中央怪異対策機関   作:ざつざっつ

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第6話完成しました。前回の後日談みたいな感じの日常回にしました。

見てくださってる方ありがとうございます。
励みになるので、頑張ります。
よろしくお願いします。


FILE No.6「依代」

 

中央怪異対策機関本部、最上階の会議室。

 

窓の外は鈍い曇天で、弱い光がブラインド越しに机上へ落ちているが、その光すらこの場の空気を和らげるには役不足だった。

 

長机を囲む4人の間には、最初から雑談の余地などない。

 

会議室最奥、中央の機関本部長である皚々向嶽。

 

腕を組み、背もたれに深く身体を預けている。表情は薄い。だが、その沈黙に慣れている人間ほど、この男が黙っている時の方が余計な言葉を挟みにくいと知っている。

 

右手には営業部長の白石真広。

 

きっちり整えた資料を前に置き、眼鏡の位置を直しながらタブレット画面を確認している。だが、その表情は暗い。地縛荒神の報告、詳細及び、本件で殉職した3名の報告もするのだから暗い表情なのも無理は無い。

 

左手には斎蔵院宗近。

 

椅子の背にもたれ、片脚を軽く組んだまま、気怠げな顔で天井を見ている。だがその姿勢に反して、細く開いた目は醒めており、場の流れを冷静に測っているのが分かる。

 

そして、その隣——黒峰環。

 

「つーか相変わらず木庵のバカ、おせーな」

「いつもの事じゃねェかよ。気にするだけムダだ」

 

この場で最もピリピリとした雰囲気を醸し出している女だった。

 

長い脚を遠慮なく組み、肘を机について資料を乱暴にぱらぱらとめくる。読む速度が妙に速い。

流し見しているようにしか見えないのに、目はしっかり必要な箇所を拾っているらしい。

 

両サイドを短く刈り上げ金色に染め上げたトップスに色の薄いサングラスの隙間から覗く目つきは鋭く、元々愛想のある顔立ちでもないせいで、初対面の相手ならそれだけで気圧されるだろう。

 

中央所属の上級祓い屋、黒峰環。

 

血筋も無い状態でひたすら己を鍛え上げ、上級に上り詰めた実力の持ち主。

力押しも理詰めもできるが、口より先に手が出るタイプとして悪名高い。

 

祓い屋としての実力は折り紙付きで、荒事になれば宗近と並んで中央の切り札扱いとされる存在だが、その分こういう会議や畏まった場でも遠慮というものが一切ない。

 

最後に、遅れて入ってきた木庵が空席へ腰を落とした。

 

「スンマセン本部長、寝坊しました」

「遅いぞ木庵」

「へーい、気を付けます」

 

特に悪びれる事も無さげに呟く。

それ以外の面々は気にもしない。

咎めても特に治る事もないので、中央の人間は最早その態度に諦めていた。

 

環が資料から顔も上げず鼻を鳴らした。

 

「お前が拾った面倒事だろが」

「俺の所為みたいに言うなよ」

 

木庵が椅子にもたれたまま返す。

 

宗近が薄く笑った。

 

「バカ言え、お前だろ」

 

白石が3人のいつもと同じようなやり取りを苦笑しそうになって、しかし場違いだと気づいて表情を引っ込めた。

 

皚々が短く言う。

 

「まぁいい。始めるぞ」

 

それだけで空気が締まる。

 

白石が資料を開いた。

 

「営業部より本件の概要をご報告します。現場は埼玉県山間部、旧嶽地村跡地の廃神社。当初は土地怪異反応、下級相当と判断し、営業担当一名、下級祓い屋二名を派遣いたしました。3名殉職です…」

 

モニターに現場写真が映る。

 

崩れた社殿、裂けた地面、そして無残に潰れた遺体。

 

環が即座に吐き捨てた。

 

「見立て甘ぇな」

 

白石がわずかに眉を下げる。

 

「……申し訳ございません」

「謝れなんて言ってねぇよ。こんなの下級案件で流したらそりゃ死ぬな」

 

宗近が頬杖をつきながら画面を見る。

 

「営業の最期のメールは?」

 

白石が画面を切り替える。

 

断続的な文面が表示される。

 

『社の中にいます。空気が重い。祓い屋2名と共に霊障確認』

 

『土地怪異のレベルを超えている』

 

『こんな筈じゃなかった。死にたく』

 

 

そこで途切れている。

 

木庵は無言で画面を眺めていた。

 

環が舌打ちする。

 

「土着神か?」

 

白石が頷く。

 

「宗近様と我々で再調査した結果、あの土地にはかつて集落の守り神が祀られていました。集落消滅後、信仰は途絶え、不法投棄や自殺、遺棄事件など負の蓄積を長年受け……神格が穢れを取り込み荒神化したものと推定されます」

 

宗近が低く笑う。

 

「守り神が祟り神にか、ありがちな話だ」

「ありがちで済ませるには3人死んでんだよ」

 

環が机を指で叩く。

 

「まぁ、地縛荒神はいい。済んだ事だからな。次は篠山怜だ」

 

その名前が出た瞬間、会議室の空気がもう一段階重くなる。

 

ここにいる全員が、怜という見習い祓い屋の経歴を知っていた。

 

軽率な降霊術。

 

親友の死。

 

その責任の果てにその身に怪異を宿し、対策機関に拾われた少女。

 

ただし、その怪異の深い事情。

 

なぜ20年という猶予を口にしたのか。

 

何故、篠山怜を依代としたのか。

 

そこだけは皚々と木庵、当事者である怜本人でさえ知らない。

 

だからこそ、今この場で共有される情報の重さが違った。

 

皚々が顎を引く。

 

「木庵」

「はいはい」

 

木庵は頭を掻いた。

 

「現場で篠山が瘴気に当てられて霊的侵食を受けた。そして、地縛荒神の攻撃の余波で巻き添えを食らった。で、依代の危険を感じたのかヤツが顕現した」

 

「ちょっと待て、お前そんな状態のヤツを現場に連れてったのか?」

「…あぁ、そうだが?」

「なんでだ」 

 

環が割り込む。

木庵は一瞬だけ黙り込んだ。

 

だが、取り繕う気もないらしい。

 

「……20年の契約が引っ掛かる。その時が来たら死ぬなら、それまでに死ぬ危険があれば何かしらの形でヤツが出てくるんじゃねぇかってな」

 

ぽつりと口を開く。

 

「で、猿夢みたいな雑魚じゃなく今回みたいなデカい案件なら、何かしら反応出るかと思った。結果はビンゴだ」

「ビンゴだ、じゃねーよ」

 

白石が目を見開く。

 

「それはつまり……彼女を意図的に危険な現場へ?」

「ちなみにコレに関しては本部長の許可貰ってる」

「…分かりました」

 

あっさり言い切る木庵に、白石の顔が思わず引き攣る。

 

環の目が鋭くなる。

 

木庵は無視して続ける。

 

「で、ソイツは地縛荒神を一撃で祓った。その後、俺と宗近に矛先変更。半端に出ただけでアレだ」

 

宗近が補足する。

 

「俺が抑えられたのは顕現が浅かったからだ。深く出ていれば、お嬢ちゃんの身体ごと潰すのも辞さないつもりだった」

 

白石の顔色がさらに悪くなる。

 

だが環だけは、そこで妙に口元を歪めた。

 

「……はっ」

 

笑った。

 

乾いた、面白くなさそうな笑いだ。

 

「見習いのガキ一人の中に、上級案件を瞬殺する怪異か。やれやれだな」

 

木庵が肩をすくめる。

 

「こっち側で制御して使えるようにすれば、便利だと思ったんだけどな」

「便利で済ますなアホ」

 

環が即座に返す。

 

だがその目は完全に祓い屋の目だった。

 

脅威を測る目。

 

ただの興味本位などではない。

 

戦った事はなくとも、報告だけで十分に危険度を計算している。

 

彼女が上級たる所以はそこにある。

 

感情より先に、キチンと判断して敵を測る。 

勿論、感情も先に出る事は多々あるが。

 

そして必要なら躊躇なく叩き潰す。

 

「で、どうした?引っ込んだのか?」

 

環が問う。

 

宗近が頷く。

 

「とりあえずは」

 

「とりあえず、か」

 

環の指先が机をとんとん叩く。

 

一定のリズム。

 

苛立っている時の癖だ。

 

「つまりまた出てくんのか?」

「まぁな」

 

誰も否定しない。

 

沈黙が落ちる。

 

白石が息を詰める。

 

宗近は目を伏せる。

 

木庵はだるそうに椅子へ沈んだまま答える。

 

「だが、篠山はソイツを抑え込めた。つまり、なんとかなる」

「適当か」

 

皚々だけが全員を見渡し、低く口を開いた。

 

「……改めて篠山怜の処遇を決める必要があるな」

 

皚々の低い一言が落ちた瞬間、それまで報告書の延長線上にあった会議の空気が、再度、目に見えて質を変えた。

 

ここから先は、篠山怜という一人の見習い祓い屋を、中央が“祓い屋として扱うか”“危険物として扱うか”を決める話になる。

 

白石が小さく喉を鳴らし、資料の端を揃え直した。

 

環は露骨に面倒くさそうな顔をしながらも、組んだ脚を解いて机に肘をつく。

 

宗近だけが、妙に気の抜けた顔で椅子にもたれたまま、くるりとペンを指先で回していた。

 

「で?」

 

その宗近が、口を開く。

 

「あのお嬢ちゃんをこのまま現場に出していいのか、それとも今のうちに首輪付けるか、最悪始末しとくかって話でしょ」

 

白石の肩がびくりと揺れた。

 

言い方に一切の遠慮がない。

 

環が横目で宗近を見る。

 

「雑な言い方だな」

「分かりやすい方がいいだろ。回りくどい会議って眠くなるし」

 

宗近は悪びれもなく言い放つ。

 

木庵が椅子にもたれたまま呟く。

 

「始末は早ぇよ」

「おいおい、そんな事言ってる場合か?」

 

宗近の返しは軽いのに、内容だけは妙に生々しい。

 

「別に情がないわけじゃないけどさ。次にアイツがもう一段階深く出た時、誰が止めるのって話。今回は俺がいたから何とかなった。毎回そう都合よく上級が揃うと思うか?」

 

白石が慎重に口を挟む。

 

「現実的には……難しいですね」

「だろ?」

 

宗近は白石へ指先を向ける。

 

「なんせ、俺達上級は忙しいし」

 

白石は困ったように曖昧に会釈した。

 

環が机を指で叩きながら、低く唸る。

 

「ただ処分一択ってのも短絡だな」

 

宗近が眉を上げる。

 

「ほう、環ちゃん優しい」

「気色悪ぃ呼び方すんな」

 

即座に一蹴し、環は木庵へ視線を向けた。

 

「木庵。お前、篠山の中の怪異についてどこまで掴んでる」

 

木庵は頭を掻く。

 

ダルそうな仕草のまま、数秒だけ黙った。

 

「……全然」

「知ってる範囲内でいいから話せ」

 

環の声音は荒いが、目は真剣だ。

 

木庵の代わりに皚々が口を開く。

 

「篠山怜に初めて会った時、魔眼による霊視で彼女を視た。正体は不明だが恐らく途轍も無く古い怪異だ。平安クラスのな。そこまでしか絞れなかった。何せ、それ以上視ようとするとヤツが彼女を通して反応をしたからだ」

「本部長の読み、案外正しいと思いますよ。地縛荒神を祓った時、手にした木材を刀に変質させたのも咄嗟の本能芸じゃ説明つかないし」

 

宗近が口元を歪めた。

 

「武士とかそんな類いだな、ありゃ」

 

白石は慎重に言葉を選ぶ。

 

「では……人間由来の高位怪異、もしくは平安時代の武士と見るべきでしょうか」

「下手すりゃそれ以上だ」

 

環が吐き捨てる。

 

「年代物ってのは、それだけで面倒なんだよ。長く残るほど自我が削れてるか、逆に研ぎ澄まされてるかのどっちかだ。今回のは聞く限り、後者寄りに見える」

 

環の話を聞いていた宗近は薄く笑ったまま椅子を軋ませた。

 

「まぁなんにせよ、20年って区切りがあるなら、少なくとも“今すぐ依代を食い潰すタイプ”じゃないって事だ。衝動で暴れて全部壊すだけの怪異より話が見える」

 

皚々が再び口を開く。

 

「同感だ」

 

短い肯定。

 

室内の視線が皚々へと集まる。

 

皚々は腕を組んだまま続ける。

 

「極めて危険な爆弾ではある。だが、すぐに爆発する訳では無さそうだ。意思がある以上、顕現条件も行動原理もある程度は読める」

 

環が頷く。

 

「私も同感です。今回の現場を見る限り、顕現の引き金は高濃度の瘴気と依代への生命危機。それに有り得るなら依代本人の精神が押し潰されたタイミングでも顕現の可能性はありますよ」

 

木庵がぼそりと付け足す。

 

「篠山が抗えなくなった瞬間だな」

 

宗近がペンを止めた。

 

「じゃあ話は簡単だ」

 

軽薄な笑みのまま、淡々と告げる。

 

「篠山怜を普通の見習いとして扱うのは今日で終わり。今後も木庵による監視の継続。高濃度怪異案件への単独投入は基本禁止。顕現兆候が出た時の即時対応班を作る。この辺が現実的でしょ」

 

白石が資料へ走り書きを始める。

 

環が続ける。

 

「加えて今後、制御が難しそうなら私が洸太と同じようにする」

 

木庵が顔をしかめた。

 

「篠山が嫌がるぞ。その手段は洸太だから上手い事いったんだろ」

「嫌がる嫌がらねぇの話してんじゃねぇよ」

 

環がぴしゃりと返す。

 

「このまま何も知らずに野放しの方がよっぽど危険だ」

「分かった、分かった。お好きにどうぞ」

 

木庵は舌打ちこそしなかったが、口元がわずかに歪む。

 

反論できない。

 

宗近がにやにやしながら横を見る。

 

「お、木庵が押されてるぞー」

「うるせぇよ」

「いやァ、でもさ」

 

宗近は机に頬杖をついた。

 

全員の視線が宗近に集まる。

 

宗近は口角を吊り上げる。

 

その笑みの裏に、祓い屋特有の薄暗い好奇心が滲んでいた。

 

「篠山本人、どこまで自分の中身を理解してんの?」

 

その問いに、一瞬だけ誰も答えない。

 

木庵が、ほんのわずかに目を細める。

 

宗近は続けた。

 

「知らないまま使うのはそろそろ限界でしょ。あの子、自分が何抱えてるか半端にしか分かってない顔してたし」

 

白石が慎重に言う。

 

「本人への説明も必要、ということでしょうか。ですがどのタイミングで…?」

「必要っつーか、もう避けらんないでしょ」

 

宗近は肩をすくめる。

 

「次また暴走して、何も知らずに泣かれても面倒だしさ」

 

その軽い物言いとは裏腹に、内容は核心だった。

 

怜はまだ、自分の中にいるものの恐ろしさを断片的にしか知らない。

 

だが現場では、確かに自分の身体が奪われた。

 

その記憶がどこまで残っているにせよ——このまま黙っておくには、もう遅い。

 

皚々が静かに目を伏せる。

 

数秒の沈黙。

 

やがて低く言った。

 

「……本人への説明は段階を見て行う」

 

そして視線を上げる。

 

「それまでは木庵、引き続き彼女を鍛えてくれ」

 

木庵はだるそうに頭を掻いた。

 

「鍛えるのも俺すか」

「お前以外に誰がやる」

 

宗近がくつくつ笑う。

 

「保護者役お疲れさん」

「殺すぞ」

「お前が俺を?無理無理やめとけ」

 

軽口が飛ぶ。

 

だが、会議の流れは決まった。

 

篠山怜は処分保留。

 

監視継続。

 

そして——いずれ来る本人への説明準備。

 

一人の見習い祓い屋を巡る問題は、地縛荒神の件が終わり、ようやく動き出そうとしていた。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

会議室を出た木庵は、自室に戻るなりタバコに火を点けた。

 

重い話ばかりだった。

地縛荒神の報告、怜の中の怪異、処遇、監視、封印。どれも机の上で片付く話ではないレベルだが、会議という形に押し込められるとそれだけで余計に疲れる。

 

ソファに沈み込み、煙を吐く。

 

その直後、扉が開いた。

 

「なぁ、木庵」

 

紫と白のツートンカラーのロングを揺らして、由香が遠慮なく入ってきた。派手なパンク風の服装。肩にはライフルケース。同年代の女性の中では十分に物騒な格好だが、本人はいつも通りだった。

 

木庵は目だけ向ける。

 

「ノックしろよ」

「した。アンタが聞いてなかっただけ」

 

由香は勝手に部屋内にある作業台の椅子を引き、向かいに座った。

 

「地縛荒神の件、聞いた」

「耳が早ぇな」

「本部中で噂になってる。確か現場に宗近さん出たんでしょ」

「暇か」

「暇じゃない。怜ちゃんのことが心配で来たんだっつーの」

 

その名前で、木庵のタバコを持つ指が一瞬だけ止まる。

 

由香はそこを見逃さない。

 

「猿夢の時、一緒だったし。あの子、普通に怖がってたじゃん。今回は何やらせたんだよ」

 

木庵は煙を吐く。

 

「一応、生きてる」

「“一応”って何。そういう言い方すんなよ」

 

由香の声が少し低くなる。

 

木庵は面倒くさそうに頭を掻いた。

 

「死んでねぇ。けど、本人のメンタルが無事かどうかは知らん」

 

由香は黙った。

 

それから、自分もタバコを取り出す。

 

「俺の部屋だぞ」

「アンタの部屋だし、吸ってる」

「用事が終わったら帰れ」

「やだ」

 

即答だった。

 

由香は火を点け、細く煙を吐く。

 

「で?何があったの」

「聞いてどうすんだ」

「知っとく。アンタ一人で抱えると、だいたいロクなことにならないし」

「お前に言われる筋合いねぇよ」

「ある。一応、アンタの弟子だし」

 

木庵は鼻で笑った。

 

由香は、普段ならもっと軽口を重ねる。

だが今日は違った。目が真面目だった。

 

「怜ちゃんの中のヤツ、出たんでしょ」

 

木庵の表情がわずかに消える。

 

「……どこまで聞いた」

「なんとなくそう思っただけ」

「いつか話してやる」

 

由香は真っ直ぐ木庵を見る。

 

「ちゃんと話して」

 

少しの沈黙。

 

木庵はタバコの灰を落とし、深く息を吐いた。

 

うるさい。

遠慮がない。

ズケズケ踏み込んでくる。

 

だが、変に気を遣わない分、今は少しだけ楽だった。

 

「……長くなるぞ」

 

由香は頷く。

 

「いいよ。聞くから」

 

木庵はソファに背を預けたまま、地縛荒神の夜をぽつりぽつりと話し始めた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

夕方、授業を終えた怜が校門を出た頃には、茜色の空が目立つ時間帯。

 

制服の上からカーディガンを羽織り、鞄を肩にかけたまま駅へ向かう。周囲には部活帰りの生徒や、友達同士で寄り道の相談をしている同級生たちがいて、いつもならその賑やかさに少しだけ気が紛れるのに、今日は何となく耳障りだった。

 

スマホが震える。

 

画面には木庵の名前。

 

怜は慌てて通話ボタンをタップする。

 

「は、はい」

『今どこだ』

 

相変わらず前置きも何もない。

 

「学校出たとこですけど……」

『駅向かってるならそのまま今から送る場所に来い』

 

「え?」

『飯食うぞ』

 

ブツ、と一方的に切れた。

 

怜はしばらくスマホを見つめる。

 

説明が足りないにも程がある。

 

けれど木庵らしいと言えば木庵らしかった。

そして、ショートメッセージに恐らく、待ち合わせの店のURLが送られてきた。

小さく息を吐き、言われた通り店がある場所へ向かう。

 

マップを頼りに雑居ビルの並ぶ細い道を少し進むと、見慣れた二人の姿があった。

 

電柱にもたれて煙草を吸っている木庵。

 

その横で紫と白のツートンカラーのロングが目立つ、スマホを触りながらタバコを吸っている由香。

 

由香が先に怜へ気づいた。灰皿にタバコを押し付けて火を消す。

 

「あ、怜ちゃん。お疲れ」

「お、お疲れ様です」

 

木庵は煙を吐きながら顎で店先を示す。

 

「入るぞ」

 

そこにあったのは、古びた赤い暖簾の中華料理屋だった。

 

表の看板は少し色褪せ、ガラス戸には油汚れが薄く膜を張っている。だが、夕食時の店内は明るく、人の声と鍋を振るう音が外まで漏れていた。

 

怜が暖簾をくぐると、厨房の向こうから太い声が飛ぶ。

 

「イラッシャイ、木庵サン」

 

歳老いた丸々とした中国人の店主——陳が、中華鍋を振るいながらにやりと笑った。

 

木庵も軽く手を上げる。

 

「陳さん、空いてるか」

「奥空イテル。使エ使エ。由香サンモ久シブリ」

 

「どうも陳さん」

 

由香は慣れた調子で返す。

 

怜はそのやり取りを見て少し目を丸くした。

 

木庵が、こんな風に自然体で話す相手を見るのは初めてだった。

 

敬語もいらない、妙に肩の抜けたやり取り。気怠い木庵が、ここでは完全に昔からの常連の顔をしている。

 

3人は店の奥のテーブル席へ座る。

 

木庵はメニューも見ずに言った。

 

「麻婆豆腐、ニラレバ、餃子。人数分の取皿も」

 

由香がすぐに追加する。

 

「あと青椒肉絲に回鍋肉も」

 

「分カッタヨ。チョットマッテテ」

 

陳は従業員に注文を中国語で伝えていた。

 

「よく食うなお前」

「祓いの後は腹が減るんだよ」

 

由香が平然と返し、木庵がボソッと呟く

 

怜は少しだけ肩の力が抜ける。

 

この二人は、祓いの時でもそれ以外でも気が緩い。

 

店の中は騒がしかった。

 

会社帰りのサラリーマン、作業着姿の男たち、テレビの音、皿のぶつかる音、油と香辛料の匂い。そして漂うタバコの匂い。

中央本部の乾いた空気とは真逆の、人の生活がぎゅっと詰まった場所。

 

しばらく木庵がタバコを吸っていると、従業員が料理を運んできた。

料理が運ばれてくると、由香がさっそく箸を伸ばした。

 

「お腹空いたー、美味そー」

「由香さんもよく来るんですか?」

 

怜が尋ねると、由香は頷く。

 

「木庵に連れ回されてる内にね。本部に戻った後、近場で飯ってなると大体ここ」

 

木庵が麻婆豆腐を口へ運びながらぼそりと言う。

 

「俺がガキの頃からずっと来てる。なんなら本部長も常連だ」

「あと陳さんがサービスで唐揚げ増やしてくれる」

「由香、お前それ目当てだろ」

「それ以外でも普通に来るっての。失礼だな」

 

そんなくだらない会話を聞きながら、怜も麻婆豆腐を口に運んだ。

 

熱い。香ばしい。山椒が良く効いた辛さ。辛いが癖になる程美味しい。

 

ちゃんと美味しいのに、胸の奥にはまだ少し硬いものが残っている。

 

地縛荒神の件から数日。学校には普通に通っている。授業も受ける。

クラスメートと少し話す。家に帰れば叔母が「最近疲れてる?」と心配してくる。そして決まって「大丈夫」と返す。

 

全部いつも通りのはずなのに、どこか噛み合っていない。

 

ふとした瞬間、自分の手を見る。

指がちゃんと動くか確かめる。

夜になると、あの黒い感覚を思い出す。

 

自分の身体なのに、自分でなくなるあの瞬間を。

 

「怜ちゃん」

 

由香の声で、怜ははっと顔を上げた。

 

「大丈夫?箸止まってるよ?」

「あ……」

 

本当だ。取り皿に分けた麻婆豆腐はまだ半分も減っていない。

 

由香は箸を止めて、じっと怜を見る。

 

「まだ引きずってる?」

 

その問いに、怜はすぐ返事ができなかった。

 

木庵は何も言わず餃子を食べている。

 

店内の喧騒がやけに遠い。

 

怜は膝の上で手を握った。

 

「……はい」

 

声が小さくなる。

 

「正直、怖いです」

 

由香も木庵も口を挟まない。

 

怜は少し俯いたまま続けた。

 

「また、あの時みたいになったらって思うと……現場に出るのも、自分の身体も、少し怖くて……私、この先ちゃんと祓い屋続けられるのかなって」

 

言ってしまうと、胸の奥に溜まっていたものが少しだけ軽くなる代わりに、情けなさが込み上げる。

 

そんな自覚があった。

 

由香は茶化さず、頬杖をついた。

 

「まぁ普通そうなるよね」

 

木庵は水を飲んでから、面倒くさそうに言う。

 

「なら辞めるか?」

 

怜が顔を上げる。

 

木庵は淡々としていた。

 

「今辞めて、家に帰って、学校行って、普通に生きる。選ぶならそれでもいい」

 

怜は言葉に詰まる。

 

木庵は慰めない。大丈夫とも言わない。ただ選択肢を投げる。

 

その現実的な物言いが、逆にズシリと来る。

 

由香が横から口を挟む。

 

「でも怜ちゃん、たぶん辞めないでしょ」

 

怜が由香を見る。

 

由香は唐揚げを頬張りながら肩をすくめた。

 

「そういう顔してる。怖いけど、ここで逃げるのも嫌なんでしょ」

 

図星だった。

 

怜は俯く。

 

逃げたいと思う瞬間はある。こんな事になる前の普通の学生に戻れたらと思う時もある。

 

でも——ここで逃げたら、何も変わらない気がしてしまう。

 

親友を死なせたあの日から、ずっとそうだった。

 

木庵が短く告げる。

 

「だったら答えは簡単だ」

 

怜が顔を上げる。

 

「怖くても前に進むしか道はない」

 

あまりにも雑な答えだった。

 

由香が思わず吹き出す。

 

「アンタほんと励ますの下手」

「励ましてねぇよ」

 

木庵は平然と言う。

 

「現場なんて誰だって怖い。慣れて誤魔化してるだけだ」

 

怜はぽかんとして、それから少しだけ笑ってしまった。

 

なんだか、肩の力が抜ける。

 

完全に不安が消えたわけじゃない。

怖いものはまだ怖い。

 

けれど、怖がっているのが自分だけじゃないと言われた気がした。

 

食事を終え、店を出る頃には夜風が少し冷たかった。

 

陳が店先で手を振る。

 

「木庵サン、マタ来テネ」

「ご馳走さん。近い内にな」

 

「由香サンモナ」

 

「はーい、奥さんによろしくねー」

「ご馳走様でした」

 

店の近くのパーキングに止めていた木庵の車に乗り込む。

 

駅まで怜を送り届ける。

 

「怜ちゃん、また今度ね」

「またお願いします。木庵さん、由香さん」

「ほら木庵、怜ちゃん帰るってよ」

 

「あぁ、そうだな。篠山、次呼んだら来い」

「ちょっと言い方ー」

 

怜は木庵を見る。

 

「……はい」

「それでいい」

 

それだけ言って木庵は再び煙草を咥え火を付けだした。

 

不器用で、雑で、でもそれが木庵なりの答えなのだと、怜は何となく分かった。

 

夜風の中、怜は少しだけ胸の奥の息苦しさが薄くなった気がしていた。

 

怜が駅のホームへと去り、車内のタバコの煙が1つから2つに増える。

 

「…あの子、今後どうなると思う?」

「アイツの頑張り次第だな」

「そっか…頑張ってくれるといいな」

 

ハンドルを握る木庵の顔はいつもと同じ、気怠げな表情だ。

何を考えているか、表情からは分からない。

 

だが、少なくとも篠山怜という1人の少女は前に進もうと踠いてる。

それさえ分かれば充分だ。まだ、始まりに過ぎない。

 

 

 

 

to be continued…

 




毎回毎回、続きがちゃんと書けるか不安ですがこれからも頑張ります。
面白い、面白くないは別として見てくださってる人の暇つぶしになれば幸いです。今後ともよろしくお願いしますね。
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