貞操逆転×→性欲逆転世界で配信者してなりきりチャットして女装する   作:坂水木

18 / 116
分割1/4
シリアス多めです。
12/1加筆修正。文量二倍になりましたが、もう分割もできないのでこのままで。
1万4千文字です。すみません。


リアラと優理の長かった日曜日1

 

 

 ☆

 

 

 それは、まだ優理が実家暮らしだった頃。

 

 配信者ではなく、なりきりチャッターでもなく、ボイス投稿者でもない。当然大学デビュー(女装)もしていない。

 傘宮優理はただの一人の男(童貞)として性欲逆転世界の高校に通っていた。

 

「……将来の夢、か」

 

 学校で受け取った進路希望調査書を眺めながら、口元までマフラーを引き上げ呟く。

 

 高校における進路調査は"将来の夢"、だなんて可愛らしいものではない。進路希望、理系文系、大学延いては仕事。現実的に自分が何をするか、何をできるか、何をしたいのかを問われているのであって、夢を見るのは既に終わったとも言える。もしくは……これが最後のチャンスか。

 

「――優理、お前進路どうすんの?」

「あー……どうしようかなー」

 

 横から声をかけられ、曖昧に答える。

 完全に思考に没頭してしまっていたが、今は一人ではなかった。今は授業が終わって帰り支度をしている真っ最中だった。

 

 椅子から立ち上がり、席の傍にいた男子生徒を見る。

 色素の薄い黒髪の男子と、優理と同じ濃い黒髪の男子の二人だ。どちらも引き締まった良い身体をしている。かく言う優理も負けてはいない。

 

「なんだよそれー。俺は……俺もわかんねえな」

「はは。兼崎君もじゃん。蓼梨君は?」

「おれは……実家継ぐから大学は行かない」

「そっか。蓼梨君の家、農家だったもんね」

「うん。優理はどうなんだ。お前の母ちゃん、何か言っていないのか?」

「僕の家は何も……働かなくてもいいよとは言ってたけど」

「……俺の家と同じじゃねえか」

「おれは一緒に農家してくれたら嬉しいって言われてる。すごい楽しそうに言われたから……おれ、妹いるんだ」

「「それは知ってる」」

 

 軽薄そうで、けれど意外に義理堅い少年と、表情変化は薄いが家族想いな義理人情に厚い少年。

 

 この二人が、優理が高校二年の同クラスでよく話す男子生徒だった。他に男子生徒はいない。本来ならあと五人ほど男子生徒がいても良いはずなのだが、少子化と男減少と転校(アクセサリーによる女子化)のせいで気づけば他の男はいなくなっていた。

 

 名前をそれぞれ兼崎(かねさき)雄大(ゆうだい)蓼梨(たてなし)功人(こうと)と言う。

 

 クラスメイトと和やかに話しながら、優理は帰宅の途に就く。ちらちらと送られる熱視線には気づかないフリをする。いつも通りの学校だ。

 

 将来に悩む兼崎少年と、農家予定の蓼梨少年と別れ、優理は家に向かう。

 通っている高校からは電車で数駅とかかるため、少年二人とは早々に別れてしまった。あの二人、歩いて帰れるところに家があるのだ。

 

 電車に揺られながら、先ほどの話を頭で整理する。

 

 兼崎少年の悩みは前世の優理と同じなので、頑張れと肩を叩いて応援してあげたい。なんならアドバイスもしよう。だがそれだけ。対して蓼梨少年は……難しいか。家を継ぐのは良い判断だ。体力のある蓼梨少年に向いているとは思う。ただ……妹かぁ。

 

 妹。優理もよく妄想した概念である。

 しかしこの世界の妹は少し違う。父親がいない場合、ほとんどの兄妹で血の繋がりは薄くなる。何せ精子が異なるのだ。卵子は同じでも精子は違うものを使用するよう推奨されている。ただしリアル夫がいる場合は除く。

 

 さらには少子化と遺伝子的なあれやこれやで研究が進められ、ちゃんと検査すれば兄と妹であっても婚姻関係を結べるようになった。

 

 つまり、そういうことだ。

 

「……」

 

 まあ、うん。蓼梨君の妹が「お兄ちゃん好きー!」となるかどうかわからないからね。

 

 頭を振り、自分のことに意識を戻す。

 正直な話、優理自身の将来は既に決めていた。母親にもその旨は伝えてある。進学と、分野と、専門領域と。

 

 それ以外にもある程度は話した。やりたいこと、やってみたいこと、最終的に自分がどうなりたいのか。

 さすがに"漫画みたいな恋愛してイチャラブして幸せエッチで童貞捨てたいです"とまで言っていないが、夢見る乙女みたいな結婚したい、とは伝えてある。場合によってはヒモになるかもとも言ってある。これには優理の母も微妙な顔をしていた。

 

 考え事をしていたら、すぐに最寄り駅まで着いた。

 適度に歩き、家に着いて玄関を開けて"ただいま"と口にしようと。

 

「――優理!!」

「え、うん。ただい、ま?」

「大丈夫だった!?」

「いやうん。平気だったけど……」

 

 帰って早々、ばたばたと母親が駆け寄って抱きしめてくる。

 そっと押し避け、くるっと回って平気アピールをする。そこまでやって、ようやく表情を心配から安堵に変える。相変わらず心配性な母だ。

 

「どうしたの?近くで事件でもあったの?」

「ううん。近所では何もなかったわ。……けど、家ではあったわ」

「家では……?」

 

 家に上がり、手洗いうがいを済ませてリビングへ行く。

 詳しい話を聞くと、溜め息を吐きながらも教えてくれた。

 

 母親によれば、何度も家に電話があったらしい。あと訪問も。

 その相手が誰も彼も自称"お子さんの家族"であり、姉や妹、叔母を名乗る女性たちであった。

 

 何故そんなことが起きたのか。簡潔に、優理の情報がどこからか漏れたからである。優理は十七歳の時点で積極的な精子提供を進めており、健全な精子能を持つことを知られてしまったのだろう、というのが母親の相談相手――収精官、朔瀬・C・リアラの見解だった。

 

 目的は色々だ。

 若い男の確保、結婚、性欲処理、国の支援相乗り、精子の奪取等。挙げればキリはない。

 

 とにかく、健全な精子能を持つ若い男と縁を作っておいて損はないと思った短慮な人間ばかりなのは事実である。中には危険な相手も混じっているため安心できない。

 そんな状況なので、優理の母はひどく息子のことを心配していた。

 

「……どうしよう」

「……ごめんね、お母さん不甲斐なくて」

「いやお母さんは悪くないよ。……えっと、朔瀬さんだったよね。朔瀬さんは、今どうしてるの?」

 

 名前だけは聞いたことのある相手だ。直接のやり取りは母親が熟しているので、優理に面識はない。

 

 国家公務員。二十五歳。幹部候補。美人。黒髪。省庁勤め。

 

 ある程度聞いた情報だけでも、頗る優秀な人間とわかる。

 美人な黒髪お姉さんとか、それだけでもう優秀に決まっているじゃないか。

 優理の意味不明な基準はさておき、朔瀬が優秀なのは事実だった。

 

 現に今この瞬間も、全精力を優理のプライバシー保護に注いでいた。

 既に流出元の特定は済ませ、優理家に電話をかけた相手への通達・連絡も行っている。少ない人員をフルに活用して指揮を執っているのが朔瀬だった。

 

 監視カメラの映像から訪問者を割り出し、現在も電話をかけようとしてきている相手には逆探知をかけ国から連絡を入れる。さらにはネットで"傘宮優理"の関連情報を検索しようとしている人間も片っ端から調査リストに挙げ、別の機関に連絡を入れ細かな調査を頼む。

 

 やることは多く、冷や汗だらだらに全力で優理の敵を叩き潰しに動いていた。

 

「わからないの。電話したんだけど、忙しいみたいで繋がらなくて……。さっき向こうから掛けてくれたんだけど……どうなの?こういうの繋がらないものなの?」

「向こうが忙しいなら繋がらないと思うよ。……でもそっか。健康な男が情報漏れると、本当に家族増えるんだ……」

 

 よくわからない発言に思えるが、事実だった。

 

 前に学校かネットか、どこかで見聞きした情報だ。

 男性の少ないこの世界では、健康で適切な性機能・精子能を持つ若い男性に何かと便宜が図られる。無論そのためには日々の運動と食事に加え、精子の提供が必須とされる。

 

 しかし、ただ健全な性機能・精子能があれば良いというわけでもない。

 国の定めた基準の一種に"月の射精回数二十一回以上"とある。どこかで聞いたことのある基準だが、たぶんそれとは違う意味でちゃんと理由付けがされている。詳しくは知らない。

 

 優理は最初これを聞いた時、頭おかしいんじゃないかと思った。

 せっせと運動して、筋トレして、食事して、身体作って。食事はともかく、ストレッチや筋トレの時点で面倒なのに、そこに毎月二十一以上の射精とか信じられない。

 

 そりゃ性欲はある。けど毎日射精するほどじゃない。というか、仕事――は前世の話だが、学校行って帰って来て食事や運動や風呂で一日は終わりだ。

 三日休めば性欲も湧くので、平日はやたら元気な時だけするに限る。そうでないと疲労が翌日まで続いて集中力もあったもんじゃない。

 

 週末に一日数回するとして、換算すれば月に十回程度か。これを約二倍にしろと言うのか。

 

「……」

 

 まあ割と余裕だった。仕事より学校楽だし。同級生ってエッチだもんね。二十一回、余裕です。

 

 話は戻るが、きちんと数値として未来に貢献できていると判断された男性には多くの便宜が図られる。

 例えばそれは、住居の斡旋であったり無料の健康診断であったり多種施設の自由利用であったり。有名なのは割券・クーポン券の類だろう。国が支援する企業の施設を格安で利用できたりもする。要するに超格安旅行だ。控え目に言って最高である。

 

 他にも手厚い仕事の斡旋であったり、性に関わる施設の完全無料権だったりと色々挙げられる。

 

 そうした多種利益を得られる代わりに、個人情報が流出した際は家族が増える。

 恩恵にあやかろうと、人は人を騙そうとする。姉妹叔母従姉妹、さらには幼馴染。あらゆる手を使って男に近づこうとする女たちがいる。世界は変わっても、悪いことを考える人間は変わらずいる。悲しい世の中だ。

 

 寝支度を進めながら朔瀬からの連絡を待つ。

 食事、運動、風呂、勉強、ゲームと……言うほどやることはないか。大体ごろごろして過ごしている。このだらけた時間が好きだ。

 

 だらだらのんびりと、なんでもない日常に身を浸す。

 

 結局その日は電話がなく、翌朝の七時頃に連絡が来た。

 優理は朝食中。電話先の声は微かにしか聞こえない。母親の相槌だけでわかることは少ない。数分話して、受話器を置いた母が困惑した様子で振り向く。

 

「お母さん?」

「……優理、よくわからなかったわ」

「ええ……」

「うーん……一応、解決はしたらしいの」

「あ、そうなんだ。ならよかったじゃん」

「そうなんだけど……自称家族は皆逮捕するらしいの」

「え」

「逮捕?通告?朔瀬ちゃんも疲れていたみたいで、あんまり呂律回っていなかったわ。珍しい」

「もしかして寝ずに対応してくれたのかな」

「そうかも?わからないわ。けど……今日はもう普通に過ごしていいって」

「そっかー。じゃあいつも通り学校行けばいいんだね。お母さんも仕事?」

「うん。今日は仕事よ。優理……一人で大丈夫?」

「あはは、平気平気。もう十七だよ。余裕余裕」

「……そういうところが心配なのに」

「ま、まあ気にしないで仕事行ってきてよ。僕も学校行くから」

「うん」

 

 心配の気色が強い母に笑いかけ、身支度を済ませていく。

 

 母親と同じで状況の理解はできていないが、とりあえず朔瀬がすごい頑張って対処してくれたのだとはわかった。

 所謂あれだ。重大なバグやエラーが起きて、緊急メンテナンスを夜通し行って朝には不具合解決させた運営、みたいな。言うまでもなく前世のスマホゲームについての話である。

 

 制服に着替え、玄関で伸びをして少しだけ警戒しながら外に行く。

 十二月の冷たい空気が頬を撫でて家に入り込む。普段と変わらず、寒々しいが見知った空気、景観だった。

 

 振り返り、まだまだ心配そうな母親に手を振って外に出る。

 

「いってきます。お母さん、朔瀬さんには僕からもありがとうって伝えておいてよ」

「うん。伝えておくわ。優理、気をつけてね。いってらっしゃい」

 

 再度手を振り、そそくさと歩いていく。

 今日も良い天気だ。冬晴れの綺麗な青空。

 

 あまり実感はないが、きっと朔瀬さんはものすごい頑張ってくれたのだろう。いつか直接お礼を言えたらいいな。……別に、綺麗なお姉さん(暫定)とお近づきになりたいとか不純な動機は…………あるか。あるな。あったわ。やっぱ性欲ってだめだ。あらゆる動機が淀んで行く……いやでも、一概に性欲悪しと言うのも間違っている。だって生存本能的なあれだし。つまり僕がまだ見ぬお姉さんに期待するのも間違いじゃない。答えが出た。

 

「……未来は明るいぜ」

 

 ニヒルに笑って呟く優理は完全に不審者だったが、その未来が当人の思う数百倍はおかしな方向に進むとは、いかに前世持ちの優理であっても一切予期していなかった。

 

 

 ☆

 

 

「……」

 

 目が覚めた。朝だ。

 懐かしい夢を見ていた。まだ高校生だった頃の、若かりし配信者となる前の自分。

 

 あれから多くのことがあった。配信とかエロボイスとかチャットとか女装とか。他にも朔瀬と面識を得て話すようになったり、いろんな女性と話すようになったりもした。

 

「……朔瀬さんか」

 

 そりゃあまあ、デートも楽しみにしてしまうかと思う。

 以前の礼は初対面で伝えたが、その後も精子バンクのことだったり生活の面だったりで何度も世話になった。信用もしているし信頼もしている。

 告白されたら即座にOKを出す自信がある。

 

 こんなにも信じられる人に出会ったのは初めて……前世含め、初かもしれない。無論、家族は除いて。

 

「……起きるかー」

 

 我ながら色々面倒なやつだなぁと苦笑しながら、のろのろ起き上がって朝支度に取りかかる。

 

 顔を洗って、着替えて、食事を用意して。

 今日の朝食は目玉焼きと作り置きのボロネーゼ味風野菜炒めだ。お昼に備えて量は少なめにしておく。

 パスタソースにパスタを入れずソースだけ使う邪道である。だがうまい。米が進む。うまければそれでいい。

 

 朝食を終え、歯磨きを終え、身だしなみを整え、今日の準備は完了だ。

 時計を見れば今の時刻は朝の八時。家を出るには少し早すぎるか。

 

 携帯を開き、連絡が来ていないかだけ確認する。通知はなく、それでも開いたのは朔瀬とのやり取り履歴だった。

 

 

 

< 朔瀬さん
 ✉ ☏ LARN

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2028年10月7日(土)

 

朔瀬さん。明日は楽しみ

ですね。男として外食す

るなんて久しぶり過ぎて

、かなり楽しみです。

既読 10:05

 

私も楽しみです。

優理君が喜んでくれて何

よりです。優理君、お寿

司は何を頼みたいですか

10:32

 

えー、あんまり高いお寿

司食べたことないのでわ

かりませんが、今回行く

お店ってどんなものある

んですか?

既読 10:35

 

ふふ、回転寿司のチェー

ン店と同じように思って

くださっていいですよ。

頼めばなんでも作ってく

れます。

10:37

 

おお、そうなんですね。

なら現地に行くまでに考

えておきます。

僕が何頼むか、当ててみ

てください。僕も朔瀬さ

んの好きなネタ考えてみ

ます。

既読 10:42

 

わかりました。私も本気

で考えてみます。

優理君の好み、当ててみ

せましょう。当たったら

景品をください。

10:55

 

景品ですか……。やる気

満々ですね。いいですよ

。僕も当てたら朔瀬さん

から景品もらうので。

プレゼント交換っぽいや

つで行きましょうか!

既読 11:23

 

 

――――――――。

 

――――――。

 

――――。

 

 

+     メッセージを送信

 

 

 それなりにやり取りが続き、昨日の夜十八時ほどで終わっていた。

 最後は朔瀬から、"明日はよろしくお願いします"と来ていた。

 

 携帯を閉じ、いろんな高揚感で満ちた心のままベッドに転がる。

 

「……恋する乙女かよ、僕は」

 

 ぼやきつつも、仕方ないかと自身を肯定する。

 この際、女性と食事に行くこと自体は置いておこう。嬉しく楽しく緊張するが、それはいい。相手が朔瀬さんと言うのも今は置いておく。考えたってしょうがない。デート前から疲れていたら本末転倒だ。

 

 それよりも、優理は男として出かけること自体が楽しみだった。

 もちろん五感誤認アクセサリーは付けていく。これは必須アイテムだ。

 

 けど、ウィッグはしない。女装もしない。化粧もしない。

 由梨ではなく、優理として出かけるのだ。

 

 ウィッグなしだとまともに買い物すらしていなかった最近。いったい何日振りの外出なのだろう。それもちょっとした買い物や散歩ではなく、人通りの多い人目のある外食だ。

 

 意識して優理で出かけてこなかったわけではない。

 だが、由梨の方が何かと便利だったのだ。誤認アクセサリーだって万能ではない。バレる時はバレるし、優理としての自分が人目に晒されるのは避けたい。

 それなら最初からウィッグ付けて軽く化粧して女装した方がいい。

 

 それがまさか、こうして素の自分を大っぴらに広げて外へ出かけていいだなんて……。男としての自分を普通に受け入れてくれる寿司屋があるとは思わなかった。客も店員も見て見ぬふりをしてくれる、ドラマや映画の中のようなお店なのだろう。

 

 たぶん高級店だ。俗に言う、回らない寿司屋というやつ。

 

 世の中、男であっても普通に外食している人はしている。

 ただ優理が好奇の目で見られるのを苦手としており、物事をマイナスにばかり考える質なだけである。

 

 話しかけられたり、勝手に相席されたり、写真撮られたり、音声録られたり、後つけられたり。

 生まれ変わってもマイナス思考な男だった。

 

「……寿司か」

 

 朔瀬の好みを考えつつ起き上がり、時間まで家事をしておく。

 炊事洗濯、掃除買い物SNSチェックと、昨日サボって寝てしまった分やることは色々ある。

 数時間など、あっという間に過ぎてしまった。

 

 

 

 十月八日、日曜日。十二時前。

 曇天の空を見上げ、今にも降りそうな雨の気配を感じ取る。

 折り畳み傘でも持ってくればよかったかなと、若干の後悔を抱えながら広場の隅に立つ。

 

 場所は優理の自宅より数駅離れた都心との中継地点。

 駅近くに大きな総合スーパーとおしゃれなミニショッピングセンターがある。ショッピングセンターにはスーパー、書店、服屋、雑貨屋と多様な店が入っており、駅直結もしているので総合スーパーよりこちらの方が好きと言う人もいる。

 

 かく言う優理も、ショッピングセンター内の輸入食品店には何度もお世話になった。

 

 駅構内より外は空中歩道が続いており、一階はタクシー・バス乗り場となっている。

 広々とした空間は数十人が並んで歩けるほどで、遮る物のない空はいつもより少しだけ近く感じる。

 

 無名ではないが、あくまで中継地点としての駅。ぶつかるほどの人はいない雰囲気が優理は好きだった。

 

「……寒いなぁ」

 

 肌寒さに声を漏らす。思った以上に空気が冷たく、長袖とはいえ接触冷感の服は失敗だったかと気が沈む。どこか屋内に避難したい。

 

 待ち合わせは十二時ちょうど。あと五分くらい。

 几帳面な朔瀬のことだから、てっきり十五分前、三十分前にはいるかと思ったが……。まあ、ゆっくり待つことにしよう。

 

 

 

 ――十二時。

 

 誤認アクセサリーを付けているとはいえ、男として外にいると緊張する。

 服装は柔らかい生地の長袖ポロシャツと長ズボンだ。上は灰色、下は黒と、前世の服装にかなり近しい。地味で目立たず、年を取っても着れる楽な服。

 

 こんなものばかり着ているから彼女の一人もできなかったんだと思ってしまうが、今世では女装ばかりしているからそもそも着る機会が少なかった。

 

 女装は良い。

 服を選ぶのも組み合わせるのも楽しいし、種類が豊富だ。

 もしもこの世界で自分が女として生まれていたら、由梨として過ごす時のように毎日ファッションを楽しんでいただろう。

 それはそれで良い人生だったかもしれない。けど、性欲が多いのに相手がいないのは辛い。きついな、それは。――いや今も同じだった。前世でもそうだった。なんだ、変わらないじゃないか。どうなってるんだ、この人生。

 

 

 ――十二時半。

 

 携帯を睨み付ける。LARNは未読のまま返信がないので、追加で送るのも変な話だ。

 一応リアラの携帯番号は知っているので掛けてみようと思う。

 

「……」

 

 思うが、指は重い。たかが電話一つ。されど電話一つ。

 考えていても仕方ない。一度深呼吸して画面を押した。

 プルプルと発信音がして、ツーツーと音が切り替わる。どうやら向こう側に連絡が付かないようだ。電波が届かないか、電源が入っていないか……。

 

「……はぁ」

 

 溜め息を吐く。

 事故事件の可能性もあるが、自分にできることはない。ただ普通に連絡が来るのを待とう。

 

 もう既に疲れてしまった。帰りたい……いやいや、まだ諦めるのは早い。諦めるのは……最後でいい。

 

 

 ――十三時。

 

 周囲を見渡すと、目に映るのは女性ばかり。

 誰も彼も、案外他人のことなど気にしていないらしい。さっさと歩いて建物に入っている。皆、買い物をしているのだろう。ここからでも店内の様子が少しは見える。

 服を選んでいる人もいれば、スーパーへのエスカレーターに乗る人もいる。

 

 待ち合わせしている人は少ない。雨が降りそうだからか。空を見上げ、より深まった灰色に苦笑する。

 まだ、連絡はない。追加でLARNでも電話を掛けたが、そちらも繋がらなかった。

 "未読"の文字に心配が募る。同時に悲しみも。

 

 

 ――十四時。

 

 お腹が減った。くぅくぅ、なんて可愛くは鳴っていないがたまにぐるぐると音が聞こえる。これも時間が経てば消える。経験則だ。

 

 最初は男姿で外出なんて、と不安塗れだったが意外となんでもなかった。

 

 世の中生きていて、誰とも知らない他人のことなんて気にはしないものなのだ。

 思えば、前世でもそうだった。通勤中にすれ違った人のことなんて気にしないし、同じ職場でもなければ会話が発生することもない。電車の中で、同じ車両というだけで意識を向けるか。いいや、向けるはずがない。

 

 そんなものだ。希薄で、簡単に切れてしまうような関係性でしかない。

 

 相手がミニスカートや肌を露出する服を着ている女性なら話が変わるか。自然とちら見してしまっていたような記憶がある……それこそが性欲の業だった。性欲の逆転した世界なのだから、通りすがりに男がいたら顔やら手や足を見てしまうのも仕方ないのだろう。

 

 自分がその立場に置かれて寛容になれるか、と言われたら別の話になるのだが。

 

 

 ――十五時。

 

 何時間も外――嘘だ。外ではない。待ち合わせ場所すぐ近くのカフェに入った。

 窓側で、景色がよく見える。人が来ればすぐ見える位置に座った。

 

 水分補給とトイレも済ませた。

 ぼんやり外を眺めていると、時折男の姿が見える。

 一人で歩く姿もあれば、女連れのこともある。男二人組、稀に男三人組だっていた。

 

 季節柄か、既に皆長袖を着ていた。

 眺めていると、男とすれ違う多くの女性がこっそり目を向けているのがよくわかった。

 

 視線の向かう先に個人差がある。腕とか、足とか、髪の毛とか首とか靴とか。

 個人の性癖が露骨に視線で判断できて悲しい。前世の自分もあんなんだったのだろう。本人にはバレないようにしても、周囲から観察すればバレバレだった。視線ってすごいね。わかりやすい。

 

 個人的には後ろ姿を目で追うのは止めた方がいいと思う。

 相手に見えないからって何人もが目で追っているのは怖い。

 

 ただ、ちょっと辛くも感じた。

 目で追って、話しかけようと足を動かしてすぐ止めて。諦めた風に溜め息を吐いて沈んだ顔でその場を離れていく女性の姿が後を絶たなかった。

 

 わかるよ、その気持ち。

 異性に話しかけたいけど、気軽に声かけたりできないよね。断られたらとか、無視されたらとか、冷たい目で見られたらとか。色々考えて結局何もできないんだよ。

 

 女性の中には吹っ切れてぶつかる人もいるんだろうけど、前世とはその、いわゆる"ナンパ男(女)"の比率が違う。

 根底からして女は待ちの姿勢でいるし、そもそも男の絶対数が少ないから話しかける相手が全然いない。

 

 ままならないもんだな、と思ってしまう。

 もしもこの世界が男女比1:1だったら、もう少し積極的な女性も増えるのかもしれない。幼い頃から男と接する機会があれば、考え方も変わるものだろう。たぶん。

 

 

 ――十六時。

 

 雨が降ってきた。まだまだ店内に居座っている。ごめんなさい店員さん。たぶんまだ結構居座ります。

 

 しかし、それなりに雨が降っている。鞄に折り畳み傘はない。やはり傘はあった方がよかったかと後悔が嵩む。

 

 しとしとと降る雨のせいか、どんどん人通りは減っていく。外を歩く人の姿は既に疎らだ。一段と寒さも増した気がする。

 

 雨雲を見つめ、空はいいなと思う。

 何にも縛られず、何にも惑わされることはない。悩まず、迷わず、ただ揺蕩うだけ。

 

 少し、羨ましいと思った。

 ……少し、友達に会いたくなった。

 

 

 ――十七時。

 

 携帯の画面を、付けて、消して、付けて、消して。

 画面では"1723"の文字が点滅している。もう、こんな時間か。

 

 気づけば十七時。あと三十分で十八時になる。

 待ち合わせ時間から六時間だ。

 

 馬鹿だなぁと思う。こんな待つ意味ないだろうと思う。

 話してすぐのような関係ではないのだ。知り合って数年。面識を得て一年以上になる。

 

 何か理由があるのだろう。家に帰って、電話かメールか、説明を待てばそれでいい。こんな肌寒い日に、長々と待っている意味はない。……まあ室内だけど。

 

 既に注文は数度繰り返してしまった。

 朔瀬さんはどうしているのだろうか。何かトラブルに巻き込まれているなら連絡でもくれればいいのに。ここに来る可能性は……さすがに低いか。トラブルでもなんでもない可能性も……ないと思いたい。

 

 なんでもいい。

 別に一日潰すくらいなんでもない。……なんでもない。

 

 

 ――十八時。

 

 夜の街は寂しく見える。

 太陽は沈み、そもそも遮られていた光は一切なくなってしまった。

 雨が降り止む気配はなく、ただただ変わらぬ雫を落とし続けている。

 

 地面には点々と水溜まりができ、人工的な明かりを反射して鈍くきらめいていた。窓ガラスに張り付く雨粒がゆっくりと流れていく。

 

 人はずいぶんと減った。それでも優理の視線の先、ショッピングセンター前を行き来する人がいるのは駅近ならではだろう。

 客層は少し変わったか。日曜日でも仕事をしていたらしい、疲れた顔の人が増えている。買い物も洋服よりスーパーの食料品袋やマイバッグが多く見られた。

 優理の顔にも疲労の色が見える。

 

 連絡はない。もうほとんど諦めている。

 帰ろうとしないのは、ただ意固地になっているだけなのかもしれない。

 

 口に含んだカフェオレが、やたらと苦く感じた。

 

 

 ――十九時。

 

 お腹は減ったし疲れた。

 食べ物は喉を通る気がしなかったから一切注文しなかった。お腹が減った。

 空腹に重ねて、座っているだけでも身体はかなり疲れた。ただ今は、それ以上に心が疲れていた。

 

 前世でも、似たようなことはあった。

 その時は、こんなにも待っていなかった。一時間ですぐ帰った。というかご飯食べて買い物して家に帰った。心は痛んだが、最初から期待も薄くダメージは少なかった。

 

 ならなんで今は、こんなにも長い間待っているのだろうか。

 

「……」

 

 席を立つ。外に行こう。

 会計を済ませ、冷たい空気を吸って風に流れる雨を浴びて、自身を俯瞰する。

 

「――」

 

 声には出さず呟く。

 それだけ、期待していたからだろう。

 それだけ、信じていたいからだろう。

 

 

 ――二十時。

 

 ショッピングセンターの閉店まで、あと一時間。

 どうせなら閉店まで待ってみよう。もうこんな時間だ。お店が閉まるのと同時に帰ろう。……そうでもないと、区切りが付かない。付けられない。

 

 ずいぶんと、本当にずいぶんと長居してしまった。

 カフェにも、外にも。ほとんどカフェだった気もするが、そこそこお金は払ったから許してほしい。

 

 携帯を開く。

 朔瀬から連絡はない。モカや香理菜、他大学の恋愛相談相手から色々あり、アヤメからも連絡は来ている。ただ、今はメッセージを考える元気はなかった。

 

 あと一時間。あと一時間で終わりにしよう。

 

 

 ――二十一時前。

 

 あと五分もすればショッピングセンターは閉まる。

 いつ電気が消えるのか、そういえば閉店時に居合わせたことはなかったかもしれない。

 

 結局、連絡は来なかった。雨も降り続けたままだ。

 

「……ほんと、馬鹿だなぁ、僕」

 

 これじゃあお姫様系乙女を笑えない。

 来ない待ち合わせ相手を九時間も待ち続けたなんて、笑い話にもならない。

 

 こんな時間まで長々と待つことになったのは、やはり今朝の夢のせいだろうか。

 

 自分のために動いてくれた人間を、自分のために手を尽くしてくれた人間を。

 信じ、頼り、心開いている人間がまさか無言でデートをすっぽかすなんて考えたくなかった。

 

 もしも何か大きな事故事件に遭っていたとしたら……それはそれで考えたくないな。前回会ったのが今生の別れとかきつすぎる。心が折れそうだ。

 

 今日一日、色々と考えた。考える時間だけは山ほどあった。

 いろんなシチュエーションを考えてみた。

 

 第一、トラブルも何もなくただ嫌になった可能性。

 第二、連絡一つできない状況に追い込まれた可能性。

 第三、実は何度も連絡していたが、こちらに届いていなかった可能性。

 第四、他の男に……脳が破壊される。これはNGで。

 

 本来なら一度帰って、後日の連絡を待つべきだったろう。

 だが何故か、優理の足は動かなかった。

 

 もしかしたら来るかもしれない。

 そんな可能性が頭に過って、足が動いてくれなかった。

 

 万が一にも、積み重ねた信頼が全部嘘だったなんて思いたくなかった。もしもそんなことになってしまったら人間不信になりそうだ。ただでさえ恋愛苦手なのに、一生童貞のまま二度目の生も終えてしまいそうな気がする。……そんなの嫌だ。童貞が嫌なわけじゃなくて、いや童貞も嫌だけど、前世と同じように終わるのは嫌だ。今度こそ、イチャイチャラブラブして幸福レベルを更新するのだ。夢は終わらない。終わらせない。

 

「……はぁ」

 

 とはいえ。とはいえ、人の夢は儚い。

 引き伸ばしたって限界はある。長く辛い一日だった。

 

 電気が消えたら帰ろう。

 優理は背後の明かりから目を逸らすように、ようやく、ようやくと重たい足を動かし始めた。

 

 数歩。

 

「……?」

 

 歩いて、物音に気づく。

 足音だ。ショッピングセンターの横から通じる細道は木造になっているため、歩くとよく音が響く。コンコンコン!、とでも言えるような木を叩く音が雨の音に混じって聞こえてきている。

 

 誰が走っているのか。胡乱な眼差しを向け、疲労と苛立ちを音の主にぶつける。

 顔は合わせていないのだからこれくらいいいだろう。八つ当たりだなんてわかっている。それでも、行き場のないこの感情はどうにかしたかった。

 

 長い十数秒の後。

 足音の主が姿を現す。

 

「――――」

 

 時間が止まったような気がした。

 

 優理の視線の先に立つ、一人の女性。

 傘を差さず、はぁはぁと息を荒げている。

 

 髪は乱れ、長い黒髪は結ばれず流れるまま。

 荷物はない。身を包むパンツスーツはところどころ擦れ、雨でわかりにくいがかなり汚れていた。

 スーツのジャケットは着ておらず、濡れた白シャツが張り付き淡いライトグリーンを透けさせていた。シャツの二の腕部分も裂け、雨のせいで変に縫合されたかのようだ。よく見れば手先は何か所も絆創膏が貼られ保護されていた。

 

 目元はアイシャドウかアイライナーか、黒みを帯びた滲みが広がっている。

 髪をかき流し、何かを探すように視線を彷徨わせる。

 

「……」

 

 優理は、何を言えばいいのかわからなかった。

 その服は、傷はどうしたのか。怪我はしていないか。どうして連絡がなかったのか。

 

 聞きたいことは多く、けれど考えている時間はなかった。

 

 向こうの女性も――朔瀬もまた、立ったままの優理に気づいたからだ。

 

「――っ」

 

 誤認アクセサリーを付けていても、見慣れた人間にはわかるのだろう。

 一瞬戸惑った顔を見せ、目を見開き。

 

「どう、して……っ」

 

 聞こえなくらいの声で呟き、夢や幻でも見たかのように、信じられないとでも言いたげな顔で首を振って。

 それからひどく……ひどく、泣きそうな顔をして。

 

 明らかに雨とは違う雫をこぼしながら、そっと歩み寄ってくる。

 

 何を言うか。何を言えばいいのか。

 こういう時、何を言えばいいのかわからなかった。今世でも前世でも、こんな経験はしたことがなかった。

 

 でも、優理にはいろんな知識がある。

 恋愛のシミュレーションなら何度もしてきた(ゲームで)。似たようなシチュエーションも味わってきた(漫画で)。どんな対応が正解かの知識も得てきた(本で)。

 

 待ち合わせに来なかったのなら、何も言うことはなかった。

 けど、そんな必死に、こちらの顔を見た途端に涙を流すような姿を見せられたら思うこともできてしまう。

 

 自分が傷ついたように、朔瀬もまた傷ついたのだろう。

 それは物理的な意味でなく、心に負担がかかったという意味で。

 

 優理が同じ立場で、どうしようもなく待ち合わせに遅れてしまったら、相手に申し訳なくて仕方ない。泣く……かどうかはわからないが、確実に落ち込む。数週間は引きずる。

 

 ならばきっと、ここで優理が言うべき言葉は一つだけだ。

 

 短く深呼吸し、唇を震わせた朔瀬が何かを言う前に先を取る。

 

「――遅かったですね。僕、待ちくたびれちゃいましたよ」

 

 明るく、なんでもないように。ほんの五分十分遅れただけのように、優理は柔らかく微笑んで伝えた。

 

 朔瀬は。

 

「あ……あ、ぁぁああっ。ゆ、優理く、んっ。ご、ごめんね!ごめんなさい!私、わたし……っ!ごめんなさい、ごめんなさい!!」

 

 子供みたいに泣きじゃくって、何度もごめんなさいを繰り返していた。

 雨に打たれ、立ったまま涙する朔瀬に優理はそっと近寄る。

 

「謝らないでください。来てくれただけで、もういいじゃないですか。僕は朔瀬さんを待っていた。朔瀬さんは約束通り来てくれた。それでいいんです」

 

 自分と同じくらいの高さの肩に腕を回し、濡れて冷たくも女性らしい身体を抱きしめる。

 こくこくと首を振りながらも、堪えきれない嗚咽をこぼす背を優しく撫でる。

 

 自分より少しだけ背が高く、同じように見えてもやはり高い上背をしているというのに、こうして抱きしめた身体はずいぶんと柔らかく華奢に思えた。

 

 花や果物を思わせる清潔な香りの中に、雨の匂いと煙臭さが混じっていて苦笑する。これは第二の可能性が高いか。

 

 空を見上げると、目に雨粒が触れて微かに痛んだ。目尻を流れるそれは、雨か、それとも涙か。

 

 今日はもう、雨は止みそうになかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。