決意の日の夜。
僕は、父さんと老トレーナーの間での話し合いの場を設けた。
僕のパリ行きを、父さんに許可してもらう為だ。
パリのトレーナーを交えた話の後、パークも僕と同じように呼び出され、パリ行きの話を伝えられた。
パークは、「共鳴」の話は半信半疑といった感じだったが、パリ行き自体には賛同してくれた。
……自分の意思ではなく、僕が行くと決めたからついていく。という後ろ向きな理由だったが……。
ともあれ、これで僕ら二人がパリに行く事は決まった。
だが、まだ問題があった。
僕達は未成年で、子供だ。
ドーヴィルを離れてパリに行く、という話を親に認めて貰わなければならなかった。
パークはそもそも、親元を離れて老トレーナーに預けられている身だ。
トレーナーとしての名声・信頼・人徳があり、地元の名士のような扱いを受けている老トレーナーが病気の治療の為と言えば、元々老トレーナーを信用して預けていたパークの親には特に反対はされず、パーク自身のパリ行きにはあまり支障はなかった。
だが、僕はそうはいかない。
滞在がどれくらいになるかはパーク次第。
何日か、何ヶ月か。全く先行きは不透明な旅になる。
しかし、パークの為にも行かなければならない。
僕と老トレーナーは、父さんを強く説得した。
―――……貴方の息子さんを、こんな事態に巻き込んでしまって、本当に申し訳ないと思っています。
私は、教育者として失格かもしれません。
しかし、彼でなければ救えない人がいる。
どうか彼を、パリへと行かせてやってもらえませんでしょうか。
……お願いいたします……―――
父さんに向けて深く頭を下げ、悲痛な声で懇願する老トレーナー。
僕が今まで見てきた厳格で優しい老トレーナーの姿はそこになく、ただ一人の弱々しい老境の女性が僕の目に映っていた。
……僕の心は、老トレーナーへの申し訳なさでいっぱいだった。
父さんはしばらく目を瞑り黙考した後、目を開いて僕の方を見た。
僕は意志を強く持って、父さんの目を見つめ返す。
父さんはうむと頷き、老トレーナーに頭を上げてください。と
―――わかりました。息子が人を救う鍵となるならば許可します。どうか息子をよろしくお願いします―――
―――こうして、僕のパリ行きが決まった。
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数週間後。
僕とパークは今、ドーヴィルからパリに向かう車の中にいる。
ドーヴィルからルーアン地方を経由し、南東へ170km。時間にしておよそ2時間半の旅だ。
《ねえねえタクヤ!あれ見て!かわいいー!》
車窓の外を見ながらはしゃぐパーク。
窓の外には、雄大な山々と広大な草原。
彼女の指差す先には、ポツポツと放し飼いにされている牛や羊がいた。
傍目には、可愛らしい少女がはしゃいでいるだけの、微笑ましい情景。
だが、僕と彼女の手はしっかりと繋がったままだ。
たとえ彼女が僕と反対の方向に身体を向けていても、その手が離れる事はない。
……彼女は今、一部の時を除けば僕から片時も離れられなくなってしまっている状態だ。
彼女の心の歪みは、限界に達しようとしていた。
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花の都 パリ
世界でもトップクラスに有名な観光地だ。
その名を知らない人など存在しないレベルの観光都市だろう。
観光スポットの名を挙げれば、枚挙に
毎年世界中から4000万人に届くかという観光客がやってくる、フランスの文化の極みだ。
僕とパークは、数時間の車旅の末にパリ市内のホテルに降ろされた。
観光客用のホテルで、地上何十メートルもある巨大な三ツ星ホテルだ。
僕はまさか、人生でこんなホテルに宿泊する機会があるとは思っていなかったので、阿呆みたいにポカンと口を開けながら摩天楼の頂上を見上げていた。
……スケールのあまりの大きさに、顎が外れそうだった。
パークも似たようなものだ。
僕と並んで二人してポカーンとしていると、入り口に控えていたホテルマンの人に声を掛けられた。
ホテルマンに案内されて通された部屋は、流石にスイートとかではなく、ホテル下層の少人数の旅行者用の部屋だった。
とは言っても、僕みたいな小市民から見れば豪勢な部屋だ。
僕はこんな良い部屋に泊めてもらえるなんて、と少し及び腰になっていた。
パークはというと、部屋を見て目をキラキラさせたかと思うと、僕の手をグイグイ引っ張って探検を始め、終いには部屋の豪華なクイーンサイズのベッドの上でポヨンポヨンと僕を巻き込みながら飛び跳ね始めてしまった。
《凄いねタクヤ! トランポリンみたいだよこのベッド!》
うっ、あ、危ないからっ、やめようねっ!
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夜。
二人で同じベッドに入り、就寝する。
パークは、僕を離さないように抱きついたまま眠りについている。
僕達は、同じ部屋に泊まっている。
もはや限界に達しているパークには、部屋を分けるという選択肢はなかった。
パークは、眠る前に震えていた。
自分が今どんな状態なのか、薄々気づいているのだろう。
僕がいなければ、彼女の心はバラバラに引き裂かれる。そんな綱渡りな精神状態が、彼女に過大なストレスを与え続けているのだ。
……なんとしても、「共鳴」によるパークの魂の救済を成功させなければならない。
明日。
僕達はパリのトレーナーと契約している、一人のウマ娘に会いに行く。
そのウマ娘の名は、モンジュー。
パークと同じくいまだ未デビューながらも、フランスの誇る天才と呼ばれているウマ娘だ。
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ブローニュの森 ロンシャンレース場
ここはかの有名な、芝の世界一のレースと呼ばれる凱旋門賞が開催されるレース場だ。
エトワール凱旋門という、フランスの代表的な観光スポットから、西におよそ6kmの距離にある。
森の中にあるレース場で、特徴的なコース構成である事もよく知られている。
僕とパークは、そのロンシャンレース場……ではなく、同じ森の中に敷設されている練習用のレーストラックにいた。
ここでかの天才ウマ娘、モンジューと待ち合わせをしているのだ。
時刻は午前の11時。
すでに日も真上に差し掛かり始めている。
……パークは不安からか、小さく震えながら僕の腕にしがみ付くように密着している。
時間はあまり残されていない。
焦燥感に苛まれながら待っていると、遠くから二人の男女が歩いてくるのが見えた。
僕達の近くまで二人が来た時、男性の方はパリのトレーナー。女性の方は見覚えのない
……まさか、彼女がモンジュー?
一目見て凄まじいウマ娘だとわかる。
厚いトモの張り、所作からわかる体幹、あらゆる筋肉の
半端ではないアスリートとしての完成度。
どこを見ても、現役のトップ競走ウマ娘に引けを取らない姿。
これでいまだ未デビューのウマ娘?
……冗談にしか思えなかった。
―――初対面でジロジロと見られるのはあまり感心しないね。
凛とした、場によく通る声だった。
僕はハッとして、すみませんでした。と慌てて謝罪した。
その後、改めて挨拶を交わした。
やはり、彼女がモンジューその人だった。
……彼女がパークを救う鍵を握る存在。
パークの「共鳴」の相手となれるウマ娘。
件の彼女は、挨拶もそこそこに僕にしがみついているパークに目を向ける。
その目は厳しい光を持った、力強い視線だった。
パークはその視線を受けて怯えたのか、少しビクッと震えた。
そんなパークの姿を見て、彼女の視線はますます厳しくなっていく。
やがて彼女は溜息を吐いて、被りを振りながら僕達に言い放った。
―――私が今日ここへ来たのは、君達を助ける為じゃない。
もうすぐ控えたデビューの為に、「共鳴」とやらを試そうと思ったからだ。
「共鳴」はウマ娘の飛躍を促すと聞いたからね。
だが、君達に会ってガッカリしたよ。
そんな軟弱な男に媚びて震えている小娘が、私と魂を震わせるなど出来るわけがない―――
苛烈な物言いだった。
だが僕には、反論どころか言葉を発する事すらできなかった。
彼女は強い。強すぎると言っていい。
彼女の言葉には、満ち溢れる力が乗っていた。
僕は彼女に完全に
だが、パークは違った。
《……軟弱な男って、誰の事ですか》
気が付くと、パークの震えは止まっていた。
それどころか威圧感さえ感じる。僕の腕を掴む力が強まっていく。
パークとモンジューが睨み合い、徐々に場がピリピリとしていく。
一触即発の空気。
だがモンジューは、そんなパークの視線を鬱陶しげにしながら、フンと鼻を鳴らした。
―――そんな事も言わなければわからないのかい?
君が必死にしがみついている、さっきからボーッと突っ立っているだけの間抜けな
……ああ、悪い事を言ったとは思っていないよ。
なにせこの私の貴重な時間が、こんなくだらない茶番に付き合わされ、無為に
むしろ君達の方こそ、私に謝罪してほしいくらいだね―――
信じがたい罵倒が、彼女の口から飛び出す。
僕は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
僕の聞き間違いかとも思ったくらいだった。
……いくらなんでも言い過ぎだ。
酷い
ふと、横目に壮年のトレーナーの姿が目に入る。
大体、トレーナーも何故彼女のこんな侮辱を
僕は先ほどから無言を貫いている彼女のトレーナーに目を向けて、睨みつける。
……彼女のトレーナーは、腕を組んで真剣な表情で状況を見守っていた。
その姿を見て、僕の頭が一気に冷えていく。
まさか、彼女達は……。
《……ッ! タクヤは軟弱でも置物でもない! 訂正してください!》
僕を罵ったモンジューに、パークが僕の腕を離して激昂する。
彼女の怒声が、ブローニュの森に大きく響き渡った。
そんな彼女を見て、モンジューは涼しげな表情でパークを挑発する。
―――この私に謝らせたいと?
フッ、身の程知らずもここまでくると滑稽だね。
君もウマ娘ならば、レースで私に勝って従わせてみるといい。
このレーストラックを一周、約1000mを右回りだ。
かかってくるといい、甘えた小娘―――
侮辱と挑発に、歯を食いしばるパーク。
ギリッ、という歯軋りの音が、僕の耳にも届いた。
パークの内側から闘争心が漲ってくる。
彼女から目に見えるほどのオーラが溢れ出している。
やはり、これは……。
その時、僕の肩に手が置かれた。
振り向くと、彼女のトレーナーが頷きながら僕の目を見つめていた。
それを見て、僕は確信を得る。
彼女達は、わざと道化役を演じてくれているのだと。