C4-621。第四世代型強化人間、ナンバリング621のこと。たった一枚の書類の差で起こされなかった、同胞。
もし621が目を覚ますなら。
此処に居る『意味』を、遺し、伝えたい。
ハンドラーがそうしたように。
夜闇に導<しるべ>を灯すんだ。
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『俺』には、施術前の記憶が全く残っていない。
知識はある。地球、木星、人類社会の大まかな常識。アーマード・コアの操縦、兵器の運用などの戦闘理論。そういうものは、きちんと残っている。
だが、自身の来歴や過去についての個人記憶が、全て抜け落ちていた。
自分という指針と基準を失い、その覚束なさに狼狽える。そんな状態では商品としての責務も果たせず、生きている『意味』など無いのではないかと、不安に怯える。
起こされたばかりの俺は、そうして怯え縮こまりーそんな俺にあの人は、ハンドラー・ウォルターは手を差し伸べた。
『617、お前の『意味』は、俺が与えてやる』
だから、怯えることは無いと。
お前は此処に居ていいんだと。
その深い瞳に、俺はそんな『導き』を見出した。
その日から、俺の指針はハンドラーとなった。
幸いにして俺は、後続のメンバーと比較しても、肉体の不調は抱えていない個体だった。だからハンドラーに付いて、彼の仕事を誰よりも側で見ていた。
よく観察し、思考し、最適を探す。そんな彼の下で、彼を指針にして俺は生きていた。
…『俺』と自称するのもハンドラーを真似てのこと。ハンドラーと二人の間は良かったが、メンバーも増えてきて、自分のことを指す名称が必要になり、始めたことだ。
俺は、俺の在り方そのものを、彼に託していたんだ。
彼の指示を受け、彼を補佐し、彼の仕事を学んだ。仲間をまとめてチームを築き、彼の目的を達成するために働いた。
俺に続いて起こされた仲間達は俺よりもよっぽど『人間』らしく、俺は随分と振り回されていたと思う。だが不思議と苦ではなかったし、皆もハンドラーの意に従おうという方向性は揃っていた。
彼に飼われ、彼の手足となって戦う。
他人はそんな俺達の在り方に、外から不幸だのなんだのと評していたが、俺はそもそも、幸福がどんな形をしているか、よくわかっていなかった。
幸福とは、失っていくことで形が見えてくるものだと、俺はその時まで知らなかった。
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ハウンズが、欠けた。
それは許容できる損失だった筈だ。元より俺達は、ハンドラー・ウォルターの道具として、使い尽くされる事が存在意義だ。
618は自らの価値を十全に発揮した。それこそが、ハンドラーが俺達に与えた『意味』だと思った。
だというのに、皆に休息を与えて去っていく彼の背中は、酷く憔悴して見えた。いつもは杖をつきながらも真っ直ぐな鉄芯のようなその姿が、揺れる蝋燭の灯火のようだった。
それが、どうにも胸をざわつかせた。
この人は、俺が考えているよりもずっと『人間』なのだと、その時俺は思い知ったのだ。
「我々がウォルターに向ける感情は」
いなくなった618と、こんな話をしたことがある。
ハウンズ皆が、自分達を拾い上げてくれた事に、多かれ少なかれ感謝の念を持っている。斜に構える自分でさえもそういう面がある、と618は告白した。
「その心を土台に、みな各々別の感情をウォルターに向けている。619は憧憬、620などは友誼か。自分は…強いて言うなら忠節といったところ」
普段は寡黙な618が、この時は饒舌だった。多分それは、俺にも考えて欲しいからで。
「617、君のそれは『信仰』だ」
618はそう評して、手元の本に視線を戻す。
俺から目を逸らすようにして。
「…一人の『人間』に、向けるものでは無い」
ぽつりと溢れた言葉が今頃になって、まるで潮騒のように耳に響いている。
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620は笑って言う。
「617って、自分のことになると鈍いよね」
619は慈しむように言う。
「貴方は、無自覚なだけ」
618は言い遺した。
「『意味』を果たせ」
みんな、みんな居なくなった。
手のひらからこぼれ落ちていった。
なんで、どうして、今になって。
あの人の背中の意味を、理解してしまったんだ。
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620: 617!ボク達の勝ちだ!
その言葉と共に、神経接続の感覚共有から620の反応が消失した。
身体調整によって嘔吐などしないはずの体から、吐き気が上って脳が揺れる。気が付けば、吐瀉物の代わりとばかりに叫んでいた。
機動兵器、データ名称カタフラクトは、今この瞬間静止していた。二人がかりで衝撃を与え続けた本体、620を襲った砲塔、そのどちらもがこの刹那、俺の前で隙を見せていた。カタフラクトの中央、コアユニットへの道が、拓けていた。
レッドアラートを繰り返す機体を、構うものかと突っ込ませる。唯一残ったガトリングガンの、その砲身を槍のように突き立てて。
振り払おうと、あるいは踏み潰そうと前進するカタフラクトの巨躯にフルブーストであらがい、しがみついて。
叫ぶままに、トリガーを引いた。
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ハンドラー、俺は、あなたに救われました。
あなたと一緒に暮らし、あなたと共に仕事をした。
『人間』というものを忘れた俺は、あなたの振る舞いを以て『人間』を学びました。
あなたが俺の導きでした。
だけど、だからこそ、俺は気が付かなくちゃ、いけなかったんです。
『人間』は傷付くものだということを。
俺は本当は、傷付いたあなたに、幸せになって欲しかったんだということを。
だからせめて、伝えたい。
ハウンズ<飼い犬>を喪い、傷付くあなたに。
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「俺は、俺達はもう十分に、幸せでした」
その言葉は、神経接続のログではなく、喉から音となって発せられた。
機体のシステムはそのほとんどが死に、神経接続もエラーばかりで機能していない。操縦席は半ば潰れかかっており、しかしそれでもかろうじて操縦系統と、操縦のための身体機能は生きていた。
関節は軋み、装甲は各所が融解し、限界を迎えたジェネレーターは強制排熱を行う。熱で揺らぐ大気の中、幽鬼のように、前を向く。
ーーカタフラクトは撃破した。
武装は全損。動くのがやっとの機体状況。奇跡的に無事だったセンサーが、眼前の情報を取り込み、
ーー稼働する要塞砲を視認する。
『ターゲット情報 更新』
アレが残っていたら、ハンドラーは先に進めない。
機体をゆっくりと立ち上がらせる。
排熱弁を閉鎖。ジェネレーターを強制再臨界。
武装は失われてしまったが、武器はある。
アーマード・コア、鋼の心はまだ熱を持っている。
618が遺し、619が託し、620が拓いた、
ハンドラーがくれた意味を、仕事を、果たそう。
『フェーズ3 パターンE』
ーー要塞砲に、エネルギーが収束するーー
ーーその光に向かって、駆け出したーー
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もし621が目を覚ますなら。
此処に居た『意味』を、遺し、伝えたい。
きっとあの人は、涙を流さず泣くだろうから。
彼が俺にそうしたように。
彼の夜闇に、お前が導<しるべ>を灯すんだ。
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『617 ロスト』
『ハンドラー・ウォルターに報告』
『ミッション完了』
「どうした、621」
ルビコンⅢの資料から目を離し、ハンドラー・ウォルターは自らの猟犬、強化人間C4-621に声をかけた。
全身に治療の跡が残る621はまだ冷凍から起こされたばかりで、機能の回復と学習を行なっている。
その621が、じっとログファイルを見ていた。
歩み寄ったウォルターは、その目を細める。
「…あぁ、それは以前の仕事のログだ」
少しの懐旧と、深く重い感情。
言葉の端にナニカを感じた621は振り返り、ウォルターの顔を見上げたが。
「参考になるかもしれん。見ておくといい」
ウォルターはただそう告げて、自身の仕事に戻っていった。…込められた想いの正体は、621にはまだわからない。
621は指先で、画面をそっと撫でる。
ログに残るのは戦闘記録だけだ。
淡々と記録された、『ハウンズ』の戦訓。
そこに何か、強い意志のようなモノを感じて、しかし621には読み取れなかった。
ならばせめて、と、その戦闘経験だけでも全て己の力にするべく読み込んでいく。
それにはきっと『意味』があるから。
旅立ちの日は、近い。