特別棟へ続くドアを、ノクターンはけたたましく蹴り開ける。
直後には、プールへ飛び込む水泳選手よろしく美麗なフォームで跳躍し、前転で受け身を取りつつ距離を稼ぎ、床へ伏せた。
紙一重。背後の渡り廊下から、夜の闇をつんざく猛火が放たれる。
赤々たる火柱はノクターンの頭上を高速で突き抜け、数メートル先まで到達。
途方もない高熱にあぶられ、天井や床は表面がどろりと溶け出し、窓ガラスに至っては衝撃だけでバラバラに粉砕されてしまっている。
「あちちちっ……マントが!」
ノクターンは端についた火を手で叩き消しつつ身を起こし、渡り廊下側へ振り返った。
「どこへ逃げようと無駄だぞ小娘が! この三つ首ドライグから逃れる事はかなわん!」
燃えるドアを踏みつけて現れたのは、二回り身長差はあるだろう大柄な男。
肩から足元までを覆い隠す、暗緑色の鱗を連ねたかのような金属製の全身鎧を着込んでおり、床を軋ませる足音から歩行するだけでも相当な重量なのが窺い知れる。
常人ならば確実に潰れるであろうレベルの重装備を纏い、ここ一時間ほど絶え間なくノクターンを追い回せるのだから、単なる巨体だけのでくのぼうでないのは確かだ。
「知っていよう! ドラゴンとはかつて、地上最強の異種族として恐れられていた!」
他を圧倒する火力。いかなる攻撃をも受け付けぬ強靭な肉体。自在に空を舞う翼。
ニーメゲルに滅ぼされる以前は、生態系の頂点として畏怖されていた。それが竜である。
「グハハハ! 見るがいい! これぞ竜王ハイドラが従えし精鋭、九頭竜将の頭骨なり!」
ドライグの頭は、ドラゴンの頸によってすっぽり覆い隠されていた。
否――頸を模して作られた、精巧な造形の兜だ。
造りこそ似ているものの、大きさの違う籠手が両手にも一つずつ嵌められており、今しがた放った炎の残り火であるかのように、生え揃った牙の間で陽炎がたゆたう。
「……大戦の折、九頭竜将はことごとくが討ち果たされ、その遺骸さえも、褒美目当てに群がる軍兵の坩堝に散逸したと聞いていたが。いくらかは闇市に流れていたらしいな」
「さよう……! ドラゴンの秘めし魔力はあまりにも強力無比ゆえ、首だけになろうと一部は残る! それを改造し、新たな武具として再誕させたのが、この三つ首よ!」
ドラゴンの口の中に納まったドライグの顔は、ニヤリと見下した笑みを浮かべ。
「その奇抜な髪の色と、特異な口調。奴が言っていた七不思議のリーダーは貴様だな? よもや大将首に出会えるとは、首を長くして待っていた甲斐があったというものだ!」
「二つ訂正しよう」
吹き込む夜風にマントをなびかせ、ノクターンは自らを指差しながら告げる。
「七不思議ではなく、六不思議……そしてリーダーではなく、我は代表者に過ぎん」
そして、と今度はドライグを指し。
「正々堂々、一対一でッ! 我が相手をしよう!」
放たれる覇気に反応したか、ドライグは隙なく身構えるも。
「とうっ! ノクターン・ダッシュ!」
ノクターンは身を翻すや、なんとさらに特別棟の奥へ向かって、駆けだしたのだ。
「勇ましい啖呵を切っておきながら、また逃げるかッ!? 愚弄しおってッ!」
追いかけるドライグ。鎧に加えて炎にも耐えうる合金製である『三つ首』を支える筋肉量は、軽装なノクターンの走行速度にも決して見劣りしない。
「そんなバカげた代物相手に、まともに戦えるかアホめ! 我らしくいかせてもらうぞ!」
などと挑発したノクターンは、先ほどの衝撃波で床へ飛び散ったガラス片を、片手で拾い上げるような体勢で身を投げた。
すると海へ沈むかの如くノクターンの姿がかき消え、ドライグは驚愕の声を上げる。
「まさかこれも、シャドウとやらの闇魔法によるものか!?」
ノクターンは大量のガラス片へ自身を滑り込ませた後、壁を三角跳びの要領で駆け上がり、ドライグの背後を取った。
「シャドウの事まで知っているとはな。お前達、本当に何者だ?」
ドライグの後頭部めがけ、ノクターンはトランプを矢継ぎ早に放つ。
「今夜の舞台は盛大になるだろう! 脇役といえど、せいぜい長く踊ってもらおうか!」
トランプから数多くの魔法が射出され、ドライグへ次々と浴びせかけられる。
「舐めるな――この程度の小技で、ドラゴンの装甲が破れるものか!」
ところがドライグは、魔法の雨を意にも介さず振り向き、ノクターンへ左腕をかざし。
「焼け焦げろ!」
装着されている竜の籠手から、バカでかい炎弾を撃ち出したのである。
(右腕の籠手からは火炎の吐息。左腕は炎の弾――)
左腕から放たれる炎弾は、身軽さには自信のあるノクターンをもってして回避が困難なほど、弾速が非常に速い上、多少だがカーブを行い追尾して来る。
連射はできないようだが威力は折り紙つき。着弾地点で爆発まで巻き起こると、先日の不良が使っていたハリケーン・キャノンを大幅に底上げしたような性能。
右腕の火炎は溜め要らずの超火力に加え、分には満たずとも相当の秒間放射し続けていられる。迂闊に間合いへ入ればもれなく死である。
(精度も威力も回転率も半端ではない、強力な銃火器……! かすろうものなら致命傷!)
すでにその攻撃を何度も見ていたノクターンは、即座に近くの壁を蹴り、ドライグを再び跳び越えながら躱してのけた。
「やれやれ……保健室が火の海になってしまったぞ。少し過剰火力だとは思わないか?」
対峙する両者。軽口を叩きながらも、油断なく相手の出方を窺い合う。
「グハハハ! 顧客の中には、物件もろとも更地にしてでも地縛霊を始末してもらいたい者もいるのでな。専用の掃除屋が要求されるのは必然というものよ!」
「ファーハハハ! そんなマガイモノでいくら火あぶりにされようと、亡者の怨念にとっては涼し気な夏の風にしかなるまい! 到底天上へは逝けぬなぁ?」
「グハハハ! 安心しろ! 貴様らが堕ちるのは火炎地獄だ! この俺の手によってな!」
「ファーハハハハ!」
「グハハハハハハ!」
「ファーハハハハハハハハハッ!!」
「――死ね!」
炎が当たる距離まで詰めようと、如才なく踏み込むドライグ。
笑いを引っ込めたノクターンは、ぱちんと指を鳴らす。
途端、防火シャッターがとてつもない速さで下り、真下へ差しかかるドライグへ激突。
「熱いのはドラゴンだけで沢山だ。お前、少し頭を冷やした方がいいぞ」
挟まれてもがくドライグへウインクを残し、ノクターンは逃走を再開。
「こ、この詐欺師めがあぁぁ……!」
「助かったぞ、メア。ベストタイミングだな」
ドライグの遠吠えを尻目に、ノクターンはスマホを取り出し、通話へ出た。
メアは『部屋』から、遠隔で学校の各種設備へアクセスできる。
これまでノクターンが逃げ回って来られたのも、安全なルートへ導くメアの的確な指示と、息の合った妨害工作のおかげだ。
『かなり手強い相手みたいですからねぇ、焦らずいきましょ』
「ああ。体力も気力も、じわじわと削り取り……自滅へ追い込んでしまおう」
ドライグとはつかず離れずの間合いを維持。
時には罠へ引き込んで足止めし、ちまちまつついて、翻弄を繰り返す。
『先ほどイズルさんとシーラさんが、それぞれ敵を倒したとの確認が取れました』
「流石だな。これは我も負けていられんか」
『イツハさんも所定の位置へついたみたいです。いつでも始められるかと』
「ではゆるりと仕上げにかかろう――!」
二階から一階を繋ぐ階段を駆け下りる。ドライグも続けて降りて来た。
だがその足は、踏み外される。巨躯がぐらりと傾ぎ――。
「我が紛れ込ませた偽の段差を解除した……自重で潰れてしまえ」
校舎中に響き渡る騒音。ドライグは何度も横転し、一気に下まで転がり落ちたのである。
その間にメアが遠隔で壁を開き、現れた隠し通路へノクターンは逃げ込んだ。
「こ、殺す……絶対に殺す……ッ!」
ノクターンを追い、ドライグも開いた入口へ飛び込む。
だが直線通路が突き当たりまで続いているのみで、並ぶドアの他、姿は影も形もない。
「一つ一つ調べるなど時間の無駄、中の空間ごと吹き飛ばしてくれるわ!」
手近のドアの前へ立ち、両腕を構えた。ノクターンが身を潜めているならばもろとも焼き払い、そうでなくとも鬱陶しい迷路を潰して回れるであろう。
いざ、火球を撃ち込まんとした矢先だった。ドライグの背後。
通路入り口に、ノクターンとは別の六不思議――イツハが顔を出す。
その腕一杯に抱えるは、屋上と廊下の落とし穴を経由して引き込んだ放水ホースの先端。
ただし対侵入者用に魔改造を施した品であり、延長ホースが結合した貯水タンクが空っぽになるまで放てる、六不思議側の切り札でもあった。
さらに車椅子のシート、その裏側に内蔵されたいくつものロボットアームが現れ、両側面の壁や下方の床まで伸びて張り付き、反動に備えてイツハの身体を盤石に固定。
「食らいなさい!」
その気配で振り返るドライグへ向け、ガンタイプノズルを素早く操作し、水を発射する。
光線のように直進した水の塊が、ドライグへ着弾。
勢いと放水量が最大にまで引き上げられた水圧は、消防隊の用いる消火用ホースを凌ぐ。
重量級といえどいつまでも踏ん張る事はかなわず、引きずられるように足が浮き上がり――突き当たりのドアを突き破り、奥の小さな空間へ叩き込まれた。
「ぐうぅ……! こ、ここは……」
一面暗い銀色の、殺風景な小部屋だ。見回す限りでは用途不明の金具やレールのような出っ張り、壁面にはパイプ型の梯子が設置されており、この場所に対しての疑問がよぎる。
「ご自慢の装甲……果たして耐えられるかな!?」
木霊するノクターンの声に頭上を仰ぎ、疑問はただちに氷解した。
だがまったくもって遅すぎる。ここがエレベーター内であり、自分はその最下層へ追いやられた事を理解した直後には――真上からロープを切られたエレベーターのカゴが火花を散らし、ゴリゴリと神経を削る騒音を暴れ狂わせながら、落下して来ていたのだから。
立ち上がれはしたものの、エレベーターから脱出するだけの猶予などない。
とっさに両腕を振り上げ、カゴを受け止めようとするが――。
「終わったわね……」
ドライグは、三階から落とされたカゴの下敷きになった。
ちりとも反応がないのを見届けて、イツハは耳に押し当てていた両手を外す。
墜落時の衝撃と轟音は、例え耳を塞いでいても、手の肉を軽く浸透するくらいには激しかった。目前には、崩れひしゃげたエレベーターの出入り口。
カゴも下半分が潰れた残骸と化しており、これでは当分修理に時間を要するに違いない。
「これで三人目。気づいたら三時間も戦ってたのね。こんな長丁場久しぶり――」
言いかけた途中だった。すぐ背後から近づく足音を聞き取ったのは。
拳が飛び、横面を殴られる。突然の不意打ちにイツハの身体はたやすく吹っ飛び、壁へ背中を打ち付けて倒れ込む。
起き上がろうとした瞬間に頭を踏みつけられ、強く床へこすりつけられ抑え込まれる。
「おおっと、お嬢ちゃん。大人しくしていてもらおうかい」
くつくつと、喉で鳴らすような笑いが届く。
イツハは突っ張った手で必死に床を掻きながら、片目を動かして頭上の相手を見た。
監視カメラ越しでは正体が判明しなかった、唯一の人物。いつの間にここへ。
けれど下からの角度なら、フードに覆われたその顔が覗ける。
染みと皺まみれの肌。潰れたような鼻。たるんだまぶた。ささくれた白髪。
およそ、この暴力的鉄火場には似つかわしくない年老いた女だ。
「磯臭ェ岩にひっついた苔みたいな髪しやがって、ガキは大人の言う事聞くもんだよ」
だが、得意そうに口元をひん曲げて笑む、ねじくれた性根が如実に表れた表情。
多くの侵入者を見て来たイツハには分かった。こいつはまともな人間ではない。
他の三人と同類――いや、彼らなど及びもつかないほどのどす黒さを抱えた、もっとも危険視すべき相手なのだと。
「やれやれ。あいつら……あんなに言っておいたのに、手間取らせおってからに」
役立たずが、と老婆は面白くもなさそうに毒づきながら、懐から何かを取り出す。
それは小枝のような掌の上で、極彩色の光を放ちながら浮遊する、三角形の発光体だ。
表面は溶岩が煮えたようにぐつぐつと蠢き、時々思い出した風に小さな黒球が破裂する。
まるで太陽から削り取った欠片みたいだ、とイツハはふと思った。
「病んだ太陽よ……原罪なる生命を溶かせ」
詠唱の如く、老婆が神妙な声音で唱えると――断続的に出現していた黒球が見る間に膨れ上がり、漆黒の帯と化して、瞬時に三方へ分かたれた。
これでもイツハは、六不思議として数えきれないほど、鉄火場を経験して来たつもりだ。
なのに、その黒い帯からは――今までにないくらい、途方もなく嫌な感じがした。
もがくのを忘れ、あらゆる筋肉を強張らせ、呼吸さえ止め、硬直してしまうほどの。
それはさながら、飢えた猛獣に見つからないよう、何とかやり過ごそうとする、矮小な獲物の動きに酷似していて――。
ノクターンはまだエレベーター内に残り、梯子に掴まって、下方の様子を確かめていた。
「鎧とか籠手の硬さは、これまでの戦いで確認済み……まぁ、死んではいるまい。叩き出す前に、手当てくらいはしてやるか」
そんな風にドライグの身を案じつつ、一旦校舎側へ戻ろうとした時だった。
――脳天まで悪寒が突き抜け、思考を警笛が埋め尽くす。
ノクターンは振り返りすらせず、扉から上へ続く段差へ手をかける。
刹那。潰れていたカゴの下で、閃光が弾けた。
「な……っ!?」
直後には竜巻じみた炎の嵐が生じ、エレベーター内を猛然と駆け登って来る――。