――エルコンドルパサー。
「面白い冗談デース」
彼女が笑っている。
しかし、そのマスクの奥にある目からは一切の冗談を感じられない。
燃え盛る炎が静まり、氷のように冷え切った目。
そんなに彼女が怒るなんて知りもしなかったんだ。
まさか、ケバブにかけるソースをホットソースではなく、ヨーグルトソースにしただけで…。
――カレンチャン。
ホワイトデーのお返しとして、お兄ちゃんに耳飾りを貰ったカレンチャンが、意気揚々とその写真をウマスタにアップしたら、タイキシャトルさんやサクラバクシンオーさんというコメントがちらほらとついてきた。
なぜなのかと思ってウマチューブとウマッターで二人の投稿を見たら、先週の休みにお兄ちゃんにプレゼントを選ぶのを手伝ってと頼まれたらしく、その様子が動画と写真でアップされていた。
タイキさんとバクシンオーさんに振り回されながら、変なプレゼントを選んでいる姿はなかなかに面白くて、かなりの数のウマいねがついていた。
「いやー。カレンのプレゼント選びを手伝う代わりに、SNSにアップさせてくれって頼まれたけど、こうして自分で見るとだいぶ照れ臭いね」
「………」
カレンチャンは初めてお兄ちゃんに無言で蹴りを入れた。
――ダイワスカーレット。
その日はスカーレットにとって妙な感じがする日だった。
なんだかむずむずするような、ぼーっとするような、ボタンを掛け違えたような違和感が付きまとうような日だった。
「今日はなんだか集中できてないみたいだな。
トレーニングは軽めにして様子をみようか」
「冗談言わないの!
こんなの不調でも何でもないんだから、さっさといつもの奴やるわよ!」
だが、激しく動いている間にスカーレットの中で違和感はどんどん大きくなってきた。
訳の分からない衝動と、熱さからの苛立ちで、スカーレットは運動着の上着を脱ぎ捨てた。
トレーナーがそれを見た瞬間、飲んでいた水を勢いよく噴射した。
「ちょっと!いきなり口から水を吐き出すなんてどうしたのよ?」
「す、スカーレット……。その、お前胸の方が……」
胸?と言われたままに視線を下に向けると、なんとそこには汗がにじんだ運動着が地肌に張り付いていた。
あれ?私ブラジャーついてない?
そう思った瞬間、違和感の原因とトレーナーが赤い顔をして明後日の方向を向いている理由がわかった。
「きっ…きゃああああーーーー!!
な、なんでつけてないのよ!?」
スカーレットは胸を腕で隠してうずくまった。
「そんなの俺が知るわけないだろ!」
「見た!?見たわよね!!?」
「……見てないよ」
「絶対嘘!!私帰る!!」
そう言って走り去ろうとしたスカーレットの足がもつれた。
危うく転倒しそうになったスカーレットを、トレーナーはかろうじて抱きとめることができた。
むにゅ。
なんだか、柔らかい音がした。
その瞬間にスカーレットは、髪の先からつま先に至るまで、まるで雷に打たれたかのような衝撃が走った。
腰から下の骨が全て粉々になってしまったかのように力が入らなくなり、それと引き換えに、洪水のように溢れてくる未知の快感がスカーレットを襲う。
高く艶のある声が、自分の口から出ていることにも気づかずに。
「す、スカーレット…?」
トレーナーの腕の中でくたりと脱力していたスカーレットは、その声で我に返った。
「ぎ、ぎゃあああ!!」
「ぐほあ!!」
優等生らしからぬ声を上げて、スカーレットは渾身のビンタをトレーナーの顔面にぶち当てた。
ウマ娘の超人的なパワーにより、トレーナーはくるくるとタケコプターのように回転しながら吹き飛ばされた。
地面に倒れたトレーナーを気にする余裕もなく、スカーレットは走った。
甘い余韻がまだ続いているみたいだった。
訳も分からず逃げてしまったけど、どうかこの真っ赤になった顔だけは、トレーナーに見られていませんようにとスカーレットは思った。
なお、倒れたトレーナーは夜に見回りに来たたづなさんに発見されるまで、ずっとグランドに放置されていた。
――ウイニングチケット。
「えっ?う、嘘だよねトレーナーさん!!
私を捨てて新しい担当ウマ娘を育てるだなんて……」
「本当だ。俺はこの子とダービーを目指す。
チケットの面倒を見ることはできないから、とりあえずたわしの世話でもしておいてくれ」
「そ、そんなーーーーーー!!行かないでトレーナーさーーーん!!!」
こうして哀れチケットは、腕を組んで歩いていくトレーナーと新人ウマ娘を見送りながら、チクチクと肌に刺さってくる大きなたわしの世話をして過ごすこととなったのだった。
「……うぅん、うぅん、チクチクして痛いよ……はっ!?
たわし!………って、夢?」
この日ビワハヤヒデとナリタタイシンは、友人であるウイニングチケットの様子がおかしいことに気づいた。
三人でお昼ご飯を食堂で食べている時に、最初に口を開いたのはハヤヒデだった。
「どうしたチケット?いつもの騒がしさがまるでないほどの落ち込みようだ。何かあったのか?」
「ううんハヤヒデ。なんでもないよ……」
だが、無理をして笑っているチケットに、無関心を装いながらも心配を隠しきれていないタイシンが追及した。
「そんな顔で何でもないって言って、説得力ないでしょ。さっさと言いたいこと言えっての、バカ!」
タイシンのわかりづらい気遣いに元気をもらったチケットは、今日見た夢の話をしようとした。
「実は……」
「おっ、いたのかチケット。一緒に座ってもいいか?」
そこにチケットのトレーナーが現れた。
トレーナーは食堂が混雑していたので、三人で空いている席で相席をさせてもらおうと来た。
しかし、トレーナーを見たチケットは、わなわなと震えて青い顔になった。
「チケット?」
「と、トレーナーさん!アタシのトレーナーをやめたりしないよね!!?
新しいウマ娘に乗り換えて、アタシにたわしの世話をしろって言ったりしないよね!!?」
たわし?とその場にいる全ての者が疑問に思った。
しかし、チケットに問いかけられたトレーナーは、何らかの思い込みや勘違いでチケットが暴走しているのだろうと早々に当たりをつけ、自分にとって愛おしく世界で一番大切な存在を安心させるべく笑って言った。
「何言ってるんだよ。俺にとってウイニングチケットが最高のウマ娘に決まってるだろ。
君を捨てて他に行くなんてありえないし、俺はいつまでも君を一番にするために頑張るよ」
トレーナーの真心からの言葉は確かにウイニングチケットに響いた。
ジワリとチケットの眼から涙があふれてくると、食堂全体に響くほどの声でチケットは絶叫した。
「う、うわぁああーーーーーーんっ!!!
よがっだよーーーーーー!!!」
チケットは大声をあげて泣いた。
夢の内容とは言え、チケットは自分の大好きなトレーナーさんに冷たくされたことをとても気にしていた。
もしかしたら現実でもそんな態度をとられるのではないかと不安になっていたチケットは、自分を一番に認めてくれるトレーナーさんに言葉にできない安らぎを感じるのだった。
「それで、そんなことを言うってことは、何か不安になるようなことがあったのかい?」
トレーナーが心配そうに聞いた。
チケットはトレーナーを不安にさせてしまたことを申し訳なく思い、自分の勘違いについて素直に話すことにした。
「う、うん!実は、と、トレーナーさんが……昨日無理やり(夢の中で新しい子を)入れようとしたことが怖かったんだけど……。
それでもアタシ、トレーナーさんから見捨てられたくなかったから……(たわしの育成を)痛いのも我慢した(夢を見た)ことが辛かったんだ!!」
ざわりと周囲の空気が震えた。
トレーナーは今の主語が欠けた言葉を反芻して、これって聞きようによっては、まるで自分がチケットに行為を迫って無理やり手籠めにしたように聞こえなくもないんじゃないかな?と思った。
その直後、トレーナーは両腕をハヤヒデとタイシンにがっちりと抑え込まれた。
まるで、絶対に逃がさないと言わんばかりに。
「詳しい話を聞かせてもらおうか…」
「あんたがそんな最低男だとは思わなかったよ…」
「ご、誤解だ!!
俺は誓ってチケットにそんなことをしていない!!」
「言い訳は理事長室で聞こうか」
ビワハヤヒデとナリタタイシンに両腕をつかまれたトレーナーは、哀れどこかに引きずられていくのであった。
その後それが夢の話であると伝われるまで、トレーナーはほぼ全てのウマ娘にぼこぼこにされてボロ雑巾のようにされるのだった。
ぼこぼこにされたトレーナーは後に謝ってくる全てのウマ娘に笑って『気にしなくていい』と言って、さすがあのウイニングチケットのトレーナーをしているだけはあると、勝手に菩薩のあだ名をつけられ、チケットはしばらく誰からもたわしとしか呼んでもらえなくなった。
――ハッピーミーク。
「あのミーク…」
「……そのまま正座していてください」
「はい……」
ミークの抗いがたい気迫により、桐生院トレーナーは足を崩すことができなかった。
ミークはぼーっとして何もな考えていないように見えるが、長い付き合いからかなり内心を感じることができるようになっていた、はずだった。
なのに、今桐生院はどうしてミークに向かい合って正座をさせられているのかがわからなかった。
「……先日トレーナーは……あの同期のトレーナーさんと温泉旅行に行きましたよね?」
「あっ、その話を聞きたかったんですか?
そうなんです!あの人がオッケーしてくれて二人で言った旅行はとても楽しかったです!
トレーナーさんの担当ウマ娘さんが、なぜだか私が誘ったとき鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていましたが、あの子にもお土産を買っておいたので、今頃喜んでいるんと思います!」
「……そんなことを聞きたいんじゃありません」
「えっ!?」
桐生院が驚いた顔をした。
てっきり温泉に行った感想を聞きたいのかと思ったのに、違ったんだろうか?
「……なんでウマぴょいしてこなかったんですか?」
「!!」
ウマぴょいと言われた桐生院は顔を真っ赤にした。
ウマぴょいの意味は分かるが、唐突に出てきた恥ずかしい言葉に、桐生院はとまどった。
「ウ、ウマぴょいって…!なに変なことを言ってるのよミーク!」
「変なことじゃありません……。普通男女で温泉に行ったらウマぴょいするはずです。
学生の私ですら当たり前のように思っているのに………、なんでウマぴょいしてこなかったんですか?」
いつにない強い口調で問い詰められた桐生院は、小さな声でだってとかそれにとか色々な言い訳をしていた。
しかし、ミークはそんな言い訳が聞きたいわけではない。
「………普段からあのトレーナーさんの担当ウマ娘さんの眼を見なかったんですか?
………獲物を狩るハンターの眼をしていましたよ。
今頃あのトレーナーは……」
「あ、あのトレーナーは……?」
「………ウマぴょいされているかもしれません」
ガーンと、桐生院がショックを受けた顔をした。
この半周ほど遅れた自分のトレーナーが偶然手にした大逆転のチャンスだったというのに、それを棒に振ってしまったことがミークは残念で仕方なかった。
ミークは桐生院トレーナーに幸せになってほしい。
でも、それは自分の走りだけでは達成することができない。
自分と同じくらい桐生院が大切に思っている人の手助けがなければ不可能なことなのだ。
だから、ミークは自分の理想のために。
何よりも自分の一番大切な人のために。
そのためにも、ミークは桐生院にフリルのついた可愛らしいドレスを手渡すのだった。
「これで勝ってください」
「そんなお姫様が着るような服、可愛すぎて着れません!」
……可愛いのの、何が悪いというのだ。
「そんなんだから………あの人に女の子だと認識されていないのでは?」
桐生院がとてつもなく重い一撃を食らったかのようにうずくまった。
この勝負は適正不足なのかもしれないとミークが感じた。
ゴールはまだまだ遠い。
――シンボリルドルフ。
「この訴状は…」
なんでもないようにいつもの業務をこなしているように見えるシンボリルドルフも、外側から見れば違うようだ。
「ねえ、今日の会長…」
「ああ、めちゃめちゃ不機嫌に見えるな。なにかあったのか?」
「なんでも、会長のトレーナーがトウカイテイオーに臨時トレーナーとして来てほしいって言われたことが気に入らなかったみたい」
「なるほど……痴情のもつれか…」
慣れ親しんだものから見れば、シンボリルドルフの様子はまるで別人に見える。
表情も声の調子も同じだが、纏う覇気がけた違いに重い。
まるで5.1トンもの巨大タイヤのような重圧に、生徒会のメンツは重苦しい空気に苦しめられていた。
その時だった!
「ルドルフ!」
突然生徒会室の扉を勢いよく開けて、シンボリルドルフのトレーナーがやってきた。
それをみたシンボリルドルフは険しい顔をして立ち上がり、樫の木で作られた机がきしむくらいの強さで拳をぶちおろした。
「今更なんだ!」
罵声と轟音が重なって聞こえて生徒会室の面々は一斉にビクッとした。
ウマ娘の耳は繊細なんだ。
大きな音を鳴らすのはやめてくれ。
だが、シンボリルドルフのトレーナーは一切ひるまず、目の前まで歩いていくと、シンボリルドルフをそっと抱き寄せた。
「俺が悪かった」
心の底から悔いているような声に、シンボリルドルフがさっきまでの怒気がなかったかのように悲しげな表情をした。
「ばか!寂しかった!」
ポカポカとトレーナーの胸を弱弱しく叩いている姿は、まるで耳の生えていない普通の女の子のようだった。
だが、それを阻止せんと新たな刺客が扉を開いた。
「テイオー!?」
そこにいたのは、黒いヘルメットをかぶったトウカイテイオー。
コーッ、ホーッ、と独特な呼吸の音が聞こえる。
「アイアムユアドウター」
テイオーの言葉にルドルフが信じられないというように震える。
「ノ―――!」
ガコン!という音と共に床がパカリと開き、ルドルフとトレーナーとテイオーは奈落の底に落ちていった。
どこか寒々しい風が引く中で、固まっていた面々がしばらくしてゆっくりと動き出した。
「えっ?会長落ちた?」
「今のってコント?それともまじな愛憎劇?」
困惑の言葉が続々響く。
「副会長!今のは何だったんですか!?」
入ってまだ日が浅い生徒会役員が、この場で唯一頼りになりそうなエアグルーヴに問いかけた。
しかし、エアグルーヴは頭を抱えながら、苦し気にこうつぶやいた。
「誰でもいい…、説明してくれ…!」
エアグルーヴのやる気がとても下がった。
昔のやつもいいところはあるよねって話