「今日もボロボロねぇ。はぁ……とりあえず診せてみなさいよ」
「痛くしないでね」
「痛いのが嫌なら、勝負を持ちかけられても無視すればいいのに……」
イツハとともに保健室を訪れ、椅子に座らされ、怪我の治療をしてもらう。
「まったく。もしあたしがここにいなかったら、どうするつもりだったの」
いつか、どこかの――姉のようなセリフで愚痴るイツハ。回復魔法がもたらす柔らかなぬくもりもあいまり、ネレは弛緩しながら束の間、ぼうっとする。
「愚直に通い続けてるけど、あんた、ノクターンに利用されてるとか考えた事はないの?」
「利用……?」
「結果だけ見たら、聞こえのいい約束を結ばされて、掌で飼い殺しにされてるじゃない」
確かに、あれきりノクターンからはネレの問題を解決するための具体案も、それを提示する方針も何も音沙汰がない。
対する六不思議は、ネレという戦力をノーリスクで手に入れたも同然。
ただでさえ荒事の多い昨今、どちらがより得をしているかなど火を見るよりも明らかだ。
「私……うまく使われちゃってる?」
「いや知らんけどね。でも何も考えないで口車に乗り続けてるのはどうよ、って話」
「……優しいんだね、イツハは」
ぬるま湯につかったようなぼんやりした心地で、ネレは思うところを告げる。
「は、はぁっ? ま、またそんな……や、優しいとか、いきなり何なのよあんたは!」
「だって……私が言うなりになっていれば、イツハにとっても損はしないのに。わざわざそんな風に、忠告してくれるから……」
「勘違いしないで! あたしはその……ノクターンが何か、悪だくみしてるんじゃないかって気に留めてるだけだから。あの子、ちょっと目を離すとめちゃくちゃやりだすし……」
「イツハは……六不思議のストッパー役、って感じ?」
「そんな御大層なもんじゃないわよ。迷惑かけられるのが嫌なだけ。ほら、次は足看るわ」
ネレはなんとも、不思議な気分でイツハを見つめた。
イツハの言葉が正しければ、ネレに余計な知恵をつけられて困るのはノクターンだろうに――同じ六不思議という集団内において、矛盾した行動にも思える。
矛盾といえば、先ほどのイズルとノクターンの会話もそうだ。
ノクターンがネレの力を必要としているのに対して、イズルは口論してまで逆らい、反対意見を述べていた。何ならノクターンの方が折れる様子さえちらつかせていた気がする。
はじめは、絶対的な統率者たるノクターンを首魁とした、微塵も綻びのない、一枚岩の組織に思えていた。けれど、何かが違うのだ。
(みんながみんな、独自の考えを持ってて……場合によってはノクターンと衝突するし、恐れていない……)
時にはぶつかり合う事もあれど、けれど彼らは、この閉じきられた異界という特異な環境下で、誰一人も欠ける事なく、何十年と共に暮らして来たのだ。
そんな芸当を可能とするには、例えば六不思議の間にだけ通じる、目的や掟のようなものがあって、それを遵守しているからこそ、波乱が起きても秩序が続いているとか。
(そう。その役割が……聖地を守る、使命……?)
それらしく感じるが――これまた何か腑に落ちない。
他にもっと、彼らの関係を適切に表現できる言葉が、あるような気がするのに。
――だからこそ問いたい。一体何がきっかけとなって、その足を踏み出させた?
ふと、いつかノクターンから質問された言葉が、脳裏に浮かび、泡のように消えた。
「……姉さま」
ぽつり、と無意識にそんな言葉が出て、イツハが顔に朱を登らせながら見上げて来る。
「だ、誰が姉さまよ!」
「ん……ああ、ごめん。あんまり気持ち良くて……色々考え事してて、つい」
「だ、だからって、言うに事欠いて、姉さまとか……! と、か……」
イツハは悪態をつこうとしたものの、なぜか途中で、目線を横へ逸らし、ぼそぼそと。
「……も、もう一回」
「え?」
「もう一回、今の台詞……言ってみなさいよ。わ、笑ったりしないから。ほら……」
「六不思議って、外に出たくないのかな」
「露骨に話題変えて来たわね!」
ネレはあくびをかみ殺す。何か話していないと、そのまま寝落ちしてしまいそうなのだ。
「学校の周りには、結界が張られているんだよね。ノクターンとか、かなり高いランクの魔法使いに思えるんだけど……それでも、解除とかできないの?」
するとイツハは、今度は視線を床へ落とし、小さな吐息交じりに頷く。
「……無理よ、ノクターンでも。他の誰にも無理だった。メア子が外と通信できるようになったのも、ほとんど奇跡みたいなものだったんだから」
「そう……苦労したんだね、みんな」
「あれを突破するには、それこそ『魔の遺産』でもないとどうにもならないんじゃない?」
「マイサン?」
「魔の、遺産、よ! あたしに息子はいないわ!」
鼻息荒くぷりぷりするイツハをよそに、ネレは己の脳へ問いかけ、知識を引っ張り出す。
「百年くらい前、太古の文明遺跡から発掘されたっていう、七つの道具の総称……だっけ」
「ええ。あたし達が使ってる魔法より、ずっと大きな力を秘めたアイテムよ。ニーメゲルとかワホンとか、当時の列強各国は、世界のパワーバランスを守るため、遺産を分割所持する事で、均衡保持を図ったわ」
だが、ニーメゲルは同じく遺産を分け合ったエルフの国――オルフィー大森林を襲撃し、エルフの大殺戮を行うとともに遺産を奪い取った。
当然、その凶行に他の異種族や人間種の国は猛反発するが、ニーメゲルはこれを無視。
最終手段として兵を起こしたのが、大戦の始まりである。
「人によっては、戦争のきっかけとも呼ばれるほど密接な関係の、いわくつきの品……でも、その力は比類なきものらしいわ。実際、ニーメゲルとかは、数々の遺産を利用して、ぐんぐん強くなってるみたいだし」
「その中でも電子魔法は、筆頭発明品だよね」
確かに、そんな凄い代物であれば、あるいは現世へ出る事も可能になるかもしれない。
――けれど。
「……出られないんじゃなくて、出たくない、んじゃないかな」
これまた、だしぬけに頭に浮かんだ言葉を、脊髄任せに吐き出してしまう。
「……どうしてそう思うの」
「なんとなく……深い理由はないよ。ただ、長い事閉じ込められてるはずなのに、危機感とか、焦りとか、そういうのがあんまり感じられないから……」
魔法での施術が完了し、イツハはネレから離れ、窓の方へ歩く。
「あたし達は満ち足りてるわ」
窓辺のカーテンを開け、闇の吹き溜まる校庭を、もっと遠くを見るみたいに眺めた。
「ここには衣食住から娯楽まで、全部揃ってる。なんだかんだ飽きない、頼りになる連中もいてくれる。……使命さえ果たしていれば、出る必要がないのよ」
ネレも視線を追えば、巡回中のヤクモがネレ達に気づき、一度だけ吠えて。
「あたし達を地縛霊だのって、バカにする侵入者もいる。でも、こっちからしたら現世こそ、お断りよ」
イツハもまた、小さく微笑んで手を振り返し、ヤクモへ応じる。
「あたし達は多分、これから何年も、何十年も、ここで過ごしていくんだと思う。それを不幸とは感じてない。誰に何を言われたって、この場所を守り続けていく……」
「……本当に、そう?」
ねむけまなこで尋ねると、イツハはカーテンを閉じ、振り返った。
「……まぁ。心の底から現世に未練がないのか、って言われると――嘘になっちゃうけど」
再び微笑う少女。穏やかな、でもどこか寂しさを含む表情が、ネレの印象に強く残った。
数日が経った。
近頃のノクターンの態度や言動に、ネレは引っかかりを覚えている。
疑念というほどではない。ただわずかな声色の変化や言葉尻から、些細な違和感を生じさせ、少しずつ大きくなっていたのだ。
その正体は、うまく言葉にできない。ノクターンはネレを必要としている割に、まだ全てを明かしていない……そう感じる。
多少は距離が縮まったが、まだまだ見えない壁に阻まれているかのような。
言ってしまえばこの世界は、公的機関の手の及ばない、秘境のようなものだ。
さらに、いみじくもノクターンが指摘していたように、この中で起きた出来事は、ネレだけ――すなわち当事者だけが知れる、陸の孤島じみた状況でもある。
龍脈の走るこの地が悪用されないため、守りたい――出会った当初より、ノクターンが何かにつけて行う主張であったが。
それなら、悪用する相手とは例えば誰で、その誰かはどうやって情報を入手しているのか。その方法もまた、限定されているはずなのでは。
あるいは、六不思議が特別に警戒している『敵』がいるとでもいうのだろうか。
そろそろネレの方でも、動くべき時なのかも知れない。
「調べてはいけない、とは言われてないから」
諸々の件に一区切りついた事で、後ろめたさはむしろなくなった。いっそ堂々と調査させてもらおう。求めている情報が入手できるとは限らないが、できる事はやっておきたい。
「……というわけで、明日の休み、図書館に行こうと思うんだけど」
「は?」
昼休み。教室で話しかけて来たネレに、伊予原は目をぱちくりさせた。
「私一人だと時間がかかるかも知れないから、伊予原くんにも手伝って欲しいんだ」
「よ、よく分かんねぇけど、七不思議……六不思議関連ってわけだよな?」
「うん」
「行くって、俺と、氷澄で?」
「うん」
「二人……だけで、図書館に?」
「おおむねそう」
(ま、マジか……誘われちまったよ、氷澄に)
しかも、女子に。その上、黙っていなくてもとびきりの美少女に。
出かける先は図書館という色気もないようなスポットであり言葉通り、ただ単に人手が欲しいだけという特別な感情も何も抱いていなさそうな態度だが――それでも意識するなという方が無理である。
(そ、そりゃ、色々逆境な氷澄からしたら、学校で手助けを求められそうなのは俺くらいだろうけど……ってなんか上から目線な思考しちゃってるよ俺! 落ち着けってッ!)
心中ではこれでもかと、マシンガンよろしく湧き出る雑念が百鬼夜行を始めているのだが、実際の現実では石像よろしく停止し、ぼけっとネレを見つめ返しているのみ。
「……なんか、いきなり、ごめんね。嫌だよね、こんなちょっと血が出るだけの女……」
あまりに無反応な伊予原から、芳しくないものを感じたのだろう、ネレは肩をすぼめる。
「い、いやいや! そんな事はないずぇっ!?」
「そう……?」
「お、おう……別に嫌じゃないぜ、血が出るだけの女。猟奇的な意味じゃなく」
だから、まぁ……と伊予原は頭を掻き。
「お、俺……氷澄と……行くぅ……」
優柔不断気味な返答が引っかかったのか、ネレは小首をかしげる。
「自分でも唐突と思ったんだけど、本当にいいの。伊予原くんにも予定とかあるでしょう」
「あぁ……六不思議の件が解決の方向にいくなら、俺にとっても悪くない話だからな」
事実、いまだに六不思議のいる世界へ行けない後ろめたさも、伊予原は抱えていた。
「そっか……ありがと」
しっかり目を合わせて礼を言われ、伊予原は照れ隠しに作り笑顔を浮かべる。
「気にすんなって」
「じゃあ、明日。午前中、正門の前で集合しよう」