14話 女王の教室
暖炉から、パチパチと薪が弾ける音。
窓の外からは、寒気の強い風の音。
座っている安楽椅子からは、揺れる度にキィキィと軋む音。
それらの音が響く家の中で、アタシは安楽椅子の上で編み物に没頭していた。
……この安楽椅子、座り心地は悪くないんだけどそろそろ買い替えた方がいいかしらね。
そんな事を考えながらも、アタシは手元の編み物に意識を集中する。
もうすぐ冬だ。
ニュージーランドの冬はそれなりに冷える。
北島はほとんど日本の冬と気温は変わらないけど、南島の方は零下を下回る気温になるのはしょっちゅうだ。
この編み物も、冬になる前に完成させてあげないと、彼が大変だろう。
アタシは鼻歌を歌いながら、すっかり手慣れてきた手つきでマフラーを編み続けた。
しばらく集中して編んでいると、部屋のドアがガチャリと開いた。
ただいま。という声。
彼が仕事から帰ってきた。
アタシは編み物を中断して、安楽椅子から立ち上がり彼を出迎えようとする。
すると彼は慌ててアタシに駆け寄ってきて、立ち上がらないでいいよ。と気遣ってくれた。
……こういう気遣いがすごく嬉しい。
やっぱりアタシは、彼が好きなんだなって実感する。
そう? 悪いわね。と素っ気なく言いながらも、アタシは多分凄い笑顔になっているんだろう。
ふと、彼がテーブルに目をやる。
そこには中断した編み物が置かれていた。
今度は何を編んでるの? と彼がアタシに質問する。
もうすぐ冬でしょ? だから、あなたの為のマフラーよ。とアタシが返すと、彼が嬉しそうな顔をしてくれた。
……その表情に、アタシの心がキュッとなる。
結婚して数年が経つっていうのに、いつまでもアタシの心は彼にときめいてるみたいだ。
とても幸せな気分だった。
ふと、彼が服の上からアタシのお腹に触れた。
アタシのお腹は大きく膨らんでいる。
彼との絆の証。新しい命。
アタシと彼の二人の結晶だ。
やんちゃなのか、最近はアタシのお腹を内側からドンドンと叩いている事がある。元気な子だ。
今もまたアタシの中で動いた。彼もそれを感じ取ったみたいで、また嬉しそうな顔をした。
もうすぐだね。と言われて、アタシもそうね。と返す。
そういえば、名前はどうしようかな? と聞かれる。
アタシは、前から決めていた名前を彼に伝える事にした。
この子の名前は―――――
――――――――――――――――――――
「………………」
目が覚める。
知らない天井だ。
……いや、知ってる。寮の自分の部屋の天井だ。
…………。
「…………え、夢?」
アタシはガバッと体を起こして、自分のお腹を触った。
……なんの変哲もない、普段通りのアタシのお腹だ。
ちっとも膨らんだりなんかしてない。
それを確認すると、アタシの身体は羞恥でプルプル震え出してきた。
震えた後、ガックリしてベッドの上で項垂れる。
はあ〜……と深い溜息が漏れた。
なんつー夢を見てるのよアタシは……。
いや、というか暖炉のある部屋で安楽椅子で編み物って。
そんなコテコテのシチュエーションが、今時あるわけないじゃない……。
アタシは少女趣味な夢を見てしまった自分に、しばらく軽い自己嫌悪に陥っていた。
すると、隣のベッドからモゾモゾと人が動く気配がする事に気付いた。
同室の子だ。起こしちゃったかしら。
「ふぁ〜……おはよー、フォークインちゃん……」
「おはようステップ。まだ眠そうね」
「うん……いま何時ぃ……?」
そう言われて、アタシは壁に掛けられた時計を見る。
時計の針は朝の5時半を指していた。
「まだ5時半よ。どうする?二度寝する?」
「うーん……そうするー……」
そう言って、サルサステップというアタシの同室の子は、また布団の中に沈んでいった。
「…………」
アタシはというと、あんな夢を見たせいで完全に眠気が飛んでしまった。
今布団の中に身を沈めても、多分ステップのように寝ることは出来ないだろう。
どうしようかな? と考えていると、ふと無意識に手に握っていたものがある事に気が付いた。
小さな手鏡。彼からのプレゼント。
アタシは、いつもこれを胸に抱きながら眠る。
これがあるからこそ、アタシは今ここにいる。
「…………タクヤ……」
手鏡をジッと見つめる。貰った時より少し色褪せてしまったかもしれない。
大事に使ってきたけれど、流石に時の流れには勝てないみたいだ。
「…………」
鏡に映るアタシの顔。
それを見て、遠い過去を思い出す。
昔、アタシは鏡の中に理想の「私」を投影していた時がある。
アタシは「私」をフォークと呼び、「私」はアタシをクインという名で、己の中で呼びあっていた。
でも、タクヤと出会って二人で過ごし始めてからは、理想の「私」は完全にアタシと合一した。
タクヤがアタシを育ててくれて、アタシは理想の「私」に追いつく事が出来たからだ。
だからアタシは「フォークイン」。
フォークでもクインでもない。今のアタシが理想の「アタシ」なのだ。
「…………あ」
……アタシが昔の事を考えていたら、ふと昨日の事を思い出した。
ヴェニュスパーク……パークというウマ娘。
タクヤがアタシと別れた後、フランスで出会ったという類い稀なる才能を持った天才。
そしてアタシと同じく、彼との約束を果たす為に日本にやってきたウマ娘。
アタシと彼女は、昨日タクヤの処遇に関する事で意見の対立を起こし、トレセン学園校内のレーストラックで勝負をする事となった。
勝った方がタクヤを将来自分の国に連れていく。そういう勝負だ。
頭に血の上っていたアタシ達は、学園の制服のままトラックを爆走したが、結局決着は着かなかった。
アタシと彼女の実力はほぼ互角だった。判定する審判もいなかったし、何度やっても同着としか思えない状況にしかならなかったからだ。
やがてアタシ達は、後を追ってきたタクヤと、本当なら予約が必要なトラックを勝手に使って勝負をしていた事で駆けつけたたづなさんに取り押さえられ、またイシダキに処されてしまった。
……今度は石畳じゃなくて、ターフの上だったからちょっとはマシだったけど。
そんなこんなで、アタシ達の対立はまだ終わっていない。
どちらがどちらの国にタクヤを連れて帰るか。
いずれ彼女とはハッキリと決着を着けてやるわ。
……と、思ってはいるけども。
別にアタシは、彼女が憎いわけでも嫌いなわけでもない。
どちらかと言うと、境遇も似てる事だしシンパシーを感じている。
タクヤとの将来の事さえ絡まなければ、普通に好きだ。友達だと思っている。
可愛くて愛嬌があって、万人に好かれそうな魅力があるパーク。
聞けばフランスでは《お姫様》だなんて呼ばれていたらしい。まあ彼女なら納得できる呼び名だ。
無愛想なアタシとは大分違う。アタシだって母国ではそれなりに人気があったけど、また方向性が違う感じだ。
……タクヤはアタシとパーク。どっちの方が好きなんだろう……。
……アタシを選んで欲しい。
先に彼と出会い、絆を結んだのはアタシの方だ。
でも無愛想なアタシと違って、パークには溢れんばかりの魅力がある。
それは順番が先とかいうアドバンテージが、霞んでしまう程の魅力だ。
レースでは互角だったが、魅力では彼女に勝てないだろう。
だからといって、絶対に譲るわけにはいかない。
タクヤとの将来の事もそうだが、これはアタシの矜持の問題でもある。
彼女に負けるという事を、アタシ自身が絶対に許せないのだから。
そんな事を考えながら、ふと何気なく壁の時計を見やる。
……時計の針は、いつの間にか起床時刻をとうに過ぎていた。
「…………あっ!?」
ヤバっ!? 考え込んじゃってて全然気付かなかったわ!?
あれ!? なんで目覚まし止まってるのコレ!?
あ、しまった! さっき起きちゃったから自分で止めてたんだった!
や、ヤバいヤバい! あ、そうだ!ステップ!
ちょ、ちょっと起きてステップ! 遅刻しちゃう!
「ZZZ……」
起きてよーッ!?
――――――――――――――――――――
「はぁ、はぁ……な、なんとか間に合ったわ……」
トレセン学園内部の教室前。
アタシはゼェゼェと息を切らしながら、教室の扉の前にいた。
あの後、ステップをなんとか叩き起こして二人してワタワタしながら準備をして、寮を飛び出した。
校門を閉めようとしていたたづなさんに、二人で「ちょっと待ってーー!!!」と大声を掛けて止めて、なんとか滑り込みセーフで今に至る。
本当に危なかったわ……。
というか、なんであの子目覚まし使ってないのよ……。
まあ、目覚ましの音が嫌いって子も多いからそういうタイプなのかしらね……ウマ娘って耳が良いから。
それならちゃんと起きて欲しいけど。
……まあ今回はアタシも油断してたし、人の事は言えないか。
時刻は始業2分前。ギリギリセーフだ。
ただでさえ留学してきてから連日問題行動を起こしているのに、こんな事で遅刻なんてしたら心象がさらに悪くなっちゃうところだったわ。
……問題行動の原因はアタシだけのものじゃないから、少し不本意なんだけど。
息を整えてから、気を取り直して教室の扉をガラガラと横に開ける。
クラスメイト達はもうみんな席に着いていた。まあ時間的にも当然よね……。
おはよーフォークイン
おはよう
はよー遅かったねーなんかあったの?
ちょっと寝坊しかけたのよ。同室の子もね……
おはよう。朝からあの噂のトレーナーさんとケンカでもしてた?
するわけないでしょ……
クラスメイト達とそんな挨拶を交わしながら、席の間を縫って自分の席に向かう。
教室の後ろの方だ。自分の机の横のフックに鞄を掛ける。
席に座ると、隣の席の子が話し掛けてきた。
「おはようございます。フォークインさん」
「おはよう、アルダン」
この子の名前はメジロアルダン。
雰囲気からして高貴な感じがするこの子は、なんでもメジロ家とかいう、日本の名家の御令嬢らしい。
アタシには外国の名家の事はよく分からないけど、日本レース界にとっては重要な位置を占めている一族だという話だ。
だけど本人はそんな権威のある家の事をひけらかさず、柔らかい物腰で人当たりも良い優しいウマ娘だった。
こんなアタシにも留学初日から仲良くしてくれるあたり、本当に人が良いんだろう。
そんな事を考えていたら、今度は逆の横の席から声を掛けられた。
「おはようございます、フォークインさん!」
「おはよう、チヨノオー。朝から元気ね」
こっちの子はサクラチヨノオー。
いつも元気いっぱいで、まるで小型犬みたいな愛嬌があるウマ娘だ。
スモウという、日本の国技が趣味っていうちょっと変わった子だけど、それもまた彼女の愛嬌に一役買っている。
この子もアルダンと同じで、アタシと留学初日から仲良くしてくれている。
アルダンとはタイプは違うけど、優しいのは変わらない。
異国から来たアタシにとっては、二人の存在はとてもありがたいものだった。
そうこうしていると、始業のチャイムが鳴った。
ザワザワしていた教室内も静かになっていく。
少しして、教室の前の扉が開く。
担任の先生が入ってきて、教壇に立つと出席を取り始めた。
全員の出席を確認すると、先生は教室を見渡してから話し始める。
「えー、皆さん。突然ですが、今日から一人の生徒がこのクラスに編入する事になりました」
先生の言葉にザワつき出す教室。
……編入生? また変なタイミングね。
そんな風に考えていると、隣の席からヒソヒソと話しかけられた。
「フォークインさんフォークインさん」
「……どうしたの? チヨノオー」
「編入生の話って聞いてましたか?」
「さあ、アタシは何も知らないわ」
「ですよねー……」
彼女は耳を垂らして引き下がっていった。
と、今度は逆の席のアルダンから話しかけられる。
「編入生がこんな入り方をするなんて、珍しいですね……」
「……やっぱりそうなの? 新年度が始まって、少し経ってから入ってくるなんておかしいと思ったんだけど」
アルダンはその言葉に頷いて、アタシに編入に関する説明を始めた。
「はい、トレセン学園への編入試験は時期が決められているわけではありません。でも、基本的には新学期に合わせて入れるように試験は行われますので、こんな変わった入り方をするというのは、編入の際の手続きに何か問題か、彼女自身に特殊な事情があったのかもしれませんね」
「へえー……なるほどね」
「そういえば、フォークインさんも留学の際には試験を受けられたのではないですか?」
「そうね、色々やらされたわね」
余裕で全部突破してやったけど。
それもこれも全部タクヤに会いたいが為ね。
アタシの邪魔は何人たりともさせやしないわよ。
ふんっ。
「はいはい、皆さん静かにして下さいねー」
先生がパンパンと手を叩いた。
ザワザワしていた教室が、また段々静かになっていく。
皆が静かになってから、先生が話し始めた。
「珍しい事で驚くのは分かりますが、編入生の子をおどかさないようにお願いしますね」
そう言うと先生は、教室の外で待っている編入生に声を掛ける。
「ではどうぞ、教室に入ってきて自己紹介して下さい」
そう呼びかけられた編入生は、教室の前の扉からツカツカと入ってきた。
色は違うけど、アタシと同じ長い髪の芦毛の子だ。
堂々とした態度で教壇の横に立った編入生の彼女は、黒板に自分の名前を書いていく。
名前を書き終えた彼女は、教室の皆の方に振り向き自己紹介を始めた。
「カサマツから来たオグリキャップだ。皆、よろしく頼む」
―――これが、アタシが今後長く争う事になる「芦毛の怪物」との初めての出会いだった―――