「ガキどもめ……どこへ逃げた」
見事にノクターンに撒かれたドライグは、その後も校舎内を捜し続けたものの成果はなく、苛立ちだけが募っていた。
組んだ連中とも連絡を取りたかったが、あいにく戦闘でスマホが故障していた。
今、仕事が首尾よく運んでいるのかどうなのか、それすら確認できない。
「大事な籠手も片方が壊れた……。ソレもコレも……あの小娘のせいだ!」
憤懣やるかたなく、荒い足取りで校庭へ出る。
夜風に当たっていると、次第に怒りは静まり――入れ替わりに昏い喜悦が湧き始めた。
「焦る事はあるまい……この圧倒的な力。先ほどより、なじんできたぞ……!」
傷の痛みは感じず、身体の動きも軽い。総身にみなぎる、途方もない活力。
スマホの調子が悪いせいでアプリも起動できないか、どういうわけか、魔法が問題なく使えている。これも雇い主から与えられた力のおかげだろうか。
「今ここに、最強の名を冠する竜にふさわしい、無敵の肉体が誕生したのだッ!」
快哉を叫んだ矢先――ドライグの鋭敏に研ぎ澄まされた感覚が、接近する気配を拾う。
深まる闇の中。いつの間にそこまで近づかれていたのか、数メートル先に、一人の少女が佇んでいた。
見覚えのある鬱金色の髪。所々が焼け落ち、すりきれた黒マント。
――間違いない。
「貴様……ようやく戦う気になったのか? それとも降伏でもしに来たか?」
まぁ、とドライグは犬歯をむき出してせせら嗤う。
「敗北を認めようが、絶対に許しはせんぞ。この俺の憤怒が収まるまで、貴様の肉を潰し! 骨を砕き! 喉が千切れてあふれた鮮血で窒息するまで、悲鳴を上げさせてくれるわ!」
ノクターンは答えない。姿勢は俯き加減で、表情は垂れた前髪に隠されている。
つい、とその腕が上がり――袖口から手にかけ、一枚のトランプカードが飛び出す。
道化師の絵が描かれた、ジョーカーのカードだ。
ふと瞬きをした直後、カードは一振りのナイフへ姿を変えている。
そこで、ドライグは違和感を覚えた。
こいつ。直撃とはいかないまでもかなりの大火傷を負っていたはず。
あれだけの負傷であれば、短時間で治癒させるにはかなりの魔力の消耗が必要となる。
しかし、目の前の少女は息一つ乱していない。それどころか。
(なんだ……? この、ちりちりと神経を灼くような、奇怪な圧迫感は――)
無意識に、右足を半歩後ろへ下げた、刹那。
視界から、ノクターンが消える。
「な――ッ!?」
息を呑んだ直後にはすでに、懐へノクターンが、飛び込んでいて。
「……死ね」
深く深く。水底から囁きかけるかのような低い声音が鼓膜を撫でた瞬間。
むき出しだった右手めがけ、ナイフが複数の半円を描く。
「ひぃっ……ぎ、ぎゃあああぁッ!!」
ドライグは尻餅をつきながら右腕を抑え、間断なく迸る激痛に絶叫した。
関節部ごとに輪切りになったいくつもの指が、そして美麗な断面を覗かせ断ち切られた手首が、冗談みたいに宙を舞い、飛び散る鮮血とともにグラウンドをまだらに染めていく。
「手、手手手手手がぁ! 俺の手があぁぁ!」
狂ったように左手を振り回し、炎弾を乱射。ノクターンを追い払う。
「き、きぃっ、切れてるうぅアァッ! ここっ、これじゃぁあァ! もう手甲がつけられないじゃないかアァァア~ッ!」
ドライグは泣きわめきながら手首の消失した右腕の先端へ向け、小規模な火炎を発射。
「よくもよくもおぉォ! 九頭竜将の首に匹敵するこの俺の手をオォォオッ!」
数秒、勢いよく炎上する切断面。
けれど重度の火傷を負わせたおかげで、多少なりとも出血を抑える事ができた。
「ど、どうなってるぅぅ、っぅアァァッ! き、貴様ァ、何をしたあああ!?」
自分は、大幅なパワーアップを果たしたはず。
肉体強化のみならず、脳の処理速度も上がり、動体視力や反射すら格段に向上したのだ。
だというのに、捉えられない。速度も技も別格だ。まさか今まで加減されていたとでも。
「……これを持つと、思い出すんだ」
ノクターンは頬にこびりついた返り血を指先で拭い、ナイフを見やる。
「変わる、と言い換えた方がいいか。身体の方がな。覚えてるんだ。――あの日から、二度と使うまいと誓ったのにな」
魂が抜けたような虚ろな無表情のまま、独り言みたいに自嘲の言葉を残し。
ノクターンは無造作な歩みを寄せる。まっすぐ。最短距離で。
――ドライグの命へ向かってくる。
「うぐっ!」
こらえきれず、ついに薙刀が宙を舞う。
踏みしめた足から力が抜け、廊下の床へ無様に倒れ込む。
「手こずらせやがって……!」
ぜぇぜぇと、安田が荒い息をつきながら、新たに水の剣を作り出す。
「だが存外、悪くない心地だ。だぁんだん慣れてきたぜ、この感覚によ……。隠し玉があるんならあのババァ、最初から使えってんだ、クソが……ヒヒヒヒッ」
呂律は怪しい所だが、ああなった直後よりは理性を取り戻し、それにつれてパワーのみならず、動き方も巧みになる一方で。
極度の疲労。多量の出血。いくつもの事由が負債として積み重なり、結果シーラから体力を削ぎ尽くしていた。
駄目なのか。ここで終わりなのか。
――自分は、また何も守れないのか。
六不思議として過ごすにつれて少しずつ、過去の記憶らしき思い出は、蘇りつつあった。
中でももっとも鮮烈に。シーラの深い部分を揺り動かしたのは、ある人物に関する記憶。
名前も、顔も、いまだ霧のような忘却に覆われたまま。
それでも――ふとした拍子によぎる度、胸を切り裂かんばかりの悔恨に襲われるのだ。
自分は生前、きっと何か、命に代えるほどだった大切な誰かを、守れなかったのだろう。
強く刻まれたその無念が。そして寄り添ってくれる六不思議の仲間達が。
シーラへ再び立ち上がるだけの気力を呼び起こしてくれたのだ。
「なのに、一敗地にまみれ、このざまか……」
一息にシーラの首を落とすつもりか、安田が剣を振り上げる。
死ねば、あの人の下へ逝けるのだろうか。
いや――きっと行けないだろう。こんな惨めな自分に、そんな資格はない。
何より。
(死にたく、ないな……。みんなを……ノクターン様を、残して……)
二度も守れず終わるのは。嫌だった。
「死ねや――!」
安田が全霊を込めて振り落とす。迫る刃へ、シーラはせめて眼光だけでも焼きつけて。
その間に飛び込み、刃を受け止めた少女の後姿に。
引き締めていた口を、思わず開き。
その名を紡ぎ出した。
「……氷澄、ネレ……?」
「――初めて、良かったと思えた」
生成していた血の剣をかざし、安田の一撃を受け止めたネレが、ぽつりと呟く。
「メアと、アドレス交換しておいて。だから間に合った」