赤い海を漂う。
流れて、弾けて、混ざる。
自身の自我が霧散しそうな──
……ダメだ。
私にはまだ、やる事がある。
知るべき事がある。
理解する必要がある。
ならば──
同胞達の下に帰るには、まだ早い。
目を、開く。
開けた瞳孔に光が飛び込み、視界が白く染まる。
少しずつ目が慣れて、景色が見えてくる。
あまり質の良くない金属製の病床に、私は寝転がっていた。
腕を動かせば、軋む音がした。
腕はベッドと繋がれ、拘束されている。
……気絶する前の記憶を遡る。
確か……アーキバスの調査キャンプで独立傭兵『レイヴン』と戦い……惑星封鎖機構の執行部隊が乱入し……そこから記憶がない。
「……
身体の奥が痛む。
……無理をさせすぎて、気を失ったという事か。
それなら……ここは何処だ?
ACの中で気を失った筈なのに、ここは……いや、誰が……?
脳裏に、一つ目のACが……独立傭兵『レイヴン』の姿が──
部屋の自動ドアが開いた。
腕を拘束されたまま、そちらに顔を向ける。
逆光の中に老人の姿があった。
寂れた、しかし覇気を……強い意志を感じる老人だ。
只者ではない。
「……目が覚めたようだな、
杖をついて、部屋に入ってきた。
そうして、私の寝ているベッドの横に立った。
……タイミングが良すぎる。
バイタルの監視でも行われていたのか……?
腕が拘束され、上半身を立たせられない都合上、見上げるような形になる。
威圧感を感じているのは、見上げているから……だけではないだろう。
「貴方、は……?」
掠れた声で、正体を問う。
長時間の気絶で、身体は硬く、目も喉も乾いている。
だが、そんな弱った私の姿を見ても、老人の表情は変わらなかった。
「俺はハンドラー・ウォルター……こうして顔を合わせるのは初めてになるな」
その名を聞いた瞬間、身が強張った。
「貴方が……」
顔を合わすのは初めてだが、会話した事はあった。
「そう警戒しなくていい。今は敵対するつもりはない」
「…………」
疑いつつも、若干の安堵を気付かれないように隠す。
「気を失うまでの出来事は覚えているか」
「……貴方の猟犬に、私は──
「いや、その後だ」
私は頷いた。
「惑星封鎖機構の執行部隊が……不法進駐者を、強制排除すると……」
「そうだ。そこまで覚えているのなら、今の状況を説明しやすい」
ハンドラ・ウォルターがベッドの側の椅子へ腰を下ろした。
「惑星封鎖機構の強制執行。それに対抗する為、ベイラムとアーキバスは一時的に停戦協定を結んだ」
「……ベイラムと、アーキバスが……停戦協定を……?」
「争っている場合ではないと判断した……という訳だ」
「…………」
あの誰よりも何よりも仲の悪い二つの企業が……停戦、か。
驚きつつも、それだけ惑星封鎖機構の執行艦隊の戦力が大きかったのだろう。
「信じられないか」
「……いえ──
企業は利益を追求している。
共通の敵が現れれば争いを止める事も有り得るか。
しかし、共闘ではなく停戦……という所に、企業間の埋められない溝を感じていた。
現状を理解し、ウォルターへ視線を戻した。
「つまり……ベイラムに雇われていた貴方達は、アーキバスと事を荒立てないために──
「いや、お前を救助したのはアイツ……『レイヴン』の判断だ」
困惑しつつ……頷く。
何故、彼が私を……?
会話した事もなく、顔を合わせた事もない。
それどころか一方的に敵視している私を助ける理由とは……何だ?
答えは出ない。
彼について、コーラルと交信出来る旧世代の強化人間だという事しか知らない。
「……その『レイヴン』は何処に居るのですか?」
「礼でも言いたいのであれば、俺から言おう」
言外に、彼の居場所を話すつもりはないという意思が見えた。
「……いえ、お構いなく」
「……そうか、なら話を戻そう。これはお前の立ち位置にも関係する話だ」
ウォルターが端末を弄ると、小型の旧式ロボットが私の前に移動してきた。
……ここには老人である彼と『レイヴン』しか居ないのだろうか。
彼は杖をついている……ならば、機械による補助は必須だろう。
「まず、お前は先程まで『ベイラム』の虜囚という立場だった」
「……先程まで、ですか」
「あぁ。『ベイラム』と『アーキバス』の取引により、互いの虜囚を交換する事となった」
……表面上だけでも互いに仲良くしよう、という話か。
「つまり、今のお前は、我々が預かっている『アーキバス』の兵士……迎えも、ここに来る予定になっている」
カチリ、と音がして……腕の拘束具が外れた。
暴れる気配がないと判断したのだろう。
拘束していたのは、彼一人では私が暴れた場合に抵抗できないからだろう。
聞きたい事は沢山ある。
彼は何故、コーラルの性質について詳しいのか。
『レイヴン』は何故、顔すら出さず会話も出来ないのか。
……だが、口には出来ない。
私は今、彼に命綱を握られている状態だからだ。
機嫌を損なう事も、迂闊に踏み込む事も……自殺行為だ。
「迎えが来るまでは大人しくしていろ」
「……はい、ありがとうございます」
「……私には礼を言うな」
黙した私を横目に、ウォルターは部屋を出ていった。
私はベッドの上で、自身の体の状態を確認する。
……複数の裂傷と、内臓の傷……骨もいくつかヒビが入っているだろう。
その幾つかは手当がされていた。
彼ではないな……メディカルマシンか。
内心、顔を顰める。
私はハンドラー・ウォルターを信用していない。
彼に私の……いや、この義体の情報を一つも与えたくなかったからだ。
彼は『コーラル』について何かを隠している。
少なくとも、アーキバスの研究員よりは詳しい筈だ……その理由は分からないが。
敵か味方かも分からない。
だからこそ、信用は出来ずにいた。
三時間後。
ドアが開き、再びハンドラー・ウォルターが現れた。
「お前の迎えが来た。立てるか」
「……えぇ、立てますよ」
私はベッドから立ち上がり──
骨が軋んだ。
内臓が痛んだ。
吐き気がした。
それを全て無視して、ウォルターの前に立った。
彼は私の挙動に片眉を上げつつ、視線を逸らした。
「来い」
杖をついているが、体の動きに迷いがない。
……兵役か何かの経験でもあるのだろうか。
廊下は機械の板が剥き出しになっている場所だ。
窓もなく、ここが何処なのかは分からない。
後ろから追いかけ……桟橋のような場所に到着した。
そこには2機のACが居た。
片方は関節部が壊れている『トゥームストーン』だ。
良く見ると、奥側の脚部が分解されていた。
そして、もう片方は──
AC『ローダー・フォー』。
独立傭兵『レイヴン』のACだ。
「…………」
ここはACの格納庫だ。
そして彼らの根城である。
ならば、何もおかしな事はない。
……筈だった。
微弱なコーラルの揺らぎを、AC『ローダー・フォー』から感じた。
目に見える微かな声……
……間違いない。
このACの中に『レイヴン』は居る。
……しかし、何故ACの中に居るのか。
『アーキバス』への引き渡しに対する警戒心か。
咄嗟にAC戦に持ち込めるように……いや、だが、武装は全てパージされている。
「どうかしたか、V.IX」
ウォルターからの訝しむような視線を感じつつ……それでも疑問を口にした。
「ハンドラー・ウォルター。何故、『レイヴン』はあのACのコックピットに居座っているのですか?」
「……何故、そう思った?」
視線が強くなる。
この疑問を口にする事による利点はない。
ただ……私は『レイヴン』について知りたかったのだ。
どんな人間なのか、理解したかった。
私を助けた理由も……引き金を引ける理由も、知りたかった。
だから、訝しまれようとも問う。
「勘です」
「……ヴェスパー部隊はどうやら、オカルトに傾倒しているらしいな」
「そうかも知れません。ただ、私の勘はよく当たります……私の言っている事は間違っていますか?」
コーラルの声が見えている、とは口にしない。
ウォルターがどこまで情報を知っているのか分からない……故に、少しでも情報は与えたくない。
ウォルターは私へ目を向け……小さく、観念したように吐息を吐いた。
「……お前の憶測は間違っていない。確かにアイツは、そこのACに乗っている。だが、お前と顔を合わせる事も、会話する事もない」
突き放すような言葉だ。
だが、私は……その拒絶が事情のある拒絶のように感じた。
「……顔を合わせる事も、会話も『しない』……ではなく、顔を合わせる事も、会話も『出来ない』が正しいのではないですか」
独立傭兵『レイヴン』は、誰に話しかけられても無言で返していた。
それは意思が欠落しているから……ではない。
確かに、コーラルから感情が読み取れていた。
ならば……『しない』のではなく『できない』が正しいのだろう。
ウォルターは少し、目を伏せて……探るような視線を私へ向けた。
「……アイツは旧世代の強化人間だ」
ハンドラー・ウォルターがAC『ローダー・フォー』へ目を向けている。
しかし、私が先に口を開いた。
「旧世代の、ですか?」
「……そうだ。その実態を、お前は知っているか」
「……劣悪な環境で作られていると。手術の成功率も低いと聞いています」
「正解だ。あの頃は、誰も好き好んで強化手術など受けなかった」
納得しつつも、ならば何故、それなりの数の強化人間が現存して──
「……まさか、無理矢理、彼に強化手術を──
「強化手術を受けたのは当人の望みだ。だが、そこまで追い込まれていたのは環境の所為だろう」
そうして、ようやく理解した。
「他に選択肢が無かった……という事ですか」
「お前の想像している通りだが、恐らくはその想像以上だ。この世には想像を絶する地獄のような世界が存在している」
ウォルターは杖で床を鳴らしつつ、身体ごとACに向けた。
「強化人間C4-621……『レイヴン』には、人間としての機能が備わっていない」
「……備わっていない?」
理解が出来ず、問いかける。
……いや、私自身が理解を拒んでいるのか。
「そうだ。621には、ACを動かす事に必要な機能以外は残っていない」
必要な機能以外……という発言に、怖気がした。
『レイヴン』、強化人間C4-621は……つまり、人間として必要な部位を削ぎ落とした、ACに直接接続された生体パーツなのだ。
それ以上でも、それ以下でも……ない。
彼は人として、運用されていない。
運用出来ないのだ。
「……貴方は、彼の飼い主だと聞きました」
「そうだ。違いない」
普通の感性を持っていれば、これ程、非人道的な事はできない。
ならば、この目の前の男は……人でなしだ。
「貴方は、これを許容しているのですか……?」
「そうだ。俺は621の現状を許容している」
彼は『レイヴン』とも呼ばず、強化人間の番号として彼を呼んでいる。
そこに悪びれる様子はない。
身体の底から熱くなるのを感じた。
「心は……痛まないのですか?」
「目的の為ならば、利用する事に躊躇いはない」
「貴方はっ──
思わず、声を荒げそうになり──
見下ろされている事に気づいた。
AC『ローダー・フォー』に。
真っ赤な一つ目が、私を無機質に見ていた。
だが、それでも……怒っているように見えた。
そして、そのコックピットに居るレイヴンは……コーラルから彼の怒りが伝播してくる。
私に対する、怒りが。
「『レイヴン』……!貴方は……あぁ、なるほど……そういう事ですか」
そして、ようやく気付いた。
独立傭兵『レイヴン』は怒っている。
自身の飼い主であるハンドラー・ウォルターを咎めようとしている、私に怒っているのだ。
彼等には彼等の……関係があるのだろう。
「……V.IX、何が言いたい」
「すみませんでした。ハンドラー・ウォルター」
謝罪を口にした。
私の態度の変わりように、ウォルターは片眉を上げた。
「……何を謝る必要がある」
「私は、私の価値観を以て、貴方達の関係を批判しようとしました。それに対する謝罪です」
「……律儀な事だ。だが、その謝罪は受け入れる事は出来ない」
「……何故ですか?」
「事実だからだ。非人的な事をしている自覚はある。俺が人でなしだという事にも、だ」
AC『ローダー・フォー』の中にいる『レイヴン』からの怒りは霧散していた。
それどころか、少し悲しそうな感情を受け取っていた。
彼等は……私の思っているような人間ではない。
目的の為に自らの肉体や、倫理観を捨てられるだけの……ただの人間なのだ。
漸く、それを理解した。
「……さて、無駄話は終わりだ」
ウォルターの声で、思考の渦から引き摺り出された。
視線を向ければ、先程まで浮かべていた表情は消えていた。
ハンドラー・ウォルター……猟犬の手綱を握る者としての顔をしていた。
「行くぞ。『アーキバス』からの迎えを無駄に待たせるのは、お前も望まない事だろう」
「……そうですね」
そうしてまた、私はウォルターの後ろを追った。
……その背にはどこか、重さを感じていた。