魔物とは何か。
この問いかけに多くの者が正確な答えを持ってはいない。
ある者は人類の敵と断ずる。
ある者は自然災害の害獣と切り捨てる。
その中で、真実へと辿り着いた者はこう言う。
“神の実験による負の副産物“、と。
自らの新たな器を生み出す為に繰り返された人体実験。その過程で生み出された人類の天敵。神にとっては関与する価値すらないただの失敗作。それが魔物の正体だった。
次に、魔物はどうやって数を増やしたのだろうか。
この解答には多くの者がこう答える。
同種同士で繁殖をしたのだろうと。
無論、それも正解だ。彼らも改造された存在とは言え、れっきとした生物だ。遺伝子に組み込まれた本能が主を存続させる為に番を求め、数を増やしていく。
しかし、そうなると一つ疑問が上がる。
何故迷宮の魔物の絶対数は減らないのだろうか。
例えばオルクス大迷宮。
かの迷宮は下層に進む程に魔物の強さが増していくという特性から、冒険者や新兵の訓練に日々活用されている迷宮だ。さらに魔物から取れる魔石は魔法陣を作成する為の原料として流通しており、地上よりも遥かに良質な魔石を内包していることから多くの魔物が討伐の対象になっている。
下層ともなれば一握りの強者しか足を踏み入れない死地だが、上層では多くの冒険者が日々魔物を狩り、その魔石を売った金で生計を成り立たせている。
いくら魔物が繁殖をするとは言え、毎日数百にも及ぶ魔物を狩り続ければ、少なくとも上層の魔物はいつか全滅してしまう筈だ。
そのような疑問に、ある学者が一つの仮説を立てた。
それは『魔物は迷宮から産み落とされている』とそれまでの価値観を大きく変える理論だった。
迷宮とはただの魔物の住処では無く、それ自体が魔物の母体。つまり生きている、という突拍子もない考えだった。
あくまで推測の域を出ず、確たる証拠もない理論に学術関係者は誰も見向きせず、
人類の歴史に新たな1ページが追加される。その好機を逃した瞬間だった。
◇ ◇ ◇
パキンッと乾いた音が迷宮に響き渡る。
壁に刻まれた一筋の亀裂は、次第に大きさを増していき、やがて爆音と共に周囲を大きく薙ぎ払った。
「グルゥゥゥ……!!」
唸り声を上げながら現れるのは体長十メートルはあるだろう漆黒の巨体。大地を踏みしめる四肢は巨木のように太く、頭部に生えた大角からは炎が立ち上る。
赤黒い瞳がギョロリと周囲を睨みつけ、不幸にもその場に居合わせてしまった魔物を視界に収める。
「グルァァアアアアアアッッ!!」
今しがた生まれたばかりの化け物が発する咆哮は、他を圧倒する強者の覇気を備えた代物だった。
恐慌状態に陥った魔物をその四肢で捻り潰し、逃げ惑うものには背後から大角を突き刺す。
漆黒の魔物──ベヒモスは理解した。
己は強い。この階層にいるどんな存在よりも強い。
この階層を統べ、侵入者を排除する最後の番人。それが己に与えられた役割だと。
背後を振り返ると、そこには更に下層へと進むための階段が存在感を放っていた。ベヒモスはその先をじっと見つめた後、興味を失ったかのように背を向けた。
決して臆した訳ではない。ただ、その先は己の領域ではないと知っていた。誰に教えられるまでもなく、ベヒモスは己が魂に刻み込まれた契約に沿って行動を開始した。
──ベヒモスがこの世に生まれ落ちて、百年の時が過ぎた。
あれから変化はない。
下層に位置するこの階層に容易に足を踏み入れるものは居らず、代わり映えしない光景を眺め続ける日々。
空虚な日々をベヒモスは淡々と生き続ける。そのことを疑問に思うことはない。
それが迷宮が己に定めた掟なのだから。
──それから千年の時が過ぎた。
ベヒモスの前に、初めての侵入者が現れた。
数は五。初めて見る生物。己とはかけ離れた貧弱な肉体。されど、その力はそこらの魔物を大きく凌駕していた。群がる魔物を一閃し、どこからともなく降りかかる火炎が周囲を纏めて薙ぎ払う。
その光景に、その強さに、ベヒモスは体の奥底から熱が込み上げてくるのを感じた。
ようやくだ。ようやくこの時が来た。
不満は無かった。納得もしていた。しかし、千年にも及ぶ気の遠くなる年月がベヒモスに一抹の退屈さを感じさせていた。
それが今日、ようやく晴れる。この力を存分に振るうことが出来るかもしれない。
「グルァアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
もう耐えきれないと言わんばかりに、ベヒモスは歓喜の咆哮を上げた。
──さらに一万年が過ぎた。
ベヒモスは地面に頭を伏せ、ただただ怠惰な日々を送っていた。
あれから何度か侵入者は現れた。しかし、そのどれもが己を満足させるような相手では無かった。その剛腕を振り下ろせば原型を留めない程に潰れ、その角を振りかざせばどんな鎧も軽々と貫いた。
他の有象無象と比べれば多少マシに感じた相手が一人だけ居たが、それも結局は己から逃げるので精一杯だった。
知識は迷宮から与えられた。
彼らはニンゲンと言う生き物らしい。己が住処を土足で荒らさんとする不届き者。威勢だけは良いが、敵わないと知れば無様に逃げ出す卑怯者達。あんな低俗な者共を排除する為に己は産み出されたというのか……
侵入者を迎撃するのが己が役割である。それを果たしている以上、それ以外は何も望む必要など無い。
そう己を納得させながらベヒモスは今日も変わらぬ日々を過ごす。
己の中の変化に気付かないまま……
どれほどの年月が過ぎただろうか。
己が前に再び侵入者が現れた。
身につける装備は今までのニンゲンと比べるまでもない精錬したものだった。ベヒモスにニンゲンの装備の良し悪しなど分からない。ただ、漏れ出す魔力からそう判断した。
しかし、中身は全く伴っていなかった。
己の姿を見て腰を抜かす者。周囲の雑魚を見てパニックに陥る者。
何よりも、己が力量を弁えず、自らの力に酔いしれて無策で挑んでくる愚か者共。
苛立ちを晴らすように全員まとめて轢き殺そうとするベヒモスの突進を光り輝く障壁が阻む。
倒す為では無い。逃げる為の時間稼ぎ。
ふざけるな。またか。また貴様らはそうやって無様に逃げるのか。
「グルワァアアアアアアッッ!!!」
ならば、最初から己が前に現れるなッ!!!
ベヒモスから放たれた衝撃波は展開された障壁ごと周囲一帯を纏めて吹き飛ばした。
追撃を仕掛ようとするベヒモスの視界の端に二人のニンゲンが映る。
己を仕留める為の動きではない。恐らく奥のニンゲンの一撃を放つまでの時間稼ぎ。
その荒れ狂う魔力を見て、ベヒモスは失望したように目を細めた。
『──“神威“!』
そう叫びながら放たれた一撃がベヒモスに直撃した。
やはりこの程度か。
己が体に傷は一つもない。多少煩わしさを感じた程度だ。
表情が青褪めていく様子に、今の攻撃が渾身の一撃だったと想像がつく。
面倒だ。纏めて薙ぎ払う。
高く跳躍したベヒモスは、赤熱化した頭部を下に向け、隕石が如くニンゲン目掛けて落下した。
間一髪で回避したニンゲン達だったが、誰もが満身創痍ですぐに動ける状態では無い。
トドメと言わんばかりに第二撃を構えたベヒモスの足元に魔法が直撃する。
ギロリとそちらを睨みつけると、集団の中で特に風格を感じさせるニンゲンがベヒモスに向けて手を翳していた。
邪魔をするなッ!!
標的を変えたベヒモスがニンゲン目掛けて突進する。
しかし、魔法で防御を固めたニンゲンはギリギリで攻撃を躱した。
『──“錬成“!』
そこでベヒモスにとって初めて想定外のことが起こった。
引き抜こうとした角が抜けない。正確には地中に埋まっていた頭部を抜こうと石畳を砕こうとも、まるで逆再生のように元に戻ってしまう。
ベヒモスは横目で元凶たるニンゲンを視界に入れた。
小さなニンゲンだ。
雑多の中でも最弱とも言える程の脆弱さ。今も泣き出しそうな弱々しい姿。
それなのに何故だろうか。ベヒモスはその小さなニンゲンを弱者と断言することは出来なかった。
腕力も無い。魔力もほぼ無い。己を前にブルブルと震える様子は弱者特有のものだった。
なのに逃げない。力の差に絶望し、逃げ出す雑魚は腐る程居た。自身に慢心し、根拠も無く勝てると思い込んで返り討ちにした愚か者は数え切れない程居た。
しかし、勝てないと知りながら、殺されるかもしれないと分かりながら、己が前に立ち塞がる者は居なかった。
恐怖を押し殺し、痛みを噛み締め、己と相対する姿は、万年を生きてきた中でも見たことがない
何だ……貴様は何だ……?
そんな疑問を抱いた時だった。
小さなニンゲンが己に背を向けて走り出し、それと入れ違うように鮮やかな魔法が流星となって殺到した。
視界の先では侵入者達が出口を背にベヒモスに向けて魔法の一斉掃射を実行していた。
その中には己が吹き飛ばした有象無象達の姿もある。
その瞬間、ベヒモスは理解した。
このまま全員に逃げられれば、それは事実上己の敗北に他ならない。
それは誰でもない。目の前のニンゲンの功績である。
「グルァアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
それが何から来る咆哮かは分からない。
ただ、己が内から湧き出る衝動のままに叫び、走り出す。
前を走っていたニンゲンはどういうわけかそれまでの必死さは鳴りを潜め、足取りが重く、ふらふらと今にも倒れてしまいそうだ。
その小さな背中を貫かんと角を構えた時だった──
ベヒモスとニンゲン。
両者が走る大橋が音をたてて崩壊を始めた。
度重なる衝撃についに石造りの橋が耐えきれなくなったのだ。
「グウァアアアアっ!?」
待て。待ってくれ。己はまだあのニンゲンのことを何も知らない。この内から湧き出るこれが何なのか知らない。
何だ。何なんだ。この高鳴りは。こんなもの、迷宮は何も教えてはくれなかった。
──この“想い“は一体何なんだ……!?
石畳を爪で必死に引っ掻くも、引っ掛けた場所すら崩壊を始め、ベヒモスの体が奈落の底へと落下していく。
『南雲くんッ!!?』
薄れゆく意識の中、あのニンゲンが後に続くように落ちてくる姿が見えた。
──そうか。君はナグモと言うのか……
◇ ◇ ◇
魔物が迷宮で命を落とせば、その体は塵となり、再び迷宮へと還る。
それが迷宮のシステムであり、覆りようもないルールだった。
奈落へと落ちたベヒモスもその例に漏れず、その体を塵へと変えていた。このまま魂は迷宮を巡り、再び新たなベヒモスとして転生する。
だが、その輪廻転生の巡回に紛れた小さなイレギュラー。
それは本来魔物が持つ筈もない。“感情“という理性の獲得。
奈落へと叩きつけられ、命の灯火が消えていくベヒモスが感じたのは、死への恐怖でもなければ、ニンゲンへの怒りでも無い。己に敗北を叩きつけた強きニンゲンのことだった。
自身でもこの感情に説明が出来ない。そもそも感情などと言う言葉を知らないベヒモスに説明が出来る筈も無い。
それでも、ただただ興味を持った。純粋に実直に、あのニンゲンのことが知りたくなった。
ナグモと呼ばれたあの小さなニンゲンのことを。
胸の奥が激しく動悸する。苦しいような、嬉しいような、感じたことが無い不可解な感覚。
理性の獲得。それは魔物が持つ必要がない、他者の心を理解しようとする力。自己で完結、循環していたルールに亀裂を入れかねないそれは、異物として迷宮の輪廻の輪から弾かれた。
母体たる迷宮の存在がなければ再び肉体を得ることは叶わない。輪廻から弾かれることは完全な死を意味する。
だが、ここにきてさらなるイレギュラーが発生した。
ベヒモスが“感情“を得たことで生じたイレギュラー。その胸に宿ったただ一つの想い。
──再び、再戦を。
あの時の胸の高鳴りの理由を知りたい。
あの時のニンゲンのことをもっと知りたい。
あの時の戦いの決着をつけたい。
──だから、ここから出せ。
輪廻の輪から外れるということは、迷宮の縛りと契約から抜け出したことと同義でもある。
魂のみとなり、肉体を失くしたベヒモスは、迷宮に囚われていないことを良いことに輪廻転生を巡る魂を喰らい尽くしていった。
本来ならば上層を除けば入れ替わりがほぼ無いのが常だが、この時に限って百層より下層……深層に生息する魔物が数え切れない程殺され、次の転生に向けて輪廻を漂っていた。
二尾狼。
蹴りウサギ。
爪熊。
バジリスク。
サイクロプス。
サソリモドキ。
アウラウネ。
ヒュドラ。
他にも数千種類、数万体にのぼる魔物が殺され、流れ着いた輪廻にて二度目の死を迎えた。
システムから切り離されたベヒモスを止める手段を迷宮は持っていなかった。そして魂を喰らい尽くしていくベヒモスの力の増大は止まることを知らず、ついには百万にも及ぶ魔物の魂を保有する迷宮ですら留めておけるレベルをあっさりと超えた。
下層六十五階層を縄張りにしていた魔物ベヒモス。表の世界の強者でしかなかった『
─────オルクス大迷宮、最下層。
かつては六つ首のドラゴン、ヒュドラの住処として存在するオルクス大迷宮の終点。
オスカー・オルクスによって最終試練の場として使用されていたこの場は数日前と様子を一変させていた。
広場の天井部。
そこには毒々しい輝きを鳴動させる黒い繭のようなものがあった。
まるで呼吸するかのように繭が膨らみ、その度に迷宮が悲鳴を上げるように揺れ動く。
そうして限界が訪れたかのように、突然ピキッと繭に亀裂が走り、そこからどす黒いヘドロのようなものが漏れ出した。初めは小さな滴りだったそれは、だんだんと亀裂を広げていき、滝のように大量に流れ落ちてくる。
大理石のように精錬された床を瞬く間に呑み込み、ジワジワと広がる様子は、見るもの全ての恐怖を煽るような不気味さを兼ね備えている。
そして、一際亀裂が広がったかと思うと、ドチャリと黒い塊が地面に落下する。
一見それはただのヘドロの塊。しかし、ヘドロが流れ落ちるとそれが姿を現した。
ペタペタとヘドロを踏みしめ、一糸纏わぬまま『彼女』は歩み出る。
その身を流れるヘドロとは対を為す、雪のように真っ白な肌。
腰まで伸びる黒く艷やかな黒髪はまるで、星一つ無い夜空のような神秘さを感じさせる。
数多の魔物を喰い尽くした化け物。
万象一切を踏み潰す漆黒の獣。
そんな印象とは正反対の麗しい玉体。
その瞳は紅玉のように美しく、見ている者に不思議と勇気と情熱を与え、その艷やかな唇は、老若男女問わず誰もを釘付けにする魅力を秘めている。
『彼女』はまるで何かを確かめるように両手を閉じたり開いたりを繰り返す。そして……
「………………………………ァハ」
『彼女』はその美しい相貌に邪悪な笑みを浮かべた。
その瞬間、大地を引き裂きながら真紅の炎が噴き上がった。特殊な鉱石で出来た床を砕き、抉り、融解させながら踊るように火炎が宙を舞う。
並の人体ならば触れるまでもなく蒸発する程の熱量。しかし、その中心にて『彼女』は何でも無いようにその火炎を全身に浴びていた。
体に付着した炎は、瞬く間に魅力的な黒のドレスに姿を変え、真っ白な絹肌にはまるで魔物の鱗のような紅い文様が出現する。
極めつけはその頭部。『彼女』の両のこめかみ部から渦巻く赤黒い角が生えていた。それはまるで今まで殺してきたありと汎ゆるものの鮮血を吸って出来たかのような不気味さだ。
火炎を撒き散らしながら『彼女』は一人のニンゲンの姿を思い浮かべる。
迷宮の輪廻を巡っていた『彼女』はあのニンゲンが生きていることを識っている。数多の試練を乗り越え、尋常ならざる力を手にしたことを識っている。
強く、逞しく成長したニンゲンの姿を思い出し、はう、と歓喜の吐息を漏らす。
あの時のことを思い出すと今でも心が揺れる。魂が激しく震える。
まるで心臓を鷲掴みにされたような痛みにぎゅっと胸を抑える。
苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
それ以上にこの感覚が酷く恋しい。
あのニンゲンの姿を思い出すだけで胸が張り裂けそうになる。
あのニンゲンと言葉を交わせると思うだけで頬が熱くなる。
あのニンゲンとまた殺し合えると考えるだけで下腹部が切なくなる。
早く再会を。速く再応を。疾く再戦を。
嬉しそうに笑みを浮かべた『彼女』は歩き出す。
全ては一人のニンゲンに会いに行くために。
会って、話して……また殺し合うために。
「待っててナグモ。すぐ行くから」
恋い焦がれる少女のような表情で『彼女』は愛おしそうに呟いた。
>ベヒモス
ハジメへの想いだけで迷宮の縛りや何やらをぶち壊した最凶のイレギュラー。ハジメを見つけると笑顔で駆け寄って自己紹介した後に質問やら自分の感情やらをマシンガンのようにぶち撒けながら普通に殺しにくるヤンデレ系ヒロイン。
一応息抜きと思いつきで書いたので短編にしたけど、展開はまだ考えていないので続くかは分かりません。でもどうせだから書きたい気持ち大。
最近AIイラストをやってる作者の方が多いなぁと思って波に乗ってみました。無料で済ますつもりがあっという間にのめり込み、気付いたら課金してた。やばいわあれ。