17話目が長くなりそうなので、前後編に分けました。
見てくださってる方の、暇潰しになれば有難いです。
とある山道の山間部を一台の軽トラックが走っていた。
夜の山は昼間とは別の山だった。街灯も無く、月も雲へ隠れている。
その道を走る車のヘッドライトだけが細い山道を照らし、その先は闇が飲み込んでいた。
隣町から肥料を買い、帰る途中だった。
車内に流れるラジオからは懐メロが流れている。
「笑ってもっとbaby〜、無邪気にon my mind〜、映ってもっとbaby 素敵にin your sight〜」
ハンドルを指で叩きリズムを取りながら、男は上機嫌に歌う。
やがて曲が終わり、午後21時を知らせる時報が流れた。
「もうこんな時間か、遅くなっちまったなぁ」
男は苦笑しながらアクセルを踏み込んだ。
その時、ラジオが急に途切れた。
ザーッ……ザー……
ノイズだけになる。この地域なら電波が悪くなる事は無い筈だ。
「ん?」
とりあえず、つまみを回してみるが戻らない。
偶々電波が悪いとこに入ったのだろう、それなら仕方ない。
そう思ってラジオを切ろうとした。
視界の端で、何かが横切った。
「……鹿か?」
思わずブレーキを踏み、車を止めた。
タイヤが噛む音だけが山へ響く。
前方の道路の真ん中に、青白い火が浮いていた。
一つ。また一つと。
「何だありゃ…」
松明か?一瞬そう思った。
いや違う。松明の灯りなら、あんな動きはしない。
不審に思っていると、火が車に近付いてくる。
男の背中へ嫌な汗が流れた。
ギィ……
どこからか音がした。
錆びた古い荷車を引くような音。
ギィ……ギィ……
一定の間隔でゆっくりと近付いてくる。
「誰だ!」
男はそう叫び、懐中電灯を手に車から降りた。
返事はない。
ただ、光の向こうの闇の中に何かがいた。
それを見た男は喉を鳴らした。
「……」
その影が、一歩踏み出す。
ギィ。
荷車の音が軋み、もう一歩。
ギィ。
ヘッドライトが照らし、その姿が漸く見えた。
荷車に乗った細長い人間のような形をしている。
肩が異様に広く、首がある場所で青白い炎が燃えていた。
"ソレ"が荷車から降りた。
その足は黒く、焼け焦げた木の根のように地面を這うように伸びている。
腕も異様に長い。
指先は地面へ届き、歩く度に林の中からこちらへ近付いてきた。
ギリ……ギィ……
「ば、化け物…」
そうとしか形容出来ない存在がそこにはいた。
その光景を目の当たりにした男は、慌てて車に戻りギアをドライブへ入れた。
アクセルを踏み、エンジンだけが唸るが何故か車が動かない。
「う、動け!なんだよ畜生!」
全力でアクセルをもう一度踏む。
タイヤが空転する音と共に焦げ臭い匂いが鼻を刺激した。
エンジン音が甲高く鳴っている筈なのに、その全部を掻き消すように荷車の音だけが聞こえてくる。
ギィ。ギィ。ギィ。
音と共に化け物の乗った荷車が近付いてきた。
ゆっくりとだが、着実に距離だけが縮まっていく。
「来るな!」
男は車のドアを開けて飛び出した。一刻も早く離れようと駆け出すも、足が縺れて転倒してしまう。
膝を擦るが、どうにか立ち上がりそれでも走る。
息が切れ、肺が悲鳴を上げるが山道を必死に駆けた。
後ろは見ない。離れている筈なのに気配だけは離れない。
近くで音だけはずっと響いている。
ギィ。ギィ。ギィ。
「く、来るなああああああ!!」
思わず後ろを振り返るが何もいない。
「い、いない…」
ほっと息を吐く。
その瞬間。
目の前に、青白い炎が灯った。
男の足が立ち止まる。
炎の向こうに、黒い影が立っていた。
頭の代わりに燃える灯火。
その灯火の中から、誰かの声が聞こえる。
「父さん…」
男は凍り付く。
そこにいたのは15年前に病気で亡くした息子の声だった。
「父さん…」
異常な状況なのに、男の目から涙が伝う。
ここにいる筈がない。何故なら息子はもう死んでいる。
それでも目の前にこうしている。その事実だけが、彼の感情を揺さぶる。
「健一か……?」
炎が揺れ、黒い腕がゆっくり男へと伸びた。
その手は、人間の手ではなかった。
煤で固めたような黒い指が5本。
関節があり得ない方向へ曲がりながら、男の胸へ触れる。
ゾッとする程冷たく、その冷たさは氷より冷たい。
息が止まり、視界が青白く染まる。
最後に聞こえたのは、息子の声ではなく耳元で鳴る、荷車の軋む音だけだった。
――ギィ。
そして闇が、男を飲み込んだ。
ーーーーーーーーーーーーー
とある日の中央怪異対策機関。
営業部のフロアは、現場へ出る祓い屋たちとは違う時間が流れている。
営業の職員は基本的に怪異と直接刃を交えることはない。
代わりに膨大な情報を整理し、本当に祓い屋を動かすべき案件かどうかを見極める。
机の上には各地から送られてきた報告書が積み重なり、壁一面の大型モニターには地図が映し出されていた。
赤。黄。青。
それぞれが色分けされた無数の印。
その一つ一つが、怪異にまつわる案件とも呼ぶべきモノ達。
呪物、異界化等、何らかの異常を示している。
営業部長である白石 真広はパソコンへ向かったまま、眼鏡を少し押し上げた。
「白石部長」
若い職員が電話を片手に近寄ってくる。
「東山地区の協力組織からです」
「となると怪異絡み…」
「恐らく」
白石は一旦、キーボードから手を離した。
「繋いでください」
職員から受話器を取る。
「"中央"営業部の白石です」
電話越しに聞こえてくる声は疲れていて、息遣いからもその様子が伺えた。
『高瀬です』
「お疲れ様です。例の怪異絡みですか?」
『断言は出来ませんが、一連の事件で私を含む複数人の目撃情報があります』
白石は机の上へ報告書を引き寄せる。
先週。3日前。昨日。そして今日だ。
既に何件か情報は届いていた。
いずれも同じ集落で被害者達に共通しているのは、
“家族を亡くした人間だけが被害に遭っている。”
白石の視線が止まる。
「次に標的にされそうな方の目星は?」
『既にこちらで把握しました』
「……分かりました」
白石はペンを取り、手元の報告書へメモを書き込んでいく。
“精神誘導の可能性"、“目的不明”、“目撃証言複数。”
書き終えると、一度だけ目を閉じた。
協力組織の人間達は、基本的に確証もない事で連絡をしてこない。
現地で複数人が確認し、人命に危険が及ぶ。
そこまで揃って初めて連絡が来る。
つまり、もう放置できる段階ではなかった。
「高瀬さん」
『はい』
「村人の皆さんへは」
『効果があるかは分かりませんが、夜間の外出を控えるよう伝えています』
「ありがとうございます。祓い後には広範囲で忘却術式を施します。こちらから担当を向かわせますのでお待ちください」
『……助かります』
「到着までは決して無理をなさらないでください」
『分かりました。我々の方で観測出来た資料をお送りします』
「ありがとうございます。気を付けてくださいね」
『はい。それでは失礼します』
そのやり取りを最後に通話が終わる。
受話器を静かに戻すと、白石は椅子へ深く腰掛けた。
壁の時計を見る。
午後19時45分。
基本的に"中央"は祓いの案件を幾つも抱えていて、動ける祓い屋は限られている。
上級の祓い屋はまず動かせない。
他の祓い屋達もそれぞれの案件を抱えている。
残る候補を頭の中で並べたその時だった。
「白石」
聞き慣れた声が後ろから飛んできた。白石は振り返る。
「お疲れ様です、木庵さん」
営業部の入口に、木庵がいつものように気怠そうな雰囲気を纏いながら立っていた。
口には火の付いていないタバコ。
まるで近所の喫茶店へ寄るような出で立ちで、営業部へ顔を出している。
「どうされたんですか?」
木庵は面倒臭そうに肩を竦めた。
「報告書だ。パソコンがブッ壊れたから紙で持ってきた。愚痴も言いたいしな」
白石は思わず笑った。
「愚痴ですか?パチンコで負けたとか、そういう類の話は分かりかねます…」
「おいおい、決め付けか?」
「木庵さんの愚痴はそういう話が多いからです…」
2人のやり取りを聞いていた営業部の職員達も、思わず苦笑する。
また始まった。
そんな空気だった。
白石は近くの椅子を勧める。
「どうぞ。お茶くらいでしたら淹れますよ」
木庵は腰を下ろしながら小さく息を吐いた。
「なら遠慮なくもらおうか。たまにはマトモなモンが飲みたくなる」
木庵の言葉を聞いた白石は立ち上がり、営業部の給湯室に向けて歩き出した。木庵が椅子の背もたれに背中を預けてダラダラしているとお盆に湯呑みを乗せた白石が戻ってきた。
「どうぞ」
「どうも」
「今日は随分お疲れのようですね」
木庵はソファへ深く沈み込み、首の後ろを揉んだ。
「最近、立て続けだからな」
「報告書も山積みでしょうね…」
「スゲー山積み」
木庵は苦笑する。
「怪異を祓うより、あの書類の方が俺にはキツい」
「毎回そう仰いますね」
「毎回そう思ってるからだ」
営業部の若い職員が思わず吹き出した。
木庵はそちらを見て肩を竦める。
「おい、笑い事じゃねぇぞ。1体祓うだけで何枚書けばいいんだクソ。映画だったらエンドロールで終わるんだが、現実はそこからが本番だ」
営業部の空気が少しだけ和らぐ。
白石も小さく笑いながらお茶菓子を差し出した。
「心中お察しします」
「口頭で伝えるから代わりに書いてくれ」
「ダメです」
「金払うから」
「どんだけ書きたくないんですか…」
そう言うと木庵は湯呑みの中身を一口飲む。
普段飲んでいるエナジードリンクや、缶コーヒーとは違う独特の苦味が口へ広がるが、暖かさが体に染み渡る
木庵は満足そうに息を吐いた。
「実は少し、ご相談したい案件がありまして」
木庵は茶を飲む手を止めた。
「嫌な予感しかしねぇ」
「そう言わないでください」
白石は木庵の前へ、ある資料を置き中身を開いた。
写真が数枚と地図。
現地協力組織から届いた手書きの聞き取り記録。
木庵は自然と姿勢を起こした。
「どういう具合だ」
「家族を亡くした方ばかりが、立て続けに亡くなった本人を目撃しています」
木庵は何枚かの写真を見る。
農道。杉林。古い集落。
「被害は?」
「現在、失踪が3件、変死1件です」
「目撃証言は?」
「証言も、ほぼ一致しています。現地の協力組織、高瀬さんからも連絡が入りました。彼自身も怪異を目撃しています」
しばらく沈黙が流れた。
木庵は資料を読み進める。
やがて一枚の写真で指が止まった。
そこには山道の途中で見つかった黒い木片と焦げ跡が写っていた。
木庵は写真をジッと眺める。
「恐らくだが、やり口的には火車だろうな」
白石も写真を見直す。
「木庵さんもそう思いますか」
「多分だ」
怪異という存在は負の念が実体化した存在とでも言えばいいだろうか。
時に伝承、概念、それ等を元にした実体を得る怪異も多い。
そして、その負の念がある限り祓っても時が経てば、場所を問わずに再び出現する。
祓い屋達と怪異の戦いがイタチごっこと呼ばれるのもその所為だ。
唯一出来る対策とすれば、その事を記録し今後に繋げ、少しでも被害を防ぐくらいしか出来ない。
木庵は写真を机へ戻した。
「ただ、火車と決め付けんのは早ぇな」
「えぇ」
白石も頷く。
「私も名称までは断定していません。記録と一致する点が多いので候補として挙げているだけです」
「その判断でいい」
木庵は湯呑みの中身を飲み干した。
「現場を見ないと何とも言えねぇしな」
白石は安心したように微笑む。
木庵は椅子へ背中を預ける。
「で、営業部長。この案件を俺に行けと」
白石は少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「他の方達は現在それぞれ案件を担当しています。今、お願いできる中級の方となると……」
最後まで言わなかったが、理解した木庵は苦笑する。
「消去法か」
「そういう事に…」
「クソッタレ。分かった、俺でいい」
「ありがとうございます」
「とりあえず準備して明日に行く。ご馳走さん、じゃあな」
「では、よろしくお願いします」
営業部を後にした木庵は、ポケットから携帯電話を取り出し、登録一覧を開く。
その中にある、1つの名前を見つめる。
表示された名前は――
『篠山 怜』だった。
やがて、自室に辿り着いた木庵はソファに体を投げ出し、タバコに火を付けた。
怜に電話をかけ、呼び出し音が何度か鳴ったところで、電話は繋がった。
『はい』
少し緊張した声だった。
「俺だ」
『木庵さん』
「今、何してる」
「空き地で"力"を試してました…」
「…お前、あんまり本部以外でやたらと使うなよ。"中央"以外の人間がその光景を見たら、下手すれば殺されるぞ」
「ご、ごめんなさい…あの日の感覚を忘れたくなくて…」
「やるなとは言ってないが、試すなら本部にしとけ。で、成果は?」
電話の向こうで少しだけ間が空く。
『……体感15%までなら、安定して引き出せるようになりました。』
「充分だ(あれから5日で15%か…)」
その一言に、怜の声色が少しだけ柔らかくなる。
『え、本当ですか?ありがとうございます』
「褒めたわけじゃねぇぞ。上げすぎて飲まれるなよ」
『はい、分かってるつもりです」
怜の返事に迷いは感じられない。初任務の頃とは違う。
猿夢。地縛荒神。甲冑の怪異の暴走。赤い部屋。洸太との訓練。
その全てを経て、怜はようやく自分の力と向き合い始めていた。
タバコの煙を吐き出しながら、木庵は机へ置かれた資料へもう一度目を落とす。
家族を失った者だけを狙う怪異。断言は出来ないが怪異の正体は火車だろう。
「篠山」
『はい』
「明日の放課後、本部に来い。仕事だ」
『……私も行っていいんですか?』
「言っただろ。仕事だ」
怜は一瞬だけ息を呑んだ。
制御訓練が始まってから、実戦は5日ぶりになる。
恐怖がないと言えば嘘になる。
だが、それ以上に自身の力を試せる時を待っていた。
試したい。15%しか引き出せないとはいえ、人を超えた力を持つ自分が怖くもあるが、いつまでも足手纏いは嫌だ。
「分かりました。じゃあ学校が終わったら連絡します」
「あぁ。詳しい話は明日だ。じゃあ切るぞ」
電話を終えた木庵は、灰皿に吸い殻を押し付けた。
現在の時間は20時30分過ぎ。丁度、空腹だった。
腹拵えをする為にソファから立ち上がり、車のキーをポケットに捩じ込む。
行き先は決まっている。行きつけの中華料理屋だ。
上着を羽織り、部屋を後にした。
夜の帳が街を包み、その中でも街の明かりは煌々と輝いていた。
to be continued…
後編で怪異との決着付けます。
ふと、見返してたら怜が全然出てなかったので、17話目は木庵と怜がメインの話になります。
今後ともよろしくお願いします。