ネレが寝泊りさせてもらっている親戚の家は、町外れにぽつんと建っている一軒家だ。
町の中心部からバスを二つ乗り継ぎ、降りた先からひたすら北へ伸びた道を歩いていくと、少しずつ人家がまばらになっていき、道路の舗装もひび割れや雑草が目立ち始める。
人の声や車が立てる喧騒と入れ替わりに、左右に開けた水田から虫の鳴き声がよく響く。遠目には山々の連なりが見えるようになり、轟く獣の吠え声が一斉に鳥達を飛び立たせた。
勾配の有る坂道を乗り越え、青々とした深い雑木林へ入り、さらに進む。
学校との往復だけで約二十キロメートルほどはあるだろうか。
途中でバスを挟むとしてもかなりの距離だが、一応は吸血鬼であるネレなら問題なく通学できていた。
伊予原と別れ、そのまま図書館からまっすぐ帰ってきたため、今の時刻は六時。
とっぷりと日が暮れた頃、雑木林の出口へ差し掛かったあたりで。
「アンタ……異界に出入りしてるね?」
不意に、背後から声をかけられた。
「――え……」
誰かが近づいて来る足音も、気配も前兆も何もなく。ぞっとした感覚とともに振り返る。
数分ごとに濃さを増す闇が、伸び放題の木々や枝葉の下に立ち込めているのみだった。
どこからか――老婆の含み笑いが聞こえる。耳元で嘲るような、嫌な声量。
「七不思議の味方、なら……消えてもらうよ」
またしても、後ろから声。今度は身構えながら振り向くが、やはりそこにも、何者の影も形もない。
けれど、雑木林の奥で、何かが蠢くような揺らぎが目の端をかすめて。
次の瞬間。暗闇を塗り潰しながら眩い閃光が巻き起こり――ネレが最後に見たのは、赤々と燃え盛る豪炎だった。
「つーか、氷澄がこんな郊外に住んでるなんて、思いもしなかったぜ……」
あまりに長い道のり。人っ子ひとり見当たらないあぜ道を歩きながら、伊予原はぼやく。
「しかし割と、あいつも抜けてるよな。まさか資料忘れて帰るとか……」
まだ読めていない分の資料は借りて持ち帰り、また別日に、と解散したまではいい。
ところが帰り道、その資料をネレが持たず、帰っていった事を思い出したのである。
慌てて公園へ戻ると、なんとまだ、二人で弁当を食べたあのベンチの上に置きっぱなし。
「これ忘れたのって、間違いなく、レインボー事件が関わってるよな……」
レインボーが出現した際、ネレは隣に資料を避難させ――そのままになっていたのだ。
とりあえず連絡するべきか迷ったものの、そもそもネレとは連絡先を交換していない。
途中で気づき、取りに戻って来る可能性もある。そうでないなら登校日に伝えればいい。
いや――そもそも今からでも急げば、まだ追いつけるかもしれない。
結局後者を選び、学校の連絡網からネレの家を調べ、届けに走ったのだった。
そして後悔。よもやこんな辺境の奥まで足を踏み入れる羽目になるとは。
「育ちは良さそうだから、都会っ子の印象あったんだけどな。いや待てよ、今は親戚ん所に住んでる、って言ってたような……」
民家は少なく、光源はたまに立っている電柱に設置された照明だけ。ひっきりなしに響く虫の鳴き声が鼓膜を打つのが嫌で、ぶつぶつ自分の声でかき消しながら歩いていくと。
唐突に。目前に迫る雑木林の奥で、昼間かと見まがうほどの爆炎が立ち昇ったのである。
「……は?」
半瞬遅れて、虫のざわめきをぶち抜き轟音が鳴り響く。衝撃波が木々を強烈に揺らしながら駆け抜け、突風に身体がもっていかれそうになった。
「な、なんだよ、一体……!?」
資料を取り落とし、地面を伏せてこらえる。十秒、二十秒。
恐る恐る身を起こすが、それきり何事もなかったみたいに、元の静寂が戻って来る。
しばらく様子を見ても、何も起きない。でも何か嫌な予感がして、雑木林へ踏み込む。
「……氷澄!?」
大きく開けた――否、先ほどの爆発が林の一部を吹き飛ばしてできたであろう、大きくえぐれた場所に、ネレがうずくまって倒れているのを発見した。
全身が焼け焦げ、目を閉じ、まったく身動きしない。血の気が引いた。
何が起きたのか、まるで分からない。だが、まさか、こんな。
ふと、少女の胸が上下し、かすかな呼吸音が聞こえる事に気づく。
「ひ、氷澄……! い、生きてるんだな!? そうだ、早く病院に……いや、救急車を!」
「敵は四人か」
沈黙を破ったのはノクターンだった。メアの『部屋』に集まった六不思議達は、校庭へ仕掛けられた監視カメラにて、モニター越しに侵入者達の姿を確認している。
「統制が取れてますねぇ。少なくとも寄せ集めのグループじゃなさそうです」
メアの分析に、ノクターンは頷く。四人はひとしきり周囲の様子を確認した後、一人を校庭に残し、本棟、特別棟、他施設へ単独で散り始めた。
「こいつ……どこかで」
と、ノクターンは校庭に残った、フードで顔が見えないローブの人物へ目を留める。
「どしたの、ノクピー。なんか気になるの?」
「何か見覚えが……いや、我の思い違いだろう。忘れてくれ」
それきり皆、口を閉ざし――しばしの沈黙が続く。ややあって、イツハが。
「今日はネレ、いないのね」
「本来はいないのが当たり前だ。奴は現世の住人なのだから」
と、シーラが腕組みをしたまま応じ。
「前回の戦いで、助太刀された事自体がイレギュラー。アテにすれば足元をすくわれる。我々にとっても、奴にとっても」
「……そんなの、分かってるわよ……」
「イレギュラーといえば、今回の侵入者も何か変な感じですよぉ。武装といい足運びといい、素人には見えません」
六不思議は皆、多くの修羅場をくぐって来ている。観察するだけでも、歩き方ひとつからある程度の戦力を見抜くくらいの経験は積んでいた。
多分、楽な戦いにはならない。そんな緊迫した空気が立ち込め始めた矢先。
「ファーハハハ!」
ノクターンがだしぬけに高笑いを始め、首を傾けて一同を眺めやる。
「なに、敵が百人来ようと、我らがすべき事は変わらん。普段通り撃退するだけだ! 六不思議の恐怖をたっぷり植え付けてやってな!」
「えへへぇ。氷澄さんからあれだけ頼まれても、相変わらず全力で迎撃しちゃうんですね」
「氷澄ネレは同盟者でありその意見を可能な限り検討はするが、必ずしも受諾するとは限らんからな。さぁ各員、配備につけ!」
ノクターンの号令を受け、動き出す六不思議。
シーラは巡回へ。キョータは鏡を渡り音楽室へ。メアは残ってオペレーターを担当だ。
「ヤクモ、サギリ。行こう」
イズルは二体のロボを伴い、物憂げな顔つきのイツハの後ろへ回り、グリップを握る。
「……イズル。なんだか今夜は、胸騒ぎがするの」
イツハ、と押して進み始めながら。
「心配しすぎだよ。余裕だってば」
「いっそ全員で、あなたの『部屋』に籠らない? きっとその方が安全……」
「氷澄ネレは、突破したよ。前にも何度か、危ない時があった。籠城は絶対じゃない」
イズルはきっぱりと告げた。
「とにかく、すぐに片付けて来るから――イツハは安心して待ってて」