六月になった。
朝の通学路。オレの左右には麻耶と愛里がいた。
「はぁ……こんなの不公平すぎるでしょ……」
初めての無収入ということで麻耶の表情は暗い。
Dクラスのクラスポイントはゼロ。一方、他のクラスは軒並み百ポイントほどクラスポイントを伸ばしていた。中間テストを退学者を出さずに乗り切ることで百クラスポイントが支給されるはずだったらしい。
Aクラスは毎月十万以上のプライベートポイントを貰えているのに、Dクラスはゼロである。格差社会が極まり過ぎている。
「須藤くんのせいで、どうして私たちまで苦労しないといけないの?」
「もう居ないやつに当たっても虚しいだけだぞ。それにクラスポイントが少ないのは須藤だけの責任ではないはずだ」
「わかってるけど愚痴りたくなるんですー」
麻耶が頬をぷくっと膨らませながら、オレの腕に抱き着いてきた。
「あまり大きな声では言えないけど、須藤くんが退学になってくれたのはよかったよね。愛里も怖かったでしょ」
「うん。須藤くん、声が大きいから……」
「声だけじゃなくて平気で暴力も奮ってくるじゃん。堀北さんに椅子を蹴飛ばしてたの愛里も見てたでしょ。あいつ中間テストで退学にならなくても、絶対どこかで暴力事件を起こしてるって」
「……そ、そうだね」
麻耶は須藤の悪口で盛り上がっていた。普通の女子高生らしい感性である。
一方の愛里はいくら須藤と言えども悪口には乗り気になれない様子だった。
オレは左右に美少女を侍らせて男子たちからの嫉妬を浴びながら教室に入った。
その日の教室は何時もよりも騒がしかった。麻耶も不思議に思ったのか首を傾げている。
須藤が退学になってから教室の空気は少し暗くなっていたが、その暗さがどこかに消えていた。
「何かあったのかな? 私、聞いてくるね!」
麻耶が軽井沢グループに突っ込んでいく。
オレは教室を見回し、麻耶からの報告を待たずとして原因を発見した。平田たち男子グループに囲まれているのは頭に包帯を巻いて、頬に大きな絆創膏を貼っている男子だった。
三宅明人という名前だったはずだ。三宅とオレには何の接点もなかったが、名前ぐらいは覚えている。
オレが三宅の怪我を眺めていると、傍にいた平田と目が合った。平田がオレの方に向かってくる。三宅も平田の後に続いてきた。
「綾小路くん。少しいいかな?」
オレが頷くと平田が話を始めた。
「彼は三宅明人くん。弓道部に所属しているんだ」
昨日の放課後のことだった。
三宅は弓道部の部活仲間に特別棟に呼び出された。そこには三宅を呼び出した生徒の他に喧嘩慣れした男子がいて「先輩に媚び売ってんじゃねぇよ!」と言いがかりを付けられたらしい。
喧嘩慣れした男子は三宅に殴る蹴るの暴行を加えたそうだ。
「反撃しなかったのか?」
「できなくはなかったが、問題になると思ってやめておいた。おかげで一方的に殴られて、こんな有り様だけどな」
三宅がやれやれと肩をすくめている。三宅は須藤に次いで身体能力が高い男子である。一方的に殴られるほど弱くはないのだろうが、反撃しなかったのは賢明な判断だった。
「特別棟には監視カメラがないみたいなんだ。そのせいで学校側は何の対応もしてくれないみたいでね」
「もう茶柱先生に相談したのか?」
「昨日の放課後のうちにね。証拠がなければ動きようがないと言われてしまったよ。綾小路くん。何かいい方法はないかな?」
須藤もそうだったが、オレに期待されても困る。
今回の件では特別棟に呼び出された時点で負けだ。正攻法ではこの負けは取り戻せないだろう。
「期待を裏切って申し訳ないが、今は何も思い浮かばないな」
「綾小路くんが謝ることじゃないよ。悪いのは三宅くんに暴力を奮った人たちだからね」
「三宅も悪いな。何の力にもなれなくて」
「いや、気にしないでくれ」
平田と三宅がわずかに肩を落としながら去っていく。
その背中を眺めながらオレは思った。おそらくこの一件だけでは終わらないだろう。
翌日。新たな被害者が現れた。
「ちくしょう……」
悔しげに唇を噛んでいるのは山内である。
昨日の今日で呼び出しに応じる奴がいるとは思わなかった。ある意味で山内はオレの予想を超えてきたことになる。少しだけ敗北感を味わえたが、まったく嬉しくなかった。
山内を呼び出したのは椎名ひよりという女子だった。オレはよく知らなかったがCクラスで一番可愛い女子らしい。
山内が鼻の下を伸ばしながら特別棟の教室に入ると、そこに待ち構えていたのはCクラスの男子三人だった。
「反撃して一人はぶっ殺したんだけどよ、そこが限界だった。後ろから頭を殴られて意識が飛んでいる間にボコボコにされたんだ。あいつら三対一なんて卑怯すぎるだろ。一対一なら絶対に勝ってたぜ」
「山内くん、まさかやり返したの!?」
「ああ。俺に殴られた奴は情けなく命乞いをしてきたぜ。俺の必殺の拳がよっぽど痛かったんだろうな。まぁ俺は中学の頃から喧嘩ばかりしてたから、これぐらいどうってことないんだけどな」
どうせ何時もの虚言だろう。スポーツマンの設定はどこに行った。
平田は焦っていたが、命乞いをしたのは山内の方だろうから心配してやる必要はない。三対一ではなく一対一でボロ負けしたとオレは思っている。
「みんな、聞いてくれ。どうやらCクラスが僕たちのクラスを狙っているみたいだ。呼び出しを受けたら僕や櫛田さんに相談して欲しい」
平田は両方の事件の共通点から、仕掛けてきた相手がCクラスだと断定していた。オレもその判断には同意する。
相手の目的は不明だが、ロクでもないのは確かだった。
堀北は他人事のような顔をしているが、狙われるのは何も男子だけとは限らないんだけどな。いずれ他の女子も標的にされるだろう。
オレは麻耶や愛里たちに注意を促しておくことにした。
昼休み、オレは図書室に顔を出していた。
桔梗からの情報で、件の椎名ひよりが図書室に出入りしていることを耳にしたからだ。
まだチャイムが鳴ったばかりなので図書室には誰もいない。
流石に早すぎたようだ。オレはミステリーの棚の前で時間を潰す。
ホワイトルームで女性の口説き方を一通り仕込まれているオレはあらゆる書物にも精通している。文学やSF、ファンタジーやミステリーなどジャンルは問わず、女性が好む話題を提供するためだ。
見慣れたタイトルばかりだったが、久しぶりに読み直してみるかと一冊を手に取ってみた。
「森博嗣ですね。お好きなんですか?」
「ん? ああ。タイトルがな」
「わかります。『夢・出逢い・魔性』なんて、とても素敵なタイトルですよね」
オレに声をかけてきたのは変な少女だった。なぜか両手の指を合わせてうっとりしている。
「綾小路くんは国産ミステリーがお好きなんですか?」
「海外ミステリーも普通に読むぞ。最近読んで面白かったのはこれだな」
どうやら相手はオレの名前をすでに知っていたらしい。クズの小路として有名になっているからだろうと思いながら書庫の棚を指差した。
マイクル・コナリーの『シティ・オブ・ボーンズ』である。
「いいご趣味をしていますね。このシリーズは主人公のハリー・ボッシュの人間的な魅力がとても素敵なんですよね」
「ああ。ところで……」
オレは少女に目を向けた。
変な少女だったが見た目はかなり可愛らしい。堀北や櫛田に引けを取らないルックスだが、清楚さで言えばこちらが上だ。
「あ、申し遅れました。私はCクラスの椎名ひよりです」
どうやらオレの探し人だったようだ。
山内が引っかかるのも無理はない、レベルの高い美少女だった。
「オレは綾小路清隆。Dクラスだ」
「知っています。恋多き人ですよね」
オレは感心した。オレの悪名をポジティブに言い換えるとそうなるのかと。
椎名はこうしてオレに声をかけてきているが、見た感じでは大人しい性格のようだった。山内を呼び出すのに一枚噛んでいるとも思えない。おそらく名前を使われただけだろう。
これで当初の目的は達成できた。しかし椎名はオレの予想を超えた美少女だった。このまま去るには惜しい。布石だけでも打っておくべきだろう。
「椎名。昼食はまだみたいだが、よかったら一緒に食べないか?」
「ふふっ。もしかして、私のことも口説くおつもりですか?」
「迷惑だったか? 同じ本好きとして話をしてみたいと思ったんだが」
「そう言うことにしておきましょうか。綾小路くんが本物の本好きか確かめさせて貰いますね」
紛らわしい言い方だったが、どうやらオッケーを貰えたようだ。
オレは椎名と学食に向かった。椎名は学食を利用するのは初めてのようで、券売機の前で戸惑っていた。
重たそうだったので椎名が図書室からずっと提げていた鞄を持ってやる。
「実を言うと、海外ミステリーを読み始めた切っ掛けは『十角館の殺人』が切っ掛けでな。エラリー・クイーンの名前が気になってしょうがなくなったんだ」
「登場人物が海外ミステリーの作家の名前を名乗っている作品ですね。館シリーズの一作目にして最高の作品だと思います。私は時計館も好きなのですが……」
ホワイトルームで仕込まれたオレの知識が活躍する。
椎名の知識量は大したものだったが、オレがついて行けなくなることはなかった。やがて食事が終わると椎名はやたら重たかった鞄から私物の本を取り出して饒舌に話し始める。
このままだと昼休みが終わるまで話し続けそうだと思っていると、一人の少年が近付いてきた。
「クズの小路。お前また別の女を引っかけてやがるのかよ?」
椎名の楽しそうな表情が凍り付いた。
割り込んできたのはオレのクラスの山内である。山内は昨日Cクラスの男子に暴行を受けているため頭に包帯を巻いていた。
「おい! こいつCクラスの椎名じゃねぇか!」
山内はニヤニヤ笑いながらオレと椎名を見比べていたが、ふと気付いてその顔が怒りに染まった。
「お前、どういうつもりだよ! 俺を呼び出してボコボコにしやがって! 見た目は可愛いのに性格は腐ってやがるんだな!」
「山内。やめろ」
「クズの小路は引っ込んでろ! 椎名のせいで、こっちは酷い目に遭ったんだ! 土下座しろよ、土下座! あとポイント寄越せ!」
「山内」
「うるさいって言ってんだろ! お前は女なら誰でも……」
オレは山内の手首を掴み、ゆっくりと力を込めていく。
山内の顔が苦痛に歪み、次第に恐怖に染まっていった。
「な、何なんだよ、お前」
「椎名は何も知らない。ここは引いてくれ」
「け、けどよ……」
オレはさらに力を込めていった。山内が「ひっ」と短く悲鳴を上げる。
「わ、わかったよ! 今回だけだからな!」
山内は情けないことを言いながら去っていった。
オレは椎名に視線を戻す。椎名は先ほどまでの楽しそうな表情から一変して、暗い顔をして俯いていた。
「すいません。私のクラスメイトがご迷惑をおかけしたみたいですね」
「椎名が謝ることじゃない。知らなかったんだろ?」
「はい。信じて頂けるとは思っていませんが、本当に何も知りませんでした。何となく想像は付きます。私の名前を使って先ほどの彼を呼び出して、暴力を振るったんですよね」
「オレは信じるよ。椎名はそんなことをする奴じゃない」
オレはここぞとばかりに真面目な顔をして椎名と目を合わせる。女を口説く時の常套手段。ホワイトルーム謹製のテクニックだ。
そしてオレの予想通り、椎名の頬が朱色に染まっていった。
「綾小路くん。ありがとうございます」
「同じ本好きだからな。オレも椎名と話ができて楽しかった。新しくできた友達をこんな詰まらないことで失いたくない」
「……友達でいいんですか?」
「オレはそう思っている。椎名はどうだ?」
「私も、綾小路くんのことを、お友達だと思っています」
椎名が気恥ずかしそうにオレを見上げる。
「綾小路くん。よろしければ、ひよりと呼んで頂けませんか?」
「いいのか?」
「はい。お友達ですから」
「ならオレのことも清隆と呼んでくれ」
「ふふっ。清隆くんですね。私、初めての男友達と名前で呼び合っちゃってます。今日はとても素敵な一日になってしまいました」
ひよりは本当に嬉しそうだった。
その後、オレたちは互いの連絡先を交換した。予鈴が鳴るまで椎名と本の話をし続けた。