っていた顔すらも、今は洸太を見ている。

祈るように。呪うように。あるいは、これ以上近づくなと怯えるように。

 

洸太はゆっくりと歩き出した。

 

『ギャハハハハハ!!アイツビビってるじゃねぇかァ!!潰せ潰せ!』

 

頭の奥で狒々王が騒ぐ。

 

「言われなくてもやるっつーの!」

 

洸太は舌打ちする。だが、口元の笑みは消えていなかった。

 

喰面が膨れ上がる。

工場全体を埋め尽くすように、肉が壁へ広がり、天井へ張り付き、床から無数の腕を生やした。最後の足掻きなのは分かる。だからこそ、油断はしない。

 

何十もの顔が同時に叫ぶ。

 

『タスケテ』

『シニタクナイ』

『ヤメロ』

『コワイ』

 

さっきも聞いた言葉だ。そこに被害者の意思は無い。

言葉だけなら哀れだったかもしれない。

ただ生き延びる為に、犠牲者の声を真似ているだけだ。

 

「知らねぇよ!」

 

洸太は深く踏み込む。

 

瞬間、床が砕けた。

 

肉の波が四方から押し寄せる。

腕が伸び、呪詛が頭の奥へ流れ込んでくる。誰かの死。誰かの恐怖。それら全てが押し寄せてくるが、今の洸太にはただの雑音にしかならなかった。

 

マチェーテが閃く。

 

一撃で肉の壁が裂け、2撃目で腕の群れが吹き飛び、3撃目で顔の層が崩れた。黒い液体が飛び散り、工場の床を汚す。

 

喰面が悲鳴を上げるが洸太は止まらない。

 

目標は1つ。

ヤツの核だ、肉の奥で脈打つ怪異の心臓。

 

喰面も気付いたのか、核を守るように分厚い肉壁を作り上げる。 

だが遅い。50%まで解放した洸太の速度にはもう追い付けていない。

 

「終わりにしてやる!」

 

マチェーテを両手で握る。腰を落とし脚へ力を込める。

 

そして次の瞬間、洸太は真正面から肉壁へ突っ込んだ。

小細工もいらない。ただ全力で叩き斬る為に。

 

踏み込んだ衝撃と共に肉が裂ける。

顔が吹き飛び、骨のようなものが砕けた。

 

その中で赤黒い核が見えた。

 

「くたばりやがれ!」

 

ホルスターからリボルバーを抜き、引き金を引いた。

 

ズドォンッ‼︎

 

弾丸が核に到達したと同時に、喰面の全ての顔が同時に口を開いた。

工場から、一瞬だけ音が消える。

 

そして。

 

ぴしり、と小さな音がした。

 

核に亀裂が走る。

 

次の瞬間、喰面が絶叫した。

今まで聞いたどんな悲鳴よりも大きく、工場中の窓ガラスが震え、壁に残っていた手形が黒い煤のように崩れていく。

 

肉塊は形を保てなくなり、顔は剥がれ落ちて腕は泥のように溶けた。

 

『アアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

それが最後だった。

 

黒い液体が床へ広がり、やがて煙のように薄れて消える。

工場を満たしていた瘴気も、雨漏りの音に押し流されるように少しずつ消えていった。

 

洸太はしばらくその場に立っていた。

 

肩で息をする。

 

50%程度なら問題ないが反動はある。身体の奥が熱く、頭の芯に狒々王の笑い声がこびり付いている。

 

仮面を外した瞬間、頭の奥で不満げな声が響いた。

 

『あーあ、終わっちまった。つまんねぇなァ』

「うるせぇんだよ」

『今度は100でやろうぜ!あんな雑魚、一瞬で潰せるぜ!』

「引っ込んでろ」

『ギャハハハハハ!!』

 

 

洸太は仮面を袋に仕舞いナップサックに戻した。

マチェーテの刃に付いた黒い液体を振り払う。

怪異の残滓はすぐに煙となって消えた。

 

工場の中に、ようやく普通の音が戻ってくる。

 

雨漏りの音に風が割れた窓を抜ける音。

遠くで虫が鳴く声。

 

それらが聞こえた瞬間、洸太は小さく息を吐いた。

 

終わったのだ。

 

ポケットから包み紙を取り出し、ガムを頬張る。何度か噛み、風船を作り出したところでスマートフォンが震える。

 

画面には、黒峰 環の名前。

 

洸太は少し嫌そうに眉を寄せた。

 

「もしもし」

『終わったか』

 

挨拶も労いもない。

洸太は苦笑する。

 

「お疲れ様くらいないんですか」

『あー、オツカレー』

「酷ぇ師匠だな」

 

電話の向こうでタバコに火を付ける音がした。

 

『今回は何%だ』

「50です」

 

少しだけ間が空く。

 

『中級相手で50ならマシだな』

 

洸太は思わず眉を上げた。環が褒めるのは珍しい。

だからこそ、逆に嫌な予感がした。

 

「……で、本題は?」

『木庵から連絡が来た』

 

その名前で、洸太の表情が少し変わる。

 

木庵 琉洲。師である環の同期だ。常に気怠そうで、タバコ臭くて、いつも面倒臭そうにしているくせに、現場では妙に勘が鋭い男。

 

その木庵が、環へ連絡した。何の用だろうか。

嫌な予感しかしなかった。

 

「なんか嫌な予感がするんですけど」

『お前じゃない』

 

環は即答する。

 

『篠山 怜だ』

 

聞き覚えのない名前だった。

洸太は工場の出口へ向かいながら聞く。

 

「誰ですかそれ」

『木庵の所の見習いだ。あー、アレだ。例のワケアリの』

「あー、はいはい。なるほど」

『お前に頼みがあるらしい』

「拒否で」

『まだ何も聞いてねぇだろ』

「木庵さんと環さんが揃って名前出す時点で碌な話じゃねぇなって」

『正解だ』

「認めんなよ」

 

環は電話の向こうで小さく笑った。

 

『詳しい話は帰ってからだ。逃げるなよ』

「逃げたら?」

『迎えに行く』

「スンマセン嘘です逃げません」

 

その一言だけで十分だった。

洸太は深い溜め息を吐く。

 

「分かりましたよ」

『よろしい』

 

通話が切れる。

 

工場の外へ出ると、夜風が頬を撫でた。 

先程までの淀んだ空気が嘘のように薄れている。 

雲の切れ間から月が覗き、濡れた木々の葉をぼんやり照らしていた。

 

洸太は工場を振り返った。もう何もいない。ただの古びた廃工場だ。

人が忘れ、雨と錆で腐っていくだけの建物。

 

なんだか面倒事の匂いがする。

それもかなり濃い。

 

だが、環が絡んでいる時点で逃げ道はない。下手に逃げようものならどうなるのかは嫌という程、身に染みている。

 

「篠山 怜、ね……」

 

知らない名前を口の中で転がす。

鞘にマチェーテを収納し、歩き出す。

 

これから自分が会うことになる少女が、自分より遥かに厄介な存在をその身に宿していることなど、まだ知らないまま。

 

 

 

to be continued…

 




今度からこの後書きに、その話で祓った怪異の設定でも書こうかなと思います。ここまで見てくださったありがとうございました。

暇潰しになれば幸いです。今後もよろしくお願いします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。