スタート位置に着いた二人のウマ娘。
同等の才能を持つと言われる、パークとモンジュー。
二人の激突が、今始まった。
最初の直線。1コーナー、2コーナー。
二人は横に並んだままコースを周り、向こう側の直線に出る。
そこで、まず最初の変化があった。
パークが若干先行し、モンジューはその後ろにつく。
そこからの展開は、モンジューの独壇場だった。
目まぐるしく繰り出されるフェイント、幻惑的なステップ。
踏み込みの音すらも利用した、巧みな牽制。
その全てがハイレベルな技術。直線の半分を過ぎる頃には、状況が何回変化したかなんてわからないくらいだった。
モンジューはあらゆる手段でパークを背後から揺さぶり、パークの集中を掻き乱す。
パークも負けじと振り切ろうとしているが、どう見てもモンジューの思うままに振り回されている。
……やはり強い。今のパークでは全く歯が立たないだろう。
誰の目にも明らかだ。レベルがあまりにも違いすぎる。
ともすればそれは虐待に見えるほどだ。
「共鳴」のためには同等の力が必要。
パークの才能はトップクラスだ。そしてそれはモンジューも同じ。
だが、目の前に広がる光景は、とても同等の才能を持つ者の戦いには見えない。
……パーク……!
祈る思いで、彼女の走りを見つめる。
3コーナー、4コーナーを周り、二人が最後の直線に突入してくる。
その瞬間、モンジューの脚が膨らんだように見えた後、爆発したかのような末脚が発揮される。
圧倒的なスピード。ゴールに向けてグングンと迷いなく加速していく。
一方、パークの表情は苦悶に歪んでいた。
息は完全に乱れ、目は虚になりかけている。
モンジューに揺さぶられ続けた彼女は、余力を完全に吐き出し切ってしまっていた。
パークの足並みが徐々に乱れ始め、脚勢も衰えていく。
…………駄目なのかっ……!
僕の心に絶望が広がっていく。
今すぐコースに飛び出し、身も心も傷ついてボロボロのパークを支えにいこうと、体が動きそうになる。
だが僕は、前に出そうになる足を強い意志でグッと抑え込んだ。
パークを信じるんだと、己に言い聞かせた。
その時、風に乗ってモンジューの怒声が聞こえてきた。
―――どうしたっ! その程度か!!
その弱さで彼を振り回し続けてきたのか!
そんなものでは彼も浮かばれまい! 小娘!!
彼も哀れな男だな! 貴様程度の女を後生大事に守っていたなどと、なんて愚かな人間だろうか!!―――
彼女の口から放たれる、パークと僕への罵倒。
他者を見下す者の、傲慢な罵り。
だがモンジューのその声は、わずかに震えていた。
外から聞いていた僕には、彼女が心にもない悪態を吐いているのが理解できた。
限界が近く、意識を失いかけていたパーク。
しかし、僕が
再び歯を食いしばったパークの脚が、力を取り戻す!
《……ッッ!!! ああああぁぁッッ!!!!》
パークが限界を超える。
彼女の末脚が爆発し、踏み込んだトラックの芝が弾け飛んだ。
みるみるうちにモンジューと並び、脚勢が全く同じになる。
どう見ても死に体だったパークから、力が溢れ出している。
こんな事があり得るのか?
僕と壮年のトレーナーは、あまりにも衝撃的な末脚を見せるパークの姿に、言葉を失った。
並ばれたモンジューの顔も驚愕に染まり、負けじとさらなる加速を重ねる。
やがて双方並んだまま、ゴールへと突っ込んでくる。
あと残り100mもない。
限界を超えたパークに、モンジューも全力で抗っている。
とても二人が未デビューの身だとは思えない、凄まじいデッドヒート。
僕は固唾を飲んで、その結末を見届けんとした。
―――その瞬間、二人の様子が変わった。
二人は笑っていた。
あんなにも罵声と怒声を浴びせられていたパークが笑っている。
モンジューも同じだ。全力で走りながらも笑みを浮かべている。
彼女達は笑みを浮かべながら、同時にゴールラインを越えた。
――――――――――――――――――――
《はっ、はっ、はぁっ……》
パークがターフに手と膝を突いて、息を荒げている。
モンジューもわずかに息を乱したまま、彼女の傍らに立ち彼女を見下ろしていた。
しばらくして、おもむろにモンジューはパークの横に膝を立ててしゃがみ、彼女の身体を支えながら語りかけ始めた。
―――ヴェニュスパーク。君と彼には何度も酷い言葉を投げかけてしまった。
本当にすまない。心から謝罪するよ。
だが、君の奥底にあるものを引き出すためには、これしか方法がなかったんだ。
私としても心苦しかったが、君を救うためには必要だったんだよ。許してほしい―――
モンジューの悲しげな懺悔が聞こえてくる。
……彼女も本当に苦しかったはずだ。心の中で
必要だと判断したからと言って、彼女が本来持つだろう誇りと気高さとは真逆の、傲慢で横暴な者の振る舞い・演技。
それがどれだけ、彼女の心を傷ませてしまったのか。
彼女には、感謝の念しか浮かばなかった。
モンジューの懺悔を聞いて、パークは息を切らしながらも顔を上げる。
その顔は、複雑な表情をしていた。
泣いているのか、怒っているのか。
それとも笑っているのか。
まるで、感情の置き場を忘れてしまったかのようだった。
それを見たモンジューは、腕の中にパークを抱きしめた。
モンジューの優しい抱擁に、パークは驚きで目を見開く。
パークを抱きしめたまま、彼女は語りかけた。
―――君と「共鳴」を果たした時、君の痛ましい心が流れ込んできたよ。
だが君の傷ついた魂は、私の魂と確かに震えあい、癒された。
……もう君は大丈夫だ。心の繋がりがそう教えてくれている。
これで君は、彼を解き放つ事ができたんだ。
おめでとう、ヴェニュスパーク―――
モンジューの優しい言葉を聞いて、パークの目から涙が溢れ出した。
《……っうぅ、ああぁぁぁ……っ!!》
……彼女はモンジューの腕の中で、いつまでも声をあげながら泣き続けた。
……もう、彼女は大丈夫だ。
僕はブローニュの森の木漏れ日の中、上を向いて木々の間から覗く空を見つめた。
――――――――――――――――――――
それからの事を、簡単に話そうと思う。
僕と心が癒えたパークは、ドーヴィルに戻り老トレーナーに「共鳴」の成功を報告した。
それを聞いた老トレーナーは感極まり、僕とパークを一緒に抱きしめながら、本当に良かったと涙を流してくれた。
……老トレーナーとチームの皆には、数えきれないほど多くの迷惑をかけてしまった。
僕はこの償いをしなければならない。
そう考えていたら、皆からそんな事を子供の貴方が気にするんじゃない。と言われてしまったけれども。
本当に、僕は出会う人達に恵まれていると思う。
その後も僕は、ドーヴィルのチームで忙しく働く毎日を送っている。
パークは老トレーナーへの報告が終わった後、またパリに戻りパリのチームに仮移籍したような形になっている。
「共鳴」したモンジューを慕って、共にトレーニングに励む毎日を送っているのだ。
「共鳴」のおかげで、僕と離れてもパークに不調は起こらないようになって、彼女は元気一杯に走り回っている。
……やけに僕との身体のスキンシップが多いのは変わらなかったけれども。
まあそれはともかく、モンジューも可愛い妹分ができたようなものだから、パークの事をそれはもう溺愛しているらしい。
パークの方も、色々と世話を焼いてくれるモンジューの事を「師匠」と呼んで姉のように慕っているとの事だ。
今やパリ中で話題の将来有望な師弟。なんだとか。
そしてパークは、時々ドーヴィルに帰ってきて土産話を僕にたくさん聞かせてくれる。
彼女の話が聞ける時を、僕はいつも楽しみにしている。
モンジューはというと、あれからすぐにデビューを果たし、圧倒的なパフォーマンスでフランスレース界を
ここドーヴィルでも彼女の話題で持ちきりだ。
フランスのレースメディアも、モンジューに関する記事や映像を出さない日はないくらいだった。
間違いなく彼女は将来、フランスのレジェンドと呼ばれる程の存在になる事だろう。
一度だけ彼女のレースを応援に行った事があるが、言葉を失うほどの蹂躙劇で他の参加ウマ娘が可哀想になる程だった。
……これもパークとの「共鳴」の結果なんだろうか。
ウマ娘とは不思議に満ちている。
そうした日々が過ぎ、1年の時が流れた。
――――――――――――――――――――
ある日の夜。
僕が自室で勉強をしていると、ノックの音が聞こえた。
ドアを開けると、そこには父さんが立っていた。
大事な話がある。といって父さんは部屋に入ってくる。
……僕は、似たような事がニュージーランドの時にあった事をふと思い出した。
話の内容は、父さんの仕事の話。
……今度はアメリカの西海岸。サンフランシスコへの転勤が決まったという話だった。
だが僕は、それにはついていかなかった。
今、僕の手には一つの書類束が握られている。
それは、日本のトレーナー養成学校の入学願書。
国際郵送で取り寄せたものだ。
僕の年齢は、もう入学条件を満たす年齢になっていた。
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ドーヴィル東部 ドーヴィル=ノルマンディー空港
僕は今、大きなキャリーバックを持って、空港の出発ロビーでフライト時刻を待っていた。
ここからルーアンの空港で飛行機を乗り継ぎ、国際線で東京に帰るのだ。
僕の胸に、様々な記憶が蘇ってくる。
ニュージーランドでのフォークインとの日々。
フランスでのパークとの日々。
お世話になった人々との数えきれない思い出の日々。
みんなみんな、僕の大切なものだ。
一生忘れることはない。
おーい! という声が聞こえた。
出発ロビーの入り口の方を見ると、チームの皆が見送りに来てくれたのが見えた。
前日にお別れの挨拶は済ませていたのに、わざわざ空港まで来てくれるなんて。
僕の胸に熱いものが込み上げてくる。
僕は、チームの皆一人一人と最後の別れの挨拶を交わした。
日本に帰っても頑張ってね。
君の事はずっと忘れないよ。
またドーヴィルに遊びに来てね。
皆の別れの言葉が、僕の胸に染み渡っていった。
そして最後に、老トレーナーと向かい合った。
本当に、お世話になりました。と僕は万感の想いを込めて別れを告げる。
それを聞いた老トレーナーは、目に涙を浮かべながら僕に語りかけた。
―――……貴方が来てから、本当にいろんな事があったわね。
貴方と出会い、過ごしてきた日々は、みんな私の大切な思い出よ。
貴方なら、絶対にトレーナーになれると信じているわ。
頑張ってね―――
僕は、老トレーナーの暖かい言葉に涙が溢れ出すのを止められなかった。
最後に深く、老トレーナーに頭を下げる。
溢れた涙の雫が、ロビーの床に落ちていった。
出発ロビーに、フライト時刻を知らせるアナウンスが流れる。
僕は老トレーナーとチームの皆に背を向けて、ゲートへと歩き出した。
……心残りが、一つだけあった。
最後にパークと会えなかった事だ。
僕が日本に帰る事を、パリにいるパークに電話で伝えたところ、彼女は最初信じてくれなかった。
またまた〜、冗談はやめてよ。面白くないよ? という返事が電話越しに返ってきた時は、いつかのデジャヴを感じたものだった。
だが僕が真剣に伝えると、彼女が絶句したのがわかった。
その後はなんの返事もなく、どれだけ話しかけても何も返ってこなかったため、フライトの日取りだけ教えて電話を切ったのだ。
……ひょっとすると、僕は彼女を怒らせてしまったのかもしれない。
それも当然だと思う。思惑はどうあれ、今までずっと彼女を支え続けていたのに、急にそれを放り出して帰るというのだから。
最後に、パークとちゃんとお別れをしたかった。
本当に、それだけが心残りだ。
心にしこりを感じながら、ゲートに向かって歩いていく。
あと数歩でゲートの内側に入る。
……これで、フランスともお別れだな。
感慨深く、そう思った。
その時。
《タクヤッ!! 行かないでッ!!》
僕を呼ぶ、悲鳴のような声。
僕はその声に、思わず振り向いた。
視線の先には、ロビーの入り口の壁に手を掛けながら、息を切らしたパークの姿があった。
……どうしてここに? パリにいたんじゃ?
そう困惑していると、パークは僕に向かって走ってきて、飛び込むように抱きついてきた。
彼女の軽い体を受け止める。
だが衝撃を受け止めきれず、僕は尻餅をついてしまった。
僕の上に乗ったパークの顔は、涙に
表情もグシャグシャで、可愛らしい彼女が見る影もないほどだ。
彼女の涙が、僕の体にポタポタと落ちてくる。
《お願い……行かないでよぉ……》
上擦った声。
僕を絶対に離さないようにと、彼女が力を込めて抱きついてくる。
彼女は怒ってなんかいなかった。
ただただ、僕がいなくなる事があまりにショックで、言葉を発せられなかっただけだったのだ。
それが今、理解できた。
パークはその小さい体で、僕を全力で引き留めようとする。
……僕は、悲しみに心を押し潰されんばかりだった。
僕も彼女の事を抱き返す。
《……なんで……なんで行っちゃうの……?》
パークが、悲しみに溢れた声で僕に問いかける。
……僕には夢がある。
日本のトレーナーとして、ウマ娘を育てたいという夢だ。
その為には日本に帰らなければならない。
そしてそのタイミングは今しかない。
僕は、かつてのフォークインとの約束を思い浮かべる。
彼女とジャパンカップで再会するという約束。
彼女の本格化の時期を考えれば、最短でトレーナーにならなければ間に合わない。
……僕は、断腸の想いでパークを引き離した。
パークは泣きじゃくって、僕に縋りつこうとする。
僕はパークの両肩に手を置いて、彼女を押し留めた。
ごめん、もう行かないと。とパークに言葉を掛ける。
《……だったら……だったら……》
俯いた彼女が涙声で呟いている。
僕は彼女の言葉を聞き漏らすまいと耳を傾けた。
彼女は顔を上げて、涙で上擦った声で僕に言った。
《いつか、いつか私も日本に行くよ……そうしたら……》
……後半は、しゃくりあげながらだったからかよく聞き取れなかった。
けど、日本に行く。と彼女は言った。
それはつまり、フォークインと同じくジャパンカップにフランス代表として来る、という事だろう。
彼女が将来フランスでデビューし、華々しい活躍をする事は想像に難くない。
ひょっとしたら、凱旋門賞だって取ってしまうかもしれない。
そうしたら、日本のジャパンカップに出ることなんて容易な事だろう。
だから。
僕はパークの青い瞳を正面から見つめながら、頷いた。
わかった。僕も立派なトレーナーになって、パークを待ってるよ。
―――彼女は泣きながら、笑顔で「アリガトウ。マタネ」と僕に別れを告げた。
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東京都府中市 トレーナー養成学校
数年ぶりに東京に帰ってきた僕は今、トレーナー養成学校の正門前に立っていた。
初めての一人暮らしや、久しぶりすぎて忘れかけていた日本の常識。
帰ってきてすぐは、軽いカルチャーショックを受けていたものだ。
でも、海外で過ごしてきた経験。
これは僕にとって、唯一のアドバンテージ。
この無二の経験を持って、僕は今トレーナーになる為の第一歩を踏み出す。
……僕の胸に去来する様々な記憶。
「彼女達」との大切な思い出。約束。
僕は夢の為、「彼女達」の為に絶対にトレーナーになる。
―――僕は、その門を越える一歩を踏み出した。
これにて過去編は終わりです。
次話からは現代編に戻ります。