全ては遅すぎた。
始まりは些細な出来事。
世界の真実を知った頃には、もう後戻りは出来ない所まで来ていた。
世界の真ん中にて、少女はへたりと崩れ落ちる。
彼女の視線の先には天を突く程に巨大な二体の獣。
■■さんは死んだ。■■■さんも死んだ。
■■さんも、■さんもみんな死んだ。
最後まで戦い続けた■■■さんも、死んだ。
私達では戦いにすらならなかった。
巨大な力のぶつかり合い。その余波に、私達は全てを奪われた。
影響はこの世界に留まらず、いずれは彼の故郷すら呑み込んでしまうだろう。
きっと■■さんや■■■ちゃん、それに彼の両親も死んでしまう。
駄目だ。それだけは駄目だ。
たとえ一人取り残されようとも、この身が砕け散ろうとも、あの世界だけは守らなくてはならない。
最後の気力を振り絞り、私は柄だけになってしまった彼からの贈り物を握りしめる。
「■■■■■■■■■」
声にならない声を上げ、少女は駆ける。
駆けて、駆けて、駆けて、
「──あっ」
まるで大地そのものが迫ってきたかのような光景。
少女の決死の一撃は、獣達に気付かれることなく、あっさりと押し潰された。
◇ ◇ ◇
迸る朱い稲妻。
崩れた建物を、瓦礫で埋め尽くされた地面を。
まるで這うように走った雷はベヒモスへと突き刺さった。
ベヒモスが弾丸のように吹き飛んでいく光景を、リリアーナは呆然としながら見つめていた。
ありえない。そんなはずがない。もしかしたら既に自分は殺されてしまっているのではないか。これは自分に都合の良い夢なのではないか。そんな考えがぐるぐると頭を駆け巡る。
しかし、その背中を見間違うはずがない。
黒のコートに鋼の義手。風になびく黒髪こそ未だに見慣れないが、それでも間違えるはずがない。
「よう、無事みたいだな」
南雲ハジメが、リリアーナに背を向けて立っていた。
「ハ、ジメさん? どうして……?」
「まあ、話すと長いんだが……」
「リリィ!!」
どっから話せばいいか、とハジメが考え込んでいると、遅れて続々と見知った顔が現れる。
「酷い怪我!? 香織!!」
「分かってる!!」
真っ先にリリアーナの側に駆け寄ったのは香織と雫だ。
香織は雫の言葉に頷くと、詠唱を開始する。魔法はすぐに発動され、周囲一体を温かな光が包み込む。
「……ううう」
「ッ! クゼリー!!」
クゼリーのうめき声に慌ててリリアーナが彼女を抱き寄せる。
意識こそまだ戻らないものの、左腕と左足は元の健康的な色を取り戻し、呼吸も安定していた。他にもあちこちから反応が上がる。
「良かった。何とか間に合って……!!」
「ありがとう!! 香織が居なければ今頃……!」
「話は後にしろ」
リリアーナの言葉を遮り、ハジメは振り返ることなくそう告げる。
その声に視線をハジメに戻すと、彼の側にはお馴染みの3人の少女達が陣取っていた。
「ハジメ、やった?」
「手応えはあったが、多分まだピンピンしてんな」
「何ですかアレ。見た目は人間みたいですけど……」
「少なくとも妾は角を生やした人間など見たことないの」
ユエ、シア、ティオの三人は言葉を交わしながらも、ベヒモスが吹き飛んでいった方向への警戒を緩めない。
その様子を呆然と眺めていたリリアーナだったが、はっ、と思い出したように口を開いた。
「ハジメさん達が何故ここに!? ゲートを開く為の魔力が貯まるのはずっと先だったはずじゃ!?」
「悪いが時間がない。説明は後だ」
「で、では何故ここに……?」
「それはシアが原因だ」
「シアさんが……?」
「はい……視たんです、未来を」
そう口にしたシアは僅かにぶるりと身を震わせた。
シアの持つ固有魔法”未来視”は、自身もしくは対象者の仮定した未来を視ることが出来る魔法だ。本人の任意で発動させることが出来る魔法だが、自身への危険が及ぶ場合は勝手に発動することがある。
「視えたのは、巨大な黒い獣でした」
筋骨隆々の四肢を持ち、天を貫くような二つの大角。その雄叫びは大地を揺らし、空を引き裂く。
何よりもシアを恐怖させたのは、その黒い獣の周囲に視えたもの。
「所々ノイズ掛かってましたが、断言できます。あの獣が暴れていたのは間違いなくトータスで、まわりには……」
「俺達が死んでたらしい」
「ッ!?」
ぐっ、と言葉に詰まったシアに変わり、ハジメが淡々と答えた。
「”未来視”が勝手に発動したのはシア本人に危険が迫る未来だったからだろうな。そんな未来を知っちまったらほっとくわけにはいかねぇだろ。つーわけで出来るだけ戦力を集めて来たわけだ」
「安心してリリィ。私達以外にも、鈴や龍太郎くん。それにクラスの皆も来てくれたんだ」
「今は逃げ遅れた人達の避難や救護に当たってもらってるわ」
「そう、なんですか。良かった……」
既にこの場に居ない兵士達が救護活動に当たっているが、人手は多いに越したことはない。それが異世界から来た彼らであるのなら願ってもないことだった。
「で、だ。アレは何だリリィ?」
ハジメの疑問は最もだった。
シアが視た未来を防ぐためにトータスに来たは良いが、既に王都の一角が吹き飛んでおり、その国の王女が殺されかけていたのだ。反射的に蹴り飛ばしたハジメだったが、相手が何者なのかすら分かっていなかった。
「私達もはっきりと分かっているわけではありません。ですが……」
「何だよ?」
「ハジメさんは、”ベヒモス”という魔物を覚えていますか?」
その名をここで聞くことになるとは思いもしなかったハジメの目が僅かに見開かれる。
「忘れるわけがねぇ。そもそも何でその名前がここで出る?」
「あの少女が言ったのです! 自分が魔物で、
「……は?」
今度こそハジメはリリアーナに振り返った。
「それと、彼女の目的はハジメさ──」
リリアーナの言葉は遠方から鳴り響いた爆砕音に掻き消された。
「ッ! 上だ!!」
吹き荒れる衝撃に各々が耐えていると、ハジメが声を上げたことで、全員がその場を一斉に離脱する。
直後、轟音と共に何かが上空より飛来した。
「……ちっ、少しも堪えてねぇな」
大地から吹き上がる白い煙。
その中心部にから影が動くのを見たハジメは忌々しげに舌を打つ。
大地には蜘蛛の巣状の亀裂を作ったその影は、悠々と煙の中から現れる。
「やっと会えたね、ナグモ!!」
「うるせぇよ。誰だお前」
口角を上げ、頬を染め、両手を広げてハジメの来訪を歓迎するベヒモスに、ハジメはドンナーの照準を合わせる。
「どのくらい振りだろうな!! 本当に久しぶりだ!! 態々地上に出てきたって言うのに、君が居ないって聞いてショックだったんだ!!」
「俺の質問に答えろ馬鹿女。てめぇは誰で、何で俺のことを知ってる?」
「ん? ああそうか。ニンゲンは最初に名を名乗るのが礼儀だったな。知ってるぞ? しまったな、君に呼んでもらえるのなら良い名を決めておけば良かった。ひとまず、己のことはベヒモスと呼んでく──」
突如、ベヒモスの上半身が後ろに大きく逸れる。遅れて響き渡る炸裂音。
「オーケー、もういい。魔物相手に話し合おうとした俺が馬鹿だったな」
音を置き去りにするほどの早撃ち。それは正確にベヒモスの顔面を撃ち抜いていた。
「生憎とこっちはてめぇなんかに構ってる暇は……ッ!?」
「ああ、やっぱり良いよ」
ガリッ、と金属が割れる音がした。
ゆらりと幽鬼のように上半身を元に戻したベヒモスの口からパラパラと金属片がこぼれ落ちる。
「あの時と同じ……ううん、それ以上だ。純粋で、真っすぐで……だから君は面白い……!!」
「てめぇの歯はアザンチウム鉱石ででも出来てんのか」
アゼンチウム鉱石とはトータスに存在する鉱石の一種で、オスカーの書物曰く、この世界最高硬度の鉱石だ。
ハジメの数多の装備にも使われており、薄くコーティングするだけでドンナーの最大威力を耐え凌ぐ程の硬度を誇る。
「アザなんちゃらってのは知らないけど、喰べることなら自信あるよ。それと、己のことはベヒモスと呼んでくれ」
ガチガチと見せびらかすように歯を噛み合わせるベヒモスにハジメは大きく舌を打つ。
歯というのは実は人の体の中で一番硬い組織と言われている。魔力のない地球ですら鉄よりも硬い分類に組み分けられており、魔力という概念がある世界ではその硬度はダイヤモンドを優に超えるだろう。
かといって、それとドンナーの銃撃で傷一つないのは全く別の話だ。
ドンナーはハジメが制作した大型のリボルバー式拳銃だが、固有魔法”纏雷”を使用することで、小型のレールガンと化している。
仮に突出した身体能力を持つシア相手に不意打ちで銃撃した場合、致命傷とまではいかなくとも、少なくないダメージは負うと断言できる。
(単純な肉体スペックはシア以上ってか?)
バク兎として名高いシアを超える身体能力。それだけで十分な脅威に違いはないが、だからといって焦るほどのことでもない。
「ねえ、ベヒモスって──」
「ハジメさん、ここは私が」
「ああ。ティオ」
「分かっておる。ああいう手合は妾の出番じゃな」
「ユエは俺と二人の援護だ」
「ん、任せて」
ベヒモスの言葉を遮り、ハジメの前に出るのはシアとティオだ。
超人的なの身体能力を誇るシアと、脅威の耐久力を持つティオ。その背後には魔法のエキスパートであるユエと多種多様な重火器での殲滅援護何でもござれのハジメ。
さらにはリリアーナの側に付いているものの、ヒーラー役の香織が居れば、多少のミスはカバーできる。
この布陣を持ってすれば、身体能力が優れているだけの敵など恐れるに値しなかった。
「シアが見た予知のこともある。全力で叩き潰すぞ」
「はい!」
「うむ!」
「うん!」
ハジメの号令に、シアがヴィレドリュッケンを振りかざしながら突撃した。
「むぅ、何で呼んでくれないの? まあ後でいいか。 まずは挨拶代わりに……殺ろうか!!」
その闘気にさらに気分を高揚させたベヒモスは己が拳を持って応戦する。
ヴィレドリュッケンに右の拳がぶつかり、人体と衝突したとは思えないような鈍い音が鳴り響く。
「いっ、つ……!!」
硬い。それがシアが最初に抱いた感想だった。
シアは全開では無いものの、既に昇華魔法で自身のバフを終えている。その状態での攻撃が弾かれた。
神の使徒を含め、自身の攻撃が弾かれたのは初めてではない。だが、魔力を通さず、純粋な肉体スペックのみで自らに匹敵する存在に相対するのは今回が初めてであった。
「まだまだァ!!」
皮膚が破れ、流血する拳を気にすることなく、ベヒモスは左の拳をシアに向かって振り下ろす。
「妾を忘れておらんか!!」
しかしその攻撃は、二人の間に割り込んだティオによって防がれる。その肌は黒く、まるで美しい陶磁のようだ。
竜化変成混合魔法”竜鱗装甲”。
完全竜化と比べ、膂力の面でのスペックは落ちるものの、防御面は完全竜化と遜色ない。
「吹き飛べ!」
攻撃を防いだことで出来た僅かな隙をティオは見逃さない。圧縮されたブレスを両手の先から放った。
シアを巻き込まないように極限まで圧縮されたブレスは貫きこそしなかったが、ベヒモスの体を後方へと吹き飛ばした。
だが、空中で器用に体を捻ることで衝撃を逃がしたベヒモスはガリガリと大地を削りながらもしっかりと足を突き立てる。
「なんと頑強な……ッッ!?」
竜形態でないとはいえ、竜人族の十八番であるブレスの直撃を受けてピンピンしているベヒモスに戦慄していると、ベヒモスが大きく息を吸い込む姿が見えた。その口内からは轟轟と燃え盛る炎が漏れている。
「お返し!!」
上体を振り下ろすと同時に、ベヒモスの口から真紅の炎が解き放たれた。
まるで竜のブレスを彷彿とさせる姿。大地を融解しながらシアとティオ目掛けて突き進む炎のブレスは、二人の直前で四方に弾け飛んだ。
「やらせるかよ」
二人の前に展開されているのはハジメのクロス・ヴェルトだ。空間魔法を付与されたそれは、ブレスを受け切ることなく周囲へ威力を拡散させる。
さらに地を這うように伸びるワイヤーがベヒモスの四肢に巻き付き、彼女を拘束した。
生身の人間ならばそのまま四肢を切り落としかねない強度を持つワイヤーだが、ベヒモスの膂力にギチギチとワイヤーが悲鳴を上げる。
「ユエ!! 殺れ!!」
「ん!!」
ハジメに応えるユエの声。それはベヒモスの頭上から聞こえた。
「”禍天”」
ユエの掌から生み出された重力球が、ベヒモス目掛けて撃ち出された。
「──ッ!!」
渦巻く重力の嵐はベヒモスを大地に押し付け、そのまま塵にしようとギュルギュルと勢いを増していく。
「う、ざったい!!」
地面へと押しつぶされたベヒモスの全身から炎が溢れる。
それはまるで花火のようにベヒモスを中心に弾け飛び、爆炎を撒き散らしながら”禍天”やワイヤーの全てを焼き尽くす。
ユエの魔法やハジメお手製の武器を溶かし尽くすほどの高熱の炎。触れるだけでも危険な炎の雨の中に近づける者などいない。
「関係ないですぅ!!」
そんな常識は彼女には通用しない。
「ぶっ潰れろ!!!」
ただの気合で逆巻く爆炎を突き破ってきたシアの一撃がベヒモスを捉えた。
野球のボールのように吹き飛んでいくベヒモスの体は崩れた建物の残骸の一部に突っ込む。
「死ね!!」
「トドメ!!」
「くらえ!!」
クロス・ヴェルトによる銃撃。咆哮を上げる雷の龍。螺旋する漆黒のブレス。
三者による一斉攻撃によって、一抹の閃光の後、王都を揺るがすほどの大爆発が起こった。
「……」
やったか、などという無粋な言葉は吐かない。
地球に帰還して平和な日常を生きていたハジメ達だが、かつての戦いを忘れたわけではないし、腕がなまっていることもない。
これで終わればそれで良し。まだ生きているのならば追撃を仕掛ける。
吹き荒れる衝撃と高熱に、感知系の技能はまだ機能しない。
ただ自らの目でじっとその結果を待つ。
すると、突如視界を遮る戦塵が天高く舞い上がった。
「──ッ!!」
ハジメはその奥に、
◇
これだ。
この感覚だ。
これこそ己が恋い焦がれ、心の底より求めたものだ。
己は知っている。
君は己を止める力を持ってはいなかった。
己は知っている。
君は己を止める才能を持ってはいなかった。
己は知っている。
君は己に恐怖していた。
だが、それでも君は己を越えてみせた。
初めて他者に興味を持った。
初めて他者を知りたくなった。
初めて他者と話してみたくなった。
だが、戦いしか知らない己は君とどう話をすればいいか分からない。
魔物の世界は弱肉強食。強さこそが全てであり、強さを示すことが己を示すことでもある。
だから君と戦うことは己の本能であり、本望であった。
しかし、このままでは己は負けるだろう。
今の短い攻防でよく分かった。結局のところ、己には力しか無い。
これまでもニンゲン共が使っていた”レンケイ”というもの。弱者が抗う為の苦肉の策と侮っていたが、強者が震えばこうまで厄介だとは思いもしなかった。
強い雄にはそれに相応しい雌がいる。それが自然の摂理で、生命として当然のことだ。
知識としては識っていた。だが、己はその厄介さを侮っていた。それは他者を必要としない、生物として不完全な魔物では決して得られない強さだった。
──ならば、己はそれら全てを喰らうことにしよう。
無いのなら喰らえばいい。
必要ならば喰らえばいい。
君とて魔物を喰らうことで力を付けたのだ。ならば、
ナグモ。
己は君と話したい。
君が何を考えているのか知りたい。
己は君と戦いたい。
君が何を感じているのか知りたい。
己は君と共にありたい。
君が何を想っているのかを知りたい。
だからナグモ。
「己は君を喰らうことに決めたよ」
そうすれば、己は君を理解できる。
ベヒモス、ハジメを喰べることに決める(意味深)