001
緑谷出久は出会った当時、十四歳の少年だった。前世(分かりやすくするため阿良々木暦の記憶は今後このように形容する)持ちの僕からしてみれば、彼こそがごく普通の少年だと感じたものだけれど、少数であることを特別だと言うのならば、彼は特別な人間だ。
前世の非日常たる“怪異”はおおよそひっそりと薄暗い舞台裏に潜んでいたものだが、今世の超常たる“個性”はなかなかくっきりと明るい舞台上に並べられている。
空を自由に飛ぼうが、口から火を吹こうが、それもまた人間だ。超常とはいうものの、既に世界人口の八割が手にしているのだから、“個性”はあって当然な、常なるものになっている。そうして、ヒーローなんて冗談みたいな職業を実在せしめた。
架空は現実に。
人類は新たなる力を手にした。
主語を大きくしてそのように断言するとすれば、“個性”を持たない、いわゆる“無個性”の二割は人類ではなくなるのだろうか?
そんなはずはない。しかし、少数派かつ持たざるものという立場は容易く虐げられるものだ。緑谷くんも“無個性”ということで、周りから随分と心無い言葉を浴びせられたらしい。
ヒーローになりたいという夢を。
お前の架空は架空のままだと笑われた。
それでも彼は夢を諦めなかった。傷つきながらも前に進もうとした。やってみなくちゃわからない、と。
その通り。人生はわからないものだと僕も思う。例えば、妹が彼に出会わなければ彼はどうなったのか、だとか。ひょっとすると僕には想像もつかない二転三転七転八起でもして彼は『最高のヒーロー』にでもなっていたかもしれない。けれど、そんなこと、考えるだけ無意味だろう。
なにせ彼は出会ってしまった。
中学三年生の春。
渡我被身子に。
僕の妹に。
――吸血鬼もどきに。
002
妹は緑谷くんの一つ年上で、誕生日も約一ヶ月差と随分近いから基本的に緑谷くんの年齢に一つ足した歳が妹の年齢となる。つまり当時は十五歳。若いなぁ、としか言いようがない。
だから家出だって若気の至りで許される――はずもなく、僕たちの両親は猛反対した。そもそも、家出だというのに妹が保護者の許可をとろうとしていることに――当然、とれるのならとるべきだが――驚いたのを覚えている。
黙って抜け出して、黙って帰ってくりゃいいのに。そんな僕の浅はかな考えを嘲笑うかのように、妹はこう両親に告げたのだ。
『このまま高校生になったら中学生のときなんてメじゃないくらいグレそうなんで旅に出ますね! “二年”くらい!』
二年、とは高校を休学できる最長期間らしい(学校にもよるが)。この妹、モラトリアムを最大限活用するつもりのようだ。嘘だろおい。
渋りに渋った両親ではあるが、妹が長期戦を見込んで中学三年生の頭から交渉を続けた結果、条件付きで許可すると約束を取り付けた。
両親が出した条件は二つ。
雄英高校普通科に合格すること。
旅に出る二年間は自活すること。
前者は『助けて翼ちゃん!』と優秀な先輩に泣きついたくせに合格通知を貰って直ぐに休学届を叩きつけるという暴挙を働き、後者はいくつかアルバイトを見繕いつつ『移動は徒歩で、宿泊は影の中……ミスド代くらい?』と試算していた、『吸血鬼』の力を使う気満々じゃねぇか。
ところで、前述の約束は口頭で交わされている。そのため、約束を『なかったこと』にされる可能性(大事な約束は書面で交わすべきである、それすらも破られるときはある)もあったが、そこはそれ、妹は中学時代ヤバいくらいにグレていた。シャレにならん不良少女だった。そのときの妹を僕は『傍若無人の慚愧に堪えない反抗期』などと呼んでいるのだが、この話はまた今度するとして。そのときを思えば、家出なんて可愛らしいものである。両親もそう思って約束を守ったのであろう。
そんなわけで、渡我被身子十五歳。
毎日が日曜日である。
世間が平日でも素知らぬ顔だ。
しかし今日は労働の気分だったのか、トーガーイーツだのなんだの言いながら、配達員の仕事を終えた帰り道である。
ちらほらと歩いている下校中の学生たちを横目に、空っぽになったバイト用宅配バッグを背負ったままフラフラと歩いていた。歩きながらポケットから携帯を取り出し、誰に電話をかけるでもなく耳に当てる。
「鬼いちゃん、お話しましょー」
どうやら僕との会話をご所望らしい。最低限取り繕っているようだし、僕もどちらかといえばおしゃべりな方なので、適当に話題を振る。
「そういや聞いてなかったが、どうして家出なんだ? 家に居づらいってのは共感するけれども。それなら、進学と同時に一人暮らしでも始めたら良かったじゃないか」
「あれ、言ってませんでしたっけ? 家出といっても、家から出たかったわけじゃなくて、外に出たかったのです」
「外に?」
「えぇ、外に出て、見て回って、探したいのです」
「探すって……何を。まさか自分探しの旅とでも言うんじゃないだろうな」
「ヤダなぁ、自分なんて探さなくてもココにいるじゃないですか。私は私ですよ、変わりません。強いて言うなら――『ヒーロー探し』です」
妹の言葉が終える直前、妹はちょうど薄暗いトンネルに入ったところだったが、吸血鬼もどきな彼女は夜目が利いて、ついでに視力もいいから、トンネルの反対側、出口まではっきりと見えていた。
学生服の少年が、ヘドロ状のものに襲われるところを、見ていた。
今世の妹は、正義の味方だとか正義そのものだとか標榜していた前世の妹たちと違って、見返りを求めずに誰かのため動くような人間ではない。
だから、妹が吸血鬼もどきの身体能力で少年のもとに駆けつけ。
「ちぇりお!」
と、掛け声を発して
何故ならそのまま、振り回されて目を回した少年を小脇に抱え逃げ出した先、目に入った公園のベンチに寝かせた少年が目を覚ましたときに、妹は笑顔でこう言うからだ。
「おはようございます! チウチウさせて!」
「へあっ!?」
003
「“個性”『吸血鬼』! すごい“個性”だぞこれは……身体能力の高さは勿論、自身の回復力だけでなく血液を与えることで治療もできるって、少量でも緊急時の応急処置に大いに役立つし、霧になったり動物になったり他のものに変身できる能力……加えて、暗闇を見通す視力もあるのなら活動できる場所がとんでもなく広がる……! ち、ちなみに能力を使うのに血液が必要って言ってたけど、どれくらい必要なの?」
「んーと、人間一人分の血液で一ヶ月は吸血鬼フルパワーでいられます」
「へぇ、人間一人分で一ヶ月……人間一人分!?」
「そしたら太陽光も浴びれなくなっちゃうので、そんなにチウチウすることないけどねぇ」
「あ、血液を溜め込めば溜め込むほど能力のストックは出来るけど、同時に吸血鬼の弱点も強く出るのか……ふむふむ……」
緑谷くんがブツブツと呟きながら、妹の“個性”に関する考察をノートに書きつけている。妹はそれを「へー」と興味深げに覗き込んでいた。公園のベンチに二人仲良く並んで、ちょっと距離が近すぎやしないだろうか。少し間をおいて、緑谷くんと妹の目があって。
「どぅおわぁ!?」
と、緑谷くんが正気に戻った。
あるいは、改めて錯乱した。
どうやら彼はかなりのシャイボーイで、目を覚ました直後は顔を真っ赤にして会話もままならない様子だった。会話を重ねるにつれて慣れてきたとばかり思ったけれども、単に視野が狭くなっていただけのようだ。
慌てふためき距離を取る緑谷くんに対して、妹はクスクスと微笑ましげに笑っていた。
ふぅむ。
もしかして被身子ちゃんは緑谷くんのような男の子が好きなのだろうか。
うーん、これまで彼氏がいたことないから分からないな。
いや別に被身子ちゃんは恋人がいない期間イコール年齢ってわけじゃないけれど。
つまりはそういうことである。
ともあれ、妹が緑谷くんの取り落としたノート――随分と煤けている――を拾い上げ、同時に、表紙に記された文字列を読み上げた。
「『将来の為のヒーロー分析』」
「あ……」
「ヒーロー志望なの? 頑張ってくださいね」
何気ない妹の言葉に、緑谷くんの瞳が揺れる。
「……ありがとう」
伏せた目は、人見知りだからでは、ないのだろう。
「そ、そうだお礼! 僕なんかの血で良ければ……えっと、どうすればいいかな? 吸血鬼といえばやっぱり咬んだり……かかか咬む!?」
「いえ、咬んじゃうとちょっとしたフツゴウあるので。腕を捲って出してくだい、チクッとしますよー」
空のバイト用宅配バッグから取り出すふりをして、『吸血鬼』の力で注射器を生み出した。この妹、息をするように力を使っている。
素直に腕を出した緑谷くんから採取した血液を、改めてお礼の言葉とともに頭をペコペコと下げた緑谷くんと別れてから、人通りのない路上で歩きつつ、紙パックのレモンティーでも飲むかのように、チウ、と吸った。
「んっ?」
妹が首を傾げる。僕も妹の舌が感じる味を感じているわけだけれども、何と説明したらいいか。
「“無個性”なんだねぇ、あの子」
“個性”に明確な味があるわけではないけれど、血液を舐めてみると“個性”の有無が分かる。舌触り、とも違うが、それに近いところだ。
「……ヒーローに、なれたらいいね」
妹は目を細め、舌に絡んだ血液を、コクリと喉を鳴らして呑み込んだ。
004
緑谷くんとの再会は、その日の内に果たされた。
というより、商店街で彼を見かけた妹が彼のことを追いかけたのだ。それはもう、ゴールデンチョコレートを前にした忍のように瞳をキラキラとさせて。商店街へ着く前に「被身子ちゃんは緑谷くんみたいな子が好みなのかい?」「んー。カァイイ男の子だとは思いますけど、もっとボロボロになっている人のほうが好みですねぇ」という話をしていたのだが。
何があったかといえば、妹が商店街のミスタードーナツで買い物をしていると、外で爆発音が聞こえてきて。きちんとドーナツを買い終えてから外に出てみると、見たことのあるヘドロが道の真ん中で暴れまわっていた。既にヒーローが出動している上に野次馬も多く、巻き込まれない内にさっさとお暇しようとしたところ、野次馬の中から、有効打が無く手をこまねいていたヒーローたちと絶賛大暴れ中のヘドロおよびヘドロに捕われた少年(爆発はこの子の“個性”らしい)の前に、一人の少年が躍り出た。
ヒーロー志望の緑谷くんが、飛び出してきた。
制止する声に足を止めず、自殺志願だという声を背に投げかけられ、それでも尚、誰かを救けようと。誰かを救けようという想いは正しいけれど、力なき正義は正しいだけで、正しいだけの行為は間違っている。結局、緑谷くんがヘドロのもとへ辿り着く前に、No1ヒーローのオールマイトがそいつを撃退した。
事後処理とともにヒーローたちから叱責を受けている緑谷くんの姿を、僕は何とも言えない思いで見ていたのだが、妹は彼に見惚れていたらしい。長い長い説教が終わって、彼が一人になるまでずっと見ていた。
そうして、緑谷くんが一人歩いているところに、妹は声をかけに行った。
勢いよく。
クラウチングスタートを切った。
「い、ず、く、くぅーーーん!!」
「ひょえっ!?」
「見てましたよさっきの! カッコよかったねぇ! 素敵だったねぇ! 本当に君は、みんなと違くて、私と同じです! ヒーローです! トガは、出久くんのファンになっちゃいました!」
「わぁーっ!? わぁーっ!? わぁーっ!?」
公共の道路で男子中学生に抱き着いて押し倒し、頭をわしゃわしゃ撫でながら一方的に捲し立てる女子高校生(休学中)がいるらしい。
というか、僕の妹だった。
まったく破廉恥な。
いったい誰に似たのだろうか。
「ト、トガさん!?」
「あは、なんだかジブリに出てきそうですね」
となりのトトガ。
いやぁ、どうだろう。
「ど、どうしたの? いや本当どうしたの?」
そのまま話を続けるらしい。これがどこぞの小学生との会話なら二つ三つは掛け合いを挟むのだが、緑谷くんにそれを求めるのも酷だろう。押し倒されたまま話を続けるというのも酷なことだろうけど。
すまない緑谷くん、全面的に妹が悪い。
「ん? さっき言った通りです、君のファンになりました!」
「ファン……?」
「ヒーローになる夢、応援します! ボロボロになって頑張ってください! 後はそう、プレゼント!」
妹は唇の右端に指をひっかけて、頬をぐいっと引っ張ってみせた。
牙を見せた。
自分が、吸血鬼であることを誇示するように。
「一緒に人間、やめませんか?」
「火憐だぜ!」
「月火だよー」
「くそっ、私達が姉ちゃんの妹だったら姉ちゃんも正義の味方になるはずだ!」
「正義そのものになるに決まってるよ!」
「そしたらファイアーシスターズも三姉妹になるな」
「被身子お姉ちゃんの名前に火はないけどね」
「此世身兄ちゃんみたく姉ちゃんも改名しようぜ」
「そうだねぇ、火巫女とか?」
「火に巫女とか最強じゃん! 流石はファイアーシスターズの長姉だな!」
「予告編クイズー」
「クイズ!」
「『いずくヒーロー』は上下でしょうか? 上中下でしょうか?」
「そんなの次回予告で分かっちゃうだろ」
「正解はまだ書いてないから分からないでしたー!」
「答えがなかった!!」
「次回『いずくヒーロー ?』」
「中の上とかやりはじめるかもしれないよ」
「そうなったら素直にナンバリングしろよ」