七不思議少女   作:牧屋

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第32話 ペレナ・ヴルゴ―

 屋敷内で巻き起こった、強大な魔力の鳴動。依然として姿のない黄泉塚家当主。

 広間に集まった客達が、不安をたたえて顔を見合わせた矢先。

 突如として床を突き破り、壁を叩き壊し――無数の黒帯が襲い掛かったのである。

 

「な、なんだこれは――ッ!?」

 

 猛然と突っ込んだ黒帯は、片端から一族を切り裂き、すり潰し、血袋へ変えた。

 

「ぎゃああああ!」

「手が! 私の手がぁ!」

 

 そこかしこに、四散した人体が転がる。夥しい鮮血が散らされ、広間内は地獄と化した。

 

「ぜ、全方位から来る! しかも速い! に、逃げ場がないっ!」

「皆、ワシの後ろに隠れるのじゃ! 我が防御魔法の最高位たる『フラクタル・アース・カーテン』で守ってしんぜよう!」

 

 作り出された強固な土壁はだが、豆腐よりも容易く切断され、使い手は粉微塵にされる。

 混乱の中、シーラはリースとともに、出口へ向けて駆けていた。

 

「こちらです、リース様! 床が陥没しています……足元にお気をつけて!」

 

 先導するのはシーラだ。恐怖に呑まれ、恐慌に陥った人波は災害と変わらない。

 押し倒され、潰され、顧みられない――そうして命を失う者の方が多い場合もある。

 彼らの動きを先読みし、安全圏を見出し、護衛対象を誘導。それができるのは、こうした有事に備えて日々訓練を重ねていたシーラにしかできないのだと、強い自負があった。

 

「ま、待って、シーラ……みんなを置いていくのっ……?」

「敵の正体、戦力ともに不明――無念ですが今は、我々の安全を優先するべきかと!」

 

 リースは当惑し、後ろ髪を引かれるような顔をしていたが、やがて毅然と頷き返す。

 

「分かったわ。あなたの判断を信じる」

 

 礼を言う暇はなかった。正面から人々を薙ぎ倒し、黒帯が向かって来たからだ。

 

「くっ……ウインド・ストライク!」

 

 交差する旋風を放つ。けれども触れた途端、風はほどけ、跡形もなく消失してしまう。

 

「な――」

 

 何の障害もなかったかのように、シーラへ迫る黒帯。

 

「危ない、シーラ!」

 

 横合いからリースが割って入り、両手で体重をかけてシーラを突き飛ばした。

 次の瞬間、シーラの視界からリースの姿が黒帯に覆われ。

 過ぎ去った後には、上半身をなくしたリースの腰から、噴水みたいに鮮血だけが噴いた。

 

「リース、様……?」

 

 世界の全てが静止したみたいに感じた。周囲の喧騒も何も聞こえなくなり――ぶしゅっ、ぶしゅっ、と、冗談みたいに断続的に噴き出す音だけが、いやに脳に響いて。

 リースはどこへ行ったのだろう。目の前のこれはなんだろう。どうして声が聞こえない。

 

「私、私は……」

 

 この日のためにリースが仕立ててくれたドレスの裾が、流れ出る血に染まっていく。

 動けなかった。

 だから、背後から迫る、鎌首をもたげた黒い帯の接近に気付けなかった。

 

 

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図。キョータは右往左往するしかできなかった。

 周りでは大人達が慌てふためき、浮足立ち――抵抗も逃走も嘲笑うみたいに、どこからともなく現れた黒い帯の群れに破壊されていく。

 

「う……うぅ……っ!」

 

 どうすればいいのか分からない。逃げたくてたまらない。

 でも一歩でも進んだら、恐怖に背中を憑りつかれ、二度と立ち止まれないかも知れない。

 下手をすれば、周りのパニックに巻き込まれ、きっとただでは済まないだろう。

 あらゆるネガティブなイメージが湯水のように湧き出て、留まっているしかできない。

 

「怖いよ……ノクターンお姉ちゃん……」

 

 震えあがりながら、すがるようにその名を口にした直後だった。

 

「……あ! こんなとこにいたんスね、キョータくん!」

 

 人波を器用にかいくぐりながら、誰かがひょいと顔を出す。

 

「――メアお姉ちゃん!」

 

 現れたのは、肌が日に焼け、髪を短めに切り揃えた、ラフな半袖姿の活発そうな少女。

 力関係で言えば、黄泉塚家に次ぐとまで謳われる高名な魔法一族、塩河家の一人娘だ。

 

「大丈夫っスか?」

 

 メアは未曽有の惨事が現在進行形で起きているこの場には似つかわしくないほど、からっとした快活な笑みを浮かべ、手を差し伸べて来る。

 

「なんか大変な事になってるっスし、早いとこ離れましょうよ」

「う、うん……!」

 

 けれどキョータはいつもと変わらないその笑顔に元気づけられ、警戒せず握り返した。

 時折、何を考えているのか分からなくなるのが玉に傷だけれど、メアもノクターンと同じくらい、キョータと遊んでくれる。親戚の子供達の中では仲が良い方だった。

 メアは恐怖そのものを感じていないのかと思うほど、躊躇のない動きで人間も黒帯もすいすいと躱しながら進み、気づけば二人とも広間から脱出を果たせていた。

 

「うーん……他ん所もひどい有様っスね」

 

 廊下や他の部屋、どちらを向いてもあの黒い帯が暴れ狂っており、到底安全な場所に出られたとは思えない。

 

「ど、どうしよう……」

「もう屋敷から出た方が早いっスね。外ならきっと追っかけて来ないはず」

「どうして分かるの……?」

「さっきの魔力の反応が、屋敷の中からしてるからっス。規模からして、屋敷全域。ならいつまでもここに残るなんて選択肢は、それこそ自殺行為っスよ」

 

 キョータはぽかんと目を白黒させ、メアを見上げた。

 どちらかといえば体育会系。何事もフィジカルで対応するから、痛い目に遭う事も多い。

 ノクターンに尻拭いされたりと、あまり頭脳労働は得意でなさそうだったメアが、まさかこんな短時間で状況を分析し、やるべき事を見出せているとは。

 

「ノクターンお姉ちゃん……どこに行っちゃったのかな。大丈夫、なのかな……」

「案外もう、事態収拾のため走り回ってるんじゃないっスか? そういう人っスよ」

「うん……そうだね」

 

 会話しながら、慎重に階段を降り、正門へ向かっていた矢先。

 だしぬけに前方の床が軋みを挙げながら千切れ、一部が浮き上がり。

 ねじれ、丸まり。杭のような形状へ固まったかと思うと、高速で飛んできたのである。

 

「ヴぐぇっ」

 

 鈍い声を上げて、メアが後ずさった。

 ごぼり、とその口元から大量の血液が吐き出され、キョータは絶叫する。

 

「メアお姉ちゃん……!!」

 

 メアの腹部には、飛来した杭が突き刺さり――背中まで貫通していた。

 キョータの呼びかけには応じず、仰向けに倒れるメア。床に血溜まりが広がっていく。

 

「フフフ……いけないわね。みんなが困ってるのに、一人だけ逃げようだなんて」

 

 棒立ちになっているキョータの前へ、ふらりとペレナが現れる。

 悠然と口唇を吊り上げており、下手人である事を隠しもしない。

 

「メアお姉ちゃん……! お姉ちゃん……!」

「無駄よ、死んでるわ。久しぶりに自前の魔法を使ったけど、案外腕は鈍ってないものね」

 

 なら、とキョータは目尻から熱いものを流しながらも、ペレナを睨みつける。

 

「こんなひどい事をしたのも……全部お前が……!」

「勘違いしないでよ。この騒ぎは、アタシがやったんじゃないわ」

 

 ならなぜ、と悲しみと怒りの中にも疑問が浮かび――ペレナはその心情を読み取ったみたいに、にやつきながらキョータへ遺産の存在を告げた。

 

「陽の、憑光……」

「ええそうよ。親子水入らずの邪魔をするのも悪いしね。こっちはこっちで仕事を進めさせてもらうわ」

「一体、何を……」

「目的はあなたよ、キョータくん」

 

 ペレナが嗤う。

 

「魔法の行使にも触媒が必要。同じ意味で、遺産を使うためには、その使い手が要る。陽の憑光で異界へ縫い留められても長期間耐えられる、膨大な魔力を持つ最強の『個』がね」

 

 

 

「我らが奉じて来た食伏の血脈こそ、うってつけの人材にして、最後のピースなのだ!」

 

 黒男が手をかざす。するとノクターンの周囲の空間が、渦を巻くかの如く歪んだ。

 

「ひとたび遺産を得て異界の核となれば、その命数尽きるまで役目から逃げられない……父上ならばその程度のルールは忍ばせてあるはず……!」

 

 次の瞬間、真横から出現した銃弾を、ノクターンは身をひねり、紙一重で躱す。

 しかしそれのみにとどまらず、剣や矢、爆薬など、様々な凶器が虚空から現れては、ノクターンめがけて突っ込んで来るではないか。

 あくまで対象となる物体がなければ何も仕込めない『シャドウ』と異なり、『ブラックシャドウ』には面倒な条件などなく、『虚無』そのものへ仕込む事が可能なのである。

 

「キョータをも……犠牲にするというのか!」

「食伏家など途絶えても何の支障もないだろうが! 連中が今まで何の役に立った? 何の才覚もなくふんぞりかえるしか能のない豚どもが、我々に何をしてくれた!?」

「絶対的なカリスマが存続していたからこそ、魔法一族の体制もまた安定していたはず! 人の気持ちを踏みにじり、使い捨てるなど……あなたのやり方は間違っている!」

 

 ブラックシャドウによる攻撃を回避しつつ、ノクターンは一枚のトランプを宙へ放つ。

 回転しながら飛ぶのは、道化師の描かれたジョーカー。

 かと思えば、瞬きの間に青い柄と鞘のナイフへと変貌。重力に引かれて落下し始めるその得物を、ノクターンは背後から襲い来る銃弾を避けながらキャッチ。

 それと同時に、黒男が前方から飛び掛かった。その手にもまた、同じ造作のナイフ。

 刃同士が衝突し、火花が散る。同時に引き戻され、同じ構えを取り。

 一呼吸するうちに、再度距離はゼロへ。

 

 五月雨じみたナイフの残像が空間へ刻み込まれる、峻烈な攻防。

 

「今、我の胸にあるのは強い失望です。あなたの暴走に気づけなかった我自身への!」

「うぬぼれるなよ! この黄泉塚黒男、そう簡単に企てを露見させる程の愚物ではない!」

「ニーメゲルの傲慢な振舞いには我とて憤りを覚えている! 直接口には出さずとも、一族の大多数も大なり小なり不満を抱えているだろう……!」

「だからこそ! 目障りな穏健派を一掃し! 残った有象無象どもを兵に仕立て上げ、俺が王として君臨、旗揚げするのが正道じゃないのか!? えぇッ!?」

「我々は……魔法一族に王はいない!」

 

 ノクターンは隙をついて黒男を弾き返し、込み上げるやるせなさとともに叫ぶ。

 

「黄泉塚家の役目は一族を惑わす闇の露払い! その分を超えて何かを強要するどころか、命を奪うような真似など許されはしない!」

「この期に及んで責任逃れの詭弁をぬかすか! 無間の虚無に正されろ――!」

 

 黒男はナイフを握る手とは反対の腕を引き、拳を握り込み漆黒の虚無を生み出す。

 

「ノクターン・ナックル!」

 

 ノクターンもまた右腕の包帯を噛み外し、溢れ出る無を凝縮。

 二つの虚無が削り合い、乱れ飛ぶ影の余波を受け周囲の空間がねじり切れていく。

 

「ぐっ……!」

 

 されどいかんせん力不足、押し負けたのはノクターンの側。

 

「どうした、猛々しいのは口だけか! 呪帯を外さなければ無を操りきれん半端者めが! 俺の完全無欠にかなうと思うなッ!」

「まったく残念この上なし……何より一番最悪なのは、こんな風に肉親同士で殺し合わなければならない事! 父親失格だあなたは……!」

「こちらこそ願い下げよ、この頭でっかちの親不孝者が! 貴様など勘当してやる!」

「勘当上等! だが出ていくのはあなたの方……黄泉塚は今より我が貰い受ける!」

「つくづく生意気な娘だ……! 全てを横からかっさらい、覇を唱えんとするか!」

「我は……我は、王にはならん!」

 

 

 

 強烈な蹴りを受けて、キョータは吹っ飛ばされた。

 

「いきなり殴りかかって来るなんて、生意気なガキだねぇ」

 

 ペレナは振り抜いた足をゆっくりと戻し、舌打ちする。

 

「……てめーのクソ臭ェ前脚で触られてよぉ、ン何万もするスーツが汚れちまったじゃないか。クリーニングで取れなかったら弁償してもらうかんな」

「ゆ、許さない……!」

 

 キョータは痛みの残る脇腹を庇いながらも、立ち上がった。

 

「み、みんなの……! 仇だ……!」

「はぁ? なに勘違いしてんのさ。アタシはただちょっとばかり後押ししてやっただけ。元々はイカれた思想にかぶれたバカが突っ走って勝手に死にまくってるだけでしょ。もの知らずで短絡的。これだからガキは嫌いなんだよ」

 

 キョータはもう一度拳を固く握り込むも、痛みがひどくてうまく歩けない。

 自分では何もできないのか。悔しさに余計涙が出る。血の混じった鼻水が止まらない。

 

「ハッ! カッカしてるとこ悪いんだけど、遊んでやってる余裕もあんまないんだわ。めんどくせぇし、テキトーに手足折って連れ――がげぎぇぶっ!?」

 

 だしぬけに風切り音が響いたかと思うと、ペレナの身体が横へ吹っ飛んだ。

 近くの壁へ頭から叩きつけられ、醜い悲鳴を上げて転げ回る。

 

「がぁっ……ぎゃ、ひっ……! な、なにさ、いきな、りィっ……?」

 

 激痛の走るこめかみを手で押さえると、指の間から、どくどくと血液が垂れ落ちて来る。

 

「血……血ィッ!? は……へ? な、なんでぇ……?」

 

 顔をしかめ、しきりにうめくペレナの前へ――立ちはだかる少女が一人。

 

「え……?」

 

 その人物を目の当たりにし、キョータは呼吸を忘れて目を見張った。

 

「――ナイスヒット、っス」

 

 ペレナの薄い皮膚をこそぎ取り、血糊のこびりついた金属バットを肩へかけ、メアはことさらな薄ら笑いを貼り付ける。

 

「な……あ、アンタ、なんで……? し、死んだはずじゃ……」

「あー、アレっスか。いやマジ、痛かったっスよ。当たり所が悪かったらヤバかった」

 

 メアの腹部にはいまだ、ペレナが飛ばしたとおぼしき杭が貫通したまま残っている。

 痛いとか、当たり所とかそういう問題ではない。どう見繕っても致命傷のはずなのだ。

 

「これ邪魔っスね。よいしょ、っと……」

 

 なんとメアは片手で杭を掴むなり――無造作な手つきで引っ張り出すや、何の気なしに投げ捨ててのけたのである。

 シャツが破れ、杭も失せ、そうして露呈したメアの傷口は、異様な有様となっていた。

 風穴が、開いている。

 だが、そこから血液はまったく流れ出る事なく、代わりにいくつかの配線らしきケーブルが千切れてむき出しに垂れ、ぱちぱちと青白い火花が散っていた。

 

「な、なんなの、それ……。アンタ、一体、何――」

 

 ペレナの言葉を遮るように、これまたバットが何気ない動作で振られ、隙だらけの頭部へ叩き込まれた。

 

「ごげあぶぇッ!?」

「秘密を隠していたのは、そっちだけじゃないってワケっス」

「ひ、痛、痛い……! や、やめて……ぎげぇっ!?」

 

 殴打。

 

「いやぁ、仮にも不正を見張る側の人間が、こんだけ好き放題してるんスから……」

 

 殴打。殴打。

 

「がっ……あ……!」

「魔法局ってのも、案外大した事ないっスね。他の局員とのコネや、情報交換のためのネタとかには、ちょっとばっか魅力感じましたけども」

 

 殴打。殴打。殴打殴打殴打。

 

 一定のペースで打ち込まれるバット。壁へ飛び散る鮮血。返り血に染まるメア。

 

「あ……あ……」

 キョータは蹴られた痛みも忘れて硬直し、ガタガタ震えながらその光景を眺めていた。

「害虫駆除完了っス」

 

 やがてぴくりとも動かなくなったペレナを一瞥し、メアはバットを打ち捨てて。

 にこやかにこちらを見た。平時と変わらぬ明るい笑顔。

 キョータを安心させるために向けられたはずのその貌が、今は途方もなく恐ろしい。

 

「キョータさん」

 

 メアが、腕をこちらへ伸ばす。無意識に、後ずさってしまい。

 

 ――廊下を突っ切って襲い来る、黒帯への察知が遅れた。

 

 はっとした後には、すでに眼前まで肉薄されている。

 すくみあがり、足が動かない――。

 刹那、メアの手から発せられた光条が黒帯へ着弾し、巻き込むみたいにしてキョータの側から引き離した。

 

「え……? えっ?」

「この黒いやつ……光属性みたいっス」

 

 さらに別方向から突撃して来る二本目の黒帯も、メアは逆の手を用いて光を放ち、同じように食い止めて見せる。

 

「相性が良いんスかね? 高速回転する光子を浴びせ続ければ少しは時間が稼げるっスから、今のうちに逃げて下さい」

「で、でも……!」

 

 メアはキョータへ視線を流し、また優しげに微笑みかけた。

 疲労が濃いのか、頬には脂汗が浮いている。腹部の火花も、先ほどより激しくなり、奇妙な液体がとめどなく流れ出ていた。

 それでも、何の心配もない、というように。笑いかけてくれている。

 

「大丈夫っス! 適当にあしらったらノクさんと合流して、こんなのやっつけちゃいますから! 安心して逃げちゃってください。なるべく遠くへ!」

 

 メアはもう、怖くなかった。でも。

 

 ――言われるがままに駆け出すしかなかった無力な自分を、キョータは呪った。

 

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