中央怪異対策機関   作:ざつざっつ

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最近、コンスタンティンと悪魔祓い株式会社を見直してから、モチベ上がったので、モチベある内に続き書いてみました。

見てくださってる方達にはマジ感謝してます。


FILE No.7「境界」

 

 

木庵達と夕食を共にした3日後。再び怜のスマホにメッセージが届いた。

 

『学校終わったら本部に来い』

 

「ちゃんと用件も教えてよ…」

 

ただ、それだけだった。 

内容を一瞥した怜はスマホをしまい本部に向けて歩き出した。

 

中央怪異対策機関。

 

見た目はただのビル。サイズや立地的にも目立つ筈だが、内部には何重にも人払いや認識阻害の札と結界を用いたこの場所は一般人からすればそこには何事も無いように見向きもせず、通り過ぎていく。  

 

無論、入り口に入っていく機関の人間に地下に入っていく車も全て、認識的には何も無くただ、通り過ぎていくだけだ。

 

本部内部に入った怜は、エレベーター前で小さく肩を縮めた。

 

制服姿の怜はこの場所に似つかわしくない格好の為、余計に場違い感が漂う。

 

再び、怜のスマホにメッセージが来た。スマホを取り出し文面を眺める。

 

『地下2階に来い』

 

木庵から来たメッセージは、それだけだった。

 

相変わらず説明が少ない。

 

「…」

 

怜は溜め息を吐き、エレベーターへ乗り込む。

 

地下2階。

 

数字が減っていくたび、耳が妙に詰まる感じがした。

 

扉が開く。

 

地下フロアは上階よりさらに静かだった。

 

白い照明。

長い廊下。

その廊下を歩く職員達。

 

 

以前、木庵に連れられて開発課へ行った時も思ったが、この機関はどこか普通ではない。働いている人間はいる。会話や日常的な行動、やり取りもある。なのに、誰もが妙に擦れた顔をしている。

 

「来たな」

 

廊下の壁にもたれ、携帯灰皿を持ち、タバコを咥えていた木庵がこちらを見る。

 

その姿を見た怜は少し足を速めた。

 

「す、すみません」

「別に怒ってねぇよ」

 

そう言いながらも、木庵は怠そうな雰囲気を漂わせていた。

 

黒いシャツに色褪せたコート姿で、仕事帰りのサラリーマンにも見える。けれどその目だけは妙に鋭い。普通の一般人と違い、どこか遠い、擦れた目付きだ。

 

怜は周囲を見回した。

 

「……今日は仕事、ですか?」

「祓いってより、頭を使う作業だ」

「つまり…勉強的な感じですか?」

「そういう事だ」

 

木庵は煙を吐く。

 

「篠山、お前この前言ってただろ」

「え?」

「自分がこの先やっていけんのか分かんねぇって」

 

中華屋での会話を思い出し、怜は少し視線を落とした。

 

木庵は続ける。

 

「だったら、まぁ最低限知っとけ」

「何をですか?」

「俺らが何をやってる連中なのか」

 

そう言って、木庵は廊下を歩き始めた。

 

怜は慌てて後を追う。

 

地下フロアは思った以上に広かった。

 

資料室。解析室。封印処理室。

 

分厚い鉄製の扉には無機質なプレートが並ぶ。

 

途中、職員が木庵へ軽く会釈した。

 

「木庵さん、実は…」

「悪いな。急ぎじゃいなら後にしてくれ」

「……分かりました」

 

短いやり取り。

 

怜は少し驚く。

 

木庵はいつも気怠そうなのに、ここではちゃんと機関の人間として動いている。

 

「見ろ」

 

木庵が顎で示した先には、分厚い金属扉があった。

 

何重もの札。錆びた鎖。電子ロック。

 

扉の周囲だけ、空気が少し冷たい。

 

怜は無意識に息を呑む。

 

「……ここって」

「封印庫」

 

木庵は淡々と言う。

 

「回収した呪物とか、危険度の高ぇ怪異由来のモンとか、色々押し込めてる」

 

怜の背筋に寒気が走る。

 

扉の向こうから、気の所為みたいに何か音がした。

 

爪を引っかくような。低い呻きみたいな。

 

怜が顔を強張らせると、木庵はちらりとだけ見た。

 

「聞こえるか」

「……はい」

「正常だな」

 

その言い方が余計に怖い。

 

木庵は煙草を揉み消し、再び歩き出す。

 

「怪異ってのは、まぁ一括りにはされてるが、実際はかなり雑多だ」

 

怜は横を歩きながら耳を傾ける。

 

「猿夢みたいな都市伝説型。地縛荒神みたいな土地怪異。呪物、悪霊、信仰崩れ、意味分からん自然発生型もある」

「自然発生……」

「人が勝手に怪異って呼んでるだけで、正直、何なのか完全には分かってねぇ」

 

木庵の声は淡々としていた。

 

説明というより、知っている事実を並べているだけみたいな口調。

 

「怨念だとか、土地信仰だとか、集合無意識体だとか、色々説はある。ただ分かってんのは、“放っとくと人が死ぬ”ってことだけだ」

 

怜は少し黙った。

 

怪異。

 

その言葉だけなら、昔はもっと曖昧だった。

 

怖い話。噂。オカルト。

 

けれど今は違う。

 

実際に見た。触れた。

命を奪う瞬間も、自分が奪われる感覚も知ってしまった。

 

「……祓い屋って」

 

怜がぽつりと呟く。

 

木庵が視線だけ向ける。

 

「皆、どうしてこの仕事をやってるんですか」

 

その問いに、木庵は少しだけ鼻を鳴らした。

 

「人による」

「人による……?」

「金。復讐。家業。自己満足。使命感。色々だ」

「木庵さんは?」

 

怜が聞くと、木庵は数秒黙った。

 

それから、ダルそうに頭を掻く。

 

「色々あった」

「……何ですかそれ」

「事実だ」

 

適当なのか、本気なのか分からない返答。

 

でも木庵らしい気もした。

 

2人はさらに奥へ進む。

 

廊下の途中、ガラス越しに見えた解析室では、術式の刻まれた骨董品のようなものを職員達が調べていた。

 

別の部屋では、札だらけの人形が透明ケースに入れられている。

 

普通の世界から切り離された場所。

 

ここには、そういうものばかり集められていた。

 

怜は小さく呟く。

 

「……なんか、まだ実感ないです」

 

木庵が歩きながら答える。

 

「なくていい」

「え?」

 

木庵は振り返らないまま続ける。

 

「怪異なんてもんに慣れきった奴は、大体どっか壊れる」

 

その声は少し低かった。

 

怜は黙る。

 

木庵自身も、きっと沢山見てきたのだろう。

 

死んだ人も。壊れた人も。

 

怪異そのものより、そういう積み重ねの方が、この場所には染みついている気がした。

 

やがて木庵が足を止める。

 

そこは資料室だった。古い紙の匂いがする。

 

棚一面に並ぶFILE群。

 

[猿夢]

[地縛荒神]

 

見覚えのある名前も混じっていた。

 

怜は思わず息を呑む。

 

木庵はその棚を見ながらぼそりと言った。

 

「ここにある全部、今までの記録だ」

 

静かな声だった。

 

「篠山」

 

怜が顔を上げる。

 

木庵は棚を眺めたまま言う。

 

「怖ぇなら、それはまだ正常だ。何も感じなくなったら。もう手遅れだ。俺みたいにな。だから、お前はなるべくそうなるな」

「…少なくとも木庵さんみたいなダメな人にはなりませんよ」

「うるせぇ」

 

 

木庵は棚の前へ立ち、ポケットに手を突っ込んだままぼそりと言った。

 

「そして、誰かが死にかけた記録だ」

 

怜は小さく息を呑む。

 

静かな資料室だった。

 

遠くで紙をめくる音だけが聞こえる。職員達も最低限しか喋らない。この場所では皆、無意識に声量を落としてしまうのかもしれない。

 

怜は棚へ近づく。

 

FILEの背表紙に触れようとして、少しだけ躊躇した。

 

そこには実際に起きたことが記録されている。

誰かが恐怖して、怪異に巻き込まれて、傷付き、そして祓った記録。

 

木庵はそんな怜を横目で見ながら、近くの棚から一冊のFILEを引き抜いた。

 

古いFILEだった。

 

表紙の端が擦り切れ、紙が変色している。

 

「これを見ろ」

 

怜が受け取る。

 

タイトルには「鬼子母神祀り」と書かれていた。

 

「……これも怪異事件ですか」

 

「あぁ。30年以上前だ」

 

木庵は近くの机へ腰を預ける。

 

「地方の集落で起きた案件だ。子供が何人も消えて、最初は誘拐扱いされてた」

 

怜はFILEを開く。中には写真と報告書。

 

荒れた集落。潰れた祠。

 

それから——遺体の写真。

 

怜の指が止まる。

 

木庵は続けた。

 

「結局、土着信仰が変質して怪異化してた。祀ってた側も、途中から何を拝んでるか分からなくなってたらしい」

「……こんなの、本当に全国にあるんですよね」

「あぁ」

 

即答だった。

 

「表に出てねぇだけでな」

 

怜はページをめくる。

 

そこには当時の祓い屋達の名前も載っていた。

 

殉職。重傷。行方不明。

 

その文字が当たり前みたいに並んでいる。

 

「怪異対策機関って、いつからあるんですか」

 

木庵は少し考えるように煙草を指先で回した。

 

「今の形になったのは戦後。だが、始まりの組織自体はもっと昔からだ」

「昔から……」

「陰陽師だの、寺だの、祈祷師だの。それこそ平安時代だ」

 

木庵の口調は相変わらず淡々としていた。

 

授業みたいに教えるわけじゃない。自身が知っていることを、必要最低限だけ喋る。

 

怜はFILEを閉じる。

 

「じゃあ……祓い屋って、ずっと怪異と戦ってきたんですか」

「まぁな」

「怖くなかったんでしょうか」

 

その問いに、木庵は少しだけ目を細めた。

 

「怖ぇに決まってる」

 

怜が顔を上げる。

 

木庵は机に腰を預けたまま続けた。

 

「怖くない奴なんかいねぇ。俺も由香も現場じゃ、普通に死にたくねぇと思ってる」

「でも、平気そうに見えます…」

「慣れてるだけだ」

 

木庵はタバコを咥える。

 

「怖ぇまま誤魔化したり、そういう風になってるだけだ」

 

その言葉は、中華屋で言っていた“慣れろ”と同じ響きを持っていた。

 

怜は黙り込む。

 

自分はまだ、あの感覚を思い出すだけで怖くなる。

 

身体を奪われた感覚。意識が沈んでいく恐怖。

 

あれを抱えたまま、この先も怪異と向き合うのか。

 

そんな怜の横で、木庵は棚を眺めながらぼそりと言った。

 

「勘違いすんなよ」

「……え?」

「祓い屋だからって、別に特別な人間じゃねぇ」

 

木庵は続ける。

 

「飯食って、タバコ吸って、寝不足で文句言って、怪異相手に死にかけてるだけの連中だ」

「……」

「正義の味方でも何でもねぇよ」

 

資料室の静けさの中、その言葉だけが妙に重く残った。

 

怜は棚に並ぶFILEを見つめる。

 

そこには英雄譚なんて一つも無かった。

 

ただ、怪異に関わって、傷ついて、それでも次の案件へ向かった人間達の記録だけが積み重なっていた。

 

木庵がタバコに火を付けて、煙を吐き出す。

 

怜を横目で見ながら、タバコの灰を落とした。

 

「気分悪ぃか」

 

怜は少し迷ってから頷く。

 

「……ちょっと」

「だろうな」

 

木庵はそれ以上深く触れない。

 

木庵と関わってまだ日が浅い。

大丈夫か、とも言わない。無理するな、とも言わない。ただ、そう感じるのが当たり前だとだけ言う。

 

その時だった。

 

「お前また資料室で吸ってんのか」

 

低い女の声が飛んできた。

 

怜が反射的に振り向く。

 

棚の奥から現れた人物を見た瞬間、怜は思わず息を呑んだ。

 

大きい。

 

それが最初の印象だった。

 

女は木庵より少し低いくらいの長身で、肩幅も広い。黒のタンクトップの上に赤いジャケットを引っ掛け、サイドを刈り上げた金髪を流し、目元には色の薄いサングラス。

 

立っているだけなのに圧がある。

 

現場の人間だ、と一目で分かる空気だった。

 

片手には缶コーヒー。もう片方には分厚い資料ファイル。

 

木庵が気怠そうに返す。

 

「換気効いてる」

「そういう問題じゃねぇよ。配慮しろって言ってんだアホ」

 

女は資料を机へどさりと置いた。

 

重い音が資料室に響く。

 

怜は少し肩を揺らす。

 

女はそこで初めて怜を見た。

 

サングラス越しでも分かる。視線が鋭い。

 

「……お前が例の」

 

怜は少し固まる。

 

木庵がタバコを咥えたまま言った。

 

「ビビってんぞ。野生のゴリラに遭遇したみたいに」

「殺されてぇのか」

 

女は缶コーヒーを傾けながら頷く。

 

「地縛荒神の件は聞いてる」

 

怜は慌てて頭を下げた。

 

「し、篠山 怜です」

「黒峰 環だ」

 

環は数秒、怜を眺める。値踏みではない。観察。

 

その目付きに怜は少し落ち着かなくなる。

 

やがて環は椅子を引き、どかっと腰を下ろした。

 

「思ったより普通だな」

「え……?」

「もっと擦れてるガキを想像してた」

 

木庵が横からぼそりと言う。

 

「まだ現場2回目だぞ」

「その割には濃いの引きすぎだろ」

 

環は鼻を鳴らした。

 

その仕草一つもどこか荒っぽい。

 

だが不思議と嫌な感じはしなかった。

 

環は棚から一冊のFILEを引き抜き、怜へ放る。

 

「ほら」

 

怜は慌てて受け止める。

 

表紙には赤字で、

 

『等級不明封印指定案件』

 

と書かれていた。

 

怜の喉が小さく鳴る。

 

「……等級不明」

「中央でも最悪クラス」

 

環は頬杖をついた。

 

「地縛荒神はまだ上級止まり。こういう案件はもっと終わってる」

 

怜は恐る恐るFILEを開いた。

 

そこには崩壊した駅舎。

 

大量の札。

 

焼け焦げた壁。

 

そして——壁面から浮き出る無数の人の顔。

 

笑っている顔。泣いている顔。苦しそうな顔。

 

怜の呼吸が止まりかける。

 

「……これ」

「集合呪詛型怪異」

 

環は淡々と説明した。

 

「脱線事故で死亡した人間の怨念と土地呪詛が結びついて発生した。完全には祓えてねぇ。今も地下封印庫にブチ込んである」

 

怜は無意識に周囲を見る。

 

この建物のどこかに、これがまだ存在している。

 

その事実だけで胃の奥が冷えた。

 

環は缶コーヒーを飲み干し、机へ置く。

 

「怪異ってのはな、全部綺麗に消えるわけじゃねぇんだよ」

 

資料室の空気が少し重くなる。

 

「残るし、変質する。そしてまた出る。だから機関も終わらねぇ」

 

木庵は黙ってタバコを吸っていた。

 

怜はFILEを閉じる。

 

怖い。

 

改めて、この世界の広さを思い知る。

 

自分が見たものなんて、まだほんの入口なのだと。

 

環はそんな怜を見ながら言った。

 

「……顔色悪ぃな」

「え」

「まぁ当然か。こんなん見せられりゃな」

 

怜は少し俯く。

 

環は数秒だけ怜を見て、それから木庵へ視線を向けた。

 

「で」

「あ?」

「ソイツは今後やれんのか?」

 

怜の肩がびくりと揺れる。

 

木庵はその反応を見た。

 

数秒だけ黙り、煙を吐く。

 

「……なんとかなるだろ。今はそれだけだ」

 

環が眉を上げる。

 

「お前なりに気を使ってんのか?」

「うるせぇ」

「まぁでも確かに、そうとしか言えねぇな」

 

環はなんでもなかったのように頷いた。

 

怜は少しだけ肩の力が抜ける。

 

環は立ち上がり、資料を抱え直した。

 

その動作だけで分かる。この女は明らかに只者ではない人間だ。

 

「お前の中のアレ、中央でもかなり危険視されてる」

 

怜の表情が固くなる。

 

環はサングラス越しに怜を見据えたまま続ける。

 

「だからこそ、ちゃんと把握しねぇといけねぇ」

 

資料室の静けさの中、その言葉だけが妙に重く響いた。

 

 

 

  

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

資料室を出た後、怜は木庵の後ろを黙って歩いていた。

 

地下フロアの空気は相変わらず冷たい。

 

白い照明。長い廊下。行き交う職員達。

 

誰もが忙しそうなのに、どこか疲れている。この建物全体が、怪異という得体の知れないものを相手にし続けた人間達の消耗を、そのまま染み込ませているみたいだった。

 

環は途中で別方向の廊下へ消えていった。

 

去り際、

 

「精々死なねぇように頑張れ」

 

とだけ言い残して。

 

怜はその言葉を思い出し、少しだけ肩を縮める。

 

前を歩く木庵が煙草を咥えたままぼそりと言った。

 

「そんな構えんな」

「……いや、でも」

「環は口悪ぃだけで腕は本物だ」

「それは何となく分かりますけど……」

 

分かる。あの人は危ない。でも同時に、かなり強い。

 

宗近とはまた別種の“上級”の圧があった。

 

エレベーターへ乗り込む。

 

上階へ向かう途中、怜はふと尋ねた。

 

「ふと気になったんですけど、木庵さんってここに住んでるんですか」

「なんでそう思った?」

「しっかり生活出来るような感じの部屋だったので」

「帰るのが面倒な時だけ泊まってる」

「そんな理由なんですか……」

 

木庵は「そんなもんだろ」と気怠そうに返した。

 

エレベーターを降り、人気の少ない廊下を進む。

 

中央本部の上層階は地下より静かだった。

 

やがて木庵が一枚の扉の前で止まる。

 

ポケットの中からジャラジャラと音を立てて鍵を探る。

 

取り出した鍵を鍵穴に差し込み扉が開く。

 

怜は部屋の中を見て、少しだけ目を瞬かせた。

 

前来た時の光景と変わらずだった。

 

部屋の中はタバコと芳香剤の匂いが充満しており、棚には銃火器や武器の類が陳列してある。

 

別の棚には得体の知れない中身が入った瓶や変な形のキーホルダーや古めかしい置物に埃を被った箱があり、そして机の上には散らばった書類の山にパソコン、山積みになったタバコの灰皿、更に作業用の机には工具や作りかけの何かが置かれていた。

 

「適当に座れ」

 

木庵はコートを椅子へ引っ掛ける。

 

怜は遠慮がちにソファへ腰を下ろした。

 

木庵は冷蔵庫を開け、中から缶ジュースを一本放ってくる。

 

怜は慌てて受け止めた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

木庵自身は缶ビールを取り出す。まだ夕方だ。

 

怜が少し呆れた目を向けると、木庵は気にした様子もなくプルタブを開けた。

 

「いいんですか?呑んでも…?」

「大丈夫だ。気にすんな」

「いやそういう意味じゃなくて…聞いた私がバカでした…」

「分かればいいんだ」

 

木庵は自身のデスクの椅子に腰を下ろし、タバコを咥える。

 

部屋に沈黙が落ちる。

 

だが気まずい感じではない。

 

どちらかと言えば、木庵が“話す内容を整理している”ような間だった。

 

やがて煙を吐きながら口を開く。

 

「篠山」

「はい」

「前も聞いたがお前、怪異対策機関って名前だけ聞くと、どんな組織想像してた」

 

怜は少し考える。

 

「……もっと秘密組織みたいなのかと」

「まぁ秘密ではある」

「あと、もっとちゃんと正義の組織なのかなって」

 

木庵が少しだけ鼻で笑った。

 

「そんな綺麗なモンじゃねぇよ」

 

煙がゆっくり天井へ昇っていく。

 

「怪異ってのは、警察や自衛隊で処理できねぇ」

「……はい」

「だから俺らみたいなのが呼ばれる」

 

木庵は缶ビールを傾ける。

 

「だが別に俺達は英雄でも何でもねぇ。人助けしたくてやってる奴もいれば、金のためにやってる奴もいる。家業で仕方なく続けてる奴もいる」

 

怜は静かに聞いていた。

 

木庵は続ける。

 

「中央も別に万能じゃねぇ。ヤバい情報は隠すし、揉み消すし、危険な案件でも現場に押し付ける。仕方ねぇけどな」

「……そんなことしていいんですか」

「良くはねぇな」

 

木庵は即答した。

 

「けど怪異ってのは、“公表したら終わる類”でもある」

 

怜は少し眉を寄せる。

 

木庵は本棚へ視線を向けた。

 

「ンなモン公表した日にはパニックだ。都市伝説みたいな扱いでいい」

 

猿夢。

 

怜の頭に真っ先にそれが浮かぶ。

 

木庵はその反応を見たのか、小さく頷いた。

 

「猿夢なんか典型的な都市伝説型だ」

 

部屋の空気が少し重くなる。

 

「知ってる奴が増える。恐怖する奴が増える。そうすると怪異側も強くなる」

 

「……じゃあ、完全に怪異消すのって」

「無理だ」

 

木庵は即答した。

 

「だから封印もするし、監視もする。場合によっちゃ“存在を忘れさせる”」

 

怜は缶を握る。

 

この世界は、自分が思っていた以上に曖昧だった。

 

善悪で割り切れない。綺麗に解決もしない。

 

木庵はタバコを灰皿へ押し付けた。

 

「いいか。祓い屋ってのはな」

 

怜が顔を上げる。

 

木庵は気怠そうな顔のまま続けた。

 

「誰かを全て救える仕事じゃねぇ」

 

静かな声だった。

 

「間に合わねぇことも普通にある」

 

その言葉だけ、少し重かった。

 

室内に漂うタバコの煙。

缶ビールを傾ける小さな音。

 

怜は缶ジュースを両手で持ったまま、ぼんやりと木庵を見ていた。

 

木庵はいつも通りの顔をしている。

 

気怠そうで、面倒くさそうで、何を考えているのか分かりづらい。

 

けれど今話している内容は、きっと木庵にとって“当たり前すぎる現実”なのだろう。

 

誰かを全て救える仕事じゃない。

 

間に合わないことも普通にある。

 

その言葉は、怜の胸の奥へ鈍く沈んだ。

 

「……じゃあ」

 

怜が小さく口を開く。

 

「祓い屋って、ずっとそういうの見続けるんですか」

 

木庵は少しだけ目を細めた。

 

「まぁな」

「耐えられるんでしょうか……」

 

自分でも弱気だと思った。

 

でも、聞かずにはいられなかった。

 

猿夢の被害者。地縛荒神。怪異に巻き込まれて死んだ人達。

 

たった2回だけでも、怜には十分重かった。

 

これを、この先何年も見続けるのか。

 

木庵はビールを一口飲み、それからぼそりと言った。

 

「耐えてるわけじゃねぇよ」

 

怜が顔を上げる。

 

「え?」

「感覚が麻痺してるだけだ」

 

木庵は椅子へ深く座り直した。

 

怜は少し驚く。

 

「……」

「機関の連中は大体そんなもんだ」

 

木庵は新たなタバコへ火を点けた。

 

「まともな感覚のままこの仕事続けてる奴なんか、ほとんどいねぇ」

 

その言葉に、怜は少し俯く。

 

じゃあ自分も、いつかそうなるのだろうか。

 

怪異に慣れて。人の死に慣れて。怖いと感じなくなって。

 

そんな怜の表情を見て、木庵が煙を吐きながら言った。

 

「勘違いすんなよ」

 

怜が顔を上げる。

 

「別に壊れてるからって弱いわけじゃねぇ」

「え……?」

 

木庵の口調は相変わらず淡々としていた。

 

説教でも、慰めでもない。

 

ただ経験として言っている響き。

 

「怪異なんてバケモン、相手にしてりゃ尚更だ」

 

部屋の照明が、ゆっくり煙を照らしている。

 

怜は缶ジュースを見つめたまま、小さく呟いた。

 

「……木庵さんも、ですか」

 

数秒。

 

沈黙。

 

木庵はタバコを咥えたまま、少しだけ視線を逸らした。

 

「まぁな」

 

短い返答。

 

それだけだった。

 

けれど、その“まぁな”の言い方だけで、怜はそれ以上聞けなくなる。

 

この人にも何かある。

 

怪異絡みの、簡単には触れられない何かが。

 

部屋にまた沈黙が落ちた。

 

怜は少し肩の力を抜き、ソファへ身体を預ける。

 

窓の外では、もう夜の街の灯りが広がっていた。

 

中央本部の上層階から見下ろす街は静かで、ここ数日、自分が怪異だの封印だのという非現実の中にいたことが、逆に夢みたいに思えてくる。

 

普通の人達は、この景色の下で普通に生きている。

 

学校へ行って。

 

働いて。

 

友達と遊んで。

 

怪異なんて知らないまま。

 

その当たり前から、自分は少しずつ離れていっている気がした。

 

怜はぽつりと呟く。

 

「……私、普通に戻れるんでしょうか」

 

木庵は煙草を咥えたまま、少しだけ眉を動かした。

 

「普通って何だ?学校に行ったり、働いたり、怪異の存在を知らずに生きることか」

 

怜は返事に詰まる。

 

木庵は缶ビールを傾けながら続けた。

 

「それが普通って言うなら、もう無理だ」

 

その言葉は、残酷なくらいあっさりしていた。

 

怜の胸が少し痛む。

 

けれど木庵は続ける。

 

「1回でも怪異に関わった奴は、嫌でも人生変わる」

 

煙がゆっくり天井へ昇る。

 

「見えなかったモンが見えるようになるし、知らなくてよかったことも知る」

 

木庵は怜を見た。

 

「けど別に、それで終わりってわけでもねぇ」

 

怜は少しだけ目を瞬く。

 

木庵は気怠そうに頭を掻いた。

 

「普通じゃなくなる代わりに、別の生き方になるだけだ」

 

静かな声だった。

 

励ましているわけじゃない。

 

綺麗事でもない。

 

それでも、その言葉は妙に怜の胸へ残った。

 

木庵はタバコを灰皿へ押し付ける。

 

「まぁ、今すぐ全部割り切れる奴なんかいねぇよ」

 

そう言って、椅子へ深く座り直した。

 

「お前はまだそこの境界で悩んどけ」

「相変わらず、励ましているのか分からない言い方ですね」

「だって励ましてないしな」

「なんですかソレ」

 

怜は木庵自身は励ましてないだのと口では言うが、下を向いていると必ず何かしらの声をかけてくる。不器用な木庵なりの励まし方だと判断してほくそ笑んだ。

 

 

 

 

to be continued…

 




なんとか7話目も完成しました。次は祓いの仕事の話を書こうと思います。

今は体調的にも調子がいいので、このまま引き続き頑張っていきます。

これからも見てくださったらありがたいです。
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