中央怪異対策機関   作:ざつざっつ

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遅くなりました。
まず、決してサボっていた訳じゃないんですよ。ただ、全く思い付かなかったら自然と進みも遅くなって…

とりあえず、ここまで見てくださってる方達には感謝してます。
他の色んな人の面白い作品とは別に、この作品を見てくださってくれてるのは励みになります。


FILE No.17「火車」後編

 

 

木庵から連絡があった翌日の放課後。

 

終業を知らせるチャイムが鳴ると同時に教室を飛び出した怜が、中央怪異対策機関の本部へ辿り着いた頃には、日は随分と傾いていた。

 

制服姿のまま受付を通り、地下駐車場まで降りる。無機質な蛍光灯の下、並んだ車の奥で見覚えのある黒いコンフォートを見つけると、その脇に立つ木庵もすぐ目に入った。

 

車体へ背中を預け、片手をポケットへ突っ込みながらタバコを吹かしている。

仕事前とは思えないほど気の抜けた姿ではあるが、足元には既に必要な装備が詰め込まれたバッグが置かれていた。

 

「お疲れ様です。待ちました?」

「いや別に」

 

木庵はそう言うと、吸い終わったタバコを灰皿へ押し込み、助手席を顎で示した。

 

「荷物後ろに放り込んで乗れ。現地まで2時間ちょい掛かる」

「はい」

 

怜が後部座席へ鞄を置き、助手席へ乗り込むと、ほとんど間を置かずエンジンが掛かった。

 

地下駐車場を抜けた車は夕方の渋滞へ飲み込まれ、街中をゆっくりと進んでいく。

 

助手席の足元には、昨夜白石から渡された事件資料が置かれていた。

怜は手持ち無沙汰もあってそれを拾い上げ、車が信号に引っ掛かる度にページを捲っていく。

 

失踪者三名、変死者一名。

 

その他にも夜中に家を抜け出そうとした者、山へ入ったところを発見された者、亡くなった筈の家族を見たと証言した者が複数いる。

 

そして、ほぼ全員に共通していることが一つあった。

 

「……木庵さん」

「あ?」

「この資料に"火車"って書いてますけど、次はこの怪異ですか?」

 

窓を開け、タバコの煙を外へ流していた木庵は、前方の車列から目を離さないまま答えた。

 

「可能性は高い。ただ、まだ決め付けるには早いな」

「資料には火車と似てるって」

「似てるだけだ。昔から火車って名前で纏められてる怪異はいくつもある。葬式から死体を攫う、罪人の死体を持っていく、燃える車を引いてきた……土地によって話が違いすぎる。今回みたいに死んだ家族の姿を使って生きてる人間を誘う奴も、過去には何度か記録がある」

 

木庵は信号が赤へ変わるのを見てブレーキを踏んだ。

 

「だから、現物見るまでは何とも言えねぇ。資料に火車って書いてあるから火車です、なんて仕事してたら、その内痛い目見るぞ」

「……はい」

「で、資料を眺めるのもいいが」

 

不意に声色が変わった。

怜は顔を上げる。

 

「昨日の件だ」

 

それだけで何を言われているのか分かった。

 

「……すみません」

「本部以外で勝手に力使うなって、前に言っただろ」

「…はい」

「別に四六時中お前を監視するつもりはねぇし、試すなとも言わねぇ。自分の中に何がいるか、分からねぇままなのも気持ち悪いだろうしな。ただ、一人でやるな」

 

木庵の言葉は普段と変わらず、怒鳴るでも説教臭く言うでもなかったが、その分だけ耳に残った。

 

ここしばらく、怜が人気の無い空き地で力を試したのは、単純に強くなりたかったからではない。

 

地縛荒神との一件で初めて、顕現した自分のものではない力。そして訓練を経て自ら引き出した、その感覚が忘れられなかった。

 

身体が異様なほど軽くなり、視界も音も、それまでより何倍も鮮明になる。

何より、自分にはこんな事まで出来るのだという万能感のような高揚があった。

 

怖い。

 

けれど、気分がいい。

その相反する感情が、何度も怜を空き地へ向かわせていた。

 

「15%だったか」

「……はい」

 

「7日でそこまで安定させたのは、まぁ大したモンだ」

 

思わず怜の表情が少し明るくなる。

 

「本当ですか?」

「別に褒めてねぇぞ」

「……」

「力が使えるようになる事自体は悪くねぇよ。怪異相手なんざ、使えるモンは何でも使った方がいい。ただしな」

 

信号が青へ変わり、車が再び動き始める。

 

「楽だから使う。強くなった気がするから使う。気持ちいいから使う。そうなったら一回止まれ。自分が力を使ってんのか、力に使われてんのか分からなくなるぞ」

 

怜は返事をしなかった。

少し耳が痛かったからだ。

 

「……私、そんなに危ないですか」

「今のところはな」

「今のところ……」

「だから監視を兼ねて俺の弟子として鍛えてる」

 

木庵はあっさり言う。

 

怜は横目で木庵を見るが、本人はタバコを咥えたまま前しか見ていない。

 

「そんなハッキリと…」

「面倒だから省いてるぞ」

「でも、言い方とか…」

「こんな言い方しか出来ねぇんだ」

 

いつもの調子へ戻ったやり取りに、怜は僅かに肩の力を抜いた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

市街地を抜け、高速道路から山側の県道へ入った頃には、周囲は完全に暗くなっていた。

 

街中では途切れることのなかった建物の明かりも徐々に減り、最後には車のヘッドライト以外に道を照らすものが殆ど無くなっている。

 

左右から山の斜面が迫り、道路脇を流れる川の音だけが窓越しにも聞こえてくる。

 

「この辺ですか?」

「あぁ。最初に襲われた軽トラも、この先で見つかってる」

 

被害者が怪異と遭遇した山道を通り過ぎ、更に15分程進むと、山々の間に挟まれた小さな集落が現れた。

 

東山地区。

 

古い木造家屋と畑が点在し、中心に小さな商店と郵便局、公民館がある程度の村だ。夜間の外出を控えるよう現地の協力組織から伝えられていることもあり、家々には明かりが点いているものの、外を歩く人影は全く見えなかった。

 

公民館の駐車場へ車を停めると、中から一人の男が出てくる。

 

40代後半で作業着姿で日に焼けた顔をしており、目の下には隠し切れない隈があった。

 

「中央の方ですね。高瀬です」

「木庵です。営業からざっくりと聞いてます」

「篠山 怜です。よろしくお願いします」

 

怜が頭を下げると、高瀬は少し驚いたように目を丸くした。

 

「随分若いですね」

「まだ見習いなんで。俺が見るから気にしなくて大丈夫です」

 

木庵が先に答える。

その言い方に、怜は少しだけムッとしたが、事実だったので今は黙っておいた。

 

「中へどうぞ。こちらで集めた資料は一通り纏めています」

 

案内された公民館の一室には、机の上へ村の地図や写真、聞き取り内容を纏めた紙が広げられていた。

 

協力組織と聞き、怜はもっと特殊な設備があるものを想像していたが、置かれているのは目に付く限り、古いノートパソコンと家庭用プリンター、それに地図へ手書きで印を書き込んだものくらいだった。

 

木庵は椅子へ腰を下ろし、癖のようにタバコを取り出しかけたが、壁に貼られた禁煙の文字を見て嫌そうな顔をした後、火を付けずに口に咥えるだけに留めた。

 

「昨日から変化は?」

「新しい死亡者はいません。ただ、今夜にも狙われると思われる方が一人います」

「理由は?」

「既に一度、怪異と接触しています」

 

高瀬は机の上から数枚の写真を選び、2人の前へ差し出した。

写っているのは山道や畑、杉林の入り口だった。

 

一見すると何の変哲もない場所だが、よく見ると道路脇や木の幹へ黒い焦げ跡のようなものが残っている。

 

「私も昨日、実際に見ました。青白い火と、古い荷車のようなものです」

「人型は?」

「いました。身体は黒くて、頭の位置に火が燃えていたように見えました」

「何か聞いてます?」

「私は聞いていません。ただ、被害者達はそれぞれ亡くなった家族の声を聞いています」

 

怜が資料へ目を落とす。

 

「やっぱり、全員家族なんですか?」

「今のところは。妻を亡くした人、夫を亡くした人、親を亡くした人。それぞれ違いますが、近しい家族ばかりです」

「友達とか恋人は?」

「聞いていません。血縁者か配偶者に集中しています」

 

家族。

 

その単語が耳へ入るだけで、怜の胸の奥が僅かに痛んだ。

 

怜には父と母、そして兄がいたが、既に3人共交通事故で死別していた。

幼い頃の記憶だが、忘れた訳ではない。

 

普段は考えないようにしているだけだった。

 

「証言に共通してる言葉は?」

 

木庵が資料を眺めながら怜へ尋ねる。

 

「え?」

「とりあえず読め」

 

怜は慌てて聞き取り記録を見直す。

 

何枚か目を通す内、似た言葉が何度も書かれていることに気付いた。

 

「……『迎えに来た』」

「他は」

「『帰ろう』とか、『一緒に行こう』」

「それだ」

 

木庵は資料の上を指先で軽く叩いた。

 

「無理矢理引っ張って殺してるんじゃねぇ。死んだ家族を見せて、本人から近付かせる。精神干渉か魂への干渉か、そこまでは分からねぇが面倒な相手だな」

 

高瀬がもう一枚資料を差し出した。

 

「次に狙われると思われるのは、坂本 孝志さんです。51歳。去年、奥さんを事故で亡くしています」

「怪異側から接触は?」

「3日前に一度。自宅裏の畑で奥さんの姿を見て、山へ付いて行こうとしたところを私が止めました」

「本人は今どうしてます?」

 

高瀬は少し言葉を選んだ。

 

「頭では偽物だと理解しているそうです。ただ……もう一度会いたい、と」

 

木庵の指が止まった。

ほんの僅かな変化だったが、怜はそれに気付いた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

坂本の家は村の中心から少し外れた場所にあった。

 

古い平屋建ての民家で、庭には季節の花が綺麗に植えられている。

玄関脇には小さな鉢植えまで並び、誰かが今でも欠かさず世話をしている事が分かった。

 

木庵が呼び鈴を鳴らすと、白髪交じりの男が出てきた。

 

「高瀬さんから聞いています」

「中央の木庵です。こっちは篠山」

 

最低限の挨拶だけで居間へ通される。

 

部屋へ入ってまず目に入ったのは仏壇だった。

中央には坂本と同年代くらいの女性の写真が飾られている。

 

柔らかく笑っている、ごく普通の写真。

 

だが部屋の中には、その女性がつい最近までここにいた事を感じさせるものがいくつも残っていた。

 

2人分の湯呑み。使われなくなった座椅子。壁に掛けられた旅行写真。

 

窓際には編みかけの毛糸まで置かれている。

 

「奥さんですか?」

 

怜が訊ねると、坂本は写真へ視線を向けた。

 

「恵子です。去年の今頃、事故でね」

「お…お気の毒に…」

「えぇ。隣町へ買い物へ行った帰りでした」

 

坂本は僅かに笑った。

 

「電話が来た時には、もう」

 

続きは言わなかった。

 

怜も何を返せばいいのか分からず黙る。

代わりに木庵が訊いた。

 

「3日前に聞いたと?」

「はい」

「どんな感じでした?」

「畑に立っていました。生きていた時と同じ服を着て、こっちを見て笑っていました」

「何か話をしました?」

「その時は何も。山の方へ歩いて行ったから……追い掛けました」

「途中で高瀬さんに止められたと」

「はい」

「その後は?」

「昨日から、家の外で声が聞こえるんです」

 

木庵の目が細くなる。

 

「何と?」

「帰ってきたよ、って。それから……一緒に行こうって」

 

部屋の空気が僅かに重くなった。

 

「今でも会いたいですか?」

 

突然だった。

それを聞いた坂本が顔を上げる。

 

「……それは」

「会いたいかってだけです」

 

暫く黙った後、坂本は小さく頷いた。

 

「会いたいですよ」

 

声が震えている。

 

「一年です。いきなりいなくなって、何も言えなかった。喧嘩した翌日だったんです。くだらないことで腹を立てて、朝も碌に話さないで送り出した。そのまま帰ってこなかった」

 

木庵は坂本が話すのを黙って聞いていた。

 

「もし本当に恵子だったら……いや、違うんでしょう。だってもういないんだから。分かってます。でも、もう一度だけ話せるなら、謝りたい。ありがとうって言いたい。それくらい……」

「それを利用されてますよ」

 

木庵が静かに言う。

坂本の言葉が止まった。

 

「会いたいと思うのは勝手です。悪いとも言わない。でも、見えてるモンを本人だと思わない方がいいですよ」

「……」

「今度来ても近付かないで。返事も無しです。俺達がいる間は勝手に外へ出ないように」

 

坂本は暫く俯いた後、ゆっくり頷いた。

 

「……分かりました」

 

だが怜には、その返事が妙に危うく聞こえた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

坂本宅を出た後、2人は高瀬の案内で周囲を歩いて回った。

 

これまで被害者が目撃された山道や、失踪者の靴が見つかった林の入り口、坂本が妻を追って入り込もうとした畑の奥まで実際に足を運び、残された痕跡を一つずつ確認していく。

 

資料だけを読んでいた時とは違い、現場へ立つと距離感がよく分かる。

 

坂本の家から山の入口までは思っていた以上に近い。

夜中に呼ばれてふらふら出て行けば、数分も掛からず林へ入れてしまう。

 

木庵は山道の途中で足を止め、地面へしゃがみ込んだ。

 

「ここだな」

 

怜も隣へ腰を落とす。

土の一部が黒く変色していた。

 

「…焦げてる?んですかね?」

「焦げてるように見えるだけだ。怪異の残穢が染み付いてる」

 

木庵は指先で土へ触れ、すぐに払った。

 

「火車で間違いないねぇな。多分、こっから村の中まで入ってる」

 

怜は辺りを見渡した。

 

山側へ近付くにつれ空気が妙に重い。

 

冷たい風が首筋を撫でたかと思えば、次の瞬間には生温い空気が頬へ触れる。

木々の奥から視線のようなものを感じるのに、振り向いても何もいない。

 

そんな場所を歩いているうち、怜は先ほどからずっと引っ掛かっていたことを口にした。

 

「木庵さん」

「なんだ」

「木庵さんも、家族を亡くしてるんですか?」

 

木庵の足が僅かに止まった。

 

「どうした急に」

「今回の怪異、家族を亡くした人を狙うじゃないですか。もし私達が術式を受けたらどうなるのかなと思って」

「お前は?」

 

逆に訊かれ、怜は少し言葉に詰まる。

 

「……いました」

「死んだ家族が?」

「はい。父と、母と……兄が」

 

口にすると、やはり胸の奥が痛んだ。

 

木庵は無理に慰めようとはしなかった。

 

ただ一度だけ怜を見て、「そうか」と答える。

 

「俺も親は死んでる」

「いつですか?」

「ガキの頃」

「怪異で?」

「あぁ」

 

木庵はタバコを取り出し、火を点ける。

 

深く吸い込んで、ゆっくりと煙を吐きだした。

 

「それだけですか?」

 

怜は訊いた。

木庵が僅かに眉を寄せる。

 

「今日はやけに人の家族構成を気にするな」

「今回の事件だからです」

「親が死んだ。それだけだ」

 

それ以上話す気は無いという態度だった為、怜も追及をやめた。

 

ただ。

答えるまでに、ほんの少し間があった。

 

まるで木庵本人も、何かを思い出そうとして思い出すのが嫌なように感じた。

 

そして、23時を過ぎた頃、坂本宅の周囲へ簡易結界を張った。

 

今回の目的は火車の侵入を完全に阻止することではない。干渉を弱め、近付いた瞬間を捕捉し、逃げ道を限定するためのものだ。

 

木庵は家の四方へ封縛札を置き、怜には補助札の位置を確認させた。

 

「ここから石垣までが内側。もし火車が入ったら俺が前を見る。お前は絶対に俺より前へ出るな」

「…分かりました」

「それと坂本」

「どうかしたんですか?」

「あのオッサンが外に出ようとしたら止めろ」

「怪異よりそっちの方が心配なんですか?」

「半々」

 

木庵は真顔だった。

 

「頭じゃ分かってても、気持ちは完全に向こうへ持ってかれてる。そういう状態の奴が一番危ねぇ」

 

怜には、その意味が少し分かる気がした。

 

もし自分の前に父や母、兄が現れたら。

偽物だと頭で理解していても、本当に手を伸ばさずにいられるのか。

 

今は自信がない。

 

準備を終えた2人は、坂本宅から少し離れた場所へ停めた車の中で待機した。

 

山の夜は静かだった。

 

遠くで虫が鳴き、風が吹けば木々の葉が擦れる。時計の針だけがゆっくり進み、日付が変わって暫くした頃、怜は何度目かの欠伸を噛み殺した。

 

その時だった。

 

坂本宅の方から、何かが落ちる音が響いた。

 

「……今の」

「行くぞ」

 

木庵は即座にドアを開けた。

 

2人が家へ駆け戻ると、庭先で坂本が結界札を剥がしていた。

 

「坂本さん!」

 

思わず、怜が叫ぶ。

 

振り返った坂本の目は明らかに普段と違っていた。

焦点が定まらず、頬には涙が流れている。

 

「邪魔しないでくれ!」

 

別の札へ手を伸ばした腕を、木庵が掴んだ。

 

「何してんだ」

「恵子が来てるんだ!」

 

坂本は必死に腕を振り解こうとする。

 

「裏にいる!さっきから呼んでるんだ!帰ってきたんだよ!」

「来てねぇぞ」

「来てる!声が同じなんだ!俺にしか分からないことも知ってた!」

「さっきも言っただろ」

「でも、本当に恵子だったらどうするんだ!」

 

その一言で、木庵の顔から気怠さが消えた。

坂本の胸元を掴み、自分の方へ強引に向かせる。

 

「いいか。死んだ者は死んだままにしとけ」

「……」

「何を考えてるか知らねぇが、無理に戻そうとすんな」

「お前に何が分かる!」

「分かる分からねぇの話じゃねぇよ。『ペット・セメタリー』って映画見た事ねぇのか。死んだ奴が帰ってきた、やった嬉しい、って結果、ロクな事にならなかっただろ」

「映画と一緒にするな!」

「今の状況と一緒だろ」

 

木庵は言い切った。

 

「アンタが会いたいのは奥さんだろ。だったら、奥さんの顔借りた別のナニカに尻尾振って付いてくな」

 

坂本の抵抗が少し弱まった。

 

「会いたい気持ちまで捨てろとは言わねぇ。言えなかった事があるのも分かる。でも、だからって化け物につけ込まれて、自分から死にに行くのは違う」

「……」

「大事ななんだろ」

「……大事だ」

「だったら、その思い出までも勝手にされていいのか?」

 

木庵は弱まっていく坂本の掴んだ手を離した。

坂本はその場で膝をつき、両手で顔を覆う。

 

怜は何も言わず、その様子を見ていた。

 

何故か分からない。

ただ、木庵の言葉だけが妙に重く聞こえた。

 

まるで、自分自身にも言い聞かせているように。

 

「篠山」

 

木庵に呼ばれて我に返る。

 

「結界を張り直すぞ」

「はい…」

 

結界を修復し、坂本を眠らせ家の奥へ下がらせた後、2人は少し離れた林の中へ移動した。

 

午前0時を過ぎた。

 

風が冷たくなり、さっきまで鳴いていた虫の声も一匹、また一匹と消えていった。

 

やがて周囲から殆ど音がなくなった頃、怜が顔を上げた。

 

「木庵さん」

「あぁ」

 

2人同じモノを聞いていた。

暗い山道の向こうから、何かが軋む音が近付いてくる。

 

ギィ……。

 

暫く間を置いて、もう一度。

 

ギィ……。

 

古い車輪が濡れた地面を転がるような、不快な音だった。

 

やがて木々の隙間から青白い炎が浮かび上がった。

 

一つ。また一つ。

 

その光に照らされるように、闇の奥から古びた荷車がゆっくり姿を現す。

 

車輪は焼け焦げ、荷台には煤のような黒いものが幾重にもこびり付いている。

 

その上に立っているモノは、人の形をしていた。

 

ただし、人間ではない。

 

黒く焼けた木を無理矢理人型へ組み上げたような身体で、腕は異様に長い。垂れ下がった指先が地面を擦り、歩く度に黒い跡を残している。

 

そして、首から上では青白い炎が燃えていた。

その炎の中で、ナニカがいくつも蠢いている。

 

「……アレが」

「来やがったな」

 

木庵はホルスターから、水平2連の散弾銃を取り出し構えた。

 

怜も拳銃へ手を伸ばす。

 

「篠山、俺から離れ過ぎんな」

「は、はい…」

 

火車が止まる。

頭部の炎が、一度大きく揺れた。

 

その瞬間だった。

 

怜の耳から、森の音が消えた。

 

「……え?」

 

周りを見渡すと、さっきまで隣にいた筈の木庵がいない。

 

坂本の家も、山も、何もない。

気付けば怜は、どこまでも続く暗闇の中に立っていた。

 

「木庵さん?」

 

返事は無い代わりに。

 

「怜」

 

聞き覚えのある声がした。

それを聞いた途端に全身が固まった。

 

暗闇の中から、3人の人影が浮かび上がる。

 

そこには死んだ筈の父。母。そして兄がいた。

 

顔は見えない。

 

3人共顔の部分だけを墨で塗り潰したように黒く、目も鼻も口も判別出来なかった。

 

それなのに、怜には分かった。

間違える筈がない。

 

「……お母さん?」

 

人影が一歩前へ出た。

 

「怜」

 

声だけは記憶のままだった。

 

幼少期に朝起こしてくれた声。

泣いている時に名前を呼んでくれた声。

 

「大きくなったね」

 

怜の喉が震えた。

 

「ずっと頑張ってたんだね」

「……」

「もう、頑張らなくていいの」

 

隣にいた兄が笑う。

 

「相変わらず泣き虫だな」

 

「お兄……ちゃん」

「昔から変わらないな」

 

顔がないのに、笑っている事だけが分かった。

 

父だけは何も話さなかったが少し後ろに立ち、黙ってこちらへ手を伸ばしている。

 

何かがおかしい。こんな事はあり得ない。

 

頭の片隅ではそう思っている。

 

父も母も兄も、もういない。

ここにいる訳がない。だって、もう死んでいるのだから。

 

それでも、縋りたかった。

 

「怜、おいで」

 

人影が手を伸ばした。

 

「一緒に帰ろう」

 

あと少し。

伸ばせば手が届く。

 

それにつられて怜の指先も、ゆっくり前へ伸びる。

 

その瞬間。

 

体の奥底、つまり魂の奥で、何かが動いた。

 

心臓とは違う場所から、重い鼓動が一度響く。

 

「……ッ」

 

胸の中ではない、もっと深い所。

 

自分という存在の奥底へ、火車の術式が入り込んでいる。

 

記憶を探り、感情を掻き回し、最も痛い場所を探しながら、更に深く手を伸ばしてくる。

 

だが火車は知る由も無いが、踏み込み過ぎた。

 

怜の魂には、既に別の何かがいる。

 

触れてはいけない場所に触れた瞬間、魂の底から途轍もなく重い気配が滲み出した。

 

金属同士が擦れるような音が、どこからともなく響く。

 

幻が揺れた。

 

「……え、何?」

 

母の顔を覆っていた黒い影が剥がれていく。

 

ようやく顔が見える。

そう思った怜は、次の瞬間には息を呑んでいた。

 

そこに母はいなかった。

見知らぬ女だった。

 

血の気を失った顔を苦痛に歪め、落ち窪んだ目でこちらを見ている。

口元は震え、助けを求めているようにも見えるのに、そこから出てくる声だけは母のものだった。

 

「怜」

「……誰?」

 

ふと、隣を見ると兄だと思っていたモノも違う。

 

自分の記憶にある兄ではなく、見知らぬ青年が泣きながらこちらへ手を伸ばしている。

 

父も同じで、全く知らない男だった。

 

更にその背後には今までただの暗闇だった場所から、何十人もの死者が浮かび上がってくる。

 

老人、若い女、中には子供もいる。

 

誰一人として怜の知っている人間ではなかった。

ただ、全員同じ顔をしている。

 

苦しみや恐怖、そして助けを求める顔。

 

そこで、怜は理解した。

 

火車は家族を蘇らせてなどいない。

 

火車に取り込まれた死者へ、記憶の中にある家族の姿を被せていただけだ。

 

「怜」

 

亡者が母の声で呼ぶ。

 

「こっちへおいで」

 

胸の奥に湧いたのは、もう悲しみではなかった。

怒りだった。

 

「……違う」

「怜」

「違う。黙って」

 

怜は自分の中へ意識を沈める。

 

怖い。

 

自分の中にある力を引き出すことは、今でも怖い。

 

使う度に、自分の中に別のナニカがいるという事実を突き付けられる。

 

それでも今は恐怖よりも、目の前の怪異への怒りの方が強かった。

黒い感情とでも呼ぶべき怒りが、身体の芯に生まれた熱が、血流と一緒に四肢へ広がっていく。

 

出力を上げる度に、周囲の世界が鮮明になった。

 

今まで空き地で試した時とは違う。

目の前に敵がいる。

だからなのか、力が自分の意思へ応える感覚も強かった。

 

今の怜が出せる限界の15%へ到達した瞬間、認識していた世界が完全に変わる。

 

火車の術式が"見えた“。

 

黒い糸のような瘴気が何重にも絡まり、自分の魂へ食い込んでいる。

記憶へ触れ、感情を探り、痛みのある場所だけを選んで引っ張り出している。

 

「私のお母さんは……」

 

怜は目の前の亡者を睨む。

 

「そんな顔じゃない」

「怜」

「その声で呼ばないで」

 

兄の声もする。

父は黙ったまま手を伸ばしている。

 

「私の家族を……」

 

怜は拳を握った。

 

「勝手に使うな!」

 

感情に身を任せ、一気に力を解放した。

 

魂へ絡み付いていた黒い糸が張り詰め、次々と千切れていく。

 

母の姿が崩れ。兄が黒い煙となり。

最後まで何も喋らなかった父の影も消えた。

 

世界に亀裂が走った、次の瞬間。

 

怜の意識は現実へ引き戻された。

 

「はぁ……っ、はぁ……!」

 

湿った山の空気が肺へ入る。

 

目の前には林が広がり、坂本の家もある。

そして火車がそこにいた。

 

「木庵さん……!」

 

すぐ近くにいる筈の木庵を探す。

 

数m先で木庵は立ち尽くしていた。

散弾銃を持つ腕をだらんと下ろし、何も無い場所を見つめている。

 

足元には、吸いかけのタバコが落ちていた。

 

あの木庵が戦闘中に呆けている。

一緒に怪異を祓い、常に気怠さの中に余裕を持っている筈なのに、今では糸が切れた人形のように立ち尽くしている。

それだけで異常だと分かった。

 

「木庵さん!」

 

怜は木庵の側へ駆け寄った。

 

「しっかりしてください!」

 

肩を掴んで揺さぶる。

 

反応がない。

 

「木庵さん!」

 

頬を叩き、何度目かの呼び掛けで、ようやく瞳が動いた。

 

「……篠山か?」

「大丈夫ですか?」

 

木庵は数秒ほど怜を見つめた後、周囲を見回した。

 

火車が視界へ入った瞬間、表情だけはいつもの木庵へ戻る。

 

「……なるほどな。随分趣味の悪ぃ術式使いやがる」

「…何を見たんですか」

「後だ。それより"力"を解放してんだろ?一気にやるぞ」

 

木庵は地面へ落ちていた消える寸前のタバコを踏み消し、新しいタバコに火を点けた。

 

「今は仕事を終わらせるぞ」

 

火車の炎が大きく揺れた。

 

術式を破られた事を理解したのか、荷車が激しく軋み、黒い腕が二人へ向かって伸びてくる。

 

木庵は半歩だけ身体をずらしてそれを躱すと、そのまま二発撃ち込んだ。

 

ドンッ!ドンッ!重低音と共に退魔の術式を刻んだ弾丸が腕へ食い込み、黒い瘴気が噴き出す。

 

「篠山、まだ見えてるか」

「はい!」

 

15%の力を維持している怜には、さっきまで見えなかったものが見えていた。

 

火車の頭部に纏う、青白い炎の奥。

そこに幾重もの黒い糸が集まり、核のような塊を作っている。

 

「炎の中に何かあります!」

「核か?」

「分かりません!でも、瘴気が濃くなっている箇所が!」

「じゃあ、ソレが核だ」

 

木庵は腰のポーチから札を取り出し、火車を囲むように投げた。

札が地面へ貼り付くと、四方を繋ぐように光が走り、荷車の動きが止まる。

 

「篠山!」

 

木庵が言う前に怜は駆け出していた。

甲冑の怪異の力を引き出した身体は、自分のものとは思えないほど軽かった。

 

一歩地面を蹴るだけで距離が一気に縮む。

青白い炎が目の前まで迫る。

 

『怜』

 

母の声がした。

足が僅かに鈍る。

 

『待ってよ』

 

今度は兄の声。

 

怜は歯を食いしばった。

 

「それはもう効かない!」

 

拳銃を構える。

 

炎の奥の黒い塊へ照準を合わせる。

 

引き金を引いた。

 

撃つ度に青白い炎が揺れ、その奥にある核へ亀裂が入っていく。

火車は荷車を激しく軋ませ、封縛から逃れようと暴れた。

 

「そのまま撃て!」

 

木庵も別方向から銃弾を叩き込む。

 

火車の身体から黒い瘴気が噴き出していく。

やがて札の一枚が耐え切れず燃え上がった。

 

「チッ」

 

拘束が緩み、火車の腕が怜へ振り下ろされた。

咄嗟に横へ跳ぶ。

 

腕が地面を抉り、土と石が飛び散る。

そこへ木庵が弾丸を撃ち込み、火車の注意を自分へ引き付ける。

 

「こっちだ、クソッタレ」

 

火車が木庵へ向く。

 

「今だ、やれ!」

 

怜はもう一度踏み込んだ。

マガジン内の弾はさっきので撃ち尽くした為、残っていない。

 

新しいマガジンを装填?いや、遅い。

今なら届く。こっちの方が早い。

 

怜は拳銃を放り、青白い炎へ手を突っ込んだ。

 

「ッ……!」

 

炎の中に手を入れているのに熱くない。

逆に凍るように冷たい。

 

指先へ何かが触れた。

 

黒い塊。1番瘴気が濃い箇所、コレが核だろう。

怜はソレを掴んだ。

 

瞬間。

 

無数の声が頭の中へ流れ込む。

 

"会いたい"。"戻ってきて"。"一人にしないで"。

"死にたくない"。"置いていかないでくれ"。

 

火車に取り込まれた者達の声だった。

怜は涙が出そうになるのを堪える。

 

「もう……」

 

核を掴んだ手に力を込める。

 

「終わりにして!」

 

そして一気に核を引き抜き、そのまま砕いた。

 

火車の身体が大きく仰け反る。

 

「バカ無理すんな!(核を素手で破壊しやがった…)」

 

耳を叩くような衝撃と共に青白い炎が大きく膨れ、すぐに一点へ吸い込まれるように収縮した。

 

荷車が燃え尽き。黒い人影も砂のように崩れ、夜風にさらわれていく。

 

最後に残った青白い火も、小さく揺れて消えた。

怜はその場へ膝をついた。

 

「……終わったんですか」

 

木庵は暫く火車が消えた場所を見つめた後、銃を下ろした。

 

「あぁ…」

 

懐からタバコを一本取り出し、火を点ける。

 

「終わりだ」

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「木庵だ。終わったぞ。火車で間違いなかった」

『お疲れ様でした』

 

電話越しの白石の声を聞きながら、木庵は夜明け前の空を見上げていた。

 

『被害はありましたか?』

「こっちは無し。被害者も無事だ」

『了解です。処理班を向かわせます。忘却処理は予定通り広域術式で?』

「あぁ。今回みたいに目撃者が多いと、一人ずつやってられねぇ」

『分かりました』

 

電話を切ってから一時間もしないうちに、中央の処理班が村へ入った。

 

慣れた手付きで道具を広げ、術式の起動準備を行う。

村全体を対象とした広域忘却術式。

 

怪異に関係する記憶を曖昧にし、夢や事故、別の出来事として置き換えていく処理だ。

 

木庵が後始末を処理班へ任せ、帰り支度をしていた時だった。

 

「待ってくれ」

 

坂本が呼び止めると木庵は面倒そうに振り向いた。

 

「なんだ」

「さっきの話、聞いてたぞ。俺の記憶も消すのか」

「そういう決まりだ」

「……嫌だ」

「何?」

「嫌なんだ」

 

坂本の声は震えていたが、先程とは違う。

 

今度は目がしっかりしている。

 

「あれが恵子じゃなかったのは分かってる。化け物だったのも分かってる。でも……声を聞いた。姿を見た」

「奥さんの記憶まで消す訳じゃねぇぞ」

「分かってる。でも俺にとっては繋がってるんだ」

 

坂本は木庵を真っ直ぐ見る。

 

「あの時、もう一度会いたいって思ったことも、追い掛けたことも、全部俺の記憶なんだ。それまで消されたくない」

「……」

「頼む」

 

坂本は深く頭を下げた。

 

「この記憶だけは取らないでくれ」

 

木庵は何も言わなかった。

暫く坂本を見た後、タバコを一本取り出し、火を点ける。

 

一口吸ってから、ゆっくり煙を吐いた。

 

「一つ条件がある」

 

坂本が顔を上げる。

 

「怪異のことは誰にも話すな」

「分かった」

「誰にもだ。ネットなんてもってのほかだ。酒飲んでポロッと喋ったとかも通らねぇ」

「……」

 

そこで木庵の目が冷たくなる。

 

「もし一度でも外へ漏らしたら、その時は俺達が動く」

 

怜は少し離れた場所で、その言葉を聞いていた。

 

「そん時は記憶を消すんじゃねぇ。アンタ自身に、この世から消えてもらう。アンタが漏らした奴も全員だ」

 

木庵の態度から、決して冗談ではないのが伝わる。

誰が聞いても分かる声だった。

 

「それでも残したいって言うなら、俺から処理班には話してやる」

 

 坂本は暫く黙っていた。

 

「お願いします」

 

そして、はっきりと答えた。

 

「それでも、忘れたくない」

 

木庵はタバコを指で弾き、灰を落とす。

 

「……分かった」

 

それだけ言うと、処理班の方へ歩いていく。

怜は坂本を一度振り返った後、その背中を追った。

 

「…ありがとう」

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

村を出る頃には、山の向こうから朝日が昇り始めていた。

 

昨夜まで不気味に見えた林も、朝の光を浴びればただの静かな山に戻っている。

 

助手席に座った怜は、流れていく景色を暫く黙って眺めていた。

 

身体は疲れているのに、不思議と眠気は来なかった。

 

「木庵さん」

「あ?」

「聞いてもいいですか」

「内容による」

 

いとも簡単に人を消すと言っていた人物とは思えないが、口振りはいつもの木庵だった。

それが少しだけ安心する。

 

「火車の術式です」

 

ハンドルを握る指が僅かに動いた。

 

「私、家族を見ました」

「……そうか」

「お父さんと、お母さんと、お兄ちゃんです」

 

木庵は前を見たまま聞いている。

 

「最初は本当に本人だと思いました。顔も見えないのに、どうしてか絶対そうだって思って」

「そう思わせる術式だからな」

「はい…でも、途中で違うって分かりました」

 

怜は自分の手を見る。

 

「私の中にいる……アレの所為だと思います。火車が私の魂に入り込み過ぎて、何かに触れた瞬間に術式が崩れたんです」

「なるほどな」

「それで'力"を引き出したら、家族じゃないって見えました。全部知らない人だった」

 

暫くして、怜は木庵を見る。

 

「木庵さんも、術式受けてましたよね」

「まぁな」

「何を見たんですか?」

「言いたくねぇ」

 

即答だった。

怜は少し驚いた。

 

「家族ですか?」

 

木庵は答えなかった。

窓を少し閉め、火が消えないようにタバコに火を点けた。

 

「前に言っただろ。俺はガキの頃に親を亡くしてる」

「はい…」

「それだけだ」

「木庵さん?」

「……何でもねぇよ」

 

タバコの灰を灰皿へ落とす。

 

「ただな」

「はい」

「死んだ奴は戻らねぇ」

 

怜は黙って聞いていた。

 

「今回みたいに戻ってきたように見える事はある。霊として残る奴もいるし、怪異が真似る事もある。でも、生きてた頃と全く同じ人間がそのまま帰ってくる訳じゃねぇ」

「……はい」

「だから」

 

 木庵は前を見たまま続ける。

 

「忘れなくていいんじゃねぇか」

 

怜が横を見る。

 

「坂本さんの事ですか?」

「さぁな」

「適当ですね」

「適当でいいんだよ。忘れたくねぇなら覚えときゃいい。辛かろうが何だろうが、ソレを含めて自分の記憶だろ」

「木庵さんも、そうなんですか?」

「俺?」

「ご両親のこと、覚えていたいですか」

 

木庵はすぐには答えなかった。

 

山道を下りるにつれ、少しずつ家や店が増えていく。

暫くしてから、木庵は煙を吐いた。

 

「……忘れる方が気味悪ぃだろ」

 

その言葉を口にした瞬間。

 

胸の奥に、妙な違和感が走った。

自分で言った筈なのに言葉だけが、自分自身へ突き刺さったように感じる。

胸の奥に、ぽっかり空いた場所がある。

 

「……木庵さん?」

 

怜の声で我に返る。

 

「何でもねぇ」

「またそれですか」

「大人には色々あんだよ」

「都合のいい言葉ですね」

「便利だぞ。お前も30越えたら使え」

「まだ10年以上あるんですけど」

「じゃあ覚えとけ」

 

怜は呆れたように笑った。

 

それから暫く、2人は何も話さなかった。

 

ラジオから古い曲が流れ始める。

 

怜は窓の外を見ながら、昨夜見た家族の姿を思い出していた。

 

アレは偽物だった。

声も姿も、全て火車が作ったものだった。

 

それでも母に名前を呼ばれた瞬間に感じた嬉しさまで、嘘だったとは思わない。

 

会いたかった。勿論、今でも会いたい。

 

その気持ちは、きっとこれからも消えない。

怜ははシートへ身体を預け、ゆっくり目を閉じた。

 

死んだ人間は戻らない。

 

だからこそ生きている側が覚えているしかない。

 

暫くすると、助手席から規則正しい寝息が聞こえ始めた。

 

木庵は一度だけ怜の方を見る。

 

「……よくやった」

 

聞こえていないと分かっていて、小さく呟いた。

 

車は朝の街へ近付いていく。

 

木庵は前を見ながら新しいタバコを咥える。

胸の奥に残る説明のつかない空白は、まだ消えていなかった。

 

そんな感覚だけが、煙草の煙と一緒に胸の奥へ残っていた。

 

 

 

 

 

 

to be continued…

 

 

 





なんだかんだ17話目後編、完成しました。

少しずつだけど、評価してくださる方がいるのはマジ嬉しいんで
今後ともよろしくお願いします。

ゴジラ楽しみです。しばらくは混雑するから日付ズラすけど…
早く見てぇ…
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