「足を止めるな槌永。お前の身体データから予測される数値からして、まだ動ける筈だ。逆に錠前、お前は動きすぎだ、10分ほど水分休憩を取れ……なに?これくらいなら私は平気だと?身体を壊してからでは遅い。休息は必要だ錠前」
次の日から俺は予定通り、アリウススクワッドの面々の教導を始め、数日が経過した。
簡単な身体測定から始まり、今は実際の装備を身に付けての走り込みをさせているのだが、概ね俺の予想通りの問題が浮かび上がってきた。
「うぅ……休ませてくれるって言ってたのに……ずっと走らせてばっかり……騙されたんですね悲しいです……」
自己紹介の時から思っていたが、槌永はそのマイナス思考から努力を放棄しやすく、それでいて妙に面の皮が厚い為、堂々と俺の目の前でサボる。
注意をすれば、悲しそうな愛想笑いを浮かべて再開するからまだ良いのだが、頃合いを見て彼女だけ特別な課題に切り替えるべきか悩む……負荷は大きくなるが、その分、休憩時間も増える方式の方が槌永には合うのだろうか。
「ハンドラー。休憩が終わったので、訓練を再開する。同じ項目で大丈夫か?」
「まだあと、五分あるが」
「私は動ける」
「……そうか。では、アサルトライフルを置き、室内演習場でハンドガンを用いた近接ゲリラ戦を行え。既にドローンは待機させてある」
「分かった……ありがとう、ハンドラー」
もう一つの問題点、それが俺に背を向けて歩き出す錠前だ。
他の面々を導かなければならないリーダーであり続けた為か、生来の自己責任の強さによって槌永とは対照的に休憩をほとんど取ろうとせず、常に俺から休む様に声をかけている。
過剰な訓練は身を滅ぼすだけなのだが、アイツの喪失を恐れる気持ちは俺も理解できる為に、あまり強く出られない。
「意思が強いというのも難しいな……」
621は第四世代という事もあって、基本的に俺の指示には従順であったし、傭兵として戦いから逃げる事も自分の体力を見誤る事もなかったが、やはり年頃の娘というのは多感で思う事も色々とあるのだろうと理解する事になるとはな。
残りの戒野と秤は、俺の指示に従ってサボる事も無理をする事もない様で助かっているが……俺の気のせいでなければ、戒野の様子が少しおかしい。
「ただの直感だが、見落とさない様にするべきか」
先ずは錠前から話を聞くべきか……ついでがあれば、アイツも休めるだろう。
「……」
頬を撫でる夜風が少しだけ心地良く、視線を下に向ければ見慣れた廃墟ばかりのアリウスを一望できる。
今更、綺麗とか感じる感性はないし、そもそもこんな風景見飽きて何かを思えという方が無理。
「ハンドラー・ウォルター……」
歳をとり、身体すら満足に動かせないあの大人が来てから、確実に部隊の空気は変わった……特にリーダーは、彼の期待に応えたいと思っているのかいつもの様に無理をして、身体を壊すんじゃないかってぐらい彼が提示したメニュー以上に自分を追い込んでいる。
ヒヨリも、隙を見てサボろうとはしているけど注意されれば大人しく従うし、姫も会話を許されている為かとても楽しそう。
「……そんな中で、私だけがいつも通り」
笑い合うこともせず、淡々と与えられた命令に従うだけの日々……今までと同じ、変わることのない日常……私だけ、何も変わらない、変えられない。
「今更、誰かを信じろってのが無理」
どれだけ此処で、裏切られ、傷つけられ、その度に死にたいと思ったことか。
リーダーが私を助けなきゃ、とうの昔にアリウスに転がる冷たい身体の一つになっている……今日はそのリーダーも此処には来れない。
無理な訓練が祟って、いつもより早くぐっすりと眠りについたから。
「……どうせ死ぬのなら、綺麗な満月に見送って欲しかったな」
空を見上げれば、三日月でも半月でもない、中途半端に満月から欠けた月が私を見下ろしている。
……リーダー達は私の死を嘆くだろうな、でもこれは私にとっていつもの発作みたいなものだし、許してほしい──そうして、足が地面から離れる刹那、彼はやって来た。
「なにをやっている。戒野」
「ッッ……ハンドラー・ウォルター……どうして此処が分かったの?」
「錠前から聞いた」
「そう。リーダーなら納得だね……」
カツンカツンと杖が地面を突く音が、背後から聞こえ、彼が迫って来ている事が分かる。
さっさと飛んでしまえばいいのに、私の足は心は、何かを期待しているのかピクリとも動かず、やがて手を伸ばせば触れられるぐらいの距離で、彼の杖を突く音は止まった。
「戒野。お前が真に心の底から飛び降りたいと言うのなら、俺は止めない。それがお前の選択だと見送ろう」
「……」
マダムに言われただけで、仕事して面倒を見ている子供の癇癪になんて、一々時間を割きたくないよね……結局貴方も、大人として煩わしい存在は捨て置く人なんだね。
「だが、もしもお前が生きている意味を欲しているのなら俺が与える」
「……なに?手籠めにしようっての?」
「俺にはこのキヴォトスで、成すべき仕事がある。その為には少しでも多くの兵がいる。俺の目の前で死ぬと言うのなら、その命を俺の為に使って貰うぞ」
仕事?マダムから任された私達の教導ではない事ぐらい分かる。
先ほどまで心地よいと思っていた夜風が、後ろに立つ男の空気でも運んだのか何か燃え残り燻っている灰の様な独特な匂いと熱を届け、私はなにを思ったのか振り返り、ハンドラー・ウォルターと目を合わせた。
「……その目、本気で私を欲しがって、心配してる。使い捨ての兵に心を痛める指揮官なんて、長続きしないよ」
「俺は使い捨てになどするつもりはない。戒野、俺の仕事が終わればあとはお前の自由だ。死ぬのも、生きるのも好きにすると良い」
「なにそれ。従っている間は、絶対に死なせないって言ってるようなものじゃん」
「あぁ。そう言っている」
本気?……あぁ、本気なんだね。
私達をただの気合いだけで威圧出来るほどの修羅場を潜っているのなら、戦場がそんなに上手くいく場所じゃないって知ってる癖に、それでも自分に従う間は死なせないと、本気で
「全ては虚しい……私はそう学んで生きてきた。だから、ハンドラー・ウォルター、貴方の言葉を信じるのは難しい」
「そうか」
「……だから、一つ聞かせて。貴方はこのリードを離さないでいてくれる?」
首に巻いていた包帯を解き、リードの様に見せる。
当然、隠していた自殺未遂の傷は顕になるが、この人は予想していたから見せたところで何も問題はない。
「……」
カツンっと、一瞬の迷いもなく杖が地面を突かれ、僅かに開いていた私と彼の距離が縮まると、右手を伸ばし私の包帯を巻き付ける様に掴み、そして──
「ッッ」
──ふわりと優しく抱きしめられ、不器用な手つきで頭を撫でられる。
彼の体温は暖かく、胸から聞こえてくるゆっくりとした心臓の音はとても心地よく感じられ、離れようと思う心は急速に窄んでいく。
「今までよく頑張ったな戒野……今はもう、ゆっくり休め、お前を傷つける者は此処に居ない」
薄い月明かりの下で、老人とはいえ異性の大人に抱きしめられる……嫌悪感の一つぐらい覚えて良いはずなのに、トントンっと頭を撫でる優しい手と、ドクンドクンっとゆったりとした音を奏でる心臓の音に徐々に力が抜けていき、ハンドラー・ウォルターに支えられる様に崩れ落ち、自分でも驚くほどあっさりと意識を手放した。
「……んっ……」
「起きたか?」
気がつけばそのままの体勢のまま、朝を迎えていた。
「ッッ!?」
「離れたいか?」
彼の腕の中で気恥ずかしさから、暴れればすぐに意図を読んでくれ解放される……まさか、抱きしめられたまま寝ちゃうなんて……
「戒野」
「な、なに?」
「これを渡しておく」
そう言って渡されたのは、右手に無数のリードが巻き付いている様なデザインのワッペンだった。
「これは……」
「俺の兵になった証のようなものだ。あまり目立たぬところに付けておけ」
「……ふぅん。ボスって、私が言わなくてもこういう趣味があったんだね」
「猟犬使いと呼ばれる事もあったからな」
呼び方を変えてみたのに反応なし……まぁ、良いけど、好きに呼べって言ったから気にしてないんでしょうね。
それにしても猟犬使いか……このワッペンを見る限り、手綱を取ってたのはどっちなんだか分からないんだけど。
「行くぞ戒野」
「……ミサキ」
「ん?」
きっと、このワッペンに描かれてるリードが繋がった先の人物は大事にされてきたんだろうなと撫でながら思ったら、ボスに戒野って名字で呼ばれているのがなんだか、堪らなく嫌に思えた。
「私もボスの猟犬。だから、名前で呼んで」
「……分かった。ミサキ」
名前を呼ばれて、ほんの少しだけ笑えた様な気がした。
コーラルが満ちる時、またお会いしましょう