時は少し前に遡る。
僕の名前は
今年の春からトレセン学園にトレーナーとして所属する、しがない新人トレーナーだ。
子供の頃からの憧れであり夢だったトレーナーになれた僕は、とにかく浮かれていた。
苦節十数年。海外を渡り歩いて色々苦労した末に、超倍率の難関であるトレーナー選考試験に無事合格して念願が叶ったのだ。
誰だって少しは浮かれるものだろう。
……だけど、僕は浮かれすぎていた。
はたから見たら、完全に調子に乗った浮かれポンチ野郎にしか見えないくらいに。
その
校内にあるレーストラック場。
ここでは新年度早々に、新入生や本格化を迎え始めた在学生などのウマ娘達による選抜レースが開催されていた。
選抜レースとは、実戦を想定した各距離別の模擬レースでウマ娘達が順位を競い合い、そこでトレーナーが才を見出したウマ娘をスカウトするための場である。
僕もこれに参加し、トラックからほど近い場所に陣取り選抜レースを観戦していた。
ターフやダートの上を、未来の優駿が駆け抜けていく姿に僕は見惚れる。
もちろん本来の目的も忘れない。
レースプログラムも順調に進み、何人か有望そうなウマ娘を見つけた僕は、レースを走り終えた彼女達に近づいて早速声を掛けていった。
――君の走りは素晴らしかったよ。僕と一緒にトゥインクルシリーズを走ってみないかな?
――そこの君! 君は良い走りをするね。どうかな?僕と契約する気はない?
――ん? 僕かい? 僕は新人のトレーナーで……え!? そんな! 待って待って!
――あぁ、ちょっと! 君の走りは……おーい……。
――…………あれ…?
「……だ、誰も契約してくれない……」
数日後。本日分の選抜レースも終わった午後の三時頃。
トレセン内の中庭広場にある、三女神像の噴水の縁に腰を下ろし、情けなくみじめに
というか僕だった。
考えてみれば当たり前な話だ。
見るからにフワフワした浮ついた野郎が、見え透いた言葉で勧誘しても誰も誘いには乗らないだろう。
特にウマ娘はそういうのに敏感だ。
夜の街の客引き並みに胡散臭いトレーナーに、ほいほいと着いていく者などいるわけがなかったのだ。
僕が声を掛ければ掛けるほど、生徒の娘達はどんどん僕から離れていく情けない日々を過ごし。
身の程知らずな僕の鼻っ柱は、ポッキリと叩き折られたのでしたとさ。
「はぁ……どうすればいいんだろう……」
口からは溜息ばかりが漏れていく。
この数日間で選抜レースに参加していたウマ娘の中で心惹かれた子達は、気が付けば主だったベテラントレーナーと契約していったようだった。
これもまた少し考えれば当然というべきか。
彼女達だって一生に一度の青春を懸けてトゥインクルシリーズを走るのだ。
なんの実績もない新人に己の全てを預けようだなんて思う子の方が少数派だろう。
どんな子だって、G1レースに何度も勝った優秀なトレーナーと契約したいと考えるのが当たり前だ。
選抜レース自体は今後何度も開かれるし、まだまだ将来を感じさせる優秀なウマ娘はたくさんいるだろうけども。
僕は箸にも棒にもかからなかった今日までの現実を前にして、これからの未来に暗雲が立ち込めていくのを感じずにはいられなかった。
「はぁ〜……」
また溜息が漏れる。
こんな調子で大丈夫なんだろうか。
せっかく夢を叶えて念願のステージに立てたというのに。
これじゃ「彼女達」にも申し訳が立たない。
「…………」
……僕は遠い地にいる「彼女達」に思いを馳せた。
海外に住んでいた当時、僕と絆を結んでくれたウマ娘達。
――ニュージーランドで出会った、芦毛の小柄なウマ娘の少女。
――フランスで出会った、輝く才能に溢れた天才ウマ娘の少女。
今頃彼女達はどうしてるんだろうか?
多分、向こうの地で凄い活躍をしてるんだろうな。
二人とも本当に類稀な才能を持っていたから。
でも、こんな不甲斐ない今の僕を見たら何て言うかな。
怒るだろうか。
……いや、二人とも優しいから、きっと僕の背中を押して奮起させてくれるんだろうな。
そんな姿が目に浮かぶようだった。
「……よし。頑張らないと」
僕は噴水の縁から立ち上がった。
僕は二人と違って天才でも何でもない。夢が叶ったからって勘違いした大間抜け野郎だ。
だったらどうする?
ひたすら積み上げていくしかないんだ。
少し回り道をしてしまったけど……まだ大丈夫なはずだ。
くよくよなんてしている時間はない。僕は僕にできる事を全力でやり続けるのだ。
それが彼女達との約束であり、二人との絆の証明なのだから。
そう決心し、身体に気合を入れて前を向いた。
と、その時。
『
《
僕の耳に同時に聞こえた二つの声。
僕の正面に、二人のウマ娘が現れた。
それは、ここにいるはずのない二人で。
僕は自分の目を疑った。
そして。
『……
《……
「……え?」
三者三様の疑問符が、中庭広場に響いた。
――――――――――――――――――――
『…………』
《…………》
二人のウマ娘が、僕の前で無言で互いの顔を見合わせている。
そのまましばらく見つめ合っていたかと思うと、今度は二人同時にこっちを見た。
少しして、また二人は顔を見合わせる。
そしてまた僕の方を見る。
二人の視線は、僕と互いの間を何度も行き来していた。
……な、なんだ? 二人ともどうしたんだ?
二人の異様な行動と、何故かだんだん重くなってきている気がする雰囲気に、僕は直感的に危険信号を感じた。
僕の頭の中ではガンガンと警報が鳴り響いている。
何故かはわからないが、一刻も早くこの場を離れるべきだと!
しかし動き出そうにも、異様な雰囲気に飲まれてしまった僕の足は、まるで縫い止められているかのように硬直してピクリともしなかった。
いくら頭の中の僕が動け動け動けと操縦レバーをガチャガチャと動かしても僕の身体は反応しない。
理由のわからない焦燥感だけが僕の背筋を走り回っていた。
そうこうしてる間に、顔の向きが僕と二人の間で行ったり来たりしていた二人の方が僕より先に再起動した。
突然二人の表情がムッとすると、そのままツカツカと二人同時に僕に早足で近づいてくる。
――なんだこのプレッシャーは!? 距離が縮まるほどに肌がビリビリしてくる!?
いや、これは……!!
僕はここでようやく理解した。
何故ここから急いで離れなくてはいけないと思ったのか?
それは
そう悟った次の瞬間、彼我の距離はゼロになっていた。
二人に左右から挟まれる形になった僕。
そのまま二人に両腕をそれぞれ片方ずつガシッと掴まれた。
この時僕の脳内の危険信号はMAXに。警報は最大音量で鳴り響いていた。
しかし時すでに遅く、完全に二人に捉えられてしまった今、もはやどうする事もできない。
僕の両腕が二人に引っ張られていくのがスローモーションで見える。
――かつて、偉大なる先人が残した言葉がある。
人は
ウマ娘には
勝てない
三女神が見守る中庭広場に、僕の絶叫が轟いた。