中央怪異対策機関   作:ざつざっつ

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15話目完成しました。
暇潰しになれば幸いです。

サムとディーンいっつも嘘か隠し事でギスギスしてるやん
1〜2シーズンの雰囲気は何処へ…


FILE No.15「黒胎」

 

 

 

怪異が討伐されてから、2日が経っていた。

 

本部に祓いを終えて帰ってきた環を乗せて、白石は再び旧八雲物流センターに向かっていた。

 

昼を少し過ぎた頃、中央怪異対策機関の営業車が工業地帯の外れへ入る。

 

平日だというのに人通りは殆どなく、広い道路を時折大型トラックが通り過ぎていく。

車体が巻き上げた砂埃は乾いた風に運ばれ、錆びたフェンスへ薄く纏わり付いた。

 

白石はハンドルを切り、封鎖用の黄色いテープが張られた廃倉庫の前で車を止め、エンジンを切った。

 

それまで車内を満たしていた微かな振動が消えると、遠くで周囲の環境音が妙にはっきりと聞こえた。

 

助手席では環が眠っていた。

 

薄色のサングラスを掛けたまま腕を組み、シートへ深く身体を沈めている。

金髪のトップは左へ流れ、刈り上げた後頭部が窓から差し込む光に晒されていた。

 

白石は腕時計を見る。

 

「着きました」

 

返事はない。

 

「環さん…?」

「……聞こえてる」

 

目を閉じたまま答えた。

 

「では、よろしくお願いします。行きましょう」

「今降りようと思ってたんだよ。急かすな」

「5分前には到着しているのですが…」

 

環がゆっくりと顔を上げた。

 

「細けぇ男はモテねぇぞ、白石」

「お気遣いありがとうございます」

「褒めてねぇよ」

 

ドアを開けると、環はジャケットのポケットを探り、潰れかけたタバコの箱を取り出す。

 

1本を口へ咥え、ライターを2度鳴らした。

 

1度目は風に消され、環の眉間へ皺が寄る。

 

「……チッ」

 

掌で火を囲い、2度目でタバコの先へ火を移す。

白石は後部座席から黒いケースを降ろしながら、その様子を横目で見ていた。

 

「車内は禁煙なんですが…」

「ドア全開にしてんだろ」

「一応、車内です…」

「後から消臭しろよ」

「そういう問題ではありません…」

 

環は煙を吐いた。

 

「お前、木庵にも同じこと言えんのか?」

「木庵さんにも言っていますが、あの人の場合は私用の車なので…」

「本部で吸ってる時、アイツに言って聞くか?」

「…本部長以外聞きません」

「じゃあ私にも言うだけ無駄だろ」

 

白石は何も答えず、ケースを持って倉庫へ向かった。

環はその背中を見送りながら鼻で笑う。

 

「つまんねぇ男」

「環さん、聞こえています…」

「聞こえるように言ったんだよ」

 

2日前まで怪異が潜んでいた廃倉庫は、今は"中央"の管理下に置かれていた。

 

入口の封鎖札は正常。

監視用の簡易結界にも乱れはない。

 

白石が端末を翳すと、封鎖札に刻まれた文字が薄く光り、ゆっくりと色を失った。

 

重い鉄扉へ手を掛け、錆びたレールが軋んだ。

暗い倉庫の奥から、冷えた空気が流れ出してくる。

 

環はタバコを咥えたまま、その場で足を止めた。

 

「……待て」

 

白石の手も止まる。

 

「何かありましたか?」

 

環はサングラスの奥で目を細め、倉庫の暗がりを見つめていた。

 

2日。

 

怪異を祓って2日も経っている。

それなのに、まだ臭う。

腐臭や血の臭いとは別の匂い。

 

呪いには臭いがないと言う祓い屋もいるが、環は昔からその考えが嫌いだった。

 

目に見えないから存在しないというなら、そもそも自分達の仕事そのものが成り立たない。

 

長く怪異と殴り合っていれば嫌でも分かる。

 

怪異ごとに纏う空気が違い、肌へ触れる感覚も違う。

 

この怪異の残り香は、湿った土に腐った果実を埋めたような、粘つく気配だった。

 

だが今、倉庫の奥から流れてくるものには、それとは違う何かが混じっている。

 

細くて冷たい、髪の毛一本を首へ巻き付けられたような感覚が、僅かに残っている。

 

環はタバコを指で摘まみ、灰を落とした。

 

「まだ何かいるな」

 

それを聞いた白石の表情が警戒するものに変わる。

 

「怪異ですか」

「知らね」

「……もう少し具体的にお願いします」

「分かんねぇもんは分かんねぇんだよ。だから見に来たんだろ」

 

環は白石の横を抜け、先に倉庫へ入った。

靴底が砂を踏む。

 

1歩。2歩。

その度に、足元の砂利が妙に大きな音を立てた。

倉庫内は戦闘当時の状態がほぼ保存されている。

 

積み上げられていたコンテナは幾つも倒れ、天井から垂れ下がった照明は半数以上が割れていた。

壁際には焦げ跡が残り、床の至る所でコンクリートが砕けている。

 

環はタバコを咥えたまま奥へと歩いていく。

最初に目へ入ったのは、床へ残る深い亀裂だった。

 

しゃがみ込んで、指先で縁をなぞる。

コンクリートが熱で焼けている。

 

「洸太だな」

 

後ろから白石がタブレットを確認する。

 

「戦闘終盤、狒々王の解放率を75%まで引き上げています」

「知ってる。援護ありきとはいえ、100%使わずに上級クラスを祓えたんだから上々」

「やはり、猿渡さんの事になると少し嬉しそうですね」

「あんなヤツでも、可愛い弟子だからな」

 

環の目は再び床の亀裂へ向いていた。

報告書を読んだ時は腹が立った。

 

洸太が体質の所為で、狒々王の影響を受けやすい事は、本人より環の方が理解している。

力を引き上げれていけば身体能力だけではなく、あの狒々王の荒々しい気性まで流れ込んでくる。

 

50%までなら問題ない。いつもより好戦的になるだけだ。

75%でも意識は保てる。

 

だが、その先は環にも保証出来ないから鍛えた。

何年もかけて身体を作らせた。

 

力に振り回されるなと何度も叩き込んだ。

その中で最善を選んだのなら、洸太なりの理由があったのだろう。

 

現場を見れば分かる。

ここで洸太が前へ出なければ、由香かミーコが死んでいた。

 

「……ま、よくやった方か」

 

環の呟きは小さかった。

白石が顔を上げる前に、環は歩き出している。

 

先の壁が大きく抉れていた。再び、環は足を止めた。

 

「何だこれ」

「由香さんの射撃痕です」

「知ってるよ。見りゃ分かる。私が言いてぇのは派手だなって事」

 

環は壁へ近付いた。

着弾点を中心としてコンクリートが爆ぜ、内部の鉄筋まで千切れている。通常の狙撃銃で出来る傷ではない。

 

「対物ライフルを使用しています」

 

白石が淡々と告げる。

 

環はタバコを口から離した。

 

「……アイツ、何持ち出してんだよ」

「開発課へ火力の高い武器を要求しました」

「誰の許可で?」

「私が出しました…」

「お前が許可したんじゃねぇか」

 

白石は眼鏡を直す。

 

「結果として、怪異の討伐に一役買っています」

 

環は壁を見た。

暫く黙った後、鼻で笑う。

 

「思い切りの良さは木庵の弟子だな」

「本人は認めないでしょうが、同感です」

「褒めてねぇぞ」

「私もです」

 

環が白石を見る。

白石は既に歩き出していた。

 

「……やっぱつまんねーヤツ」

 

倉庫の奥へ進むほど、戦闘の痕跡は濃くなった。

恐らくハルの爪が抉った床だ。アキが術式を乱した地点には、怪異の瘴気が薄く焼き付いている。

 

白石は報告書と照合しながら、一つずつ位置を記録していった。

 

由香が最初に構えた地点。

洸太が怪異と接触した場所。

 

ミーコが式神を使い支援へ回った位置。

3人の動きを線で繋ぐ。

 

タブレットの画面上へ簡易的な戦闘経路が浮かび上がった。

白石の指が止まる。

 

「環さん」

「あ?」

「見てください」

 

差し出された画面を、環は面倒そうに覗き込んだ。

 

3人の移動経路と怪異の推定位置、そして瘴気の拡散範囲。

その中心に、奇妙な空白があった。

 

「……ここだけ避けてんな」

「はい」

 

怪異は戦闘中、倉庫全体へ瘴気を広げていた。

床から影を作り、呪詛を実体化させ、認識阻害まで使用している。

それなのに一箇所だけ。

怪異の瘴気が殆ど残っていない場所がある。

 

「由香さん達の報告書には、この地点について特記事項はありません」

「見えてなかったんだろ」

「何がでしょうか?」

「だから、それを今から探すんだよ」

 

環はそう言いタバコを落として、踏み潰した。

 

そして2人は空白地点へ向かった。

何もない。少なくとも白石にはそう見えた。

 

崩れた木箱に錆びた棚。床へ散らばったガラス片。

 

白石は測定器を取り出し、端末を床へ近付ける。

数値は低い。

 

怪異の残留した呪いすら殆ど検出されない。

 

「異常なしです」

「それが異常なんだろ」

 

環はしゃがみ込んだ。

片膝を床へつき、手をコンクリートへ近付ける。

 

触れる寸前で止めた。

 

目を閉じる。

静かだった。

 

遠くで白石が測定器を操作する音がする。

 

天井のどこかで金属が軋んだ。

その奥だ。もっと小さくて細い、微かな震え。

環は眉を寄せた。

 

「……あった」

「何が…」

「黙ってろ」

 

白石が口を閉じる。

環は指先を僅かに動かした。

怪異のモノではない。

 

別のモノだ。2日経っても消えず、床の奥へ染み込んでいる。

 

いや、染み込んでいるという表現も違う。根を張っている。

環は目を開けた。

 

「白石。呪符の写真」

 

タブレットが差し出される。

回収された古い呪符に黄ばんだ和紙へ、幾重にも墨の線が重なっている。

環は暫く眺めた。

 

「解析班は何て?」

「既存術式との完全一致なし。陰陽道系統との類似性は確認されています。ただし、構造が複雑過ぎると」

「複雑だと?」

 

環が鼻で笑った。

 

「違ぇよ」

 

指先で画面を拡大する。

一本の線のその下に別の術式。更にその下。

紙面へ収まらないほどの構造が、何層にも重なっている。

 

「これはタダの呪符じゃねぇ」

 

白石の眉が僅かに動いた。

 

「どういう意味です…?」

「今の札は道具だ。術者が精神力を流して、術式を通す。使ったら終わり。物によっちゃ何回か使えるけど、基本は術者ありきだ」

「そうですね」

「だが、こいつは違う」

 

環の指が画面を叩く。

 

「勝手に術式を発動出来るようにしてある」

 

白石が写真を見る。

 

「自律系の術式といった感じでしょうか?」

「近い。でも、それだけじゃねぇな」

 

環は床へ視線を戻した。

 

「怪異の中に入って、呪いの流れを勝手に組み替えた。中級だった怪異の器を広げて、無理矢理上級まで押し上げた。術者本人はここにいねぇ。それでも札だけで最後まで動いていた」

 

一度言葉を切る。

 

「つまり、マジで気持ち悪いって感じだ」

 

白石は黙った。

環はもう一度写真を見る。

 

相変わらず、気持ちが悪い。

術式の構造が理解出来ないからではない。

少しずつ理解出来てしまうからだ。

 

「……古い」

 

環が呟く。

 

「新しい技術ではないという事ですか?」

「逆だ」

 

新しいタバコを取り出し、火を付けた。

 

「術式ってのは時代と一緒に変わる。余計な工程を削り、術者への負担を減らす。馬鹿でも使えるようにするって意味じゃねぇぞ。生き残る為に変わってきたんだ」

 

白石は静かに聞いている。

 

「そして昔の術式は違う。結果が出りゃ術者がどうなろうが知ったこっちゃねぇ。腕一本。目玉一個。寿命10年。足りなきゃ魂まで突っ込む。そういうイカれた組み方を平気でする」

 

環の指が、写真の中央で止まった。

 

「ここを見てみろ」

 

白石が画面を覗く。

 

「何があります?」

「術者を術式の外に置いてねぇ」

 

白石の目が細くなる。

 

「というと、術者自身も術式の構成要素?」

「多分な」

 

環は低く吐き捨てた。

 

「これを作った奴、人間を材料として数えてやがる」

 

倉庫の空気が急に冷えた気がした。

白石は写真から目を離さない。

 

「では、今回の怪異も」

「材料だろ」

 

環の返事は早かった。

 

「怪異を強くしたかったんじゃねぇ。少なくとも、それだけじゃねぇな。札を埋め込んで、どこまで器が保つか見た。呪いを流して、壊れるまで育てた」

「では、今回の一件はただの実験だと?」

「だろうな」

「何の為の?」

 

環は白石を見た。

 

「知るかよ」

 

苛立った声だった。

 

「兵器にするなら制御する。使役するなら契約を組む。どっちでもねぇ。ただ育てて、暴れさせた」

 

環の目が鋭くなる。

 

「何がしてぇんだ、こいつ」

 

白石が答える前に、測定器が鳴った。

短い警告音。

2人の視線が同時に落ちる。

数値が跳ね上がっていた。

 

「環さん…」

「動くな」

 

環の声から、僅かに残っていた軽さが消えた。

白石の身体が止まる。

 

「テメーの右手だ」

 

言われて初めて気付いた。

手の甲へ髪の毛程の細い黒い糸が、絡んで測定器から伸びている。

 

黒い糸は床の亀裂から伸び、測定器を伝って白石の手へ巻き付いている。

白石が息を止めた。

 

「いつから…」

「喋んな。3つ数えたら測定器捨てろ」

「分かりました…」

「1」

 

黒い糸が手首へ回る。

 

「2」

 

床の黒い染みが蠢いた。

 

「3」

 

白石が測定器を放ると、同時に床が爆ぜた。

 

黒い霧が噴き上がる。

空中で捻れ、人の上半身に似た形を作る。顔はなく手足だけが異様に長い。

 

"ソレ"は白石へ向いた。

 

黒い影が動く。

速い。

白石の目には、黒い腕が突然眼前へ現れたようにしか見えなかった。

 

だが環にとっては遅かった。

 

一歩、床を踏み込んだ。

その動作だけで環の身体が白石の前へ入る。

 

「そのバカに手ェ出すな」

 

環は右手を上げ、黒い腕を掴む。

影の動きがピタリと止まった。

 

白石の目が僅かに見開かれる。

怪異ではない。ただの残穢とはいえ実体を持った呪いの塊だ。

 

それを環は素手で掴んでいる。

 

「環さん…!」

「下がってろ」

 

黒い影が振りほどこうと暴れた。

長い腕が捻れ、環の首へ巻き付こうとする。

だが、環は避ける素振りも見せず左手で掴む。

 

影の両腕を押さえた。踠こうとするも身一つ動かせない。

 

足元のコンクリートへ亀裂が走る。

環の筋肉が僅かに盛り上がった。

 

彼女は札は使わなければ、印も結ばない。そして固有の術式も使わない。

 

ただ、呪具を使用するだけだ。

 

呪具・[魔人鉄骨]。

 

上級怪異を祓う前にその骨を核として造られた、まだ生きていると言っても過言ではない手足に装着する、身体強化型呪具。

 

呪具に刻まれた術式は、純粋な身体能力の飛躍的な向上のみ。

他の複雑な術式は無い。だが、それ故に圧倒的な破壊力がある。

 

腕力。

膂力。

速度。

反射。

耐久。

炎も出ない。

雷も落ちない。

ただ、装着者の肉体を人間の領域から押し上げる。

 

それだけの呪具だった。

 

そして今、環は魔人鉄骨を身に着けていない。

 

装着時に環の身体へ別の何かが入る訳ではない。

これは全部、環自身だった。

 

少なくとも、低級の頃から数えても10数年の間、魔人鉄骨を使い続けた。

 

使い始めで慣れない頃は殴り付けた反動に耐え切れず、骨が砕けた。

筋肉も裂けた。

内臓を痛めた事もある。

 

呪具を外した後、何日も立てなかった事もあった。

 

その度に魔人鉄骨の出力へ耐える為に鍛え続け、もっと高い出力で殴れるように、反動で壊れない身体を作る為に繰り返した。

 

気付けば、呪具を装着していなくても身体がその力を覚えていた。

50%なら、環自身の肉体だけで引き出せる。

 

「おいコラ」

 

環は影を掴んでいた右腕を離した。

 

「しつこい汚れみたいに残りやがって」

 

拳を握り、腰を落とす。

白石にはその動作だけは見えたが、その先が見えなかった。

 

音が消え、一瞬遅れて倉庫全体が震えた。

 

環の拳が影の胴体へ突き刺さっている。

黒い霧が背中から爆ぜ、衝撃は影だけでは止まらず、後方の積まれていたコンテナをまとめて吹き飛ばした。

 

通常の怪異なら明らかに致命傷となる一撃だが、それでも残穢は消えない。

身体を崩しながら環の腕へ絡み付こうとする。

 

「だから、しつこいんだよ!」

 

環が影から拳を引き抜いて、床へ叩き付ける。

環の右足が上がった。

 

「失せろ」

 

踵が影の中心を踏み抜いた。

轟音と共にコンクリートが陥没した。

黒い霧が一気に広がり、環の周囲を覆う。

 

白石が腕で顔を庇った。

数秒後、霧が薄れる。

 

環は陥没した床の中央に立っていた。

 

足元には何もない。

残穢は完全に消えている。

環は肩を回した。

 

「カスが」

 

白石は暫く何も言わなかったが、陥没した床を見る。

 

上級祓い屋。

各地方の対策機関に1〜2人程度としかいない、人外の強さに身を置く存在。

 

そして、環は宗近と並ぶ"中央"の最高戦力。

宗近があらゆる術式を高出力で使用し、怪異を祓うのなら環は違う。

 

ただ、殴って蹴って壊す。

説明だけなら、それだけだった。

 

その単純な戦い方を上級怪異に通用させる為、環は自分の肉体を時間をかけて作り替えてきた。

 

術式の相性を選ばない。

詠唱もいらない。札も必要ない。

 

環自身が動ける限り、戦える。

 

だから彼女は強い。

 

白石は足元へ視線を落とした。

 

「……流石の強さですね。ありがとうございます」

「湿った言い方すんな。内のモンを助けるのは当然だろ」

 

白石はタブレットへ記録を入力している。

環はそれを尻目にタバコを取り出した。

火を付け、深く吸う。

肺へ煙を入れゆっくり吐き出した。

 

少しだけ落ち着く。

だが目は笑っていなかった。

 

「白石」

「はい」

「今の、アイツ等が祓った怪異の残穢じゃねぇぞ」

 

白石の指が止まった。

 

「確証は…」

「殴ったから分かる」

「……もう少し詳しく教えてもらえると…」

「うるせぇな。匂いが違うし、手応えも違う」

 

環は残穢が消えた場所へしゃがみ込む。

タバコを咥えたまま手を翳した。

 

「呪符を作った奴の残り滓だ」

 

白石の表情が固くなる。

 

「術者の残穢?」

「多分な」

 

環は床を睨んだ。

 

「たった一枚の札だぞ」

 

術者はとうの昔に現場にいない。呪符の本体も既に回収されている。

それでも残った呪いだけが自律し、襲ってきた。

 

格自体は弱い。

環から見ればだが。

 

だが白石が一人なら死んでいた。

下級祓い屋でも危ない。

 

「……こんな古臭ぇ札使う奴が、まだ生きてんのか?」

 

環の呟きへ、白石は答えられなかった。

 

「仮に術式だけが継承されているなら…」

「それでもヤベぇよ」

 

環は煙を吐く。

 

「教えられて使えるような代物じゃねぇ。さっきも言ったろ。術者自身を材料に入れてる。自分の魂の削り方まで分かってなきゃ組めねぇよ」

「では、作成者は古式術法へ精通した術者…」

「しかもイカれてる」

 

環は立ち上がった。

 

「人間も怪異も、同じ材料箱に突っ込んでる奴だ」

 

白石は本件の戦闘記録を思い出した。

中級怪異だが強制変異し、上級相当に。

擬似核と自律術式。

 

何の為に。

 

「兵器ではない」

 

白石が呟く。

 

「制御機構がありません」

「あぁ」

「使役目的でもない。契約術式も確認されていない」

「あぁ」

「では何故、強くする必要があるんでしょうか?」

 

環はタバコを指に挟んだ。

答えは出ない。

その事自体が気持ち悪かった。

 

「……育つか見たかった」

 

白石が環を見る。

 

「何がです?」

「いや」

 

環は影が消えた場所を見た。

 

「何となくだ」

 

中級の怪異へ札を埋める。呪いの流れを変え、器を膨らませる。

そして、限界を超えさせる。

 

「花に水やってんのと同じだったら、胸糞悪ぃな」

 

白石は何も言わなかった。

 

環はタバコを落とし、踏み潰した。

 

「帰るぞ」

「調査は…」

「もういい」

「しかし…」

「白石」

 

環の声が低くなる。

 

「この案件、中央だけで抱えんな」

 

白石は環を見る。

 

「京都へ回せ。北海道もだ。沖縄、中国、四国。九州。繋がりある所全部」

「危険術者として?」

「案件そのものを共有しろ」

 

環は倉庫の出口へ歩き始めた。

 

「似たような怪異が一匹だけとは限らねぇ」

 

白石は数秒その背中を見ていた。

やがてタブレットを閉じる。

 

倉庫を出る直前、環は一度だけ振り返った。

暗い。

何もいない。

 

それでも首筋へ残る細い感覚は消えていなかった。

誰かが見ている。

 

そんな馬鹿な考えが頭を過ぎる。

環は眉間へ皺を寄せた。

 

「……気に食わねぇ」

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

その日の夜、本部営業部の照明は落ちる事は無かった。

 

複数のモニターへ本案件の資料が表示され、職員達が各地方の対策組織との連絡に追われている。

 

「では、本案件での怪異は黒胎と呼称します。鷹宮さん達からの報告書と私が現地調査した報告書を纏めましたので、皆さん共有をすると共に他の機関への情報共有をお願いします」

 

「「「了解しました」」」」

 

報告書の統括を纏め終えた白石は、部下達に指示を出す。

 

「京都の陰陽衆、送信完了」

「北海道アイヌ連合、受領確認しました」

「沖縄側の窓口から返信。類似案件の照会に入るそうです」

 

白石は自席で眼鏡を外し、目頭を押さえた。

 

「中国地方、四国にも同一資料を。本部の過去の討伐記録を確認してください」

「期間は?」

「類似する箇所が見つかるまでです」

 

職員の手が止まる。

 

「マジですか」

「術式の年代が不明です。直近の事件と決めつける理由がありません」

「了解」

 

再びキーボードを叩く音が響く。

環は営業部の窓際に立っていた。

 

開けた窓から夜風が入る。

タバコの先が赤く光る。

 

「環さん、ここは一応禁煙です…」

「ウン、ワカッテル」

「せめて、ベランダでお願いします…」

「ウン、ワカッテル」

 

その時、一台のモニターへ受信通知が表示された。

京都の陰陽衆からだ。

 

白石はすぐに開いた。

文面は長くないが読み進めるにつれ、その表情が僅かに固くなっていく。

 

「環さん」

「今度は何だよ」

「京都からです」

 

環が近付く。

白石は画面を拡大した。

 

[術式構造に一部類似例あり。現存術者による使用記録なし。推定年代、

平安時代と思われる。]

 

環の目が止まる。

 

「……あ?」

 

営業部の空気が静まった。

白石は添付資料を開いた。中身は古い文献の写しだが、紙面は変色し、文字の多くが欠けている。

 

現代語訳が横へ添えられていた。

環は画面へ顔を近付ける。

 

「名前は?」

「ありません…術者の記載箇所が欠損しています」

 

環が目を細める。

 

「欠損?」

 

白石は画像を表示した。

古文書の一部。そこの箇所だけ削られている。

虫食いでも無ければ、焼けてもいない。

文字だけが削ぎ落とされていた。

 

「経年劣化ではありませんね。意図的に消されています」

「誰が」

「分かりません」

 

環の眉間へ皺が寄る。

 

「分かんねぇ事ばっかだな」

 

白石は資料を下へ送った。

削られた名前の下。

僅かに残った一文。

 

『かの法師、獣鬼を胎となし、呪を育む』

 

環の指が止まる。

 

白石も同じ文字を見ていた。

 

「法師ねぇ…」

 

環が呟く。

 

「坊主か?」

「当時の呼称だけでは断定出来ません」

「じゃあ何者だよ」

「分かれば苦労しないのですが…」

「お前今日そればっかだな」

「す、すみません…」

 

白石は資料を閉じなかった。

平安時代。

千年近く前。

その時代の術式と、現代の黒胎案件に類似性がある。

 

術式だけが継承されたのか。

文献を発見した誰かが再現したのか。

あるいは…。

 

白石はそこから先を考えるのを止めた。

根拠がないからだ。

 

環も同じだった。

だからこそ気持ちが悪い。

 

「白石」

「はい」

「各地方への警戒レベル、一つ上げろ」

「本部長の承認が必要ですが…」

「私が話す」

 

環は画面から目を離さない。

 

「こんな術式や呪符を使うヤツは危険過ぎる」

 

白石が頷く。

 

「危険術者として情報共有します」

「術者だけじゃねぇぞ」

 

環の声が低い。

 

「もう一度言っておくぞ。怪異の異常変異も全部だ。中級が急に上級へ跳ねた案件。核が増えた奴。今まで使わなかった術式を突然使い始めた奴。全部拾え」

 

「黒胎との関連がなくてもでしょうか?」

「関連あるか決めんのは拾った後だ」

 

環はサングラス越しの鋭い目が、古文書の空白を睨む。

 

「誰が裏で糸引いてんだよ」

 

答える者はいなかった。

モニターには次々と受領通知が届いている。

京都。

北海道。

沖縄。

中国。

四国。

九州。

 

黒胎案件。

人工変異型怪異。

未知の古代呪符。

危険術者の存在。

 

一つの倉庫で始まった事件が、静かに日本各地へ広がっていく。

その中心にいる筈の人物だけが見えない。

 

名前すらない。

千年前の記録からも消されている。

 

環は暫く画面を見つめていた。

やがてタバコの箱をくしゃりと握り潰した。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

山中に、朽ちた社があった。

人の通る道から外れ、地図にも名前は残っていない。

半ばから折れた鳥居には苔が張り付き、石段の隙間から伸びた草が夜露に濡れていた。

虫の声も無く、風も吹いていない。

 

社の奥から、紙を擦る音だけが聞こえていた。

 

一枚。

また一枚と古びた呪符が棚へ並べられていく。

墨の臭いの中に、僅かな血の臭いが混じっている。

 

暗闇の中央にある檻の中で何かが蠢いた。

鎖が鳴る。

 

低い呻きが漏れる。

人ではない。

 

獣のような怪異が肉の塊の中で、幾つもの目が開いては閉じている。

 

その前へ座る人影が、細い指で呪符を撫でた。

 

「実験体は?」

 

背後に立つ別の人物が頭を下げる。

 

「祓われました」

 

沈黙。

鎖の音だけが続く。

 

「……申し訳ございません」

 

人影の肩が揺れた。

最初、怒っているのかと思ったから、謝罪したが違った。

その人物は笑っている。

 

「申し訳ない?」

 

声は柔らかい。

妙に楽しそうだった。

 

「何故、そう思う?」

 

背後の影は答えない。

 

「中級の器が上級へ至った」

 

指先が呪符の線を辿る。

 

「ならば結構」

 

人影が笑う。

 

「実に結構」

 

暗闇の中で、呪符の墨が僅かに滲んだ。

 

「失敗ではない」

 

呻いていた肉塊へ手を伸ばす。

幾つもの目が一斉に人影を見る。

 

「育ったではないか」

 

指が肉へ沈み、肉塊が震えた。

 

「怪異も」

 

一枚の呪符が埋め込まれる。

 

「祓い屋も」

 

術式が黒く光る。

 

「どちらも」

 

鎖が激しく鳴った。

その様子を見た、人影は笑っている。

 

「実に面白い」

 

背後の影が僅かに顔を上げる。

 

「法師様」

 

その呼び掛けに、人影の手が止まった。

 

「"中央"が各地へ情報を回したようです」

「ほう」

「如何なさいますか」

 

暫く返事はなかった。

人影は黒胎に使ったものとは、別の呪符を手に取り眺める。

やがて、楽しそうに首を傾げた。

 

「何も」

「しかし、我々の存在が露呈するのでは?」

「有象無象だ。放っていても造作はない」

 

背後の影が黙る。

 

人影は立ち上がった。

 

薄暗い灯りで顔は見えないが、口元だけが僅かに歪んでいた。

 

「中央怪異対策機関」

 

その名前を、舌の上で転がすように繰り返す。

 

「面白い者が育っているようだ」

 

床へ新しい呪符が落ちた。

黒胎の時より、術式の規模も違う。

 

肉塊の呻きが止まる。

 

「次は」

 

人影が囁く。

 

「もう少し壊れにくい器を使おうか。さて、彼女に会いに行く準備を進めないと」

 

そう言い、人影は壁に貼ってあった一枚の写真の人物を指でなぞる。

写真には"篠山 怜"が映し出されていた。

 

 

社の外で、初めて風が吹いた。まるで何かの始まりを告げるように。

 

朽ちた鳥居に結ばれていた古い注連縄が揺れる。

一本の縄が切れた。

 

乾いた音を立て、石段へ落ちる。

だが、その音を聞く者は、山のどこにもいなかった。

 

 

 

 

to be continued…




15話目見てくださりありがとうございます。
いつも見てくれてる方、マジ感謝です。

次は日常回挟んで、木庵と怜メインの話にしようと思います。
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